2017年9月21日木曜日

ニュートンやダーウィンと並べてもいい人/『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』【読書感想】



『奇跡のリンゴ
「絶対不可能」を覆した農家
木村秋則の記録』

石川拓治 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班

内容(e-honより)
リンゴ栽培には農薬が不可欠。誰もが信じて疑わないその「真実」に挑んだ男がいた。農家、木村秋則。「死ぬくらいなら、バカになればいい」そう言って、醤油、牛乳、酢など、農薬に代わる「何か」を探して手を尽くす。やがて収入はなくなり、どん底生活に突入。壮絶な孤独と絶望を乗り越え、ようやく木村が辿り着いたもうひとつの「真実」とは。

2013年に刊行され、農業について書かれた本としては異例の数十万部のヒットを飛ばした『奇跡のリンゴ』。
今さら読んでみたのだが、これはすごい本だ。いや、この木村秋則さんというのはすごい人だ。
科学の歴史を変えたニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった人たちと並べても遜色ないぐらいじゃないだろうか?

農薬を使わずにリンゴを育てる。
農業の知識がまったくないぼくにしたら「ふーん、たいへんなんだろうね。でもまあ無農薬野菜なんてのもあるから、効率はよくないけど手間ひまかければできるもんなんでしょ?」ぐらいの認識だった。

ところがそうかんたんな話ではないらしい。
今われわれが食べているリンゴというのは、ひたすら甘く大きい実ができることだけを追求して品種改良を重ねた果実だ。肥料や農薬に頼ることを前提に品種改良しているから、虫や病気にはめっぽう弱い。
エデンの園になっていたリンゴとはまったく別の植物といってもいい。そのリンゴを肥料も農薬も使わずに育てるというのは「チワワの赤ちゃんをジャングルの中で放し飼いで育てる」ぐらい無謀なことなのだろう。


木村秋則さんも、当初は「むずかしいけどやってやれないことはないだろう」と考えていたらしい。コメや野菜を無農薬で作って経験があったから、リンゴも同じようにできると考えた。
そして酢や焼酎やワサビなど殺菌作用のあるさまざまな食品をリンゴの樹に塗布して病気を防ごうとした。
ところが病気は広がるばかり。リンゴは実をつけないどころか、花も咲かず、葉も樹も枯れていく一方だった。

 木村が経験したことは、すでに一〇〇年前の先人達が経験していたことでもあった。
 はっきり言ってしまえば、焼酎やワサビを散布したくらいで対処出来るなら、誰も苦労はしない。明治二〇年代から約三〇年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村と同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だったのだ。
 木村はその結論を、たった一人で覆そうとした。
 自分の能力を過信していたのかもしれない。
「地獄への道を駆け足した」という木村の言葉は、誇張でも何でもない。まさしく木村はその時、最悪のシナリオを突き進んでいた。
 日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破滅への道を突き進んでいたのだ。

何年もリンゴの収穫ゼロの年が続き、家族を食わせていくこともできなくなる。打つ手がなくなり、リンゴの樹に向かって「実をならせてくれ」と懇願するぐらい追いつめられる木村さん。
ついには死ぬことも考えた彼が、死に場所を探しているときに目にした光景が、リンゴを無農薬無肥料で栽培するヒントを与えてくれる――。

ちょっとこのへんは話ができすぎなので、木村さんか筆者が話を盛っているんじゃないかなあ。野暮なこと言うけど。

できすぎと思うぐらい、ノンフィクションなのにストーリーも起伏に富んでいておもしろい。ときおり挟まれる挿話(宇宙人に会った話!)や木村さんの人間的魅力の描写などで飽きさせず、エンタテインメントとしても一級品だ。木村さんの並々ならぬ苦労がようやく実を結ぶ(リンゴだけに)シーンは、報われてほんとに良かったなあと胸が熱くなった。

それにしても木村さんの家族はよく耐えたよね。妻や子どももそうだけど、なによりリンゴ農家だった義父(妻の父)がすごい。無収入になっても無農薬栽培を追い求める婿につきあってくれるなんて。いいお義父さんだったんだなあ。
しかしこれ、結果的に成功したから「みんなで支えてくれていい家族だなあ」と思えるけど、なんの根拠もなく「無農薬でリンゴを育てる!」と突き進む木村さんを止めようとしなかったのは、はたして優しさだったんだろうかと思う。
常識的に考えれば止めるほうが優しさだろう。まあその常識を無視したからこそ「奇跡のリンゴ」が生まれたわけだけど。



