2018年9月1日土曜日

「ひとのことはいいから」


五歳の娘に対してよく口にする台詞は
「ひとのことはいいから」
だ。

いっちょまえに周囲を観察できるようになり正義感だか公平感だかも身についてきたことで、不満があると「〇〇ちゃんもやってた」だの「□□くんには言わなかったのに」だのと不平をこぼすようになった。

よその子を本気で叱るわけにはいかないだろとかあっちの子はまだ三歳だからしょうがないじゃないかとかあの子の親はちょっとアレな人っぽいからとかいろいろ説明するのも難しく、そんなこんなでこっちの口をついて出るのが「ひとのことはいいから」だ。



まあ気持ちはわからんでもない。
「あっちは許されてるのになんで自分だけが」という感覚は人間の感情のかなり深いところにある。ひとことでいうと「ずるい」という感覚だ。
人間だけじゃなくて他の動物にもある。犬だって兄弟二匹中一匹を優遇していたら、もう一匹は怒る。

いい年齢になった人でも「在日外国人が特権を享受している」だの「生活保護受給者がパチンコをやるな」だの五歳児のメンタリティのまま他人を攻撃することに精を出している。

おまえの不遇は他人が不当な利益を享受していることに起因してるんじゃねえよと言いたくなるし、たぶんそんなことは当人だってわかってるんだろうけど、それでも「あいつだけずるい」という感覚を抑えられないのが人間だ。



ちょっと変わった生き方をしている友人がいる。勤め人ではなく、自営業者でもなく、傍から見るとまるでずっと遊んでいるような生き方をしている。非合法なことではなく。

あるときインターネット上で彼のことが話題になっていた。そこにぶらさがっているコメントが非難であふれていた。
「家族がかわいそう」「自分の親や夫がこんな人だったらイヤだ」といった言葉が並んでいた。
彼の生き方をうらやましいと思っていたぼくからすると、ちょっとした驚きだった。

遊んで暮らせるなんて最高じゃないかと思うのだが、どうも世の多くの人はそうではないらしい。何の迷惑もかけられていなくても「あいつだけずるい」と思ってしまうようだ。
被害者がいれば「被害者の気持ちを考えろ」と堂々と非難できるのだが(勝手に怒りを代弁するのも勝手な話だが)、それができないので「家族がかわいそう」とむりやり被害者をつくりあげて怒りを代弁することにしたらしい。



ぼくたち人間は、どうやら幸せな人が嫌いらしい。
才能と美貌と知性と家柄に恵まれて働かずに一生笑って暮らす人が許せないらしい。

おとぎ話で王子様と幸せな結婚をしたお姫様も、その後は「あいつだけずるい」と思われて、何をしてもインターネット上で叩かれながら生きていくことになるんだろうなあ。

「ちっちゃいガラスの靴が履けただけの成り上がり女が、晩餐で出された料理を大量に残した!」
「マスコミが報じない真実! 税金が注ぎこまれる不当な毒りんご特権」
なんて言われて。


2018年8月31日金曜日

娘のサインに気づいて


娘(五歳)は頑健だ。

保育園に入れるとき、いろんな人から「子どもはすぐ熱出すからねー」「しょっちゅう保育園から呼び出しかかってたいへんだよ」という話を聞いていた。
職場に小さな子を持つ女性が何人かいたけど、しょっちゅう休んだり早退したりしていたので「たいへんそうだ」と覚悟していた。

だがうちの子は強かった。
保育園に行くようになって最初の一年、彼女が体調不良で休んだのは一日だけだった。
ぜんぜん熱を出さない。出しても土日。一晩で治す。強い。ちなみにその間、ぼくは三日会社を休んだ。

その後も年に一、二回ぐらいしか休まない。休んでも一日で治る。幼児ってこんなに強いのか。子どもは弱いと思っていたぼくには驚きだった。
「子どもはすぐ熱を出す」とひとくくりにできないのだと知った。



