本は都合のいい友人。
こんなに都合のいいやつはいないぜ。
若くてキレイってだけでちやほやされてる女みたいに「なんかおもしろい話してー」と言えば、すぐに話を読ませてくれる。
おもしろくないときもあるけど、ほっぽりだしたってなにもいわない。栞をはさんだまま一ヶ月放置してても文句を言わない。
電車に乗るときのお供、風呂での退屈しのぎ、眠くなるまでのおつきあい。
呼びだせばどこにでもついてきてくれる。
歳をとるほどに、人付き合いが面倒になってくる。
仕事をして、家族の用事をして、子どもと遊んで。
残りの時間をやりくりして人と会うのが面倒になってきた。
古くからの友人と会うのも年に数回になってしまった。
会いたいという気持ちはあるんだけど、そのために日程調整するのがおっくうだ。約束したら予定に束縛されることになるし。
お互い仕事や家族を持つと「今日ヒマ? 飲まない?」というわけにもいかない。まして、たいした用事があるわけでもないのだ。
もっと気軽に会いにいけたらいいんだけどな。
その点、本はほんとに都合のいいやつだ。
読みたいときに読ませてくれるし、数日前から予約をしておく必要もない。今は電子書籍で読みたいときにすぐ買えるし。
「読もうと思ってたけどべつの用事ができた!」とドタキャンしても不満な顔ひとつしない。こっちも一切負い目を感じない。
ぼくは人付き合いが好きなほうではないのでほとんど人と話さなくても平気だが、それは本という「誰かと手軽につながれるツール」があるからなんだと思う。
本は多くの孤独な人を救ってきたし、これからも救いつづける。
ただ、今は本よりもインターネットのほうが多くの孤独な人を救うのだろう。それはそれですばらしいことだとおもう。
2019年1月10日木曜日
2019年1月9日水曜日
【読書感想】高齢者はそこまで近視眼的なのか? / 八代 尚宏『シルバー民主主義』
シルバー民主主義
高齢者優遇をどう克服するか
八代 尚宏
「シルバー民主主義」という言葉を耳にするようになって久しい。
人口における高齢者の比率が高まることで、一人一票の選挙において高齢者受けする政策ばかりが選ばれ、若者の意見が通らないという現象のことだ。
結果的に若者が投票に行くメリットが減り、投票率の高い高齢者の意見がより通りやすくなるというスパイラルも招く。
そんな「シルバー民主主義」が招く弊害を鋭く指摘した本。
ちなみに著者は執筆当時七十歳だったそうだ。シルバー世代の人がこれを書いたというのは非常に意義のあることだとおもう。
すでに今の日本はシルバー民主主義がまかりとおっており、これからどんどん加速してゆく。
ぼくは三十代半ばの自他ともに認める中年なので、「老い先短い連中が将来のことを決めようとするんじゃねえよ」という思いと「そうはいっても自分が高齢者になったときに自分たちに不利になる政策を選べるだろうか」という思いの両方を持っている。
一年生のときは球拾いをさせられて「なんて身勝手な先輩連中だ」とおもっていても、自分が三年生になったら「伝統だから」といって一年に雑務を押しつけてしまうように。
高齢者の意見が無駄だと言うつもりはないけれど、分野によっては若者の意見を重視したほうがいいこともある。
たとえば、夫婦別姓選択制の導入について意見を求めると、今は賛成派と反対派が拮抗している。
だが年代別でみると傾向ははっきり分かれていて、二十代や三十代は賛成派が多く、六十以上は反対派が多い。
同性婚に対する考え方も同じ傾向を示している。
反対派も多いので法改正が進まないのが現状だが、よく考えたらずいぶんおかしな話だ。
六十代以上よりも二十代三十代のほうが、今後結婚する可能性はずっと高い。当事者が「いいじゃないか」と言ってるのに、もはや結婚とは無縁に近い高齢者が「いいや許さん!」と反対しているわけだ。
シルバー民主主義では、当事者の意見よりも外野の意見のほうが重視される。
結婚にかぎらず子育てや教育や働き方など、高齢者にとって関係の薄い論点についても、高齢者の意見のほうが重要視されることになる。
野球部のキャプテンを決める投票を、野球部以外も含む全校生徒でやるようなものだ。どう考えたっておかしいのに、それがずっと続いているのがシルバー民主主義の現状だ。
子どものための予算を削って高齢者にお金を注ぐ国に明るい未来があると誰がおもえるだろうか?
