2018年10月19日金曜日

おまえのかあちゃんでべそと言われた大臣の国会における答弁


まず第一に指摘しておきたいのは、わたしのことをおまえ呼ばわりするだけならいざしらず、わたしの母を「かあちゃん」などとなれなれしく呼ばないでいただきたいということです。

わたしはふだん母のことを「おかあさん」と呼んでおり、他人に向かって言うときは「母」、もしくは親しい友人にかぎってのことですが「うちのオカン」などと呼んだりもしますが、「かあちゃん」などと呼ぶことはありません。

幼少期においてはそのような呼称を用いた可能性は否定できませんが、少なく見積もってここ数十年はそのような呼び方を用いたことはなく、実子であるわたしですら用いない呼び名を母とほとんど面識もないあなたに軽々しく用いられたくないということはここではっきりと申しあげておきたいと思います。


またわたしの母がでべそだという点についても反論を申しあげます。

母のプライバシーにも関わる話ですのでこのような場で母のへそがどういったものであるかを言及するのはわたしとしても心苦しいのですが、包み隠さずお話することが母の名誉回復にもなると考えましたので特別に母の許可を取って説明させていただきます。

わたしの母、もう八十を過ぎておりますが、いたって元気で小学生の通学路に立って毎朝見守り活動をしております。
あなたの「おまえのかあちゃんでべそ」という発言を受け、今月九日、母にお願いしておへそを見せてもらいました。母のおへそなど見るのはもう何十年ぶりのことだと思います、いささか照れくささもありましたが事実確認をせずに国会で述べることはわたしの本意ではありませんので確認させてもらいました。
わたしが見たところ、母のおへそはいたって正常、というと語弊がありますが少なくとも世間一般にいうところのでべそではないように見受けました。

とはいえわたしはおへその専門家ではありませんので、母を大学病院へ連れていき、信頼できる先生に診断をしてもらいました。先生の見立てでもやはり、母はでべそ、医学的にはへそヘルニアというそうですが、このでべそにはあたらないとのことでした。念のため診断書も書いてもらいましたので、後ほど提出させていただきます。

これだけでも母がでべそでないということの証明には十分かと思いますが、念には念を入れ、過去にでべそだったことはないかということを母に問いただしました。
確認をしたところ、妊娠中、つまりわたしが母のお腹にいた際はたしかにへそが押されていわゆるでべそのような状態になっていたとのことでした。
ですから過去のある時点においてはわたしの母がでべそだったということはいえます。

ですがこれはわたしが生まれる前の話であり、当然ながらあなたも生まれる前の話ですので、あなたがわたしの母のでべそを確認したということは状況的にいってまったくありえない話であります。
したがって「あなたが過去にわたしの母のでべそを確認して、そのまま現在もでべそであると思いこんでしまった」という可能性も明確に否定できます。

したがって、あなたの「おまえのかあちゃんでべそ」という発言は事実無根であり、またそれが真実であると誤解しても仕方のない根拠もなく、わたし及び母の名誉棄損を目的としたまったくの捏造であると言わざるを得ません。速やかな訂正を求めます。


なお、誤解のないように付けくわえておくと、この弁論はわたしの母がでべそだという事実と異なる発言に対する反論であり、世の中のでべその方を不当におとしめる意図があってのものではないことをつけくわえておきます。

2018年10月18日木曜日

【読書感想文】発狂一歩手前/ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』


『世界の中心で愛を叫んだけもの』

ハーラン・エリスン(著)
浅倉 久志 , 伊藤 典夫(訳)

内容(ハヤカワ・オンラインより)
人間の思考を超えた心的跳躍のかなた、究極の中心クロスホエン。この世界の中心より暴力の網は広がり、全世界をおおっていく……暴力の神話、現代のパンドラの箱を描いた表題作など、短篇十五篇を収録。米SF界きっての鬼才による、めくるめくウルトラ・ヴァイオレンスの世界
タイトルだけは有名な(というよりこれをもじったタイトルが有名なんだけど)表題作を含む、SF短篇十五篇。

まず表題作。
うむ、ぜんぜんわからない。とにかく難解。わからせようともしていない。理解を拒む文章。
めちゃくちゃじっくり読めば解釈できるかもしれないが、大学のテクストではないのでそこまでする義理はないのだ、こっちには。
作者が説明をしないのでよくわからないのだが、かといって説明をしてしまってはつまらないのでこれはこれでいいのだろう。ぼくには合わなかったけど。