農家だったぼくのおじいちゃんは、機械や科学に対して全幅の信頼を置いていた。「これは新しい機械だからいい」「あの病院は薬をいっぱい出してくれるから信用できる」とよく口にしていた。
以前『現代農業』という雑誌を単純な興味から読んでみたことがあったが、やはり機械や化学肥料の話が多かった。
現代農業と科学は切っても切り離せないのだ。

科学に対するカウンターとして「自然に還ろう」なんてのんきなことを言えるのはスーパーに並んでいる食べ物を買って食べている人だけだ。常に自然と対峙して生きている人はその恐ろしさを知っているから、「いきすぎた科学文明はいつか人間の身を滅ぼす」なんて悠長なことは言わない。
クマ射殺のニュースを見て「クマがかわいそう」と言えるのは、ぜったいに自分がクマに襲われることがないと思っている人だけなのだ。

だからこそ、農家として常に自然に向き合いながら、それでも自然を屈服させようとせずにリンゴを収穫させた木村さんの業績は偉大だ。
木村さんが発見した「リンゴを無農薬で育てるための理念」は、すごくシンプルなものだ。ぼくの言葉にするとうすっぺらくなりそうだからあえてここには書かないけど。
木村さんの理念は、ぼくのような素人が読んでも「なるほど。言われてみればそのとおりだ」とうなずけるぐらい、理にかなっている。

とはいえ理念がかんたんだからって現実もかんたんかというとそんなことはない。理念を現実のリンゴの木に適用させることは想像もできないぐらいの苦難があるはずで、そのへんの苦労はこの本ではごくわずかしか触れられていないけど、おそらく本何冊分にもなるぐらいの試行錯誤があったのだろう。
世界中のあらゆる品種の農家が教えを乞いにくる、というのもなるほどと思う。


またこの人がすごいのは、無農薬でリンゴをつくって満足するのではなく、それを普及させようとしているところだ。

 木村が本気だなと思うのは、米にしても野菜にしても、無農薬無肥料の栽培で収穫が安定してくると、次は出来るだけ価格を下げるようにとアドバイスしていることだ。
 木村のつくったリンゴも、その美味しさと稀少価値を考えれば今の値段の五倍にしても売れるに決まっているのに、木村はぜったいにそうしようとはしない。出来ることなら日本中の人に、自分のリンゴを食べて貰いたいくらいなのだ。
 少なくとも、誰にでも買える値段でなければいけないと木村は思っている。
 値段が高くても、買ってくれるというお客さんはもちろんいるだろう。
 無農薬無肥料で農作物を栽培するのは手間もかかるし、農薬や肥料を使う農業に比べればどうしても収穫量が少なくなる。出来るだけ高い値段で売りたいというのが、生産者としての当然の気持ちなのもよくわかる。
 けれど、それでは無農薬栽培の作物はいつまで経っても、ある種の贅沢品のままだと木村は言う。無農薬作物が裕福な人のための贅沢品である限り、無農薬無肥料の栽培は特殊な栽培という段階を超えられないのだ。
 現状では難しいとしても、いつかは自分たちのやり方で作った作物を、農薬や肥料を与えて作った農作物と競争出来るくらいの安い価格で出荷出来るようにする。
 それが、木村の夢だ。

そうなんだよね。無農薬野菜とかオーガニック料理のお店とかってたいてい値段が高い。
そうするとよほど余裕のある人以外は日常的に食べることができない。


木村秋則というたった一人の農家の偉業が、世界中の農業の姿を変える日がくるかもしれないな。
わりと本気でそう思う。

農業に関わる人にもそうでない人にも読んでほしい良書。
大げさでなく、世界観が変わるんじゃないかな。ぼくはちょっと視界が開けた気がしたよ。


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2017年9月20日水曜日

パスワードをどうやって決めるか



みんな、パスワードってどうやって決めてる?

