2025年11月7日金曜日

エジソンが一度も泳がなかったプール

 フロリダ州フォートマイヤーズには「Edison and Ford Winter Estates(エジソン&フォード冬の別荘)」という観光地がある。

 ここはエジソンと自動車王ヘンリー・フォードが冬を過ごした邸宅と庭園が保存されている。

 ここには「エジソンが一度も泳がなかったプール」として有名なプールがある。


 エジソンはこのプールを設計して作らせたものの、自分は水に入ることを好まず、一度も泳がなかったのだそうだ。 

 このエピソードのおかげで「エジソンが泳がなかったプール」として観光案内やガイドツアーで紹介されているらしい。


 すごい話だ。

「○○が××した」で有名な場所は世界中に山ほどある。○○が生まれた家、○○が撃たれた場所、○○が俳句を詠んだ土地……。

 だが「しなかった」ことで有名なのはここぐらいじゃないだろうか。


 「しなかった」ならなんとでも言える。

 日本中にあるすべてのプールは「エジソンが泳がなかったプール」だ。同時に「ジョン・レノンがこの場所で作曲しなかったプール」でもあるし「ジョン・F・ケネディが暗殺されなかったプール」でもある。

 「エジソンが一度も泳がなかったプール」はなんてことのないことをすごいことと思わせるのがすごい。


 ぼくも「あの織田信長に一度も叱られなかった男」を名乗って生きていくことにしよう。


2025年11月6日木曜日

新語・流行語大賞の選考委員の先生方のご年齢

 今年も、場つなぎのためにあたりさわりのない話題を探している日本中の人たちが待ちに待った新語・流行語大賞のノミネート作品が発表された。


 ノミネートされた言葉のことは書かない。自分で調べてくれ。

 ぼくが調べたのは、選考委員の年齢(2025年11月6日現在)だ。


  • 神田伯山(講談師)42
  • 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)51
  • パトリック・ハーラン(パックンマックン、お笑い芸人)54
  • 室井滋(女優・エッセイスト・富山県立高志の国文学館館長)67
  • やくみつる(漫画家)66
  • 大塚陽子(『現代用語の基礎知識』編集長)

 うーん、すばらしい。シルバー民主主義国家・日本の流行語を決めるのにふさわしい年齢構成だ。大塚陽子さんがおいくつか知らないが、歴史ある本の編集長をやっているので20代30代ではないんじゃなかろうか。

 大塚さんを除いた5名の平均年齢は56.0歳。昭和なら停年退職(昭和時代は定年のことを停年と書いていた)している年齢だ。ちなみに伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任したのは44歳だ。

 せめて一人か二人は若い人を入れたほうがいいんじゃないかとも思うが、今の50代は昔の50代よりもぜんぜん元気だ。なにより気持ちが若い。なんたって自分たちが世の中の流行について選考できる立場にあると思っているのだ。すばらしい。なんて若いんだ。気持ちは。


 ぼくはこの5名の中の最年少である神田伯山さんと同い年だが、とてもとても世間の流行語について物申せる立場にあるとはおもえない。娘たちが学校で仕入れてきた「エッホ、エッホ」とか「チョコミントよりもあ・な・た」とか言っているのを聞いて「なんじゃそりゃ。それのどこがおもしろいんだ」と思っている人間なので、とっくに流行にはついていけていない。それでも小学生の娘がいるだけかろうじて世間一般のおじさんよりはマシなほうかもしれない。

「新語」のほうはニュースを見ていたらなんとなく耳に入ってくるけど、「流行語」のほうはむずかしい。テレビなどで取り上げられるのはとっくに流行のピークを過ぎて収束に向かってからの場合がほとんどだからだ。新奇な言葉は若い人、特に学生のような狭いコミュニティに属している人たちが仲間意識を高めるために使いたがることが多いので(ぼくも学生時分は仲間内だけで通じる符丁のような言葉をよく使っていた)、若い人同士の言葉をよく耳にする人じゃないとなかなか耳に入ってこない。

 教師や塾講師のように日常的に学生と接する職業の人であれば何が流行しているか知りやすいだろうが、それでも学生が仲間内で使う言葉と大人に対して使う言葉はちがう。若者向けのSNSやYouTube動画にどっぷり浸かっているような“大人としてはちょっとアレな人”でないと流行りにはついていけなさそうだ。


