2023年6月9日金曜日

盆と正月がいっぺんに

「立て続けにいいニュースが! まるで盆と正月がいっぺんにきたみたい」

「今、盆をめでたいとおもう人ってほとんどいないとおもうよ」



「立て続けにいいニュースが! まるで正月と日曜日がいっぺんにきたみたい」

「数年に一回はそういうこともあるよ」



「立て続けにいいニュースが! まるで正月と祝日がいっぺんにきたみたい」

「正月は毎年祝日だよ」



「立て続けにいいニュースが! まるで大安と吉日がいっぺんにきたみたい」

「そのふたつはたいていセットで使われるんだよ」



「立て続けにいいニュースが! まるでみどりの日と海の日と山の日がいっぺんにきたみたい」

「どれも何がめでたいんだかよくわかんない祝日だな」



「立て続けにいいニュースが! まるで勤労感謝の日と敬老の日がいっぺんにきたみたい」

「そのふたつがめでたいってことは歳をとってからも働かなきゃいけない状況にあるってことだから悲しくなるよ」



「立て続けにいいニュースが! まるで感謝祭とイースターがいっぺんにきたみたい」

「どっちも日本人にはぴんとこないイベントなんだよ」



「立て続けにいいニュースが! まるでゴールデンウィークと正月休みがいっぺんにきたみたい」

「おれはサービス業だから大型連休はふだんより忙しくてイヤなんだよね……」





2023年6月6日火曜日

ツイートまとめ 2023年2月



地獄

慣用句

追いだし部屋

耕作放棄地

バスケは友だちのふりをして近づいてくる

まんざい祭り

四字熟語っぽい

eスポーツ

ジャンボ

時間短縮

お年頃

YOU

川柳



2023年6月5日月曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『スペードの3』 / 換気扇の油汚れのような不満

スペードの3

朝井 リョウ

内容(e-honより)
有名劇団のかつてのスター“つかさ様”のファンクラブ「ファミリア」を束ねる美知代。ところがある時、ファミリアの均衡を乱す者が現れる。つかさ様似の華やかな彼女は昔の同級生。なぜ。過去が呼び出され、思いがけない現実が押し寄せる。息詰まる今を乗り越える切り札はどこに。屈折と希望を描いた連作集。


 あるスターのファンクラブの幹部を務める女性、小学校ではいじめられっ子だったが中学校で自分の居場所を見つけられた少女、華やかなキャラクターであるライバルと常に比べられてきたベテラン女優。三者それぞれの人生を描いた連作短篇集。


 彼女たちはそれぞれ心にわだかまりを抱えているが、直ちに人生に大きな影響を抱えるほどの深刻な悩みではない。さしあたっては。

 他人に自慢できない仕事についていることを隠している、ファンクラブ内での人間関係に不満を持っている、絵を描くのが上手いし好きだがプロになれるほどの実力はない、小学校時代の暗い過去を隠して中学生活を送っている、年齢を重ねるごとに女優としての限界を感じてしまう、古くからの友人のほうが芸能界で成功している……。

 彼女たちが抱える不満を解消するのはすごくむずかしい。おそらく不可能だろう。そして、抱えたまま生きていけないほどの苦しみではない。だからなるべく蓋をして、そのことについて考えないようにしながら生きていく。その程度の不満。きっと誰しもが抱えているだろう。

 換気扇の油汚れのようなもの。とるのはすごくたいへん。とらなくても換気扇は機能する。でもついているとなんとなくイヤ。だから見ないようにして、換気扇を使いつづける……。

 人生ってそんなものといってしまえばそれまでだけど、でも当事者にとってはやっぱりイヤなものだよね。いつかその汚れが深刻な問題を引き起こすこともあるわけで。




「父親がいない」「おもいもよらない行動で周囲をはらはらさせる」「難病で女優を引退することになった」という〝メディアが好きそうなストーリー〟を持ったライバルをうらやむ女優の語り。

 衝動のように思う。
 私にはどうしていじめや病気を乗り越えた過去がないのだろう。
 私にはどうして幼いころ離れ離れになった父親がいないのだろう。
 私にはどうして説得力を上乗せするだけの物語がないのだろう。
 さまざまなものを積み重ねる前にどうして、表舞台に出ることを選んでしまったのだろう。けれど、もう、引き下がることはできない。

