2018年11月24日土曜日

お金を出さなくてもいい生活


そりゃお金はほしいけど、もっとほしいのは「お金を出さなくてもいい生活」なんだ。

懐を痛めたくないんだ。ほんのわずかでも。
小学生のとき、百円は大金だった。でも今ははした金だ。だから百円を出すことに躊躇しない。
とはいえ百円が惜しくないわけじゃない。百円を落として転がっていったら走って追いかける。排水溝に落ちちゃったら「あぁ……」と思う。拾えそうなら拾う。拾えなかったら悲しむ。涙は流さないけど心では泣く。号泣。

もしぼくが一兆円の資産を持っていたとしても、二千円のひるめしを食うときは「ひるめしに二千円か……」という気持ちがよぎるだろう。
いくら持っていたって、出ていくお金は少しでも少ないほうがいい。


大阪にスパワールドという施設がある。
ぼくはスパワールドが大好きで、しょっちゅう行く。
プールや風呂や岩盤浴を楽しめるのももちろんいいんだけど、中でお金を使わなくていいというのがすごくいい。
入場時にリストバンドみたいなのを渡される。中で買い物をするときはそれをかざすだけでいい。ご飯を食べるときもビールを買うときもマッサージをされるときも、リストバンドを見せるだけでいい。これがすごく快適なのだ。お金を払わなくていいのがこんなにストレスフリーだなんて。
とはいえ、あたりまえだけど帰るときには使った分を精算しないといけない。それがなくなればもっといいのに。


だからお金をくれるんじゃなくて、代わりにお金を出してくれる人がほしい。
とはいえ、お金を払ってもらうたびにいちいち「あれ買ってもらってもいいですか」とか「ありがとうございます」とか気を使いたくない。

だから何でも買ってくれるおとうさんがほしい。当然のようにぼくの分も払ってくれて、ぼくがお礼を言わなくても嫌な顔ひとつしないおとうさん。
ぼくは一円も持たずに出かける。レストランに入って、値段も見ずに注文をする。食べおわった後、おとうさんがレジでお金を払っているのに「ねえ、早く行こうよ!」とわがままを言う。そういう生活がしたい。

今ぼくが娘にされているように。
いいなあ、娘は。代わりにお金を出してくれるおとうさんがいて。


2018年11月23日金曜日

ツイートまとめ 2018年9月


民主主義

仮面

バリウム

眉毛

サブ機能

フィルム

いっせい

株式会社

カメムシ


無神経

質問

うしろまえ

スポンサー

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ゾンビ

保存用

娘語

重さ

信者

KWANSEI

ジャニーズ

Eテレ

デモ

2018年11月22日木曜日

【読書感想文】「今だけ、カネだけ、自分だけ」の国家戦略 / 堤 未果『日本が売られる』


『日本が売られる』

堤 未果

内容(e-honより)
水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!
他の国に住んだことがないので断言はできないけれども、なんだかんだで日本は住みやすい国だと思う。少なくとも日本人にとっては。
治安はいいし、教育水準も高いし、水道水は飲めるし、高度な医療を安いお金で受けられるし、そこそこ仕事もあるし、おいしいものも食べられるし。

しかし、今後そういったものはどんどん失われていく。
『日本が売られる』で書かれていることは警鐘ではない、なかば決定事項だ。
潤沢な水、高い教育、おいしくて安全な食べ物、高度な医療介護制度、そういったものが外国の資本家にどんどん売られている。ほかでもない、日本政府によって。

水、種子、農地、漁業権のような命にかかわるものから、教育や福祉といった豊かな生活に欠かせないものまで、次々に「規制緩和」の名のもとに大企業にとって有利な法律がつくられてゆく。生産者も消費者も得をしない、ただ株主だけが得をする法律。
そして先人たちが築いてきた金銭には換えられない財産がどんどん外国資本に売られてゆく。
読んでいるとだんだん背筋が冷たくなってくる。腹が立つ。なにもできない自分にむなしさをおぼえる。そして悲しくなる。国民の生活のことなど歯牙にもかけない政府を戴いていることに対して。

『日本が売られる』では「今だけ、カネだけ、自分だけ」というキーワードがくりかえし出てくる。
これはまさに投資家の論理だ。ほとんどの投資は儲けるのが目的だし、誰かが損をしないことには自分は得をしない。そして利益をもたらしてくれるのは今だけでいい。いずれダメになっても、その頃にはもう自分は売り抜けているから。

株式市場だけでやる分には「今だけ、カネだけ、自分だけ」でもいいのだろうが、それがわれわれの生活、特に公的インフラや医療や教育や環境のような長期的スパンで安定した結果が求められるものにはまったく向いていない。
「やってみてあかんかったからやめよーっと」というわけにはいかないのだ。投資家からしたら「もう日本はあかんわ。まともに人が住めるとこじゃなくなったわ。手を引こう」で済むだろうが、そこに住みつづけるわれわれは困る。

