2019年5月2日木曜日

【読書感想文】三浦 綾子『氷点』

氷点

三浦 綾子

内容(e-honより)
辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害された。「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。何も知らない夏枝と長男・徹に愛され、すくすくと育つ陽子。やがて、辻口の行いに気づくことになった夏枝は、激しい憎しみと苦しさから、陽子の喉に手をかけた―。愛と罪と赦しをテーマにした著者の代表作であるロングセラー。

1965年刊行、何度も映像化されている古典的作品。

病院の院長である父親、美しく優しい母親、かわいい息子と娘。
絵に描いたような幸せな家庭の運命が、ある日娘が殺害されたことで大きく転換する。
父親は殺人犯ではなく男と逢引きをしていた妻を憎み、妻への復讐のために犯人の娘を養子として引き取る……。

「原罪」という重いテーマを扱った作品(著者の三浦綾子氏はクリスチャンだそうだ)。
家族それぞれが秘密を抱えて互いに欺きながら暮らしてゆくうちに、幸せいっぱいの家族が徐々に壊れてゆく描写はスリリングで読みごたえがあった。

日本での殺人事件の半数以上が家族間の殺人だそうだ。身近で関わりが深いからこそ、愛情が憎悪にかわったときの恨みも半端ではない。
幸いぼくは親や姉や妻や子に対して殺意を抱いたことはないけど、激しい憎しみを抱いたことはある。「あのときあんなことを言われた」と二十年たっても根に持っていることもある。逆に親や姉だってぼくに対してひとかたならぬ恨みを持っているかもしれない。

今は親族と良好な関係を築いているけれど、なにかのきっかけで相手の人生をぶっこわしてやりたいと望むほどの憎悪に変わらないともかぎらない。

……そんなことを『氷点』を読みながら考えて背筋が冷たくなった。
愛情と憎悪は紙一重なのだとつくづくおもう。


家族間の深い愛情と深い憎しみを描いた『氷点』、これがほぼデビュー作だというからすごい。

まあ文章はあまりうまくないんだけど……(というか同じ段落の中で視点がころころ変わるのって第三人称小説でぜったいにやってはいけないことだろ)。

でも、「船舶事故」「失踪した看護師」といった“特に回収されないエピソード” がちょこちょこあるのは好きだ。
こういう本筋に関係あるのかないのかわからないエピソードがあると、小説にぐっと深みが与えられるね。



しかしクリスマスにプレゼントをもらうということ以外ではキリスト教とは関わりのない人生を歩んできたぼくにとっては、「原罪」なるものはよくわからない。
人は生まれながらにして罪を負っているとか、親が殺人犯だったから子どもが罪を感じるとか、とうてい理解できないんだよなあ。

「人は罪を犯しうる存在である」と言われればそのとおりだとおもう。
ぼくだって環境によっては殺人犯になっていたかもしれない。逆に、ヒトラーやポル・ポトのような悪名高い人物だって、べつの時代や場所に生まれていたら平凡な人生を歩んでいたとおもう。

でも、だからこそ「罪を犯しうる存在であるにもかかわらず、大した悪事もはたらかずに生きている」ことを肯定的に評価すべきなんじゃないかとおもうんだけど。

生まれながらにして清いものではないからこそ、まあまあ清く生きているのってすばらしいことだといえるんじゃない?


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2019年5月1日水曜日

ノーヘルと警官


大学生のときのこと。
原付で駅まで行き、駅前の駐輪場に原付を止めて電車で出かけた。
駅まで帰ってきたのは23時頃。

「あれ? ヘルメットがない」

原付の座席下のヘルメット入れに荷物を入れていたので、ヘルメットはカゴの中に入れていた。
それがなくなっている。
周りを見まわしたが見つからない。
どうやら盗まれたらしい。

「ヘルメットなんか盗むやつがいるのか。しょうもないことするやつがいるなー」

ショックではあったが、そんなに高価なものではない。
すぐに気を取り直した。どうせ古いヘルメットだ。また買えばいい。

だが問題は今のことだ。
駅から自宅までは原付で二十分。
この距離を原付を押して歩くのはたいへんだ。

「しょうがない。ノーヘルで行くか」


田舎、それも深夜なので車通りは少ない。
ほとんど車ともすれちがわない。パトカーとも出くわさない。順調だ。

だが十五分ほど走ったところで、ぼくは原付を降りた。
この先に交番がある。
さすがに交番の前をノーヘルで通るのはまずいだろうとおもい、そこからは原付を押しながら歩いた。

