2018年6月27日水曜日

あるオーディオマニアの独白


まあたしなむ程度ですけどね。人からはよくオーディオマニアって言われますけど、自分ではそこまでじゃないと思うんですけど。

だっていい音を愛するのってふつうのことでしょ。
音楽を嫌いな人なんていないし、どうせ聴くならいい音で聴きたいって思うのも自然なことでしょ。

そうですね、機材にはずいぶんこだわりましたね。
電器屋にいって、いいというものはひとしきり試しましたね。ずいぶん買い換えましたよ。趣味のためならお金に糸目はつけないタイプなので。

そのうち市販のものじゃ満足できなくなって、自分でパーツを買ってオーディオ機器を自作するようになりました。さらにパーツも自作するようになりました。機械工学を勉強して、工作機械を買ってきて。
手間ですけどね。でも趣味のためなら手間は惜しまないタイプなので。

しかしオーディオの道ってのは終わりがないんですよね。というよりそこまで来てまだ二合目、ってところですかね。
機器をある程度良いものにすると、今度は部屋の造りが気になってきました。部屋の形、天井の高さ、壁の建材。こういったもので届く音っていうのはぜんぜん変わってきますからね。
そこで音を最良化するための家を建てました。ですが土地の磁場によっても音は変わってくるので、どうしても作ってみないとわからない部分もあるんですね。ですから二回家を建てなおしました。
この頃ですかね、妻が出ていったのは。趣味につきあいきれないといって。ま、オーディオの世界では妻が出ていってやっと一人前みたいなところがありますからね。むしろ名誉なことです。

おかげで一流コンサートホールよりもすばらしい音を聴けるオーディオルームができあがりました。
しばらくはそれで満足していたんですが、少しするとやはり不満が出てくるんですね。
いろいろ考えた結果、問題は私の耳にあるということに気づいたんです。
常に耳をベストな状態に保っておかないと、聞こえてくる音も乱れるんですね。
耳掃除にはずいぶん凝りました。ありとあらゆる耳かきや綿棒を買いそろえました。毎日耳かきエステにも通いました。
あんまり耳かきをしていたせいで中耳炎になったんですが、おもしろいもので、中耳炎のときの音がすごく良かったんですね。音というものはふしぎですよね。
この中耳炎の状態を保つ方法はないかって耳鼻科にも相談したんですが、それはできないと言われました。
そこで思いきって自分の耳を捨て、人工の耳をつけることにしました。義耳ですね。
試行錯誤を重ねて、収音効果がもっとも高まるような義耳を作ってもらいました。左右両方、それぞれスペア込みで四つ。丸洗いできるのでいつでもベストな状態に保てます。
さすがに耳を取るのは少し怖かったですが、趣味のためなら身体を改造することは厭わないタイプなので。

最高の機器、最高の部屋、最高の耳をそろえました。それでも日によって音の聞こえ方に違いがあるんですね。
そこで考えたんです、これはどうも神経回路の状態が日々異なるからじゃないかって。日によって、音が適切に脳まで伝わらないんですね。耳の奥は生身の肉体ですからね、様々な外部要因によって変化してしまうんです。
そこで、音を電気信号に変換して直接脳に伝達する仕組みを構築しました。こうすることで伝達時のノイズがなくなるんですね。音というのは波ですから、これを電気信号に変えるのは意外と難しいものではありません。
オーディオ機器と脳を接続しているので自由に歩くことはできなくなりましたが、趣味にある程度の不自由はつきものでしょう。

これでようやく満足のいく音が聴けるようになりました。
しかし最近また少し不満が出てきたんですね。疲れていたりストレスがたまっていたりするとノイズを感じる、と。脳の状態が一定でないために電気信号の受け取り方にも変化が生じてしまうんですね。
そこで今、いい音を聴くためには脳をどう改造すればいいかを調べているところです。
いや、オーディオの世界ってほんとに底がないですよね。


