2017年11月5日日曜日
汚い手で選挙に勝つ方法
選挙に立候補したとするよね。小選挙区で。
出馬したのは自分ともう1人(以下Aとする)。
下馬評ではAがやや有利。
このとき、選挙事務所を構えて選挙運動をするよりも「対立候補者を増やす」って戦略のほうが有利なんじゃないかと思った。
どういうことかっていうと、人を雇って立候補させるわけ。自分と同じ選挙区に(これを泡沫候補B、泡沫候補Cとする)。
泡沫候補たちの公約は、対立候補であるAとまったく同じにする。
つまり味方じゃなくて敵を増やすわけね。
Aとまったく同じ政策でAより若い泡沫候補B。Aとまったく同じ政策でAとは性別の異なる泡沫候補C。みたいな感じで。
浮遊票のうちAと考え方の近い人の票はA、B、Cに割れる。
結果、特定の支持者を持たない人からのAの獲得票が3分の1になり、自分にとって圧倒的に有利になる。
……って戦略を考えたんだけど、どうでしょう。
すごく汚い手口だけど、有効なんじゃないでしょうか。
もちろん泡沫候補Bと泡沫候補Cの分の供託金は没収される可能性が高いけど、金にものを言わせられる候補者ならこの戦略をとればだいぶ勝ち目が高くなりそうですよね。
もしかしてもうやってる候補者とか、過去にやった候補者とかいるのかな。
2017年11月4日土曜日
ツイートまとめ 2017年6月
悲哀
明石焼きを知らない人がたくさんいるのが悲しい。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月1日
あんなに美味しいものを……。
物価
大阪は物価が安くて住みよい街。 pic.twitter.com/JaZFPm2cZ9— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月3日
普通選挙
知り合いの高齢女性が認知症で3分前のことも覚えていないのだけど、選挙には毎回行って「ずっと○○党に入れてたから」といって○○党に投票してる。その人に選挙権を与えることって公平・平等なんだろうかと思う。 / “普通選挙権は倫理的に…” https://t.co/yaslCfCy5H— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月11日
類似
『夫のちんぽが入らない』と『君の膵臓を食べたい』を2冊セットにしてメルカリで売ってる人がいた。タイトルだけでまとめたんだろう。デビュー時期が近かったために名前だけでひとくくりにされていた村上龍と村上春樹のようだ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月11日
努力
「サッカーのトレーニングでランニングは無駄」。説得力あっていい話だなあ。でも「俺たちは走らされたのに」って指導者が過去の自分の努力を否定するのは難しいから、なかなか根付かないだろうな。いまだに高校野球を真夏にやってるのも同じ理由。https://t.co/IMqCJ33rUy— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月14日
団体戦
なんだよ、柔道の団体戦って6回対戦するだけかよ……。あのせまいところに12人が入って最後まで立ってたやつが勝ちっていうバトルロイヤルが見られるのかと期待したのに……。 https://t.co/1WKIkHSQEA— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月14日
足蹴
この歳になったらもうモテなくてもいいけど、「追いすがる女を袖にする」ってのは一度はやってみたかった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月15日
真実
3歳の娘が「また髪の毛切って!」と言う。2日前に切ったばかりなのに。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月15日
どうやら『髪を切った翌日だけはみんなからかわいい!と言ってもらえる』という世の中の真実に気づいてしまったらしい。
