2022年11月14日月曜日

【感想】まほうのレシピ(Just Add Magic)

まほうのレシピ(Just Add Magic)

内容(Amazon Prime より)
ケリーと彼女の親友2人は不思議な料理本を見つけ、その中のレシピには魔法がかけられていることを知る。ケリーのおばあちゃんにかけられた呪いを解くために3人は次々と料理を作っていく。そして魔法の料理を作る者はその効果の代わりに特別なことが起きることを知る。過去に起きた事件と料理本に隠されたナゾが明かされるとき、さらなる大きな秘密が暴かれる!


 Amazon Prime にて鑑賞。

 おもしろかった。Amazon Prime では「キッズ」カテゴリに入っているが、大人でも楽しめる。というか、子どもにはこの複雑なストーリーを理解するのはなかなかむずかしいとおもうぜ。

 シーズン1からシーズン3までを家族で観た。ドラマをはじめて観る長女(9歳)もおもしろがって、1話観るたびに「もういっこ観よう!」と言っていた。毎回気になるところで終わるんだよなあ。


 主人公は仲良し三人組の女の子、ケリー・ハンナ・ダービー。中一ぐらい。

 あるときから、ケリーのおばあちゃんが会話をできなくなる。おばあちゃんを大好きなケリーは心配するが、どうすることもできない。

 そんなとき、三人の前に奇妙のレシピが載った本が現れる。本に載っていた「おだまりケーキ」をつくったところ、食べた者が口を聞けなくなり、その副作用でつくった者のおしゃべりが止まらなくなる。なんと本は魔法の本だったのだ。

 しっかり者だが融通の利かないケリー、良くも悪くも慎重派のハンナ、だらしないが他人にも寛容なダービーと性格の異なる三人が、ときに助け合い、ときに喧嘩をしながら様々な問題を解決する物語。


 ということで、以下感想。ネタバレがんがん含みます



■シーズン1

「はいはい、女の子たちが魔法の料理を使っていろんな問題を解決する1話完結のお話ね」とおもって観はじめたのだが、そんな単純なものではなかった。

 たしかに基本は1話完結で、
問題発生 → 魔法の料理を作る → 魔法の失敗、魔法が効きすぎる、魔法の副作用などで新たな問題発生 → 試行錯誤して解決
という流れが多い。だが、すべての問題が解決するわけではない。

 あれこれ魔法の料理を作っても、おばあちゃんの具合はいっこうに良くならない。魔法は悩みを解決してくれるが、ひとつ解決するたびに新たな悩みが生まれる。

 さらにはシルバーズさん、ママPという謎を秘めたキャラクターたちも魔法について何かを知っている様子。はたして彼女たちは何を知っているのか、そしておばあちゃんに何が起こったのか……。

 このシーズン1を観ると、もう止まらなくなる。

 特におもしろかったのが登場人物に対する評価が二転三転するところ。

「あ、ママPって意外といい人なんだ」「シルバーズさんは怖い人と見せかけて意外といい人、と見せかけて何か企んでいる?」「ママPもシルバーズさんも呪いをかけあっていたのなら、もしかしておばあちゃんも?」
と、あれこれ推理しながら楽しめた。

 終盤、ママPがサフランフォールズのみんなに毒づくシーンは最高。ママP役俳優の怪演が光る。よくこんな嫌いな町で客商売やってたな。逆に感心する。

 主人公だし、しっかり者だとおもっていたケリーが暴走してしまう展開もおもしろい。いちばんヤベーやつじゃねえか。逆に、だらしないダービーにいちばん好感が持てる。友だちにするならだんぜんダービーだな。まあいちばんいい奴なのはジェイクなんだけど。優しいし、勤勉だし、向上心も強いし、料理はうまいし、なんでジェイクがモテないのかがわからん!


