2017年4月13日木曜日

【読書感想エッセイ】 岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』

岩瀬 彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』

内容(「BOOK」データベースより)
戦前社会が「ただまっ暗だったというのは間違いでなければうそである」(山本夏彦)。戦争が間近に迫っていても、庶民はその日その日をやりくりして生活する。サラリーマンの月給、家賃の相場、学歴と出世の関係、さらには女性の服装と社会的ステータスの関係まで―。豊富な資料と具体的なイメージを通して、戦前日本の「普通の人」の生活感覚を明らかにする。

講談社現代新書で2006年に出版されたものの絶版になっていたのを、ちくま文庫から再刊されたもの。
いやあ、いい本。再刊してくれてよかった。筑摩さん、ありがとう。



戦前は意外と今と近い


昭和十年頃(日中戦争、太平洋戦争が始まるちょっと前)の都市生活者の暮らしを、「お金」という切り口で描いた本。

「戦前の生活」というのは江戸時代の暮らしと同じくらい遠い時代のイメージだったんだけど、この本を読むと、サラリーマンはスーツを着て会社に行き、学生は勉強そっちのけでビリヤードに精を出したりしていたらしい。なーんだ、今と似たような生活を送っていたんじゃないか(少なくとも男性は)。
「玉音放送で価値観がガラッと変わった」なんて話をよく聞くけど、大きな断絶があるのは「戦中から戦後になったとき」であって、「戦前の平和な時代と戦後の復興後」はけっこう近い生活をしていたんだとか。

 戦後に人々が復興しようとしたのは、当然のことだが「平和の戦前」であり、復興のスローガンは、戦前で最も経済が安定していたとされる「昭和八年に帰ろう」だった、という。実際、昭和ヒトケタから昭和三十年代なかごろまでの日本人の基本的ライフスタイルはほぼ同じだったといってよい。つまり、戸建ての日本家屋に住み、主に和室で生活し、ふだんの買い物は八百屋や魚屋といった個人商店ですませ、日常の足は公共交通機関に頼るという生活だ。ここに、昭和八年と昭和二十六年の雑誌小説の挿絵を並べてみるが、戦争をはさんで十八年の時差があるにもかかわらず驚くほどスタイルが変わっていないのがわかる。

どうも、江戸時代よりはずっと近いようだ。
といってもこれは都市生活者の暮らしの話で、農村部と都心部の暮らしの差は今よりもずっと大きかったのだろう。
ぼくの父は昭和30年生まれだけど雪国の農家で育ったので、幼少の頃は「牛を飼っていて、冬になると家の中に入れて一緒に生活していた」そうだ。日本昔ばなしみたいな話だけど、昭和40年くらいでもまだそんなところはあったんだねえ(もしかしたら今でもあるのかも)。
母は同世代だけど都会育ちなので、母がテレビで『鉄腕アトム』を観ていたころに、父は「村で唯一電話があるのが自慢だった」という。ずいぶんと差がある。





戦前の金銭感覚について


物価についてはいろいろと説があるようだが、だいたい2,000倍して考えるとだいたい今の価値に近くなる、とこの本には書いている。
外食で30~50銭ぐらい出せばそこそこの食事ができたらしいから、今の価値だと600~1,000円。まあそんなもんだろう(東京だと600円で食事できるところはファーストフードしかないだろうけど)。

この本のタイトルにもなっているように、「月給100円」というのが戦前サラリーマンにとってひとつのボーダーだったようだ。100円稼いでいればそこそこいい暮らしができる、という認識だったみたい。
しかし月に100円ということは、今の価値だと20万円。しかもボーナスを入れての金額なので、毎月支給されるのは10万円をちょっと超えるぐらい。10万円ちょっとで「そこそこいい暮らし」ができたのだから、いい時代だ。

今は30代の平均年収が400万円くらいらしいので(賞与含む)、月収ベースにすると30万とちょっと。
物価は2,000倍で所得は3,000倍以上になっているから、それだけ今の暮らしは楽になっていることになる……。単純に考えるとそうなんだけど、じっさいはそうでもないよね。

 家賃は2,000倍どころでなく上がってるし、昔はなかった家電や携帯電話に使うお金もあるし……。
「平均的な暮らし」をするためのコストで考えると、昔も今もたいして変わらないんじゃないかなあ。



そうしてサラリーマンは戦争へ駆り出された


特に興味深かったのは、最終章の「暗黙の戦争支持」。
日本が勝ち目のない戦争に突き進んだ責任の一端はサラリーマンたちにもあると著者は指摘する。

 当時のホワイトカラーも、極端な貧富の格差の存在や政財界の腐敗には内心怒りを感じてはいた。だが、多くのサラリーマンはただじっとしていた。文春のアンケートで資本主義は行き詰まっていると訴えた二十九歳のサラリーマンは「自分の生活のためと、プチブル・インテリの本能的卑怯のために現代社会生活の不合理と矛盾を最もよく知りながらも之が改革運動の実際に参与出来ない」と言い、それが「一番の不満です」と述べている。

さまざまな問題を知りながら、「自分の生活のため」に目をつぶっていたサラリーマンたち。
民衆の不満はくすぶっていた。その不満を解消する手段として選ばれたのが、戦争だった。
戦争に勝てば景気は沸き、贅沢もできないから格差は縮まり、軍人は大きな顔をできる(戦前の軍人は安月給で扱いも低かったらしい。彼らの鬱屈した思いが戦争を招いたとも言えるかもしれない)。