交番の前を通ると、中にいた警官のおっちゃんが出てきて呼びとめられた。
「なんでバイク押してんねん」

夜中に原付を押しながら歩いているのだから警官が不審におもうのも無理はない。

ぼく「〇〇駅前に原付止めてたんですけど、ヘルメット盗まれたんですよ」

警官「そっか。でも一応調べさせてもらうで」

といって盗まれたものでないかの確認をはじめた。
もちろん盗難車でないことはすぐに判明した。


警官「それで〇〇駅からずっと押してきたんか。だいぶ遠かったやろ」

ぼく「でもノーヘルで乗るわけにはいかないですからね。しゃあないですわ」

警官「まあな」

ぼく「交番でヘルメット貸してもらえないですか」

警官「残念やけど貸せるヘルメットはないなー」

ぼく「そうですか。じゃあまた押していきますわー」

警官「そっか。がんばりやー」


よしっ、なんとか交番の前をやりすごした。
ここから家までは交番もないし車通りもほとんどない。

安堵して一息ついたぼくに、警官のおっちゃんがぼそりと言った。

「にいちゃん、原付のエンジンあったかかったで」


あっ、と声が出た。

最初からばれていたのだ。
警官のおっちゃんはわかっていて、騙されたふりをしてくれていたのだ。

あわててふりかえったが、おっちゃんはニヤリと笑って何も言わずに交番に帰っていった。


ぼくは心の中でおっちゃんに礼をいって、またバイクを押して歩いた。
そして交番から見えないところまで来ると、ノーヘルで走って帰った。


2019年4月30日火曜日

【読書感想文】爬虫類ハンターとぼくらの常識の差 / 加藤 英明『世界ぐるっと 爬虫類探しの旅』

世界ぐるっと 爬虫類探しの旅

~不思議なカメとトカゲに会いに行く~

加藤 英明

内容(Amazonより)
人をも飲み込むドラゴン、コモドオオトカゲ。体重250kgを超える巨大なリクガメ、ガラパゴスゾウガメ。大きく開いた口で相手を威嚇する奇妙なオオクチガマトカゲ。世界には不思議な爬虫類が数多く存在する。そんな変わった動物たちを探し求めて、一人の男が旅に出た。若き動物研究家が過酷なフィールド探索の先に見た生き物たちの世界とは! ? 爬虫類専門誌「季刊ビバリウムガイド」で好評連載中の現地レポートから、選りすぐりの9編を収録。雑誌未掲載カット、「海外フィールド旅行の極意」をまとめた書き下ろしのコラム集も同時収録。

テレビ番組『クレイジージャーニー』でおなじみ、爬虫類学者である加藤英明さんの著書。
あの番組での加藤さんの姿があまりにすごかったので、本を手に取ってみた。
(どうすごいのか言葉では伝えようがない。番組を観たことがない人は加藤さんの回だけでもぜひ観てほしい。最高だから)

加藤さんの本は何冊か出ているが、番組でブレイクした後に出されたものは加藤さんの写真が多すぎる。
売るためにはしかたないのだろうが、加藤さんも本意ではないだろう。あくまで主役は爬虫類だ。

そこで『世界ぐるっと 爬虫類探しの旅』を購入。番組放送前に刊行された本なので著者の写真はほぼなく、爬虫類の写真が充実している。いい。



加藤さんにはとうてい及ばないが、ぼくも爬虫類が好きだ。

子どもの頃は、近所でつかまえたカメとトカゲを飼っていた。ヤモリもよく捕まえた。
大人になってからも、娘を連れて爬虫類展に行ったりしていた(ただ爬虫類を売るためのイベントだったのであまりおもしろくなかった)。

子どもの頃はよくトカゲやカナヘビを捕まえたものだ。大人になってから捕まえようとすると、めちゃくちゃすばしっこくてとうてい捕まえられそうにない。
子どものときはどうしてあんなにトカゲを捕まえられたんだろう。
たぶん迷いがなかったからなんだろうな。「ケガをしないように身の安全を確保してから」とか「万一毒を持ってたらどうしよう」とか「強く握りしめて殺しちゃわないように」とか考えていなかったから。
「捕まえたい」という気持ちしかなかった。

そして、加藤英明さんはその気持ちを持ったまま大人になった人だ。
『クレイジージャーニー』では、爬虫類を捕まえるために茂みの中を猛ダッシュしたり滝つぼにダッシュしたり洞穴に躊躇なく腕をつっこんでいる加藤さんの姿を見ることができる。
あれはトカゲを追いかけていたときのぼくの姿だ。なつかしい。

