2016年6月6日月曜日
【ふまじめな考察】まさかの200kgいけました
スポーツの最大の魅力は、何が起きるかわからないという緊張感だ。
誰も予想していなかったようなことがここしかないという場面で起こってしまう。
それがスポーツの怖さであり、おもしろさでもある。
最近ではプレミアリーグで優勝候補からほど遠いレスターが快進撃を続け、ついに優勝してしまった。
ブックメーカーのオッズは5001倍だったというから、ほんとに誰も優勝を予想していなかった奇跡だったのだろう。
高校野球を観ていると、練習試合でも1本もホームランを打ったことのない選手が甲子園でサヨナラホームランを放ったりすることがある。
たまたまいいところにボールがきて、たまたますばらしいスイングをして、たまたまバットの真芯に当たって、たまたま風に乗ってスタンドまで入ってしまったようなホームランだ。
こういうことがあるから、スポーツはおもしろい。
野球やゴルフなどのスポーツは風や気候の影響を受けやすいから特に奇跡的なプレーが生まれやすい。
ラグビーは球技の中では極端に番狂わせが起こりにくいとされている。実力差がそのまま結果につながるのだとか(あんなどっちに転がるかわからないボールを使っているのに、ふしぎなものだ)。
それでも2015年のワールドカップでは、日本代表が強豪・南アフリカに勝利した。奇跡の起こりにくいスポーツだからこそ、これはほんとにとんでもない大番狂わせだった。
ボールのバウンドや風などの影響を受けやすい球技に比べて、格闘技や陸上競技は運の入り込む要素が少ない分、順当な結果が出やすい。
そうはいっても人間のコンディションは一定ではないから、そのときの精神状態などによって思わぬ失敗が起こったりする。
で、重量挙げについて考えてみる。
はじめにことわっておくけど、ぼくは重量挙げのことをまるで知りませんからね。
テレビで観戦したことすらありませんからね
あの重い車輪型のやつ(バーベル?)を持ち上げて、その重さを競うんでしょ? ってぐらいの認識しかないことをことわっておきます。
ぼくの疑問は、重量挙げに番狂わせなんかあるの? ってこと。
実力がそのまんま反映されちゃうんじゃないの?
そりゃあね。
200kgを持てる実力の選手が、190kgを持つのに失敗したってことはあるでしょう。
腰を痛めてたとか手がすべったとかで。
でも、練習では190kgも持てたことのない選手がオリンピックではまさかの200kgいけました! なんてことはありえないでしょ。
世界ランキング10位の選手がどれだけ調子良くたって、オリンピックで優勝しちゃうことは起こりえないでしょう。
(勝手な推測ですよ)
だからね。
オリンピックみたいな大会を開く必要ないんじゃないかと思うんです。
大会ってのは一発勝負の場ですからね。
実力がそのままものをいう重量挙げにはふさわしくないんじゃないかと。
重量挙げについては、もうギネスブックの1部門でいいんじゃないかと思います。
世界一の記録を上回れる自信がある選手がギネスの判定員を呼んで、判定員の前でバーベルを持ち上げる、と。
それでいいんじゃないか、と。
そんで見事世界記録を出したあかつきには、ギネスブックに「1分間でもっとも多くの洗濯ばさみを顔につけた男」と「世界一巨大なお好み焼きを作った人たち」と並んで掲載してもらう、と。
2016年6月5日日曜日
【エッセイ】最悪の彼女(2歳)
2歳の娘がいるんですけど。
いっちょまえに服の好みがあるんですね。
「今日はピンクがいい!」みたいなことを言うんですね。
おむつもとれてないくせになまいきに。
だから朝、服を着がえさせるときに訊いてやるんですよ。
「今日は何着るー?」
ってね。
そしたら
「おとうちゃんといっしょに、おきがええらびにいくー!」
って言うんですよ。
かわいいなーと思っていっしょにタンスの前まで行くじゃないですか。
そしたら娘のやつ、いっちょまえに悩むんですよ。
「どれにしよっかなー」って。
さっき食べた納豆ごはんがまだ服についたままのくせになまいきに。
もうね、けっこう長いこと悩むんですよ。
服についた納豆ごはんがカピカピになるぐらいの時間をかけて悩むんですよ。
どうでもいい......!
