2019年5月15日水曜日

仕事の愚痴


仕事で、とある会社と揉めた。

「〇〇をやってほしいんだけど」と言われて相談に乗っていたのだが、採算に見合わないと判断したので「やっぱり受けられません」と断った。

すると、相手の会社の担当(おじいちゃん)が怒りだした。
「ここまでやったのだから最後まで責任を持つべきでしょ!」と。

メールで断ったのだが、何度も電話をしてくる。
言った言わないの話になるとややこしいので文書でやりとりしましょうよといったのだが、おじいちゃんはメールが苦手なのか、しつこく電話をしてくる。

「契約も交わしていないしお金も受け取っていないので、うちが仕事を受ける義務はありません」
と言っても、
「契約の問題じゃないでしょ。道義の問題でしょ。ビジネスマナーの問題でしょ。やりなさいよ!」
と、ずっとわめいている。

ずいぶん都合の良いビジネスマナーだ。

こちらがあれこれ説明しても、一切聞く耳を持たない。
ずっと一方的にまくしててている。

「いくら出せばやってくれますか」とか「どこまでならやってくれますか」とかならまだ交渉の余地もあるのだが、おじいちゃんの言うことときたら「やってくれないと困る!」「おたくには信義がないのか!」などの自分の都合&精神論ばかりなので、てんで話にならない。

あまりにしつこいので、受話器をデスクに置いてみた。

3分ぐらいして「そろそろ切れたかな?」と受話器を耳にあてたら、おじいちゃんはまだしゃべってる。
相手の反応など一切おかまいなしなのだ。すごい。

相手の話聞く気ないなら電話じゃなくてメールにせえよ。せめてFAXか。


「メールじゃ細かいニュアンスが伝わらないので」と言って電話してくるやつって、細かい調整をする気なんかさらさらなくって、ただ自分の言いたいことを言うだけだよね。例外なく。


2019年5月14日火曜日

授業を聞かないほうが成績がよくなる


耳から入ってくる情報の処理が苦手だ。

脳のはたらきの問題だろうか。
耳から入ってきた情報が、ぜんぜん脳に定着しない。

子どもの頃から「人の話を聞かない子」と言われていた。
じっさい、そのとおりだった。
授業なんてまるで聞いていなかった。
中学校のとき、英語のテストで満点をとったのに通知表の評価が「9」だった(10段階評価で)。
「テストが100点で提出物もぜんぶ出してるのになんで10じゃないんですか」と抗議したら、「だって授業態度が悪すぎるから」と言われた。
よっぽど態度が悪かったのだろう。不良でもないのに。

高校のとき、数学の先生が言った。
「もうわかっている、という人は授業にあわせなくていい。ぼくの授業のときはどんどん教科書を読みすすめてくれてええで」

言われたとおりに、ぼくは授業を聞かないことにした。
教科書を読みすすめ、問題集を解いた。
授業で取りあげるまえに問題を解いて、授業を聞きながしながら問題を解き、テスト前に問題を解いた。同じ問題を三回ずつ解いた。

それからだ。
ぼくの成績が飛躍的に伸びたのは。

高二のときに数Bのテストが五回あったが、五回とも百点だった。
数Ⅱでも五回中三回百点をとった。

ぼくはやっと気づいた。
授業を聞かないほうが成績がよくなる、と。



そのとき、今までのあれやこれやの謎がとけた。

わかった。ぼくは人の話を聞けないんだ。

小学生のときは忘れ物が多かった。
先生が黒板に「もちもの:コンパス」と書いてくれたときは大丈夫だったが、「明日は雑巾を持ってきてください」と言われたときはダメだった。