失業期間
仕事を辞めて半年ほど無職だったとき、スピード違反で免停になった。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月22日
レンタルビデオ屋で会員になろうとしたら免許証も保険証もなくて、しょうがないからハローワークの失業証明を出した。ぼくは社会から必要とされてないと痛感して泣きたくなった。
あとそのときにスピード違反の罰金と住民税あわせてウン十万円の請求がいっぺんにきて、社会が無職を殺そうとしてる、って思った。罰金はぼくが悪いんだけど。 https://t.co/xXCgHxjoiN— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月22日
駅員
JRのこども向けシール。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月26日
自分のとこの社員は「えきいんさん」とさん付けで、関連会社の職員は「さぎょういんさん」ではなく「こうじするひと」。
ふだんの意識が出ちゃったんだろうなあ。 pic.twitter.com/mT578cXhBB
知的財産
勉強が好きだと言うと「すごいですね」と言われるが、知識を手に入れるのは楽なことだ。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月28日
富や名声を得るには他人と競争して勝たなくてはならないけど、知識は誰とも競わなくても手に入る。手に入れた知識を奪われることもない。
それで人生を楽しくしてくれるんだからこんなにいいものはない。
苦役
体育の授業で強制されたせいで運動が嫌いになったという人が多い。職場の強制的な飲み会は、酒と職場を嫌いにさせる。— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) 2017年6月30日
強制されるから嫌いになる。
ということは、好きなときに好きなだけ払っていいということにすれば、納税が嫌いじゃなくなる。
2017年11月2日木曜日
家なんてしょせん家/牧野 知弘『マイホーム価値革命』【読書感想】
『マイホーム価値革命
2022年、「不動産」の常識が変わる』
牧野 知弘
数年前、家を買うことを検討していた。
父親はバブルのさなかにローンを組んで一戸建てを買ったし、ぼくが育ったのは郊外の住宅地なので周囲も分譲一戸建てだらけで、大人になったら当然家を買うものだと思っていた。
新築建売住宅を見に行ったり、新築マンションのショールームに行ったり、不動産屋といっしょに中古マンションを見てまわったりした。
でも夫婦そろって優柔不断なのと、今の家(借家)にこれといった不満もないこともあってなんとなくふんぎりがつかず「まあ今のとこでいっか」ってな感じで今も借家に住みつづけている。
いやでもさ、世の中の人ってよく土地や家やマンションを買えるよね。
だって何千万円もの買い物だよ。
ぼくなんかたかだか2,000円ぐらいの毛布買うのに、いろんなサイト見て、寝具売場にも足を運んで、1ヶ月ぐらい迷って、そんでまだ買ってないからね。そんぐらい優柔不断だからね。
毛布ですらそれなのに、マンションなんて一度も住んでみることなく、へたしたら中身を見ることもなく(新築マンションはだいたいそう)決断しなきゃいけないんだよ。
無理じゃない? 最低でも一年ぐらい住んでみないと決められなくない?
もう博打だよね。結婚と一緒で。
あとさ、新築マンションのショールームを見に行ったことある人なら知ってると思うけど、広告宣伝費えげつなくない?
電車広告出して、SUUMOとかにも広告出して、どっかの土地借りてじっさいに住めるぐらいのモデルルームつくって、そこに最高級の家具を置いて、受付の人と営業社員を常駐させて、見にきた人には電話しまくってダイレクトメール送りまくってるんだよ?
どんだけ金かけとんねんな。
そして、どんだけマンション販売価格に広告宣伝費が上乗せされとんねんな。
宣伝やめたら1,000万円ぐらい安く売れるんじゃないの?
ゼロにするのは無理でも、四分の一ぐらいにはできんじゃないの?
