2018年7月15日日曜日

椅子取りゲームで泣いた話


四歳の娘が云う。

「あのな、今日保育園でゲームして勝てなくて泣いちゃってん。椅子取りゲームをしてんけどな、ずっと勝っててんけど最後にRくんがズルしてん。ほんまは先に椅子を触ったらあかんけど、先に椅子を持っててん。それで負けたから泣いちゃってん。でも先生はRくんがズルしたこと知ってて、(娘)にがんばったねって言ってくれてん」

これ自体は大した出来事じゃないんだけど、

起こったことを他者にわかるように順を追って説明したり、

伝わりにくい点を補足したり、

自分の感情がどう動いたかを表現したり、

うまく伝えることができるようになったんだなあとしみじみと感心した。


ツイートまとめ 2018年05月


大人の証

鼻毛

L⇔R

ひとりごと

なぞなぞ

世間

脱衣

褒められて

いろいろあって

誤解

LEGO

見える化

思慮

四親等

減少の理由

オーディオ

巧妙な手口

悪いコンテンツ

クールジャパン


2018年7月13日金曜日

ぼくたち見せしめ大好き!


『人口減少社会の未来学』という本の中で、平川克美氏がこんなことを書いていた。

 もし、晩婚化から早婚化へのベクトルの転換が難しいとするならば、少子化対策として可能な政策はひとつしかない。それは、結婚していなくとも子どもが産める環境を作り出すこと以外にはないだろう。
 少子化をめぐる状況を、改善のすすまない日本や韓国と、ある程度歯止めがかかったヨーロッパとの比較で見ていると、顕著な相違に気付く。その相違とは、婚外子率である。フランスもスウェーデンも婚外子率が5割を超えている。ヨーロッパの中で、日本と同じ家族形態を持っていたといわれるドイツでさえも35%という数値を示している。
 これに対して、日本の婚外子率は、1桁以上少なく、わずかに2.3%でしかない。韓国はさらに低く1.9%である。つまり、法律婚をしていないで子どもをもうけることは、儒教的なモラルに縛られているアジアにおいてはほとんどタブーのような扱いになっているということである。
 日本における少子化対策は、婚姻の奨励や、子育て支援が中心である。フランスやスウェーデンにおける少子化対策は、日本や韓国とは向かっている方向が逆で、法律婚で生まれた子どもでなくとも、同等の法的保護や社会的信用が与えられるようにすることであった。婚姻の奨励や、子育て支援といった個人の生活の分野には、政治権力が介入するべきではないと考えているからだ。むしろ、人権の拡大や、生活権の確保といった方向に、この問題を解決する鍵があるということである。

ここには少子化を(少しだけ)食い止めるヒントが書かれている。
婚外子の保護を手厚くすることだ。

でも。
断言してもいいが、絶対に日本は「結婚してない親から生まれた子どもを支援する」方向には舵を切らない。
フランスやスウェーデンだって結婚せずに子を生むことを推奨しているわけではない。ただ「結婚せずに生まれた子も差別せずに、むしろ積極的にサポートしていきましょう」と言っているだけだ。
日本はそれすらやらない。やれない。「むしろ積極的に差別していきましょう」という方針を貫く。



他の国はどうだか知らないので比較はできないが、日本人は"見せしめ"が好きだ。人類に共通する習性かもしれないが。

犯罪者が罰を受けることに対して、ほとんどの人は「被害者への償い」「犯罪者の更生」だとは考えていない。「他の人への見せしめ」と思っている。
だから遺族が望まなくても被害者の実名や写真を公表するし、報道に「冤罪だったら」「加害者が刑期を終えて一般市民に戻ったら」なんて視点は少しもない。
あるのは「悪いことをしたやつはこうなるんだぞ。わかったな」という見せしめ意識だけだ。磔(はりつけ)刑の時代とやっていることは変わらない。

見せしめだから、冤罪であっても関係ない。被害者が報道を望んでいなくても関係ない。補償も更生も気にしない。
それが冤罪であっても、犯罪を大々的に報道することは「悪いことしたらこうなるんだぞ」という見せしめには有効だ。





「結婚してから子どもを産んだほうがいい」という考え自体は、世界中ほとんどの文化で主流を占める考えだ。
でも"見せしめ"が好きな人たちは「結婚してから子どもを産んだほうがいい。だから結婚せずに子どもを産んだら不幸になるべきだ」と考える。そうすれば結婚せずに子どもを産む人間は減るだろう、と。

この手の考えはあちこちに蔓延している。
「高校を中退したやつはまともな仕事につくべきじゃない」
「不倫をしたやつはテレビに出るべきじゃない」
「あくどい儲け方をしたやつはろくな死に方をしない」
「夫婦別姓なんか選択する家庭の子どもはつらい思いをする」

赤の他人が高校中退しようが、不倫をしようが、法律スレスレのやりかたで金儲けをしようが、夫婦別姓を名乗ろうが、自分には関係ない。でも"見せしめ"を欲しがっている人にとってはそうではない。自分の考えと違う生き方をしている人には不幸になってほしいと思っている。



結婚してないやつは子どもを産むな、未成年者は子どもを産むな、まともな仕事をしてないやつは子どもを産むな、子どもをかわいがれないやつは子どもを産むな、責任感のないやつは子どもを産むな、他人に迷惑をかけるなら子どもを産むな、でも少子化を止めるために結婚して子どもを産め。
わが国で求めらているのはそういうことだ。