ぼくとしては、2歳児の服なんて
「汚れ(納豆ごはんなどの)が目立ちにくいかどうか」
と
「小さめの服は今着ておかないとすぐに着られなくなってもったいない」
という観点でしか見てないから、色の好みなんか知ったこっちゃないんですよ。
ただただ早く決めてほしい。
だから、いちばん手前にある服を指さして
「これがいいと思うな」
とか言ってみるんですね。
「この色かわいいからこれにしよっか」
とか言ってみるんですね。
心にもないけど。早く決めてほしいから。
そしたら2歳児、
「それじゃない!」
とかいって、まだまだ悩むんですよ。
ぼくの意見なんてまるで無視なんですよ。
「どうせファッションセンスのないオヤジのいうことなんて聞いても意味ないしー」と言わんばかりに。
それが毎朝なんですよ。
ほんとめんどくさい。
一度、33歳のぼくと2歳児で本気のけんかをしましたからね。
33歳「もう早く決めてよ! これにするよ!」
2歳「いやっ! おとうちゃんがきめない!」
33歳「だったらひとりで選んだらいいでしょ!」
2歳「いやっ! いっしょにえらぶの!」
もうあれですよ。
買い物に彼氏を付き合わせといて、彼氏がどれがいいと言っても「んーどうしよっかなー」しか言わずに、最終的に何も買わないというめんどくさい彼女ですよ。
ほんと、ぼくがいちばん彼女にしたくないタイプの女なんですよ。
しかもおしゃれにうるさいくせに、服にカピカピの納豆ごはんついてるなんて、最悪の彼女ですよ。
いっちょまえに服の好みがあるんですね。
「今日はピンクがいい!」みたいなことを言うんですね。
おむつもとれてないくせになまいきに。
だから朝、服を着がえさせるときに訊いてやるんですよ。
「今日は何着るー?」
ってね。
そしたら
「おとうちゃんといっしょに、おきがええらびにいくー!」
って言うんですよ。
かわいいなーと思っていっしょにタンスの前まで行くじゃないですか。
そしたら娘のやつ、いっちょまえに悩むんですよ。
「どれにしよっかなー」って。
さっき食べた納豆ごはんがまだ服についたままのくせになまいきに。
もうね、けっこう長いこと悩むんですよ。
服についた納豆ごはんがカピカピになるぐらいの時間をかけて悩むんですよ。
どうでもいい......!
ぼくとしては、2歳児の服なんて
「汚れ(納豆ごはんなどの)が目立ちにくいかどうか」
と
「小さめの服は今着ておかないとすぐに着られなくなってもったいない」
という観点でしか見てないから、色の好みなんか知ったこっちゃないんですよ。
ただただ早く決めてほしい。
だから、いちばん手前にある服を指さして
「これがいいと思うな」
とか言ってみるんですね。
「この色かわいいからこれにしよっか」
とか言ってみるんですね。
心にもないけど。早く決めてほしいから。
そしたら2歳児、
「それじゃない!」
とかいって、まだまだ悩むんですよ。
ぼくの意見なんてまるで無視なんですよ。
「どうせファッションセンスのないオヤジのいうことなんて聞いても意味ないしー」と言わんばかりに。
それが毎朝なんですよ。
ほんとめんどくさい。
一度、33歳のぼくと2歳児で本気のけんかをしましたからね。
33歳「もう早く決めてよ! これにするよ!」
2歳「いやっ! おとうちゃんがきめない!」
33歳「だったらひとりで選んだらいいでしょ!」
2歳「いやっ! いっしょにえらぶの!」
もうあれですよ。
買い物に彼氏を付き合わせといて、彼氏がどれがいいと言っても「んーどうしよっかなー」しか言わずに、最終的に何も買わないというめんどくさい彼女ですよ。
ほんと、ぼくがいちばん彼女にしたくないタイプの女なんですよ。
しかもおしゃれにうるさいくせに、服にカピカピの納豆ごはんついてるなんて、最悪の彼女ですよ。
2016年6月4日土曜日
【読書感想文】貴志 祐介 『悪の教典』
貴志 祐介 『悪の教典』
けっこうぶあつい本だったが、一気に読んでしまった。
圧倒的な筆力。特に中盤の「これからすごく悪いことが起こりそうな不穏な雰囲気」はただならぬものがあった。
ピカレスク小説(悪人を主人公にした小説)は難しい。
悪役を魅力的に描くためには相当な説得力が必要だ。
いきあたりばったりに悪いことをしているヤツなんてただのチンピラ。共感は得られない。
「道徳的に正しくないことを読者に納得させる論理」が必要になる。
善人や凡人を主人公にするよりずっと困難だ。
ぼくが知っているかぎりで成功しているピカレスクものといえば、小説ではないけど、手塚治虫『MW(ムウ)』ぐらいかな。
手塚治虫クラスでないと描けない、それぐらいピカレスクものは難しい。
『悪の教典』の著者、貴志祐介は『青の炎』という傑作小説も書いている。これも殺人事件の犯人が主人公だ。