2018年6月26日火曜日

【読書感想文】小森 健太朗『大相撲殺人事件』


『大相撲殺人事件』

小森 健太朗

内容(e-honより)
ひょんなことから相撲部屋に入門したアメリカの青年マークは、将来有望な力士としてデビュー。しかし、彼を待っていたのは角界に吹き荒れる殺戮の嵐だった!立合いの瞬間、爆死する力士、頭のない前頭、密室状態の土俵で殺された行司…本格ミステリと相撲、その伝統と格式が奇跡的に融合した伝説の奇書。

クレイジーすぎる内容紹介文で一躍Twitterなどで有名になった『大相撲殺人事件』。
相撲×ミステリというテーマの短篇集だ。

読んでみたら、紹介文に負けず劣らず本編もイカれていた。
新入幕力士の対戦相手が次々に殺されていく。撲殺、鉄骨を落とされる、絞殺、刺殺、溺死、毒殺、射殺、焼死、感電死、スズメバチに刺される、凍死、墜落死、一酸化炭素中毒死、轢き逃げ……と、なんと十四日連続で対戦相手が死んでいく。
はっはっは。こんなことが続いたら三日目ぐらいで相手が逃げるとか、興行が中止になるはずとか、警察無能すぎるとか、そういうツッコミは野暮というものだ。
十四人連続対戦相手が死んでいる力士のほうも「不戦勝で十四連勝になってラッキー」と喜んでいる。グレート。登場人物みんな頭おかしい。
このばかばかしさを笑い飛ばせないまじめな人は読まないほうがいいね。

「大相撲の世界も災難続きよねぇ」大関・貴鳳凰の遺体が発見されたことを報じる新聞記事を読みながら聡子が言った。「こないだの十四力士殺害事件に続いて、また三人も殺されて。一年前に幕内にいた力士も、この一年で四十パーセントくらいいなくなっちゃったわねぇ」

どんだけ死ぬねん。「災難続き」で済む話か。
ちなみにこれは中盤に出てくる台詞で、もちろんこの後もばったばったと力士たちが死んでいく。
マフィア組織でもこんなに死なないだろ。角界に吹き荒れる殺戮の嵐を書くことで、現実の相撲界の閉鎖性、異常性を痛切に風刺している……ってそんなわけないか。
こんなけ死んでたら、礼儀のなってない力士をビール瓶で殴ったぐらいじゃ問題にすらならないだろうね。日馬富士もこの世界の大相撲をやってたらよかったのに。殺される可能性のほうが高いかもしれんけど。



中でもいちばん発想がぶっ飛んでいたのが、『最強力士アゾート』。

「おそらく今度の殺人事件の犯人は、大相撲界の革命をもくろむ、頭のイカれた科学者か誰かでしょう。彼はおそらく人造人間の製造に命を賭けている。そしてまた彼は相撲の大ファンでもあった……。そんな彼が抱いた夢が、最強の相撲力士の人造人間を誕生させることです。そのためには、霧乃鷹の右腕、籠石橋の左腕、貴鳳凰の右足が必要だった。あと角界最強の左足、胴体、頭部が揃えば、最強力士の人造人間をつくるのに必要なパーツは揃います。それで彼は念願の、最強力士の人造人間を出現させることができる。競馬でいえば、シンボリルドルフとミスターシービーとハイセイコーといった歴代の名馬たちのすべての長所を兼ね備えた、最高の競走馬を生み出そうとするようなものです」
「それでその科学者は、力士の身体の部位を集めて何をしようとしているんだ?」
「もちろん、その力士を相撲界にデビューさせて、最強の横綱に仕立てあげ、この相撲界をその配下におさめることをもくろんでいるんでしょう。百年間、他の力士たちが束になって挑戦し続けても決して勝てない人造人間の最強力士を、この角界に出現させようとしているに違いありません……。何らかの策を早急に講じなければ、間もなく角界は、この最強人造力士の前にひれ伏すことになるでしょう……」

