2016年6月10日金曜日

【読書感想文】奥田 英朗『家日和』

内容(「BOOK」データベースより)
会社が突然倒産し、いきなり主夫になってしまったサラリーマン。内職先の若い担当を意識し始めた途端、変な夢を見るようになった主婦。急にロハスに凝り始めた妻と隣人たちに困惑する作家などなど。日々の暮らしの中、ちょっとした瞬間に、少しだけ心を揺るがす「明るい隙間」を感じた人たちは…。今そこに、あなたのそばにある、現代の家族の肖像をやさしくあったかい筆致で描く傑作短編集。

家族をテーマにした短篇集。

うまいなあ。
お手本のような、軽い短篇小説。
ほどほどにユーモアや皮肉も込められ、ほどほどに現実感があり、でも最後は誰も不幸にならない。
新聞の4コマ漫画のような軽さで、何も考えずに別の世界の物語にひたりたいときにはちょうどいい。


会社の倒産により専業主夫になった男を主人公にした『ここが青山』という短篇。
とりあえず次の仕事が見つかるまで、というつもりで家事や育児をやっていたら意外と自分に向いていることがわかった。妻も外に出て仕事をするのが好きなので、誰も何の不満もない。
なのに周囲の人からは「仕事が見つからなくてかわいそう」という目で見られ、頼んでもいないのに次の仕事を紹介されて……というストーリー。

ああ、いるよなー。こういう「本人は幸せなのに、傍から余計な同情をする人」。


ぼくが娘と公園で遊んでいたとき、見知らぬおばちゃんからいきなり、
「お父さん、お休みの日なのに子どもの相手しないといけないなんてかわいそうねー」
と声をかけられたことがあった。

あのー、ぼくは子どもと遊ぶのが好きなんで、すごく楽しんでたんですけど……。

そのおばちゃんが子ども嫌いなのか、それとも彼女の夫が子どもと遊びたがらない人だったのか。
「幼い娘と遊ぶ幸せなひととき」も、人によっては「いやいや子どもに付き合わされるかわいそうな父親」に見えてしまうのか、とびっくりしたことを思い出した。


「○○の楽しさを知らないなんて人生半分損してる」
という発言もそうだよね。

学生時代、友人がバイクを買い、すっかりバイクの魅力にとりつかれた。
それだけならどうということもないのですが、 ことあるごとにぼくにたいして
「おまえもバイク乗れって。世界が広がるぞ!」
と勧めてきて、うんざりした。

 ぼくはバイクに乗って出かけるより本を読んでいたかっただけなのに、友人から見たら「バイクの楽しさを知らないかわいそうなやつ」に見えたんだろうね。
勧めるほうとしては純粋に善意だけで言ってたんだろうけど、だからこそ余計に迷惑。

とはいえぼくも、その友人のことを「読書の楽しさを知らないかわいそうなやつ」と思っていたのでお互い様だけどね。


いちばん印象に残った短篇は、妻との別居生活が思いのほか楽しくなってしまう『家においでよ』

妻との別居を機に、しばらく遠ざかっていた趣味を再開する男の悦びを丁寧に書いているのですが、「あー……、いいなぁ……」という感想しか出てこない。

ぼくは結婚5年目。
今のところ結婚生活にこれといった不満はない。
……のつもりなんですが、やっぱりどこかで我慢している部分があるんだろう。
たまに妻が子どもを連れて実家に帰ったりしてひとりになると、おもいっきりエンジョイしたくなる。

上等な肉を買ってきて、焼き肉をする。
野菜なんかぜんぜん焼かない。肉と飯ばっかり食う。
風呂から出たあと、パンツも履かずに裸でリビングをうろうろする。
リビングでテレビを観ながらオリジナルのダンスをする。
わざと布団からはみだして寝る。

ひとりのときはだいたいいつもこんなかんじ。

でも、ふだん我慢しているわけじゃないんだよ。
そこがほんとにふしぎ。

いつも「肉をたっぷり食べたい!」と思っているわけじゃない。
いつも「裸でリビングをうろうろしたくてたまらない!」と思っているわけじゃない。
いつも「リビングでオリジナルのダンスをしたい! でも今は妻がいるから......。しかたない、ここは我慢だ!」と思っているわけじゃない。

