2019年2月4日月曜日

【読書感想文】虐げる側の心をも蝕む奴隷制 / ハリエット・アン ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』

ある奴隷少女に起こった出来事

ハリエット・アン ジェイコブズ(著) 堀越 ゆき(訳)

内容(e-honより)
好色な医師フリントの奴隷となった美少女、リンダ。卑劣な虐待に苦しむ彼女は決意した。自由を掴むため、他の白人男性の子を身篭ることを―。奴隷制の真実を知的な文章で綴った本書は、小説と誤認され一度は忘れ去られる。しかし126年後、実話と証明されるやいなや米国でベストセラーに。人間の残虐性に不屈の精神で抗い続け、現代を遙かに凌ぐ“格差”の闇を打ち破った究極の魂の物語。

アメリカにあった奴隷制のことを、ぼくは知っていた。
奴隷貿易がおこなわれ、奴隷制の維持を訴える南部と奴隷解放の北部に分かれ、アメリカを二分する南北戦争がおこなわれ、リンカーンが奴隷解放宣言を出したと。
教科書に書いてあったし、リンカーンの伝記も読んだ。

しかし知識として知っていることと理解することはまったくの別物だと、『ある奴隷少女に起こった出来事』を読んでぼくは痛感した。

「黒人は奴隷として虐げられていた」
その一文がぼくの頭の中にあるだけで、その奥にどれだけ多くの人がどれだけ長い間苦しんでいたかということをまったく想像したことがなかった。

 多くの南部婦人の例にもれず、フリント夫人は完全に無気力な女だった。家事を取りしきる意欲はないが、気性だけは相当激しく、奴隷の女を鞭で打たせ、自分は安楽椅子に腰かけたまま、一打ちごとに血が流れ出るまで、平然とそれをながめていた。彼女は教会に通っていたが、聖餐のブドウ酒とパンを口に入れてもらっても、キリスト教徒らしい考え方は、なじまなかったらしい。教会から戻ったばかりの日曜日でも、指定した時間に夕食の用意が整わなければ、夫人は台所に陣取り、食事ができるのを待った。そして、料理が残らず皿に盛られるのを見とどけると、調理に使われたすべての深鍋や平鍋につばを吐いてまわった。こうすることで、鍋のふちに残った料理や肉汁の一さじが、料理女とその家族の口に入らないようにと気を配った。
 チャリティのまだ幼なかった息子のジェイムズは、感じの良さそうなご主人に売られたと思ったが、やがてご主人は借金を抱えるようになり、ジェイムズは、裕福だが残虐なことで知られる別の奴隷所有者に売られてしまった。この男のもとで、犬の扱いを受けながら、彼は大人になった。ひどい鞭打ちのあと、あとで続きを打ってやると脅かされ、その苦痛から逃れるために、ジェイムズは森の中に逃げこんだ。考えられる限り、最も悲惨な状態に彼はいた――牛革による鞭打ちで皮膚は裂け、半裸で、飢えに苦しみ、パンの耳すら口に入る手だてはなかった。
 数週間後、ジェイムズは捕まり、縛られて、主人の農場に連れ戻された。数百回の鞭打ちのあと、パンと水だけを与え牢に閉じ込めておくいつもの処罰は、この憐れな奴隷の不届きには軽すぎると主人はみなした。よって、奴隷監督の気の済むまで鞭で打たせたあと、森に逃亡した期間だけ、ジェイムズを綿繰り機の鉄のつめにはさんで放置することに決めた。この手負いの生き物は、頭からつま先まで鞭で切り裂かれたあと、肉が壊死せず治るようにと、濃い塩水で洗われた。そして綿繰り機の中に押し込められ、あおむけになれないときに横に向けるだけのわずかな隙間を残して、ギリギリと鉄のつめは締められた。毎朝、一片のパンと水を入れた椀を奴隷が運び、ジェイムズの手の届くところに置いた。奴隷は、そむくと厳罰に処すと脅されて、彼と口をきくなと命令されていた。
 四日が過ぎたが、奴隷はパンと水を運びつづけた。二日目の朝、パンはなくなっていたが、水は手つかずなことに奴隷は気がついた。ジェイムズが四日五晩締め上げられたあと、四日間水が飲まれておらず、ひどい悪臭が小屋からする、と奴隷は主人に報告した。奴隷監督が確認のためにやられた。圧縮機のねじを開けてみると、そこには、ねずみや小動物にあちこちを食べられた死体が転がっていた。ジェイムズのパンをむさぼり食べたねずみは、その命が消える前にも彼をかじったのかもしれない。
こういった描写を読むと、とても軽々しく「まるで奴隷のような生活だ」なんて言う気になれない。
人間扱いされないどころか、家畜よりもひどい扱いが黒人奴隷に対しておこなわれていたのだ。