 そんな中、50代60代になってもまだ自分が流行語をジャッジする資格があると思える人は、くりかえしになるがほんとにすごい。多くの人が20代半ばぐらいで「ちょっと学生のノリがわからないことが増えてきたな。自分ももう時代の最先端にはいないな」と気づくものだけど、そんなことは感じずに「大人だけど若い人の感性にもついていけるぜ」と思えるなんて、なんという自信だろう。自分の感覚がずれているのではとか、いい歳して若者の流行についていこうとするのは恥ずかしいとか、そんなことは考えないのだろう。そのみなぎる自信、見習いたいものだ。


 新語流行語選考委員の先生方の姿勢を見習いたいがとうてい真似できないので、ぼくは「年寄りの冷や水」という旧語を噛みしめて生きていくことにする。




2025年11月5日水曜日

【読書感想文】阿部 朋美・伊藤 和行『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』 / なんとなく書かれたぼんやりした本

ギフテッドの光と影

知能が高すぎて生きづらい人たち

阿部 朋美  伊藤 和行

内容(e-honより)
没頭しやすい、情報処理が速い、関係づくりが苦手…高IQが「生きづらい」のはなぜ?特異な才能の一方で、繊細さや強いこだわりを併せ持つ彼ら。時代、社会、環境に翻弄されてきた実情に迫るノンフィクション!

 ギフテッドとは、生まれつき(または幼い頃から)卓越した能力を持った人のことを指すらしい。知能の高い人を指す場合が多いが、知能に限らず芸術的才能などに秀でた人にも使われるのだそうだ。


 そんなギフテッドたちに取材してその生きづらさを紹介する本……なのだそうだが、あまりに内容がひどかった

 まず、“ギフテッド”をきちんと定義していない。医学界でも教育界でも正式に認められた言葉ではないのであたりまえなのだが、誰がギフテッドなのか、誰がギフテッドじゃないのかの明確な基準がない。「ギフテッドたちに取材」というこの本の前提からしてあやふやだ。

 結局この本では「誰かに『ギフテッドです』と言われたことのある人」を“ギフテッド”としている。なんじゃそりゃ。

 それって「生まれてから一度は『天才』って言われたことのある人」と同じくらい信頼性の低い基準じゃない? たぶんほとんどの人が該当するだろう(そしてそのほとんどは天才ではない)。

 せめて「世界的に多く用いられている○○という知能テストでIQ120以上と診断された人をこの本の中ではギフテッドとして扱います」みたいな定義があればまだ信頼できるんだけど。


 定義がないから「自称ギフテッドさんたちに話を聞いてみた」でしかないんだよね。



 前提があいまいなので、もちろん内容もぼんやりしている。

 同時に、IQを検査してくれた医師から、IQに差がある子どもたちと過ごすということは、学年が異なるクラスで過ごすようなものだと教えてもらった。「学年が違うクラスで過ごすような感覚が日常なのは、それは息子にとって苦痛だなと、やっと息子のつらさがわかりました。IQが高いのは、いいことだと思ったこともあるのですが、話が合わない、関心事が合わない集団に日常的にずっといるっていう息子のつらさを初めて知った気がします」(純子さん)
 そして、IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた。
 授業の内容は、都央さんにとって学びが多いとは言いがたいものだったという。「授業は淡々と受けて、教室にいればいいので楽だなと思う一方で、楽しい時間ではないのでつらい場所でもある」とこぼす。

 こんな話が並ぶんだけど……。

 もちろん「IQが高い人は、ほかの人よりもセンサーが敏感で、相手が何をしてほしいかを察知することに優れ、それに応えようとして疲れてしまうとも聞いた」を裏付ける根拠はまったくない。IQが高い人たちを対象にした大規模な調査結果、みたいなものはまったくない。ただのうわさ話。


 だいたいさあ。「IQが高い人が生きづらさを抱えている」自体がかなり怪しいんだよね。

 日本においては全児童に共通でIQテストを受けさせたりしていない。IQテストを受けるのは、(学校になじめないなどの)問題があって専門医を受診する子ぐらいだろう。

 であれば、IQが高いと診断された子が生きづらさを抱えている率が高いのはあたりまえだろう。だって周囲とうまくやっていける子は精神科に行ってIQテストを受けたりしないんだもの。