これは読むのきついなあと思いながら読んだが、他の短篇はそこそこ楽しめた。

車で激走しながら殺しあうカーアクション『101号線の決闘』は、映像化したら楽しそう。
フリーウェイで追い抜かれたから、というだけの理由で命を賭けるというのがアホらしくていい。でも現実にもけっこういるよね、追い抜かされただけで命を賭けちゃう人。
ぼくもちょっと気持ちはわかる。なので車は極力運転しないようにしている。
後味の悪いラストも好き。

サンタクロースがスパイとして秘密組織と戦う『サンタ・クロース対スパイダー』も、アメコミ的な疾走感があって楽しかった。十時間分のドラマをぎゅっと一時間に凝縮したようなスピード感。どんどん敵が現れてあっという間に片づけてしまう。
なんか勢いだけで書きました、って感じのくだらなさがあっていい。

敵対する異星人を殺すために体内に爆弾をしかけられてしまった男の逃走と闘争を描いた『星ぼしへの脱出』は、心中描写はそう多くないのに絶望感、孤独感、怒りといった感情が猛烈に伝わってくる。
星新一の『処刑』を思いだした。筋は似てないんだけど。

宇宙人がやってきてショーをくりひろげるのに便乗して金儲けをする男の顛末を描いた『満員御礼』。これも星新一の世界感っぽいね。というか星新一がこっちに影響を受けたんだろうけど。

後半はどんどんおもしろくなってきた。
『殺戮すべき多くの世界』の宇宙各地で依頼人に頼まれて殺戮をくりかえす男、『少年と犬』の荒廃した世界で暴力に包まれながら懸命に生きる少年、どちらもすさまじい暴力性を抱えているのに、その陰にやりきれなさ、哀しさを感じる。


作品の毛色はいろいろ異なれど、どの短篇にも怒りや焦燥が満ちている。
初期の筒井康隆作品を思いだした。なんか常にいらだっているみたいなんだよね。
ただ筒井康隆作品にはバイオレンスの中にもブラックユーモアがあるんだけど、ハーラン・エリスン作品はただ純粋な怒りがうずまいている。発狂一歩手前、という感じ。そしてどの話も救いがない。

何をそんなに怒っているんだという気もするけど、中学生ぐらいのときってこんな心境だったなあ。いろんなことに怒りを感じてしかたがなかった。
大人になるにつれてさまざまなことをやりすごせるようになったんだけど、ハーラン・エリスン氏はその気持ちをずっと持ちつづけているようだ。

なーんか、この狂気寸前の怒りや暴力性を真正面から受け止めるには、ぼくが歳をとりすぎたのかもしれない。おっさんにはしんどかったぜ。


【関連記事】

【読書感想文】筒井康隆 『旅のラゴス』




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2018年10月17日水曜日

【読書感想文】原爆開発は理系の合宿/R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』


『ご冗談でしょう、ファインマンさん』

R.P.ファインマン (著)
大貫 昌子 (訳)

内容(e-honより)
20世紀アメリカの独創的物理学者が、奇想天外な話題に満ちた自らの体験をユーモアたっぷりに語る。持ち前の探求心と、大のいたずら好きは少年時代から変わらぬまま。大学時代や戦時下の研究所生活でも、周囲はいつもファインマンさんにしてやられる。愉快なエピソードのなかに、科学への真摯な情熱を伝える好読物。

原爆の開発にも携わりノーベル賞も受賞した物理学者のエッセイ。
語り口は軽妙洒脱で、まるで小学生がしゃべっているのを聞いているみたい。訳もいい。

この人の行動原理は一貫していて、おもしろそうだからやってみる、つまらないからやめる、嫌いだから避ける、ばかばかしいからからかってみる、と少年のように感情の赴くままに行動している。好奇心のかたまり、ものすごく頭のいい子どもなのだ。

物理学はもちろん、数学でも天文学でも生物学でも美術でも、一度興味を持ったらとことん調べないと気が済まない。
たぶん他の分野に進んだとしてもこの人は大きな功績を残しただろうなあ。

数学の記号を自分でつくりだしたり、アリがどうやって食べ物の場所を仲間に知らせているかをじっと観察したり、金庫をひたすら観察して金庫破りの方法を見つけだしたり、やることなすことどれも子どもじみている。
こんなふうに生きられたら楽しいだろうなあ。