なのに、ひとりになると奇行をとりはじめてしまう。
抑圧されたリビドーが解放されるんだろうか。
「おれ、思うんだけど、男が自分の部屋を持てる時期って、金のない独身生活時代までじゃないか。でもな、本当に欲しいのは三十を過ぎてからなんだよな。CDやDVDならいくらでも買える。オーディオセットも高いけどなんとかなる。けれどそのときは自分の部屋がない……」
「まったくだ。おれなんかCDを買っても聴けるのは車の中だけだぜ」
「まだまし。おれなんか通勤中のiPodだけ。車の中でロックをかけると子供たちがうるさがる」
周囲の既婚男性に訊いてみると、多かれ少なかれ、みんなそんなもんらしい。
三十代になって金銭的な収入は増えたのに、若い頃よりも好きなことにお金を使えなくなっている。
既婚男性はみんな、我慢してるもんなんだろうねえ(たぶん既婚女性のほうはもっと我慢してるんだろうけど......)。


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2016年6月7日火曜日

【考察】国内残留組

「失業率を低下させたい」

「女性の社会進出を支えたい」

「消費を増やして景気を良くしたい」


これら全部をいっぺんに解決する方法があります。


残業代を払わない企業、有給休暇をとらせない企業は法律違反なので厳しい罰則を与える。それだけ。

雇用は増え、女性は働きやすくなり、余暇が増えて消費も増えます。



いやほんとに、いいことづくめだと思うやり方だと思うんですが。
自殺も減るし。

ってなことをいうと「そんなことしたら国際競争力が~」って言い出すやつがいるんですが。

国際競争力が欲しいやつはとっとと海外に出ていって国際的に勝負してこいよって話ですよ。
残ったぼくらは国内だけで幸せにやっていくからさ。

2016年6月6日月曜日

【ふまじめな考察】まさかの200kgいけました


スポーツの最大の魅力は、何が起きるかわからないという緊張感だ。

誰も予想していなかったようなことがここしかないという場面で起こってしまう。
それがスポーツの怖さであり、おもしろさでもある。

最近ではプレミアリーグで優勝候補からほど遠いレスターが快進撃を続け、ついに優勝してしまった。
ブックメーカーのオッズは5001倍だったというから、ほんとに誰も優勝を予想していなかった奇跡だったのだろう。

高校野球を観ていると、練習試合でも1本もホームランを打ったことのない選手が甲子園でサヨナラホームランを放ったりすることがある。
たまたまいいところにボールがきて、たまたますばらしいスイングをして、たまたまバットの真芯に当たって、たまたま風に乗ってスタンドまで入ってしまったようなホームランだ。
こういうことがあるから、スポーツはおもしろい。


野球やゴルフなどのスポーツは風や気候の影響を受けやすいから特に奇跡的なプレーが生まれやすい。
ラグビーは球技の中では極端に番狂わせが起こりにくいとされている。実力差がそのまま結果につながるのだとか(あんなどっちに転がるかわからないボールを使っているのに、ふしぎなものだ)。
それでも2015年のワールドカップでは、日本代表が強豪・南アフリカに勝利した。奇跡の起こりにくいスポーツだからこそ、これはほんとにとんでもない大番狂わせだった。

ボールのバウンドや風などの影響を受けやすい球技に比べて、格闘技や陸上競技は運の入り込む要素が少ない分、順当な結果が出やすい。
そうはいっても人間のコンディションは一定ではないから、そのときの精神状態などによって思わぬ失敗が起こったりする。



で、重量挙げについて考えてみる。

はじめにことわっておくけど、ぼくは重量挙げのことをまるで知りませんからね。
テレビで観戦したことすらありませんからね
あの重い車輪型のやつ(バーベル?)を持ち上げて、その重さを競うんでしょ? ってぐらいの認識しかないことをことわっておきます。

ぼくの疑問は、重量挙げに番狂わせなんかあるの? ってこと。

実力がそのまんま反映されちゃうんじゃないの?

そりゃあね。
200kgを持てる実力の選手が、190kgを持つのに失敗したってことはあるでしょう。
腰を痛めてたとか手がすべったとかで。

でも、練習では190kgも持てたことのない選手がオリンピックではまさかの200kgいけました! なんてことはありえないでしょ。

世界ランキング10位の選手がどれだけ調子良くたって、オリンピックで優勝しちゃうことは起こりえないでしょう。
(勝手な推測ですよ)


だからね。
オリンピックみたいな大会を開く必要ないんじゃないかと思うんです。
大会ってのは一発勝負の場ですからね。
実力がそのままものをいう重量挙げにはふさわしくないんじゃないかと。