 この気持ち、なんとなくわかる。ぼくは表現者ではないけど。

 作家の自伝を読んでいると、とんでもなく波乱万丈な経歴を持った人がいる。一家離散していたり、借金まみれでアル中の父親がいたり、警察の厄介になっていたり。そんな体験をおもしろおかしくつづっていて、「この人は表現者になるために生きてきたのだな」とおもわされる。

 花村萬月氏や西村賢太氏のように。

 そういう文章を読むたびに、「それに比べてぼくの人生はなんてつまらないんだろう」と嘆いたものだ。サラリーマンの父親とときどきパートに出る主婦である母親。まじめで友だちの多い姉。家はベッドタウンの一軒家。ヤクザな親戚も面倒な隣人もいない。成績も悪くないし、教師に怒られることはよくあるが警察のお世話になるほどではない。そんな人生を歩んできた。

 だから学生時代はいろんな奇行に走った。着物でうろうろしたり、民族衣装を着たり、わけのわからないものを持ち歩いたり、わざと寝癖をつけて学校に行ったり、生徒会長になって意味不明なスピーチをしたり。

 でも、やればやるほど自分の平凡さを痛感した。「変わってるやつだ」とおもわれるけど、著しく損をするようなことはしないのだから。どこまでいってもぼくは「奇人にあこがれてる凡人」だった。

 ま、花村萬月氏や西村賢太氏が作家になれたのは、別に彼らの経歴が独特だったからではなく、彼らに文才があり、またそれを活かすための努力をしたからなんだけどさ。昔はそういうことがわかっていなくて、表現者となるためには「その人のバックボーンとなるストーリー」が必要だとはおもっていたんだよな。

 問いを考えることに熱中しすぎて裸で街へ飛び出したとか、表現をつきつめるあまり自分の耳を切り落としたとか、そういうわかりやすい逸話がほしかったんだよね。


 想像だけど、朝井リョウ氏も〝説得力のあるストーリー〟を持たないことにコンプレックスを感じていたのかもしれないな。

 何しろ朝井リョウ氏は早稲田大学在学中に作家デビューし、デビュー作が映画化されるほどのヒットになり、23歳という驚異的な若さで直木賞を獲り、その後もコンスタントに売れている人気作家だ。その順風満帆すぎる経歴が、逆にコンプレックスだったのかもしれない。

 西村賢太氏みたいな「父親が強姦で捕まり、母子家庭で育ち、不登校になり、ほとんど本を読まず、中卒でその日暮らしを送り、喧嘩で留置場に入れられ、借金まみれの生活を送っていた」という経歴のほうが作家っぽくて「無頼派のかっこよさ」があるもんね。

 ま、数多の「経歴だけは西村賢太のようだけど作家になれなかった人たち」がいるので、その経歴にあこがれるのはまちがってるんだけど……。




 この本でぼくが好きだった文章。

 白いシャツのボタンを一番上まで留めたウェイターが、それぞれのグラスに水を追加してくれる。まだ少しだけ残っているコーヒーを片付けようとはしない。美知代はずっと前に、このウェイターが最寄りの駅前で煙草を路上に捨てるところを見たことがある。

 これ、本編とはあまり関係のない記述だ。このウェイターは作品の中でまったく重要な役割を果たさない。

 でも、だからこそこの描写が印象に残った。ストーリーに関係のないウェイターだから記号みたいな扱いでもいいのに、わざわざ「このウェイターが最寄りの駅前で煙草を路上に捨てるところを見たことがある」というエピソードを入れて立体的に描いている。

 なかなかできることじゃないですよ、こういう丁寧な仕事は。


【関連記事】

【読書感想文】地獄の就活小説 / 朝井 リョウ『何者』

【読書感想文】朝井 リョウ『世にも奇妙な君物語』~性格悪い小説(いい意味で)~



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2023年6月2日金曜日

こぶな

 ニュースで「○○川で鮒の放流をおこなわれました。放流された小鮒は元気よく泳いでいました」と伝えていた。

「小鮒」って言葉、童謡『ふるさと』以外ではじめて聞いた!


