2016年6月16日木曜日

【エッセイ】梅干しをスパイクで

おにぎりは楽しい。

こないだおにぎりを作って公園にもっていった。
食べるときわくわくした。

あれ。
おにぎりってこんなに楽しかったっけ。
ときどきコンビニでおにぎりを買うけど、そのときはなんとも思わないのに。

ちょっと考えて、その理由がわかった。
ぼくが作ったおにぎりの具材は、鮭フレークと昆布と食べるラー油。
無造作にバッグに入れたので、食べるときにはどれがどれだかわからなくなった。
それが楽しかった。

中身がわからないからわくわくしたのだ。



ぼくは小学生のときサッカーチームに入っていた。
週末には練習や試合があって、そのたびに母がおにぎりをにぎってくれた。

毎週のことだから、食べるほうも飽きるし、にぎるほうも飽きる。
母はさまざまな具材をおにぎりに入れてくれた。

もちろんあたりはずれがあって、タラコははずれ、鮭はあたり、牛肉を炒めたものが大当たりだった。
ぼくは梅干しに対して嫌いを通りこして憎悪の感情を抱いているのだが、母はぼくの梅干し嫌いを克服させようとして、一年に一度くらいこっそり梅干しをしのばせていた。
もちろんこれは大はずれ。
ぼくは梅干しを吐き出して、「もぉー、梅干し入れるなって言ってるじゃんかよぉ......」泣きながら文句を言って、吐き出した梅干しの上から砂をかけてスパイクで踏んづけたものだ(今思うと因果関係が逆で、ぼくが梅干しを憎むようになったのはこのときの体験が原因だったかもしれない)。



とにかく、たまに泣きべそをかくことがあったとはいえ、何が入っているかわからないおにぎりを食べるのは楽しかった。
自分がつくったものでもどきどきするのだから、誰かに作ってもらったおにぎりを食べるときの緊張感はなおさらだ。

コンビニでもお総菜屋さんでもおにぎりは売っているが、残念ながら具材は一目瞭然だ。
食べるときには「ああこれはシーチキンマヨネーズだな」と認識してから食べることになる。
これではおにぎりの楽しさは半減だ。

そこで提案なのだが、コンビニで、中身がわからないおにぎりを売るというのはどうだろうか。
これだけでだいぶおにぎりが楽しくなる。

鮭だろうか。
梅干しかもしれない。
ひょっとするとふつうなら240円くらいするもある和牛ステーキおにぎりかもしれない。
廃棄する予定だったからあげくんんかもしれない。ただの塩むすびかもしれない。

おにぎりという華やかさのない食材に一気に緊張感が生まれると思う。

2016年6月14日火曜日

【エッセイ】おにぎりの誤用


独壇場とか的を得るとか、本来の意味で用いられない言葉は多い。
日本語の誤用。
でも誤用されているのは日本語だけじゃない。

おにぎりも誤用されている。

正確にいうと、おにぎりの海苔。


コンビニでおにぎりを買うと、ごはんと海苔の間にビニールがはさまれていて、それを抜き取ってから食べることになっている。
海苔はぱりぱり。

あれはあるべき海苔の状態ではない。
海苔を誤用している。

本来、おにぎりの海苔というのはしっけているものです。


思いかえしてください。
幼いころ、遠足のお弁当に入っていたおにぎりを。

海苔がぱりぱりでしたか?

冬場の唇みたいに乾燥していましたか?

ちがいますよね。
そんなことないですよね。

ごはんの水分をたっぷりと吸って、じっとりと湿っていましたよね。

そうです。
あれが正しいおにぎりの姿です。

そもそも二、三十年前は冷蔵庫も小さかったから、ほとんどの家庭で海苔は冷蔵庫に入れていなかった。
小さい缶に入って冷暗所で保管されていた。
だからおにぎりに巻きつける前からじゃっかんしっけていた。

それにおにぎりを作る機会なんて、お弁当を持っていくときに作るか、余ってしまったごはんを置いておくためにおにぎりにしておくか、それぐらいでした。
いずれにせよ「今すぐは食べない」という状況でにぎるものでした。