ぜったいそっちのほうが買う人はうれしいだろうにね。
……みたいなことを考えたら家を買うのがばかばかしくなっちゃった。
というわけで牧野知弘さんの『マイホーム価値革命』を読む。
同じ著者の 『空き家問題』がめっぽうおもしろかったので(感想はこちら)期待して読んだんだけど、期待を裏切らない本だった。
いやあ、勉強になった。
そして、やっぱり不動産なんて持つもんじゃないな、って思いを強くした。
家の価値がどんどん上がっていた時代は、マイホームを買えば家賃を払わずに住めるし、おまけに持っているだけで価値が上がっていたから、少々高い住宅ローンを組んででも買ったほうが得だった。
ところが今後、長期的に値上がりを続ける物件はない。
ほとんどは下がる。
日本から人はどんどん減るし、大きな家を必要とする若い人はもっともっと減るし、2022年問題っていう生産緑地制度とやらに関連するアレのせいで土地や家は余る一方になる。
いくら不動産業界の人がSUUMOに広告載せて、マンションポエム書いても、需要が少なくて供給が多いんだから売れない。価格は下がる。
となると消費者がとる選択は、消耗品と思って住みやすい家を買うか、投資と思うなら短期的に値上がりしそうなところを買って早めに売り抜けるかだ。
要は「住む」か「売る」かで(あと「貸す」もあるけど)、昔のように「住んでから売る」で儲けることはまず無理だ。
しかし「売る」で儲けるのはリスクが大きいし、いかにも難しそうだ。
先のことを読まなければならないし、おまけに海外からもかんたんに買えるようになっているので世界中の投資家と競争しなければならない状況なのに、ど素人のぼくが勝てるとはとうてい思えない。
そんな博打できるぐらい心臓強かったらとっくに家買っとるわ。
そんで自分が住む家として考えたら、買うよりも賃貸のほうがいいと思うんだよね。
以前はやっぱり「俺の家を持ちたい!」って気持ちもあって、それは今でも持ってるんだけど、それ以上に家を持つリスクって大きいなと思うんだよね。
転勤とか隣人トラブルとか自然災害とかのときにすぐ動けるほうがいいのかな、と。
「隣にめんどくさい人が越してきた」とか「子どもが学校でいじめられてる」とかなったときに、「でもせっかく買った家だから……」という理由で引越しをためらっているうちにとりかえしのつかない事態になっちゃうかもしれない。
そんなときに「しょせん家なんてただの寝るスペースだから」ってなぐらいの気軽さでさっさと動ける人間でありたいなーと思う。
そんなふうに思うようになったいちばんのきっかけは、ぼくのおばあちゃんに関する話。
おじいちゃんが死んだとき、母はおばあちゃんに「うちの近くに引っ越してきたら? 気軽に様子を見に行けるほうが安心だし」と声をかけた。
でもおばあちゃんは「せっかく買ったマンションだからここにひとりで住む。おじいちゃんの思い出もあるし。わたしは元気だし」と言って一人暮らしをして、ほとんど誰とも話さない暮らしをした結果、一年ぐらいであっという間に認知症になってしまった。
孫のことも娘のことも忘れて、しょっちゅうものがなくなった泥棒に入られたんだって警察に電話して、外出したら家に帰らなくなるような絵にかいたような認知症。
やさしいおばあちゃんだったからつらかったよ。つらかったよって過去形で書いたけどまだ生きてるんだけどさ。
たらればを言ってもしょうがないんだけど、もし「一緒に住まない?」って声をかけられたときにおばあちゃんが賃貸住宅に住んでいたら、二の足を踏むことなく早めに引っ越していて、もうちょっと頭も元気でいられたのかもしれないなーと思う。いやどっちみち引っ越さなかったかな。
マイホームでも賃貸住宅でもいいんだけど、家なんてしょせんは地面と箱なんだし、それに固執してしまうがゆえに重要な決断を誤ってしまうようなことだけは避けたいなーと思うね。
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2017年11月1日水曜日
全銀河系の誰が読んでもくだらない小説/ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』【読書感想】
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
ダグラス・アダムス (著) 安原 和見 (訳)
ある日、バイパスを通すために地球が破壊される。50年も前からバイパス工事のことはアルファ・ケンタウリで告知していたのに地球人は誰も見にこず立ち退かなかったから強制撤去――。
