2016年1月18日月曜日

【考察】自己啓発書を数学的に否定する

トーマス・エジソンは
「私は一度も失敗したことがない。“灯りがつかない”という発見を2万回しただけだ」
と言ったそうだ。

これはなかなかしゃれた言い訳でおもしろいが、この言葉が“ビジネスマン”の口から出た途端に驚くほどつまらない教訓になるから不思議だ。

ビジネス書や自己啓発本を執筆しちゃうような“ビジネスマン”というのは、控えめに言っても99%の人間は論理学の“ろ”の字も知らないおばかさんだから、
「成功者はみな過去の失敗から学んでいる」ことを以てして
「失敗から学んだ人はみな成功する」と思いこんでいる。
これは言うまでもなく、論理の誤りだ。
成功者は全員おならをするけれど、おならをしたら成功するわけではない。



ぼくはのどが弱いので自己啓発本を極力読まないようにしているが(なぜなら反吐が出てのどに悪いから)、自称“成功者”の書いた本にはこの手の論理の誤りが非常に多い。
今から、成功者が書いた自己啓発本を読むことが自身の成功の役に立たないことを【数学的に】証明しよう。

ビジネス書を読む人の動機は「成功したい」だ。
だから「Xをする人は必ず成功する」という「X」を見つけるために、成功者の書いたビジネス書を読む。
だがよくよく考えていただきたい。

たとえば「早起きをするならば、成功する」
これを命題Aとする。
命題Aの真偽を明らかにするためには、
「早起きをして成功した人」をどれだけ見つけてきてもまったく無意味である。
たとえすべての成功者が早起きをしていたとしても「早起きをするならば成功する」とは言えない(先ほどのおならの例でわかるように)。その裏には、早起きしたけど成功しなかった人が隠れているかもしれないからだ。

命題Aが真であることを示すためには、命題Aの対偶である 「成功しないのは早起きしなかったから」 ということを示さなければならない。そのためにはすべての“成功しなかった人”を観察して、成功しなかった原因を突き止める必要がある(1)。
逆に、反証である「早起きをしたけれど成功しなかった」人をひとりでも見つけることができれば、命題Aは偽であるとわかる(2)。
(1)(2)いずれも、成功しなかった人を観察しなければわからない。
つまり、成功しなかった人を観察することによってしか成功の秘訣は導きだせない。

よって、成功した人の話を読むことが成功につながるというのは誤りである。
(証明終わり)

2016年1月17日日曜日

【読書感想】岸本 佐知子『気になる部分』

内容(「BOOK」データベース)
眠れぬ夜の「ひとり尻取り」、満員電車のキテレツさん達、屈辱の幼稚園時代―ヘンでせつない日常を強烈なユーモアとはじける言語センスで綴った、名翻訳家による抱腹絶倒のエッセイ集。待望のUブックス化。

思うに、おもしろい小説を書く才能とエッセイを書く才能はべつなのだろう。
小説家やエッセイストの書くエッセイは総じておもしろくない。林真理子やよしもとばななのエッセイなんか、銀行に置いてある投資信託のパンフレットぐらいおもしろくない。
型にはまっている、という感じなのだ。エッセイとはこうあるものだ、という様式があって、きっちり起承転結をつくっている。読んでいて、このへんに着地するだろうな、というところに着地する。

おもしろいエッセイを書く人は、たいてい物書き以外の職業に就いている人だ。
東海林さだお(漫画家)、鹿島茂(フランス文学者)、土屋賢二(哲学者)、米原万里(通訳)、穂村弘(歌人)、加藤はいね(看護師)……。
みんな自分の文体を持っているが、どれも小説の文脈からは逸脱している。だからこそ読み手に驚きと興奮を与えてくれる。

そんな「本業じゃないけどおもしろいエッセイを書く人」のひとりが岸本佐知子だ。元OLで、本職は翻訳家。
ぼくが、今いちばんおもしろいと思うエッセイを書く人だ。
彼女のエッセイは、正気と狂気のすれすれを走っている。たとえば次の文章。
 しかし、何といっても一番おそろしいのはゴキブリだ。黒光りするボディがこわい。長い触覚がこわい。毛の生えたたくましい脚がこわい。素早い走りがこわい。飛ぶからなおのことこわい。裏返したときのおなかの横縞がこわい。わしづかみにして手の中にゆるく握ったときの、じたばたと手のひらを蹴る感触がこわい。噛むと口いっぱいに広がる、ちょっと苦い味もいやだ。