かくして「今の良くない状況を打開してくれるもの」として戦争支持者は歓声を上げ、日本は後には引けない戦争へと足を踏み入れる。

 満州事変以降、生活の苦しいブルーカラー(つまり当時の日本の圧倒的多数)や就職に苦しむ学生は、「大陸雄飛」や「満州国」に突破口を見つけたような気分になり、軍部のやり放題も国家主義も積極的に受け入れていった。しかし、すでに会社に入っていた「恵まれた」ホワイトカラーはますますおとなしくなっていったように見える。彼らは最後まで何も言わず、戦争に暗黙の支持を与えたのだ。
 彼らもやがて召集され、シベリアの収容所やフィリピンの山中で「こんなはずじゃなかった」と思っただろう。学生時代に銀座で酔っ払って暴れたり、給料日に新橋の「エロバー」まではしごで豪遊したり、三越でネクタイを選んでいられた頃に心底戻りたかっただろう。でも、気がついたときはもう遅かったのだ。


この描写にぞっとした。
そうだったのか。出兵していた兵士たちって、元サラリーマンもいたのか。想像したこともなかった。



今ぼくらが耳にする戦争体験って、昭和生まれの人の話が多い。だって大正生まれはもう90歳を超えているのだから。
戦中育ちの人の戦争体験は、どこか遠い世界の話だった。
でも、サラリーマンも戦争に行っていたというのは、現在サラリーマンであるぼくにとってはかなりショッキングだった。

今の日本も、格差は広がり、ほとんどの若者が豊かな生活を送れていない。今後高齢化は進む一方だから将来的な展望も暗い。
『「月給100円サラリーマン」の時代』を読むと、昭和十年頃の空気はもしかしたら今と同じように閉塞的な雰囲気が漂っていたのかもしれないなと思う。

今、裕福でない家庭に生まれて高い技能を持たない若者にとっては、状況を打開する手段はもはや宝くじで一発当てるか、戦争が起こることぐらいしか残されていない。

だからってすぐに日本が戦争を始めるとは思わないけど、しないとも言い切れない。「防衛のための戦争」という大義名分があれば今の憲法でもできるしね。ちょうど東アジアの情勢が不安定になっていることもあるし。
戦争をしたい人は少ないだろうけど、「戦争をするといわれても積極的に反対はしない」という人も少なくないんじゃなかろうか。


ぼくは思う、日本が戦争をすることは、ない話じゃないと。
そしてこうも思う。いざその道に進みかけたときに、ほとんどの人は何もしないんじゃないかと。



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2017年4月12日水曜日

いちばんセンスのないあだ名


4月
といえば、あだ名をつけられる季節。
きっと今頃、いろんな学校やサークルや会社で新しいあだ名がつけられていることでしょう。

あだ名には、つけた人間のセンスが如実に表れる。
世の中にはセンスのいいあだ名をつける人がいる。

ぼくが知っている中で、いちばんセンスを感じたあだ名は「貯金」だ。
大学のサークルに入ってきた新入生を見て、先輩が「おまえ貯金してそうやな」という理由でつけたものだ。
たしかに、その名をつけられた貯金氏はがんばって小金を貯めてそうな顔をしていた(金持ちっぽかったわけではない。本当に「貯金」をしてそうな見た目だった。預金じゃなくて、豚の貯金箱にお金を入れてそうだった)。
しかも「ちょきん」という音の響きは呼びやすいし親しみもある。
「資産家」とか「リッチ」だったら若干の悪い響きも含まれているが「貯金」にはそれもなく、付けられた当人も「貯金ってあだ名としておかしいやろ~」と言いながらもまんざらでもなさそうだった。

  • つけられた経緯がエピソードとして印象に残る
  • 当人のキャラクターにしっくりくる
  • 呼びやすい
  • 言葉に悪いイメージがない
  • オリジナリティがある

と、五拍子そろった秀逸なあだ名だった(しかし五拍子ってリズム悪いな)。



では逆に センスのないあだ名とはどんなものだろうか。

ぱっと思いつくところでは、「名前をもじっただけのあだ名」というものがある。
すなわち「よっしー」「さかもっちゃん」「ナベさん」「はるちん」「ミカピー」みたいなやつ。あだ名を聞いただけで、名前がある程度推測されるやつ。
これはお世辞にも「センスのある」あだ名とは言えない。
ただ、これがワーストかというと、それも違う気がする。だってつけた人は何も考えていないのだから。

こうしたあだ名をつける人は、「狙って」いない。
あだ名をつけることで己のユーモアを示してやろうとか、気の利いた比喩表現を見せてやろうとか、そういった意図がない。
「他人のあだ名という土俵を借りて自分の才覚で相撲をとってやろう」という勝負心がないので、そもそも「センスがあるかないか」という勝負の舞台にすら立っていない。

「坂本くんと呼ぶよりはもうちょっと踏み込んだ関係をあなたと築きたい」という意志表示としての「さかもっちゃん」なので、ある意味これはこれですごく正しい。あだ名って元来そういうものだし。
みんながみんなこういう「狙って」いないあだ名をつける世の中になれば、きっと世界は平和になると思う。それはすごくつまんない世の中だろうけど