それも、たった百数十年前に。
今では自由の国と呼ばれているアメリカで。



この本の作者であるリンダ(作者の偽名)は、アメリカ南部の奴隷の子として生まれている。
幼少期はいいご主人に恵まれたこともあり(奴隷としては)幸福な生活を送っていたが、ご主人がなくなり、ドクター・フリントという医師の家に売られた(正確にはドクター・フリントの幼い娘の所有物となった)ことから運命が暗転する。
母親は死に、奴隷としてさまざまな侮蔑的な扱いを受ける。さらには十代半ばにして性的な関係を迫られ、苦悩する。

リンダはドクター・フリントの束縛から離れ、ある白人と関係を持ち、子を産む。ドクターを怒らせ、売らせようとしたのだ。
しかしドクターはリンダを決して手放そうとしなかったため、自分ばかりか子どもまで不幸になると考えたリンダは脱走を決意する。

結果的に脱走は成功するが、立ちあがることすらできない屋根裏部屋に七年も隠れなければならなかったり(食事やトイレの描写が一切ないのだがどうしていたのだろう?)、子どもとは離れ離れになったり、自由州であるはずの北部に逃げてからも追手におびえながら暮らしたり、その脱走劇も決してハッピーなものではない。

何の罪も犯していない人間が、自由を手に入れるため、子どもを守るために多くのものを犠牲にしなければならなかったのだ。

ことわっておくが、リンダは奴隷の中では比較的恵まれた境遇にあった人だ。
幼い頃は教育を受けさせてもらっているし(それが逃亡生活にも役立っている)、おかげで仕事も他の奴隷よりよくできたようで奴隷保有者からも一目置かれている。また黒人・白人問わず言い寄ってくる男もいることから、容姿も優れていたのだろう。多くの支援者にも恵まれている。
なにより、彼女は運が良かった。だからこそ脱走にも逃亡にも成功している。
極悪非道の「ご主人」として描かれているドクター・フリントにしても、当時の奴隷保有者としてはまだマシな部類だったんじゃないかと思う。頭の中には差別意識が詰まっているとはいえ、リンダに対して暴力や性的暴行をくわえたという描写はほとんどない(書かなかっただけかもしれないが)。医師という職業についていたわけだし、きっと理性的な人物だったのだろう。

そんな(比較的)恵まれた環境にあったリンダですら、今の日本人からすると直視できないほどのひどい目に遭わされているのだ。
いわんや他の黒人奴隷たちのおかれた境遇は、想像するに余りある。

『ある奴隷少女に起こった出来事』の原著が刊行されたのが1861年。『若草物語』の刊行されたのが1868年。どちらも自伝的作品なので、同じ時代の同じ国の少女の物語である。
しかし、かたやお父様の帰りを待ちながら仲良く助けあって暮らす姉妹であり、かたや逃げだせばねずみに食い殺されるまで折檻される環境で子孫の代まで永遠の奴隷として生きていかなければならない少女の物語。
北部と南部、白人と黒人というだけでこれほどのちがいがあると考えると、なおいっそう奴隷制の残酷さが浮き彫りになる。



