2017年6月13日火曜日
セミのような青春
小学校でも中学校でも、背の順だとちょうどクラスの真ん中ぐらいだった。
なのに、第二次性徴は異様に遅かった。
ちんちんの毛が生えてきたのも当時は真剣に悩むぐらい遅かったし、ひげが伸びるようになったのも26歳くらいからだ。
あとこれは第二次性徴とは関係ないのかもしれないけど、17歳まで乳歯があった。
他の人にいうと驚かれる。
でも17歳のぼくはそれが異状だと思っておらず「ちょっと人より遅いけどまあよくあること」と左利きぐらいの珍しさだと思っていた。
高校の授業中に乳歯が抜けたので手を挙げて
「先生、歯が抜けたので口をゆすいできます」
と言ったら、先生はまさか高校生に乳歯がまだあるとは思わなかったようで、永久歯が抜けだのだと思ってめちゃくちゃ心配して、
「大丈夫!?救急車呼ぶ!?」
と言いだした。
たかが乳歯が抜けたぐらいで救急車だなんて世間知らずの先生だとあきれた記憶がある。
今思うと世間知らずなのはぼくのほうだ。いや、ぼくの親知らずが世間知らずなのだ。
第二次成長が遅かったかかと思うと、ここ数年で白髪が急速に増えてきて、いっぺんに老け込んでしまった。
26歳でひげが生えてきて三十代前半で白髪だらけだなんて、なんと短い青年期なんだろう。セミみたいだ。
2017年6月10日土曜日
【読書感想エッセイ】中野潤 『創価学会・公明党の研究』
中野潤
『創価学会・公明党の研究
自公連立政権の内在論理』
自公連立政権の内在論理』
まずはじめに立場を明確にしておくと、ぼくは公明党の支持者ではないし、ということはもちろん創価学会員でもない。
創価学会を蛇蝎のごとく嫌っている人も世の中にはいるけど、ぼくは自分が嫌な目に遭わされたこともないので特にマイナスの印象も持っていない。
学会員って個人として付き合う分には社交的で接しやすい人が多いしね。
創価学会が嫌いという人の話を聞くと、
「選挙前になると会員たちが家を訪問してきて公明党議員に投票するようしつこく呼びかける」
ことが最大の原因らしい。
だけどぼく自身は選挙運動をほとんど経験したことがない(自分の親は少し困らされていたけど)。一度だけぼくのもとにも創価学会員である元同級生が来たことがあったけど、そいつは親が会員の2世会員だったのでぜんぜんやる気なくて
「知り合いでこういう人が出馬するから、もし他に投票する先を決めてないなら……」
と申し訳なさそうに言っただけだった。
「噂に聞いていた学会の選挙活動ががついにきた!」と身構えていたぼくにとっては「え、それだけ? もっとしつこくくるんじゃないの?」となんとも拍子抜けする結果だった。
じつは、主要政党の中でぼくが政策にいちばん共感できるのが公明党だ。
やや護憲派で、小さな政府には反対。すぐは無理にせよ将来的には原発をなくしてほしい。だけど共産党や社民党の掲げる政策は現実的ではないと思っている。
そんなぼくの思想に、公明党の政策はおおむねあてはまる。
おまけに与党なのである程度力を行使できる立場にある。
そう考えると公明党を支持するべきなんだろうけれど、でもじっさいには公明党に票を投じたことは一度もない。
その理由はふたつある。
ひとつはやっぱり「宗教団体がバックについているのでなんとなくきなくさい」からで、もうひとつは「公明党自体の動きが信用できないから」だ。
新聞やテレビで政治ニュースを見ていても、公明党の動きは理解しがたい。
特に最近は。
「平和と福祉の党」を標榜しておきながら、集団的自衛権法案には賛成にまわった。
最近でもテロ等準備罪(共謀罪)を成立させようとがんばっている。
傍から見ていると「その法案が成立しちゃったら創価学会も狙われかねないんじゃないの?」と思うんだけど、自民党と一緒に半ば強引に推しすすめている。
(なにしろ創価学会の創設者である牧口常三郎氏は治安維持法で捕まって獄死しているのに!)