じゃあ センスがないあだ名、すなわち己の持てる感性を誇示してやろうと「狙って」つけたにもかかわらず愚かにもその企図が失敗しているあだ名とは何なのか。


ずいぶん前置きが長くなってしまったが、ぼくが思う「いちばんセンスのないあだ名」は

同じ苗字の有名人の名前をつける あだ名だ。

たとえば夏目さんに対して「漱石」とつけるようなやつ。
野口に対して「英世」とか「五郎」とか「みずき」とかつけるようなやつ。

元祖・英世

このタイプのあだ名、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。つけられたことのある人もいるだろう。そしてうっすらと嫌な思いをしただろう(わざわざ抗議するほど嫌でもないのが余計にタチが悪い)。

  • 笑えない
  • 当人のキャラクターと何の関連もない
  • オリジナリティがない
  • 呼ばれる側を不快にさせる
  • つけられた経緯が安易に想像できて周囲の人間も不愉快になる

と、悪いところが五つそろった逆ロイヤルストレートフラッシュなあだ名だ。



この手の センスのなさが前面に出たあだ名がつけられる時季は、圧倒的に4月が多い。
こういうあだ名をつけるやつは、ふだんは周囲から相手にされていない分、入学直後とかの新しい環境でまだ嫌われていないときは1年でいちばんイキイキとしていて、
「おまえ速水っていうの? じゃあ "もこみち" って呼ぶわー。もこみちー!」
なんてうすら寒いことを言いだす。

言われたほうも、他の季節なら「冷ややかな顔で小さくため息をついてから無言で目をそらす」ぐらいのリアクションをとるのだけれど、なにぶん4月は周囲から浮かないように気を付けている時期。「ハハッ」とミッキーマウスのような乾いた愛想笑いをして甘んじて受け入れてしまう。


このような悲劇はもうくりかえされてはいけない。
だから新学期になったら真っ先に担任教師から
「同じ苗字の有名人のあだ名をつけないように。
 あと雑巾2枚持ってくるように」
と伝えることを忘れないようにしていただきたい。


【読書感想エッセイ】 高山 トモヒロ『ベイブルース 25歳と364日』

高山 トモヒロ『ベイブルース 25歳と364日』

内容(「BOOK」データベースより)
「絶対一番なるんじゃ」。かつての野球少年達が選んだ芸人への道。焼け付くような焦りの中を頂点目指してもがき、ついに売れると確信した時、相方を劇症肝炎が襲う。人生を託した相方である友の再起を願い、周囲に隠し続ける苦悩の日々…。今なお、芸人に語り継がれる若手天才漫才師の突然の死と、短くも熱いむき出しの青春が心に刺さる感動作。

ときに「ベイブルース」という漫才コンビをご存じだろうか。
大阪で漫才の賞を総ナメにし、「ダウンタウン以来」とも言われるほどの快進撃を続けながら、人気絶頂の1994年にメンバーの河本栄得の急逝により活動休止したコンビ。

ぼくがお笑いにはまってテレビで漫才番組を欠かさずチェックするようになったのは1995年からなので、ベイブルースのことは「名前だけはちらっと聞いたことがある」という程度だった。
この本を読んで気になったので、YouTubeを検索して、ベイブルースの漫才映像を観てみた。
おもしろかった。20年以上たつのに、その発想は色あせていない(構成は「昔の漫才だなあ」と思うけど)。

そんなベイブルースの「残されたほう」である高山トモヒロの私小説。



なにが 恥ずかしいって、こういう「親しい人が死ぬとわかっている小説」で泣くことほど恥ずかしいことないよね。
なんかすっごくダサい感じがする。作者の狙い通りというか。

まあ、ぼくは泣いちゃったんですけど。しかも電車の中で。


ぜんぜんうまくないんだよ、小説として。へたくそといっていいぐらい。
文章も稚拙だし、芸人が書いてるのに笑えないし、思い出したままに書いているから時系列もめちゃくちゃだし、小学生の作文みたい。
だからこそ、相方が脳死宣告を受けるくだりなんか、ド直球で感情をぶつけられるように感じた。小説を読んでいるというより友人の語りを聞いているような気分。そりゃ泣くぜ。こんなので泣くかいと思ってたのに泣かされてしまった言い訳だけど。

でもこんなの小説として認めないからな!(涙ぐみながら)



ところで ベイブルースというコンビのバランスについて思ったこと。

河本は相方に対して、一字一句間違えず、間の取り方まで寸分の狂いもない「精密機械であること」を要求し、相方もまた「精密機械でいよう」とその期待に応えようとした。

「これからは相方として絶対に絶対に力になるから」
 今さらその考えを変える必要はない。この男について行けばいいだけだ。間違いない。河本の才能があったからこそ、僕も一緒にここまでこれた。僕1人の才能では到底無理だった。
「精密機械になれ」
 その通りにしたら、ここまでこれた。僕のペースにも少しは合わせてほしい……これは少しでも楽をしたいという、僕自身の甘っちょろい考えだ。プロはそんな生ぬるいことなんて言わない。少しでも河本が僕のペースに合わせたら、ごく普通の芸人人生で終わるかもしれない。河本が抱いている大きな夢には届かない。好きにしてくれ、自分が思った通りに突き進んでくれ。それが時にどんなイバラの道に迷い込んでしまおうと、僕はついて行くから。

すごい信頼関係だと思う。でも同時に、怖い、とも感じる。

相方が死んで思い出が美化されて書いているだけかもしれない。
でも元気に活動しているうちから「こいつは天才だから、その才能を輝かせるために俺は自分を殺してすべてを捧げよう」って姿勢でいたとしたら、怖い。
それってどういう気持ちなんだろう。