■シーズン2-1

 シーズン1で一応おばあちゃん問題は解決したが、新たな問題が発生。それが過去から来た少年・チャック。

 どうやらチャックは悪いやつらしいが、彼がどこから来たのか、何を狙っているのかは不明。主人公たちのそばをうろついて、何やら機をうかがっている様子なのがいかにも不気味。

 このシーズンでは、チャック問題に加えて、ケリーの母親の市長選出馬、ダービーの父親の再婚、ハンナの転校といったサイドストーリーも充実。

 意外とかわいいシルバーズさん、相変わらず口は悪いけどジェイクの前では意外と素直なママPなど、主人公たちに加え、OC(おばあちゃんたち)のキャラも光ってくる。

 終わりが唐突な印象だったのが残念。あわてて風呂敷を畳んだような。チャックの心情があまり見えないまま過去に帰っちゃったもんね(また後で出てくるけど)。もう少し心境の変化が語られてもよかったのに。結局、旅人が誰だったのか最後までわからないままだったし(シーズン3まで観てもよくわかんない)。

 ぼくがいちばん好きだったシーンは、ここでもやっぱりママP。OCたちがチャックに呪いをかけてラベンダーハイツに閉じこめるんだけど、そのときのママPのうれしそうな顔! 自分に何十年もかけられてた呪いを他人にかけるのがうれしくてたまらないという顔をしている。

 ところで、テリー(ケリーの母親)もそうだけど、サフランフォールズの住人はラベンダーハイツを嫌いすぎじゃない? 何があったんだ?


■シーズン2-2

 2-1から出ていたRJやノエル・ジャスパーといった新キャラが活躍。「間の者たち」との新旧「本を守る者」の対決構図。

 昔の恋人に嫌がらせをしていたRJはともかく、魔法を使って店を繁盛させていたノエル・ジャスパーはそんなに悪いやつか? なんかすごい悪者みたいに描かれてたけど、主人公たちだって序盤はけっこう私利私欲のために魔法を使ってたじゃん!


 主要な登場人物たちが次々に魔法に関する記憶を失ってゆく。はたして記憶を奪っているのは誰なのか、そしてその人物の目的は……。

「姿の見えない敵」ということで、最もサスペンス色の強いシリーズかもしれない。次々に敵が現れては、消されてゆく。まるで『ジョジョの奇妙な冒険』のようなスリリングな展開だった。

 ぼくはずっとモリス先生が怪しいとおもっていたので「ほら!予想通り!」と喜んでいたのだが、まさかモリス先生じゃなかったとは……。

 個人的には、このシーズンの黒幕であるジルの思想には共感する。「この世から魔法を消す」ってのがジルの望みだったけど、いやほんと、魔法の記憶を失った方が幸せだよ。魔法は災いをもたらしてばっかりだもん。ケリーたちがやってることって全部魔法のしりぬぐいだし。魔法を使っているというより魔法に使われている。この後のシーズン3の展開を考えても、ジルの思い通りになっていたほうが幸せだったんじゃないの?

 それにしてもジルは学生時代と現在で性格変わりすぎじゃない? だらしなくて怠惰なキャラだったのに、選挙の参謀になれる?


■シーズン3

 ママPの店、シルバーズさんの庭、ケリーのトレーラーから魔法のスパイスが盗まれる。まったく犯人の目的が見えない中で三人は魔法を使って対抗しようとするが、三人の間に亀裂が生じ……。

 ここまでさんざん「意外な犯人」にだまされてきたのでもうだまされないぞと警戒しながら観ていたのだが、やっぱりだまされた。まさかあの人とは……。最も意外な黒幕かもしれない。

 最後の料理がジェイクリトー(ジェイクのオリジナルレシピ)だというのが胸が熱くなる。

 ストーリー自体は相変わらずおもしろいが、元々は自分たちの蒔いた種だということで、観ていて徒労感が強い。ほら、やっぱりジルの言う通り魔法の記憶をなくしといたほうがよかったじゃん、とおもっちゃうんだよね。無駄にトラブルを引き起こして、がんばってマイナスをゼロにしただけだもんな。

 最終話で未来の三人組が出てくるのもわくわくする。あまりに似ていたから、あれはCGなのかな?