いや、なにも主義主張に100%従って行動しろといってるわけじゃない。政治というのはクレバーな立ち居振る舞いが求められるものだと思っているから、ときには「小を捨てて大に就く」ことも必要だと思う。
でも、連立与党にしがみつくために集団的自衛権法案に賛成している自称「平和と福祉の党」である公明党に対しては、「それって大を捨てて小に就いてるんじゃないの?」と
いう気がする。
国政では自民党と連立し、大阪では維新の会と選挙協力し、東京では都民ファーストの会と組んでいる公明党を見ていると
「政策もプライドもかなぐり捨てて勝ち馬に乗ってるけど、で、結局何がしたいの?」
と思ってしまう。
そんなわけで公明党に対しては「思想的にはけっこう共感できるのにどうも信用できない」という感情を抱いていた。
そんなときに書店でこの本を見つけたので読んでみた。
公明党のたどってきた道が丁寧に書いてあり、政治について詳しくないぼくでも「なるほど、そういうことだったのか」と腑に落ちることが多かった。
おかげで公明党に対する「よくわからないことからくる不信感」はなくなった。
まとめると、
- 公明党は今は自民党べったりだけど、かつては自民党から「政教分離の憲法違反政党」と言われて強い批判を浴びていた
- そのときに母体である創価学会を激しく攻撃された。その呪縛がずっと公明党の行動を縛っている
- 公明党内部も必ずしも一枚岩ではない(もちろん他の政党に比べればずっと意思統一はできているけど)
- 名誉会長である池田大作の影響はいまだに強く、公明党の動きは池田大作に左右される
- ただし池田大作の体調の悪化により影響力は弱まりつつあり、そのことが公明党を変えつつある
なるほどね、公明党にとっては「勝ち馬に乗る」ことこそが最重要の行動原理なんだね。
政権を獲るために考え方のばらばらな人が集まっている自民党にもそういうところがあるけど、公明党に関してはもっと根が深い。
公明党がもっとも恐れているのは、九条が変えられることでも福祉が切り捨てられることでもなく、母体である創価学会が攻撃されること。
それを避けるためならば他の政策はすべて犠牲にしてもかまわない。
ってことだとぼくは解釈した。
ここを理解していないと公明党の行動は読みとけない。
逆にいうと、ここがわかれば公明党の動きはすごくわかりやすい。
2010年の参院選のときの話。
創価学会のための選挙出馬だったのが、選挙のための創価学会になりつつある。
そして選挙のための自公連立だったのが、自公連立のための選挙になりつつある。
目的と手段が入れ替わり、向かっている先が誰にもわからない。しかし池田大作不在の今、思い切って舵を切れる人間はいない。
これからもしばらくは自公連立は続くんだろうね。何のために連立しているのか誰にもわからなくなっても。
それだけ公明党が力を持った、ってことなんでしょう。
この本の中には、民主党政権時代、民主党は創価学会とうまく協調することができず、それも政権転落の原因のひとつになったことが書いてある。
一方で自民党が安定政権を築けているのは、学会や公明党とうまくやっているからだと。
もはやキーパーソンとなっている公明党なしには日本の政治は語れない。そして公明党を語る上では創価学会のことは避けては通れない。なのにそのへんのことはタブー視されていて多くは語られない。池上彰がほんの1ミリ切り込んだだけで「池上彰すげえ!」って言われるぐらいだからね。
このへんのことが政治をわかりにくくしている原因でもあるんだろうね。
(少なくとも今の)公明党は政教分離の原則を犯しているわけでもないし、新聞やテレビでも堂々と語ったらいいのにね。
公明党にとっても、「よくわからない宗教団体の手先」と思われているよりは、立ち位置が明確になったほうが支持を広げるうえでプラスになると思うんだけど。
公明党の姿勢って、直感的には「日和見主義でイヤだなあ」と思うけど、でも現実的・功利的なところには感心するし、他の野党も見習ったほうがいい。
主義主張に徹してまったく影響力を発揮できないよりは、妥協できるところは妥協して少しは政策決定に携わらないと、国会議員をやってる意味がないんじゃないの? と思うし。
