2023年3月31日金曜日

大阪人の大阪観光だらだら日記

 大阪人だが、小学生三人を連れて大阪観光をしてきた。


 うちは共働きなので、夏休みだ春休みだといっても娘は学童に行かせていた。せっかくの休みなのに毎日学童。しかもコロナ禍のため「弁当はひとりで黙って食べる」「おしゃべり禁止」「室内で遊ぶときはひとりで」など、厳しく対策がとられていた。子どもにとって楽しいはずがない。

 そんなわけで娘にとって夏休みや春休みというのは楽しいものではなく、日々「早く授業はじまらないかなー」とぼやいていた。

 せっかくの休みなのに毎日学童ではかわいそう、たまにはおもいっきり遊ばせてやろう、とおもい、毎年夏休みや春休みには有給休暇をとって「朝から晩までめいっぱい遊ぶ日」をつくることにしている。

 といっても「娘の友だちといっしょにプールに連れていく」とか「ファミレスに連れていって好きなものをおもいっきり食べさせる」とか「いっしょに好きなだけボードゲームをする」とかで、そこまで特別なことをするわけではないのだが。


 さて、今年の春休み。

 京都に住む姪が小学校を卒業したので卒業祝いも兼ねて、長女(9)、姪(12)、甥(8)を連れて大阪観光をすることにした(次女(4)は申し訳ないが保育園に預けた)。

 姉夫婦ともに仕事が忙しく、うちのところ以上に遊びに連れていく時間がないという。そこで「子どもたちだけで大阪までおいで。駅まで迎えに行くから」と言い、大阪を連れまわすことにした。

 聞けば、姪は吉本新喜劇が大好きで毎週録画して観ているという。甥は吉本新喜劇にはあまり興味がないが身体を動かすことが大好きだ。

 そこで、なんばで吉本新喜劇鑑賞 → 天王寺で串カツ → てんしばでボルダリング → 新世界で街歩き というプランを立てた。夢の大阪満喫コースだ。


 というわけで三月某日。長女を連れて日本橋に行き、姪と甥を待つ。

 ちゃんと時間通りに現れる姪と甥。彼らのおむつを取り替えていた叔父としては、おお、あの子らが電車を乗り継いで京都から大阪まで来られるようになったか……と感無量。

 時間まで少し時間があったので周辺をぶらぶら歩いてたこ焼きを食う。こういう大阪らしいこともしとかないとね。

 で、笑いの殿堂なんばグランド花月へ。ここの向かいにあったワッハホールや、かつて存在した心斎橋筋二丁目劇場には行ったことがあったけど、なんばグランド花月はぼくも初めて足を踏み入れる。立派な劇場だなあ。

 まずは漫才。出番は、囲碁将棋、ぼる塾、ゆにばーす、2丁拳銃、まるむし商店、大木こだま・ひびき、プラスマイナス。

 さすが、みんなおもしろい(まるむし商店は滑舌が衰えていて聞き取れない箇所が多かったが)。テレビで観るのとはちがい、観客にアンケートをとったり、拍手を要求したりして盛り上げてくれる。舞台上と客席との一体感。これぞライブの楽しさ。

 中でも出色だったのは2丁拳銃。この日いちばん笑いをとっていたし、小学生たちも笑いころげていた。老若男女を笑わせるすばらしい漫才だった。絵描き歌や童謡などわかりやすい題材だったから、というのもあるんだろうけど。

 童謡ネタ部分については二十年以上前からやっているネタだけど、今観ても同じように笑える。やはり2丁拳銃は漫才師なのだ。彼らが東京へ行かずにずっと大阪で漫才を続けていたら今頃大阪を代表する大漫才師になっていたのかもしれないな……と実現しなかった未来について想像してしまう。


 漫才の後は新喜劇。こちらもおもしろかった。子どもたちも大笑い。漫才よりもコントのほうが子どもにはわかりやすいよね。

 ぼくが感心したのは内場勝則さんの動き。ずっとキビキビ動いていて、遠くから見ても動きがわかりやすい。自分がメインのときだけでなく、他の出演者が話したりボケたりしているときもずっとキレのある動きをしていた。さすがはベテラン。舞台人だなあ。

 こういうのはテレビではわからないので、内場さんの動きの良さを発見できただけでも観にきた甲斐があった。


 劇場を出て、天王寺へ。串カツを食う。某・テーブルに油があって串カツを自分で揚げられるチェーン店だ。本格的な串カツ屋より、子どもにはこっちのほうがいいのだ。チョコレートフォンデュやソフトクリームも食べ放題だからね!

