2018年8月31日金曜日

娘のサインに気づいて


娘(五歳)は頑健だ。

保育園に入れるとき、いろんな人から「子どもはすぐ熱出すからねー」「しょっちゅう保育園から呼び出しかかってたいへんだよ」という話を聞いていた。
職場に小さな子を持つ女性が何人かいたけど、しょっちゅう休んだり早退したりしていたので「たいへんそうだ」と覚悟していた。

だがうちの子は強かった。
保育園に行くようになって最初の一年、彼女が体調不良で休んだのは一日だけだった。
ぜんぜん熱を出さない。出しても土日。一晩で治す。強い。ちなみにその間、ぼくは三日会社を休んだ。

その後も年に一、二回ぐらいしか休まない。休んでも一日で治る。幼児ってこんなに強いのか。子どもは弱いと思っていたぼくには驚きだった。
「子どもはすぐ熱を出す」とひとくくりにできないのだと知った。



昨日の朝、娘に五時に起こされた。「のどかわいた」というのでお茶を入れてやった。暑くて寝苦しいよねーなんていって、もう一度寝た。

七時。娘を起こす。なかなか起きない。変な時間に起きちゃったからねー。
娘の身体が熱い。子どもって眠いと体温上がるよねー。眠いんだろうねー。

娘が「吐きそう」と言ってごはんを残す。暑いと食欲落ちるよねー。ぼくも寝不足のときは胃の調子が悪いよ。

娘が不機嫌だ。よく眠れなかったからねー。今日は保育園でしっかりお昼寝しようねー。

そんな感じで保育園に娘を送っていった。先生に「明け方起きちゃったので眠いみたいです」と伝えた。

仕事にいって間もなくして保育園から電話がかかってきた。「おとうさん、娘さんがすごい熱です」

あー。そうかー。
熱か。そういやそうだわ。夜中に起きるのも、眠そうにしてるのも、身体が熱いのも、食欲が落ちるのも、吐きそうなのも、機嫌が悪いのも、ぜんぶ体調不良のサインだわ。
娘はめちゃくちゃわかりやすいサイン送ってきてたのに全部華麗にスルーしてた。高校野球の強豪校だったら二度とレギュラー起用されないぐらいサイン見逃してた。

ちゃんとした親ならすぐ気づいたんだろうけどね。
すまねえすまねえ、おまえがふだん頑強なばっかりにこっちも油断してたわ。

そんなわけで保育園に娘を迎えに行って、ゼリー食べさせてちょっと寝かせたらもう元気になって跳びはねてんの。ほんと頑強。これじゃおとうちゃん、またサイン見逃しちまうぜ。

2018年8月30日木曜日

わからないことへの接し方


わからないことを受け入れられない人がいる。
「なんでわからないんだ!」「考えてないからだろ!」
という思考。

わからないのには理由がある。
十分な時間をとればわかるけどそれだけの時間をかけるとコストが見合わないとか、元となるデータが少ないとか、そもそも不確実要素が多すぎて誰がどうがんばってもわからないこととか。

そこで「がんばればわかるようになる」とか「それでもどこかにわかる人がいる」と考える人と、「わからないことを前提にリスクを最小化する最善の手を打とう」と考える人がいる。



いわゆる体育会系がばかにされるのは、前者の人の割合が高いからだろう。
やればできるさ、できなかったのはやらなかったからだ、の人。
「勝たなきゃいけない」と思っている人。

といってもスポーツ界にもちゃんと頭のいい人はいて、そういう人は「勝たなきゃいけない」とは思っていない。
どうやっても負けることはある。どんな強いチームでも弱いチームに負けることはある。そのリスクを最小化するためには何ができるか。
「勝つ方法を考える」と「勝つ確率を上げる方法を考える」は、似ているようでぜんぜん違う。前者は何も考えていないに等しい。

学校の勉強で「なんで全教科満点じゃないんだ」と叱る人はまずいないのに、スポーツやビジネスだと「なぜ負けたんだ」「なぜ失敗したんだ」という人が多いよね。同じなんだけどね。


2018年8月29日水曜日

神戸牛ときったない雑巾


こじゃれたカフェに入って「神戸牛オムカレー」ってのを頼んだら、思ってたより神戸牛がずっと大きくて、思ってたよりずっとおいしい肉だった。

どうせだったらカレーソースじゃなくてステーキソースか醤油かけて食べてえなあとか、どうせだったらオムカレーのトッピングじゃなくて丼に乗っけてネギと一緒にかきこんだらめちゃくちゃうまいだろうなあと考えてたら、なんだかすごく損をしている気になってオムカレーに乗せて食べてるのが嫌になってきた。


カフェのオムカレーの神戸牛は、ちっちゃい切れ端がところどころに入ってる程度でいいんだよ! うまくてでかいやつじゃなくていいんだよ!