力士たちが次々に殺され、それぞれ最強を誇っていた身体のパーツが持ち去られる……というとんでもない事件。ブラックユーモアが過ぎる。
ネタバレになるけど、犯行動機もほぼこの推理通り。



ただのトンデモ本かとおもいきや、意外にもまじめに相撲ミステリを書いている。設定はむちゃくちゃだけど姿勢はまじめだ。
「髷」「取組表」「女人禁制」「大柄な男には通れない通路」など、大相撲ならではのトリックや犯行動機をからめていて、「大相撲殺人事件」の名にふさわしく、大相撲×ミステリというテーマに対してがっぷり四つに取り組んでいる。
どのトリックもミステリとしてはあまりスマートでないけど、相撲だからスマートでないのはしかたない。

世紀の奇書と呼ぶにふさわしいこの本、どんなイカれた人が書いたのかと思ったら、作者の小森健太朗氏は史上最年少の16歳で江戸川乱歩賞の最終候補に残り、東大進学後に教育学の博士号を取り、現在は大学で准教授を務めるという、とんでもなく輝かしい経歴の持ち主だった。いったい何があったんだ、それとも頭が良すぎるからこそこんな方向に走ってしまうのか。

ミステリ小説の研究者でもあるらしく、そういえば土俵上は女性の立ち入りが禁じられているから土俵上は女性にとって密室だという『女人禁制の密室』、力士たちが謎の洋館に閉じこめられる『黒相撲館の殺人』など、本格ミステリのパロディも随所に見られる。

とにかく、相撲とミステリへの愛情が存分にあふれていることだけはわかった。だいぶ歪な愛情だけど。

2018年6月25日月曜日

幽体離脱というほどでもない体験


子どもと公園で遊んで、プールで泳いだ後、また子どもと遊んでくたくたになった。

その晩、意識が身体から離れている感覚を味わった。

まず尿意を感じた。
膀胱のあたりにだけ感覚がある。「あートイレ行きたい」と思うと、意識が身体にすとんと落ちてきたような感覚があった。
あっ、入った」と思った。とたんに、手足がずしんと重たくなった。


幽体離脱というほどでもない。
魂だけどこかに行っていたわけではない。意識は身体のすぐ近くにあった。ただし身体の中ではなかった

汗びっしょりのときにシャツを脱ぐように、疲労びっしょりの身体を一時的に脱ぎすてていた、という感じだった。意識が一時的に身体から離れていた。

身体の疲労と眠気と尿意がちょうど絶妙なタイミングで重なったおかげで味わえたのかな、と思ってちょっとおもしろかった。
すぐ忘れそうなので書きしるしておく。


ツイートまとめ 2018年4月


別れの挨拶

公務員

ボランティア

読解力

トップ営業マン

偉そう

口下手の言い分

名文

黄金時代

犯行動機

説教

嘘つき


2018年6月22日金曜日

【読書感想文】寺尾 紗穂『あのころのパラオをさがして』


『あのころのパラオをさがして
日本統治下の南洋を生きた人々』

寺尾 紗穂

内容(e-honより)
1920年から終戦まで日本の統治下にあったパラオ。そこには南洋庁という役所が置かれ、作家の中島敦をはじめ、日本から移り住む者も多かった。「楽園」と呼ばれた島で、日本人移民と現地島民が織りなす暮らし。そして「戦争」のリアルとは―。各地で拾い集めた、75年前の「日常」の証言。植民地支配の歴史を、そこに暮らした人々の視点から見つめなおすルポルタージュ。

シンガーソングライターでもある寺尾紗穂氏が、『山月記』で知られる中島敦や石川達三(第一回芥川賞受賞作家)らの記述を通して、日本統治下にあったパラオの状況を書くルポルタージュ。