2023年5月31日水曜日

側転の因数分解

 九歳の長女が「体育の授業で側転をやらなきゃいけないのにぜんぜんできない」と言う。

 やってみてもらうと、たしかにぜんぜんできない。からっきしだ。

 どこがダメかというと、足が上がっていない。側転は足を真上に上げなきゃいけないのに、長女の足は腰の高さぐらいまでしか上がっていない。惜しいとこにすら達してない。これではいくら側転を練習してもだめだろう。もっと根本のところに原因がありそうだ。


 まず足を上げる練習をしなきゃだめだよね、ということで調べてみると「カエルジャンプ」なる練習がいいらしい。

 両手を床につき、ジャンプして両足を上げる練習だ。足と足でタンタンと二回拍手(拍足?)ができるようになるといいと書いてある。

 で、長女にカエルジャンプをしてもらったのだがまったく足が上がらない。四歳の次女のほうがはるかに高く足を上げている。

 恐怖心があるからおもいっきり飛べないのかなとおもい、身体を支えてやる。「どんなに跳んでも支えてるのでひっくりかえらないよ」と伝えるが、それでもまったく跳べない。どうやらびびってるわけではなく、単純に地面を蹴るが足りないらしい。


 地面を蹴る力を鍛えるにはどうしたらいいんだろう、と調べてみると、「壁に向かって倒立をするといい」とある。

 やってもらう。案の定、まったくできない。

 まずはうまくいくイメージをつかんでもらおうとおもい補助をしてやるが、それでも倒立ができない。腕で身体は支えられるのに、お尻が落ちてしまうのだ。

 腕の力が足りないわけではなく、足を上げる力が足りないらしい。


 倒立ができないときは、後ろを向いて(つまり壁のほうに顔を向けて)倒立をするといいそうだ。

 が、やはりできない。エビぞりみたいな恰好になってしまう。長女はバレエをやっていて身体が柔らかいのだが、それがマイナスにはたらいているのか、変にそりかえった格好になる。

 ぼくが両手両足を床につけ、「このまま後ろに下がっていき、足を壁にくっつけるだけだよ」と教える。

 するとここで衝撃的な事実が判明。

 なんと長女は両手両足歩きができないのだ。


 え? なぜ?

 走ったり鉄棒をしたり縄跳びをしたり踊ったりは人並み以上にできるから、そんなに運動神経が悪いわけではないとおもうのだが、なぜか「両手両足を床につけて歩く」動作だけができない。すぐにぺちゃんとつぶれてしまう。

 ぜんぜんむずかしい動作じゃない。四歳の次女はかんたんにできている。

 長女は体幹が異常に弱いらしい。


 ということで、

  側転ができない

   ↓

  なぜなら足が上がらないから

   ↓

  なぜなら地面を蹴る力が弱いから

   ↓

  なぜなら足を上げようとするとお尻が落ちてしまうから

   ↓

  なぜなら両手両足歩きができないから

   ↓

  なぜなら体幹が弱いから


 逆算をしていくことで原因らしきものは突き止められた。

 さあ、あとは体幹トレーニングをして両手両足歩きをできるようにして……。

 ……ううむ、先は長そうだ。



 しかし、お手本を見せるためにぼくがじっさいに何度も側転をやってみせて気づいたんだけど、これ、ジャンプ力必要か?

 検索すると「カエルジャンプの練習をしましょう」とか「手をついて横に跳んでみましょう」とか言われるんだけど、ぼくが側転をするときはほとんどジャンプなんかしていない。

 じゃあどうやって回っているかというと、重心移動だ。

 両手を挙げて、勢いよく左に動かす。右足をおもいっきり上げる。すると、重心が左に移動する。その勢いで勝手に左足が持ち上がる。あとは慣性で勝手に回る。そんな感じだ。

 今まで意識したことなかったけど、改めて自分の身体がどうなっているか考えてみると、ほとんどジャンプをしていない。わずかに地面を蹴っているけど、それよりも重心移動の力で回っている。

 側転にジャンプ力って必要なのかな? 慣れてきたらジャンプ力なしでも回れるけど最初は必要なのかな?