うまいがゆえにがっかりする。

イチローに来てもらったのに、ゴムボールとプラスチックのバットで野球やらせるみたいな感じ。
せっかく来てもらったんだから一流の道具で一流のプレーを見せてほしい。


話は変わるけど、ぶどうジュースを派手にこぼしちゃったとするじゃない。
いけない、早く拭かなきゃと思って手に取ったのが、まっさらの布巾。
なんかイヤじゃない? 真っ白い布巾でいきなりぶどうジュース拭くのって。
こっちとしては段階的に汚していきたいわけ。まずは水拭いて、こぼれたお茶拭いて、こぼれた味噌汁拭いて、最後にぶどうジュース拭いてポイッ。
真っ白な状態からいきなりMAXに汚したくないわけ。

モノにも適材適所があるんだよね。
きれいな布巾が輝くのは、おしゃれな食卓。
ゲロを拭くときに力を発揮するのはきったない雑巾。真っ白な布巾でゲロを拭きたくない。

うまい神戸牛はきれいな雑巾。輝くのはステーキや焼肉という舞台。
ゲロ掃除にはきたない雑巾が似合うように、オムカレーで活躍するのは安い小間切れ肉。
この感覚、わかる?
オムカレーと神戸牛の話してたのになんで雑巾とゲロの話してるのか自分でもわかんないけどさ。

2018年8月28日火曜日

かつ児童保護の観点からも


妻からこんな話をされた。

「聞いた話なんだけどね。職場の人の知り合いが赤ちゃんをだっこしてたんだけど、うっかり手が滑って赤ちゃんを落としちゃったんだって。具合が悪そうだったので病院に行ったら揺さぶられっこ症候群みたいなことになってたんだって。そしたら虐待を疑われて児童相談所に赤ちゃんを連れていかれちゃって、赤ちゃんと引き離されたんだって。ひどくない?」


ぼくは「何もひどくないと思うけど」と答えた。

「伝聞の伝聞の伝聞なのでかなり信憑性に欠ける話だけど、仮に赤ちゃんと引き離されたって話が真実だったとして、『うっかり手が滑って落としちゃった』ってのがどうしてほんとだとわかるの? 虐待してた親が嘘をついてるのかもしれないじゃない」

 「……」

「仮にほんとに過失で落としてしまったんだとして、赤ちゃんは虐待されたときと同じような状態に陥ったんでしょ? だったら行政が介入して保護するのはいいことだと思うけど」

 「……でも親はかわいそうじゃない」

「かわいそうだけどさ。でもなにも一生子どもに会えないわけじゃなくて一時的な保護でしょ。重篤な状態にあるんだったら、公的な機関で預かってもらえるほうが安心だけどな」
 
 「……でもほんとは虐待してないのに虐待を疑われるのってイヤだと思うけど」

「べつに疑われたわけじゃないんじゃない? 行政は虐待という”行為”じゃなくて、揺さぶられっ子症候群という”結果”に基づいて介入したんでしょ。それってすごくいいやりかただと思うけどな。さっきも言ったように真相は本人にしかわからないんだからさ。行政が親の言動を見て『あんたは日頃から子どもをかわいがってるから虐待じゃない』『あんたは虐待しそうだから虐待とみなす』って判断してたら、そっちのほうがよっぽど怖いよ。『あんた虐待してるでしょ』なんて言ったら、それが事実であっても誤りであっても親子関係に悪影響しか与えないだろうし。だから『虐待があったかどうかはわからないけどとにかく子どもが重度の怪我をした場合は公的機関が子どもを保護します』ってやりかたはすごく公平で、かつ児童保護の観点からもすごくいいと思うけど」

 「んー。そういう正論を聞きたかったんじゃなくてかわいそうだね、って話をしたかったんだけどな」


あれ、ぼくの返答まずかった?

2018年8月27日月曜日

サッカーがへただったサッカー少年


小学生のころ、サッカーチームに所属していた。
二年生のとき自分からサッカーをやりたいと言い、小学校のサッカーチームに入会した。

ぼくらのチームは弱かった。
市内の大会で初戦で負けることのほうが多かった。強いチームと当たると、7点ぐらい取られることもあった。小学校低学年のときは15分ハーフだったから、前後半あわせて30分で7点。5分に1点以上とられていたことになる。キーパーとディフェンスは大忙しで、フォワード陣はキックオフのときだけボールを触ってあとは立ち尽くす、みたいな状態だった。

ぼくらのチームが弱かった最大の原因は、人数が少なかったことだ。
ぼくらの小学校は1学年2クラスしかなかった。全員で80人。男子だけで40人弱。そのうちサッカーチームに所属していたのは3分の1ぐらい。だからメンバーは12人前後だった。多少メンバーが増えたり減ったりはあったが、だいたいそれぐらい。
1人休んだらギリギリ。2人休んだら下の学年から選手を借りてくる。下の学年もそんなに余裕がなかったから、相手チームから借りてくるようなこともあった。敵チームでプレイしないといけない子はやりづらかっただろうな。

