2022年5月17日火曜日

王女様マインド

 こんな話を聞いた。

「幼い子は、周囲の大人が自分の世話を焼いてくれるので、すべての人は自分のために動く存在だとおもっている。だが成長するにつれて世界が自分を中心に回っているわけではないことを学ぶ。その理想と現実の衝突により引き起こされるのがいわゆる〝イヤイヤ期〟だ」

 なるほど。ほんとかどうか知らないが、なかなか説得力のある話だ。


 そりゃあ親が24時間つきっきりで世話してくれて、おなかがすいたと泣けばおっぱいを与えられ、だっこを要求すれば眠るまでだっこしてくれ、うんこを出せばおしりを拭いてくれるんだもの。自分を王族かなにかと勘違いしてしまうのも無理はない。自分を天上天下唯我独尊だと勘違いしているのはお釈迦様だけでなく、すべての赤ちゃんがそうなのだ(ちなみにお釈迦さまはマジ王族だったけど)。

 だからだろう、うちの三歳児もご多分に漏れず自己肯定感が高い。両親からも祖父母からもおじやおばからも保育園の先生からもかわいがられるのだから、森羅万象から愛されて当然だとおもっている。


 そんな彼女にも天敵がいる。五歳上の姉だ。

 驚くべきことに、姉は自分の言うことを聞いてくれない。いや、赤ちゃんのときはかわいがってくれてすべてを許してくれたのに、最近の姉はどんどん生意気になってきて私に歯向かうようになった。私の指示に従わないばかりか、あろうことかこの私に口ごたえをしたり、さらには手を上げてきたりもする。なんたる不敬。

 こんな不届き者はいつか懲らしめてやらねばならぬが、甚だ憎らしいことにこいつは力が強い。武力で対峙するのは得策ではない。


……とまあこんなふうに考えるのだろう、次女は姉に悪口を言われると、

「もう、ねえねとあそんであげへん!」

と高らかに宣言する。

 あっぱれ。王女様の気品。もうあなたには笑いかけてあげないわ。せいぜい後悔しなさい。


 彼女にとっては「あそんであげへん」が最大の罰なのだ。なんと高貴なお方だろう。




 とまあ三歳児のほほえましいエピソードを紹介したわけだが、そんな高貴な精神の持ち主は三歳児にかぎらない。いい歳した大人でもこういう高慢さ 品格を持った人は少なからずいる。

 たとえばTwitterで有名人が波風の立つ発言をする。すると、こんなコメントがつく。

「そんな人とは思いませんでした。あなたの出ている番組はもう見ません」

「失望しました。あなたの書いた本はもう読みません」


 このマインド、まさしく三歳児の「もうあそんであげへん!」のそれだ。

 このわたくしに嫌われたのよ、このわたくしから見向きもされなくなったのよ、さぞつらいでしょうね。泣いて悔しがってももう遅いわよ!


2022年5月16日月曜日

【読書感想文】東野 圭吾『マスカレード・イブ』 / 月夜はおよしよ素直になりすぎる

マスカレード・イブ

東野 圭吾

内容(e-honより)
ホテル・コルテシア大阪で働く山岸尚美は、ある客たちの仮面に気づく。一方、東京で発生した殺人事件の捜査に当たる新田浩介は、一人の男に目をつけた。事件の夜、男は大阪にいたと主張するが、なぜかホテル名を言わない。殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密とは何なのか。お客さまの仮面を守り抜くのが彼女の仕事なら、犯人の仮面を暴くのが彼の職務。二人が出会う前の、それぞれの物語。「マスカレード」シリーズ第2弾。


『マスカレード・ホテル』の前日譚的短篇集。『マスカレード・ホテル』で出会う前の、ホテルマン・山岸と刑事・新田の若き日の物語。


 うん、悪くはない。悪くはないが、『マスカレード・ホテル』の完成度が高すぎたのでやや期待外れ。いやおもしろいんだけどね。短篇だけど、事件発生→推理→解決という単純な構図ではなく、二転三転するし。