特に印象に残ったのはこの文章。
 読者はわたしの言うことを信じても良いかもしれない。わたしはわたしの知っていることしか書かないから。いやらしい鳥ばかりが入った鳥かごで、二一年間も暮らしたのだから。わたしが経験し、この目で見たことから、わたしはこう証言できる。奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ。それは白人の父親を残酷で好色にし、その息子を乱暴でみだらにし、それは娘を汚染し、妻をみじめにする。黒人に関しては、彼らの極度の苦しみ、人格破壊の深さを表現するには、わたしのペンの力は弱すぎる。
 しかし、この邪な制度に起因し、蔓延する道徳の破壊に気づいている奴隷所有者は、ほとんどいない。葉枯れ病にかかった綿花の話はするが我が子の心を枯らすものについては話すことはない。

この本を読了した後では、「奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ」この言葉がなおいっそう重くのしかかる。

黒人奴隷たちを虐待する白人も、そのほとんどは奴隷制がなければ、穏やかで礼儀正しい人たちでいられたはずだ。
奴隷制があり、生まれたときからその制度にどっぷり浸かっていたからこそ、彼らは冷酷で無慈悲で不節操な生き方をすることになった。それは彼ら自身にとってもすごく不幸なことだ。

『ある奴隷少女に起こった出来事』の中で最大の悪役として描かれるドクター・フリントも、奴隷制度がなければむしろ人徳のある医師として生きていたんじゃないかと思う。
人を人として扱わないことは、虐げられる側だけでなく、虐げる側の心をも蝕んでいく



この本、一度は自費出版で刊行されたものの大きな話題にはならず、人々からほぼ忘れられた。
しかし出版から126年後に歴史学者がこの本がノンフィクションであることを明らかにし、それをきっかけにアメリカでベストセラーになったそうだ。
そして、訳者はプロの翻訳者ではなく、翻訳とは無関係の会社員。たまたま原著に出会い、翻訳しようと思い立ったのだという。

たまたま無事に逃げることができた黒人女性が書いた本が、たまたま学者の目に留まって再販され、たまたま一人の日本人が出会ったことでこうして日本語で読むことがができる。
偶然のつなわたりのような経緯をたどってこの良書が文庫として読めることに心から感謝したい。

こういう世界を見せてくれるからこそ、本を読むのはやめられない。

【関連記事】

【読書感想】関 眞興『「お金」で読み解く世界史』



 その他の読書感想文はこちら


2019年2月2日土曜日

修学旅行の方法


ふと思ったんだけど、日本人って修学旅行によって旅行の方法を身につけてるんじゃないかな。

修学旅行ってめちゃくちゃ準備するじゃない。
たかだか二泊三日なのに、何ヶ月も前から綿密なスケジュール立てて、持ち物を用意して、何度も何度も忘れ物がないかチェックして、出発前日には結団式とかいうわけのわからん儀式までやって、やっと旅行に行く。

で、大人になって何度か旅行をしてみてやっと気づく。
ぜんぜんスケジュールなんて立てなくていいや。どうせ予定通りにならないし。予定通りにしすぎたらつまんないし。
持ち物も、わざわざ用意しなくてもふだん使っているものを鞄に詰めこめばいいや。何か忘れたって、お金とパスポートさえあれば後はどうとでもなるし。
修学旅行のときにかけられた呪いがようやくとける。


どっちのやりかたがいいというわけでもないんだけどさ。すべてをコントロール下に置きたい人だっているだろうけどさ。

でも修学旅行式の旅行ってダサいよね。

何週間も前から下準備していよいよ旅行当日です、ってよりもふらっと思いたってリュックひとつで旅に出ました、のほうがだんぜんかっこいい。
群ようこさんの本に『鞄に本だけつめこんで』ってのがあるけど(内容は旅行記ではなく読書エッセイ)、鞄に本だけつめこんで旅立つなんて理想の姿だ。

修学旅行の準備をガチガチにやるのもわかるんだけど。極力トラブルを起こさないようにしようというやりかた。教師の立場だったらそっちのほうがいいに決まってる。
でもあれは旅行の準備というより出兵の準備だよなあ。


2019年2月1日金曜日

国境に作るのは壁か溝かの考察


米大統領が国境に壁をつくるといってるけど、なぜ壁なんだろう?