 食後はてんしば(天王寺公園)のPANZAへ。ここでボルダリングに挑戦。三人とも、本格的なボルダリングはほぼ初挑戦。ぼくは十年ぐらい前にやったことがあるが、そのときは生身で登るものでせいぜい三メートルぐらい。今回は命綱をつけて登るので、七~八メートルはあるだろうか。いちばん上まで行くと二階建て住宅の屋根ぐらいの高さになる。

 子どもたちははじめてのボルダリングなのでおそるおそる登ってゆく。こわい、こわいと言いながら中ほどでリタイア。

 どれ、おっさんがお手本を見せてやろうと壁にしがみつくと、ふくらはぎに嫌な感覚。やばい、脚がつりそう。若くないんだからちゃんとストレッチするべきだった。

 それでもなんとかしがみつくが、壁がぬるぬるすべる。前の人の汗が残っているのだ。こえー。以前にボルダリングをやったとき、近くにいた女性がおりるのに失敗して膝を強打し救急車で運ばれていたことをおもいだす。とにかく怪我だけは避けたい。

 ということでぼくも八分目でリタイア。体力や握力の衰え以上に、「八分目までいったけど万一怪我をしたらいやだからリタイア」という選択をするようになった自分に年齢を感じる。

 子どもたちは徐々に慣れてきて、すいすい登るように。たまたま最初に登ったのがむずかしいコースだったようで、他のコースはわりとクリアしていく。特に八歳の甥はサルのように身軽で、ぱっと壁にとりつくとひょいひょいひょい、っと登ってゆく。いけるかいけないかギリギリ、みたいなところでも退却という選択をせずに果敢に上を目指すところが若さだ。見ているとはらはらするが。

 ぼくは数回登っただけで、あとはカメラマンに専念。おっさんなので自分がやるよりも子どもの撮影をするほうが楽しいのだ。


 ボルダリングの後は、芝生で休憩をして、新世界へ。そろそろ子どもたちを帰らせないといけないので、ぶらぶら歩いて射的だけさせる。

 新世界は観光客向けの店が多く、飲食店以外にも、ゲームセンター、射的、弓道体験、輪投げなどいろんな遊技場がある。姪は「なんかお祭りみたいやなー」と物めずらしそうにきょろきょろしている。「ここは一年中こんな感じやで」と教えると「一年中お祭りやってるなんてすごい!!」と目を輝かせていた。

 そうかそうか、と連れてきたおっちゃんとしても満足そうに歩いていたのだが、ふと姪が顔をしかめて「そういや大阪ってタバコ吸う人めちゃめちゃ多いな」と漏らした。

 いや、このあたりが特にそういうところなのであって、決して大阪全体がそういう街ではないんだよ……と言い訳がましく説明する叔父さんなのであった。


〝そういうところ〟を歩く子どもたち


2023年3月30日木曜日

【読書感想文】堀本 裕樹『桜木杏、俳句はじめてみました』 / 小説部分が蛇足な小説

桜木杏、俳句はじめてみました

堀本 裕樹

内容(e-honより)
母親に連れられて初めて句会に参加した、大学生・桜木杏。俳句といっても、五・七・五で季語を入れればいい、くらいしか知らなかった杏だが、挑戦してみると難しいけど面白い。句会のメンバーも個性豊かな人ばかりで、とりわけ気になるのは爽やかなイケメン・昴さん。四季折々の句会で俳句の奥深さを知るとともに、杏は次第に恋心を募らせて…。


