2019年8月23日金曜日

【読書感想文】秘境の日常 / 高野 秀行『恋するソマリア』

恋するソマリア

高野 秀行

内容(e-honより)
内戦が続き無政府状態のソマリア。だがそこには、現代のテクノロジーと伝統的な氏族社会が融合した摩訶不思議な世界が広がっていた。ベテランジャーナリスト・ワイヤッブや22歳にして南部ソマリアの首都で支局長を務める剛腕美女ハムディらに導かれて、著者はソマリ世界に深く足を踏み入れていく―。世界で最も危険なエリアの真実見たり!“片想い”炸裂の過激ノンフィクション。

高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』は、とんでもなくおもしろい本だった。
紛争地帯でありながら氏族制度によって絶妙なバランスを保ち、海賊で国家の生計を立て、イスラム文化でありながらカート(覚醒剤みたいなもん)が蔓延している国ソマリランド(国際的には国家として認められていないけど)。

世界の秘境をあちこちまわった高野秀行さんがおもしろい国(国じゃないけど)というだけあって、なにもかもが異色。
西洋文明はもちろん、アラブやアフリカとも一線を画したユニークな国の姿を知ることができた。まだまだ地球には秘境があるのだ。そこに住んでる人もいるのに秘境というのは失礼かもしれないが、しかし想像の埒外にある文化なのでやっぱり秘境なのだ。
『謎の独立国家ソマリランド』多くの人に読んでほしい本だ。


で、その続編ともいえるのがこの『恋するソマリア』。
『謎の独立国家ソマリランド』を読んだ人には前作ほどの衝撃をないが、それでもソマリ人文化のユニークさはびしびしと伝わってくる。
 とはいうものの、客観的に見ても氏族の話はひじょうに面白い部分がある。特に私の興味を巻いていたのは氏族同士がいかにして争いを終わらせるかだ。一般には人が殺された場合、男ならラクダ百頭分、女ならラクダ五十頭分を「ディヤ(賠償金)」として支払うことで解決される。加害者ではなくその人が所属する氏族全員が分担して支払う(町では現金、田舎では本当にラクダで支払いが行われる)。交渉も氏族の長老が行う。事実上、これは国の法律にもなっている。
 これだけでも「現代にそんなことをやっている国があるのか?」と驚いてしまうが、もっと凄い解決方法が存在する。あまりに争いや憎しみが激しくなり、ディヤでは解決ができない場合、加害者の娘と被害者の遺族の男子を結婚させるという方法だ。一九九三年、内戦がいちばん激しかったときも、このウルトラCで解決を図ったと言われ、また今現在でもときおり行われていると聞いていた。氏族依存症患者としてはなんとか、その具体事例を一つくらい知りたいと思った。
なんちゅうか、一見乱暴な制度だ。
人が殺されたらラクダ百頭分を支払わなきゃいけないってことは、裏を返せばラクダ百頭分を支払えば殺してもよいということになりそうだ(じっさいはどうかわからないが)。

「加害者の娘と被害者の遺族の男子を結婚させる」はもっとひどい。
たとえば自分の親が殺されたら殺人犯の娘と結婚させられる、つまり殺人犯が義父になる(この本にはじっさいそうなった男性が登場する)。
それって賠償になるのか? 全員イヤな思いするだけなんじゃないの? という気もする。
まあ誰もトクしないからこそ痛み分けってことになるのかもしれないけど……。

しかし、現実にこのやりかたが今でも生き残っているということは、それなりに合理的な制度ではあるのだろう。

今の日本みたいに平和な国に暮らしていると、殺人事件が起こったら「どうやって加害者を罰するか」を考える。
でもソマリアのようにずっと戦いに明け暮れていた国だと、加害者の処罰よりも「どうやって報復の連鎖を防ぐか」のほうがずっと重要なのだろう。ひとつの殺人事件をきっかけに部族同士の抗争に発展して何十人もの死者を出すことになった、みたいな事例がきっといくつもあったのだろう。
「加害者の娘と被害者の遺児を結婚させる」というのは報復の連鎖を防ぐための方法なのだろうね。
当事者たちにはやりきれない思いも残るだろうけど「村同士の抗争を防ぐためだ。泣いてくれ」ってのは、それはそれで有用な知恵だとおもう。当事者の人権を無視した和解方法だけど、人権よりもまずは命のほうが大事だもんんね。