素人考えだけど、不法移民の侵入を防ぐなら、壁より溝(または堀)のほうがいいんじゃないかと思うんだけど。
以下、その理由。

1.壁より溝のほうが建設コストが小さそう


壁を建てるより、穴を掘るほうがかんたんなんじゃないのかな。
掘った分の土を溝の両脇に固めれば、壁+溝+壁でより強固になるし。

2.溝を越えるほうがむずかしくない?


壁だったら、その近くに足場をつくって超えることができる。 でも溝から這いあがるためには、溝の中に足場を作らないといけない。こっちのほうがむずかしい。

3.不法入国者を捕まえやすい


溝の中に入ってしまえば、進むのも退くのも容易ではなくなる。溝の中にいるときに衛兵に見つかったらまず逃げられない。



……と、溝のほうがいいんじゃないか? と思ったんだけれど、よく考えると万里の長城やベルリンの壁など、人の行き来を制限するときに作られるのはまず壁だ。
日本の城は堀で囲まれていることが多いが、城は緊急時以外は出たり入ったりしないといけないものだから、国境に作られる壁とは性質がちがう。

先人たちが壁を選んでいるということは、やはり溝より壁のほうが侵入を防ぐのに向いてるんだろうな。なぜだろう。

以下、溝のデメリットを考えてみた。

1.壁のほうが建設コストが小さい?


ぼくは建築の素人なので溝を掘るほうがかんたんと思っているけど、実際は壁をつくるほうが穴を掘るより楽なのかもしれない。
壁は頑丈であればせいぜい一メートルぐらいの幅でいいけど、溝は最低数メートルの幅がないとかんたんに越えられるもんな。

2.向こう側が見える


溝は壁とちがって向こう側が見える。
刑務所が壁で囲っているのは、中が見えるとまずいからだろう。向こうが見えれば、あらかじめサインを決めておけば中と外で意思疎通もできるし。
また、弓矢や銃などの飛び道具を使えば溝を越えなくても攻撃をすることもできる。防衛上は壁のほうがはるかに強い。

しかしアメリカとメキシコを隔てる壁に関していえば、移民の侵入を防ぐのが目的なのだから、見えることは大した問題ではないと思うんだが。

3.橋をかけやすい


対岸に協力者がいた場合、溝のほうが壁より容易に向こう側に渡りやすい。ロープを渡して縄ばしごをつくるとかして。

4.埋まる


あっそうか。ここまで書いて気がついた。
溝は埋まるんだ。風などによって土砂が堆積して埋もれる。
それよりなにより、大雨が降ったら川になる。そしたら泳いだり船に乗ったりして渡れる。


そうかー。
やはり溝はだめだな。壁がいい。いや、国境に壁をつくるのがいいとは思わんけど。

2019年1月31日木曜日

【読書感想文】"無限"を感じさせる密室もの / 矢部 嵩〔少女庭国〕

〔少女庭国〕

矢部 嵩

内容(e-honより)
卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。隣に続くドアには、こんな貼り紙が。卒業生各位。下記の通り卒業試験を実施する。“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする”羊歯子がドアを開けると、同じく寝ていた中3女子が目覚める。またたく間に人数は13人に。脱出条件“卒業条件”に対して彼女たちがとった行動は…。扉を開けるたび、中3女子が目覚める。扉を開けるたび、中3女子が無限に増えてゆく。果てることのない少女たちの“長く短い脱出の物語”。

(ネタバレ含みます)

女子中学生が意識を失い、気づいたときには閉ざされた部屋の中にいた。ドアには貼り紙。
“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ”