 どれも一定以上のクオリティを保った佳作ミステリといっていいとおもう。

 ただ、『マスカレード・ホテル』で「刑事がホテルに潜入するという設定のおもしろさ」や「あまりにさりげない周到な伏線」といった一級品の技術を見せられた後だけに、どうも物足りなさを感じてしまう。

 高級ディナーコースの最後にハーゲンダッツを出されたような気持というか。そりゃもちろんハーゲンダッツはおいしいんだけど今ここで求めているのはそれじゃないんだよ。




 ということで、『マスカレード・ホテル』ファン向けスピンオフという感じだったが、ラストに収録されている書下ろし作品『マスカレード・イブ』はおもしろかった。

 トリックも本格的で、謎解きも丁寧。新田とコンビを組む穂積という女性警察官もいいキャラクターだし、話の流れもちゃんと『マスカレード・ホテル』につながる内容になっている。『マスカレード・ホテル』の前日譚として完璧な作品だった。

 ここで新田が女性警察官である穂積のことを下に見ているところも、『マスカレード・ホテル』の心境の変化へのお膳立てになっているしね。ニクいぜ。




 ところで、『ルーキー登場』にも『マスカレード・イブ』にも悪女が出てくる。男をたぶらかせて悪の道にひきずりこむ魔性の女。

 東野圭吾氏は悪女が好きだよね。『夜明けの街で』『聖女の救済』など、怖い女が出てくる作品は挙げればきりがない。

 個人的によほど苦い記憶でもあるのかね。


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【読書感想文】不倫×ミステリ / 東野 圭吾『夜明けの街で』



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2022年5月13日金曜日

「天才ヘルメット」と「技術手袋」に支配される日

 ドラえもんの映画『のび太の宇宙小戦争』に「天才ヘルメット」と「技術手袋」という道具が出てくる。
 ヘルメットがラジコンの改造内容を考えてくれて、手袋が勝手に手を動かしてくれる、というものだ。


 この道具の説明を聞いたとき、ぼくは「人間いらんやん」とおもった。

 思考も動作も道具がやってくれるのなら人間が装着する必要などない。


……だがじっくり考えるうちに、ふと人間が装着する理由に思い至った。

 そうか、あの道具は人間を動力源としているのだ。だから人間が装着しないといけないのだ。人間のエネルギーを借用することで「天才ヘルメット」は考え、「技術手袋」は動くことができるのだ。

 つまり、あのヘルメットと手袋をつけている間、人間はエネルギーを供給するだけの「電池」に過ぎないのだ。


『のび太の宇宙小戦争』には、スネ夫が「天才ヘルメット」と「技術手袋」をつけて夜遅くまでがんばって戦闘機を改造するシーンが出てくる。

 映画を観ているときは「思考も実行も道具がやってくれるのに、何をがんばってる感じ出しとんねん」とおもっていたが、その考えは浅はかだった。じっさいスネ夫はがんばっていたのだ。なにしろ道具にエネルギーを吸い取られるのだ。きっとひどく疲れるだろう。


 コンピュータが日常のものになり、AIの精度もどんどん上がっている。「このままだとAIに仕事をとられて、人間の仕事はなくなるぞ!」なんて言う人もいる。

 その予想は見事に当たっている。22世紀では、人間は頭脳労働も肉体労働もとられ、人間は電池としての仕事しかさせてもらえないのだ。

「天才ヘルメット」と「技術手袋」は、人間が電池になる未来を示唆している道具なのだ。




……という話を友人にしたところ、「映画『マトリックス』がそんな話だよ」と言われた。

 ぼくは観たことがなかったので「グラサン男がエビ反りをするだけの映画」の認識だったのだが、「仮想現実の中で生きながらコンピュータの動力源として培養されるだけの存在である人間を解放するために、キアヌ・リーヴスが戦う物語」なんだそうだ。

 がんばれキアヌ・リーヴス! コンピュータに支配されたスネ夫少年を助け出すために!


