2019年7月29日月曜日
子どもの笑顔を買うには
子どもといっしょに夏祭りに行った。
夏祭りなんて何年ぶりだろう。
人混みが嫌いなので十年以上遠ざかっていた。
しかし今年、子どもを連れて夏祭りに行ってみた。
暑い、人が多い、売ってるものが高い、ガラの悪い人が多い。ふだんならぜったいに行かない場所だ。
しかし子どもが生まれてから、「ふつうのことを一通りは経験させないと」という使命感に駆られるようになった。
我が子が大人になったときに「えーおまえ夏祭りに行ったことないのー? おまえんち変わってるなー」と言われないように。
また、ぼくは何度も夏祭りを経験した上で「今の自分には夏祭りは不要」という判断を下したわけだが、それを別人格である娘に押しつけるのは良くないとおもうから。
初詣も、二十年ぐらい行っていなかったが子どもが生まれてから行くようになった。
ひな祭りとかクリスマスとかのイベントも個人的には好きじゃないのだが、子どものためにやっている。ハロウィンなんて一生やらないだろうとおもっていたが、昨年は娘をハロウィンパーティーに連れていった(さすがに自分は仮装はしなかったが)。
きっとぼくの親も、同じように考えていろんな年中行事をやってくれていたのだろう。
娘を連れて屋台をまわった。
くじ引きがしたいといえば「一回だけやで」とお金を出してやり、りんご飴がほしいと言われれば買ってやった。
ぼくは屋台のくじ引きなんてハズレだらけなのでふつうに買うほうが安いと知っているし、りんご飴なんて口や手がべたべたになるだけでぜんぜんおいしくないと知っている。
でも娘は知らない。
お祭りなんてじつはそんなに楽しいもんじゃないことを知るのもいい経験だ。
そうおもってお金を出してやった。
しかし。
残念ながら娘は、くじ引きであたったしょうもないおもちゃに嬉しそうにしていたし、りんご飴もおいしいと言って中のカスカスりんごが出てくるまでなめていた。
なんでいじらしいんだ。かわいいじゃないか娘よ。
ということで、風船を買ってやったりかき氷を買ってやったり輪投げをやらせてあげたりと、娘のためにあれやこれやと金を遣ってしまった。
だって数百円ですごく喜んでくれるんだもん。
大人の笑顔を買おうとおもったら何万円もするのに。
くそう、まんまとお祭りにしてやられた気がするぜ。
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2019年7月24日水曜日
新しい四字熟語
良事無報
悪いことはニュースになるが良いことはニュースにならないこと。徒歩倍分
不動産屋の「徒歩〇分」は、実際は二倍ぐらいだと思えという教え。
他人道義
「マナー」を他人に強要しないことこそが最大のマナーだという教え。百呟三真
書いてあることのうち真実は百個中三個ぐらいしかないという意味。岩波筑摩
一目置かれたかったら、読まなくてもいいから岩波書店か筑摩書房の本を書架に並べろという教え。2019年7月23日火曜日
渇望と創作
子どものとき、家にファミコンがなかった。
ファミコンとは家庭用ゲーム機のことだ。当時は、ファミリーコンピュータもスーパーファミコンもゲームボーイもみんなファミコンだった。
ファミコンがほしかった。
クラスの男子で家にファミコンがないのは、二、三人だけだった。
もちろん親に買ってくれと頼んだことはある。
でも、つっぱねられた。
うちにはお金がないとか眼が悪くなるとか。
嘘だ。ほんとは「教育方針」だ。
今にしておもえば親の方針は理解できるし、結果的にファミコンがなくてよかったかなとおもう。
でも。
当時はつらかった。
ファミコンで遊べないことそのものより「クラスメイトはほとんど持っている」という事実がぼくをみじめにさせた。
あのアホやデブやグズですら持ってるのにぼくだけ持ってないなんて。
よくノートに自分だけのゲームを書いていた。
友人の家でやったマリオの新しいコースを考えたり(『スーパーマリオメーカー』の先駆けといっていいだろう)、友人の家で見たドラクエをサイコロでできるゲームに作りかえたり。
友人の家でやったマリオの新しいコースを考えたり(『スーパーマリオメーカー』の先駆けといっていいだろう)、友人の家で見たドラクエをサイコロでできるゲームに作りかえたり。