ただ『青の炎』の主人公は、殺人を犯して隠蔽工作をおこなうものの、悪人ではない。
殺される人物は十二分に憎らしい人間であり、主人公は妹を守るためにやむにやまれず殺人に手を染める悲劇のヒーローとして描かれている。
「正義のために殺人をしなければならなかった同情すべき善良な市民の葛藤」を描いた物語だった。
ところが『悪の教典』の主人公である蓮見という教師には一切の同情の余地がない(大きく共感できる人はあぶないね)。
徹頭徹尾、己の欲望のために他人の人格や命を蹂躙する。そこには一片の躊躇がない。
「自分より人気があるのが妬ましいから殺そう」ぐらいの理由で殺してしまう。犯罪行為に対するためらがない。
犯罪を思いとどまる理由は「捕まったら困る」だけ。
一般人が「捕まらなかったら少々スピード違反してもいいだろう」と考えるぐらいライトな感覚で、人を殺してしまう。
こう書くとどうしようもないクズ人間に思えるけど、蓮見という人物はきわめて魅力的だ。
知性が高く、ユーモアの精神もあり、同僚や上司からの信頼も篤く、生徒から慕われている、理想的ともいえる教師だ。ただ自分に都合の悪い人物を殺してしまうだけ("だけ"ってのもどうかと思うけど)。
アメリカの臨床心理学者がサイコパスについて解説した、『良心をもたない人たち』という本がある。
世の中には、何人かにひとりの割合で、他人の感情がまったく理解できない人、他人を傷つけてもまったく心が痛まない人(サイコパス)がいるんだとか。
たいていは社会不適合者として生きていくことになるんだけど、中には知能の高いサイコパスもいて、彼らは「他人の感情を理解できるふり」を学習によって身につけることができるため、うまく社会に溶け込むことができるようになる。
周りになじめるどころか、そうした人は知能が高いうえに目的のためなら他の人が躊躇する手段も平気でとれるため、経営者やチームのボスとして成功することが多いそうだ。
ほとんどの社会制度は「たいした理由もなく他人に危害を加える人間はいないだろう」という前提で設計されている。
だから他人を平気で傷つけられる人間にとっては抜け穴だらけの制度になる。
知能の高いサイコパスへの対処法は、「極力かかわらないようにする」という選択しかない。
たとえば知能の高いサイコパスが同じ会社にいて攻撃してくる場合は、誰かに助けを求めたり上司に解決を依頼したりしても無駄だ。サイコパスはターゲット以外の前では善良な人間のふるまいをすることができるから。
「被害者が会社を辞める」ということが唯一の解決手段だ。
そんな、きわめて知能の高いサイコパスが教師になったら......。
それが『悪の教典』の物語。
ほんとに背筋がぞっとするような後味の悪いストーリーが延々と続く。
蓮見教師の行動は、まさに「悪魔」と呼ぶにふさわしい所業だ。
読んでいてすかっとするような描写は皆無。
なのにページをめくる手が止まらない。嫌な思いをすることがわかっているのに読んでしまう。
いや、ほんと後味が悪かった。
エンタテインメントとしての完成度が高すぎて、他人には勧められないぐらい。
後味の悪い小説としてすごくおもしろかったんだけど、残念だったのは、上巻と下巻で大きくテイストが変わったこと。
上巻は「静かにじわじわとせまりくる恐怖」をうまく描いた上質なホラーだったのに、下巻では派手なサスペンスアクションになってしまう。
個人的には上巻のほうが不気味で好きだった。
どっちがいいというのは好みの問題だろうけど、上巻が好きな人にとっては途中から丁寧な話運びが失われるように思えるし、下巻のテイストが好きな人にとっては上巻は退屈なんじゃないかなあ。
いっそべつの物語にしたほうがよかったんじゃないかと思うぐらい。
ただ、下巻のラストに関しては再び「じわじわとせまりくる恐怖」を表現しているので、いい終わりかただった。
あっ、いい終わりかたってのは後味の悪い終わりかたって意味ね。
その他の読書感想文はこちら
2016年6月1日水曜日
【エッセイ】スーツとジャムの共通点
ふだんスーツを着ない人にはぴんとこないかもしれないが、スーツのジャケットにはベントというものがある。
背中の下の部分にある切れ込みのことだ。
んで、スーツを作ると、ここにしつけ糸がついたままになっている。
もちろんこのしつけ糸を切ってから着るのが正しい着用方法だ。
でも、見落とす。
毎回、見落とす。
ぼくもいい大人だから、シャツを買ったときやクリーニングから返ってきたときは、値札やタグを取りわすれていないか、チェックしてから着るようにしている。
そうでなくても、タグはたいてい襟のところについているので、着るときに目に入るし、取らずに来たらうなじがちくちくするのですぐにわかる。
でも、ジャケットのベントはわからない。
背中のいちばん下のところですよ?