 生き物探しは難しい。たとえ本に、“ウズベキスタンに生息している”と書かれていても、局所的に生息している生き物を見つけるのは至難の業。少し離れただけで、生き物の相が変わってしまう。村人から情報を得ても、すでに人が入りこんだ後の土地だけに、生き物が消えていることが多い。長い時間をかけ、荒地に順応してきた生き物たち。彼らは、環境の変化にすぐには適応できないのである。そんなわけで、何がどこにいるかを知るには、自分の足を使わなくてはならない。頼りになるのは、生き物の痕跡。砂漠の生き物の多くは、足跡を残してくれるのでありがたい。足跡だけならガマトカゲ。尾を引きずった跡があればエレミアス。1本の筋だけで足跡がなければ何かしらのヘビ。運良く足跡の先に生き物の姿が見える場合もあれば、巣穴にまで続いている場合もある。もちろん途中で途絶えることもある。風に吹き消されたり、鳥に襲われたり。生き物が残す痕跡からは、生き物の存在はもちろんのこと、種類や生態、近況まで様々な情報を得ることができる。たとえば、グラミカソウゲンカナヘビ(Eremias grammica)。他種のエレミアスより大きく体重があるので、足跡の幅は広くはっきりと砂上に残る。その痕跡が、巣穴から延々と続くので、後を追えば行動範囲がわかる。歩いたのか、それとも走ったのか、いつ頃どこに寄り道をしたのか...。砂漠に棲む生き物の生態は、ジャングルに生きるものよりも遥かに察しやすいのである。

砂漠に残ったわずかな足跡を頼りにこれだけの情報をつかむのだ。すごい。爬虫類採集界のシャーロック・ホームズだ。

こういう解析ができなければ爬虫類ハンターとしてはやっていけないのだろう。
剣の達人が「剣を抜く前に勝負は決まっている」なんてことを言うが、爬虫類ハントも「爬虫類を見つけたときには勝負は決まっている」んだろうな。

いやあ、自分とはまったく縁のない世界ではあるが、どの道でも熟練したプロの技術というのはすごい。



ヘビを捕獲したときの記述。
ヘビは警戒心が強く、一度隠れるとなかなか外に出てこない。待っていれば日が暮れるので、ヘビが潜り込んだと思われる穴を掘り起こす必要がある。どんな種類が出てくるかわからない楽しみはあるが、これでは時間がかかってなかなか先に進めない。それでも炎天下の中、巣穴を掘ること30分。ようやく1匹のヘビが姿を現した!
 住処を壊され引き出されたのは、カンムリヘビ(Spalerosophis diadema)。相当怒っている。体をアコーディオンのように畳むと、勢いよく飛びついてきた。これが本来の野生の姿。気が荒い。私は後ずさりしながらもカメラのシャッターを切るが、リーチが長く何度も牙がレンズにぶつかってしまう。毒がないので安心なのだが、咬まれるのはごめんだ。容赦なく何度も何度も飛びつき迫ってくるカンムリヘビ。まるで漫画で見る世界。敵に対する執着心はとても強い。しかし、さすがのカンムリヘビも、体力には限界がある。20回も飛びつけばあとはスルスルと逃げて行く。そんなヘビの尾をつかみ、捕獲成功。野生個体は筋肉の発達が著しく、体に張りがある。気の強さと強靱さを兼ね備えたカンムリヘビ。アフリカ北部からインドまで広く分布している理由がよくわかる。
「ヘビのように執念深い」なんて言いまわしがあるけど、加藤さんはヘビよりずっと執念深い。

ヘビがいるかどうかもわからないのに炎天下に30分穴を掘り、20回もとびかからせ、ヘビが疲れきって逃げようとしたところを捕獲。
ヘビは命が賭かっているから必死になるのは当然だけど、加藤さん側は「ヘビを捕まえてみたい」という好奇心だけでここまでやってしまうのだ。

加藤さんに目をつけられたヘビは災難だな。つくづく同情してしまう。



加藤さんの行動はめっぽうおもしろいんだけど、この本、あまり読みやすくない。

なぜなら、加藤さんの文章が「爬虫類にくわしい人」に向けて書かれているから。

加藤さんが「これぐらいは一般常識でしょ」という感じであっさり書いていることがよくわからない。
加藤さんの一般常識とぼくの一般常識に大きなずれがあるのだ。

「ぺリングウェイアダーはアフリカアダーの仲間」
とか。
いやおなじみみたいに書いてるけど、まずアフリカアダーを知らないから。

「不思議なのは、島民がカメに関心がないこと」
とか。
いやそれを不思議と思うのは加藤さんだけだから。
食用にもならないし特に害もない生き物に関心を持たないのはふつうだから。

「トカゲの気持ちになって考えてみればどこにいるかわかる」
とか。
他の人間の気持ちですらわからないのに爬虫類の気持ちなんてわからないから。


爬虫類ハンターとそうでない人の間の「常識」に乖離がありすぎて、なんだか読みづらいんだよね。
加藤さんが「ほらこれおもしろいでしょ!」って力説してるところが、こっちからすると「はあそうですか……」みたいになってしまう。