献身性って怖くない?
ぼくは、高校野球のマネージャーも怖いんだよね。何が楽しくて他人のためにあそこまでできるんだろうって思う(応援団とかチアリーダーは応援じゃなくて自己満足でやってるように見えるからべつに怖くない)。
いや、マネージャーも自己満足なんだと思う。「みんなのために尽くしてる一生懸命なアタシ」が好きなんだと思う。それはわかる。わかるんだけど、なぜその献身の対象が赤の他人なんだろう。
尽くす対象が「大好きな恋人」とか「愛する我が子」とか「おれのかっこいいバイク」とかなら理解できるんだけど。それは自分の所有物(と思っているもの)だから。
「がんばってる君が好き」よりも「南を甲子園に連れてって」のほうがまだ健全な気がする。

「がんばってる君が好き」という感情って、ほんのちょっと方向性がずれたら、攻撃性に変わっちゃいそう。「がんばってない君は存在しちゃいけない」と表裏一体というか。



この本を読んだ後は「もし河本が生きていたらどうなっていただろう?」と考えずにはいられない。
ベイブルースはどんなコンビになっていたのだろう?
「才能のあるこいつのために俺は精密機械になる」という強い意志は、いつか壁にぶつかって「こいつの才能は枯渇したのかもしれない」となったときに、同じような関係を続けることができたのだろうか?

コンビとしてはどうだっただろう。
ひょっとしたら今でも第一線を走っていたのかもしれないし、生きていたとしてももう活動していないかもしれない。早逝したから実際以上に評価されているだけで、凡百なコンビだったのかもしれない。

こうやってあれこれ想像してしまうのは、ベイブルースというコンビがそれだけ魅力的だったからなんだろうね。



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2017年4月7日金曜日

【読書感想エッセイ】 小松左京・筒井康隆・星新一 『おもろ放談―SFバカばなし』


小松左京・筒井康隆・星新一
 『おもろ放談―SFバカばなし』


1981年に刊行の対談集。もちろんとっくに絶版。

どうですか、このメンバー。一部のファンにとっては垂涎ものでしょう。
20年くらい前に古本屋で買ったもので、ぼくの宝物。
主にしゃべってるのは小松左京・筒井康隆・星新一の3人だけど、他にも平井和正・豊田有恒・矢野徹といったSF作家もときどき参加。
久しぶりに読み返してみたけど、おもしろいなあ。

筒井 まあ、しかし最近世界各地でたくさん飢えて死んでますね。あれ、ひとまとめにして埋めときゃ石油になるのかな(笑)。
小松 そんなに早く石油になるもんか(笑)。まったくもう、血も涙もないな(笑)。
筒井 とにかくね、人間が死んでそのままというのがもったいないんですよ。死にかけてるのを日本へつれてくればね、古々米はいっぱいあるし、残りものでもなんでも食わせてやれば大きな労働力に(笑)。
小松 ひどいことを(笑)。ヒューマニズムのかけらもないな(笑)。
 しかし、本人たちにしてみれば、飢え死にするよりはいいかもしれんぞ。

はっはっは。不謹慎だなあ。
まちがいなく今だったら掲載できないな。冗談と本気の区別がつかない人が多いから。
いや、そこの区別がつかない人は昔もいっぱいいたんだろうけど、無視してたんだろうな。「ばかが文句言ってるわ。ほっとけほっとけ」ってな感じで。

ちょうと最近、筒井康隆が不謹慎なことをTwitterで言ったといって炎上していた。
まあ不謹慎な発言だし、怒る人がいるのもわかる。ぼくも、褒められた発言だとは思わない。
でも筒井康隆は何十年もこんなことを言い続けてきた。本に収録されているだけでもこんなんだから、現場ではもっと俗悪なことも言ってたんだろう。
当時と違うのは、今はこういう発言を拡散したり記事にしたりして、それを聞いて嫌がるであろう人に「あいつがあんなこと言ってますぜ。言わせてていいんですか」とわざわざ届けにいくゲスい人がいること。そのための手段があること。

ものを表現している以上、誰かを傷つけるリスクはつきまとう。表現者は、それに対して責任を負うべきだと思う。
でも、「代憤(ぼくがつくった言葉。当事者の代わりに勝手に憤慨すること)」をしてるやつはまったく相手にする必要がない。
地震の被災者を冒涜するような発言があったら、被災者は大いに怒ったらいい。謝罪を要求したらい。
でも、被災者でもないのに「被災者の気持ちを考えろ! 謝罪しろ!」と怒ってるやつは、他人の怒りを横取りして溜飲を下げたいだけのクズだから無視すればよい。
身内向けに語られたちょっと不謹慎な発言を「こんなこと言ってるやつがいる。被災者の反発が予想される」なんて煽り文付きで広めようとする記者は、自分で火をつけておきながら第一発見者になる放火魔といっしょだから、火あぶりにされればいい(言いすぎた)。


とにかく、代憤が嫌いだ。それを煽るやつも嫌いだ。
だってみんなトクしないじゃない。
怒ってるやつも、怒られてるやつも、知らなくてもいい不愉快なことを聞かされる本来の被害者も、イヤな気持ちになるだけ。
それを記事にした放火魔だけが第一発見者としてお手柄をあげられてトクをするけど。