正直、文章は読みづらかった。おばちゃんのとりとめのないおしゃべりを聴いているような文章。
まるで会った人、あった出来事、交わした会話をすべて書いているかのように話があちらこちらにいく。時代も舞台もバラバラ。勝手に他人の気持ちを憶測する。パラオと無関係なエピソードが断片的に挿入される。『土佐日記』『おもひでぽろぽろ』のような、つまりまるでルポルタージュ的でない、アーティスティックな文章だった。もちろん悪い意味で。

テーマはおもしろかったけどね。



パラオについて、かんたんに説明。
ぼくのも付け焼刃の知識だが。

パラオは太平洋に浮かぶ島。佐渡島や淡路島より小さい。
日本のほぼ真南に位置するので、日本との時差はない。

パラオは、スペイン植民地、ドイツ植民地を経て、第一次世界大戦でのドイツの敗北を受け、1922年から日本統治領になる。日本の敗戦によりアメリカ統治となり、1994年にやっと独立国となっている。
日本統治時代には日本の軍人や移民、連行された朝鮮人など数万人が住むようになり、一時はパラオ先住民のほうが日本人より少なかったという。中島敦は南洋庁職員として、日本語教科書編纂のためにパラオに赴任している。

かつて日本統治下だった影響で日本語にちなんだ地名や人名も多く、親日国としても知られている。
国旗も日の丸と似ている(「日の丸を参考にした」という説もあるがデマらしい)。
パラオ国旗

ぼくもテレビで「パラオは日本が大好き!」とやっているのを観たことがある。
日本人のひとりとして「好きと言われるのはうれしい」とのんきに思っていたのだが、歴史を見ると単純にそうも言えない気持ちになる。

 サイパンは島全体が戦場となり、日米の軍人、民間人のみならず島民も沢山巻き添えを食って亡くなっている。一方パラオでは、日本軍がコロール島から本島に住民を移動させ、巻き添えによる死亡はやはりあったが、島民が戦闘に大規模に巻き込まれることは回避された。これは一種の美談となり、現在ネット上でも散見される。二〇一四年の終戦記念日に放送された上川隆也主演の「終戦記念スペシャルドラマ『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』」(フジテレビ)はパラオが舞台であり、ペリリュー島の戦いが扱われていたが、この島民を移住させるシーンはやはり美談に沿って感動的な形で描かれていた。主役はもちろん日本の軍人であり、彼らが島民をいたぶったり、銃を向けたり、畑を奪うようなは当然出てこない。パラオ人と日本人の友情だけが強調されていた。
 しかし、実際はパラオにおいてもそう単純なものではなかったことは澤地久枝の著作を読むだけでもよくわかる。
 食うや食わずの森での生活が続く中、ニーナさんが心を痛めたのは、朝鮮人など南洋群島で築かれたヒエラルキーの底辺にいる人々の姿だった。骨と皮だけになって木の下で餓死する者もいた。
「一番かわいそうだったのは、コリアン朝鮮の人。朝鮮、朝鮮、あれたちは(日本人が)いじめてやった。沖縄の人もかわいそうだった。日本人がいじめた。コリアの人はとってもかわいそうだった。日本語わからないから。インドネシアの人もいた。苦しかった」

こういう記述を読むと、とてもパラオを「親日国」の一言で表現することなどできない。
パラオの人が「日本を好き」と言ってくれるのはうれしいが、日本人の側から「パラオは親日国だ。なぜなら日本はパラオにたくさんのものを残したからだ」とは恥ずかしくて言えない。

「日本統治時代は良かった」と思っているパラオ人は少なからずいるようだ。でもかなりの部分「美化された思い出」補正が入っていると思う。『三丁目の夕陽』を観て、戦後日本は良かったと思うように。