……と、コンビニに置いてある安っぽいマンガみたいな手垢にまみれた導入だなと思っていたが、さすがは奇才・矢部嵩。安易なデスゲームにはさせない。

米澤穂信『インシテミル』を読んだときにも感じたんだけど、そんなに都合よくサバイバルゲームはじまらねえだろっておもうんだよね。
ふつうの人にとって「人を殺す」って相当なハードルの高さだよ。極限まで追い詰められないと殺し合いなんてはじまらねえよ。「(文字通り)死んでも人は殺さない」って人も相当するいるとおもうよ。「殺られる前に殺るのよ!」なんて発想にいたるのはむしろ少数派なんじゃねえの?
なのにフィクションの世界だと、変なマスクかぶった人が「さあゲーム(殺し合い)の始まりです!」と言うだけで、あっさりその無理めな設定が通用してしまう。

こういうところに常々不満を抱いていたので、〔少女庭国〕の展開には感心した。
“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ”
の貼り紙に気づいた女生徒たちは、けれどいっこうに殺し合いをはじめない。
いつ始まるんだと思っていると、ついに殺しがはじまるが詳細な描写はなくたったの数行であっさり説明されるだけで、そのまま話は終わってしまう。
ん? なんだこりゃ? 幽遊白書の魔界統一トーナメントか?

……と思っていたらはじまる第二章。
そこにはまた別の部屋に閉じこめられた女子中学生がおり、壁にはやはり貼り紙が。

これが延々続く。
この世界では部屋は無限にあり、閉じこめられた女子中学生も無限に存在する。
となると、女子中学生がとる行動も無限にあるわけで、〔少女庭国〕はその ”無限” を書いてみせる。

二人で殺しあう世界もあれば、十人で殺しあう世界もある。殺しあわずにそれぞれ死んでゆく世界もあれば、どんどん人や土地が増えてゆく世界もある。
中にはこんな一大文明が発達する世界も。
 フィクションの他では語り部が芸能として親しまれた。現世の景色を忘れかけるほど長くこの地で過ごしてしまったものに対し目に浮かぶように在りし日の自分たちを思い出させる語り部の存在は貴重だった。聞けば思い出すしかし自分からは掘り起こせないような些細な日常や学校や町の記憶を引き出すことの出来る饒舌なべしゃりと豊富なあるあるネタの持ち主はとりわけ希少で、歌、絵などのトップレベルのものと並んで人気を集めた。いずれも初めは労働階級のガス抜きとしての意味合いが大きかったが、やがて暇を飽かすようになった支配者層が芸の上手を囲い込み独占したり、特に気に入った芸者のパトロンとなって庇護したり、抱える芸人の質や量で権威を示したり、それらの女子を集め社交を行うようになっていった。奴隷階級から一芸を示しランクアップを果たす例もあり、そうした一連の風潮から娯楽の作り手を志願するものが大量に生まれ、最終的には需要を供給が上回る様相を呈し、花形の裏で人気のない作り手から順に食われていく生存競争を生んだ。研究班も娯楽係も後室の卒業生が奴隷身分から抜け出すようなシステムを生み出す契機となったが、そのことは次第に社会基盤の弱体化を招いていった。

もちろん本のページは有限なので実際には有限なのだが、ありとあらゆる行動パターンが書かれることで、まるで無限の選択肢をすべて提示されたかのような気になる。

「クローズドな世界」を描いていたはずなのに、気づいたら時間も場所もシチュエーションもどんどん拡大して、いつのまにか無限を目の当たりにしているのだ。
なんともすごい小説だ。よくこんな奇天烈な話を書こうと思ったし、出版しようと思ったものだ。

とはいえ、「すごい」と「おもしろい」はまたちがうわけで、物語としておもしろかったかというとそれは微妙なところでして……。

2019年1月30日水曜日

【読書感想文】部活によって不幸になる教師たち / 内田 良『ブラック部活動』

ブラック部活動

子どもと先生の苦しみに向き合う

内田 良

内容(Amazonより)
「自主的、自発的な参加」に基づく、教育課程外の制度である部活動。しかし、生徒の全員加入が強制され、土日も行うケースは珍しくない。教師も全員顧問制が敷かれ、サービス残業で従事する学校は多い。エビデンスで見る部活動のリアルとは?強制と過熱化から脱却するためには?部活動問題の第一人者、渾身の一冊!週に3日2時間!土日は禁止!「ゆとり部活動」のすすめ。