パスワードを決めろって言われるじゃないですか。
WEBサイトで会員登録するときに。


ぼくはだいたいこんなふうにしてる。

 【どうでもいいサイト】
 → 誕生日 または 誕生日+名前の英字表記

 【個人情報を登録するなどまあまあ重要なサイト】
 → 過去に住んでいた住所の番地+名前の英字表記

 【クレジットカード番号を登録するなどすごく重要なサイト】
 → 過去に住んでいた住所の番地+サイトごとに変わるランダムな英数字


どうでもいいサイトってのは、
「ログインしないと見られない情報があるからアカウント作るけど明日以降見ることないだろうな」ってサイトとか、
「個人情報を一切入れないから万が一漏れてもべつにいいや」ってサイトね。

でもさ。
どうでもいいサイトにかぎってやたらと堅牢だったりするんだよね。
誕生日4桁で設定したら「パスワードは8文字以上にしてください」って言われて、
めんどくせえなって思いながら誕生年+誕生日の8桁にしたら「パスワードには数字とアルファベットの大文字と小文字を1文字以上ずつ含んでください」とか言われるの。

うるせえって。
そんな強固な鍵、おまえんちにいらねえって。
中に何もないボロボロの廃墟だけど2重の錠+指紋認証つけてます、みたいな感じ。
誰もおまえんちに泥棒に入らねえって。

ほんと嫌になる。地球を滅ぼしたくなる。滅ぼせる力が備わってなくて良かった。


20年前の人は、未来人がこんなことで頭を悩ませているとは思わなかっただろう。
面倒な計算はすべてコンピュータがやってくれて人間は創造的なことだけに頭を使う世の中がくるはずだったのに、そのコンピュータを使うためにわけのわからない文字列を記憶しないといけないのだ。

コンピュータの活用が進んだ結果、「無意味な英数文字列の記憶」というもっとも非創造的なことに頭をつかわなくちゃいけないなんて、なんとも皮肉な話だ。



2017年9月19日火曜日

正規雇用を禁止する




派遣の規制緩和をすすめようとする国や経団連と、
労働者を守るために派遣規制を緩めるなといっている労働者団体。


もういっそ、正規雇用を禁止にしてみたらどうだろう。どうせ終身雇用制度なんて崩壊してるし。
全員パート・短期契約社員。正社員禁止。2年以上連続して同じ会社で働くことを禁止する。


一気に雇用の流動化が進む。みんなすぐ辞める。バイト感覚で辞める。「おまえ同じ会社で1年も働いてんの? 長いなー」ってなことになり、愛社精神なんて言葉は死語になる。

そうすっと会社としては片時も気が抜けない。社員がごっそり辞めたらすぐにつぶれちゃうから。
優秀な社員に対しては高給を支払うか労働条件を緩和してつなぎとめるしかない。
「がんばってたらいつか出世させるよ」みたいないいかげんな言葉では誰も来てくれない。短期労働者なんだから。「今いくら払うか」だけが重要になる。
今までやりがいや将来の出世という中身のないエサで釣っていた企業はつぶれる。


安定を求める労働者は2社か3社と労働契約を結ぶ。非正規だからね。
複数社で働けば、完全失業のリスクが小さくなる。
月・火はA社、水・木はB社、金曜日はC社。
労働者からすると1社に依存する度合いが減るので、会社に対しても強気で交渉できる。
他の会社の情報も入ってくるので、今いる会社の良し悪しがすぐわかる。
相場より低い給与しか出さない会社はどんどん人が離れていく。


非正規化をとことん推し進めてみたら、かえって労働者の立場が強くならないだろうか?


2017年9月18日月曜日

ガソリン自動車と国産ミュージックプレイヤー


ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』にこんな一節があった。
 商品資本主義に取って代わりつつあるのが、知能資本主義である。知能資本には、まさにロボットやAIがまだ実現できていない、パターン認識と常識的判断が含まれる。
(中略)
 この歴史的移行がどうして資本主義の土台を揺るがすのだろう。至極単純なことだが、人間の脳は大量生産できない。ハードウェアは大量生産してトン単位で売ることができるのに、人間の脳ではそれができない。となると、常識が未来の通貨になるだろう。商品の場合と違い、知能資本を生み出すには、人間を育成し教育しなければならず、これには個人の数十年にわたる努力が要る。
かつて国の力は資源に大きく依存していた。
金属や石炭や石油をどれだけ保有しているかが国の強さを決め、資源を求めて人々は移動し、資源を保有する国を植民地にしていた。
日本もまた資源を求めて海外に進出し、最終的に資源の差でアメリカに敗れた。