だからしっけていてあたりまえ。
乾燥していたら逆に不自然。

もし殺人現場のマンションにおにぎりが置いてあって、そのおにぎりの海苔が乾燥していたら、「犯人はまだ遠くに行ってないはずだ!」ってなりますよ。
ひょっとしたら、まだバスルームあたりに殺人犯がひそんでる可能性もありますからね。怖いですね。海苔の乾燥したおにぎりは。


海苔の乾燥したおにぎりなんて、コンビニのおにぎりだけなんです。

じゃあなぜコンビニのおにぎりは、わざわざあんなビニールをはさんでまで、海苔をしっけないようにしているのか。

ここからはぼくの推測なんですが、あのコンビニおにぎりを開発した人間は、おにぎりと寿司をごっちゃにしていたんじゃないでしょうか。

寿司の海苔は乾燥しています。

あたりまえです。
寿司は鮮度が命です。
おにぎりみたいに長時間置いてから食べたりしない。
たった今にぎりましたよ、という鮮度の証明のために寿司の海苔は乾燥している必要があります。
ウニやイクラの軍艦巻の海苔が、水分をたっぷりと吸ってべちゃべちゃになっていたら食べる気がしませんからね。

これがおにぎりの海苔の誤用です。
擅と壇の字をごっちゃにして独擅場を独壇場と書いてしまうように、
的を射ると当を得るをごっちゃにして的を得ると言ってしまうように、
おにぎりと寿司の用途をごっちゃにして、おにぎりの海苔を乾燥させてしまったのです。

これは断じて許されるべきことではありません。

なぜなら、不器用なぼくがコンビニのおにぎりを食べると、海苔が乾燥しているせいで、破れた海苔がばらばらに飛び散って、周囲から「だらしないやつ」と思われてしまうという個人的な理由があるからです!

2016年6月13日月曜日

【おもいつき】余儀なくされているわたし


「強制連行されてきた女性が従軍慰安婦として働かされて~」

という話をする前に、いま現在、不当に安い賃金で働かされている外国人研修生のための議論をしましょうよ。




あと、ほんとは週休4日ぐらいほしいのに、それよりはるかに過酷な環境で働くことを余儀なくされているぼくのための議論も。


2016年6月12日日曜日

【エッセイ】腹まわり状態方程式

健康診断に行った。
体重は去年といっしょだった。
なのに、腹まわりだけが4.5センチも増えている。

4.5センチ。
ということは一寸五分。うん、ぴんとこない。

どうしたことか。
じつに気味が悪い。
芥川が言うところの「唯ぼんやりした不安」だ。ちがうな。

体重も増えているのならまだ納得できる。
単に太っただけなのだろう。
しかし体重は増えていない。それなのに腹まわりだけが膨らむなんてことがあるだろうか。
しかも一寸五分も。


待てよ。
この状況、どこかで習ったぞ。
本棚から『高校化学便覧』を引っ張り出してみる。
あった。気体状態方程式。

 P×V=n×R×T

Pは圧力、Vが体積、n が物質量、Rは定数、t が絶対温度。

ふむふむ。
ええっと。Vが体積だから、腹まわりが増えたということはVが増加したということになるな。
体重が変わっていないわけだから n は変わってない。
Rも定数だから変わらない。
つまり、P(圧力)が減ったか、T(温度)が増えたということだね。
おっ、だいぶ原因が絞れてきたぞ。

温度は変わってなさそうだな……。
健康診断は病院の中でやってるから室温はほぼ一定に保たれているし、熱があったわけでもない。
ってことは圧力が減ったということになるけど……。

あっ!
おもいだした!

たしか去年は、少しでも腹まわりを減らそうと、巻き尺を腹にあてられてる間、腹筋に力を入れていたんだった。
ぐっと腹に圧力をかけて、おなかをへこませていたんだった。
そして今年は見栄をはるのを忘れていたんだった!

ああ原因がわかってよかった!

やっててよかった気体状態方程式!