マンハッタン計画(第二次世界大戦中に原爆を開発するために多くの科学者が集められた計画)のことが書かれている。こういうことを書くと誤解を招きそうだが、すごく楽しそうだ。
ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンといった、ど素人のぼくでも名前を聞いたことのあるような物理学者・数学者・化学者たちが集まってひとつの目標に向かってそれぞれ力を尽くす。
理系の合宿、って感じだ。
 ロスアラモスで仕事につかされたこの若者たちが、まずさせられたことといえば、IBMの機械にチンプンカンプンの数字を打ちこむことだった。しかもその数字が何を表わしているのかを教える者は誰一人いなかったのだ。当然のことながら仕事は一向にはかどらない。そこで僕はまずこの若者たちにその仕事の意味を説明してやるべきだと主張した。その結果、オッペンハイマーがじきじきに保安係に談判に行き、やっとのことで許可がおりた。そこで僕が、このグループのとりくんでいる仕事の内容や目的について、ちょっとした講義をすることになった。さて話を聞き終わった若者たちは、すっかり興奮してしまった。「僕らの仕事の目的がわかったぞ。僕らは戦争に参加しているんだ!」というわけで、今までキーでたたいていたただの数字が、とたんに意味をもちはじめたのだ。圧力がかかればかかったで、それだけ余計なエネルギーが発揮されるという調子で仕事はどんどん進みはじめた。彼らはついに自分たちのやっている仕事の意味を把握したのだ。
 結果は見ちがえるばかりの変わりようだった! 彼らは自発的に能率をもっと向上させる方法まで発明しはじめた。仕事の段取りは改善する、夜まで働く、しかも夜業の監督も何も要らない、という調子である。今や完全に仕事の意味をのみこんだこの若者たちは、僕らが使えるようなプログラムまでいくつか発明してくれた。

日本人にとっては、この「楽しそうな理系の合宿」があの悲惨な原爆投下につながったと思うと複雑な心境ではあるけど。
でもファインマン氏もマンハッタン計画参加を決めた理由として「ドイツに先に開発されたらたいへんだ」ってのを挙げてて、当時の科学者たちにとっては悪の力を止めるために科学力を結集するぞ!ってなかんじの正義感に満ちていたんだろうなあと想像する。
日本人からしたら「原爆=悪」なんだけど、連合国からしたら原爆は正義の武器だったんだなあ。



ノーベル物理学賞を受賞した後の話。
物理学の知識のない人の前で講演をしても意味がないと思ったファインマン氏の策略。
 これを聞いたアーバインの学生たちは、僕がただふらりと現われて、物理クラブの学生相手に話をするのはそう簡単でないことを、ようやく納得してくれた。そこで僕は、「ものは相談だが、何かてんで面白くなさそうな演題をでっちあげ、およそ退屈そうな教授の名前をひねりだしてつけようじゃないか。そうすれば本当に物理に興味のある連中しか来ないに違いない。それ以外の連中には、どうせ用はないんだ。これでどうだろう?
 これなら何もややこしい宣伝をすることもないだろう」ともちかけた。
 こういうわけで、アーバインの大学の構内には、「ワシントン大学ヘンリー・ウォレン教授講演。『プロトンの構造について』五月一七日三時より。D一〇二教室」というポスターが二つ三つ貼り出されることになった。そして当日には僕が現われ、「残念ながらウォレン教授は都合で来られなくなり、電話で代りを頼まれました。この分野なら僕も少しは仕事をしているので、とりあえず代りを務めに、この通りやってきました」と言って集まった学生たち相手に話をした。そのときはぜんぜん問題なく、事はうまく運んだ。
 ところがこれをもれ聞いたクラブの顧問教授がカンカンに怒ってしまった。「ファインマン教授が来られるとわかっていたら、もっと大勢の人が話を聞きたがったに違いないのに」というわけだ。
この逸話に、ファインマン氏の性格がよく表れている。
無意味なしきたりや規則は平気で破る。名誉や肩書きよりも実利を重んじる。なにより、学問に対して真摯な姿勢を貫く。


専門的な話はほとんどないのに、学問、研究、思考することのおもしろさが(ファインマン氏がおもしろいと考えていることが)びんびんと伝わってくる。
理系の大学一年生に読んでほしい本だな。

