ニューワードニューワールド
言葉をアップデートし、世界を再定義する
竹田 ダニエル
アメリカ出身のライターがアメリカの現代カルチャーを紹介する本。
雑誌の連載をまとめた本ということで、ずいぶん散漫で読みにくい。
これといったテーマがあるわけではなく、いろんなところで書いたコラムをごちゃごちゃに並べただけという感じ。
この人のファンなら楽しめるのでは、という本。
どういう人かよく知らないのだが、読んでいるだけでアッパークラスの人だということがよく伝わってくる。多様性だとかフェミニズムだとか、“高級な悩み”についてあれこれ語っている。
“高級な悩み”というのは、明日の飯をどうするとか、仕事がなくて生きていけないとか、そういうのとは違う、生活に困っていない人の悩みだ。こういう人たちへのカウンターとしてトランプ大統領が誕生したと言われている。
まあ気持ちはわかるよね。自分が明日のパンのことで悩んでいるときに、やれボディケアが大変だとか、やれLGBTQの生きやすさに目を向けましょうとか、やれ家父長制が女性に向ける加害性がどうのと言われたら、しゃらくせえ、おまえらと真逆なことを言ってる候補者に投票してやるからな! となる気持ちも。
“高級な悩み”を持つことが悪いわけじゃないんだよね。それを、求めていない人にまで押しつけようとしてこなければ。
「私はマイノリティの人が生きやすい社会にしていきたい」ならいいんだけど、「だからあなたの言動はまちがってる。意識をアップデートしなさい!」と言われたら「うるせえそんなことは俺におまえと同じだけの財産を持たせてから言え!」と言いたくなるだろう。
自己主張について。
前半部分はよく聞く話だ。アメリカは自己主張しないと話を聞いてもらえない。日本のように「察してくれるよね」というスタンスでは永遠に伝わらない。
おもしろかったのは後半。あくまで著者の印象ではあるけれど、「とりあえず何か言う」「口先でうまいこと言う」になりがちというのは納得できる。就活の場とかそんな感じだよね。どっかで聞いたようなあたりさわりのない意見を、さも重大な意見であるかのように語る。
ぼくは就活のみんながとりつくろっている感じ(そしてお互いウソだと気づいていながら指摘せずにさも他人の言葉を素直に信じているかのような振るまうところ)がイヤでイヤでしかたなかったんだけど、アメリカではずっとあれをやっていなきゃいけないのか(あくまで印象)。つらいなあ。
「チョイス・フェミニズム」について。
チョイス・フェミニズムとは、女性が自分の人生において自由に選択を行う権利を尊重しようという考え方だそうだ。
だが昨今ではチョイス・フェミニズムに対して批判的な目を向けられているという。
げえ。気持ち悪い考え方!
選択は完全に「自由な意思」に基づいたものではなく社会の影響を受けている。そんなのあたりまえじゃん!
社会や家庭の価値観を受けずに考えた選択なんかあるわけないじゃない。社会的規範から完全に自由な意思が存在していると信じているなんてどうかしてる。
「専業主婦になる」という選択は家父長制の影響を受けているのかもしれない。そのとおり。でもそれと同様に「母になってもフルタイムで仕事を続ける」という選択はフェミニズムの影響を受けているかもしれない。
社会からの影響を無視できないから選択を手放しに肯定するべきではないというのであれば、専業主婦になった女性だけでなく働きつづけることを選んだ女性の選択にも疑問を持たないといけないよね。でもこういう人はそれはしないんだよね。
自分が気に入る選択は「女性の自由な選択だから尊重しよう!」で、自分が気に入らない選択は「それは家父長制の影響を受けてねじ曲げられた選択じゃないの?」って言いたいわけだ。きしょっ。
まちがっても「自分の意思でAV女優になることを選ぶ女性もいる」なんてことは認めたくないのだ。
この人が専業主婦やAV女優を嫌いなのはべつにいいけど、その選択を否定しちゃだめだよ。
自分の好き嫌いを正しい/まちがっているだとおもっている。人間誰しもゆがんでいる者だけど、自分が歪んでいることに無自覚な人ってたちが悪いよね。
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