「何回注意されても同じミスをする」と叱られたことも一度や二度ではない。

言語だけではない。

音の高低がわからない。もちろん音痴だ。
合唱コンクールの練習でまじめに歌っていたのに「ちゃんと歌いなさい」と注意された。

外国語の発音やアクセントがよくわからない。
学生時代、英語の成績は良かったが、発音・アクセントだけはまるでダメだった。

小説や漫画を読むのは好きだが、ドラマやアニメは楽しめない。洋画は字幕のほうが楽だ。

すべてが一本につながった。
そうか。ぼくの脳は、音を処理するのが人より苦手なんだ。


苦手なものはしかたがない。だが自分の苦手がわかれば対策が立てられる。

数学以外の教科も、勉強のやりかたを変えた。
授業を聞いて理解することは一切あきらめた。
英語の授業中は古文の勉強をし、古文の授業では世界史の教科書を読み、世界史の授業中には化学の問題を解いた。

わざわざ他の教科の勉強をしたのは、教師の声を完全にシャットアウトするためだ。有機化学の問題を解いているときに無機化学の話をされるより、世界史の話のほうが無視しやすい。

ぼくは塾には通っていなかったが進研ゼミ高校講座をやっていた。
これも自分にあっていた。
人の話を聞くのは苦手だが、読んで理解するのは得意だ。
文字とイラストだけですべて説明してくれる進研ゼミは、ぼくのような人間にはありがたい。

成績はぐんぐんよくなっていった。
ほとんどの教科で学年トップクラス。悪いのは音楽だけだった。



あのとき「授業を聞かなくてもいい」と言ってくれた教師には感謝している。
ぼくだけに向けたアドバイスではなかったが、たまたまぼくの能力にはぴったりとあっていた。

大学進学後も、就職してからも、自分の不得意分野を把握していることは役に立った。

身につけたい知識は文字で読むようにする。
おぼえなきゃいけないことは文字にする。
人とやりとりするときは会話ではなくなるべく文書でやりとりするようにする。

苦手なことにリソースを割かなくてよくなった。


そんなぼくにとっての天敵は「すぐ電話してくる人間」だ。
「話したほうが早いから」という身勝手な理由で、メールやチャットでできる話を電話でやろうとする人間。
「メールじゃ正確に伝わらないから」というむちゃくちゃな理由で電話してくる人間(こういう人間が電話で正確に伝えてきたためしがない)。

こういう人間とはとことん相性が悪い。
たぶんぼくが耳からの情報をうまく処理できないように、連中も文字による情報を処理できないのだろう。

相性が悪いのがわかりきっているから、「すぐ電話人間」とは極力かかわらないようにしている。

……という判断ができるようになったのも、自分の苦手を把握できるようになったからだ。

2019年5月13日月曜日

一世代下から見た団塊ジュニア世代

団塊ジュニア

団塊ジュニア(だんかいジュニア)とは、日本において、1971年から1974年までに生まれた世代。ピーク(1973年)は210万人、団塊ピーク(1949年)の270万人より少し少ない。第二次ベビーブーム(ベビーブーマー)世代とも呼ばれる。
出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


団塊ジュニア。
いわゆる第二次ベビーブーマーであり、いわゆるロスジェネ世代である。就職氷河期世代とも言われる。
とにかくいろんな名前がついている。

親世代が「団塊の世代」。
人数が多いことで受験や就職の競争率は非常に高かった。
中高生頃にバブルを経験。
しかし大卒者が社会に出る頃にはバブルははじけて就職氷河期まっただなか。
不況の中で二十代を過ごし、今でも非正規雇用労働者も多い。
結婚率・出生率も低かったため、ついに第三次ベビーブームは来なかった。
年金もいつもらえるのかわからない。

……という世代。

つくづく(全体で見ると)不運な世代だと思う。

ちなみにぼくは1980年代中頃の生まれ。団塊ジュニアの一世代下だ。
自分たちが恵まれた時代に生まれたとは思わないが、「団塊ジュニアよりはマシか」と思う。それぐらい団塊ジュニアは不遇な世代だ。