 ママPとジェイクがつかずはなれずのラブコメみたいな関係になっていたことや、ママPとシルバーズさんが一緒にニューヨークに行くことに不安しかない(喧嘩しないわけがない)のとか、丸く収まりながらお余白を残した終わり方もおしゃれ。


■総括

 おもしろかった。子ども向けとはおもえない重厚なストーリー。ただ、後半はやや蛇足感もある。いや後半は後半でおもしろかったんだけど。でもシーズン2-1か2-2ぐらいで終わっててもよかったともおもう。

 美人やイケメンが出てくるわけでなく、登場人物たちがみんなふつうの見た目の人たちなのもいい。日本でもこういうドラマや映画をつくってほしいなあ。隙あらば美男美女をねじこんでくるからなあ。

 アメリカの文化が垣間見えるのもおもしろかった。向こうの学校の昼休みはこんな感じなんだ、授業は高度なことやってるなあ、陰湿ないじめはどこにもあるんだなあ、スマホを使いこなしているのはさすが現代っ子だなあ、と本筋とは関係のないところでもいろいろ得るものがあった。


 さて、次の〝本を守る者〟であるゾーイたちに本を引き渡して、続編である『まほうのレシピ ~ミステリー・シティ~』に続くわけだけど、そっちも観ているが今のところは1作目のほうが好き。まあたいてい続編は劣るものだけど。

『まほうのレシピ』の魅力は、主人公三人組よりも、OCやジェイク、パパやママといった魅力的なわき役たちにあったのだが、続編『ミステリー・シティ』のほうは主人公たちと適役以外の出番が少ない。

 漫画でも小説でも、脇役が魅力的なのがいいドラマだよね。


2022年11月8日火曜日

【読書感想文】アゴタ・クリストフ『悪童日記』 / パンツに手をつっこまれるような小説

悪童日記

アゴタ・クリストフ(著)  堀 茂樹(訳)

内容(e-honより)
戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。


 なんかうまく言葉にできないけど、ぞくぞくする小説だった。おもしろい、とはちょっとちがう。感動するわけでもないしハラハラドキドキする描写もほとんどない。新しい知識が得られるわけでもないし、意外なトリックが仕掛けられているわけでもない。でも、ぞくぞくする。ページをめくる手が止まらない。なんともふしぎな味わいの小説だった。



 いちばん奇妙だったのは、人の顔が見えないことだ。

 一人称で書かれた小説なのに自我がまるで感じられない。主語は常に「ぼくら」だったり「ぼくらのうちひとり」だったりで、「ぼく」としての語りはまったくない。双子それぞれの名前も一切出てこない。誰も彼らを名前で呼ばない。

 固有名詞がないのは「ぼくら」だけでない。登場人物たちは「おばあちゃん」「将校」「従卒」「女中」などと肩書で呼ばれ、名前があるのはせいぜい「兎っ子」ぐらい。それもあだ名だが。

 地名も「大きな町」「小さな町」などで、著者の経歴を知ればナチス占領下のハンガリーであることは容易に読みとれるものの、作中に具体的な国名などは一切出てこない。

 とにかく、具体性、自我がまるで見えない。

 にもかかわらず、登場人物たちの姿は活き活きと描かれている。

 強欲で口汚くて夫を毒殺した噂のあるおばあちゃん、目の見えない隣人と知的障害のある娘、少女に猥褻行為をする司祭、ぼくらを性的にかわいがる将校や女中……。

 戦争文学なのだが、反戦メッセージがあるわけではない。登場人物たちはことごとく非道。もちろん「ぼくら」も例外でなく、嘘や盗みを平然とはたらく。場合によっては命を奪うことも辞さない。生きるためだけでなく、ただ純粋に興味本位で悪をはたらくこともある。その一方で勉強熱心で勤勉で正直という極端な一面も持ちあわせている。


