2017年7月29日土曜日

省略の美を味わえるSF風時代小説/星 新一 『殿さまの日』【読書感想】

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星 新一 『殿さまの日』

内容紹介(Amazonより)
ああ、殿さまなんかにはなりたくない。誤解によって義賊になった。泣く子も黙る隠密様のお通りだい。どんなかたきの首でも調達します。お犬さまが吠えればお金が儲かる。医は仁術、毒とハサミは使いよう。時は江戸、そして世界にたぐいなき封建制度。定められた階級の中で生きた殿さまから庶民までの、命を賭けた生活の知恵の数々。――新鮮な眼で綴る、異色時代小説12編を収録。

ずっと昔に読んだ本だが、また読みたくなったので押し入れから引っぱりだして読んでみた。
星新一といえばショートショート。
ぼくは文庫だけでなく全集も持っているぐらいの星新一ファンなので、当然ながらショートショートは何度も読み返した。
星新一といえばショートショート、ショートショートといえば星新一、というぐらいに短篇のイメージが強いが、『城のなかの人』『明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』『明治の人物誌』などの歴史・時代ものもおもしろいのだ。
誰も知らない昔の話をするのに妙に感情がこもっていると、「まるで見てきたみたいに書くなあ」と嘘くさく感じてしまう。
その点、星新一の平易にして理知的な文章は歴史を語るのにぴったりとあう。淡々とストーリーを説明するその語り口は、落語の状況説明部分を聞いているようで心地いい。
遠い未来も江戸時代も「誰も見たことがない」という点では一緒で、ディティールを想像力でどう補うか作家の腕が試される。じつは時代小説とSFは近い位置にあるのかもしれないね。


"省略の美"という言葉がある。余計なものをなくして、見る人の感性や想像力にゆだねる美しさのことをいう。『殿さまの日』は"省略の美"を存分に味わえる作品集だ。
へたな小説は描写が多い。書かなくてもわかることまで事細かに書く。
星新一の文章からは、感情をあらわす表現が極力そぎ落とされている。登場人物はまるで何も考えていないかのように、己の心中を語らない。でも、だからこそ読み手は想像力をはたらかすことができる。
演劇では、悲しいことを表すために大げさに涙を流したり、ときには「悲しい」とセリフで説明したりする。けれどそれはいわゆる"安い芝居"だ。涙の一滴も流さずに、声も上げずに、表情も変えずに悲しさを表現するのが一流の演出だ。

表題の短篇『殿さまの日』では、地方藩の領主のある一日が書かれている。起きて、着替えて、武道の稽古をして、家臣からの型通りの報告を受けて、書物を読んで、床に就くまで。
ほんとに何も起こらない。平々凡々たる一日。
この"つまらない一日"を、一切の感情描写を省いた文章で綴っている。そんなのおもしろいのかと思うかもしれないが、ちゃんと殿さまの退屈と諦観と幸福感と悲哀と家臣を思う気持ちが伝わってくる。殿さまが感情をいちいち表に出してたはずないしね。
まさに一流の演出。省略の美学。

時代小説なのに妙に都会的でドライな雰囲気が漂っていて新鮮だ。

 その担当の家臣があらわれ、武具庫の点検をおこない、さだめ通りの数がそろっていたことを報告する。殿さまは言う。ごくろうであった。武具はきわめて重要である。点検は念には念を入れねばならない。見落としを防ぐため、ある日数をおき、もう一回やってみる慣習があるように聞いているが、どうであろうか。
 家臣は、ははあと頭を下げる。これですべてが通じたのだ。そんな慣習など、これまではない。しかし、あからさまにそれをやれと命じると、叱責した印象を与えないまでも、相手は自分の不注意を感じかねない。すべては質問の形で、それとなく言わねばならない。わたしは事情をなにも知らないのだ。だから勉強しなければならぬ。そのための質問だ、という形をとるのがいいのだ。わたしはそれでずっとやってきた。なんでもいいから質問していると、しだいに事情がわかってくるものだ。また、そうなると、いいかげんな報告はできないと家臣たちも思ってくれる。しかし、とことんまで質問ぜめにしてはならない。家臣の説明がしどろもどろになりかける寸前でやめておく。そうすれば相手の立場も保て、つぎの報告の時は形がととのっている。やりこめるのが目的ではないのだ。


部下の顔を立てつつ的確に指示を出す方法。現代のビジネス書に載せてもいいぐらいの内容だね。
星新一は作家になる前は製薬会社の二代目社長だったからね。二代目社長だと、古株の社員のプライドを守りながら指示を出す必要があるわけで、これはその頃に身につけたテクニックかもしれないね。ま、星新一が社長になってすぐに会社はつぶれたけど。


ところで冒頭にこんな一文がある。
 その驚きで、殿さまは目ざめる。朝の六時。夏だったら六時の起床が慣例だが、冬は七時となっている。まだ一時間ほど寝床にいられる。
当然ながら江戸時代に「六時」「一時間」という言い方はない。「六ツ」「半刻」と言っていたはずだ。
わざと現代的な感覚を持ち込んでSFっぽさを出しているのかな? と思ったけど、おかしな文章はそこだけで、以降はふつうの時代小説の文体だった。
まちがえただけなのかな。




ぼくが好きだった短篇は『ああ吉良家の忠臣』

吉良義央(吉良上野介)が斬られたことにより、首をとられるとは武門の恥であるとしてお家断絶・領地の没収を命じられた吉良家。
一方、斬った側の赤穂浪士たちはよくぞ殿の仇を討ったとして町人たちからもてはやされている。世の掟を破った側が人気を博して被害者側がつらい目に遭う。この不遇な状況に憤る吉良家の忠臣の孤軍奮闘を狂歌をまじえてユーモラスにえがいた話。

忠臣蔵は江戸時代から人気だったらしいけど、掟に背いて討ち入りを果たした四十七士がよくやったと称えられ、乱心した浅野内匠頭に斬りつけられた上に後日その部下から殴りこまれるという一方的な被害者である吉良家はお家断絶。
そりゃあ忠臣からしたらやりきれないだろうな。

星新一らしいシニカルな視点だね。南極に置いていかれた犬が自力でアザラシやペンギンを食べて生き延びた"美談"を、食べられる海獣側から見たショートショート『探検隊』を思いだした。


ぼくは「ひねくれ者」と言われることがときどきあるんだけど、自分では「多角的にものを見ることができる人」と前向きに受け取っている。
くだらない話をしているときにみんなが正面から見ているものを裏から見たり下から見たり内側から見たりすると、くだらないことを思いつくことが多い。そういうものの見方は星新一の小説に教わった。仕事ではあんまり役に立たないんだけどね。


この『殿さまの日』、もう絶版になっている。
ぼくの持っている文庫本も古本屋で買ったもので、昭和58年発行だ。
星新一の小説って古びないからずっと読まれてほしいんだけどなあと思っていたら、電子書籍で手に入るようになっていた。

いい小説が細々と読まれつづける。いい時代になったものだ。殿さまも感心することだろう。



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