2018年9月18日火曜日

黒門市場


黒門市場に行ってきた。

先日の台風で関西国際空港が使えなくなった影響などにより、外国人観光客が激減しているという。
それは困っているだろうから助けてやらねばという義侠心半分、今なら混雑していないから狙い目という気持ち半分で黒門市場を訪れた。
自宅からは電車で十五分ほどだが一度も来たことはなかった。


日本橋(大阪のは「にっぽんばし」と読む)の駅を降りると保育園の広告が目に留まった。


なんだろう、この漫画喫茶感……。
色使い、フォント、まず第一に「駅からの距離」をもってくるところなど、すべてが漫画喫茶っぽい。
「五歳児ですね。ナイトパックでよろしいでしょうか。託児スペースはフラットタイプとリクライニングタイプをお選びいただけます」
なんて訊かれそうだ。



ここは外国人向け観光地だということがよくわかる。
三つの言語で「いらっしゃいませ」と書いているが、日本語では書いてくれていない。


マツモトキヨシも漢字。
漢字で書くと八百屋っぽい感じになって、商店街の雰囲気によく合う。
人が少ないなあと思ったけど、ここはメインの通りではなかった。


こっちがメイン。
なんだよ、にぎわってるじゃないか。外国人観光客も多い。
大阪だけど神戸牛の店がある。

こういう「ザ★観光客向け」の店と、地元の人向けの店が混在しているのがおもしろい。


こういう鮮魚とかは観光客にはあまり売れないだろうね。
漁港の近くじゃないからそこまで新鮮なわけでもないだろうし。


トロづくしの寿司。これはテレビで観たことある。
これだけのお金をとるんならもうちょっと容器を選んでほしいなあ。スーパーの五百円寿司のパッケージだもんなあ。


大阪人のほとんどが知らない謎の大阪名物、大坂巻。
そういや、大阪出身の友人が長野県のお祭りに行ったら「大阪焼き」という得体の知れない食べ物を売っていたといって怒っていた。「地元離れたらむちゃくちゃしよるな」と。
「大阪焼き」は一銭洋食のようなものだったらしい(「一銭洋食」が関西以外の人には伝わりにくいか)。


またまた謎の食べ物、「帝王蟹」。
「帝王蟹」で検索したら中国語のサイトばかりが出てくる。
日本でもここぐらいしかない食べ物なんだから、そりゃ日本一だろう。


神戸牛。高え。
超高級肉を扱う店には不似合いなビールのポスターや電子レンジ。


とんでもない値段のカニ。
小樽や金沢の市場にも行ったことがあるが、この半値以下だったような……。やはり帝王蟹は違う!(これが帝王蟹かどうかは知らん)



じつは黒門市場に行く前に、知人から黒門市場の悪評を聞いていた。

すべてが外国人向けのぼったくり価格になっているので日本人が行っても楽しめない、外国人観光客が来なくなって経営の危機に陥っているのはあこぎな商売をしてきたせいで自業自得だ、と……。

まあだいたい当たっていた。
ひどい値段の商品も多かった。外国人が何もわからないと思ってむちゃくちゃしよるな、という印象も持った。

でも楽しかった。
ぼくは海外の土産物屋を冷やかすのが好きだ。ときにはぼったくられることもあったが、ぼったくられるのも楽しい。「こんなくだらねえものに二十元も出しちゃったよー」なんていうのが旅先での買い物の醍醐味だ。

黒門市場も同じようなものだった。
写真は撮っていないが、一口サイズのパイナップルに割り箸を刺したものが五百円で売られていた。ぜったいに買わないけど、でも外国だったら買ってしまうかもと思わされれる非日常感があった。
バカなものにバカな金を払うのも旅の楽しみのひとつだ。

ま、ぼくが買ったのは柿とぶどうだけだったけど(近所のスーパーより安かった)。
市場では何も食べず、駅前のセルフうどん屋で昼食を済ませたけど。



黒門市場を歩いていて、なんだか居心地の悪さを感じた。
といっても、観光客向けに高すぎる価格で売っているからではない。金儲けに走ることはぜんぜん悪いとは思わない。むしろ楽しい。
むしろ、そうではない店があるからこその心地悪さだった。

市場全体が「よっしゃ、観光客から少しでも高い金をとったるでー!」的な雰囲気に包まれているかというと、そうではない。
さっきも書いたようにスーパーよりも安い値段で果物や魚介類を売っている良心的な店もある。きっと外国人観光客が増える前からここで商売をしている店なんだろう。