だからこそ国家というものがあり、国民の暮らしを守るために規制をかけたり富の再配分をおこなったりする。
ところが、その国家が先陣を切って「今だけ、カネだけ、自分だけ」を実践しているのだ。涙が出る。

国土が未曽有の水害に見舞われているときにカジノ法案を通すような政党が与党であるかぎりは、いつまでもこの状態はつづくだろう。



自動車やアニメなんかはどれだけ外国製品が入ってきてもかまわない。だからどんどん自由競争でやったらいい。
しかし教育やインフラは安ければいいというものではない。「消費者が複数を比較して自分にあったものを選択する」ことができないものだから、取返しのつかない事態になるまえに国家が保護しなければいけない。

だが、今の日本は逆のことをやっている。失うわけにはいかないものをどんどん叩き売っている。

その最たるものが水道だ。
2018年、水道民営化を進めるための水道法改正案が衆議院で可決された。
諸外国では、水道事業を公営化する動きが進んでいる。民営化させたら、料金が上がった、災害への復旧が遅くなった、水質が悪化したなどの悪影響が相次いだためだ。
あたりまえだ。
「民営化すれば効率化する」というのは、競争の原理がはたらくためだ。だが水道は民営化しても競争は起こらない。携帯電話会社のように「複数の水道の中から自分にあった一社を選ぶ」ことはできない。
地域内で一社独占になるのだから、利益を追求する民間企業が水道事業をするなら
「料金は払えるかぎりぎりぎりまで高く、水質はぎりぎりまで落とす。料金を払わない家庭に対しては即座に供給を停止する」が最適解となる。

民営化していいことなんてひとつもないと誰だってわかる。おまけに生命維持に直結するものだから「やってみてダメだったら元に戻そう」というわけにはいかない。
 民営化して米資本のベクテル社に運営を委託したボリビアの例を見てみよう。
 採算の取れない貧困地区の水道管工事は一切行われず、月収の4分の1にもなる水道料金を 「払えない住民が井戸を掘ると、「水源が同じだから勝手にとるな」と、ベクテル社が井戸使用料を請求してくる。
 困った住民が水を求めて公園に行くと、先回りしたベクテル社が水飲み場の蛇口を使用禁止にし、最終手段で彼らがバケツに雨水を溜めると、今度は一杯ごとに数セント(数円)徴収するという徹底ぶりだった。
それでも日本は世界の潮流に逆行して、水道の民営化を進めている。
喜ぶのは外国資本と投資家だけ。
「日本人は水と安全はタダだと思っている」といわれているが、そんな幸福な時代はもうすぐ終わりを告げるだろう。



高野 誠鮮・木村 秋則『日本農業再生論 』にも書かれていたが、日本人の多くは日本の農産物は安全と思っているが、外国からは「日本の農産物は農薬基準がゆるすぎるので危険」と思われているらしい。
 アグリビジネス業界にとって、頼れる味方はアメリカ政府だけではない。
 助け舟を出したのは、他でもない日本政府だった。
 翌年2017年の6月。農水省はグリホサート農薬の残留基準を再び大きく緩めることを決定し、パブリックコメントを募集し始める。
 今回はトウモロコシ5倍、小麦6倍、甜菜75倍、蕎麦150倍、ひまわりの種400倍という、本家本元アメリカもびっくりの、ダイナミックな引き上げ案だ。
 遺伝子組み換えでない小麦は本来グリホサートを使わないが、収穫直前にグリホサートを直接かけて枯らすと刈り取りやすくなるために、使う農家が増えている。よって小麦の残留基準 も6倍に上げられることになった。これで農家は小麦にも、遺伝子組み換え大豆よりも多い量のグリホサートを、たっぷり使えるようになる。
本来なら食の安全を守る立場にある農水省が、海外の農薬や種子会社が参入しやすいよう、規制をどんどん緩和しているそうだ。

ぼくらが何も知らずに「国産野菜だから安心」なんて思っているうちに、いつのまにか日本産は外国産よりも危険な食べ物になっているのだ。

この本の後半には、ロシアが国家をあげて自然栽培に舵をきりつつある姿が書かれている。
ロシア野菜に安全なイメージなんてまったくなかったけど、今後は変わってくるのだろう。
こういうとき、一党独裁国家は強い。
民主主義国家が目先のカネさえ稼げればいいと思って国土を切り売りしている間に、国家一丸となって長期的なビジョンに向かって突き進めるのだから。