しかしその時代は終わろうとしている。
戦後日本の復興があらわすように、資源そのものよりもどれだけの付加価値をつけられるかが求められる時代になった。
マサチューセッツ工科大学の経済学者レスター・サローはこう語っている。
「シリコンバレーとルート128沿いに最先端企業が集まるのは、そこに頭脳があるからだ。それ以外のものは、何もない」(『資本主義の未来』)
今後はもっと頭脳集約型の労働が求められる。
頭脳によって生みだされるのはモノではない。プログラム、デザイン、システム、コンテンツ。ソフトの重要性が増す時代が来ることはまちがいない。



さて。
イギリスとフランス政府が2040年までにディーゼルやガソリン車の新車販売を禁止する方針を発表した。中国も電気自動車への完全切り替えを検討しているらしい。

日本政府はそうした期限を定めない方針だ、というニュースを見てぼくは愕然とした。
国内産業を守るためなのだろうが、それが産業を守ることになっているとは到底思えない。
どの燃料が次世代自動車の主流を占めるかはわからないが、いずれガソリン車が廃れることはまちがいない。イギリス・フランスは2040年という期限を設定しているが、2040年よりずっと早くに世代交代の日が来るとぼくは信じている。

政府が決めなくても市場が決める。
明確な期限を切って強制的に次世代自動車にシフトさせたほうがよくないか? ガソリン車を改良している時間的余裕などあるのか?
未来のない産業に優秀な人材を回さないほうがいい。消費者からすると国産車がなくなってもかまわないのだから。

iPodが出てきたときの国産ミュージックプレイヤーの開発部の話を思いだす。
CDやMDで音楽を聴いていた時代に、1,000曲をダウンロードできるiPodが登場した。
そのとき、某国産メーカーでは開発部が「iPodに対抗するためもっと音質をクリアにした商品をつくるべきでは」という話をしていたらしい。消費者がiPodを購入する理由をまったくわかっていなかったのだ。
「市場が求めているもの」「自分たちが劣っているところ」ではなく「提供できそうなもの」「自分たちが勝てるところ」を必死に探していたのだ。

国産ガソリン車の保護も同じことをやっているように思えてならない。

2017年9月17日日曜日

香辛料でごまかす時代


ミチオ・カク『2100年の科学ライフ』という本に、昔の香辛料に関するこんな一文があった。

それが重宝されたのは、冷蔵庫のなかった当時、腐りかけの食べ物の味をごまかすことができたからだ。ときには王や皇帝さえ、ディナーで腐ったものを食べなければならなかった。冷蔵庫も保冷コンテナもなく、海を渡って香辛料を運ぶ船もまだなかったのだ。

だからコロンブスたちは香辛料や香草を求めて海を渡り、大航海時代が到来した。
つまり香辛料こそが船乗りたちが追い求めた ”ONE PIECE” だったわけだ(そういや漫画『ONE PIECE』でウソップがタバスコを武器として使うシーンがあるが、ほんとの大航海時代なら貴重な香辛料を武器として使うなんて考えられない話だ)。


昔の人々が「食べ物が腐りかけているから味をごまかそう」という発想にいたったことは、すごくおもしろい。
現代人なら「食べ物が腐りかけているから新鮮な食べ物が手に入るようにしよう」と考えるだろう。
はるばる海を渡って未知の大陸を探検するよりも、「新鮮な肉や野菜が手に入るように王宮の近くに牧場や農場をつくる」とか「鮮度が落ちないような輸送・管理の方法を考案する」とかのほうがずっと安くつきそうなものだけど。

問題の本質的な解決ではなく、ごまかすことに心血を注いでいたというのが滑稽だ。





とはいえ現代の常識を昔にあてはめて「ばかだなあ」と言ってもしかたがない。

今の時代だって、2100年の人から見たら

「がんばって穴掘って石油を探すより、もっと身近なものをエネルギーに換えればいいじゃん」

「ゴミを処分するために遠くまで運ぶぐらいだったら、分解して有用な物質に転換するほうがずっと楽なのに」

「病気を治すよりも身体を捨てて脳だけ新しい身体に移植するほうがずっと安上がりなのに、なぜそういう方向に努力しないんだろう」

と言いたくなるような、問題の本質的解決から逃げまくっている時代なのだろう。