「精神科に連れていかれた結果IQが高いと診断された人」ばかり取材している。そりゃ「ずっと生きづらさを抱えていました」っていうエピソードが出てくるのはあたりまえだろう。

 IQが高くて社会でうまくやっていける人はわざわざ病院に行って知能テストを受けたりしないし、テストを受けたとしても己のIQの高さを大っぴらに発信したりしない。自慢話は嫌われるだけだから。



 この本で紹介されている「ギフテッドがもつ才能」もかなりいいかげんなんだよね。

「8歳で量子力学や相対性理論を理解」なんてのは(ほんとだとしたら)たしかに常人離れしたエピソードだけど、「4歳で九九を暗記、6歳で周期表を暗記」「2歳で歌を作り、4歳で絵本を作った。小5の現在はアプリを作成中」なんてのはぜんぜんふつうの子だ。 著者は子育てしたことないのかな。

 電車の名前に詳しい子どもとか恐竜の名前をおぼえまくってる子なんてそのへんにごろごろいるよ。子どもは、親に褒められたら周期表ぐらいすぐおぼえるよ。「6歳にして一からほぼ正確な周期表をつくる」ぐらいじゃないと天才的なエピソードとは言えないだろ……。



 ずっと進学校に通って苦労しなくても勉強ができたけど社会人になってから大変な思いをした人の話。

 自分のアイデアや課題を解決するための踏み込んだ思考をもとに主体的に動くと、上司や先輩たちの考えと合わなくなり、低評価を受ける。「人の気持ちが理解できない」「思考能力がない」「自分の頭が悪いことを受け入れろ」とののしられることもあり、体調が悪化。休職した。経緯を聞いた重役と他の上司からは「あなたのような人材が会社に必要だ」と言ってもらえた。嬉しい半面、「だったら、なぜ守ってもらえないのか」という悔しさも入り交じった。
 上司と吉沢さんの間には、見えている視点や仕事のやり方に大きな違いがあった。吉沢さんには、保身のためにやり方を変えようとしない上司の思考が見て取れた。一方で、上司や周囲の人には、会社やグループ企業全体のことを考えて提案する吉沢さんの考え方は理解できなかったのかもしれない。
 吉沢さん自身は、上司や同僚と衝突するたびに悩んだ。「自分は正しいことをしているはずという思いと、自分ができないから悪いんだという葛藤をずっと続けてきた」という。
 自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。

 いやあ、こんなの誰もが経験する話でしょ……。百年前からサラリーマン小説のテーマになっていることだよ。

 たぶんほとんどのサラリーマンは「おれは頭が良くて効率のいいやりかたができるのに周囲がバカばっかりで理解されない」と感じたことあるよ。




 著者が第2章で書いている。

「小学校に入る前に外国語が話せるようになる、相対性理論を完全に理解する、など超人的な才能を見せる子どもがギフテッドだと誤解されているように感じます」
 メディアで取り上げられるのも、若くして英語や数学の検定に合格した子どもや飛び級で大学に入学した子どもなどで、やかで実年齢と大きく乖離した結果を残した子どもがフォーカスされやすい。珍しいがゆえに、ニュースとして取り上げられてしまうのだ。私自身も、当初ギフテッドに抱いた印象はそうした「超人」だった。
 このような情報を見聞きするうちに、「ギフテッドー人並み外れた超人的な才能を持った天才」といったイメージが先行しているのかもしれない。しかし、そうした超人的な才能があるのはギフテッドの中でもごく一部で、極めてまれな存在なのだという。
「学校の先生が『教師人生でそんな才能の子どもを見たことがない」とつぶやいたと聞いたことがあります。この先生の感覚は決して間違っておらず、ギフテッドのイメージが超人的なものに限定されてしまったことに誤解の原因があると思います」角谷教授。
 つまり、超天才がギフテッドだと誤解をしてしまうと、学校の先生たちは自分たちの教え子の中にギフテッドがいるにもかかわらず、気づかない可能性があるということになる。
 角谷教授によると、ギフテッドとされる子どもは様々な才能において3~10%程度いるとされている。35人がいる教室では、1~3人のギフテッドがいることになる。「教師人生で見たことがない」どころか、今の教え子の中にもギフテッドがいるかもしれないのだ。ギフテッドのうち、9割を占めるのがIQ120~130の人で、「人並み外れた超人的な才能を持った天才」とイメージされるIQ160を超えるような人は、ギフテッドの中でもごくごくわずかだという。
 「学校の先生であれば、毎年ギフテッドに出会っている可能性が高い。想像よりも多くの子どもたちが『学校の勉強は知っていることばかりでつまらない」という悩みや自分の特性を理解されずに困っている可能性があります」