昨日の朝、娘に五時に起こされた。「のどかわいた」というのでお茶を入れてやった。暑くて寝苦しいよねーなんていって、もう一度寝た。

七時。娘を起こす。なかなか起きない。変な時間に起きちゃったからねー。
娘の身体が熱い。子どもって眠いと体温上がるよねー。眠いんだろうねー。

娘が「吐きそう」と言ってごはんを残す。暑いと食欲落ちるよねー。ぼくも寝不足のときは胃の調子が悪いよ。

娘が不機嫌だ。よく眠れなかったからねー。今日は保育園でしっかりお昼寝しようねー。

そんな感じで保育園に娘を送っていった。先生に「明け方起きちゃったので眠いみたいです」と伝えた。

仕事にいって間もなくして保育園から電話がかかってきた。「おとうさん、娘さんがすごい熱です」

あー。そうかー。
熱か。そういやそうだわ。夜中に起きるのも、眠そうにしてるのも、身体が熱いのも、食欲が落ちるのも、吐きそうなのも、機嫌が悪いのも、ぜんぶ体調不良のサインだわ。
娘はめちゃくちゃわかりやすいサイン送ってきてたのに全部華麗にスルーしてた。高校野球の強豪校だったら二度とレギュラー起用されないぐらいサイン見逃してた。

ちゃんとした親ならすぐ気づいたんだろうけどね。
すまねえすまねえ、おまえがふだん頑強なばっかりにこっちも油断してたわ。

そんなわけで保育園に娘を迎えに行って、ゼリー食べさせてちょっと寝かせたらもう元気になって跳びはねてんの。ほんと頑強。これじゃおとうちゃん、またサイン見逃しちまうぜ。

2018年8月30日木曜日

わからないことへの接し方


わからないことを受け入れられない人がいる。
「なんでわからないんだ!」「考えてないからだろ!」
という思考。

わからないのには理由がある。
十分な時間をとればわかるけどそれだけの時間をかけるとコストが見合わないとか、元となるデータが少ないとか、そもそも不確実要素が多すぎて誰がどうがんばってもわからないこととか。

そこで「がんばればわかるようになる」とか「それでもどこかにわかる人がいる」と考える人と、「わからないことを前提にリスクを最小化する最善の手を打とう」と考える人がいる。



いわゆる体育会系がばかにされるのは、前者の人の割合が高いからだろう。
やればできるさ、できなかったのはやらなかったからだ、の人。
「勝たなきゃいけない」と思っている人。

といってもスポーツ界にもちゃんと頭のいい人はいて、そういう人は「勝たなきゃいけない」とは思っていない。
どうやっても負けることはある。どんな強いチームでも弱いチームに負けることはある。そのリスクを最小化するためには何ができるか。
「勝つ方法を考える」と「勝つ確率を上げる方法を考える」は、似ているようでぜんぜん違う。前者は何も考えていないに等しい。

学校の勉強で「なんで全教科満点じゃないんだ」と叱る人はまずいないのに、スポーツやビジネスだと「なぜ負けたんだ」「なぜ失敗したんだ」という人が多いよね。同じなんだけどね。


2018年8月29日水曜日

神戸牛ときったない雑巾


こじゃれたカフェに入って「神戸牛オムカレー」ってのを頼んだら、思ってたより神戸牛がずっと大きくて、思ってたよりずっとおいしい肉だった。

どうせだったらカレーソースじゃなくてステーキソースか醤油かけて食べてえなあとか、どうせだったらオムカレーのトッピングじゃなくて丼に乗っけてネギと一緒にかきこんだらめちゃくちゃうまいだろうなあと考えてたら、なんだかすごく損をしている気になってオムカレーに乗せて食べてるのが嫌になってきた。


カフェのオムカレーの神戸牛は、ちっちゃい切れ端がところどころに入ってる程度でいいんだよ! うまくてでかいやつじゃなくていいんだよ!