ソマリアで主婦たちに料理を教えてもらうことになった著者。
このへんのくだりはすごく新鮮だった。
 母語のことを訊かれて気分を悪くする人は世界のどこにもいない。イフティンもすっかり喜び、「こっちに来て」とか「これ、捨てて」などと教える。私がそれを覚えて、二人でやりとりすると、イフティンは得意満面、いっぽう、意味がわからないニムオは「感じわるい!」とむくれる。
 そこで今度はニムオに日本語で「元気ですか?」「ええ、元気です」と教えて、会話してみると、今度はイフティンが「タカノ、あなた、悪い人!どうしてあたしに教えてくれないの?」と怒る、というか怒るふりをする。そうして、三人でふざけているうちに、肉と野菜が煮えていくのである。
 いやあ、ソマリ語を習っていてよかった!! と珍しく思った。いつも「俺は何のために苦労してこんな難しい言葉を習ってるんだろう」と嘆いていたのだ。取材するだけなら英語で十分だからだ。でも、女子と通訳抜きで直接話したければ、ソマリ語を知らないといけない。英語を話す男子は掃いて捨てるほどいるが、女子ではめったにいない。そして通訳がいたら女子は距離をとってしまい素顔を見せてくれない。
 今さらながらに思う。ソマリの政治、歴史、氏族の伝統をいくら紐解いても、それは大半が「男の話」でしかない。月の裏側のように女性の姿はいつも見えない。いわば、未知の半分に初めて足を踏み入れた喜びを感じた。

日本だと「田舎に行ってその家に伝わる料理をおばちゃんから教えてもらう」みたいなテレビ番組がよくある。どうってことのない話だ。
これがイスラム世界だととんでもないことになる。
宗派にもよるが、イスラム教徒の女性は家族以外の男と話すことを禁じられていることが多い。まして夫のいない間に外国人を家に上げるなんて、宗派によっては殺されてもおかしくないような行為だ。

そんなわけで、外国人にはイスラム圏の女性の生活はほとんどわからない。
当然ながらどの国も人口の半分は女性だ。ソマリアに関しては多くの男が戦死しているので女性のほうがずっと多い。女性に触れないということはその国の文化の半分もわからないということだ。政治や経済のことは男性に聞けばわかるが、料理を筆頭とする家事や育児のことはヒジャーブ(イスラムの女性が顔を覆う布)に包まれたままだ。
そのガードを突破したのだから、うれしくないはずがない。

そういえばぼくが中国に留学していたとき、近くの商店街の二十歳ぐらいの女性と仲良くなり、「日本語を教えてくれ」と頼まれた。
今おもうと本気で日本語を学びたかったというより外国人がものめずらしいから話すきっかけをつくりたかったのだろうとおもうが、ぼくもうれしくなって商店街に通っては日本語を教えていた。きっと鼻の下は伸びきっていたはず。
母語を教えるのって楽しいよね。苦労もなく習得した言語なのに、特別な技能であるかのように教えられるもんね。女性相手ならなおのこと。



ソマリアは危険地帯のはずなのだが、読んでいるとずっと平和な旅が続く。紛争地帯っていったってこんなもんだよなあ、とおもっていたら急転直下、高野さんの乗っていた装甲車が武装勢力から銃撃される。
「逃げろ、逃げろ!」と知事が運転席に向かってわめく。だが、逃げられないのか、逃げてはいけないという規定があるのか、アミソムの運転手はその場で車を動かし続ける。やがて、ガクッと車は止まった。死のような沈黙と、巨大な鉄の棺桶を釘で打ち付けるような砲弾、銃弾の音。
「俺はこのまま死んでしまうのか......」と思った。こんな最期があるのか。ソマリアの状況を考えれば、何の不思議もない。今までが幸運だったとさえ言える。来るべき日が来たのかもしれない。待ち伏せは仕掛ける方が圧倒的に有利なのだ。後悔の念はなかったが、唯一ソマリランドの本を出版する前に死ぬのは悔しいと思った。
 正直言って、恐怖感はそれほどひどくなかった。あまりにも現実離れしていたからだ。ベトナム戦争の映画を音響設備のよい映画館で観ているような臨場感だった。
 戦場の死とは、こうして実感を伴わないまますっと訪れるのかもしれない。

開高健の『ベトナム戦記』をおもいだした。
ベトナム戦争に従軍した著者のルポルタージュだが、圧巻は後半の森の中で一斉に銃撃を受けるシーン。二百人いた部隊があっという間に数十名になってしまう様子が克明に描写されている。読んでいるだけで息が止まりそうな恐怖を味わった。