今の税制では、専業主婦世帯が優遇されている。いわゆる「150万の壁」だ。
そのせいで能力も時間もあるのに働きに出られない女性も多い。まったく時代にあっていない。
特に今後労働力不足は深刻化していくし、少子化も加速していくわけだから「共働きで子育てをする世帯」を国家のためにも望ましい形だ。
これを支援するほうがいいに決まっている(ぼくの家が共働き子育て世帯だからってのもあるけど)。
なのに、何十年も前にできた「女性が働くと損をする」制度がまかりとおっているのは、専業主婦の多い高齢者世帯への配慮だと著者は指摘している。これぞシルバー民主主義の弊害。
シルバー民主主義を止める方法は、それほどややこしいことじゃない。
この本の中でも、
地域ではなく世代ごとに代表を選ぶ「世代別選挙区」、
未成年者の票を親が代わりに投じる「ドメイン投票方式」、
若者ほど一票の価値を高める「余命比例投票」などが紹介されている。
誰が見たって日本の状況はヤバい。
借金も年金制度もこのままでいいなんて誰もおもっていない。誰もが「なんとかしなくちゃ」とおもいながら、誰も何もしようとしない。倒産する会社もこんな感じなんだろう。
財政悪化と年金制度の崩壊は、シルバー民主主義に原因を帰す部分が大きい。
票を持っている高齢者の既得権益を壊す部分に手を付けたくない。その一心で、ツケを後世に回しつづけてきた。
なんとかなるさと楽観的な未来を信じながら。
民間の金融商品なら、めちゃくちゃなことをやってその会社がつぶれても「自己責任」で済むが、強制的に加入される公的年金では「イヤなら加入しなければいい」というわけにはいかないのだから、シビアに運用しなくてはならないのに。
シルバー民主主義は今後も加速していくばかりだろう。
声の大きな高齢者に迎合することは、若い人はもちろん、高齢者のためにもならない。
だから嫌われるのを覚悟で半ば強引に変えようとしなければ、永遠に変わらない。
今の政権は働き方改革だとか水道民営化とか国民の大半が望んでいないことを強行採決で推し進めてるけど、そういうんじゃなくて年金制度改革みたいに「いつか誰かがやらなきゃいけないけど誰もやりたがらないこと」を強引にやってほしい。
でも無理なんだろうなあ。
民主主義の限界を感じる。しかしこの話を広げると長くなるしシルバー民主主義とも離れていくからまた別の機会に書くことにする。
シルバー民主主義はよくないよねと言いながら、一方でぼくはおもう。
きょうび、専業主婦世帯と共働き世帯だったら、どう考えたって生活がたいへんなのは後者だろう(あくまで平均的にはね)。
特に今後労働力不足は深刻化していくし、少子化も加速していくわけだから「共働きで子育てをする世帯」を国家のためにも望ましい形だ。
これを支援するほうがいいに決まっている(ぼくの家が共働き子育て世帯だからってのもあるけど)。
なのに、何十年も前にできた「女性が働くと損をする」制度がまかりとおっているのは、専業主婦の多い高齢者世帯への配慮だと著者は指摘している。これぞシルバー民主主義の弊害。
シルバー民主主義を止める方法は、それほどややこしいことじゃない。
この本の中でも、
地域ではなく世代ごとに代表を選ぶ「世代別選挙区」、
未成年者の票を親が代わりに投じる「ドメイン投票方式」、
若者ほど一票の価値を高める「余命比例投票」などが紹介されている。
こういった仕組みを導入すれば若者の意思は政治に反映されやすくなる。
現行の制度のままでも、今ある政党が「これからの未来をつくる人たちが活躍しやすい政策を実行していきます」と方針を示すだけでいい。
だが問題は「誰がそれをするのか」だ。
誰かがそれをしなくちゃいけない。
でも自分はしたくない。だって高齢者からの票を捨てることになるから。だから政治家は「やらなきゃいけない」と思いつつも後の世代に棚上げしてしまう。
「そのうち誰かがなんとかしてくれるさ」と言いながら。
「そのうち誰かがなんとかしてくれるさ」を積みかさねてきた結果が、現在の膨れあがった国家の借金と崩壊寸前の国民年金制度だ。
この本のかなりの紙数が医療福祉の財政や国民年金のことに割かれている。
誰が見たって日本の状況はヤバい。