中国やロシアのような一党独裁がいいとはいえないが、もしかしたら資本主義国家も似たり寄ったりなのかもしれない。国家が支配するか資本家が支配するかの違いだけで、一般国民の生活はさほど変わらないのかもしれない。いや、案外一党独裁国家のほうが「なにがなんでも国を守ろうとする」だけマシかもしれない。



この本の最後には、イタリアの五つ星運動など、「国を売らせない」ために行動をはじめた人たちの取り組みが紹介されている。
かすかな希望だ。だが『日本が売られる』に書かれているのは1%の希望と99%の絶望だ。
堤 未果『日本が売られる』より

堤 未果『日本が売られる』より

国の財産を売るための法律がどんどんつくられているのはもちろん国会の責任だが、国会議員以外の国民も無関係ではいられない。
そういう政治家を選んだのはわれわれだし、なにより消費者が目先の安いものをありがたがっているうちは、「日本が売られる」傾向はこれからもつづいていくだろう。
消費者が「高くても安全なものを買う」という意思を表示していれば、企業も質のいい財やサービスを提供せざるをえない。

ぼくは少し前から、生産者からの直販などでなるべく無農薬栽培のコメや野菜を買うようにしている(ときどきだけど)。
些細なことかもしれないけど、こういうことが少しでも「日本が売られる」を防ぐことにつながればいいなと思う。

【関連記事】

【読書感想文】日本の農産物は安全だと思っていた/高野 誠鮮・木村 秋則『日本農業再生論 』

アメリカの病、日本の病



 その他の読書感想文はこちら


2018年11月21日水曜日

きれいにするやつが汚い


歯ブラシの毛と毛の間に食べ物がはさまる。根本付近に緑色のものがはさまってる。
水圧で取ろうと蛇口の下にもってくる。とれない。
歯ブラシを掃除するためのブラシがほしい。歯ブラシブラシ。

そういえば小学校の掃除道具箱には、剣山みたいな形の「ほうきの隙間に詰まったごみを取るための道具」があった。なんて名前か知らないが。
あれのちっちゃいやつがほしい。


洗面所の排水口。
持ちあげてみるとすごく汚い。髪の毛やらぬめぬめしてる何者かやらがへばりついてる。
んげえ。
指先で取ろうとするがうまく取れない。ぬめぬめとした嫌な感触だけが手に移る。
ティッシュで拭こうとするが、ティッシュが破れるだけでやはりうまく取れない。
あーもう。何もかもが嫌になって、蛇口の下に持っていって水圧で流す。髪の毛やらぬめぬめやらがいっぺんに流れていく。
はじめからこの排水口部分いらなかったんじゃねえか。一回せきとめる必要なかった。


掃除機がくさい。
いろんなごみを吸いこんで溜めこんでいるんだもの。小さい虫を吸いこんだこともあった。
紙フィルタは捨てられるけど、ノズルやホースの部分にもいろんなものがくっついているのだろう。
ノズルとホースを風呂場に持っていって洗う。
いったい何をやってるんだ。こいつはきれいにするための道具なんじゃないのか。なんでぼくがこいつをきれいにしてやらなきゃいかんのだ。


2018年11月20日火曜日

走れシンデレラ


シンデレラは激怒した。必ず、かの城でおこなわれるパーティーに参加せねばと決意した。シンデレラには舞踏がわからぬ。シンデレラは床を拭き、継母や姉のために料理をつくって暮して来た。けれどもパーティーに対しては、人一倍に敏感であった。

「私は、ちゃんと炊事洗濯をする覚悟で居る。ただ――」と言いかけて、シンデレラは足もとに視線を落し瞬時ためらった。
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、夜十二時までの日限を与えて下さい。パーティーに出席したいのです。十二時までに、私はお城でダンスを踊り、必ず、ここへ帰って来ます」

「ばかな」と魔法使いは、嗄しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」

「そうです。帰って来るのです」シンデレラは必死で言い張った。「私は約束を守ります。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、十二時の鐘が鳴りおわるまでにここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい」

それを聞いて魔法使いは、残虐な気持で、そっとほくそえんだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩やつばらにうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。十二時の鐘が鳴りおわるまでに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。炊事も洗濯も、永遠にゆるしてやろうぞ」
「なに、何をおっしゃる」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」



夜中十二時を告げる鐘が鳴った。
シンデレラは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。

若いシンデレラは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。途中、ガラスの靴が脱げるのもかまわず走った。

「待て。その人を殺してはならぬ。シンデレラが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄がれた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼女の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。シンデレラはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、「私だ! 殺されるのは、私だ。シンデレラだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「シンデレラ、君は、裸足じゃないか。早く靴を履くがいい」
シンデレラは、ひどく赤面した。