2016年8月23日火曜日
【エッセイ】過去最高の熱闘甲子園
高校野球が好きなのでここ20年ぐらい『熱闘甲子園』を見ているが、今年は良かった。
高校野球の世界では″10年に1人の逸材″と呼ばれる選手が2年に1人くらい現れるのだが、大げさな表現ではなく本当に10年に一度の熱闘甲子園だった。
(ついでに言うと走攻守そろったリードオフマンが甲子園に出るとすぐに″イチロー2世″と呼ばれる。ホームランバッターは″清原2世″と命名されるのも定番だったが、清原がああなった今となってはもう呼ばれることはあるまい)
10~5年ほど前の『熱闘甲子園』は最低の時代だった。特にキャスターである長島三奈が取材をするようになってからは地獄だった。
どんな試合展開だったのか、どんなプレーが生まれたのか、どういった戦術がとられたのか。
高校野球ファンが知りたいのはそこなのに、長島が取材する内容ときたら「この選手は誰と仲がいいか」「この選手の家族はどんな人か」といった愚にもつかないことばかりだった。
長島三奈は、高校球児の青春が好きなだけで高校野球自体に興味がないのだ。
いきおい、放映されるVTRは野球に対してまったく敬意が感じられない仕上がりになっていた。
特にうんざりしたのは、故人を使って安易に感動を誘おうとするVTR。
まだチームメイトが亡くなったとか監督が死んだとかならわかる。チームに対する影響も大きいだろう。彼らの死を抜きにはチームは語れないにちがいない。
でも「ある選手のお父さんが数年前に亡くなった」なんてのは、本人にとっては大きな出来事でも、そのチームにとってはほとんど関係のない話だ。
ひどいのになると「2年前に亡くなったおじいちゃんに捧げる勝利!」なんていってて、そこまでいくと感動どころか失笑しか出なかった。
高校生にもなったらおじいちゃんもいい歳だからわりと死ぬだろうよ。
部員全員の両親祖父母が健在、なんてチームのほうが少ないと思うぜ。
たぶん熱闘甲子園のスタッフが、むりやりネタをつくるために、選手たちに「身内に亡くなった人いないっすかね?」って聞いてたんでしょうね。
死人で商売する、墓場泥棒みたいなやり口だった。
そんなわけでぼくは、欠かさず観ていた熱闘甲子園から遠ざかるようになった。
高校野球自体は変わらず好きで毎年1度は甲子園まで足を運んでいるが、熱闘甲子園はときどきしか観ない番組になっていった。
しかし数年前に工藤公康がキャスターを務めるようになって、徐々に番組の内容は良くなっていった。
安易な感動狙いは相変わらずだったが、プロ野球解説者も務めていた工藤氏による解説はさすが着眼点が鋭くゲームの内容に深く切り込む内容が増えた。
そして 2014年をもってようやく憎き長島三奈が退いた(ぼくはまだ許してないぜ。だいたいなんであいつがキャスターやってたんだ。七光りなんだろうけど、長嶋茂雄だって長嶋一茂だって高校時代は甲子園に出てないから無関係じゃないか)。
そして古田敦也がメインキャスターとなり、『熱闘甲子園』は十数年ぶりに甲子園をメイン舞台にした番組に戻る。
番組の内容は格段におもしろくなった。
そうなんです。
べつに選手の宿泊先に押しかけて取材をしなくたって、ただ試合を丁寧に放送するだけでいい番組はできるんです。
どれだけ練習したかも、身内がいつ死んだかも関係ない。
甲子園での試合にこそドラマがあり、感動があるのです。
作曲家の苦労を知らなくたって、いい歌は胸を打つ。
役者の人柄を知らなくたって、芝居を観て人は感動する。
これだよ。
20年ほど前の『熱闘甲子園』はこうだった。
甲子園での試合の様子を丹念に、ありのままに伝えていた。
『熱闘甲子園』は甦った。高校球児の活躍をきちんと伝える番組になった。
だが2015年は、最後の最後で
「高校球児たちが未来への願いを込めた紙飛行機を飛ばす」
という、くそダサい演出をやらかして、すべてを台無しにした。
(気になる人はぜひYouTubeで「熱闘甲子園 2015 エンディング」で検索してほしい。ほんとダサいから。そして、明らかに高校球児の書いた文字じゃないから)
2016年の熱闘甲子園は、最後まで野球を中心にした番組だった。
ほんとに良かった!