借金も年金制度もこのままでいいなんて誰もおもっていない。誰もが「なんとかしなくちゃ」とおもいながら、誰も何もしようとしない。倒産する会社もこんな感じなんだろう。
財政悪化と年金制度の崩壊は、シルバー民主主義に原因を帰す部分が大きい。
票を持っている高齢者の既得権益を壊す部分に手を付けたくない。その一心で、ツケを後世に回しつづけてきた。
なんとかなるさと楽観的な未来を信じながら。
本来なら公的な年金だからこそ厳しくチェックすべきだ。
民間の金融商品なら、めちゃくちゃなことをやってその会社がつぶれても「自己責任」で済むが、強制的に加入される公的年金では「イヤなら加入しなければいい」というわけにはいかないのだから、シビアに運用しなくてはならないのに。
シルバー民主主義は今後も加速していくばかりだろう。
声の大きな高齢者に迎合することは、若い人はもちろん、高齢者のためにもならない。
だから嫌われるのを覚悟で半ば強引に変えようとしなければ、永遠に変わらない。
今の政権は働き方改革だとか水道民営化とか国民の大半が望んでいないことを強行採決で推し進めてるけど、そういうんじゃなくて年金制度改革みたいに「いつか誰かがやらなきゃいけないけど誰もやりたがらないこと」を強引にやってほしい。
でも無理なんだろうなあ。
民主主義の限界を感じる。しかしこの話を広げると長くなるしシルバー民主主義とも離れていくからまた別の機会に書くことにする。
シルバー民主主義はよくないよねと言いながら、一方でぼくはおもう。
高齢者ってそんなにバカなんだろうか?
高齢者への負担増には全面的に反対するのだろうか?
みんながみんな「自分が生きている間さえよければ後は野となれ山となれ」と考えているんだろうか?
みんながみんな「自分が生きている間さえよければ後は野となれ山となれ」と考えているんだろうか?
もちろんそういう高齢者も多いだろう。
でも現状を理解してもらった上で「この部分は高齢者か子育て世代かが負担しないといけないんです。子育て世代にすべてを押しつける道を歩みつづけますか?」と尋ねれば、それでも「自分の生活さえよければあとは知ったことか!」と言いはなつ高齢者はそう多くないんじゃないかとおもう。
「このままだと年金制度自体が破綻しますよ。それよりかは給付額を減らしてでもなんぼかもらいつづけられるほうがマシでしょう」
といえば、理解を示してくれる人は多いはず。
それでも「年金支給額を減らされたら死んでしまう」という高齢者は生活保護など他の制度でサポートすればいい。
生活保護を受給することを恥ずかしいことだとおもうのなら、若者に負担を押しつけて高い年金をもらうことだって恥ずかしいことなのだから。
生活保護を受給することを恥ずかしいことだとおもうのなら、若者に負担を押しつけて高い年金をもらうことだって恥ずかしいことなのだから。
結局、シルバー民主主義と言いながら真の原因は官僚や政治家が「過去の失敗を認めたくない」ことに尽きるんじゃないかな。
「今までやってきたことは誤りでした。ここからまっとうにやっていきます」と言えば済む話だとおもうんだけど。
謝罪したり誰かに責任を負わせたりしなくていいから、せめて失敗は認めてほしいと痛切に願う。それをしないことには何も変わらない。
2019年1月8日火曜日
【読書感想】マウンティングのない会話もつまらない / 瀧波 ユカリ・犬山 紙子『マウンティング女子の世界』
『マウンティング女子の世界』
瀧波 ユカリ 犬山 紙子
この対談で語られる”マウンティング”とは、「相手より自分のほうが上だというアピールを善意を装って示す」といった行為。
たとえばこんな会話。
全裸女子!? 最高じゃん!(文章の一部しか読まない人)
それはさておき、ぼくは女子会なるものに参加したことがないんだけど(あたりまえだ)、女子会ではこんなことやってんのか。みんながみんなこうではないんだろうけど。女の世界はたいへんだー。
男同士の会話だと、こういうのはあんまりない。
男は単純だから素直に自慢する。
「結婚はいいよー」とか「おれ今責任ある仕事を任されてるんだよね」とか自分で言っちゃう。
だからあんまりマウンティング合戦というのは起こらない。