 俳句啓蒙小説。

 以前読んだ某歌人の「短歌啓蒙小説」がひどい出来だったので嫌な予感もあったのだが、予感が的中してしまった。


 キャラクターがとにかくダサい。

 特に主人公。いかにも〝おっさんが描いた女の子〟って感じだ。

 イケメンが大好きで、でも誰にでも優しくて、元気で明るくて前向きで、ちょっとしたことにドキドキして、親に対する感謝の気持ちを忘れなくて、おっちょこちょいで、感受性豊かで、好きな人に対してひたむきで……と、とにかく人間としてつまんない。朝ドラのヒロインみたいでまるで人間味がない。

 そのほかの登場人物も、つまらない冗談ばかり飛ばすおっさんとか、クセの強い銀行員とか、必ず語尾を伸ばす話し方でずけずけとものを言うギャルとか、かっこいい俳人先生におネツのおばちゃんとか、ザ・ステレオタイプ。

 俳句は言葉の選択が大事だ、なんて登場人物に言わせてるくせに、あつかましいおっさんには「〜でんな」「〜でっせ」なんてオーサカ弁(本物の大阪弁ではなくフィクションの世界にしか存在しない嘘の方言)を使わせるのはどうなのよ。言葉を大事にしなさいよ。

 俳句のおもしろさを伝えようとしてるんだけど、俳句やってるのってこんな感性の人なのか、とおもってしまう。逆に俳句を貶めてるんじゃないの?


 登場人物だけでなく、ストーリーも退屈。

 すべてのストーリー、すべての台詞が「俳句の楽しさを伝えるためだけ」に用意されたものなんだもの。説明台詞ばっかり。句会だけじゃなく、他の場面でも何かあれば「これは俳句の世界では~」「この季語は~」といちいち説明する。

 そういや昔、友人がパチスロにドハマリしてて、何の話をしても「そういやパチスロでも~」「それってパチスロでいうところの~」とパチスロの話ばっかりしてた。それまではちゃんと他人の話に耳を傾けるやつだったので、人の話を聞かないというよりパチスロのことしか考えられなくなってたんだろうな。それといっしょ。

 こんなやつが現実にいたら嫌われるだろうなあー。


 これは小説じゃなくて教科書だね。教科書にもおもしろいものとそうでないものがあるけど、これは後者。




 俳句の話はたしかに勉強になることも多かったので、それだけに小説部分のつまらなさが目立ってしまった。小説部分が完全に邪魔。

 ふつうに俳句の教科書を書いてくれたほうがよかったな。


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2023年3月28日火曜日

本人が言うんだからまちがいない

「本人が言うんだからまちがいない」について。


 たとえば小説家Aの作品について、読者や評論家が議論を交わしている。これは○○を暗喩している、いやこれは××のモチーフだ、と。

 そこへ、当の作者A本人がやってきて言う。
「いやこれは△△だ。本人が言うんだからまちがいない!」


 すると、他の人たちは黙らざるをえない。誰よりもよく知ってる作者本人が言ってるんだからまちがいないよね、と。

 だが、はたしてそうだろうか。

「本人が言うんだからまちがいない」はまちがいないのだろうか。


 ぼくはそうはおもわない。むしろ、本人ほど信用ならないものはない。

 作者本人は、自分にとって都合のよい証言をするに決まってる。

「それはなーんも考えずに書いたんだよね。そしたら評論家たちが勝手に深い意味を見いだしてくれたの」

「ここの箇所は、電車の中でたまたま耳にした話をそのまま書いたの。要はパクリ」

なんてことは言わないだろう。


 言ってみれば作者なんてのはいちばんの利害関係者だ。その証言はまったくあてにならない。

 死体が見つかった。その部屋には死体と、Xという人物だけがいた。もちろんXは最有力容疑者だ。

 そのXが「おれは殺したが正当防衛だった。証拠もなければ目撃者もいないが、殺した本人が言うんだからまちがいない」と言った場合、それをそのまま信じますか?