ぼくはサッカーがへただった。リフティングが4回しかできなかった。
でも12人しかいないのだ。へたでも試合には出られる。12人のうちでワースト3位に入るぐらいのへたさだったので、ベンチをあたためることもあった。12人しかいないチームで控えになるのはさみしかった。自分以外全員プレーしてるんだもの。

メンバーにヨシダくんという子がいた。彼は上手でディフェンスの要だったが、彼にもひとつ弱点があった。車酔いがひどいのだった。10分でも車に乗ると必ず酔った。
試合のときはたいていコーチの車で移動する。大きい大会なんかだと1時間ぐらいかかることもある。そうするとヨシダくんは車酔いでダウンして、到着してからもしばらくぐったりしていた。
そうすると1試合目はヨシダくんの代わりにへたなぼくらがディフェンスを務めることになる。そんなこともあって、大きな大会ではまず初戦敗退だった。

自分からやりたいといって始めたサッカーだったが、熱心ではなかった。
家では野球中継ばかり見ていた。練習のない日は公園で友人と野球をしていた。野球が好きだった。でも野球チームに入ろうとは思わなかった。子どもってそんなものだ。自分から環境を変えようとしない。

あるとき、ゴールキーパーをやってみるかと言われた。
これが性にあった。ボールを蹴るのはへただったが、キャッチやパンチングは苦手ではなかった。
なによりぼくは向こうみずだった。相手フォワードが走りこんできても、まったく躊躇せずに身体で止めにいくことができた。スパイクで顔面を蹴られたこともある。鼻血が出て鼻にティッシュを詰めながらゴールを守った。12人しかいないのに控えのキーパーがいるはずないのだから。
ただ、キーパーの仕事はゴールを守ることだけではない。味方のディフェンスラインを決定したり、ゴールキックを蹴ったり、前線に指示を送ったり。ぼくはそういうことがまったくできなかった。なにしろオフサイドのルールもなんとなくでしか理解していなかったのだから。
相手シュートをキャッチ → ぼくのミスキックで相手にボールを取られる → シュート → ゴール みたいな点の取られ方が多かった。かくして、ゴールキーパーもクビになった。
ぼくにつきっきりでキーパーのテクニックを教えてくれたコーチは「キャッチングはいいんだけどな……」と残念そうだった。ぼくも残念だった。


ぼくがサッカーチームにいたのは1990年から1994年まで。
人気サッカー漫画『キャプテン翼』の連載が終わったのが1988年、ドーハの悲劇、Jリーグ開幕でサッカーブームが起こったのが1993年。ちょうど谷間の時期だった。
テレビでサッカーを観たことなど一度もなかった。なにしろ放映していなかったのだから。巨人戦が全試合中継され、野球中継延長のためにドラマやバラエティ番組が延長していた時代だ。

世の中がJリーグブームに沸きたち、サッカーチームにも見学者が増えた。相変わらずメンバーは増えなかったが。
そんな中、ぼくのサッカーへの熱は急速に冷めていった。あまのじゃくな性分だから、世間が流行っていると興味をなくしてしまうのだ。
Jリーグが開幕した翌年、ぼくはサッカークラブを辞めた。サッカーのうまい転校生がやってきてチームのメンバーが増えたこともあって「もういいや」という気になった。


ふしぎなもので、サッカーチームを辞めてからサッカーを好きになった。
高校生のときは毎日のように学校帰りに友人たちと公園でサッカーをしていた。制服のままで。
小学生のときはゴロのボールしか蹴れなかったのに、センタリングもいつしかあげられるようになった。フリースローはちゃんと遠くまで飛ばせるようになったし、ボールを持ったら周囲を見渡す余裕も生まれた。
サッカーチームで毎週練習をしていたときはできなかったのに、身体が大きくなったら自然とできるようになっている。ふしぎなものだ。リフティングは今も4回しかできないけど。

うまくなるまで練習をするんじゃなく、楽しめるようサッカーのゲームをする。サッカークラブがそんな方針でやっていたなら、ぼくもサッカーを続けていたかもしれない。

社会人になってからも、何度かフットサルに参加した。元サッカー部にはかなわないけど、それでもそこそこの活躍はできる。
おっさんになってからのサッカーは、技術以上に「どれだけ走れるか」がものをいう。

いろんなプレーができるようになってみると、サッカーは楽しい。
うまい子たちはこんな感覚を味わっていたのか。自分の放ったシュートがゴールの端ぎりぎりに決まったときの感触ったら、魔法でも使ったような気分だ。そりゃ世界中に愛されるスポーツになるわ。

好きこそものの上手なれ。それと同じくらい、上手こそものの好きなれなんだなと思う。

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