謙遜を装って相手をおとしめる、なんて手の込んだことはあんまりしない。相手をおとしめたいときは直截的にやる。
とにかくわかりやすいんだよね。
自慢するときは誰が見ても自慢だとわかるようにやる。
相手の言うことを否定ばかりする人はいるけど、それだってわかりやすいから周りが相手をしなくなってやりあいにならない。
そもそも男同士の上下関係って「年齢が上」とか「役職が上」とか「収入が多い」とか「力が強い」とかわかりやすいことで決まるから、あんまりマウンティングする必要がないのかもしれない。
女同士だと「向こうのほうがモテるけど仕事は自分のほうができる」とか「華やかな暮らしをしているのは向こうだけどこっちは子どもがいる」とか、成功のパターンが多様なので単純に比較がしにくいのかもしれない。
ぜんぜんちがう土俵でそれぞれ殴りあって四勝六敗、みたいな十種競技がマウンティング合戦なのかも。
はじめのほうは「マウンティング合戦こえー」なんておもいながら読んでたんだけど、中盤から同じような話のくりかえしになって飽きちゃった。
一冊の本にするほどのテーマじゃないんだよなー。
後半にとってつけたように「マウンティングしがちな私たちはどう生きていくのがいいのか」なんて説教も書かれてるけど、そのへんは特につまらなかった。
もともと「こういうことあるよねー」ぐらいの愚痴の言いあいなんだから、むりやり教訓めいたことをつけたさなくていいのになー。
マウンティングというテーマだからか、瀧波さんも犬山さんも相手を気づかいあっている感じで、対談しているのに発展がない。
「こうなんですよ」
「あーそうですよねー」
の応酬。うすっぺらい共感がひたすら続く。
ときには相手の発言を否定したりしないと深みのある対談にならないのに。
その場にいない誰かさんの悪口に終始する、ガールズトークの悪い部分が全面に出たような対談だった。
マウンティングはよくないっていうテーマの本だけど、マウンティングの一切ない会話もつまらないということがよくわかる本だった。
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2019年1月7日月曜日
【読書感想】なんとも地味な傑作 / 岩明 均『雪の峠・剣の舞』
『雪の峠・剣の舞』
岩明 均
『雪の峠』が特におもしろかった。
佐竹家は関ケ原の合戦で西軍(石田三成側)についたせいで、徳川家康によって常陸国(現在の茨城県)から出羽国(現在の秋田県)への国替えを命じられてしまう。慣れない土地でどこに城を建てるかをめぐって家臣たちの意見が分かれ……。
というなんとも地味な題材。
戦国の世が終わり、太平の世の中が始まろうとしている時代。さらに「城をどこに建てるか」という当事者からすると一大事でも無関係な人からすると「どっちゃでもええわ」という争い。
しかし、どっちでもいい争いだからこそ人々の意地やプライドがぶつかりあい、駆け引きや水面下での工作が激しくくりひろげられる。これが群像劇としておもしろい。
さらに渋江内膳という人物を飄々とした姿に描くことや、軍神・上杉謙信の逸話を盛り込むことで、嫉妬が渦まく権力争いをイヤな感じに見せていない。
登場人物は感情をほとんど語らせないが、言動からにじみ出てくるところがいい。良質な時代小説という趣。傑作だ。
これはマンガより小説で読みたいな。
岩明均作品ってたいていそうなんだけどね。『ヒストリエ』も絵はいらないからストーリーだけ早く書いてほしいよ。
ただ終わり方だけは残念。
重臣が殺されて唐突に終わるのでモヤモヤっとした思いだけが残る。これが意図されたものだったらいいんだけど、ただ単に投げだしただけというような印象を受けた。
じゃあどうしたらいいのかというとむずかしいんだけど。その後の佐竹家を長々と書くのもちがうし、やっぱりこれはこれでよかったのかな……。
『剣の舞』は、さほど印象に残らなかった。
天才剣士に弟子入りした人物の復讐譚、というままありそうな題材だったこともあるし、戦のシーンがこの人の絵にあってなかったこともある。
岩明均さんの絵は躍動感とかスピード感とかがないから、激しい戦闘シーンにはあまり説得力がないんだよね。
戦いよりも参謀とか内政とかを描いてるほうがずっとおもしろい。
