2019年7月24日水曜日

新しい四字熟語


良事無報

悪いことはニュースになるが良いことはニュースにならないこと。


徒歩倍分

不動産屋の「徒歩〇分」は、実際は二倍ぐらいだと思えという教え。


他人道義

「マナー」を他人に強要しないことこそが最大のマナーだという教え。


百呟三真

書いてあることのうち真実は百個中三個ぐらいしかないという意味。


岩波筑摩

一目置かれたかったら、読まなくてもいいから岩波書店か筑摩書房の本を書架に並べろという教え。



2019年7月23日火曜日

渇望と創作


子どものとき、家にファミコンがなかった。
ファミコンとは家庭用ゲーム機のことだ。当時は、ファミリーコンピュータもスーパーファミコンもゲームボーイもみんなファミコンだった。

ファミコンがほしかった。
クラスの男子で家にファミコンがないのは、二、三人だけだった。

もちろん親に買ってくれと頼んだことはある。
でも、つっぱねられた。
うちにはお金がないとか眼が悪くなるとか。

嘘だ。ほんとは「教育方針」だ。
今にしておもえば親の方針は理解できるし、結果的にファミコンがなくてよかったかなとおもう。

でも。
当時はつらかった。
ファミコンで遊べないことそのものより「クラスメイトはほとんど持っている」という事実がぼくをみじめにさせた。
あのアホやデブやグズですら持ってるのにぼくだけ持ってないなんて。


よくノートに自分だけのゲームを書いていた。
友人の家でやったマリオの新しいコースを考えたり(『スーパーマリオメーカー』の先駆けといっていいだろう)、友人の家で見たドラクエをサイコロでできるゲームに作りかえたり。
わりとおもしろいゲームだったはずだ。

中学生になるとそこそこ小遣いも増えたのでこっそりゲームボーイを買い、親に隠れてやるようになった。
大学に入ってひとり暮らしをするようになると、念願だったテレビゲーム機を購入した。
ついに人目を気にせず堂々とゲームをできるようになったのだが、すぐに飽きてしまった。
あれ。ゲームってこんなもんなのか。たしかに楽しい。楽しいけど、幼いころに思い描いていたほどは楽しくない。
きっとぼくは、ゲームを楽しむのにいちばんいい時期を逃してしまったのだろう。

すっかりゲームへの熱は冷めてしまった。


創作意欲は渇望から生まれる。
ファミコンを買ってもらえなかった小学生時代はいろんなオリジナルゲームを考案して遊んでいたのに、今はそんな気にならない。
好きなときに好きなだけゲームをできるようになったことで、渇望が満たされてしまったのだろう。

そういや鳥山明氏が『ドラゴンボール』のカバー見返しのところにこんなことを書いていた。

子どものころ、バイクがほしかったけど手に入らなかったのでバイクの絵をたくさん描いた。馬がほしくなると馬の絵ばかり描いていた。

と。
もしも鳥山明少年の家がとんでもない金持ちで、バイクや馬を好きなだけ買ってもらえていたら(どんな教育方針やねん)、きっと『Dr.スランプ アラレちゃん』も『ドラゴンボール』も生まれていなかったことだろう。

もしもぼくがゲームを買わずにゲームに飢えたまま育っていたら、モノポリーや将棋をもしのぐような人気テーブルゲームを生みだしていたかもしれないな。


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ぼくの家にはファミコンがなかった

2019年7月22日月曜日

ニッポンの踏切係


ルートポート『会計が動かす世界の歴史』に、なぜ産業革命は18世紀のイギリスで起こったのか、という話が載っていた。
 こうして産業革命前夜の18世紀までに、イギリスでは高賃金と格安の燃料という状況が生まれたのです。
 産業革命がイギリスで始まった理由を考えると、やはり賃金の高さがもっとも重要なポイントです。
 たとえばジェニー紡績機は石炭を利用しません。燃料費の安さとは関係がないのです。しかし、それでもこの紡績機が発明されたのは、人件費を節約することで利益を出せたからです。
 人材を安価に利用することは、経済成長に繋がるとは限りません。むしろ労働を機械に置き換える(生産を効率化する)インセンティブを奪い、技術革新を鈍化させ、経済の発展を阻害する恐れさえあります。
 産業革命を起こしたイギリスの歴史には、現代の私たちにとっても学ぶところが多いでしょう。
なるほどなあ。