やっぱりあれだね。
爬虫類と加藤さんは本で読むより、じっさいに動いているところを見るほうがずっとおもしろいな。

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2019年4月26日金曜日

【短歌集】デブの発想


「これぐらい残していてもしょうがない」 デブへといざなう魔法の言葉



頼まないやつはぜったい損してる デブで良かった大盛無料



太れども太れども猶わが生活楽にならざり太い手を見る



太るほど消費カロリー増えるから 太るはむしろ痩せへの近道



鉄道のチケット大人と小人だけ 「1.5人」のチケットなくてもいいのか



「唐揚げにレモンかけてもいいですか」 なぜ我に訊く 代表者じゃない



お土産に買ったサブレが不人気で 我が身を挺して責任をとる



妊婦より重い身体を持ちあげて お腹の我が子をやさしく撫でおり



2019年4月25日木曜日

ぼくの優しさ


ぼくは毎月UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)というところに寄附をしている。月二千円だけど。

近所のお好み焼き屋さんが「こども食堂」というのをやっていて、いろんな事情で満足に家で食事をとることができない子どもたちにごはんを提供している。
店頭に「子ども食堂のためのカンパをお願いします」と書かれた募金箱があるので、行くたびに五百円ぐらい寄附している。

我ながらえらいぜ。




さて。
近所にGくんという小学三年生の男の子がいる。

どこに住んでいるのかは知らないが、近くの公園でよく会う。
娘(五歳)やその友だちと遊んでいると「ぼくも入れてー」と近寄ってくるので、「人なつっこい子だな」とおもっていた。

だが、何度かいっしょに遊んでいるうちに首をかしげたくなることが増えてきた。

Gくんが親といっしょにいるところを見たことがない。
同級生と遊んでいるわけでもない。
いつもひとりで公園に来ている。

小学三年生の男の子が、三歳下の女の子たちが遊んでいるところに「入れてー」というものだろうか。
ちょっとふつうじゃない気がする。

娘やその友だちも、はじめはいっしょに遊んでいたのだが、あからさまに嫌がるようになってきた。
「Gくんと遊びたくない」と言うようになった。

だが避けられていることも気にせず、Gくんは「入れて―」と近寄ってくる。

その場にいる大人たちが「うーん、ちっちゃい子だけで遊びたいみたいだからごめんね」と断るのだが、Gくんは「大丈夫だよ、おれ手加減してあげる」などと食い下がるので閉口してしまう。

妻に聞くと、Gくんは平日もやはり一人で公園をうろうろしているそうだ。
学童保育にも行っていない。しかし親といっしょにいるところを誰も見たことがない。



一度、ぼくと娘で買い物に行く途中で、Gくんに会った。
「どこいくの?」と訊かれて「スーパー」と答えると、Gくんも後からついてくる。
娘はGくんと目を合わせようともしない。

娘とぼくが「お菓子買って」「一個だけだよ」と話していると、Gくんが「あーお菓子かー、おれもほしいなー」と言う。
あきらかに「買ってあげるよ」と言わせたがっている。

ぼくはその意図に気づかぬふりをして「家に帰って食べたら?」と言う。
するとGくん、「誰もいないもん。おかあさんは家に来てないし」。

おかあさんが家に来てない
「家にいない」とか「帰ってきてない」だったらわかるが、「家に来てない」なんて言い方をするか?
幼い子ならまだしも、三年生だったらそんな間違いはしないだろう。つまり、おかあさんといっしょに住んでいないんじゃないだろうか。
いろいろ事情がありそうだ。

よく見ると、Gくんの靴はボロボロだ。
食うに困るほど家が貧しいわけではないのだろう、このまえ携帯ゲーム機を持って公園に来ているのを見た。

ネグレクト、という言葉が頭に浮かぶ。

年下の女の子と遊びたがる、同世代・同性の友だちといるところを見たことがない、親といるところも見たことがない、いつも一人で公園にいる、靴がボロボロ、よく知らない大人にお菓子をねだる。
ひとつひとつは大したことじゃないのかもしれないが、これだけ積み重なると心配になる。


しかしそれ以上は訊くことはしなかった。
質問してややこしい話が出てきたら困るな、とおもった。

Gくんはスーパーまでついてきたが、Gくんがお菓子売場に走っていった隙に、ぼくは娘の手を引いて隠れるように他の売場へ移動した。



どこか遠くの難民や、会ったことのない貧しい子どもには寄附をする。
でも目の前にいる、問題を抱えていそうな子どもからは目を背ける。

ぼくの「優しさ」はそんなもんだ。