星新一の小説に『城のなかの人』や『殿さまの日』という作品がある。
太平の世の殿さまの退屈な一日を描いていたり、城の家臣たちが藩の財政に苦しむ様子が活写されていたり、書物方同心という書物の管理をする役職の人の生活が書かれていたり、冒険活劇や人情話とは異なる江戸時代の人々の暮らしが書かれている。
いずれもフィクションだけど、「江戸時代の人たちも今と同じようなことに心を動かされていたのだな」と気づかされる。
同僚が出世するのをおもしろく思わなかったり、この先ずっと同じような暮らしをするのかとため息をついたり、規則と上司の間でがんじがらめになったり。
2019年1月5日土曜日
カーリングをちゃんと見たことのない人の書いたカーリング小説
館内にブザーが鳴りひびいた。ホワイトベアーズの選手交代だ。
「やつら、このまま逃げきるつもりだな」
出てきた選手を見て、ウシジマがつぶやいた。
先ほどミラクル4点ショットを決めたイケタニ選手に代わってアイスの上に立ったのはディフェンスに定評のあるイケガミ選手だ。
「あくまで勝ちにこだわろうってのか。上等だ」
シカモトが氷上にぺっと唾を吐き、その唾をモップで×の形に拭いた。ウエスタンリーグで使われている「ぶっころしてやる」のサインだ。
相変わらずガラの悪いやつだ、ウナギタニは苦笑した。だけどそれがおまえの照れ隠しだってことをおれは知ってるけどな。
「さあ、泣いても笑ってもこれがラストピリオドだ。おれたちの四十二年間を全部ぶつけてやろうぜ!」
キャプテンが声を張りあげた。
「ちっ、かったりいな」
シカモトがだるそうにモップを肩にかけた。やる気がなさそうに見えるが、目の前で逆転のハリケーンショットを決められたシカモトの内面は穏やかでないはず。ウナギタニにはわかっている。
なにしろ、どれだけ注意されても結ばなかったスケート靴の紐を今日はちゃんと結んでいるんだからな。さっきのクォーターでの逆転が相当こたえたらしい。
ま、やる気になっているのはおまえだけじゃないけどな。小声でつぶやいてウナギタニもウインドブレーカーのファスナーをあげた。
「ん? なんか言ったか?」
シカモトが振りむくが、ウナギタニは黙って首を振った。四十二年間もやってきたんだ、言葉を交わさなくても伝わっている。
「さあいよいよ最終回。このまま越谷ホワイトベアーズが逃げきるのか、それともさいたまヒポポタマスが七点差をひっくりかえすのか!? 二十五分に及んだ死闘が今、決着しようとしています!」
実況アナウンサーの声が響きわたる。
まずはホワイトベアーズの攻撃。この回もストーン投手はイケムラだ。イケムラの投じたストーンは優雅な弧を描いて的の中央から十インチのところに停氷した。相変わらず見事なフレンチ・ショットだ。
「おいおい、あいつには疲れってものがないのかよ。マジでサイボーグじゃねえの」
シカモトが呆れたように漏らす。
「あいつは昔からスタミナだけはすごかったからな」
中学時代イケムラと同じ塾に通っていたというウシジマが云う。
「だがコントロールはからっきしだった。それが今じゃ平成のウェスティン・ガードナーって言われてるんだからな。相当努力したんだろうな」
「おいおい、敵に感心してる場合かよ。さあおれたちの番だ」
キャプテンがたしなめる口調で言ったが、内心では安堵の息をついていた。チームの状態はすごくいい。こうしてたあいのない会話をしているのがその証拠だ。キャプテン自身、緊張しているわけではなく、かといって緩みすぎているほどでもない、ほどよい精神状態を保っていた。
序盤はヒポポタマスのペースだった。
キャプテンの投じるストーンは冴えわたっていたし、他の三~四人のモップさばきもうまく連携が取れていた。あれほど邪魔だったウナギタニの二刀流モップもすっかりなじんできたらしく、相手の投じたストーンを全身で防ぐファインセーブも見せた。
よし、このままいけば勝てる。
ウナギタニは早くも表彰台に置いてある、副賞の音楽ギフトカード100万円分を見上げて笑った。
キャプテンが「なんか変じゃないか。なんかあまりにうまくいきすぎっていうか」とささやいてきたときも、「考えすぎっすよ。ホワイトベアーズなんてしょせんは高卒の集まりだから」と一顧だにしなかった。