という、なんともバカバカしい導入のSFコメディ(バカバカしいのは導入だけでなく全編通してだけど)。
オリジナルは1978年にはじまったイギリスのラジオドラマで、その小説版。
ストーリーはめちゃくちゃなんだけど、そこかしこにブリティッシュ・ユーモアがちりばめられていて、くだらないんだけどおもしろい。
たとえば「人間そっくりの人格を持ったロボットをつくろう」というコンセプトで作られた、超優秀な(はずの)ロボット・マーヴィン。
こんなロボットがいたらぶん殴ってしまいそうだ。
「ロボットをどれだけ人間に近づけるか」ってのはよく検討すべき問題だね。
人間と同じことをさせるんだったら人間を使うほうが低コストだし。そもそも人間ってお手本にするほど性能のいいものでもないし。ぼくらみたいな低レベルな人間が目標でいいのか。よくないだろ。
しかし人間をはるかに凌駕するロボットをつくったら、もはやどっちが主人かわかんなくなる。
ロボットの性能を向上させた結果、ロボット様のためにつまんない仕事を人間がやるほうがはるかに効率的だ、ってなりそう。
じっさい、今もロボットは将棋やったり碁をさしたり、人間よりずっと高尚なご趣味をたしなんでらっしゃいますし。
ということはやっぱり、マーヴィンみたいに怠惰で後ろ向きで不満と言い訳ばっかり言ってるロボットのほうがぼくらの仲間としてはふさわしいのかもね。劣等感を味わわなくてすむから。
さっきも書いたけどこの本、ストーリーはめちゃくちゃだ。
都合のいい偶然だらけだし、行動の目的もないし、思いつきを積み重ねているかのようないきあたりばったりのストーリーだ。
ぼくは小学生のとき宇宙を舞台にした冒険小説を書いたことがあるけど、それがちょうどこんな感じだった。
しかし小学生の小説と一線を画しているのは、めちゃくちゃなストーリーなのに個々のエピソードには妙な論理性があること。
たとえば……。
これが「妙な論理性」。
世の中には「この人変な人だな」って思う人がたくさんいるけど、ぼくが思うに、そういう人ってじつはそれほどずれてるわけじゃないんだよね。
ほんのちょっとずれてるだけで、だからこそ小さな差異が他者との間で目立ってしまう。
ほんまにヤバイやつって一本芯が通っていて、そいつの中ではしっかりとした論理を持っているから一見まともそうに見える。ちょっと話しただけでは異常性がわからない。
「おれはナポレオンかもしれない……」って悩んでるやつはわかりやすいけど、「おれはナポレオンだ」と信じきってるやつはそれを裏付ける論理を自分の中できちんと持っているから、意外と目につかない。そんな感じ。
たとえばこないだ伊沢正名さんの『くう・ねる・のぐそ』ってエッセイを読んだ(感想はこちら)。
この人は何十年もトイレを使わずにずっとのぐそをしていて、しまいには研究のために自分のしたのぐそを数か月経ってから食べたりしている。
それだけ聞くとやばい人と思うかもしれないけど、この人の中では確固たるルールがあって、しかもそれがすべて合理的で理にかなっている。だからエッセイを読むと「トイレで用を足している自分のほうがおかしいんじゃないか」って気になってくる。
ほんとに変な人にはそれぐらいのパワーがある(伊沢さんをけなしているんじゃないですよ)。
で、「惑星滞在中に摂取した量と排泄した量に差があると、出国するときにその正味差分を外科的に切除される」というルールについてなんだけど、これもおかしいんだけどすごく筋が通っている。
たしかに質量保存の法則があるわけだから、多くの観光客がやってきてたくさん食べてたくさんのお土産を買って帰ったら、その惑星の物質はどんどんなくなっていく。
うん、その論理におかしなところなし。
だから出国時にその差分を切除するという話も……。うん、わかるようなわからないような……。明確に「このような理由でその制度はよくない」とは言い切れないよね……。
とまあ、絶妙な塩梅で常識を揺さぶってくれる小説ですわ。
全銀河系の誰が読んでも「くだらねえな」と思える物語。
あとこれだけはなんとしても言っておきたいんだけど、この小説から得られる知識とか教訓とかまったくないからな! ほんと何の役にも立たねえ小説だぞ!
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2017年10月31日火曜日
選挙、抗議、批判以外の政治との関わり方/明智 カイト『誰でもできるロビイング入門』【読書感想】
『誰でもできるロビイング入門
社会を変える技術』
明智 カイト
ロビイストってうさんくさい?