たとえば「今まで一ヶ月かかっていた作業がたった一分になります!」というツールがあったとする。
そのツールの利用料が百万円/月であれば、今までどおり手作業で一日かけてやったほうがいい。ほとんどの従業員は一ヶ月雇うのに百万円もかからないのだから。

しかし従業員に百万円以上の給料を出している国の会社は、そのツールを導入するだろう。
すると作業時間を短縮することができ、余った時間でより創造的な仕事をすることができる。彼らが生みだした質の高い製品やサービスは世界を席巻し、より人件費は上がる。そして人件費を抑制するために効率化を進めるツールが開発される。

人件費が高いのは、経営者からみると悪いことだ。でも短期的なマイナス点も、長期的にはプラスになりうる。


IT革命がアメリカを中心に花開いたのも必然だったのだ。
べつにアメリカ人が特別にイノベーティブだったわけではない(それも多少はあるだろうが)。
アメリカ人の給与が世界トップクラスに高かったからIT化が進んだのだ。
人件費よりもコンピュータを使うほうが安い。だからIT化する。技術が高まるので世界的な競争力がつく。さらに賃金が上がる。それがより生産性を高める原動力になる……というサイクルだ。

これの逆をやっていたのが日本だ。
世界がIT化を進めている間、日本では
「従業員増やして電卓たたかせたほうが安いよ」
「残業させればいいじゃん」
「派遣を使って人件費を抑えよう」
とやっていた。
タダで残業する従業員がいるなら、設備投資をして作業をスピードアップさせる必要などない。残業させるだけでいい。
これで新しい技術が根付くはずがない。




「合成の誤謬」という言葉がある。
ひとりひとりが正しい行動をとることで、全体で見るとかえって悪い結果を生んでしまうことを指す。
たとえば無駄遣いを抑えて貯蓄に回すのは家計にとってはいいことだが、みんながそれをやると国全体の景気が悪くなるように。

人件費カットもまた合成の誤謬をうみだす。
個々の経営者レベルで見ると、人件費を抑えて利益を出すほうがよい。
だがすべての経営者がそれをやると経済は成長しなくなる。また人件費カットをする会社は短期的には利益を出せても長期的に見れば必ず失速する。技術革新を進める動機が薄れるし、そもそも能力を持った社員がいなくなるのだから。

人件費カットという合成の誤謬を止めるにはマクロな政策が必要になる。個々の経営者に任せてもうまくいくわけがない。
長時間労働の厳罰化、最低賃金のアップ、賃金アップした企業に対する補助金などの対策を国を挙げてしなければならないのだが、どうもこの国にはそういうことをやる気は一切ないらしい。




こないだ北朝鮮に行った人から、北朝鮮には今でも「踏切係」という仕事があると聞いた。

線路の脇に立って、列車が来る前に「危ないから入っちゃいかん」という仕事だ。
なんてアナクロなんだ、と逆に感心した。

北朝鮮に電動の踏切を作る技術がないわけではない(ロケットを飛ばしたり核実験をしたりできる国だ)。
それでも「踏切係」が2019年に生き残っているのは、電動にするより人間にやらせたほうが安いからだろう。


今いろんな自動車メーカーが自動運転カーの研究をしているそうだが、世界で最初に実用化されるのは日本以外の国だろう。
法律面の事情もあるが、それ以上に日本人の人件費は安いから。
「高い自動運転カーを買うぐらいなら運転手を雇ったほうが安い」という国では自動運転カーは売れない。


今のぼくらが「北朝鮮は人間が踏切係をやっているのか」とおもうように、
20XX年には「日本ではまだ人間が車を運転したりレジ打ちをやったりしているのか」と驚かれる時代になっているかもしれない。


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【読書感想文】会計を学ぶ前に読むべき本 / ルートポート『会計が動かす世界の歴史』


2019年7月19日金曜日

【読書感想文】中学生のちょっとエッチなサスペンス / 多島 斗志之『少年たちのおだやかな日々』

少年たちのおだやかな日々

多島 斗志之

内容(e-honより)
人間の一生にも禍いの起きやすい時がある。その最初はたぶん思春期だろう。性に目覚めるだけの年頃ではなく、人間界の様々な”魔”にも出逢いはじめる時期だ。本書は十四歳の少年たちが”魔”に出逢う珠玉の恐怖サスペンス短編集。