ホワイトベアーズの動きは精彩を欠いていた。先ほどまでの精度の高さはどこへやら、投じられるストーンはすべてプッシュ・アウトしていた。
「こりゃ楽勝ですね」
ウシジマが笑った。
さっきまで心配していたキャプテンも、杞憂だったかと落ちついて電子タバコをふかしている。
「ヘイヘイ! どこに目玉ついてんだよ! ビリヤードやってんじゃねえんだぜ!」
シカモトが大きな声で野次った。
だがホワイトベアーズの選手たちは腹を立てるどころか、不敵な笑みを浮かべていた。
ホワイトベアーズのベンチから、イケガミが云った。
「へっ、余裕こいてていいのかい。よく見てみろよ、ストーンの配置を」
ヒポポタマスの四人か五人ぐらいのメンバーは、ホワイトベアーズのストーンを眺めた。見たところ特に変わったところはない。どのストーンも的から遠く離れたところに散らばっている。
「これがなんだってんだよ」
「ばーか、おれたちのストーンじゃねえよ。おまえらのストーンだよ」
イケガミが不敵に笑った。
最初に気づいたのはウナギタニだった。
「こっ、これは……両鶴の陣……!」
「ほう、よく知ってたな。そう、うちの県内に代々伝わるお家芸、両鶴の陣さ」
気づくと、ヒポポタマスの赤いストーンが八の字を描くようにして並んでいる。まるで二羽の鶴が羽根を広げて求愛のダンスをしているようにも見えた。
「まさかそんな……。ということはやつらの狙いは……」
「そう。二羽の鶴はこのショットによって白鳥になる。スワン・スプラッシュ!」
イケガミの言葉と同時にストーンがはじけた。それによって広がった石の並びはどうがんばっても白鳥には見えなかったが、ヒポポタマスにとって絶望的な状況になっていることだけはわかった。うまく説明できないけど、なんかまずそうだ。ウナギタニは冷汗が出てくるのを止められなかった。
ヒポポタマス有利だった形勢はあっという間に逆転した。
くわしい点数計算はウナギタニにはよくわからないが、スコアボードには54-18という数字が表示されている。残り一ピリオドでひっくりかえすには絶望的な点差だ。
「終わった……。おれたちの初冬が終わった……」
「よくやったよ、おれたち。市内三位でも十分すぎるぐらいだ……」
ウナギタニもシカモトもあきらめの言葉を口にした。
負けん気の強いウシジマでさえ、「月末の大会ではぜったいにおれたちが勝つからな!」という言葉を吐きながら涙を流している。
そのときだった。
「おいおい、『ストーンが止まるまえに時計を止めるな。あと気持ちも』って格言を知らないのか?」
重苦しい雰囲気をふきとばすように、不敵に笑ったのはキャプテンだった。
「キャプテン?」
「どうしようもない絶体絶命の状況に陥ったときこそ燃えるのがおれたちヒポポタマスだろ? 二十六年前の県大会で八位入賞したときもそうだったじゃねえかよ!」
そうだった。すっかりあのときの気持ちを忘れていた。いつまでも二十六年前の好成績をひきあいに出すキャプテンのことをずっとこばかにしてきたけれど、こういうひたむきさがあったからこそチームは四十二年もやってこれたのだ。
「さあ、おれたちの熱い想いで、スケートリンクを溶かしてやろうぜ。いくぜ、消える魔球っ!」
キャプテンの声がリンクに響きわたる。
やるべきことはやった。あとは天命を待つのみ。
ヒポポタマスの面々は、氷の上にあおむけになってはあはあと荒い息を吐いていた。氷のひんやりした感触が後頭部に気持ちよかった。
おれたちはよくやった。ウナギタニは満足だった。
キャプテンの消える魔球、ウシジマの怪我をも恐れぬスライディング、シカモトのパス回し、そしてウナギタニの二刀流モップさばき。すべてが鮮やかに決まった。
あとは天命を待つのみ。
ラストに投じたストーンを、ジャッジマンが持ちあげた。ストーンの裏がスクリーンに大きく映しだされる。
「×3」という文字がはっきりと見てとれた。
やった。
得点が3倍になるゴールデンストーンだ。
ボーナスターンなのでさらに2倍。親場なので、合計12倍、一気に60点。グランドスラムだ。
ヒポポタマスが二十六年ぶりに初戦突破を決めた瞬間だった。
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