以下、「個人的観測範囲」による「ざっくりした傾向」に基づく話。

団塊ジュニアのなにが気の毒って、いちばん「理想と現実のギャップ」を大きく感じているのがこの世代なんじゃないだろうか。

団塊ジュニアの親世代(団塊の世代)は、高度経済成長期・バブルを生きてきた世代。たくさん働いてたくさん稼ぐ。決して楽な生活ではないけれど、がんばればいい暮らしが手に入る。明日は今日よりいい日に決まっている。若いときに一生懸命働けば老後は明るい。
こういう価値観が、子ども世代に与えた影響は大きいだろう。

ところが団塊ジュニア世代が生きる時代は「がんばればいい暮らしが手に入る」ではなくなった。
がんばっても運が良くないとダメ、がんばらないともっとダメ。がんばろうにも職がない。あっても非正規。自分が食っていくのがせいいっぱいで、家族を食わしていくことなんてもってのほか。結婚も出産も贅沢品。
消費税や社会保険などの負担は増える一方。年金はいつもらえるのかわからない。

「がんばったからといっていい暮らしが手に入らない」のはもっと下の世代も同じだが、下の世代はそもそも期待をしていない。
ものごころついたときから日本は衰退しているので、「こういうもんだ」と半ばあきらめの境地にある。

団塊ジュニア世代は好景気や年金受給などの恩恵にもあずかれず、かといってかつては標準的な暮らしだった"高い理想"は捨てられない。

つくづく気の毒な世代だと思う。



団塊ジュニアはぼくの一世代上なので、接することも多い。

年齢の離れたいとこ、バイトの先輩(のフリーター)、会社の先輩(あるいは年上の後輩)。

見ていて感じるのは、70年代生まれと80年代生まれには「物欲」に大きな差があるなということ。

もちろん個人差はあるが、70年代生まれは物欲が強い人が多い。
「たくさん稼いでたくさん使うのが豊かな生活だ」と信じている、というか。

80年代生まれはお金や物質にそこまで執着しない人が多いんじゃないかな。モノの豊かさ=心の豊かさじゃないよ、と言われて育ったので。


ぼくは、団塊ジュニア世代から何度か「若いうちは遊ばなあかんで」とか「ぱーっと金使っていいもの買うのも大事やで」と言われた。

(なにいってんだこいつ)とおもいながら「はあ」と適当に聞き流していた。これもまた世代格差のひとつの表れかもしれない。

団塊ジュニア世代より上は「たくさん稼いでたくさん使う」、団塊ジュニア世代より下は「少なく稼いで少なく使う」、という価値観が主流だとおもう。

だが団塊ジュニアは、「少なく稼ぐがたくさん使いたい」ではなかろうか。

この価値観と現実のギャップこそが、団塊ジュニア世代を不幸にしている最大の要因じゃないかなあ。

2019年5月10日金曜日

【読書感想文】主婦版サラリーマン小説 / 加納 朋子『七人の敵がいる』

七人の敵がいる

加納 朋子

内容(e-honより)
編集者としてバリバリ仕事をこなす山田陽子。一人息子の陽介が小学校に入学し、少しは手が離れて楽になるかと思ったら―とんでもない!PTA、学童保育所父母会、自治会役員…次々と降りかかる「お勤め」に振り回される毎日が始まった。小学生の親になるって、こんなに大変だったの!?笑って泣けて、元気が湧いてくる。ワーキングマザーの奮闘を描く、痛快子育てエンターテインメント。

PTA役員、学童保育の父母会役員、自治会役員……。
こういうの自分とは無縁とおもっていたけど、そうも言っていられなくなった。

一昨年、長女の保育園の役員をした。
去年と今年は住んでいるマンションの住民会の役員をしている。
来年、娘は小学校。学童保育にも入れるつもりなので、そこでも諸々の役員業務がついてまわるだろう(個人的にはPTAは入会拒否したいのだが妻は「子どもの立場があるから……」と及び腰だ)。次女も保育園に行くから、そこでも役員はまわってくる。
うちは共働きだが、保育園や学童保育に通わせている家庭なんてみんな共働きなのでそんなことは言い訳にならない。なにしろシングルマザーとか三つ子とかもっとたいへんな家庭も役員をやっているのだ。