どんなに視野が広かろうが、自分の背中は目に入らない。
おもいっきり体をひねっても、ぎりぎり視界の隅に入るかどうか。
スーツでそんな無理のある動きをしたら、どこかがびりっと破れる。
で、ベントにしつけ糸がついたままになっていることに気づかずに、しばらく着つづけることになる。
そして何日かしてから誰かに指摘される。
「糸がついたままになってますよ。ばかじゃないですか」
と。
あれ、なんなんでしょう。
スーツ業界の悪しき慣習ですよね。
しつけ糸をとってから客に渡せばいいじゃん。
そこはスーツ屋の仕事でしょうよ。
本来、あんなの客にとらせちゃいけないものでしょ。
しつけ糸をとらずに商品を渡すなんて、
美容院でパーマあてたお客さんに対して、カーラーをとらずに
「お客様おかえりでーす!」って言うようなものでしょ。
なんならあのポンチョみたいなやつもとらずに、てるてる坊主状態で帰らせるようなもんでしょ。
どんなひどい美容院だ。
なぜとらないんでしょうね。
あれかな。
正真正銘できたてのスーツですよ、誰かが着ていた古着じゃないですよ、っていうアピールのためにあえてしつけ糸を残しとくのかな。
中華料理で猿の脳みそを食べるらしいんだけど、それを注文したら、新鮮な猿ですよってアピールするために厨房から生きた猿をつれてきて、オーダーした客の目の前で猿を殺すそうなんだけど、
それと一緒ですか?
ジャムのビン詰めを開封したら、ビンのふたがべこんってふくらんで、はじめて開けたことがわかるようになってるけど、
それと一緒ですか?
背中の下の部分にある切れ込みのことだ。
んで、スーツを作ると、ここにしつけ糸がついたままになっている。
もちろんこのしつけ糸を切ってから着るのが正しい着用方法だ。
でも、見落とす。
毎回、見落とす。
ぼくもいい大人だから、シャツを買ったときやクリーニングから返ってきたときは、値札やタグを取りわすれていないか、チェックしてから着るようにしている。
そうでなくても、タグはたいてい襟のところについているので、着るときに目に入るし、取らずに来たらうなじがちくちくするのですぐにわかる。
でも、ジャケットのベントはわからない。
背中のいちばん下のところですよ?
どんなに視野が広かろうが、自分の背中は目に入らない。
おもいっきり体をひねっても、ぎりぎり視界の隅に入るかどうか。
スーツでそんな無理のある動きをしたら、どこかがびりっと破れる。
で、ベントにしつけ糸がついたままになっていることに気づかずに、しばらく着つづけることになる。
そして何日かしてから誰かに指摘される。
「糸がついたままになってますよ。ばかじゃないですか」
と。
あれ、なんなんでしょう。
スーツ業界の悪しき慣習ですよね。
しつけ糸をとってから客に渡せばいいじゃん。
そこはスーツ屋の仕事でしょうよ。
本来、あんなの客にとらせちゃいけないものでしょ。
しつけ糸をとらずに商品を渡すなんて、
美容院でパーマあてたお客さんに対して、カーラーをとらずに
「お客様おかえりでーす!」って言うようなものでしょ。
なんならあのポンチョみたいなやつもとらずに、てるてる坊主状態で帰らせるようなもんでしょ。
どんなひどい美容院だ。
なぜとらないんでしょうね。
あれかな。
正真正銘できたてのスーツですよ、誰かが着ていた古着じゃないですよ、っていうアピールのためにあえてしつけ糸を残しとくのかな。
中華料理で猿の脳みそを食べるらしいんだけど、それを注文したら、新鮮な猿ですよってアピールするために厨房から生きた猿をつれてきて、オーダーした客の目の前で猿を殺すそうなんだけど、
それと一緒ですか?
ジャムのビン詰めを開封したら、ビンのふたがべこんってふくらんで、はじめて開けたことがわかるようになってるけど、
それと一緒ですか?
2016年5月30日月曜日
【ふまじめな考察】一億総いい夫婦
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