「人間を食って何が悪いのか」という話。

小松 ひとつ問題があるのはね、そこでやっぱりヒューマニズムが踏んばらなきゃいけないのは死んだら食ってもいい、しかし生きている人間をぶっ殺して食うのはいかん、つまり食う側の人間と、食われるための人間とを作っちゃいけない、ここを頑張らなくちゃいかん。
筒井 しかし、食われるためのクローン人間を作った場合は、しかたないでしょう。
小松 クローン人間ができるのはまだまだだから、むしろヴァン・ヴォグトの『虎よ虎よ』に出てきた、ニワトリの肉の組織培養、あの方が簡単だろ。
 そんなら、たとえばガンだって、どんどん作っちゃ切り、作っちゃ切りして食えばいいんだな(笑)。
筒井 あれ、食っても大丈夫かな。
小松 一応、焼いて蛋白として食やあ、なんにもねえだろ。ガンのオドリ食いってのはよくないけどね(笑)。
筒井 いやあ、どうせなら、ナマのまま塩もみして、酢のものにして食えば(笑)。
小松 ばか、ばか、やっぱりサッと湯通しぐらいはしろ(笑)。
 人間を食ってはいかんというのは、今、野坂が「四畳半裁判」にかかってるけど、あれと同じだろ。結局もとは(笑)。人間食ってなぜ悪い。
小松 そうなんだ。この問題、とにかく意識の上で突破しなきゃな。不思議な思想だけど、こういうのがあるんだ。紀元前七世紀、ゾロアスターが、最後の審判、つまり最終戦争みたいなものがあって、そのあと人間は復活する、そういう思想を出した。その復活する時にボデーがないと大変である(笑)。その前にも、エジプトでも同じ思想が出てる。それで死体を損壊したらいけないということになったんだな。一方じゃラマ教か何かの風葬みたいに、死体を鳥に食わせるというやつもあるが、これだとエコロジカルサイクルに入ってくる。とにかく、焼くってのがいちばんいかんよ。炭酸ガスになるだけだ(笑)。
 焼くだけのエネルギーもいるしな(笑)。

ばか話をしてたのに、急に知識を放り込んでくる小松左京。
小松左京って知の巨人とか言われてたけど、そういうすごさって書くものより会話に現れるね。とっさに関連知識を引き出せるってのはすごい。
(※ ちなみに、「ヴァン・ヴォグトの『虎よ虎よ』」という一文があるが、『虎よ、虎よ』を書いたのはヴァン・ヴォークトではなくアルフレッド・ベスターなのでこれは小松左京の記憶違いと思われる)

深く考えたことなかったけど、死んだ人間を食うのってそんなに悪いことじゃないよな。もちろん心理的抵抗はあるけど、ちょっと訓練したらその抵抗は取り払えそうな気がする。
今のところは食うに困ってないから必要ないけど、『ひかりごけ』みたいな状況になったときに意識の切り替えができるだろうか。
そうなったときに「ゾロアスター教やエジプトの復活思想があるから食ったらいけないと思われてるんだ」という知識を持っていれば、案外切り替えができるかもしれない。
こういう何の役にも立たなさそうな知識が、極限状態の命を救うかもしれない。



反体制運動について。

小松 反体制運動が続いているけれども、なぜ先進諸国で完全にひっくり返すことができないかというと、実は情報がありすぎるからではないだろうか。たとえばベトナム報道でもそうなんだけれども、これでもかこれでもかと写真を出していると、またか……というんで飽きちゃうんだ。今度は何か知らないけど、資生堂のビッグサマーのほうがいいぞ……ということになっちゃう。
 純粋な反体制がなくなって、売名や利益に結びついちゃっているところがあるな。反体制で新しいことをおっぱじめると、すぐテレビが飛んでくるわ、週刊誌がくるわ……(笑)。ということは、テレビでやれば視聴率も上がってスポンサーも儲ける、雑誌社がそれを広告媒体に使って儲ける。もう、すぐ体制側に組み込まれちゃって、本人もそれでタレント気どりでいい気持になって……。どういうのかなあ。すぐ体制に組み込まれちゃうシステムができちゃったせいじゃないかな。
小松 だまってコツコツやらにゃいかんですよ。
筒井 もっとも、弾圧すればするほど強くなるんですね。あれはいじめないから全然強くならないわけで、むしろそれを育ててやろうというんで、保護的傾向がある(笑)。

SEALDsなんかも見てて思ったけど、反体制運動ってむずかしいよねえ。
権力をひっくり返そうと思ったら、武力だとかお金だとか人気だとかが必要になる。それってつまり、ひっくり返す側も権力を手にするということ。そうなると広い支持は得られなくなるし、権力をめぐって内部紛争も起こる。
そうなると社会党みたいに分裂をくりかえして縮小するか、共産党みたいに「確かな野党」として勝利をあきらめるか、公明党みたいに反体制のふりをしたまま体制につくかしか道はないような気がする。

筒井康隆が言ってるように、弾圧すればするほど結束も固くなって強くなるんだろうな。生死にかかわるような弾圧を受けていれば、少々の考えの違いがあっても目をつぶって団結するしかないもんね。