ぼく自身、「熱心な部活動」とはあまり縁のない学生生活を送っていた。

中学校では陸上部。
陸上部というのは基本的に個人競技なので、運動部のわりに「やりたいやつはやればいい」という雰囲気が強い。リレーや駅伝を除けば、サボっても自分の成績が悪くなるだけだから。
顧問があまり熱心でなかったこともあって、ほどほどに手を抜きながらやっていた。

高校では「ちょっとおもしろそう」ぐらいの軽い気持ちでバドミントン部に入ったものの、コーチ(顧問とはべつにコーチなる存在がいた)が怒鳴りまくっている部だったのでこりゃたまらんと思って二週間で退部した。こっちはべつに全国大会に行きたいわけじゃなく羽根つきを楽しみたいだけだったのだ。
で、野外観察同好会という部(同好会という名だが一応部扱いだった)に入会。ここは居心地が良かった。なにしろ三年間で活動日が四日しかなかったのだ。最高。

かくして高校時代は友だちの家でだべったり、勝手に弓道部にまぎれこんで気楽に弓をひいたり、本屋に足しげく通ったり、陸上部にまぎれて走りたいときだけ走ったり、公園でサッカーや野球やテニスやバドミントンをしたり、学校近くの川でパンツ一丁になって泳いだり、最高の放課後生活を送っていた。
あんな充実した時間はもう味わえないだろう。部活をやらなくて心底よかったと思っている。



というわけで個人的には部活反対派だが、他人に「やめなよ」とは言わない。やりたい人は好きにしたらいいと思う。
中学生のときは「部活をやらないと内申点が……」みたいな脅し文句を聞いて真に受けていたが、今思うとくだらないと思う。内申点なんて「同じ点数だったら部活を真面目にやってたほうを合格させる」ぐらいの話だろう。受験のために部活をやるんだったらその時間に勉強するほうがずっと効率的だ。

しかし「部活はやりたい人だけやればいい」というのは生徒の話であって、教師にとって部活はそう言えるものではない。

仲の良い友人がいた。月に一、二度は遊ぶ間柄だった。酒の席が好きで、飲み会に誘えばよほどのことがないかぎりは来てくれた。
だが彼が公立高校の教師になってからはほとんど会っていない。年に一度も会わない関係になってしまった。
なにしろまったく時間がないのだから。
平日は遅くまで仕事、土日も部活。平均すると週に6.5日ぐらいは仕事をしないといけないと言っていた。これでは遊ぶ時間などとれるはずがない。

彼はろくにやったこともないバスケットボール部の顧問にさせられ、土日も部活に参加。
もらえるのは交通費と昼食代で消えてしまう程度の手当だけ。
「そりゃひどいな」とぼくは言ったが、彼は「若手は断れないからなー」とむなしそうにつぶやくだけだった。
彼は部活によって不幸になっているように見えた。

彼だけが特殊なのではない。ごくごく平均的な教師の姿だ。
 想像してほしい。もし職場の上司からあなたに突然、「明日から近所のA中学校で、バレー部の生徒を指導してほしい」とお願いがあったら、あなたはどう返すだろう?
 「私には、そんな余裕ありません」とあなたが答えれば、「いや、もうやることになってるから」と返される。「バレーなんて、ボールをさわったことくらいしかないです」と抵抗したところで、「それで十分!」と説得される。
 そして条件はこうだ──「平日は毎日夕方に所定の勤務時間を終えてから2~3時間ほど無報酬で、できれば早朝も所定の勤務が始まる前に30分ほど。土日のうち少なくとも一日は指導日で、できれば両日ともに指導してほしい。土日は、4時間以上指導してくれれば、交通費や昼食代込みだけど一律に3600円もらえるから」と。
こんなむちゃなことが日本中の学校でまかりとおっている。