「何も知らない客に高い値段で売りつけるなんてまともな商売人のやることやないわ」という店主の声が聞こえてくるようだ。
その美学、かっこいい。

しかし帝王蟹や神戸牛を高額で売る店と、昔ながらのお客さんを大事にしている店はまちがいなくソリがあわないだろう。
どちらが正しいわけでもない。だからこそそのひずみは決して埋まることはない。

「汚い商売しよってからに。おかげで古くからのお客さんが遠ざかってしもたやないか。そんなやりかたがうまくいくのは今だけやで。商売人はお客さんを儲けさせてなんぼや」
という声と
「せっかく儲けるチャンスやのに昔のビジネスモデルをまだ引きずっとる。見てみい、ぜんぜん客が入ってへんやないか。商売がへたなやつやで」
という声の両方が聞こえてくるようだ。
ギクシャクギクシャク、という音まではっきりと聞こえてくる。
この場にいることがいたたまれない。

ぼくは心の中で喧嘩の仲裁に入る。
「まあまあまあ。値段は高くても、市場が活気づくのはいいことじゃありませんか。それにこうして良心的な価格でやってこられているお店があるからこそ地元の人もやってくるわけですし。高い店と安い店、両方のお店があるから黒門市場はおもしろいんですよ」

すると店主たちは言う。
「うっさい、何が地元の人もやってくるじゃ。おまえなんか大阪に住んどるくせに今までいっぺんも来たことなかったやないか」
「来たと思ったら柿とぶどうで五百円しか使ってへんやないか、そんなもん買うために電車賃使ってくな!」

ご、ごめんなさい……。


2018年9月17日月曜日

子は百薬の長


子どものとき、父や母はほとんど風邪をひかなかった。
父が病気で会社を休むことなど、数年に一回ぐらいのめずらしいことだった。

大人って風邪ひかないのかーと思っていたけど、自分が大人になってみるとすごく風邪をひく。毎年ひく。

だがここ数年、風邪をひく頻度が減った。ひかない年もある。ひいても長引かない。

子どもができたことも風邪をひかなくなった原因のひとつかもしれないと思いいたった。

子どもが朝ぐずぐずしたとしても遅刻しないように余裕を持って早起きするし、子どもを寝かしつけるついでに自分も早く寝るし、子どもが遊びたがるから外に出て運動をするし、子どもに栄養をとらせるために三食ちゃんとしたものを食べさせるようにするし、「外から帰ったら手を洗ってうがいしなさい」と言うために自分も一緒にやるし、自然と「規則正しい健康的な生活」をするようになった。

自分の体調が悪くても少々無理して仕事に行くことはできるが、子どもが熱を出したらそうはいかない。なぜなら熱があったら保育園では預かってくれないから。
子どもに風邪をひかれたらすべての予定が狂う。だから子どもの体調管理には自分の十倍気をつかう。結果、自分も健康になる。
自己管理できない生き物の健康を管理することが自己管理にもつながるのだ。

子は百薬の長。


2018年9月16日日曜日

後先考えずにC難度


テレビで体操競技を眺めていたら「I難度の技を披露!」と言っていた。

ああ、もう。ほらあ、後先考えずに決めるから。

初期の頃に「これはかんたんだからA難度ね、これはめちゃくちゃ難しいからC難度と呼ぶことにしよう」みたいな決め方をしたんだろう。
その後体操競技のレベルがどんどん上がって、今ではH難度とかI難度の技が生まれてしまった。
もうよくわかんない。ABCぐらいだったら直感的にわかるけど、G難度とかI難度とか言われても、とっさにどっちのほうが上なのかわかんない。おっぱいだったらGもIも爆乳だな、としか思わない。
もはやA難度やB難度なんか体操選手からしたら準備運動にもならないレベルだろう。それで「難度」を名乗るのはおこがましい。


後のことを考えない命名は世にあふれている。

でかいペンギンがいたから「オウサマペンギン」と名付けたら後にもっとでかいやつが見つかったから「コウテイペンギン」にしたとか(ちなみに絶滅種にはコウテイペンギンより大きい「ジャイアントペンギン」というのがいる)。

恐竜の名前も、スーパーサウルス(「でかいトカゲ」の意)とかメガロサウルス(「巨大なトカゲ」の意)とかギガノトサウルス(「巨大な南のトカゲ」)とか、そのときの印象で名付けすぎだ。あとウルトラサウロス(「すげえトカゲ」)ってのもいたけど後の調査でスーパーサウルスと同じ種類だったことがわかったとか。で、結局どれがいちばんでかいのよ。
恐竜なんかほぼ全部でかいんだから「巨大な」とか形容しなくていいんだよ。

「新幹線」やその駅である「新横浜」「新大阪」も後のことを考えていない。
「新」なんてつけちゃうから、リニアモーターカーをつくるときに困ってしまう。
次はどうするんだ? 新新大阪か? 最新大阪か?