治安維持法で捕まって獄死した牧口常三郎(創価学会の初代会長)とか、社会主義者だったために処刑された幸徳秋水とか、そういう不遇な目に遭った人がいたからこそ、活動が盛り上がったのかもしれない。
今の日本だと、何を言っても殺されることはないもんね(たぶん)。自由にものが言えるからこそ、逆に発言の重みはなくなって運動を主導する力もなくなるように思う。
イエス・キリストが磔になって殺されてなかったら、はたしてキリスト教がここまで世界中に広まってたかどうか。

逆に言うと、権力を握る側にしたら、言論や思想の自由を与えるほうが体制を守ることになるのかもしれない。
身の危険を感じずに自由にものが言える環境だったら、命を賭してまで体制をぶっこわそうとは思わないもんね。

気に入らないやつには、そこそこいい地位を与えてやる
これこそが賢い権力者のやることかもしれない。



幼稚園の話。

筒井 今の幼稚園、たいていカトリックかプロテスタントかどっちかでしょ。あれももっと、いろんな宗教の幼稚園作れば面白いですよね。邪教のさ(笑)。なんだっけ、ほら、アモン神の、ツタンカーメンとかね(笑)。拝火教なんて。子供がゾロアスター拝んでるの。豚の頭とか(笑)。
小松 大きくなると放火魔になるんだ(笑)。
 今にアラブが作るな。カトリックに対抗して(笑)。イスラム幼稚園(笑)

(中略)

 似たようなものですよ(笑)。フロイト幼稚園(笑)。
筒井 マルクス幼稚園(笑)。
 ソ連も作るべきだな、日本みたいに(笑)。
筒井 ソ連の幼稚園はもともとそうなんだ(笑)。
 だから日本に出店を作るんだ(笑)。

この後「神道の幼稚園がないから靖国神社幼稚園を作ろう」なんて冗談を言い合ってるけど、最近冗談じゃなくほんとにやっちゃった一派があったからなあ。

酒の席でするような、ほんとにくだらない話が満載。
「どんな入れ墨をするのが面白いか。背中にへその入れ墨なんてどうだ」とかね。

小説はけっこう残るけど、こういうばか話はほとんど後世に残らない。
「昭和時代の人が酒を飲みながらどんなばか話をしてたか」ってのを後世に伝える、貴重な史料だね。



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【読書感想エッセイ】 川端 裕人『PTA再活用論―悩ましき現実を超えて』

川端 裕人『PTA再活用論―悩ましき現実を超えて』

内容(「BOOK」データベースより)
「親」どうし、顔を見て、一緒に仕事をするというのは、すごく健全なことだ(著者)。大変化を迎えた公教育の一断面をリアルに見すえた力作。忘れられた「PTA」を蘇らせる処方箋とは。

2008年刊行。
「きちんと調査したこと」と「個人的体験」が入り混じって書かれているので読みづらかったけど、PTAの問題についてはこの1冊でだいたいわかるんじゃないかな。

PTAは交通安全協会とはちがうのか


最近、「PTAに入るかどうか」がちょっと話題になってるみたいだね。
そんな議論が出るまで「PTAは任意加入」だってこともぼくは知らなかったし、まして「任意加入なのに保護者の意志も聞かずに勝手に加入させる」こともあると聞いてびっくりした。
勝手に加入させるって、もう詐欺集団じゃないか(全部のPTAじゃないにせよ)。

PTAに関する議論を耳にして、交通安全協会を思いだした。

運転免許を取得したとき、「運転免許申請費」と「交通安全協会加入費」を払うように言われた。
ん? なんだこれ? 免許申請費があるってことはそれさえ払えば免許はとれるのでは?
単純に疑問に思った(そのときは交通安全協会のことをまったく知らなかった)ので、窓口のおばさんに「交通安全協会ってのは加入しなくてもいいんですか?」と訊いてみた。

するとおばちゃんは血相をかえて、「加入は義務じゃないですけどねっ。でもみなさん入っていただいていますよっ! 交通安全協会はうんたらかんたら……」と怒りの説明をはじめた。それを聞いて「あ、これはヤバい団体だな」と察して「加入しません」と言った。
「みんなやっている」を押し文句として使うやつは、ろくでもないものを売りつけようとしていると相場が決まっている。
おばちゃんはその後も「んまあ、我らが交通安全協会に入らないなんて何考えてるのかしら……」みたいなことをつぶやいていたが、ぼくは黙ってその場を離れた。

その後「交通安全協会は警察OBのための天下り組織だから金を恵んでやる必要はない」という認識が広まって、「まるで義務であるかのような加入のさせ方」は、ぼくが知っているかぎりなくなった。

いや、交通安全協会の組織や活動を否定するわけじゃないんだけどね。騙して加入させようとする手口が悪質だったから嫌いなだけで。

だからまずぼくが思ったのは、「PTAも誰かの金儲けのためにある集団なのかな?」ということだった。
でも、どうやらそうではないみたいだ。



PTAの負担ってどれぐらい?


