ぼくはサッカーファンではない。
正月のひまなときに、高校サッカーをテレビでやっていたら観る程度。
Jリーグも日本代表戦もまったく観ない。ダイジェストで得点シーンだけを観るのは好き。サッカーファン偏差値は40ぐらいか。
2014年のワールドカップも、毎日のダイジェスト番組を観ていた程度。
が、今でも強く印象に残っているチームがある。
それは優勝したドイツ代表でもなく、いわんや日本代表でもなく、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。
ボスニア・ヘルツェゴビナと聞いて、正確な場所がわかる日本人がどれほどいるだろうか。
「いっときニュースでよく聞いたような。紛争があったんだっけ」ぐらいの認識だろう。ぼくもそうだった。
「ボスニア・ヘルツェゴビナが初出場? ふーん、小さそうな国だもんね」ぐらいにしか思っていなかった。
でも、たまたまNHKスペシャルで『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』という番組を観て、一気に引き込まれた。
(番組の内容については こちら に詳しい説明があります)
ボスニア・ヘルツェゴビナは、かつてはユーゴスラビアという国の中にあった(ぼくはユーゴスラビアという国がなくなったこともこの番組ではじめて知った)。
ユーゴスラビアは『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と呼ばれ、いくつもの民族がせめぎあって暮らす国だった。
多くの多民族国家がそうであるように、次第に民族間の争いが深まり、1980年代後半からは殺し合いも頻発した。
そんな国家分裂寸前の1990年、サッカーのユーゴスラビア代表を率いて監督としてワールドカップに出場したのがイビチャ・オシム。
オシムは、ユーゴスラビア史上最高と呼ばれたメンバーを率いて予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と勝ち進み、準々決勝で前回大会で優勝している強豪・アルゼンチンと対戦する。
以下は『オシムの言葉』より引用。
PK選で、代表選手がそろって「蹴りたくない」と言う。ふつうならありえない。
そんな異常事態が起こっていたのが当時のユーゴスラビア代表だった。
選手たちも、自分が責められるだけなら蹴れたかもしれない。でも、失敗すれば家族や友人、同胞の命に身の危険が及ぶかもしれない。そんな状況ではほとんどの選手が「蹴らせてください」とは言えなかった。
イビチャ・オシム監督が率いていたのは、こんな異常な状態のチームだった。
互いに殺し合いをしている民族を集めて代表チームをつくる。
その苦労は想像を絶するものだっただろう。
当然ながらオシム自身も、あちこちから圧力をかけられる。
自分の民族の代表を優遇すれば他の民族から脅され、かといって自分の民族を優遇しなければ裏切り者となじられる。
それでもオシムは、「チームにとって必要であればどんな民族の選手であろうと使う。それが必要であれば敵民族の選手で11人そろえる」と公言し、非常事態の代表チームをまとめあげた。
各方面から妨害が入り、思うようにチーム作りができない。それでもぜったいに勝たなくてはならない。負ければ「あの民族の選手を使うからだ」という声が上がり、紛争の火種になるから。
こんな状況でベストを尽くしていたのだから、つくづくすごい監督だ。それにひきかえ野球日本代表の小久保監督は……。やめとこ。
しかしほどなくしてユーゴスラビアは崩壊。
スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという国家に分裂する(コソボも正式国家ではないけど独立を宣言している)。
その中のひとつ、オシムの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナのワールドカップ初出場をとりあげたのが前述の『民族共存へのキックオフ〜“オシムの国”のW杯』だった。
(ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナの初戦の相手は、奇しくもユーゴスラビアの最後の対戦相手となったアルゼンチンだった)
ぼくはその番組を観るまで、オシムという人のことをほとんど知らなかった。
日本代表監督をしていたことだけは知っていたが、持っている情報としてはそれだけ。
しかし、番組の中で、決して流暢ではないけれど重みのある言葉でサッカーそして国家のことを語るオシム氏の姿を観て興味を惹かれた。
有名なスポーツ選手で、しゃべるのが上手なひとは多くない。
どうしてもスポーツにばかり打ち込む人生を送ってきたから、その競技のことを詳しくない人にも理論を伝えることは難しい。
ぼくが知っているかぎりでは、それができる人って江川卓さんとか桑田真澄さんとか、ほんとにごく一部だけだ。
でもオシム氏は、サッカーのことを、サッカーを取り巻く環境のことを、雄弁に、そしてわかりやすく語ってくれる。
崩壊していく国家で代表監督をしていた。若いころは数学教師になろうとしていた。そうした経験が、理論的でときに大胆でときにユーモラスな言葉を言わせているのだろう。
ちょっとした発言が、文字通り命運を分けかねない立場にいたからこその思慮深い言葉。
おっさんになってきて、年々「思いついたことを口にしてしまう」病が進行しているぼくとしては、大いに見習わなくてはいけない。
オシム氏の言葉は、サッカー以外でも使えるような含蓄に富んだ言葉が多い。
特に組織についての言葉は考えさせられる。
システムにこだわる人は多い。
ビジネスの場では「〇〇社は成果主義を導入して業績を伸ばした」と言い、教育の場では「フィンランドではこんな教育法を取り入れています」と言う。
でも、どの組織のシステムもある日突然導入されたわけではなく、できた背景がある。
試行錯誤の結果、その組織のいろんな事情を鑑みて、たどりついたものだ。
はじめからめざしてその地点にたどりついたものではなく、いわば妥協の産物として得られたもの。
その奇跡的なバランスの完成品を持ってきて首だけすげかえるようなことをしたって、うまくいかない場合がほとんどだ。
日本は平和憲法を持ち、(形式的には)軍隊を持たずに戦後70年をそれなりに平和にやってきた。
でもそれは日本が島国であり、冷戦下でアメリカが中国やソ連を牽制するうえで重要な地理的位置にあったからであり、たとえばイスラエルみたいな敵国に囲まれた国家がそんな戦略をとってたらとっくに消滅していただろう。
だから他国でもうまくいくとはかぎらない。
トヨタのやりかたはトヨタだからできることであって、社員10人の中小企業に取り入れてもたぶんうまくいかない。
だれよりも深くシステムについて考え、だれよりも多くのシステムをつくってきたオシム氏が語るシステム論だから、共感できることも多い。
かといって、それはやっぱりオシム氏の考えであって、その完成品の考えだけそのまんま自分の状況に持ってきてもうまくはいかないんだろうね……。
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