(『気になる部分』「オオカミなんかこわくない」より)
よくある題材だと思っていたら、急にこの展開。市内巡回バスに乗っていたと思ったらいきなり時速200キロで走りだして急カーブを切られたような感覚。ぜったい振り落とされるわ。

読者にどう思われるかなんてまるで考えていないかのよう(もちろん実際は考えているのだろうけど)。
本業じゃない人のエッセイの強みはここにある。
「これ書いて二度と執筆の依頼がこなくなってもいいや。本業があるし」
という姿勢が、エッセイに説得力を与えてくれるのかもしれない。

いやほんとすごいよ岸本佐知子。


2016年1月16日土曜日

【エッセイ】プリン・スクロール・ロック

スマホにプリン落としたらぜんぜんスクロールできなくなった。
ティッシュで拭いてもだめ。

なにこれ。
2年近く使ってるけど、こんな機能(プリン・スクロール・ロック機能)があるなんてぜんぜん知らなかったよ。
ドコモショップのおねいさんも教えてくれなかったよ。


2016年1月14日木曜日

あたらしい道徳の話 ~キャバクラ編~


ブランド品のバッグやアクセサリーを安く買いたいなら、年明けすぐと3月下旬が狙い目なんだそうだ。

クリスマスやホワイトデーに、男たちがキャバクラ嬢にブランド品を贈る

もらったキャバクラ嬢はすぐに古物商やネットオークションで売る

一気に中古市場に供給が増えるので値くずれを起こす

だから、クリスマスとホワイトデーの直後は未使用のブランド品を安く買えるのよ。
あたしはいっつもこの時期オークションで買うの。

と、友人の女性が教えてくれた。



この話を聞いて、ぼくは思った。

ほぼ見返りがないと知りながらプレゼントを贈る、男性の博愛の精神。

不要なものでも無駄にしたくないという、キャバクラ嬢の清貧の心。

少しでも安く買おうという、友人女性の倹約の気持ち。

この話には、日本人の美徳があふれている。
道徳の教科書に載せたいぐらいのお話だ。

2016年1月13日水曜日

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その4

2歳の娘が、なかなかおひるねをしてくれない。
そんなとき、ぼくは娘をだっこして墓地へと足を運ぶ。
都会の喧騒とは無縁の墓地の散歩は、幼児にとっても気持ちがよいのだろう。5分も歩いているとすぐに眠りに落ちてくれる。

その日もぼくは娘を抱いて、墓地を歩いていた。
おひるねしたくないとぐずっていた娘もやがて眠けに襲われ、すやすやと寝息をたてはじめた。
そこで異変に気づいた。

あれ。
寝息がもうひとつ聞こえる。

娘のすうすうという愛らしい寝息にかぶさるように、少し離れたところから、ぶおぅぶおぅという規則正しい音が聞こえてくる。

いた。
寝息の発信源は、墓の前で熟睡しているおっちゃんだった。

……墓の前で!?


ぼくの住んでいる地域では、外で寝ているおっちゃんは決して珍しくない。
彼らはホームレスとはちがう。
一応家はあるらしく、服はさほど汚くない(決してきれいでもないが)。ひげも伸びていないし、散髪もしている形跡がある。
昼間だけ公園でチューハイを飲んでいるか寝ているかしているから、きっと夜は家に帰っているのだろう。
そんな半野良のおっちゃんらが多い地域に住んでいるぼくでも、墓場を寝床にしているおっちゃんがいるとは思わなかった。


あまりにも豪快に眠っているので、ひょっとしたら墓に埋めわすれた死体なんじゃないかと思った(土葬かよ)。
しかしまちがいなく寝息は聞こえてくるし、よく見たら新聞紙を布団に、リュックを枕にして万全の体制で寝ている。

死体ではないにせよ、人間ではなく、夜は墓場で運動会をして、昼は寝床でぐうぐうぐう♪のタイプのおっちゃんなのかもしれない。

【関連記事】

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その1

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その2

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その3