七作の短篇からなる作品集。
それぞれべつの話だが、どれも主人公は十四歳の少年。

ある出来事をきっかけに日常が少しずつ壊れてゆく……というサスペンス。
「友人のお母さんの浮気現場を見てしまう」「友達のお姉さんにゲームをしようと誘われる」「教師から泥棒の疑いをかけられる」
といった、どこにでもありそうな出来事が引き金となり、少年たちが恐ろしい目に遭う。
すごく鮮やかなオチはないが、それぞれテイストが異なる怖さを描いていて楽しめた。


十四歳男子を主人公に据えるという設定がいい。
自分が十四歳のころを思いだしても、火遊びをしたり、高いところに登ったり、入っちゃいけない場所に入ったり、言っちゃいけないことをいったり、詳しくは書けないようなことをたくさんした。
あの頃SNSがなくてほんとうによかった(インターネットはかろうじてあったが子どもが遊べるようなものではなかった)。

十四歳って、身体は大人になりつつあって、性的な好奇心は大人以上に高まって、けど社会的にはぜんぜん子どもで、でも自分の中では全能感があって、周囲に対して攻撃的になって、大人が嫌いで、世間のことをわかったような気になって……というなんともあやういお年頃だ(「中二病」はおもしろい言葉だけど、その一語だけでひとまとめにしてしまうのはもったいない)。

そんなあやうい十四歳だから、危険をかえりみずに未知の世界に足を踏み入れてしまう気持ちはよくわかる。


読んでいていちばんドキドキしたのは『罰ゲーム』という短篇。

友だちの家に行ったら、きれいだけどちょっとイジワルなお姉さんが「ゲームをしよう」と持ちかけてくる。
エッチな展開に持ちこめそうとおもった主人公はそのゲームに乗ることにする……という、なんともドキドキする導入。
ところがお姉さんが決めた罰ゲームはとんでもないもので……。

こわい。でもエロい。
エロの可能性が待っているのに退くわけにはいかない。エロの前では恐怖すらも絶妙なスパイスになってしまう。
このお姉さん、明らかに頭イカれてるんだけど、"エロくてイカれてるお姉さん"って最高じゃないですか。


小学五年生のとき、ジェフリー・アーチャーの『チェックメイト』という短篇小説(『十二の意外な結末』収録)を読んで、すごく昂奮した。

今思うとエロスとしても小説としても大した話じゃないんだけど、エッチなお姉さん+この先どうなるかわからない展開 というのは、思春期男子にとっては居ても立ってもいられないぐらいのドキドキシチュエーションなのだ。

中学生だったときの気持ちをちょっと思いだしたぜ。あっ、そういう青春小説じゃなくてサスペンス? 失礼しました。


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【読書感想文】半分蛇足のサイコ小説 / 多島 斗志之『症例A』



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2019年7月18日木曜日

【コント】驚きのラスト! もう一度読み返したくなる! あなたも必ず騙される


「先生、たいへん申しあげづらいんですけどね」

「なんだい」

「これじゃ売れませんよ」

「えっ……。今作はわりと自信があったんだけどな」

「いや、いい作品ですよ。いい作品なんです。でも売れないんです」

「というと」

「先生のお書きになるミステリはよくできているんですよ。たぶん読んだらおもしろかったと言ってくれるとおもいます。でもそれだけなんです」

「それだけでいいじゃないか」

「それだけじゃだめなんです。売れないんです。なんていったらいいのかな……」

「つまりぼくの作品にはケレン味がないってことか」

「ケレン味?」

「つまり派手さとか奇抜さとか」

「そうです! それなんです! そのケレン味とやらがないと売れないんです。実力派作家の安定のクオリティ、これじゃミステリファンにしか買ってもらえません。広告費を投じて派手な宣伝を打つこともできないんです」

「なるほど。たしかに君の言うことももっともだ。ぼくも子どもじゃないからね。おもしろい作品と売れる作品がちがうことも理解している」

「でしょ」

「しかし、だったらどうしたらいいとおもう」

「ずばり叙述トリックです! ほら、あるでしょ。実は語り手が男だったことが最後に明らかになるやつとか、実は時系列が逆だったとか、実は前半と後半の語り手は別人だったとか」