作者の川端裕人さんは、小学生の親としてPTAの役員をやったことがあるそうだ。
PTAの役員業務の負担についてこう書いている。

 やったことがある人でないと分からない、と経験者は言うけれどたしかにそうだ。
 そこで「数字」の力を借りる。「大変さ」の質はさまざまだが、定量化できる部分は定量化しておきたい。日々の役員業務を書き留めたいわば「航海日誌」から、PTA活動に費やした時間を抽出してみた。
 その数字は――、年間166日、計403時間だ。
 これは学校に赴いての仕事や対外的な会議などでの「拘束時間」であって、PTAについての個人的な勉強、自宅に帰ってからの連絡仕事、文書作成、さらには「自分がやりたい企画のための調査研究」などの時間は入っていない。
 この「数字」を述べた時に、役員経験者は「そんなものね」と首を縦に振り、非経験者は「そんなのありえない」と呆然とする。

年間166日!
1回あたりの時間は長くないとはいえ、主婦がパートに出る日数より多いかもしれない。

さらに、個々の学校のPTAの上位組織として日本PTA全国協議会というものがあり、その役員(これも保護者の中から選出される)にいたっては年間700時間ぐらいの拘束もあるという。

この時間を仮にパートにあてていたら数十万円。さらに1校あたりの役員は数十人いるから、1つの学校につきざっと1千万円。日本全体でどれだけの小中学校があるのか知らないけど、全国規模で見たら数千億という額になるだろう。
賃金換算するととんでもない労働が、ボランティアという名前の半強制システムによって吸い上げられている。

ぼくは震えあがった。
これだけの労働を搾取され、しかもそれが「ベルマークを切って貼る」という不毛な作業に費やされるなんて!

うちの娘はまた就学前だが、PTAにはぜったいに入るもんか!
同調圧力には負けないぞ!
と拳を握りしめた。



PTAって必要なの?


そもそもPTAってなんなのか。
いや、知ってはいる。Parent Teacher Associationの略だろう。すなわち保護者・教師連盟。
ぼくが小学校のときもあったし、母が役員をやっていたこともある。
母は「みんなやらないといけないのよ……」とため息をつきながらもPTAの集まりに参加していた。さいわい母は専業主婦で時間の余裕もあったし我が家は経済的にも困窮していたわけではなかったから、負担は大きくなかっただろう。

でも両親とも正規雇用で働いている家庭や、貧困や離婚や病気といった事情を抱えている家庭ではPTA役員をする負担は大きい。だからといって個々の事情を勘案していては役員選びは余計に難航する。

そこまでたいへんなPTAだが、小学生のぼくには、何をやっている組織なのかまったくわからなかった。学校の一室に集まってお茶を飲みながらおしゃべりしているおばちゃんの集まり。それぐらいの認識だった。
いや、大人になった今でもPTAが何をやっているのかわからない。
「やらないといけない」という情報はあるのに、「何をやっているか」はほとんど伝わってこない組織、それがPTA。
そもそも Parent Teacher Association なのに Teacher のイメージはまったくないぞPTA。

筒井康隆の作品に『くたばれPTA』という小説があったけど、あれは必ずしも筒井康隆だけのゆがんだイメージとは言い切れない。けっこう世間一般にも「くたばれ」とまではいかなくても「PTAはなくてもいい」というイメージがあるんじゃないかな。




PTAの歴史について。
GHQ(マッカーサーのアレね)からPTAを作ることが推奨され、PTAは「保護者と教師が共に学んでいく場」として誕生したらしい。

 そして、この場合、「成人教育」はとりあえず脇に置かれて、「子どものために」がクローズアップされるのがごく自然だった。戦後の貧しい時代だから、教員の生活補給金や、学校給食の実施、学校のさまざまな備品、図書館の整備のためなどの費用をPTAが負担せざるをえなかったという。
 こと給食に関しては「PTAなくしては学校給食なし」という地域が多く、「公立校ではなくPTA立校」と揶揄された。PTA会長には、集金能力に長けた地元有力者が就任し、いわゆる「ボス会長」が続出した。学校側もPTAに対して頭が上がらず、一方、保護者側も金銭的な負担にあえぐことが多々あった。
 日本が高度経済成長期を迎え社会が豊かになりつつあった60年代後半に状況が変わる。東京都の場合、67年、東京都教育長が各教育委員会に対して、義務教育の学校にかかる費用は公費負担として、PTAから寄付金を受け取らないよう指導した。また、それを実現するために必要な予算措置もとった。

なるほどねえ。
当初は重要度の高い組織だったんだね。この頃は「PTAなんかなくてもいい」という人はいなかっただろうねえ。
昔の貧しい家庭で育った人が「1日3食のなかで給食がいちばんまともな食事だった。ぼくは給食で大きくなった」なんて書いているのを読んだことがある。その給食を支えていたのがPTAだったのだ。

1960年代、日本全体が豊かになってきたことでPTAの支援がなくても学校教育にかかる費用は公費でまかなえるようになり、このへんからPTAの活動目的もあやしくなってくる。
教育を受けられることはあたりまえのことになり、「より質の高い教育」のための活動に向かうこととなる。
悪書追放運動を起こし、1978年には『テレビ番組ワースト7』を発表して改善がない場合は番組スポンサーの不買運動を起こしたという。
おそらくこういった活動が「子どもの楽しみを奪おうとする偏狭な考えのおばちゃん集団」のイメージをつくったのだ。
筒井康隆の『くたばれPTA』もこういった時代背景を受けて書かれたものだろう(たしかに筒井康隆には "悪書" も多いが、筒井康隆を読む子は賢い子だと思うけどね)。
手塚治虫もPTAの悪書追放運動のやり玉に挙げられたらしく、『鉄腕アトム』までもが非難の対象になっていたそうだ。今では多くの学校の図書館に手塚治虫作品が置いてあることを考えると、時代は変わったなあ。

ぼくが子どもの頃に『クレヨンしんちゃん』がヒットしたけど、あれもPTAから攻撃されていた。まあPTAが攻撃すればするほど話題にもなるし子どもは見たくなるだろうから、敵に塩を送っているだけなんだけどね。
とはいえ、「何をやっているのかわからない」けど、とにかく「子どもの楽しみを奪おうとする」というPTAのイメージはぼくが少年時代を送った1990年代には完全に定着していた。

PTAの悪口を言う人はいっぱいいても、「PTAがあってよかった!」と口にする人はいない。
おまけにみんなやりたくないのに半強制的に役員をやらされている。

じゃあいったい何のためにある組織なんだ?