 登場人物たちに善人はいないが、根っからの悪人もいない。いや、現代日本人の感覚からすれば悪人だらけなのだが、『悪童日記』の中では悪人ではない。なぜなら、戦時下だから。

 戦時下で死と隣り合わせの状況では、欲望に対してずっと正直になるのだろう。『悪童日記』の登場人物たちは、タテマエや世間体よりも己の欲望を優先させている。それが、彼らが活き活きとしている理由だろう。

 平和を愛する日本人であるぼくはもちろん戦争なんてまっぴらごめんだが、でも欲望に忠実な彼らの生活は案外悪くないかもなとおもわされる。嘘や飾り気のない人生なのだから。



 もっともぞくぞくしたのが、ラストの父親が訪ねてくるシーン。スパイ容疑をかけられて拷問を受けた父親の亡命を助ける「ぼくら」。こいつらにもこんな人情味があったのか……とおもいきや、まさかのサスペンス展開。おお。ぞわっとした。

 ずっとユーモラスな雰囲気が漂っているのが余計にこわい。


『悪童日記』を読んでいると、ふだん「社会性」という仮面の下に隠している獣の部分を暴かれるような気がする。ぼくも一応はちゃんとした社会人のふりをしているけど、状況が変われば金や性欲や食い物のために、他人を踏みつけにする人間だということをつきつけられるような。

 まるでパンツの中にいきなり手をつっこまれたような感覚になったぜ。うひゃあ。


【関連記事】

政治はこうして腐敗する/ジョージ・オーウェル『動物農場』【読書感想】

【読書感想文】語らないことで語る / ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』



 その他の読書感想文はこちら


2022年11月7日月曜日

【コント】原稿持ち込み

「お願いです。これ読んでいただけませんか」

「えっ、これなに……?」

「ぼくが書いた小説です。ぼくの命そのものです。ぜひ読んでいただきたい、そして出版していただきたい。そうおもってお持ちしました!」

「持ち込み……? いや困るよ、君」

「アポなしでやってきて失礼なことは重々承知しております。ですが、お願いです。一度でいいので読んでいただけないでしょうか!」

「アポとかの問題じゃなくて、そもそもうちはそういうのやってないから

「そこをなんとか!」

「なに、君。作家デビューしたいの?」

「はい! 自信はあります。読んでいただければわかります!」

「それだったらまずは賞に応募して……」

「ぼくの作品は既存の賞のカテゴリに収まるようなものではないんです。それは読んでいただければわかります! 読んで、つまらなければ燃やしていただいてもけっこうです! ぜひ一度!」

「いやだって君……」

「はい!」

「うちは本屋だからね」

「……えっ?」

「……えっ?」

「それがなにか……」

「いやいや。原稿を読んで、おもしろいかどうかを判断して、出版するかどうかを決めるのはうちの仕事じゃないから」

「えっ!? こんなに本があるのに?」

「関係ないから。うちは出版社や取次から送られてきた本を並べて売ってるだけだから。出版にはかかわってないから」

「ええっ」

「本屋にやってきて原稿を本にしてくださいって。君がやってるのは、漁師にさせてくださいって魚屋にお願いするようなものだからね」

「えっ、漁師になるためには魚屋に行くんじゃないんですか……?」

「ああ、もう、とことん非常識だね! 学校の社会の授業で習ったでしょ。商品の流れとか」

「ぼく、学校に行かずにずっと原稿書いてたんで知らないんです。十五年かけてこの原稿を書いてたんで」

「うわ……」

「ここがちがうなら、どこに持ち込めばいいんでしょうか」

「そりゃあ出版社だろうけど、でも君の場合はまず一般常識を身につけてから……」

「シュッパンシャってとこに行けばいいんですね! わかりました! ありがとうございます!」

「あーあ、行っちゃったよ。ほんと非常識な子だな……。あれっ、原稿忘れていってんじゃん。命そのものじゃないのかよ。まったく、あんな変な子がいったいどんな小説を書くのか、ちょっと読んでみるか……」