世の中が求めているのは「規範的な生き方をする人」と「見せしめ」のどちらかだけだ。規範から外れているけど幸せな人、は欲していない。


ぼくは「子どもは親のものではない」と思っている人間なので、個人的には、とりあえず産んでみて育てるのが難しそうだったらとっとと手放せばいいと思う。
子育てに必要なのは「何があっても子どもをまっすぐ育てあげる覚悟」ではなく「親が手放した後もちゃんと育てる仕組み」だと思っている。


2018年7月12日木曜日

古典の実況中継


高校生のとき、授業中にひとりで「実況中継」という遊びをやっていた。

授業中の他の生徒の様子を、ルーズリーフにひたすら書いてゆくのだ。
「□□が古典の教科書で隠しながら英語の宿題をやっている。と思ったら寝てしまった」
「〇〇が大きなあくびをした。それを見た△△が少し笑った」

これをルーズリーフにびっしり書く。五十分の授業中ずっと書く。
他の生徒を観察するのはなかなか愉しかった。ぼくは遊んでいるんだけど、ぱっと見ただけだと熱心にノートをとっているように見えるので意外と注意されなかった(一度、教師から「おまえは一生懸命ノートをとってるけど、そんなに書くことあるか?」と言われたが)。

できあがったルーズリーフには『〇月〇日 古典の実況中継』とタイトルをつけていた(タイトルの元ネタは当時売れていた参考書のシリーズ名だ)。

実況中継のルーズリーフは今でも実家にある。
たまに読みかえすと、二十年近くたった今でも授業中の雰囲気が思い起こされてなつかしい。おもしろくて、懐かしくて、泣きそうになる。
以前、同窓会に持っていったらものすごく盛り上がった。

現役学生の人たちは、後年のためにぜひとも実況中継をしておくといい。
十年後の自分が愉しめるから。


2018年7月11日水曜日

【読書感想文】 春間 豪太郎『行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』


『行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』

春間 豪太郎

内容(e-honより)
きっかけは、八年前。当時は海外に興味なんてなかったし、危ないというイメージの方が強かった。ところが、突然親友のリッキーがフィリピンへ行ったきり、消息不明に…。そこから始まる、おれの冒険譚。エジプトの砂漠を渡るべく、ラクダ飼いの見習いになったら死にかけたり、モロッコを横断するため、変態ロバや番犬の子犬、小猫や鳥たちと行商したり…。行方不明の親友を探しに海外へ…からの大冒険!

高野秀行さんが絶賛していたので読んだが、なるほど、高野氏の文章の系統を走りながらも、もっと勢いと行き当たりばったり感がある。一言でいうならば「若い」文章。

たったひとりでロバと仔猫と鶏と仔犬と鳩を連れてモロッコを旅する、というブレーメンの音楽隊みたいな冒険。だんだんパーティーの仲間が増えていくのは桃太郎にも似ている。鬼退治はしないけど。

めちゃくちゃめずらしい体験をしながらも、そこで語られている心の動きは「動物が病気で苦しんでいるのがかわいそう」といったごくごくなじみ深い感情で、非日常と日常のギャップがおもしろい。
海外を旅してまわっている人って行動力も語学力も判断力も高いスーパーマンみたいに感じてしまうのだけれど、春間豪太郎さんはごくふつうのにいちゃん、という印象。なんとなくやってみたらなんとかできました、みたいな感じ。
もちろんじっさいは細かく下調べしているし行動力も決断力も高い人なんだけど、文章からはそれを感じさせない。この気取らなさがすごくいい。

文章のテンポもすばらしい。余計な修辞や描写がなく、事実だけを突きつけるような文章。ぼくの好みだ。
この簡潔さの中にこそ想像力のはたらく余地がある。描写が少ないことでかえって情景がイメージできる。
これだけめずらしい体験をしていたら細大漏らさず長々と書きたくなりそうなものだが、大胆に省略をしているのでさくさく読める。これは文才か、編集者の腕か。



冒険に連れていくロバを探すシーン。五頭のロバの中からどれを買うか決めることになる。

 おれが買い取らなかった場合、一頭目のロバは今後ずっと道具として扱われ、ちょっとしたことで、殴られたり殺されたりするのかもしれない。その点四頭目のロバには名前があり、日本のペットに近い扱いがされているので比較的安心できると言えるだろう。そう考えると、このティズギ村でおれがなすべきことは、一頭目のロバを買うことなんじゃないかと思った。攻撃的なので四頭目より扱いにくく、値段も倍近くする一頭目を買うなんて、正直バカとしか思えない。でも、そうすべきだと思ってしまったんだから仕方がない。
 よし、一頭目のロバを買おう!
 そう決断し、すぐに飼い主の所へ行ってロバを購入。値引き交渉をしたので三千円ほど値引かれ、最終的な価格は約二万円だった。こうして、臆病で攻撃的な、遠くから見ると馬と見まがうほどに大きなロバが、おれの相棒となった。

他にも、サソリを見つけたら「サソリの毒がどんなものか知るために」わざと刺されたり、あえてリスクのある選択ばかりしている。

ロバを連れてひとりでひとけのない道を旅するわけだから、ロバの良し悪しが文字通り命運を握ることもあるだろう。そんな状況でも「ロバがかわいそう」というシンプルな理由で扱いにくいロバを選んでしまう。
ちょっとしたことかもしれないが、ごく自然にこの選択ができるからこそ、誰もがやらない冒険をやれたんだと思う。
「やろうと思えばやれるけど誰もやらないこと」をやる人とは、「かわいそうだから」という理由で暴れロバを選べる人だ。
世界を変えるのはこういう人なんだろうな。そして、わざとサソリに刺されることのできないぼくは冒険をすることはできないのだとつくづく思う。


すごくおもしろかったので他の本も読んでみたいと思ったけれど、現時点(2018年7月)ではこれ一冊しか上梓していない。早くべつの本書いてくれ!


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