部活と教師をめぐる問題については、大きくふたつある。

ひとつは「やりたくなくてもやらないといけない」という問題であり、
もうひとつは「やりたい人がどこまでもやってしまう」という問題だ。

いやいややらされるのもよくないが、どこまでもやってしまうのもよくない。必ずどこかにひずみが出る。

『ブラック部活動』には、教師のこんな言葉が紹介されている。
だって、あれだけ生徒がついてくることって、中学校の学級経営でそれをやろうとしても難しいんですよ。でも、部活動だと、ちょっとした王様のような気持ちです。生徒は「はいっ!」って言って、自分についてくるし。そして、指導すればそれなりに勝ちますから、そうするとさらに力を入れたくなる。それで勝ち出すと、今度は保護者が私のことを崇拝してくるんですよ。「先生、飲み物どうですか~?」「お弁当どうですか~?」って。飲み会もタダ。「先生、いつもありがとうございます」って。快楽なんですよ、ホントに。土日つぶしてもいいかな、みたいな。麻薬、いや合法ドラッグですよ。
これはたしかに気持ちがいいだろう。だから他のことを投げ捨ててでものめりこんでしまう。

なぜ歯止めがきかないのか。それは部活が「グレーな存在」だからだ。
授業に関しては教育方針が細かく定められている。週に何時間、年間に何時間、どういった教科書を使ってどこまでやるのか。日本全国の公立中学校でほぼ同じ教育が受けられるようになっている。

だが部活に関しては明確な規定がない。形式としては「放課後の時間を利用して教師と生徒が勝手にやっている」という扱いだ。
規定がないということは限度がないということだ。朝五時から夜の十時までやったとしても、生徒・顧問・保護者がそれぞれ納得しているのであればそれを規制する決まりはない。
どんなに熱心な教師が訴えても「数学の授業時間を週三十時間にしてください!」という要望は通らないが、野球部の練習を週三十時間やれば熱心な先生だと褒めたたえられる。

ぼくの中学生時代、前日の部活や朝練で疲れはてて、授業中に寝ている生徒が多かった。
学生の本分は学業なのだから、勉強に支障の出るような部活はするべきではない。
教師だって部活に割く時間があるのなら休息するなり授業をより良くすることに使うほうがいいはずだ。
こんなあたりまえのことが守られていないのが現状だ。

明らかに狂っているのだが、あまりにも長く続きすぎていて、深く関わっている人ほど狂っていることに気づけなくなっている。



最近、あちこちの学校で教師が不足しているという話を聞く。
そりゃそうだろう。ぼくにとって教師なんてぜったいにやりたくない職業のひとつだ。子どもに何かを教えることは好きだが、そのために自分の時間や命を削りたくない。
 勤務時間が週60時間というのは、おおよそ月80時間の残業に換算できる((60時間-40時間)×4週間)。そして週65時間の勤務つまり月100時間の残業を超えるのは、小学校で17.1%、中学校で40.7%にのぼる(図1の②よりも下方に位置する教員)。多くの教員がいわゆる「過労死ライン」の「月80時間」「月100時間」を超えていることになる。
 基本的に小中ともに厳しい勤務状況である。そのなかでもとりわけ、中学校教員の6割が「月80時間」の残業というのは、まったくの異常事態である。
半数以上が過労死ラインを超えている職場。
誰がどう見ても異常だ。制度に欠陥があるとしか考えられない。
しかし外から見たらどれだけ異常であっても、渦中にいる教師たちにとってはこれが日常なんだよね。

もちろん月80時間の残業のすべてが部活のせいではないが、半分以上は部活が原因だろう。
一刻も早く教師から部活指導の義務をひっぺがしてやらないと、教師が疲弊し、人員は不足し、学校教育は劣化してゆく。誰も得をしない。

こうして部活指導に警鐘を鳴らす本も出て、少しずつ世の中は変わりつつあるように見える。
ぼくは、部活を断る教師を応援したい。

学校は勉強をするところなんだから、教師も生徒も、部活ではなく勉強で評価される"あたりまえ"の学校になってほしいなあ。

【関連記事】

手作りカヌーと冬のプール

【読書感想文】 前川 ヤスタカ 『勉強できる子 卑屈化社会』



 その他の読書感想文はこちら