しかし宗教団体をバックにつけている公明党がいちばん功利的ってのもおもしろい話だよね。もっともビジネスマインドを身につけているように思える。
いちばん強硬な姿勢をとりそうなものなのに、なんとも柔軟でしなやか。
選挙での「得た議席数/立候補者数」が最大なのは公明党なんじゃないかな? 最小のコストで最大の利益を得る術を知っているよね。
創価学会って『現世利益』を唱えているので、政治姿勢にもそれが表れてるのかな。
そんな公明党にも、変化が訪れつつあるみたい。
- 会員がほとんど増えていない
- 新たな会員のほとんどは二世なのでそれほど熱のある活動をしない
- 政治の世界に打って出る道をつくった池田大作が退場しつつある
公明党が手を引いたら政治の構図は大きく変わるよね。
ぼく個人としては「主義主張をねじまげてまで自民党と手を組む公明党」は信用がおけなかったんだけど、この本を読んで公明党のことをずいぶんと見直した。
ニュースだけを見ていてもわからなかったけど、公明党は水面下でずいぶん自民党と闘っていたということがわかる。
公明党がいなければ、政権はもっと強引に法案を通していたことだろう。
だけど、政権の暴走を抑えるストッパーなのか、暴走を助長させる存在なのかというと、今のところは後者の役目のほうが大きいんじゃないかという気がする。
(公明党の選挙協力がなければ自民党はおそらく単独過半数をとれなかったし)
はたして公明党は政治の中心から手を引くのか。
そしてそうなったときに自民党は力を失うのか、それともブレーキがはずれてさらなる暴走へと突き進むのか。
政治ニュースの見方を変えてくれる一冊。
「よくわからないけど公明党は苦手」って人は読んでみると新たな発見があっていいと思うよ。
その他の読書感想文はこちら
ぼくが新聞をとりたいけどとらない理由
でも新聞を読むのはけっこう好きで、実家に帰ったとき、病院の待合室や喫茶店に新聞があればほぼ必ず目を通す。
ネットでニュースを見られる時代になっても、やっぱり紙で読むほうが頭に入ってくるし。
じゃあなぜ新聞を購読しないのかというと、
- 毎日読まなきゃいけないのがしんどい
- ゴミ(古新聞)を捨てるのが面倒
- 月額4,000円も払いたくない。もうちょっと安くしてほしい
ってな理由がある。
これって、新聞を週刊にしてくれれば解決するのにな。
毎週土曜日に発行。
その週にあったニュースのダイジェストと、少し深めの解説と社説。
これで2,000円なら購読する。
そもそも今の時代、新聞が毎日届けられる必要ってそんなにないと思う。
どうせ速報性ではネットやテレビには完敗なんだし。
テレビ番組表はテレビで見られるし。
これだけ情報があふれてる今、毎日1時間かけて新聞を熟読する余裕はない。
週に1回の発行にして、その分じっくり読ませる記事を書いてくれるほうがありがたい。
ぼくが新聞をとりたいと思ってるのにはもうひとつ理由があって、ときどき新聞紙がほしくなるから。
娘の散髪をするときに下に敷く大きい紙がほしいとか、
台所の油汚れを拭きたいとか、
窓掃除をしたいとか、
濡れた靴を乾かしたいとか。
そういう「大きくていらない紙」ってのはけっこう貴重なんだよね。
週刊発行にしてくれたら、「届く量」と「古新聞として使う量」のバランスもとれるから、わざわざ古紙回収に出す手間も減ってちょうどいいんだけどね。
2017年6月7日水曜日
歴史を変えた読書感想文
読書感想文の宿題が好きだった。
だけど、生来のへそまがりの性格と本に対する偏執的な愛情がじゃまをしてうまく書けなかった。
高校2年生のとき、夏休みの宿題で読書感想文が課された。
周囲は「高校生にもなって読書感想文かよ」と愚痴をこぼしていたが、ぼくは燃えていた。
すごい感想文を書いてやるぞ、と。
当時、ぼくは月に30冊くらい本を読んでいた。
読書家としては「まあまあ多い」ぐらいのレベルだけど、井の中の蛙だった高校生は「こんなに本を読んでる高校生なんて他にいないんじゃないの?」と思っていた。
そんな読書家であるぼくが人と同じような読書感想文を書くわけにはいかない!
