ぼくが他人に読ませる文章を書くときに心がけていることがふたつある。
ひとつは「自慢ほどつまらないものはない」ということ。これは説明不要。
もうひとつは「『~するべき』の言い回しを極力避ける」ということ。
右翼でも左翼でも、原発推進派でも反対派でも、うどん派でもそば派でも一緒だけど、
「~するべき」「~しなければならない」「~という考え方をするやつはだめだ」
という調子で書かれたものは、まあつまらない。
逆説的だけど、他人に指示をする文章は、他人に読ませる文章ではない。
登山をするべきだとはどこにも書いていないけれど、読んだ後に「おれも山に登ろう!」と思わされるテキスト。それが他人に読ませるための文章だ。
あるいは「おれは山が嫌いになった!」と思わされるテキスト。これもまたいい文章。
書き手の意図とはぜんぜんちがう方向に心を動かされるのも、すばらしい読書体験だ。
金曜ロードショーで観る映画が7割減でおもしろくなくなるのは、画面の端に
「この後、感動のエンディング!」
みたいな煽り文句が出てくるから。
はいここで泣きなさい、この映画は名作なので感動しなさい。そんなことを言われておもしろくなるわけがない。
論争とは自己満足と自己満足のぶつかりあい。他人を動かす力はない。
テレビ番組や国会の論争を見て「これはいいものを見た」と思ったことはありますか。ぼくはない。論争をしている人たちのうち少なくとも片方を、多くの場合は双方を嫌いになる。耳を貸したくなくなる。
こうすべき、これが絶対に正しい、という主張に人を動かす力はない。
スローガンというやつも同じ。
書くの好きな人多いよね、スローガン。
学校の教室に貼ってある「元気に明るくあいさつしよう」やら、オフィスの「汗と知恵を出せ!」やら、電車内の「チカン、アカン」やら。
あれを読んで「よし、元気に明るくあいさつしよう!」とか「今まで温存していたけど、知恵を出すことにしよう!」とか思ったことはありますか。ぼくはありません。痴漢があれを見て「チカン、やめよう!」と思うこともないだろう。
あんな直截的なメッセージで人の心を動かせるなら、小説家なんてひとりもいらない。何百ページにもわたる小説を書く必要なんかない。たった一文、「感動しなさい」と書くだけでいい。「おもしろがりなさい」と書くだけでいい。
そんなわけでぼくは思う。
「~するべきだ」という言い回しはぜったいに避けるべきだ!
0 件のコメント:
コメントを投稿