結局悪いのはぼくらなんだけど


ぼくはPTA未経験だが、保育園の「保護者会の役員」というものは経験した。
保育園の行事のお手伝いをする係だ。

1年やって、ぼくも妻も不満がいっぱいあった。
  • 毎年役員のメンバーが変わるんだから、ちゃんとマニュアル作ろうよ。そのときはたいへんでも翌年以降は楽になるから。
  • 重要なことは口頭じゃなくて書面で伝えましょうよ。
  • すべての行事に全役員が参加することないでしょ。せっかく手伝いにきてもらったのに明らかに手持ち無沙汰な人いるよ。交代でやろうよ。
  • 会議のために集まってるけどほとんど確認作業だけなんだからメールとかチャットワークとかで良くない? みんな働いてるんだし。
  • なんで事前に出欠確認とらないの? 人数を把握しといたほうがぜったいに当日スムーズにいくじゃない。
  • ある程度の人が集まったらモラルにばらつきが出るのはあたりまえなんだからどうしても守らせたいルールは明文化しておこうよ。

とかね。
どれも、仕事だったらやっててあたりまえのこと。

でもぼくの不満のほとんどは、妻に対して愚痴をこぼしただけで改善の提案はしなかった。
いくつかは提案してみたけど、保育園側から「今まではこうやってきたから……」というわけわかんない理由で反対されて、「あ、そうですか」とあっさり引き下がった。

こんな顔になった


だってどうでもいいもん。
どうせ来年はうちが役員じゃないし。
来年以降の役員の苦労を取り除くために、わざわざ波風立てたくないし。
マニュアル作るのに苦労するのは自分だから、反対されてまでやりたくないし。


こうやって世の中は悪くなっていく。




PTAは変わりつつある(一部では)


「PTAは必要なのか?」という疑問を持った人はいっぱいいるようで、この『PTA再活用論』が刊行されたのは2008年だけど、その時点でさまざまな改革がなされていることが紹介されている。
「参加自由形」で「自由にものが言える風通しのよい雰囲気」で「保護者が楽しく活動」していて「保護者も一緒に学んでいける」場であるPTAがあるのだとか。

まあ、そういうとこもあるんでしょう。
やる気に満ちあふれていて、周囲の人をまきこむ魅力があって、行動力のある人というのはけっこういると思う。

しかし、大多数はそうではない。
PTAは基本的には学校ごとに独立した組織だから、日本のどこかにすばらしいPTAがあったとしても、自分の校区がそうでなければ意味がない。

 本当は義務ではないことが義務として成立してしまい、やりたくなくてもやらされる。自立した市民どころか、自発意識を削がれ諦めモードに入って身を守る者が続出する。そんなことが常態である共同体のモデルを容認していいのだろうか。ぼくの表現でいえば、2000万人近い人たちがかかわる、きわめて大きな「現象」がPTAだ。「特殊な場所での特殊事例」として済ませるわけにはいかない。これが当たり前の社会など、想像するだけで、息が詰まるし、恐ろしい。
 つまり、ぼくはPTAの潜在力に強い期待を抱きつつ、今のままだと「社会を悪くする」と懸念する。そして、期待と懸念は実は表裏一体で、良い方向に進めるのも、悪い部分を正すのも、同時に取り組まねば何も変わらないと感じている。

この文章が、PTAの抱える問題をすべて表している。

自分の子どもが通う学校のためなら、少々のめんどくさいことを引き受けたっていい。
地域の子どもが喜んでくれるなら、ただ働きをしてあげることもやぶさかではない。

ぼくはそう思っているし、たぶん世の中の保護者もだいたいそんなもんだろう。

ただ、問題は「どの程度の労務を提供しなければならないのか」であり、「それが本当に子どものためになるのか?」である。
月に1~2回手伝うぐらいならいいけど、1年に100日以上も学校に行きたくはない。
運動会のお手伝いならするけど、「悪書追放運動」には加担したくない。

これはつまり「参加が義務化されている」から起こる問題で、「自分が参加したい活動だけ参加する」という制度であれば問題にはならない。

というわけで、結局最初に書いた「任意団体なのに強制的に加入させれらる」という問題に還ってくるんだよねえ。


著者は「強制的に加入させられることがあってはならないけど、でもなるべくみんなに入ってほしい」と書いている。
ぼくも同じ立場だ。

さっき「PTAにはぜったいに入るもんか!」と書いたけど、ちょっと思い直した。

とりあえず、自分の子どもが小学校に入るときには、入会も検討してみようと思う。でも何も考えずに入ることはしない。
ちゃんと活動内容の説明を受けた上で、入るかどうかを検討しようと思う。

積極的に変革をするまではいかなくても、無条件に加入する人が減れば、PTAも無駄の少ない魅力的な組織に変わらざるを得ないんじゃないかな。


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