2022年5月12日木曜日

死に向かう生き物


 公園で三歳の次女と遊んでいたら、次女の保育園の友だち・Tくんに会った。

 次女が補助輪つきの自転車に乗っていたので、「後ろ乗る?」と誘ってTくんを荷台に乗せてやる。転ぶといけないので、ぼくが自転車を持ったままついていく。
 なにしろぼくは三十数年前、姉の運転する自転車に二人乗りして転んで左腕の骨を折ったことがあるのだ。自転車二人乗りのおそろしさはよく知っている。

 Tくんを後ろに乗せて次女が運転したり(といってもぼくがずっと支えているのだけれど)、交代してTくんが前に座って次女を後ろに乗せたり。
 二十分ほど遊んだろうか。次女は「かくれんぼしよう」と言って自転車から降りた。ところがTくんはまだまだ自転車に乗りたかったらしい。勝手に次女の自転車にまたがる。


 やめてほしい。
 べつに自転車を貸すことはいいのだが、こけてケガでもされたら困る。なにしろTくんはペダルも満足にこげないし、ハンドル操作もあぶなっかしい。バランスをくずしたときに立て直す力もない(ぼくが支えてやらねば転んでいた、ということが何度かあった)。

「あっちであそぼっか」「かくれんぼしよ」と誘っても、Tくんはかたくなに自転車に乗ろうとする。すべり台に連れていっても、ちょっと目を離すとすぐに自転車に手をかけてまたがろうとしている。おまけに「あっちにいく!」と、下り坂を指さす。

 おいおいおい。ハンドル操作もできず、もちろんブレーキもかけられない三歳児が自転車で下り坂につっこんだらどうなるか。火を見るより明らかだ。なのに彼は果敢にチャレンジしようとする。どこからくるんだ、その自信は。




 男女平等だなんだといっても、生まれもった性差というのは確実にある。「死に向かう子」は圧倒的に男の子のほうが多い。

 高いところには登ってみる、登った後は飛び降りてみる、よくわからないものは触ってみる、よくわからない場所には入ってみる。もちろん個体差もあるが、総じて男子の生態だ。

 ぼくもそうだった。大きなけがはあまりしなかったが、崖やため池や川や立ち入り禁止の屋上など、一歩間違えれば命を落としかねない場所でよく遊んでいたから、今生きているのは単に運が良かったからだ。


 その点、うちの娘はふたりとも慎重すぎるぐらい慎重だ。目を離しても親から離れない。ずっとついてくる。二十センチぐらいの段差でも飛び降りない。「て!」と言って手をつなぐことを要求する。こっちが「ジャンプしてみ」と言っても首を横に振る。危険なことには一切手を出さない。

 そんな慎重女子に慣れているので、たまに男の子と遊ぶとその大胆さがおそろしくなる。ちょっと目を離すと高いところに上ってたりするんだもの。

 こないだも、坂道の上にスケボーを置いてその上に腹ばいになっている男子小学生を見つけて、ぜんぜん知らない子だったけどおもわず「やめときや」と注意した。スケボーに乗って頭から坂道を降りていったら99%ケガする。残りの1%は死だ。
 でも男子はわからないんだよなあ。ぼくも似たようなことやってたからよくわかる。


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男の子の成長を見ること


2022年5月11日水曜日

【読書感想文】小林 賢太郎『短篇集 こばなしけんたろう』/活字は笑いをとるのに向いていない

短篇集 こばなしけんたろう

小林 賢太郎

内容(e-honより)
「小説幻冬」二〇一六年十一月号~二〇一八年十月号に連載されたものを再構成。「くらしの七福神」「第二成人式」「覚えてはいけない国語」「素晴らしき新世界」「なぞの生物カジャラの飼いかた」「新生物カジャラの歴史と生態」「落花8分19秒」「砂場の少年について」ほか。23篇。

 元ラーメンズ(で、いいんだよね? 芸能活動を引退したから)の小林賢太郎氏の短篇集。

 ぼくはラーメンズのファンで、DVDはすべて持っているし、舞台『TEXT』『TOWER』やKKPの『Sweet7』も生で観た。

 片桐仁氏も好きだが(『シャキーン!』が終わったのがつくづく残念)、多くのラーメンズファンと同じく、より好きなのはラーメンズのブレーン・小林賢太郎氏のほうだ。彼の作る舞台作品はほんとうに見事だ。