気を付けろよ、記録はいつか塗り替えられるし新しいものは古くなるんだぞ!

先のことを考えない人のパソコンには
「2018年提案資料ver3.2(最新) _確定版- コピー (2)」
みたいなファイルが転がっている。
新幹線の新大阪駅もこの感じでいくと、26世紀ぐらいには「ニュー次世代ネオ新新幹線最新北新新大阪駅Ⅱ」なんてことになってるぞ!

2018年9月15日土曜日

子どもの喧嘩から学ぶこと


五歳の娘の友だち、Nちゃん。
保育園の組が同じで近所に住んでいる。しょっちゅう一緒に遊んでいる。
仲の良い友だちがいるのはええこっちゃ、と親としては思う。

だが娘とNちゃんは会うたびに喧嘩をしている。
おもちゃの取りあいだったり「かくれんぼにするかおにごっこにするか」だったり、とにかく頻繁に意見が衝突している。
女の子同士なので手を出すことこそないがどちらかが泣きわめくことはしょっちゅうだ。
「イヤだ!」「〇〇が先に使ってた!」「それやりたくない!」「ごめんって言って!」

そんなに喧嘩するんだったらもう遊ばなきゃいいのにと思うけれど、激しく喧嘩をした日の午後にはもう「Nちゃんと遊びたい」と言っている。


子どもは喧嘩上手だ。
大人はめったに喧嘩をしないけど、喧嘩をしたときは長く引きずる。激しく意見を衝突させた相手に、その日のうちに「遊びにいこうぜ!」なんて言えない。
一生絶縁するかも、ぐらいの覚悟がないと喧嘩ができない。

その点子どもは喧嘩をしても、謝るわけでもなく菓子折りを持っていくわけでもないのに気づいたら仲直りしている。
余計なプライドがないのだろう。たいしたものだ。


もうひとつ、娘たちの喧嘩を見ていて気づいたことがある。
意見の衝突はあるが、人格を否定したり、別件を持ちだしたりしない、ということだ。
「そっちに行きたくない!」ということはあっても、「〇〇ちゃんのバカ!」とか「そんなの選ぶなんて〇〇ちゃんはおかしい」なんてことは口にしない。
また「こないだ公園でもめたときもわがまま言ってたじゃない!」みたいな過去のことを持ちだしてきたりもしない。いつも今のことで喧嘩している。

夫婦喧嘩でもそうだが「だいたいあなたはいつも……」「三年前の旅行のときだってあなたは……」「あなたのような××な人にはわからないだろうけど……」みたいな論調になると話はこじれる一方だ。
今のこととこれからのことだけ話していれば、たいがいの問題は収束してゆく。

・後々まで引きずらない
・人格を否定しない
・別件や過去の出来事を持ちださない

子どもたちの喧嘩には、見ならわなくてはならないことがたくさんある。


2018年9月14日金曜日

【読書感想文】「絶対に負けられない戦い」が大失敗を招く/『失敗の本質~日本軍の組織論的研究~』


『失敗の本質
日本軍の組織論的研究』

戸部 良一 / 寺本 義也 / 鎌田 伸一
/ 杉之尾 孝生 / 村井 友秀 / 野中 郁次郎

内容(e-honより)
大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、 これを現代の組織一般にとっての教訓あるいは反面教師として活用することを ねらいとした本書は、学際的な協同作業による、戦史の初の社会学的分析である。

太平洋戦争(本書の中では「大東亜戦争」と表現されている)で日本が惨敗に至った理由を探るため、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦という六つの作戦の背後にどのような失敗があったのかを分析し、そこから日本軍、ひいては日本社会が抱える「失敗の本質」を見いだそうとする本。

著者たちも「こうすれば日本はアメリカに勝てた」と考えているわけではない。
ただ、もっとうまく負けることはできた、もっと犠牲を少なくできた、もうちょっとマシな講和条約を引きだせた可能性は十分にあったと指摘している。