高校1年生のときは対談形式で書いた。
2人の登場人物をつくりあげ、彼らが1冊の本について語るという趣向だ。
今にして思うととりたててめずらしいスタイルとも思わないが、当時のぼくは「なんて斬新な手法なんだろう!」と思っていた。
2人の登場人物には詳細な背景を設定し、設定の新奇さを際立たせるため題材にはあえてオーソドックスな夏目漱石を選んだ。
「これはすごい。読書感想文の歴史を変えるかもしれない」と、自信満々で感想文を提出した。
まったく反響はなかった。
国語の教師は何も言わなかったし(たぶん読んでなかったと思う)、『文藝春秋』から「貴君の読書感想文を掲載したいのだがよいか」という連絡も来なかった。
だがぼくはくじけなかった。
翌年は、前年の反省を活かして『架空の本の読書感想文』を書くことにした。
対談形式で書くなんて表層的なことでしかない。根幹から読書感想文を揺るがすようなものを書かなくては!
もちろん、架空であることは誰にも伝わらない。
国語教師だって題材となっている本をいちいち読むわけじゃないから、ぼくの書いたものが架空の小説の感想だということには永遠に気づかない。
完全に自己満足だったが、ぼくは情熱に満ちあふれていた。
「誰にも伝わらない孤独な闘いを通して読書感想文の虚無性を描く、架空の読書感想文を書くという行為こそが痛切な風刺文学だ!」
架空の小説家による架空の小説。"風明社出版" という架空の出版社までつくりあげた。
誰も知らない、ぼくの頭の中にすら存在しない小説。
何を書いてもいいのだからかんたんだな、と思っていたが、架空の本の感想文を書くのは思っていたよりもずっとたいへんだった。
なにしろとっかかりが何もないのだから。
仕方ないので、ある程度架空の本のストーリーを作り、自分で作ったストーリーに対する批判をこめたスタンスで書いた。
何度も書いては直し、消してはまた書いた。
そして1週間後、どうにかこうにか架空の読書感想文を書き終えたぼくは思った。「ふつうに書いとけばよかった……」と。
文芸誌からの「歴史を変えた読書感想文を掲載させてください」という依頼は、まだない。
だけど、生来のへそまがりの性格と本に対する偏執的な愛情がじゃまをしてうまく書けなかった。
高校2年生のとき、夏休みの宿題で読書感想文が課された。
周囲は「高校生にもなって読書感想文かよ」と愚痴をこぼしていたが、ぼくは燃えていた。
すごい感想文を書いてやるぞ、と。
当時、ぼくは月に30冊くらい本を読んでいた。
読書家としては「まあまあ多い」ぐらいのレベルだけど、井の中の蛙だった高校生は「こんなに本を読んでる高校生なんて他にいないんじゃないの?」と思っていた。
そんな読書家であるぼくが人と同じような読書感想文を書くわけにはいかない!
