2016年1月17日日曜日

【読書感想】岸本 佐知子『気になる部分』

内容(「BOOK」データベース)
眠れぬ夜の「ひとり尻取り」、満員電車のキテレツさん達、屈辱の幼稚園時代―ヘンでせつない日常を強烈なユーモアとはじける言語センスで綴った、名翻訳家による抱腹絶倒のエッセイ集。待望のUブックス化。

思うに、おもしろい小説を書く才能とエッセイを書く才能はべつなのだろう。
小説家やエッセイストの書くエッセイは総じておもしろくない。林真理子やよしもとばななのエッセイなんか、銀行に置いてある投資信託のパンフレットぐらいおもしろくない。
型にはまっている、という感じなのだ。エッセイとはこうあるものだ、という様式があって、きっちり起承転結をつくっている。読んでいて、このへんに着地するだろうな、というところに着地する。

おもしろいエッセイを書く人は、たいてい物書き以外の職業に就いている人だ。
東海林さだお(漫画家)、鹿島茂(フランス文学者)、土屋賢二(哲学者)、米原万里(通訳)、穂村弘(歌人)、加藤はいね(看護師)……。
みんな自分の文体を持っているが、どれも小説の文脈からは逸脱している。だからこそ読み手に驚きと興奮を与えてくれる。

そんな「本業じゃないけどおもしろいエッセイを書く人」のひとりが岸本佐知子だ。元OLで、本職は翻訳家。
ぼくが、今いちばんおもしろいと思うエッセイを書く人だ。
彼女のエッセイは、正気と狂気のすれすれを走っている。たとえば次の文章。
 しかし、何といっても一番おそろしいのはゴキブリだ。黒光りするボディがこわい。長い触覚がこわい。毛の生えたたくましい脚がこわい。素早い走りがこわい。飛ぶからなおのことこわい。裏返したときのおなかの横縞がこわい。わしづかみにして手の中にゆるく握ったときの、じたばたと手のひらを蹴る感触がこわい。噛むと口いっぱいに広がる、ちょっと苦い味もいやだ。

(『気になる部分』「オオカミなんかこわくない」より)
よくある題材だと思っていたら、急にこの展開。市内巡回バスに乗っていたと思ったらいきなり時速200キロで走りだして急カーブを切られたような感覚。ぜったい振り落とされるわ。

読者にどう思われるかなんてまるで考えていないかのよう(もちろん実際は考えているのだろうけど)。
本業じゃない人のエッセイの強みはここにある。
「これ書いて二度と執筆の依頼がこなくなってもいいや。本業があるし」
という姿勢が、エッセイに説得力を与えてくれるのかもしれない。

いやほんとすごいよ岸本佐知子。


2016年1月16日土曜日

【エッセイ】プリン・スクロール・ロック

スマホにプリン落としたらぜんぜんスクロールできなくなった。
ティッシュで拭いてもだめ。

なにこれ。
2年近く使ってるけど、こんな機能(プリン・スクロール・ロック機能)があるなんてぜんぜん知らなかったよ。
ドコモショップのおねいさんも教えてくれなかったよ。


2016年1月14日木曜日

あたらしい道徳の話 ~キャバクラ編~


ブランド品のバッグやアクセサリーを安く買いたいなら、年明けすぐと3月下旬が狙い目なんだそうだ。

クリスマスやホワイトデーに、男たちがキャバクラ嬢にブランド品を贈る

もらったキャバクラ嬢はすぐに古物商やネットオークションで売る

一気に中古市場に供給が増えるので値くずれを起こす

だから、クリスマスとホワイトデーの直後は未使用のブランド品を安く買えるのよ。
あたしはいっつもこの時期オークションで買うの。

と、友人の女性が教えてくれた。



この話を聞いて、ぼくは思った。

ほぼ見返りがないと知りながらプレゼントを贈る、男性の博愛の精神。

不要なものでも無駄にしたくないという、キャバクラ嬢の清貧の心。

少しでも安く買おうという、友人女性の倹約の気持ち。

この話には、日本人の美徳があふれている。
道徳の教科書に載せたいぐらいのお話だ。

2016年1月13日水曜日

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その4

2歳の娘が、なかなかおひるねをしてくれない。
そんなとき、ぼくは娘をだっこして墓地へと足を運ぶ。
都会の喧騒とは無縁の墓地の散歩は、幼児にとっても気持ちがよいのだろう。5分も歩いているとすぐに眠りに落ちてくれる。