2023年3月27日月曜日

ツイートまとめ 2022年10月~12月



体脂肪を減らす

代名詞とは

印象操作

名前とは

ムーアシロホシテントウ

飲み会

各地

ジングル・ベル

超能力者あるある

塩分摂取量

愚かなこと

2023年3月24日金曜日

門戸厄神厄払いツアー

 ふと「そういや厄年っていつだっけ?」とおもって調べてみたら、ちょうど今年が前厄だった。

 厄年なんて「この壺を買わないと不幸が訪れますよ」という霊感商法だといっしょだとおもっているが、迷信だとわかっていても「あなたには今年いやなことが起こります」と脅されていい気はしない。

 さりとて厄払いに行くのも、まんまと霊感商法に騙されるようで気に食わない。

 ……そうだ! いい案をおもいついた。

 「悪いことが起こらないように」という気持ちで行くから不愉快なのだ。いっそのことイベントとして厄払いを楽しめばいい。成人式と同じように、一生に一度のイベントとして厄年を楽しむのだ!


 ということで、さっそく高校時代の友人たちに『厄年が行く! 厄払いツアー』をやろうぜと声をかけた。

 ぼくは早生まれなので同級生たちの多くは本厄。訊くと、誰もまだ厄払いをしていないそうだ。信仰心のない連中どもめ。ひとのことは言えないが。

 というわけで、四十歳のおじさん三人が参加に名乗りを上げた。ぼくを入れて四十が四人。ううむ、縁起が悪い。これでこそ厄払いにふさわしい。

 行き先は兵庫県西宮市の門戸厄神。ここには東光寺という寺があり、なんとあらゆる災厄を打ち払う厄神明王がいるらしい。あらゆる災厄を。すごい。日本屈指の厄除けのメッカだ(寺を別の宗教の聖地で例えるというたいへん不謹慎な比喩)。


 かくして某月某日、高校の同級生四人(+その子どもたち)が門戸厄神に集まった。門戸厄神のホームページには節分までに厄払いを済ませましょうと書いてあったが、それは見なかったことにした。

 阪急門戸厄神駅から住宅街を歩いていくと、やがて上り坂に変わる。そしてこのあたりから参拝客目当ての屋台の姿が目に付く。チョコバナナ、からあげ、ベビーカステラなどの屋台。参拝客も多く、すっかりお祭り気分だ。

 坂をのぼって東光寺へ。「そえごま 五百円」という案内が。そえごまってなんだろうとおもいながら、みんなが買っているので窓口で五百円を払う。すると五十センチくらいの木の札を渡された。ここに名前と数え年、願い事を書くように言われる。厄払いに来たのに厄を払うどころか願い事まで叶えてくれるのか? なんと至れり尽くせり。

そえごま

 そえごまを奉納。すると、あとは先方が燃やすか何かして、いい感じにしてくれるのだそうだ。引き換えにお札を渡される。こいつを玄関に貼っておくといい感じになるのだそうだ。なんだかよくわからないがとにかくいい感じだ。

 あとは煙を頭に浴びたり、御守りを買ったり。せっかくなので賽銭もはずむ(なんと百円!)。ろうそくが一本二十円で売っていたので、これに火をつけて燭台に立てる。やってみてから気づいたが、これをやったら何が起こるのか一切説明がない。よくわからないものに二十円もの金を払ってしまった。これが富裕層だ。

 坂を下りると「厄払い饅頭」なるものを売っていたので買って食う。まったく期待していなかったのだが焼きたての厄払い饅頭はたいへんうまかった。たぶん厄払い饅頭を食うのは人生においてこれが最後だろう。一生に一度の味。

 これにて厄払いは終了。もう一生安泰だ。悠々自適の左団扇生活が約束された。


 隣駅の西宮ガーデンズに移動し、昼食を食い、ついでにパフェも食う。友人Nにいたってはパフェを食った後でビールも飲んでいた。厄払いをしたので暴飲暴食しても大丈夫なのだ。ありがとう厄神さん、いい薬です。