2018年10月16日火曜日

ぼくの家にはファミコンがなかった


ぼくの家にはファミコンがなかった。
小学生のときだ。ファミコン(ファミリーコンピューター、スーパーファミコン、PCエンジンなどを含めた総称)を持っていないのは、クラスの男子二十人中ぼくを含めて二、三人だけだった。
話題についていけないことが多々あり、何度もつらい思いをした。

ぼくもファミコンが欲しかった。一度か二度、親に買ってほしいと頼んだことがある。だめだと言われた。眼が悪くなるから。うちにはお金がないから。
二度ぐらいしか頼まなかったのは「だめ」と言われることよりも「まだこの子はそんなことを言うのか」と残念そうな顔をされるのがつらかったからだ。

友だちの家でやらせてもらうファミコンはほんとに楽しかった。
家でもやりたくて、ノートにマリオのオリジナルコースを書いたり、サイコロでできるバトルRPGゲームを作ったりしていた。なんといじらしいことだろう。

六年生のとき、こづかいをためてこっそりゲームボーイを買った。
ゲームボーイは持ち運びできることが売りだが、ぼくは自宅以外でゲームボーイをやったことがない。ぼくがゲームボーイを買ったのは持ち運ぶためではなく、隠れてやるためだ。うちはリビングにしかテレビがなかったので、テレビゲームはやれなかったのだ。
友人にも隠していた。もう友だち同士でゲームの話をするような年齢ではなくなっていたし、何より「ゲームを持つのは悪いこと」という罪の意識があったからだ。
親の教育方針は、ぼくに「ゲーム=悪」という意識を持たせることに成功していた。

隠れてやるゲームボーイはほんとにおもしろかった。
はじめて買ったのはドンキーコング。それだけ新品で買い、あとは中古ゲーム屋でとにかく安いゲームを買った。誰も知らないようなゲーム。何度か痛い目に遭って「500円とか1,000円ぐらいの安いゲームはほんとにつまらない」ということを学んだ。
ダビスタのような競走馬育成ゲームをやりたいと思って買った『馬券王』というソフトは、なんとゲームではなくいくつかの情報を入力すると当たり馬券を予想するというただのツールだった。悔しくてソフトを叩きつけたくなった。なんとかしてこれで遊べないかといろいろやってみたがだめだった。

何度も何度もやったのは、ワリオ、ゼルダ、ポケモン、ゲームボーイウォーズ、ファミスタ、桃鉄、桃太郎伝説外伝など。
ポケモンには通算プレイ時間が表示される機能があって、「120時間」とかの数字を見るたびに「こんなにも無駄な時間を……」と憂鬱な気持ちになった。


小学生のときに買ってもらえなかった反動でゲームにどっぷりはまった……かというとそうでもない。
今でもゲームをときどきやる。ゲーマーというほどではないし、かといって完全に断絶しているわけではない。ほどほどの付き合いを保っている。

ゲームを買ってもらえなかったことは、自分にとってプラスになったんだろうか。マイナスだったんだろうか。
んー。プラス四割、マイナス六割ぐらいかな。
どっちがいいとも言いきれない。

自分の子がゲームを欲しがったらどうするか……。
仲間はずれになるのはかわいそうだけど、でもゲームばっかりやる子にはなってほしくない。

「買ってあげるけど父親であるぼくが独占する」というのがいちばんいい選択肢かもしれない。
買ってあげないときより恨まれるだろうけど。

2018年10月15日月曜日

大らかな時代


小学四年生のときの担任は「初日の出を見にいくぞ!」と言って小学生数十人を連れて大晦日の夜に登山を敢行した。

小学五年生のときの担任は理科が大好きで、オリジナルのテキストを持ってきて教科書を使わずに授業をしていた。

小学六年生のときの担任は夏休みに生徒を自宅に招待して(田舎の広い家に住んでいた)、数十人を自分の家に泊まらせてくれた。


どの先生も熱意あふれる人だったしそれらのイベントはぼくたち生徒にとってすごくおもしろかったけど、今考えると「めちゃくちゃやな」と思う。

当時は何も考えてなかったけど、今となっては
「小学生いっぱいつれて冬山登山なんかして遭難したらどうすんだよ」
「教科書使わずに授業やったらまずいでしょ」
「六年生の男女を自宅に泊まらせるなんて。変なことしてると思われてもしかたないぞ」
とつっこみどころだらけの話だ。

ようやったなあ。大らかな時代だったんだなあ。
戦前の話じゃない。ぼくが小学校に通っていたのは平成時代だったはずなのに。
平成って大らかな時代だったんだなあ。