(褒め称える記事のはずなのに、悪口のほうがずっと多いな……)
2016年8月21日日曜日
2016年8月19日金曜日
【考察】一(マイナス)を聞いて十(プラス)を知る
「思うんだけどね。
読解力が高い人って、人の話を集中して聴くのが苦手な傾向がある気がする。自分で読んだり考えたりして答えを導きだせるから、話を聴く必要がないんだろうね」
「なるほど。読解力と聴く力は反比例するってことか」
「いや、反比例はしない。読解力もなくて人の話も聴かないやつもいるから」
読解力が高い人って、人の話を集中して聴くのが苦手な傾向がある気がする。自分で読んだり考えたりして答えを導きだせるから、話を聴く必要がないんだろうね」
「なるほど。読解力と聴く力は反比例するってことか」
「いや、反比例はしない。読解力もなくて人の話も聴かないやつもいるから」
2016年8月18日木曜日
【読書感想文】『ネオ寄生獣』
岩明均の傑作漫画『寄生獣』のトリビュート漫画集。
いやあ、おもしろかった。
ぼくが『寄生獣』をはじめて読んだのは20年ほど前ですが、その後もくりかえし読んだので細かいところまでよく覚えています。
奇抜な設定、綿密に練られたストーリー、丁寧な伏線、泉新一、ミギー、田宮良子、後藤といった魅力的なキャラクター 、力が勝敗を分けるわけではない戦いなど、「こんなに完璧な漫画があるのか」と感心したことを覚えています。
強いて欠点を挙げるならあまり絵がうまくないことですが、絵がうまくないこともストーリーに貢献していて(ネタバレになるので伏せますが、広川が××だということにほとんどの読者が気づかなかったのは絵がうまくないおかげでしょう)、絵の拙さまで魅力に変わっています。
『寄生獣』の特にすばらしいところは、ちょうどいいところでスパッと完結しているところ。
やろうと思えば、ミギーを復活させることも新たな敵を出すこともできただろうに、そこまでした引き伸ばさなかったからこそ今でも『寄生獣』は名作だとの評価を受けているのでしょう(「○○編までは名作だった」と呼ばれている漫画がどれだけ多いことか)。
終盤に最高潮が来ているので、読み終わったあとに満足するとともに「もっと読みたい」という気になりました。
そしてそう思ったのはぼくだけではないようです。
多くの表現者も同じように感じたらしく、それがこのトリビュート『ネオ寄生獣』を生みだしたのでしょう。
『寄生獣』の世界や登場人物を使って、いろんな創作者の方々が独自のストーリーを展開しています。
ぼくがいちばん楽しめたのは、太田モアレ『今夜もEat It』。
上品なユーモアもハートフルでスリリングなストーリー展開も一級品で、「この人の『寄生獣』をもっと読みたい!」と思いました。
さらに絵柄をオリジナルに寄せていたり(岩明作品の人物って考え事をするときこんな口するよね!)、別の岩明均作品の登場人物が顔を出したりと、ほんとに『寄生獣』を敬愛する感じが伝わってきて、これぞトリビュート!って言いたくなる、完成度の高い小編でした。
ついでおもしろかったのは竹谷隆之『ババ後悔す』。
造形作家だそうで、海洋堂でフィギュア作ったりしてた人らしいですね。
造形もさることながら、「もし○○に寄生したら」というアイデアもすばらしい。
ま、田舎だったらこうなるよなあ。
熊倉隆敏『変わりもの』はショート・ショートのような不気味な後味の作品。
『今夜もEat It』といい、寄生獣といえば“健康”なのがおもしろい。
寄生生物にとっての最大の関心事が宿主の健康なのは、あたりまえといえばあたりまえなんだけど。
PEACH-PIT『教えて!田宮良子先生』もおもしろかったんだけど、これはトリビュートというよりはもはや同人誌……。
ひどかったのは平本アキラ『アゴなしゲンとオレは寄生獣』。
いやあ、これはひどい。
笑いましたけど。
もう、原作のキャラをむちゃくちゃにしてます(しかもあの人かよ……)。
でも、原作の台詞を忠実にパロったりして(忠実にパロったり、って変な表現だけど)、『寄生獣』に対する愛も存分に感じました。
ぼくは清水ミチコの、対象に対する悪意と愛情の両方を感じるものまねが好きなんだけど、なんとなくそれを思い出しました。
『ネオ寄生獣』、『寄生獣』ファンなら少なくともどれか一篇は楽しめる作品集だと思います。
でも全部気に入るのは難しいだろうな……。
2016年8月16日火曜日
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