 3~10%の子をギフテッドとしちゃうんだ。それだけいたら生きづらさを抱えている子もいっぱいいるだろう。そしてそれよりずっと多くの「さほど生きづらさを感じていないギフテッド」も。


 この本のサブタイトルは「知能が高すぎて生きづらい人たち」だけど、ずいぶんな暴論だ。正しくは「知能が高くて、生きづらい人たち」だ。

 似ているようでぜんぜんちがう。「絵がうまくて生きづらい人たち」がたくさんいるからと言って「絵がうますぎて生きづらい」とは言えませんよ。


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2025年10月31日金曜日

小ネタ41(しばしば / ハードルが高い / 110m障害)


しばしば

「しばしば」という日本語は、oftenを和訳するときにしか使わない。


ハードルが高い

「ハードルが高い」という言葉がある。完全に想像だが、元々「~するにはハードルがある(障害がある)」という用法だったのだが「敷居が高い」という言葉と混ざって「ハードルが高い」になったのではないだろうか。

 だって「ハードルが高い」は変だから。陸上競技で用いるハードルは、高さが決まっている。男子と女子、110m障害と400m障害で高さは違うが、競技場によって高さがちがうなんてことはない(その点敷居は高さが異なる場合がある)。

 陸上の障害走は「一定の高さのハードルを跳び越えながら速く走る」のが目的であって、「より高いハードルを乗り越える」ことが目的ではない。

 障害が大きいことを表すなら「ハードルが高い」よりも「高跳びのバーが高い」とか「バーベルが重い」とかのほうが適切だ。


110m障害

 110m障害が110mと半端なのは「ハードルを跳び越える距離の分、100m走よりも10m長くした」かとおもっていたが、どうやらそうではないらしい。

 イギリスで「120ヤード・ハードル走」という競技をやっていて、120ヤードが約110mなので110m走になったんだそうだ。ハードルの高さもフィート・インチ基準なのでセンチに直すと半端な数字になるんだそうだ。

 へーそうなんだーとおもったが、それはそれで「そもそもなんで100ヤードじゃなくて120ヤードだったんだ」とか「じゃあなんで400m障害のほうは440mじゃないんだ」とか「なんで女子はキリよく100mにしてるんだ」とか「短距離走は男子も女子も同じ距離なのになんで障害だけ男女で距離がちがうんだ」とかいろいろ疑問が出てくる。



2025年10月30日木曜日

韓国旅行記(写真ゼロ)