それまではどちらかというと物見遊山という筆致で、戦争なんていってもそこには人間の生活があって兵士たちも案外ユーモアを持って過ごしているんだねえ、なんて調子だったのに一寸先は闇、あっというまに死の淵へと引きずりこまれてしまう。


人が死ぬときってきっとこんな感じなんだろうな。
予兆とかなんにもなくて、少々あぶなくても自分だけは大丈夫とおもって、「あっやばいかも」とおもったときには手遅れで、きっと死をどこか他人事のように感じたまま死んでいくんだろう。
戦死した兵士も大部分はそんな感じだったんじゃないだろうか。


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2019年8月22日木曜日

ちょろいぜ娘


娘のピアノの発表会が近づいてきた。
最近、母娘喧嘩が絶えない。

妻が「練習しよう」と言い、
娘が「もうやったからいい!」と言う。
それが毎日。


発表会は来週。
娘は十回中九回まちがえるのだが「弾けるから大丈夫」という。
十回中一回の奇跡が発表会本番にやってくると信じているのだ。その楽観性、うらやましい。

「まあ幼児のピアノ発表会なんてどんなに下手でも許されるし、むしろちょっとまちがえるぐらいのほうがかわいげがあっていいんじゃない?」
「練習しなくて本番で失敗して悔しい思いをするのもいい経験じゃない?」

とぼくは云うのだが、完璧主義者の妻には「本番でまちがえる」ことが許せないのだ。

理想と現実はちがう



妻からどれだけ練習するように言われても、娘は練習しない。
「もうできるからいいもん」

ぼく自身が叱られてばかりの子だったから、娘の気持ちがよくわかる。
「掃除しなさい」「早くお風呂に入りなさい」「宿題は早めにやっちゃいなさい」耳にたこができるほど言われて育ってきた。
だからわかる。
いくら「練習しなさい」と言われても、練習したくなるわけがない。

妻がぼくに云う。
「ぜんぜん練習してくれなくて困ってるんだけど。どうしたらいいかな」

しかたない。
めんどくさがりやのおとうさんが一肌脱ごう。

「よーし、(娘)がピアノ弾かないからおとうさんがやろーっと!」
そしてピアノの前に座る。
何度か練習しているうちに、それなりに弾けるようになってきた。
「わー、おとうさんもう弾けるようになってきた。(娘)よりうまいわ!」
妻も調子をあわせてくれる。
「ほんと、おとうさん上手だわ。発表会もおとうさんに出てもらおうかな」
「よーしっ、スーツ新調しないとなー!」

ここで娘が近づいてくる。
「ピアノ練習するから代わって」

しめた。かかったぞ。
だがここで焦ってリールを巻いてはいけない。もっと近づけねば。
「だめだめ。おとうさんが練習してるんだから。弾いたらだめ!」
「それわたしのピアノ!」
「でも使ってなかったでしょ。おとうさんが使ってるんだからイヤ!」
娘がぼくを押しのけるようにしてピアノの前に座る。

ぼくは立ち上がり、
「わかった。じゃあ一回だけ弾いてもいいよ。そしたらその後はずーっとおとうさんの番ね」
と云う。
「だめ! ずっと(娘)が弾く!」
「えー。ずるーい!」
と云いながら、内心で舌を出す。ちょろいぜ。




「教えて」作戦も有効だった。
「おとうさんも弾いてみたいから教えて」と娘に頼む。

「練習しなさい」だと反発する娘も、「教えて」と言われると悪い気がしないようだ。
しょうがないな、という感じでピアノの前に座り、
「ここまで弾いたら、五つ数える。で、次はここ。ちがうちがう、ドはおとうさん指で弾くの」
と教えてくれる。先生の真似をしているのだろう。

「ちょっと弾いてみせて」と頼んでみると、
「ちゃんと見といてよ」ともったいをつけて弾いてくれる。

「なるほどー。ありがとう」と云うと、満足そうにしている。
他人に教えることが自分自身の復習になっているということにも気づかずに。ちょろいぜ。





妻がぼくに「おかげで助かった」と云う。

いいってことよ。我ながら、子どもを動かすのがうまいぜ。

ん? 妻の顔が一瞬、ニヤリと笑っているように見える。
だがその笑みはすぐに消えた。
いや、ぼくの気のせいか。

そうだよね。気のせいだよね。
まさか、妻が「夫を動かすなんてちょろいぜ」とおもってるなんてこと、あるわけないよね。


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2019年8月21日水曜日

ジジイは変わる


考えを変えることに対して厳しい人が多い。

特にインターネット上の言論だと、その傾向が強い。
過去の発言や著述をさくっと検索できるようになったからだろう。
「こいつはこんなこと言ってるけど五年前は反対のこと言ってたぜ!」
「それってあなたが以前にした発言と矛盾してますよね?」
なんてことを言う人がいる。