 そんな小林賢太郎氏による初短篇集(戯曲集は四冊出している)。

 まず褒めておくと装丁が美しかった。たいへん凝っている。電子書籍で販売していないのも納得の装丁だ。

 で、肝心の中身だが……。


 うーん、まあところどころおもしろいところはあるが、ぼくがラーメンズのファンだからってのを差し引いてもおもしろいかと言われると……。

「これを舞台でやったらおもしろいだろうな」とか「これを小林賢太郎さんの語り口で聞かされたら感心するかもしれないな」とか考えてしまう。


 まず、文章がうまくないんだよね。ちゃんと意味はとれる。でもそこに作者の個性みたいなものがぜんぜん感じられない。体温を感じない文章。

 ああ、わかった。これはト書きなんだ。台本の。だから「誰が」「何を」「どうした」は書かれていても「どうやって」「心情はどうだった」といった描写が少ない。芝居の場合、それは演技で補うものだから。

 ここに収められている作品、形式は小説だけど実態はほとんど戯曲だ。




「笑い」について。

 表現手段はいろいろあるが、笑いをとるのにふさわしいものとそうでないものがある。

 前者の例はマンガや演劇で、後者の例は活字だ。ぼくが活字を読み、声を出して笑ったことはほとんどない。穂村弘氏や岸本佐知子氏のエッセイはめちゃくちゃおもしろいとおもうけど、それでもせいぜいニヤリとする程度。表情も声のトーンも〝間〟も伝えられない活字で笑いをとるのは至難の業だ。


『短篇集 こばなしけんたろう』には、明らかに笑いをとりにいっているものがある。

 これがつまらない。おもしろくないどころではない。読んでいてつらくなる。

 特にひどかったのが『カジャルラ王国』。ウケを狙いにいっているのが見え見えで、にもかかわらずギャグがことごとく笑えない。ぼくも小学生のときにこういうのを書いていた。つまり小学校の学級新聞レベルのギャグ。それがくりかえされる。

 読んでいて「もうやめてくれ」と言いたくなった。

 たぶん舞台で観ていたらもうちょっと楽しめたんだろうけど。




 比較的よかったものは、ほぼ落語の『ひみつぼ』。やっぱりこの人は小説よりも戯曲が向いているんだな。


『短いこばなし』は、ネタ帳のボツ作品を放出したという感じ。

海外旅行先でのコンセントの形に関する、抜き差しならない問題。

 ああ、そういうことね、ニヤリ。これだけで放出してしまうのがもったいない。ラーメンズが活動を続けていたら、こういうのも肉付けされて一本の作品になっていたのかもしれないな。




 いちばん好きだったのは『ぬけぬけと噓かるた』。

 もっともらしい嘘うんちくを五十個並べたものだ。

  キリンは眠らない。

 キリンは、体を倒してしまうと起き上がれないため、横になって寝ることはない。そのかわりに、頭部を高く上げることで血液の循環を遅らせ、起きたまま脳を休ませることができる。ちなみに「不必要なもの」という意味の「キリンの枕」という慣用句を最初に使ったのは、ニ葉亭四迷。嘘。
  ホワィトハウスは窓からの景色を統一するために、庭の木が一種類。

 テレビに映ることがある大統領執務室。テロ対策として建物内のどこにあるのかを、窓の景色から推察させないために、庭の木を統一してある。ちなみに、このアイデアを出したのはロナルド・レーガン大統領である。品種はアメリカブナ。嘘。

 こんなの。ありそうだなあ。「嘘」と言われなかったら信じてしまうとおもう。

 特にホワイトハウスの庭の木なんかめちゃくちゃありそう。やってないんだったら、やったほうがいいんじゃないの?




 小林賢太郎氏のファンならおもしろいところが見つけられる本なんじゃネイノー。

 なんとも煮え切らない感想になってしまったな。


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