その日もぼくは娘を抱いて、墓地を歩いていた。
おひるねしたくないとぐずっていた娘もやがて眠けに襲われ、すやすやと寝息をたてはじめた。
そこで異変に気づいた。

あれ。
寝息がもうひとつ聞こえる。

娘のすうすうという愛らしい寝息にかぶさるように、少し離れたところから、ぶおぅぶおぅという規則正しい音が聞こえてくる。

いた。
寝息の発信源は、墓の前で熟睡しているおっちゃんだった。

……墓の前で!?


ぼくの住んでいる地域では、外で寝ているおっちゃんは決して珍しくない。
彼らはホームレスとはちがう。
一応家はあるらしく、服はさほど汚くない(決してきれいでもないが)。ひげも伸びていないし、散髪もしている形跡がある。
昼間だけ公園でチューハイを飲んでいるか寝ているかしているから、きっと夜は家に帰っているのだろう。
そんな半野良のおっちゃんらが多い地域に住んでいるぼくでも、墓場を寝床にしているおっちゃんがいるとは思わなかった。


あまりにも豪快に眠っているので、ひょっとしたら墓に埋めわすれた死体なんじゃないかと思った(土葬かよ)。
しかしまちがいなく寝息は聞こえてくるし、よく見たら新聞紙を布団に、リュックを枕にして万全の体制で寝ている。

死体ではないにせよ、人間ではなく、夜は墓場で運動会をして、昼は寝床でぐうぐうぐう♪のタイプのおっちゃんなのかもしれない。

【関連記事】

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その1

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その2

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その3


2016年1月12日火曜日

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その3

ぼくの行きつけの墓地には、殉職した警察官の墓コーナーがある。

ここは他の墓よりも見ごたえがある。
というのは、墓の側面に死因を書いてくれているのだ。
「君ハ昭和○○年○月○日ニ□□ノ路上ニテ暴漢ニ襲ワレ非業ノ死ヲ遂ゲル」
ってなぐあいに。
ぼくのように無関係の墓を見るのが好きな人に親切な設計だ。

警察官の殉職といっても、そのすべてがジーパン刑事のようにドラマチックなわけではない。
パトロール中に車にはねられて死んだとか、警らをしていて風邪をひき肺炎をこじらせて死んだとか、それって殉職にカウントするの?みたいな死因もある。
だが、華やかさ(といっていいのかわからないが)に欠ける死だからこそ、よりその文章が現実感をともなって胸を打つ。
映画や小説ではほとんど描かれることのない、交通事故や肺炎による警察官の殉死によって我々の暮らしは支えられているのだ。
この殉職墓コーナーは、警察のPRのためにももっと広く知られてもいいと思う。


ところで疑問が一点。
殉職した警察官にも、ほとんどの場合は家族がいたはずだ。家があれば、墓もあるだろう。
殉職した場合、そっちには入らないのだろうか?
それとも分骨して、殉職墓コーナーと家の墓と、半分ずつ入れるのだろうか。
だとすると魂の行方はどうなるのだろうか?
霊魂も半分に引き裂かれるのか?

ってな疑問を、知り合いの坊さんに訊いてみた。

「魂の居場所には現世的な場所なんか関係ないね。だから墓がふたつあったって、両方に魂は存在するのさ」
と坊さんは云った。
なるほど。
もっともらしい答えだ。

でも、ちょっと待ってくれ。
魂の居場所に現世の場所が関係ないんだったら、そもそも墓なんかいらなくない?


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【エッセイ】墓地散歩のすすめ その1

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その2

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その4