じっさい、日本がアメリカに勝てた可能性は一パーセントもなかっただろう。
どんな作戦をとっていたとしても、部分的に勝利することはあっても最後には敗北を喫していただろう。
だが「もっといい戦い方があったのでは」と研究することはたいへん意味のあることだ。
敗戦分析は、軍事にかぎらず、ビジネスや教育や政治などあらゆる局面で「何が失敗を引き起こすのか」を教えてくれる。

しかし我々は敗戦分析が好きじゃない。日本人の特質なのか、人間共通の性質なのかはわからないが、失敗からは目を背けたがる。

サッカーワールドカップなんかでも、試合前はああだこうだと様々な分析がおこなわれるのに、敗退が決まったら潮が引くように報じられなくなる。勝ったら「〇〇が活躍した」「この采配が当たった!」と喧伝するのに、負けたときは何も言わない。
「負けたのは誰のせいでもない」と責任の所在を明らかにしない。
「私が悪かった」という人間はいても「じゃあどこをどうしていたら良かったのか」と追及する人間はいない。
負けた人たちを誰も責めない。
それどころか「負けたけどよくがんばった。胸を張って帰ってこい!」と、逆に褒めたりする。
敗戦から学ぼうとする人の姿はどこにもない。

「絶対に負けられない戦いがある」ということは、裏を返せば「負けたらその戦いはもうなかったことになる」である。



日本が惨敗した原因はいろいろあるが、あえてひとつ挙げるなら「負けから何も学ばなかった」ことに尽きる。

ノモンハン事件は日本にとってはじめての近代戦、ミッドウェー作戦は不運にも見舞われた戦いだった。ここで負けたのはある程度しかたがない。
しかし日本軍はそこから何も学ばなかった。

生き残った者を卑怯者とみなしたため、敗戦の経験を持つ指揮官は左遷されたり、自殺したりした。
敗者の貴重な体験がその後に活かされなかった。

どんな強い軍隊でも全戦全勝というわけにはいかない。世界最強のアメリカ軍がベトナムゲリラに敗れたりする。だからこそ「負ける可能性を低くする」ことは重要だ。それは「絶対に負けない」とはまったく違う。

日本軍は「必勝の信念」を持って戦略を決めていた。作戦不成功のことを考えるのは士気に悪影響を及ぼすと考え、失敗のことは考えないようにしていた。これでは勝てるわけがない。
失敗することを考えない組織は大失敗する。



日本軍の不運は、はじめはうまくいったことにあるのかもしれない。
日清、日露戦争で大国を破った。パールハーバーの奇襲作戦も成功した。開戦直後は連戦連勝だった。
これが「負けから学ぶ」機会を奪ったのかもしれない。
 いずれにせよ、帝国陸海軍は戦略、資源、組織特性、成果の一貫性を通じて、それぞれの戦略原型を強化したという点では、徹底した組織学習を行なったといえるだろう。しかしながら、組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)、つまり自己否定的学習ができるかどうかということなのである。
 そういう点では、帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。帝国陸軍は、ガダルカナル戦以降火力重視の必要性を認めながらも、最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却できなかったし、帝国海軍もミッドウェーの敗戦以降空母の増強を図ったが、大艦巨砲主義を具現した「大和」、「武蔵」の四六センチ砲の威力が必ず発揮されるときが来ると、最後まで信じていたのである。
成功体験が大きいほど、負けを認めるのは難しい。

「負けられない」は「負けを認められない」である。
誰もがもうだめだとうすうす気づいている作戦から、いつまでも撤退できなくなる。

戦後もその意識は変わっていない。ほとんどの組織は負け戦がへただ。

国民年金はいい制度だったが、もう破綻することが避けられない。
日本はものづくりで戦後の復興を果たしたが、いいものを作れば売れる時代は終わった。
自動車産業も電機メーカーも大手銀行も繁栄したが、ビジネス形態自体が時代遅れになりつつある。
書店は文化や教育の水準を向上させることに貢献したがもう売れない。
家を買えば将来の安心につながったが今や不安材料のほうが大きい。

みんな気づいている。だけど認められない。
「ここまでやってきたことは失敗でしたね」とは誰も言えない。誰かに言ってほしいと思っているが、自分は言いたくない。
誰かに止めてほしいけど自分で終わりにしたくはない。
「オリンピックなんてもうやめたら」と言う人間はいても、「おれがやめさせる」と言える人間はいない。かくして、これはまずいと思いながら引き返せずにどんどん深みにはまってゆく。抜けだすのはますますむずかしくなる。


この本が上梓されたのは1984年だが、こういう報告が戦後四十年近く経つまで成されなかったということこそが我々が「負け戦がへた」だということを表しているように思う。


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