2017年7月31日月曜日

くだらないでこそ喧嘩する

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ぼくは妻がいて、ということは何年か前に結婚して、結婚前に8年交際して、で、その8年交際した妻という女性こそが、じつは今ではぼくと一緒に暮らしている女性なんです。
(「その女性が、今ではぼくの妻です」というオチの話をしたかった絶望的に話が下手な人)



ということで妻とは結婚前に8年付き合ったんだけど、その間、喧嘩らしい喧嘩を一度もしなかったのね。
どっちかが立腹することはあっても、その場で「あなたのこういうところが気に入らないから直してほしい」と伝えて、相手が謝罪するなり改善案を示すなりして、引きずらないように解決してきた。
だから「これこそが大人の付き合いってもんだよ。感情をぶつけあうなんてガキのやるもんだ。ぼくらは理性的な人間だから喧嘩とは無縁だ」って思ってた。

結婚式の準備をするまでは。


誰かが「結婚式はぜったいに揉める。そこで相手の人間性がわかる。それを見て、結婚を思いとどまるかどうか決める最後のチャンスだ。だからお金が許すかぎり結婚式はやったほうがいい」っていってたけど、いやあ真理だね。誰の言葉だったかは忘れたけど、言葉の内容はちゃんと覚えている。身に染みて痛感したから。


結婚式の準備もはじめは円満に進んだ。
なぜってぼくらの価値観はきわめて近かったからね。8年も付き合って、同じものを見て、同じ言葉で笑って、同じものを避けてきたからね。相手の好きなもの、嫌いなものをよく知っている。
結婚式の準備程度で揉めたりするわけないよね。

でもさ、やったことある人ならわかるけど、結婚式ってめちゃくちゃ決めることあるんだよね。
そりゃあさ、場所とか予算とか衣装とかは大事だから、いろいろ考えて決めるよね。
でもさ、「引き出物にかけるリボンの色はどれにします?」とか「歓談中の音楽はどうします?」とか「司会者の前に飾るお花についてなんですけど……」とかすっげえ細かいことまでいちいち相談されたら、さすがにむかついてくんのね。
うるせえよ、いちいち訊いてくんじゃねえよ、人間なんだからちょっとは自分で考えろよ、とか思うわけ。引き出物のリボンの色が青でも赤でも文句言わねえよ、って。
ぼくもいい大人だから、式場の人に「うるせえよ」とは言いませんよ。その人はいい結婚式にしようと思ってがんばってくれてるんだろうしさ。でも文句を言えない分、腹の中に鬱憤がたまってくる。

どうでもいいから一応1秒だけ考えたふりして「じゃあ……赤で」とか適当に答えてたんだけど、ぼくの妻(まだ結婚してなかったけど)はまじめな人だから、ひとつひとつに真剣に考えてんの。
「テーブルクロスの色はどうします?」って言われて3パターンぐらい見せられて、クロスのサンプルを手に取って眺めて、中空を見てちょっと想像して、また別のサンプルを手に取って、また考えて、さっきのやつもう一回手に取って、そんでこっちに向かって「うーん……。どうする?」って、それだけ考えてまだ決められへんのかーい!
ってなわけでその時点でかなり腹立ってきてね。他人の結婚式行って「いい式だったねー、テーブルクロスの色も2人のイメージによく似合ってたし」「ご祝儀3万円出してあのテーブルクロスの色はないわー」って思ったことあんのかよ、って言いたくなったけど、すんでのところでこらえたのね。

もうこんなことに1秒だって頭を悩ませたくないと思って、一番左のやつを指さして「ぼくはこれがいい」って言って、決めたのね。紫のテーブルクロス。べつに茶色でもグリーンでもなんでもよかったんだけどね。

その後またあれこれ決める時間が続いてね。招待状のデザインはどれにするかとか、司会者の胸につけるコサージュはどうするかとか、心底どうでもいい決断を迫られてね、「一刻も早く終わらせたい」って思いながらいろいろ決めていってた。
そしたら妻が言った。

「さっきのテーブルクロスだけどさ、やっぱりグリーンのほうがいいな」


そんでね、もうキレちゃった。
ふだん声を荒げることとかないんだけどね。付き合って8年、一度も声を荒げたことないんだけどね、自分でもびっくりするぐらいガラの悪い声で「ハァ!?」って言葉が出た。
「ただでさえどうでもいいことにこれだけ時間使ってんのに、一度決めたことを覆す? それやってたら永遠に終わらんやん。一生テーブルクロスとコサージュについて悩みながら過ごす気か!? ふざけんなよ」
みたいなことが口をついて出た。
「一回紫のに決めたんだから、ぜったい変えない!」と宣言した。

ちっちゃい人間だな、って思うよね。
ぼくもそう思う。ていうかそのときも思った。
ちっちゃいことで怒ってんなーって自分を客観的に見ていた。どっちでもいいよって言えよ、って思ってた。たかがテーブルクロスじゃないか。
でも、たかがテーブルクロスで揉めないといけないことに腹が立った。
8年喧嘩せずにやってきたのに、最初の喧嘩がテーブルクロスの色をめぐってかよ、って。

すっごくくだらないことに腹を立てて、くだらないことに腹を立てていることに腹が立った。





で、結婚して数年たった今だからわかるんだけど、人間ってくだらないでこそ喧嘩するんだよね。
住居選びのこととか仕事のこととか子どものこととか、重要なことをめぐっては意見が食いちがうことはあっても意外と感情的な衝突にはならない。
大事なことだから落ち着いて理性的に話そう、相手の意見もちゃんと聞き入れようって気になるんだよね。

でも「牛乳をこぼしたのは誰か」「トイレのスリッパをそろえないのはなぜか」みたいな些末な問題だとそういう意識ははたらかない(どちらも我が家で大喧嘩に発展したテーマだ)。
ちっちゃな問題だからどっちが悪くてもいいからさっさと頭を下げてしまえば済む話なのに、相手に対して「どうでもいいことなんだからさっさと非を認めろよ」と思ってしまい、結果、話し合いはこじれてしまう。


結婚式は、くだらないことの集合だ。
指輪の交換もケーキ入刀も無理やりケーキ食わすやつも余興も新婦の両親への手紙も退場したはずの新郎新婦が出口で待ち構えてて美味しくなさそうなクッキーを押しつけてくるやつも、ぜんぶやらなくてもどうってことない。
しかしそのくだらないことにこそ意味があるのではないだろうか。結婚生活はくだらないことの積み重ねだ、しかしくだらないことにこそ気を付けなければならない、ということを結婚式は教えてくれるのかもしれない。



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