わりとおもしろいゲームだったはずだ。
中学生になるとそこそこ小遣いも増えたのでこっそりゲームボーイを買い、親に隠れてやるようになった。
大学に入ってひとり暮らしをするようになると、念願だったテレビゲーム機を購入した。
ついに人目を気にせず堂々とゲームをできるようになったのだが、すぐに飽きてしまった。
あれ。ゲームってこんなもんなのか。たしかに楽しい。楽しいけど、幼いころに思い描いていたほどは楽しくない。
きっとぼくは、ゲームを楽しむのにいちばんいい時期を逃してしまったのだろう。
すっかりゲームへの熱は冷めてしまった。
創作意欲は渇望から生まれる。
ファミコンを買ってもらえなかった小学生時代はいろんなオリジナルゲームを考案して遊んでいたのに、今はそんな気にならない。
好きなときに好きなだけゲームをできるようになったことで、渇望が満たされてしまったのだろう。
そういや鳥山明氏が『ドラゴンボール』のカバー見返しのところにこんなことを書いていた。
子どものころ、バイクがほしかったけど手に入らなかったのでバイクの絵をたくさん描いた。馬がほしくなると馬の絵ばかり描いていた。
と。
もしも鳥山明少年の家がとんでもない金持ちで、バイクや馬を好きなだけ買ってもらえていたら(どんな教育方針やねん)、きっと『Dr.スランプ アラレちゃん』も『ドラゴンボール』も生まれていなかったことだろう。
もしもぼくがゲームを買わずにゲームに飢えたまま育っていたら、モノポリーや将棋をもしのぐような人気テーブルゲームを生みだしていたかもしれないな。
2019年7月22日月曜日
ニッポンの踏切係
ルートポート『会計が動かす世界の歴史』に、なぜ産業革命は18世紀のイギリスで起こったのか、という話が載っていた。
なるほどなあ。
たとえば「今まで一ヶ月かかっていた作業がたった一分になります!」というツールがあったとする。
そのツールの利用料が百万円/月であれば、今までどおり手作業で一日かけてやったほうがいい。ほとんどの従業員は一ヶ月雇うのに百万円もかからないのだから。
しかし従業員に百万円以上の給料を出している国の会社は、そのツールを導入するだろう。
すると作業時間を短縮することができ、余った時間でより創造的な仕事をすることができる。彼らが生みだした質の高い製品やサービスは世界を席巻し、より人件費は上がる。そして人件費を抑制するために効率化を進めるツールが開発される。
人件費が高いのは、経営者からみると悪いことだ。でも短期的なマイナス点も、長期的にはプラスになりうる。
IT革命がアメリカを中心に花開いたのも必然だったのだ。
べつにアメリカ人が特別にイノベーティブだったわけではない(それも多少はあるだろうが)。
アメリカ人の給与が世界トップクラスに高かったからIT化が進んだのだ。
人件費よりもコンピュータを使うほうが安い。だからIT化する。技術が高まるので世界的な競争力がつく。さらに賃金が上がる。それがより生産性を高める原動力になる……というサイクルだ。
これの逆をやっていたのが日本だ。
世界がIT化を進めている間、日本では
「従業員増やして電卓たたかせたほうが安いよ」
「残業させればいいじゃん」
「派遣を使って人件費を抑えよう」
とやっていた。
タダで残業する従業員がいるなら、設備投資をして作業をスピードアップさせる必要などない。残業させるだけでいい。
これで新しい技術が根付くはずがない。
「合成の誤謬」という言葉がある。
ひとりひとりが正しい行動をとることで、全体で見るとかえって悪い結果を生んでしまうことを指す。
たとえば無駄遣いを抑えて貯蓄に回すのは家計にとってはいいことだが、みんながそれをやると国全体の景気が悪くなるように。
人件費カットもまた合成の誤謬をうみだす。
個々の経営者レベルで見ると、人件費を抑えて利益を出すほうがよい。
だがすべての経営者がそれをやると経済は成長しなくなる。また人件費カットをする会社は短期的には利益を出せても長期的に見れば必ず失速する。技術革新を進める動機が薄れるし、そもそも能力を持った社員がいなくなるのだから。
人件費カットという合成の誤謬を止めるにはマクロな政策が必要になる。個々の経営者に任せてもうまくいくわけがない。