 韓国に旅行に行った。仁川国際空港付近を少しとソウルをぶらぶら。

 以下かんたんな感想。めんどうなので写真は載せない。見たかったら自分で韓国まで見に行ってくれ。

  • 明洞はなんばのような街だった。要するに外国人観光客向けのぼったくり店ばかりということ。好きな街じゃない。
  • 細い路地のはやってなさそうな店でも日本語が通じた。便利だがおもしろくない。だったら国内旅行でええやん、となってしまう。
  • 焼肉屋で生レバーがあった。韓国では合法なのだろう。でもこわかったので食べなかった。というよりべつに生レバー好きじゃないし。なんか禁止されてからみんな生レバーを必要以上にありがたがりすぎじゃない?
  • 戦争記念館へ行く。ほとんどが朝鮮戦争に関する展示(あとは高句麗時代の戦が少し)で、日本に関する展示は皆無。まあ戦争じゃないしな。軍がやっているプロパガンダ施設っぽいので、勝利したわけではない日本統治下の話はあまり触れられたくない話なのかもしれない。こういうのは「何を展示しているか」よりも「何を展示していないか」に注目してみると面白い。
  • 戦争記念館の前に大きな施設があったので地図アプリで調べたところ、地図上では公園になっていた。後で調べると、軍関連の施設で、軍事上の理由で地図には載せていないんだとか。
  • 大統領府の近くには政権批判の垂れ幕があった。このへんはどの国もいっしょだよね。
  • 屋台でおでんを食う。はんぺんを串にさしたやつ。うまい。
  • 屋台でトッポッキを食べていると、隣にいたおじいさんに話しかけられた(話したところドイツ人だった)。それは何かと訊かれたのでトッポッキだと答える。多かったのでひとつどうだと勧める。おじいさんは喰って顔をしかめて「辛いのはダメだ」と(英語で)言った。
  • 住宅街の中をうろうろ。首輪をしていない野良犬がいてうれしくなる。
  • 室外機を屋根(ななめ)に乗せている犬があった。いいねえ。
  • 住宅街の電柱には非常ボタンがついていた。
  • チャンジャうまかった。
  • デパ地下が楽しかった。つくりは日本とほぼ同じ。その土地の食べ物を見ているのは楽しい。
  • ロッテ百貨店の生鮮食品売場はやたら豪華だった。肉とか魚とかキノコとか貝とかのセット(日本円で3万円ぐらいする)がたくさん売られていた。アワビをよく見た。韓国ではよくとれるのだろう。でもべつに安いわけではない(日本よりは安いが)。
  • 野菜売場で霧が吹きでていたり、鮮魚コーナーに小さい滝があったり、食材を新鮮に見せようとする工夫がすごい。
  • 路上でマツタケを売っていた。
  • 繁華街で、日本語で「この腐敗した世界を救うため神はイエスをつかわしたのです」みたいな演説をしている人がいた。あいつら、韓国まで出張してきてんのか!
  • コンビニで「ジュースの原液」「濃いコーヒー」を売っている。これと氷の入ったカップ(日本でもあるコンビニコーヒーを注ぐやつ)をセットで買って、入れて飲むらしい。
  • 甘い牛乳が人気。買って飲んでみる。うまい。
  • スーパーのお菓子売場を見たが、半分以上は日本でもよく見かけるお菓子だった。日本のお菓子がパッケージそのままで売ってる。当然ロッテのお菓子も多い。なんじゃこりゃ、みたいなお菓子はぜんぜんない。
  • 暑い日もあったが、大通りに日傘をさしている人がひとりもいない。韓国人は日傘をささないらしい。
  • 地下鉄の中のモニターで「非常時には車内のガスマスクをつけて避難せよ。姿勢を低くして煙を吸わないように……」みたいな映像が流れている。これはやはり北朝鮮からの攻撃を想定してのことだろうか。ソウルは北朝鮮から近いしな。
  • 駅にもガラスケースに入った水が置いてある。緊急時には地下鉄の駅に立てこもることも想定しているのだろう。
  • 急に携帯電話に非常アラート通知が来たので、すわ北からの攻撃かとびっくりする。韓国語でアラート。おびえながら翻訳したところ「男の子が○○付近で行方不明。身長120cmぐらい、体重20kgぐらい……」みたいな通知だった。そんなの非常アラートで通知するの? いやまあ重要事項だけど。
  • 大型ショッピングモールのフードコートに行く。注文すると、「料理ができたらカカオトークで知らせるから友だち追加してくれ」と書いてある。脇に小さく「今どきカカオトークがつかえない時代遅れちゃんはこちら」みたいなことが書いてあるので、そちらから注文。おじいちゃんになったらたびたびこういう気持ちを味わうんだろうなあ。でもアワピ釜飯がめっぽううまかったので許す。フードコート最高。
  • 九月半ばだったが韓国は涼しくて日本より過ごしやすかった。半袖で歩き回っていたらちょっと汗ばむ、ぐらい。
  • 仁川にて。気候が良くて気持ちいいので外でぼんやり過ごす。影を見ていて気付いたのだが、12時30分ぐらいに影の長さが最小になる。仁川は東経126度ぐらい。日本と韓国の間に時差はないので、設定上の経度(東経135度)と実際の経度の間に9度のズレがあるわけだ。15度で1時間の時差なので、9度は36分。なるほど、だから南中時間が12時30分ぐらいなのか! 思わぬところで地球の丸さを感じる。とはいえ、たとえば釧路市は東経144度でやはり明石市(東経135度)との間に9度のちがいがあるので、日本国内でも感じられるものなんだけど。