高校1年生のときは対談形式で書いた。
2人の登場人物をつくりあげ、彼らが1冊の本について語るという趣向だ。
今にして思うととりたててめずらしいスタイルとも思わないが、当時のぼくは「なんて斬新な手法なんだろう!」と思っていた。
2人の登場人物には詳細な背景を設定し、設定の新奇さを際立たせるため題材にはあえてオーソドックスな夏目漱石を選んだ。
「これはすごい。読書感想文の歴史を変えるかもしれない」と、自信満々で感想文を提出した。
まったく反響はなかった。
国語の教師は何も言わなかったし(たぶん読んでなかったと思う)、『文藝春秋』から「貴君の読書感想文を掲載したいのだがよいか」という連絡も来なかった。
だがぼくはくじけなかった。
翌年は、前年の反省を活かして『架空の本の読書感想文』を書くことにした。
対談形式で書くなんて表層的なことでしかない。根幹から読書感想文を揺るがすようなものを書かなくては!
もちろん、架空であることは誰にも伝わらない。
国語教師だって題材となっている本をいちいち読むわけじゃないから、ぼくの書いたものが架空の小説の感想だということには永遠に気づかない。
完全に自己満足だったが、ぼくは情熱に満ちあふれていた。
「誰にも伝わらない孤独な闘いを通して読書感想文の虚無性を描く、架空の読書感想文を書くという行為こそが痛切な風刺文学だ!」
架空の小説家による架空の小説。"風明社出版" という架空の出版社までつくりあげた。
誰も知らない、ぼくの頭の中にすら存在しない小説。
何を書いてもいいのだからかんたんだな、と思っていたが、架空の本の感想文を書くのは思っていたよりもずっとたいへんだった。
なにしろとっかかりが何もないのだから。
仕方ないので、ある程度架空の本のストーリーを作り、自分で作ったストーリーに対する批判をこめたスタンスで書いた。
何度も書いては直し、消してはまた書いた。
そして1週間後、どうにかこうにか架空の読書感想文を書き終えたぼくは思った。「ふつうに書いとけばよかった……」と。
文芸誌からの「歴史を変えた読書感想文を掲載させてください」という依頼は、まだない。
2017年6月6日火曜日
部活
「おまえらやる気あんのか!?」
「おまえらって言いましたけど自分自身のことはともかく他人の内面なんかわかるわけじゃないじゃないですかだいたい自分の内面だってわかるわけないし答えたところで検証しようがないんだから答えるだけ無意味だしそもそも何のやる気なんだって話だしやる気なんて数値化できるもんじゃないけど仮に数値化したとして0か100の間のどこにあったらやる気あるといえるのか定義されてないし仮に70以上がやる気あるとしてもふだんは90のやつが今日は75だったらそれやる気あるといえないと思うしじゃあ相対化して平常の125%以上だったらやる気あると定めたとしたら平素はやる気出さないほうがいってことになっちゃうしやる気があれば結果を出さなくても評価するってことにしたらそれこそ甘えなんじゃないかと思うし結局おまえらはやる気がないという結論に落としこみたいことが見え見えなわけでそれだったらおまえらにはやる気が感じられないっていう主観的な話として提示すれば身体的コミュニケーションの齟齬の問題として何らかの具体的解決を図れる可能性はあると思うし……」
「うわすげえやる気あった」
「おまえらって言いましたけど自分自身のことはともかく他人の内面なんかわかるわけじゃないじゃないですかだいたい自分の内面だってわかるわけないし答えたところで検証しようがないんだから答えるだけ無意味だしそもそも何のやる気なんだって話だしやる気なんて数値化できるもんじゃないけど仮に数値化したとして0か100の間のどこにあったらやる気あるといえるのか定義されてないし仮に70以上がやる気あるとしてもふだんは90のやつが今日は75だったらそれやる気あるといえないと思うしじゃあ相対化して平常の125%以上だったらやる気あると定めたとしたら平素はやる気出さないほうがいってことになっちゃうしやる気があれば結果を出さなくても評価するってことにしたらそれこそ甘えなんじゃないかと思うし結局おまえらはやる気がないという結論に落としこみたいことが見え見えなわけでそれだったらおまえらにはやる気が感じられないっていう主観的な話として提示すれば身体的コミュニケーションの齟齬の問題として何らかの具体的解決を図れる可能性はあると思うし……」
「うわすげえやる気あった」
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