長時間労働の厳罰化、最低賃金のアップ、賃金アップした企業に対する補助金などの対策を国を挙げてしなければならないのだが、どうもこの国にはそういうことをやる気は一切ないらしい。
こないだ北朝鮮に行った人から、北朝鮮には今でも「踏切係」という仕事があると聞いた。
線路の脇に立って、列車が来る前に「危ないから入っちゃいかん」という仕事だ。
なんてアナクロなんだ、と逆に感心した。
北朝鮮に電動の踏切を作る技術がないわけではない(ロケットを飛ばしたり核実験をしたりできる国だ)。
それでも「踏切係」が2019年に生き残っているのは、電動にするより人間にやらせたほうが安いからだろう。
今いろんな自動車メーカーが自動運転カーの研究をしているそうだが、世界で最初に実用化されるのは日本以外の国だろう。
法律面の事情もあるが、それ以上に日本人の人件費は安いから。
「高い自動運転カーを買うぐらいなら運転手を雇ったほうが安い」という国では自動運転カーは売れない。
今のぼくらが「北朝鮮は人間が踏切係をやっているのか」とおもうように、
20XX年には「日本ではまだ人間が車を運転したりレジ打ちをやったりしているのか」と驚かれる時代になっているかもしれない。
2019年7月19日金曜日
【読書感想文】中学生のちょっとエッチなサスペンス / 多島 斗志之『少年たちのおだやかな日々』
少年たちのおだやかな日々
多島 斗志之
七作の短篇からなる作品集。
それぞれべつの話だが、どれも主人公は十四歳の少年。
ある出来事をきっかけに日常が少しずつ壊れてゆく……というサスペンス。
「友人のお母さんの浮気現場を見てしまう」「友達のお姉さんにゲームをしようと誘われる」「教師から泥棒の疑いをかけられる」
といった、どこにでもありそうな出来事が引き金となり、少年たちが恐ろしい目に遭う。
すごく鮮やかなオチはないが、それぞれテイストが異なる怖さを描いていて楽しめた。
十四歳男子を主人公に据えるという設定がいい。
自分が十四歳のころを思いだしても、火遊びをしたり、高いところに登ったり、入っちゃいけない場所に入ったり、言っちゃいけないことをいったり、詳しくは書けないようなことをたくさんした。
あの頃SNSがなくてほんとうによかった(インターネットはかろうじてあったが子どもが遊べるようなものではなかった)。
十四歳って、身体は大人になりつつあって、性的な好奇心は大人以上に高まって、けど社会的にはぜんぜん子どもで、でも自分の中では全能感があって、周囲に対して攻撃的になって、大人が嫌いで、世間のことをわかったような気になって……というなんともあやういお年頃だ(「中二病」はおもしろい言葉だけど、その一語だけでひとまとめにしてしまうのはもったいない)。
そんなあやうい十四歳だから、危険をかえりみずに未知の世界に足を踏み入れてしまう気持ちはよくわかる。
読んでいていちばんドキドキしたのは『罰ゲーム』という短篇。
友だちの家に行ったら、きれいだけどちょっとイジワルなお姉さんが「ゲームをしよう」と持ちかけてくる。
エッチな展開に持ちこめそうとおもった主人公はそのゲームに乗ることにする……という、なんともドキドキする導入。
ところがお姉さんが決めた罰ゲームはとんでもないもので……。
こわい。でもエロい。
エロの可能性が待っているのに退くわけにはいかない。エロの前では恐怖すらも絶妙なスパイスになってしまう。
このお姉さん、明らかに頭イカれてるんだけど、"エロくてイカれてるお姉さん"って最高じゃないですか。
小学五年生のとき、ジェフリー・アーチャーの『チェックメイト』という短篇小説(『十二の意外な結末』収録)を読んで、すごく昂奮した。
今思うとエロスとしても小説としても大した話じゃないんだけど、エッチなお姉さん+この先どうなるかわからない展開 というのは、思春期男子にとっては居ても立ってもいられないぐらいのドキドキシチュエーションなのだ。
中学生だったときの気持ちをちょっと思いだしたぜ。あっ、そういう青春小説じゃなくてサスペンス? 失礼しました。
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