しかしなあ。
役員会というのに出席したことあるけど、ほんとに効率悪いんだよなあ。
マニュアルがなくて口頭の伝達、前年の反省がまったく活かされない、役員自身が何をやるのかわかっていない……。
「波風を立てたくない」「なんとか今年さえ乗り切ればあとはどうでもいい」という事なかれ主義が蔓延していて、誰も改善とか効率化とかをしようとしない。そして令和時代になっても旧弊が代々受け継がれてゆく……。
まあぼくも旧弊を翌年にバトンタッチしている人間のひとりなのでえらそうなことは言えないけど……。

だって効率化したって自分には何の得もないもん。マニュアル作ったり改革を手がけたりしたって、翌年以降が楽になるかもしれないけど自分は苦労するだけだもん。

ねえ。ほんとなんとかならんのか。
お金で解決できるんじゃないの。
保育園の役員なんて、いっそ仕事にしたらいいのに。近所の年寄りにパートタイムで働いてもらって。
土曜日や平日の昼間をつぶされるぐらいだったらいくらか払うし。


ぼくは「そんなに親しくない人に嫌われてもかまわない」という人間なので、PTA脱退とか「役員やりたくありません」と断るとかもぜんぜん辞さない覚悟だけど、「そのせいで娘が居心地悪くなるかも……」とおもうとやっぱり気が引ける。
できるだけ穏便に、少々の面倒なら引き受けてでも波風を立てず……とおもってしまう。

『七人の敵がいる』には「子どもを人質にとられている」という表現が出てくるけど、これは言い得て妙。
子どもの立場を考えると言いたいことも言えず……って人が多いから悪習がいつまでも続いてしまうんだろうな。

(自分以外の誰かが)なんとかしてくれ、とおもっているだけじゃいつまでたっても変わらない。
自分の子が小学校に入ったときは(あまり敵をつくりすぎない範囲で)戦うぞ、とこの小説を読んで弱く決心した。



幼い子を持つぼくにとってこの題材はすごくおもしろかったけど、小説としてはちょっとものたりない。

勧善懲悪的なスカッとするストーリー、主人公を筆頭にわかりやすく直情的な登場人物、はじめは嫌なやつと思っていた人も腹を割って話してみればみんないい人……と朝ドラを観ているよう。
月曜日に問題が発生しても土曜日には解決してる、みたいな(朝ドラってそんなイメージ。あんまり観たことないけど)。
人物に深みがないし、そんなうまくいくかよと言いたくなることばかり。

これはあれだな。
主婦版のサラリーマン小説だな。『PTA役員・島耕作』だ。

【関連記事】

【読書感想エッセイ】 川端 裕人『PTA再活用論―悩ましき現実を超えて』



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2019年5月9日木曜日

マンション住民会における老人のふるまい

マンションの住民会というのに出席した。

役員紹介、昨年度の住民会の取り組みの報告、昨年度の収支報告。
一切波風の立たない退屈な進行。
ぼくは、もらった資料の余白に「ごんべんの漢字」を思いつくだけ書いて時間をつぶしていた。

問題が起こったのは、今年度の予算報告のときだ。
会計担当のじいさんが予算報告をすると、窓際に座っていたじいさんが異議を申し立てた。

親睦費に対してお金を使いすぎじゃないかという内容だ。

「毎年この金額でやっておりますので……」と会計じいさんが答えると、窓際じいさんが「毎年予算オーバーしてるんだから見直すべきでしょう」とつっこむ。

「ではこの点については検討します」と会計じいさんが逃げようとすると、窓際じいさんが「それを検討するのがこの場でしょう」と追い詰める。

なかなかスリリングな攻防だ。
他の出席者も「予算見直したほうがいいんじゃないでしょうか」などと言い、窓際じいさんが優勢だ。

ぼくはにやにやしながら眺めている。
親睦日の内訳を見ると「親睦旅行等」と書いてある。
要するに住民会の役員を中心とする老人たちが会費で旅行に行ってるんだろう。
あまり感心したことではないが、みんなやりたがらない役員をやってくれているのだからそれぐらいの役得があってもいいんじゃないか、ともおもう。
つまり「どっちでもいい」。