ええじゃないか。
考えが変わっても。

というか、変わるほうがいいでしょ。
たくさん本を読んで、他人の話を聞いて、あれこれ考えてたら、そりゃ考えが変わることもあるでしょ。
本を読むって少なからず自分の考えを変えるための行為でもあるわけだし。


生きていれば、持てる情報も変わるし、置かれた立場も変わる。自分が変わらなくても世界が変わる。

もしも石油がなくなったら原発反対派だって「ある程度は原発に頼らざるをえないよね」って考えになるかもしれないし、原発賛成派だって自宅の横に原発つくるって話になれば「ちょい待てよ」と言いだすだろう。

ぼくだって今は「年寄りに税金を使うな」とおもっているが、いざ自分がジジイになったら「年寄りを大切にしろ!」と言いだす可能性大だ。

自分がどんな立場に置かれても世界がどんなに変化しても主張が変わらないとしたら、それはもう主張というより信仰だ(信仰も往々にして揺らぐものだけど)。もしくは、はじめから何も考えていなかったか。



立場が変われば主張が変わるのも当然だ。
派遣社員だった人が経営者になれば、発言の内容も変わるだろう。

よく戦争反対を唱える人に対して
「敵国が攻めてきて自分の家族が殺されそうになっても同じこと言えるのか?」
なんて言う人がいるけど、そんな詭弁には意味がない。

「だったらあなたは戦争が起こったときはあなたがまっさきに徴兵されて最前線に送りこまれることになっても戦争できる国にしたいとおもいますか?」
と返されたら、そいつはきっと黙ってしまうだろう。

「〇〇になっても同じこと言えるのか?」は愚問だ。なんで異なる状況なのに同じこと言わなきゃいけないんだ。





考え方が変わるのは悪いことではない。いいことかもしれない。
「それってあなたが五年前にした発言と矛盾してますよね?」と言われたら、五年間で自分は成長できたのだと喜びたい。

ただ、変わった原因は自覚しておきたい。
本を読んだから変わったのか、人と会って新しい意見に触れたからなのか、自らの置かれた立場が変わったのか、環境が変わったのか。

そのへんの自覚なく変わるのは、思想をアップデートしたんじゃなくて流されてるだけだとおもうんだよね。
だから自戒を込めて。
油断しているとついつい「はじめからこうおもってましたけど?」って考えちゃうからね。

「ワシが若いころはお年寄りを敬う気持ちを持っておったもんじゃ」とか嘘八百を並べるジジイにならないように。
ちゃんと「若いころはジジババ早く天に召されろ!とおもっててすんませんでした」と言えるジジイになりたいとおもう。

2019年8月20日火曜日

夏休みの自由研究に求めるもの


お盆に実家に帰ったら、小学三年生の姪から「夏休みの宿題の自由研究の書き方を教えてほしい」と頼まれた。

よっしゃよっしゃと引き受けて「大卒学士様の力見せたるわい!」と教えはじめたんだけど、まああれだね。これはストレスフルな作業だね。

姪の中で『飼っているカブトムシの研究』という内容は決まっていたので、まずは姪の話をヒアリング。
「カブトムシはいつから飼ってるの?」
「どうやって捕まえたの?」
「エサは何をいつあげてる?」
「カブトムシAとカブトムシBのちがうところは?」
なんて質問をして、
「じゃあ『カブトムシをどうやって捕まえたか』『飼ってみて気づいたことはなにか』『カブトムシごとの性格の違い』という三部構成で書いてみようか」
と、全体の設計図を引いた。三年生でこの内容なら上出来だろう。


ここまではよかった。

「よし、それじゃあさっそく書いてみようか」
といったものの、姪の鉛筆が進まない。顔にも疲れが見られる。
全体の構成を考えただけで、すっかり疲れているのだ。

ぼくからしたらこんなの準備運動みたいなものでやっとここからがスタートなのだが……。
三年生ってこんなにも集中力がないものなのか。

少しだけ休憩をはさみ、姪は書きはじめる。
見ながら「その漢字ちがうよ」「ぜりーはカタカナで書くんだよ」などと指摘すると、あからさまにイヤそうな顔をされる。
ぼくとしては、表現の不自然さや言い回しのつたなさには目をつぶり、明らかな間違いだけ指摘するように配慮してるつもりなのだが……。