重量挙げについては、もうギネスブックの1部門でいいんじゃないかと思います。
世界一の記録を上回れる自信がある選手がギネスの判定員を呼んで、判定員の前でバーベルを持ち上げる、と。

それでいいんじゃないか、と。

そんで見事世界記録を出したあかつきには、ギネスブックに「1分間でもっとも多くの洗濯ばさみを顔につけた男」と「世界一巨大なお好み焼きを作った人たち」と並んで掲載してもらう、と。

2016年6月5日日曜日

【エッセイ】最悪の彼女(2歳)

2歳の娘がいるんですけど。

いっちょまえに服の好みがあるんですね。
「今日はピンクがいい!」みたいなことを言うんですね。
おむつもとれてないくせになまいきに。


だから朝、服を着がえさせるときに訊いてやるんですよ。
「今日は何着るー?」
ってね。

そしたら
「おとうちゃんといっしょに、おきがええらびにいくー!」
って言うんですよ。


かわいいなーと思っていっしょにタンスの前まで行くじゃないですか。
そしたら娘のやつ、いっちょまえに悩むんですよ。
「どれにしよっかなー」って。
さっき食べた納豆ごはんがまだ服についたままのくせになまいきに。

もうね、けっこう長いこと悩むんですよ。
服についた納豆ごはんがカピカピになるぐらいの時間をかけて悩むんですよ。



どうでもいい......!

ぼくとしては、2歳児の服なんて
「汚れ(納豆ごはんなどの)が目立ちにくいかどうか」

「小さめの服は今着ておかないとすぐに着られなくなってもったいない」
という観点でしか見てないから、色の好みなんか知ったこっちゃないんですよ。

ただただ早く決めてほしい。
だから、いちばん手前にある服を指さして
「これがいいと思うな」
とか言ってみるんですね。

「この色かわいいからこれにしよっか」
とか言ってみるんですね。
心にもないけど。早く決めてほしいから。


そしたら2歳児、
「それじゃない!」
とかいって、まだまだ悩むんですよ。
ぼくの意見なんてまるで無視なんですよ。
「どうせファッションセンスのないオヤジのいうことなんて聞いても意味ないしー」と言わんばかりに。


それが毎朝なんですよ。
ほんとめんどくさい。


一度、33歳のぼくと2歳児で本気のけんかをしましたからね。

33歳「もう早く決めてよ! これにするよ!」

2歳「いやっ! おとうちゃんがきめない!」

33歳「だったらひとりで選んだらいいでしょ!」

2歳「いやっ! いっしょにえらぶの!」


もうあれですよ。
買い物に彼氏を付き合わせといて、彼氏がどれがいいと言っても「んーどうしよっかなー」しか言わずに、最終的に何も買わないというめんどくさい彼女ですよ。

ほんと、ぼくがいちばん彼女にしたくないタイプの女なんですよ。

しかもおしゃれにうるさいくせに、服にカピカピの納豆ごはんついてるなんて、最悪の彼女ですよ。


2016年6月4日土曜日

【読書感想文】貴志 祐介 『悪の教典』

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貴志 祐介 『悪の教典』

内容(「BOOK」データベースより)
晨光学院町田高校の英語教師、蓮実聖司はルックスの良さと爽やかな弁舌で、生徒はもちろん、同僚やPTAをも虜にしていた。 しかし彼は、邪魔者は躊躇いなく排除する共感性欠如の殺人鬼だった。学校という性善説に基づくシステムに、サイコパスが紛れこんだとき―。ピカレスクロマンの輝きを秘めた戦慄のサイコホラー傑作。

けっこうぶあつい本だったが、一気に読んでしまった。
圧倒的な筆力。特に中盤の「これからすごく悪いことが起こりそうな不穏な雰囲気」はただならぬものがあった。

ピカレスク小説(悪人を主人公にした小説)は難しい。
悪役を魅力的に描くためには相当な説得力が必要だ。
いきあたりばったりに悪いことをしているヤツなんてただのチンピラ。共感は得られない。
「道徳的に正しくないことを読者に納得させる論理」が必要になる。
善人や凡人を主人公にするよりずっと困難だ。

ぼくが知っているかぎりで成功しているピカレスクものといえば、小説ではないけど、手塚治虫『MW(ムウ)』ぐらいかな。
手塚治虫クラスでないと描けない、それぐらいピカレスクものは難しい。



