2025年5月27日火曜日

半径1メートルの世代論

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 ある報道番組で、氷河期世代の特集をしていたらしい。

 そこに、氷河期世代のタレント二人がゲストとして出演して、「私たち氷河期世代の生きづらさ」を語っていたそうだ。

 番組は観ていないのだが、「自分の言葉として世代の苦しみを語ってくれていてほんとによかった!」という感想が多くSNSに投稿されていた。


 うーん……。

 番組を観ていないのでどんな番組だったかわからないが、その感想を見るかぎりは建設的な意見につながるとはおもえないなあ。

 アメトーークだったら「ぼくたち氷河期世代ってこんなにつらいことだらけなんですよー」「はい次、氷河期世代あるある~!」でいいんだけどさ。

 

 ゲストが「私たち氷河期世代の生きづらさ」をどれだけ語っても、それって結局「私の生きづらさ」、せいぜい「私と仲のいい数人の友だちの生きづらさ」じゃん。

 それはそれで価値がないとはおもわないけど、世代論ではないよね? だってあなたはあなたの世代しか生きたことがないんだから。


 人が「私たちの世代は大変だった」と語るときって、たいてい「私やその周りの人たち」と「他の世代のうまくいっている人たち」を比べてるんだよね。

 だって、うまくいっている人には、他の世代の「何もかもうまくいかなかった人たち」は見えないもの。


 同世代であればいろんな人の姿を見える。百社受けて全部落ちた一つ上の先輩。就職できずにずっと非正規で働いている同級生。引きこもっているらしいと噂で聞いたかつてのクラスメイト。精神を病んで自殺してしまった友人。

 自分の体験と知人の話を総合すれば、「つらい世代」エピソードはいくつも出てくるだろう。


 十歳上、あるいは十歳下の世代はどうだろう。「何もかもうまくいかなかった人たち」をどれぐらい知っているだろう。

 たぶん、(そういう人と関わる仕事をしていなければ)ほとんど知らないはずだ。なぜなら、“自分と歳の離れた引きこもり”は姿が見えないし噂にも聞かないからだ。

 我々がふつう関わる歳の離れた人は、自分と近い仕事をしている人だったり、誰かの親だったり、同じ趣味を楽しんでいる人たちだ。

 仕事や家族や趣味を通して他者とかかわる余裕のある人たちなんだから、ほとんどは「まあそれなりにうまくやっていけている人たち」だろう。


 だから我々は「自分たちの世代はつらかった」「他の世代はもっと楽に生きられた」とおもってしまいがちだ。実際にはどの世代にもそれぞれの苦しさがあるのに。

「あの世代は良かった」というとき、その世代のずっと孤独のまま死んでいった人たちのことは想像すらしないのだ。


 氷河期世代がつらくないとは言わない。

 でもそれは数々の統計的事実から明らかにすべきことであって、個人の「つらかった話」をいくら集めても世代論にはなりえない。


 その世代のタレントを呼んでつらかった思い出を語らせるのには、気の毒コンテンツとして楽しむ以外の効果はないんじゃないかなあ。


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