スペイン植民地時代やドイツ植民地時代よりは日本統治時代のほうがマシだったのかもしれない。その後のアメリカ統治時代が苦しかったのかもしれない。それとの比較で「日本統治時代は良かった」と思う人はいるのかもしれない。だからといって統治して良かったとは言えない。
パラオ語の中に多くの日本語が生き残っているのも(パラオ語で弁当はbento、電話はdenwa、ビールを飲むことはtskarenaos(ツカレナオース)だそうだ)、どっちかといったら負の遺産と呼んだほうがふさわしい。

『あのころのパラオをさがして』には、日本統治時代のパラオ人が、日本軍人として戦死したこと、戦争の巻き添えになって死んだこと、日本軍に食糧を供出させられたことで飢えに苦しんだことが書かれている。
一方で日本はパラオに学校や病院、道路などのインフラを整備したという功績もあるが、それだって善意でやったわけではなく、「日本のために戦う臣民を養成するため」にやったことだ。感謝を強いるようなことではない。
こういう事実を知った上で、「日本統治のおかげでパラオは近代化して良かった」なんて、恥ずかしくてぼくには言えない。



パラオ国立博物館での記述がショッキングだった。

パラオ国立博物館のほとんどの展示物には日本語訳がついている。だが、階段の途中という読みづらい場所にある展示には日本語訳がついていない。そこには、日本兵がパラオ人に暴力を振るったことがパラオ語で書かれていた――。

というもの。
日本から受けたひどい仕打ちは記録には残すが、それをことさらに現代日本人に対して責めたてたりはしたくない、というパラオ人の気持ちの表れなのだろう。
なんと寛大な人たちなのだろうと思う。

きっと、パラオの人たちの多くは日本に好意的な感情を持っているのだろう。だが、手放しで賞賛しているわけではない。彼らはまた日本の悪いところ、日本人がした悪いおこないも知っている。あえて口には出さないが、思うところもあるはずだ。その上で、すべてをひっくるめて受け入れて好意を表してくれているのだ。赦したのではなく、目をつぶっているだけ。
こういうパラオの人たちの懐の広さに想像を及ぼすこともなく「パラオ人は日本が大好きなんです!」とかんたんに口にしてしまうテレビ番組に、ぼくはなんともいえないあぶなっかしさを感じる。



新天地を求めて日本からパラオへと入植した人たちは、戦争中はもちろん、戦後日本に帰ってきてからも相当な苦労したようだ。

「敗残兵」という言葉が切なかった。久保さんたちは兵士ではない。何に負けたというのだろうか。新天地パラオで楽園を築いた。久保さんの義父勇吉さんは会社員だったが、多くの農業移民も成功を収めた。現地の人々の畑や住まいを奪ったわけではなく、ゼロから土地を耕しての成果で、満州の一部の開拓地のように先住民から反感を買っていたわけでもなかった。しかし戦争が起きて水の泡となり、そのまま帰還、再びゼロから内地で環野の開拓となったのは北原尾の人々と同じだ。

宮城県蔵王町に北原尾という地区がある。パラオからの引揚者たちが入植した土地だ。北のパラオ、という意味を込めて北原尾(キタハラオ)と名付けられたそうだ。

彼らは周囲から差別をされてずいぶん冷たくあしらわれたらしい。
みんな余裕がなかった時代だったから、だけではないだろう。余裕があったとしても、一度この国を離れていった人が戻ってきたら冷たく当たると思う。ぼくらの多くはそういう人間だ。
同胞である日本人からさげすまれた引揚者たちが夢見たふるさとは、いろんなことを包みこんでくれるおおらかさを持ったパラオだったのではないだろうか。だからこそ北原尾という地名が生まれたのだろう。


『水木しげるのラバウル戦記』という本に、終戦後水木さんがパプアニューギニアの原住民に誘われてそこで永住しようとするエピソードが出てくる。
水木さんのような人がこのおおらかさに包まれた島で暮らしていたら、日本に帰りたくなくなるだろうなあ。
ぼくのようなせせこましい日本人は、かえって生きづらそうな気もするけど。


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