アメリカの政治の本を読むと「ロビイスト」という言葉がよく出てくる。
特定の政策を推し進めてもらうよう政治家にはたらきかける人物、というような意味らしいが、どうもうさんくさいものを感じていた。
選挙を通して選ばれた政治家に、どこの馬の骨とも知れない人物が圧力をかけるの?
それって結局は金に物を言わせて政治家を操ろうとしてるってことじゃないの?
みたいな印象だった。
しかしこの本では、清水康之氏、駒崎弘樹氏、荻上チキ氏、赤石千衣子氏、明智カイト氏の取り組みを通して「自殺者を減らす」「待機児童問題を解決する」「性的マイノリティが生きやすい社会をつくる」など、どちらかというと「弱者を守る」ためのロビイング活動が紹介されている。
政治と関わらざるをえない状況に陥ったら
ぼくは、なるべくなら政治に関わらずに生きていきたいと思っている。
本来、間接民主主義ってのは「一般人は政治のことなんか考えなくていいですよ。すべて専門家に任せておけば安心です」って制度なわけだから、職業政治家以外は政治のことを考えなくて済む世の中が理想だ。
しかしそうは言ってられないこともある。
こんな例が載っている。
これは「至難の業」どころか不可能だよね……。
窓口を一本化すればいいんだろうけど、行政は縦割りになっているから内部から変わることはまずない。
当事者が選挙に出馬して政治家になれば状況を変えられるかもしれないが、あたりまえだが当事者にはそんな余裕はない。出馬しても当選しないだろう。
政治家が動いてくれればいいけど、政治家もひまじゃないから要請がないとなかなか動けない。
そこで有効なのがロビイング活動。
支援者団体が政治家に対して、失業者を救済する法の策定を要請する。
それが多くの人を救う法であれば政治家にとっては票の獲得につながるから、制定に向けて動くことになる……。
つまり、ここで紹介されているロビイング活動とは、「弱者の声をすくいあげて政治家に届け、弱者を救済する仕組みを作ってもらう」という活動だ。
なんとも理想的な政治との関わり方だ。
そうかんたんにはいかないことも多いんだろうけど、少なくともデモ行進やビラ撒きをするよりは、ずっと現実的な方法だよね。
政治家をうまく使う
『誰でもできるロビイング入門』ではロビイングのいろんなケースが紹介されているけど、これを読むと与党の政治家もちゃんと仕事をしているし、野党の議員も批判ばっかりじゃなくて与党と協力して法の策定に尽力しているんだな、と実感する。
ニュースを見ていると政治家ってどうしようもないクズばっかりに見えるけど、目立たないところでちゃんと活動しているんだねえ。
権力の監視は報道機関の大事な仕事だけど、こんなふうに「業績をちゃんと伝える」ことにも紙面を割くようにしてくれたら、もっとみんなハッピーになるような気がするな。
政治家だって人だから、批判ばっかりされてたらやる気なくすでしょうよ。
「〇〇しない政治家は辞めちまえ!」って言うのと、「〇〇してくれるならこれだけの票が獲得できますよ」って言うのではどっちが人を動かせるかって考えたら明らかだよね。
大事なのは「政治家をどう動かすか」で、うまくやっている人や団体はそれをとっくに実行している。
って考えると、世の中を変えたいと思うのなら政治家になるよりロビイストになるほうがいいね。
政治家って支持母体や政党の言いなりにならざるを得ないわけだから、自分のやりたいように動ける範囲って実はすごく少ないらしいし。
一般人の政治との関わり方って、「政治家を批判する」か「投票によって誰かを支持する」しかないと思っていたんだけど、ロビイング活動によって「政治家をうまく利用する」って道もあるんだということに気づかされた。
政治家って、雲の上の存在ではなくて、逆にどれだけ批判してもいい存在でもなくて、「我々の代わりに動いてくれる人」だと思えばもっと有意義な接し方ができるような気がする。
たぶん政治家だって、有権者に対しては「要望を伝えてくれる」ことを望んでるんじゃないかな。
「選挙」「抗議」「批判」以外で、もっと政治家と気軽に関われたらいいな。
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