カブトムシの捕まえ方の項では、姪が
「ゼリーを木に塗っておいたら朝カブトムシが集まっていたのをつかまえた」
と書いていたので
「もっと細かく書いたほうが伝わるとおもうよ。『七月下旬の朝六時頃、〇〇神社のクヌギの木の幹に集まっていた』とか。カブトムシの他にどんな虫が集まってたかとか。絵を描いたらもっとわかりやすくなるとおもうよ」
とアドバイスしたのだが、
「いいっ。もう書いちゃったし」
とにべもない。

「でもこれはまだ下書きでしょ。隙間に書きたせばいいじゃない」
と言っても
「もういいの」
と迷惑そうにする。

おい教えてやってるのになんだその態度は、とむっとするが「ふーん、だったらまあいいけど」とぐっとこらえる。
これが他人だったら「もう知らんわ。自分でやれよ」となるだろうし、我が子だったならきっと喧嘩になっている(こちらだけでなく向こうの言い方ももっときつくなるだろう)。



どうにかこうにか自由研究は完成した。

「メスのAちゃんは男好きなのでずっとオスといちゃいちゃしてる」
「オスのBはCちゃんにふられたのに次の日にはAちゃんに近づいていってた」
という、カブトムシの生態よりも各個体の恋愛模様にスポットをあてた『あいのり』『テラスハウス』みたいな研究報告になったけど、それはそれで女子っぽくていい。

完成したときの姪の晴れ晴れとした顔を見て、自分が勘違いしていたことに気づいた。

自由研究に対して求めるものがぼくと姪とではまったくちがったのだ。

ぼくの目的は「文部科学大臣賞を獲れるようなすばらしい自由研究を書いてもらうこと」だったが、姪の目的は「最小限の労力で宿題を終わらせること」だったのだ

そうだった。忘れてた。
ぼくが小学生のときもそういうマインドだった。
とりあえず怒られない程度のレベルのものをできるだけ少ない労力で作れればそれでいい、とおもっていた。
すばらしい自由研究を提出して褒められようなんてこれっぽっちもおもっていなかった。

そうだったそうだった。
小学生ってそうだった。忘れてた。
叔父さんを頼ってくれたのがうれしくて、ついついすばらしいレポートにしてやろうと意気込んでしまった。
そういうの求められてないんだよね。

次に手伝ってくれと頼まれたときは「楽にそれっぽいレポートをしあげるコツ」を教えてあげよう。
おじさん、どっちかっていったらそっちのほうが得意だぜ。



2019年8月19日月曜日

母との対立、父の困惑


娘(六歳)は、おかあさんの云うことを聞かない。

おかあさんに「手を洗ってきて」「早く着替えないと置いていくよ」と云われると、いちいち反発する。
「わかってる!」
「いっぺんに言わんとって!」
「おかあさんだってそんな言い方されたらいややろ!」
「ひとのことは言わんでいい!」
「いま忙しい!」

いちいちつっかかる。それか無視するか。
他の保護者に聞いても、「母と娘」は対立しやすいらしい。


でもおとうさん(ぼく)のいうことには、たいていおとなしく従ってくれる。

理由はいくつかある。
まずぼくのほうが厳しい。おとなげないと言ったほうがいいかもしれない。
「置いていく」といったらほんとに置いていく。
「じゃあごはん食べなくていいよ。おとうさんが食べるから」といったらほんとに娘の分まで食べてしまう。
妻はそこまでしないので、何をいっても口だけだと見透かされているのだ。

あとぼくのほうが力が強い。
駄々をこねる娘を引きずって風呂場まで連れていって力づくで服を脱がせてシャワーをぶっかけたこともあるし、わがままの度が過ぎるときに抱きかかえて押し入れに閉じこめたこともある(三分ぐらいね)。
幼児といえども本気で暴れたらけっこう激しいから、こういうことは力が強くないとできない。
妻にはむずかしい。


妻と娘が対立していると、困ったものだ、とおもう。
でも同時にちょっと優越感もくすぐられる。

けんかの仲裁に入るときは「しょうがないな。やっぱりおとうさんがいないとだめだな」と顔がにやけてしまいそうになる。

ほんとに困ったものだ(そんな自分が)。