「ああ、叙述トリックね……。あれあんまり好きじゃないんだよな……。もうやりつくされた感があるでしょ。今さら叙述トリックやるのってなんかダサくない?」

「それはミステリファンの感覚です。ふだん小説を読まない連中は叙述トリックが大好きなんです。というか叙述トリックしか求めていないんです」

「まあ売れるよね。本屋で平積みされてるのはそんなのばっかりだもんね」

「でしょ。『最後の一行であっと驚く!』とか」

『必ずもう一度読み返したくなる!とか」

「で、映画になるんですよ。『映像不可能と言われた原作がまさかの映画化!』っていって」

「『あなたは二度騙される!』とかのキャッチコピーつけられて

「でしょ。よくあるでしょ」

「なんかげんなりしてきた。そういう映画がおもしろかったためしないんだよね……」

「でも、おもしろくないのにその手のキャッチコピーの作品がなくならないのは、客を呼べるからなんですよ」

「まあそういうことになるかな……」

「ですから先生の作品にも叙述トリックの要素を取り入れてください。そしたら帯に『衝撃のラスト! 必ず二度読みたくなる作品』ってキャッチコピーつけて売りだせるんで」

「安易だなあ……」

「安易なのがいいんですって」

「とはいえもう作品は完成しちゃったからな。今さら叙述トリックにはできないよ

「なんでもいいんですよ。叙述トリック要素があれば」

「しかし……」

「こういうのはどうです。主人公がペットを飼ってることにするんです。で、ペットの名前が『ポチ』なんですけど、実はそれが猫だったことが最後の一行で明かされる」

「だからなんだよ」

「キャッチコピーは『ラスト一行のどんでん返し。ネタバレ禁止』でいきましょう」

「だめだって。犬かとおもったら猫だった、じゃどんでん返ってない」

「じゃあ犯人が双子だったってのはどうです」

「双子トリック? それこそ手垢にまみれたやつじゃん。だいた叙述トリックじゃないし

「いいんですよ。騙されてくれればなんだって」

「もうストーリーは完成してるんだよ。どこで双子が入れ替わるの」

「いや、入れ替わりません」

「え?」

「犯人には双子の弟がいるんです。でも弟は遠くに暮らしているので今回の話には登場しない」

「意味ないじゃん」

「でも犯人が捕まるときに言うんです。『弟が知ったら悲しむだろうな……。あ、私双子の弟がいるんですけどね』って。で、刑事が『一卵性? 二卵性?』って訊いて、『一卵性です』『へー意外』っていうやりとりがくりひろげられる、と。これでいきましょう。キャッチコピーは『衝撃のラスト!』で」

「衝撃が軽すぎる。ガードレールにこすったときぐらいの衝撃じゃん」

「でもなんか意外な感じがしません? 知り合いが双子だと知ったときって。子どもの頃は同級生に双子がいても意外とはおもわないじゃないですか。両方知ってるから。でも大人になってから知り合った人が、付き合って何年かしてからなにかの拍子に『私は双子の妹がいるんですけど』って言ったらちょっとびっくりするでしょ」

「ちょっとびっくりするけど。『この人にそっくりな人がどこかにいるんだー』とおもったらなんかふしぎな気持ちになるけど。『あたりまえだけど一卵性双生児でも大人になったら別々の人生を歩むんだよなあ』とか考えてしまうけど」

「でしょ。『ラスト一行で明かされる意外な真実&奇妙な味わいの物語』これでいきましょう」

「それ小説の味わいじゃなくて単に双子ってなんとなくミステリアスだよねってだけじゃん」

「だめですかね」

「だめだめ。やっぱりそんな小手先の騙しはよくないよ。ちゃんとミステリの質で勝負しよう。このままいこう」

「じゃあこうしましょう。作品自体はこのままいきます。でも帯には『驚きのラスト! 必ずもう一度読み返したくなる!』というコピーをつけましょう」

「えっ、だって王道のミステリだよ。殺人事件が起こって刑事が推理をして犯人を捕まえる話だけど。そんなに意外性ないでしょ」

「だからこそですよ。『驚きのラスト! もう一度読み返したくなる! あなたも必ず騙される』って触れ込みだから、読者は身構えながら読みますよね。どんな意外な事実があるんだろうとおもいながら。ところが最後の一行まで読んでも何も起こらない。読者は驚く。えっ、何もないじゃん。そしておもう。自分が何か見落としていたのかも。で、もう一度読み返したくなる」

「ひでえ」

「そして気づくわけですよ。あっ、騙された! と」

「出版社にね」