『悪の教典』の著者、貴志祐介は『青の炎』という傑作小説も書いている。これも殺人事件の犯人が主人公だ。
ただ『青の炎』の主人公は、殺人を犯して隠蔽工作をおこなうものの、悪人ではない。
殺される人物は十二分に憎らしい人間であり、主人公は妹を守るためにやむにやまれず殺人に手を染める悲劇のヒーローとして描かれている。
「正義のために殺人をしなければならなかった同情すべき善良な市民の葛藤」を描いた物語だった。

ところが『悪の教典』の主人公である蓮見という教師には一切の同情の余地がない(大きく共感できる人はあぶないね)。
徹頭徹尾、己の欲望のために他人の人格や命を蹂躙する。そこには一片の躊躇がない。
「自分より人気があるのが妬ましいから殺そう」ぐらいの理由で殺してしまう。犯罪行為に対するためらがない。

犯罪を思いとどまる理由は「捕まったら困る」だけ。
一般人が「捕まらなかったら少々スピード違反してもいいだろう」と考えるぐらいライトな感覚で、人を殺してしまう。


こう書くとどうしようもないクズ人間に思えるけど、蓮見という人物はきわめて魅力的だ。
知性が高く、ユーモアの精神もあり、同僚や上司からの信頼も篤く、生徒から慕われている、理想的ともいえる教師だ。ただ自分に都合の悪い人物を殺してしまうだけ("だけ"ってのもどうかと思うけど)。




アメリカの臨床心理学者がサイコパスについて解説した、『良心をもたない人たち』という本がある。

世の中には、何人かにひとりの割合で、他人の感情がまったく理解できない人、他人を傷つけてもまったく心が痛まない人(サイコパス)がいるんだとか。

たいていは社会不適合者として生きていくことになるんだけど、中には知能の高いサイコパスもいて、彼らは「他人の感情を理解できるふり」を学習によって身につけることができるため、うまく社会に溶け込むことができるようになる。
周りになじめるどころか、そうした人は知能が高いうえに目的のためなら他の人が躊躇する手段も平気でとれるため、経営者やチームのボスとして成功することが多いそうだ。

ほとんどの社会制度は「たいした理由もなく他人に危害を加える人間はいないだろう」という前提で設計されている。
だから他人を平気で傷つけられる人間にとっては抜け穴だらけの制度になる。

法に触れなければ(というより自分が逮捕されなければ)何をしてもいいという考えを持っている知能の高いサイコパスから攻撃対象にされた場合は、とことんえげつない攻撃を食らうことになる。まずふつうの人は太刀打ちできずに精神をやられてしまう。

知能の高いサイコパスへの対処法は、「極力かかわらないようにする」という選択しかない。
たとえば知能の高いサイコパスが同じ会社にいて攻撃してくる場合は、誰かに助けを求めたり上司に解決を依頼したりしても無駄だ。サイコパスはターゲット以外の前では善良な人間のふるまいをすることができるから。
「被害者が会社を辞める」ということが唯一の解決手段だ。




そんな、きわめて知能の高いサイコパスが教師になったら......。
それが『悪の教典』の物語。

ほんとに背筋がぞっとするような後味の悪いストーリーが延々と続く。
蓮見教師の行動は、まさに「悪魔」と呼ぶにふさわしい所業だ。
読んでいてすかっとするような描写は皆無。
なのにページをめくる手が止まらない。嫌な思いをすることがわかっているのに読んでしまう。

いや、ほんと後味が悪かった。
エンタテインメントとしての完成度が高すぎて、他人には勧められないぐらい。




後味の悪い小説としてすごくおもしろかったんだけど、残念だったのは、上巻と下巻で大きくテイストが変わったこと。
上巻は「静かにじわじわとせまりくる恐怖」をうまく描いた上質なホラーだったのに、下巻では派手なサスペンスアクションになってしまう。

個人的には上巻のほうが不気味で好きだった。
どっちがいいというのは好みの問題だろうけど、上巻が好きな人にとっては途中から丁寧な話運びが失われるように思えるし、下巻のテイストが好きな人にとっては上巻は退屈なんじゃないかなあ。
いっそべつの物語にしたほうがよかったんじゃないかと思うぐらい。

ただ、下巻のラストに関しては再び「じわじわとせまりくる恐怖」を表現しているので、いい終わりかただった。
あっ、いい終わりかたってのは後味の悪い終わりかたって意味ね。


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2種類の恐怖を味わえる上質ホラー/貴志 祐介 『黒い家』【読書感想】



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