うまいがゆえにがっかりする。

イチローに来てもらったのに、ゴムボールとプラスチックのバットで野球やらせるみたいな感じ。
せっかく来てもらったんだから一流の道具で一流のプレーを見せてほしい。


話は変わるけど、ぶどうジュースを派手にこぼしちゃったとするじゃない。
いけない、早く拭かなきゃと思って手に取ったのが、まっさらの布巾。
なんかイヤじゃない? 真っ白い布巾でいきなりぶどうジュース拭くのって。
こっちとしては段階的に汚していきたいわけ。まずは水拭いて、こぼれたお茶拭いて、こぼれた味噌汁拭いて、最後にぶどうジュース拭いてポイッ。
真っ白な状態からいきなりMAXに汚したくないわけ。

モノにも適材適所があるんだよね。
きれいな布巾が輝くのは、おしゃれな食卓。
ゲロを拭くときに力を発揮するのはきったない雑巾。真っ白な布巾でゲロを拭きたくない。

うまい神戸牛はきれいな雑巾。輝くのはステーキや焼肉という舞台。
ゲロ掃除にはきたない雑巾が似合うように、オムカレーで活躍するのは安い小間切れ肉。
この感覚、わかる?
オムカレーと神戸牛の話してたのになんで雑巾とゲロの話してるのか自分でもわかんないけどさ。

2018年8月28日火曜日

かつ児童保護の観点からも


妻からこんな話をされた。

「聞いた話なんだけどね。職場の人の知り合いが赤ちゃんをだっこしてたんだけど、うっかり手が滑って赤ちゃんを落としちゃったんだって。具合が悪そうだったので病院に行ったら揺さぶられっこ症候群みたいなことになってたんだって。そしたら虐待を疑われて児童相談所に赤ちゃんを連れていかれちゃって、赤ちゃんと引き離されたんだって。ひどくない?」


ぼくは「何もひどくないと思うけど」と答えた。

「伝聞の伝聞の伝聞なのでかなり信憑性に欠ける話だけど、仮に赤ちゃんと引き離されたって話が真実だったとして、『うっかり手が滑って落としちゃった』ってのがどうしてほんとだとわかるの? 虐待してた親が嘘をついてるのかもしれないじゃない」

 「……」

「仮にほんとに過失で落としてしまったんだとして、赤ちゃんは虐待されたときと同じような状態に陥ったんでしょ? だったら行政が介入して保護するのはいいことだと思うけど」

 「……でも親はかわいそうじゃない」

「かわいそうだけどさ。でもなにも一生子どもに会えないわけじゃなくて一時的な保護でしょ。重篤な状態にあるんだったら、公的な機関で預かってもらえるほうが安心だけどな」
 
 「……でもほんとは虐待してないのに虐待を疑われるのってイヤだと思うけど」

「べつに疑われたわけじゃないんじゃない? 行政は虐待という”行為”じゃなくて、揺さぶられっ子症候群という”結果”に基づいて介入したんでしょ。それってすごくいいやりかただと思うけどな。さっきも言ったように真相は本人にしかわからないんだからさ。行政が親の言動を見て『あんたは日頃から子どもをかわいがってるから虐待じゃない』『あんたは虐待しそうだから虐待とみなす』って判断してたら、そっちのほうがよっぽど怖いよ。『あんた虐待してるでしょ』なんて言ったら、それが事実であっても誤りであっても親子関係に悪影響しか与えないだろうし。だから『虐待があったかどうかはわからないけどとにかく子どもが重度の怪我をした場合は公的機関が子どもを保護します』ってやりかたはすごく公平で、かつ児童保護の観点からもすごくいいと思うけど」

 「んー。そういう正論を聞きたかったんじゃなくてかわいそうだね、って話をしたかったんだけどな」


あれ、ぼくの返答まずかった?