しかしジジイ同士の口論はなかなか見られるものではない。
こっそり机の下でスマホを取りだし、家にいる妻に「やべー。めっちゃ紛糾しとる」とLINEを送った。笑顔の絵文字入りで。

十分ほどの闘いは、窓際じいさんの勝利に終わった。
会計じいさんは来年度予算を修正することに合意し、後日訂正した資料を配布することを約束させられた。

だが窓際じいさんは満足しなかった。
再び手を挙げて「祭事費用についてなんですが、これについても予算をオーバーしておりますが……」と言いだした。

うへえ。
会計じいさんはもちろん、その場にいた全員が「もういいぜ」という気分になった。
さっきまでは窓際じいさんの見方についていたのに「まだやんのかよ」「ちょっとぐらいの超過はいいだろ」という空気になった。
露骨にためいきをついたり時計を見たりする人もいるが、窓際じいさんは気にも留めない。
やべえ、会計のごまかしを見抜くスーパー監査じいさんかとおもっていたら、単にケチをつけたいだけのクレーマーじいさんだった。



住民会の間、もうひとつ気になったことがある。

ばあさんたちがずっとおしゃべりをしているのだ。

びっくりした。
住民会がはじまるまでの間しゃべっていて、会長のじいさんが「ただいまより住民会をはじめます」と宣言している間もずっとしゃべっていて、活動報告や収支報告をしている間もずっとしゃべっている。
しかも一切ボリュームを落とさず。

「人が前に出てしゃべっているから静かにしよう」という意識が微塵もない。
一度しゃべりだしたら止まれないのかとおもうぐらいしゃべりつづけている。

ごんべんの漢字をおもいつくかぎり書いていたぼくですら、「人が前に出てしゃべっている間は静かにする」という最低限のルールは守っていた。
五歳の娘を連れていったのだが、五歳児ですら静かにえほんを読んでいた。ぼくに話しかけるときは声をひそめていた。
保育園児ですらできることなのに、このババアたちには「人が前に出てしゃべっている間は静かにする」ができないのだ。

呆れるのをとおりこして感心した。
すげえな。
このばあさんたち、義務教育受けてないのか? 人が話している間は静かにしようって尋常小学校で教わらなかった? それとも寺子屋?

加齢とともに体力と常識が落ちたのか、耳が遠いのか、声のボリューム調整機能がぶっこわれたのか、それともそのすべてなのかしらないけど、とにかくすげえな。


で、前に立って報告しているじいさんのほうもおかまいなしなのね。
自分が報告している間、ずっとボリューム大でババアが鳴っているのに、いっこうに気にしないの。
怒鳴るまではしなくても、にらみつけるとか静まるのを待つとか一切なく、ずっと話している。

加齢ってすごいな。何も気にならなくなるのかな。



そういえば、母が昔町内会の役員をやっていたのだが
「町内会のじいさまたちはなかなかのものよ」
と語っていた。

なんでも、町内会長などをやりたがるじいさんたちは権威欲も強いので、まず人の話を聞かないし、すぐにじいさん同士でぶつかるそうだ。

そして口論になると、最終的には
「私は〇〇社の経理部長をやっていたからわかるんだが……」とか
「〇〇さんは高卒だから」
とか言いだすのだという。七十歳を過ぎたじいさんたちが。

ひゃあ、それは相当な地獄絵図だなあ。


近くにいないと「お年寄りを大切に」なんて言えるけど、いざ関わってみるととてもそういう気分にはなれないなあ。