「えっ、嘘だろ!? めちゃくちゃ平凡!」


2022年11月4日金曜日

大盛り無料の罠

 大盛り無料の罠にひっかからなくなった。ぼくも大人になったものだ。


 若い頃は幾度となくひっかかってきた。

 大盛り無料! ってことは大盛りにしないと損するってことじゃん!

 で、明らかに身の丈にあわない量のごはんを前に苦労することになる。胃もたれするおなかをかかえて会計をしながら「もう大盛り無料はやめとこう」と決意する。

 だがその決意もつかぬま、のどもとすぎればなんとやらで数週間後に訪れた定食屋でおばちゃんから「大盛り無料ですけど」と言われたとたんに「今日はいけそうな気がする」と注文してしまうのだ。


 もっと若い頃は大盛りでも余裕でいけた。

 学生街の定食屋でからあげ定食(大盛り)を頼んだら、特大からあげ十個とふつうの茶碗三倍分ぐらいのごはんが出てきてさすがにそのときはごめんなさいと言って残したが、そんなクレイジーな店をのぞけば大盛りでも余裕でこなせた。有料でも大盛りにすることもあった。


 しかし若いつもりでも、肉体は時が経てば衰える。特に内臓の衰えは深刻だ。ちょっと食べすぎたり、ちょっと脂っこいものを食べると、てきめんに具合が悪くなる。

「無理って言ってるじゃないすか……。もう若くないんすよ」
という胃の声が聞こえる(若い人には信じられないかもしれないが、中年になると己の内臓と会話ができるようになるのだ)。

 手痛い失敗を何度もくりかえし、ぼくは学んだ。「大盛り無料」は罠だ。あれはサービスではない。店が、中年をいじめるために仕掛けているトラップなのだ。

 大盛り無料の罠にひっかからない人。それこそが分別ある大人なのだ。


2022年11月2日水曜日

いちぶんがく その17

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



マイがいつものようにすっかり話に置いて行かれた顔で言った。

(冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』より)




ゼロ除算は全人類の目の敵なのです。

(いっくん『数学クラスタが集まって本気で大喜利してみた』より)




薄気味悪い笑いを浮かべたクラスメイトを破ってしまいたいと思った。

(又吉 直樹・ヨシタケシンスケ『その本は』より)




また、試合開始早々にベンチに下げられても、ロッカールームを爆破してやるなどと脅迫することもなかった。

(R・ホワイティング(著) 玉木 正之(訳)『和をもって日本となす』より)




鞠子は、遠慮とはさせるもので、するものではないと思っている。

(吉田 修一『パーク・ライフ』より)




例えば、電話の通話、 野球のホームランの数、コンピュータのプログラム、スポーツジムのトレーニングプログラム、 柔道の試合や、技の数(技あり一本)などにも使われる。

(今井 むつみ『ことばと思考』より)




私の考えがひどくゆがんでいたとしても、それを押しつけることができるのだ。

(マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク 人づきあいの経済学』より)




一人になりたいときには、テニスの松岡修造のような暑苦しいキャラクターは嬉しくありません。

(青木 貞茂『キャラクター・パワー ゆるキャラから国家ブランディングまで』より)




出会いはいつも平凡で、シングルカットされるような劇的な瞬間なんて、ひとつもなかったのです。

(岡本 雄矢『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』より)




あなたや私のなかには、たくさんのアウストラロピテクスがいるのである。。

(ダニエル・E・リーバーマン(著) 塩原 通緒(訳)『人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』より)




 その他のいちぶんがく