2016年6月10日金曜日

【読書感想文】奥田 英朗『家日和』

内容(「BOOK」データベースより)
会社が突然倒産し、いきなり主夫になってしまったサラリーマン。内職先の若い担当を意識し始めた途端、変な夢を見るようになった主婦。急にロハスに凝り始めた妻と隣人たちに困惑する作家などなど。日々の暮らしの中、ちょっとした瞬間に、少しだけ心を揺るがす「明るい隙間」を感じた人たちは…。今そこに、あなたのそばにある、現代の家族の肖像をやさしくあったかい筆致で描く傑作短編集。

家族をテーマにした短篇集。

うまいなあ。
お手本のような、軽い短篇小説。
ほどほどにユーモアや皮肉も込められ、ほどほどに現実感があり、でも最後は誰も不幸にならない。
新聞の4コマ漫画のような軽さで、何も考えずに別の世界の物語にひたりたいときにはちょうどいい。


会社の倒産により専業主夫になった男を主人公にした『ここが青山』という短篇。
とりあえず次の仕事が見つかるまで、というつもりで家事や育児をやっていたら意外と自分に向いていることがわかった。妻も外に出て仕事をするのが好きなので、誰も何の不満もない。
なのに周囲の人からは「仕事が見つからなくてかわいそう」という目で見られ、頼んでもいないのに次の仕事を紹介されて……というストーリー。

ああ、いるよなー。こういう「本人は幸せなのに、傍から余計な同情をする人」。


ぼくが娘と公園で遊んでいたとき、見知らぬおばちゃんからいきなり、
「お父さん、お休みの日なのに子どもの相手しないといけないなんてかわいそうねー」
と声をかけられたことがあった。

あのー、ぼくは子どもと遊ぶのが好きなんで、すごく楽しんでたんですけど……。

そのおばちゃんが子ども嫌いなのか、それとも彼女の夫が子どもと遊びたがらない人だったのか。
「幼い娘と遊ぶ幸せなひととき」も、人によっては「いやいや子どもに付き合わされるかわいそうな父親」に見えてしまうのか、とびっくりしたことを思い出した。


「○○の楽しさを知らないなんて人生半分損してる」
という発言もそうだよね。

学生時代、友人がバイクを買い、すっかりバイクの魅力にとりつかれた。
それだけならどうということもないのですが、 ことあるごとにぼくにたいして
「おまえもバイク乗れって。世界が広がるぞ!」
と勧めてきて、うんざりした。

 ぼくはバイクに乗って出かけるより本を読んでいたかっただけなのに、友人から見たら「バイクの楽しさを知らないかわいそうなやつ」に見えたんだろうね。
勧めるほうとしては純粋に善意だけで言ってたんだろうけど、だからこそ余計に迷惑。

とはいえぼくも、その友人のことを「読書の楽しさを知らないかわいそうなやつ」と思っていたのでお互い様だけどね。


いちばん印象に残った短篇は、妻との別居生活が思いのほか楽しくなってしまう『家においでよ』

妻との別居を機に、しばらく遠ざかっていた趣味を再開する男の悦びを丁寧に書いているのですが、「あー……、いいなぁ……」という感想しか出てこない。

ぼくは結婚5年目。
今のところ結婚生活にこれといった不満はない。
……のつもりなんですが、やっぱりどこかで我慢している部分があるんだろう。
たまに妻が子どもを連れて実家に帰ったりしてひとりになると、おもいっきりエンジョイしたくなる。

上等な肉を買ってきて、焼き肉をする。
野菜なんかぜんぜん焼かない。肉と飯ばっかり食う。
風呂から出たあと、パンツも履かずに裸でリビングをうろうろする。
リビングでテレビを観ながらオリジナルのダンスをする。
わざと布団からはみだして寝る。

ひとりのときはだいたいいつもこんなかんじ。

でも、ふだん我慢しているわけじゃないんだよ。
そこがほんとにふしぎ。

いつも「肉をたっぷり食べたい!」と思っているわけじゃない。
いつも「裸でリビングをうろうろしたくてたまらない!」と思っているわけじゃない。
いつも「リビングでオリジナルのダンスをしたい! でも今は妻がいるから......。しかたない、ここは我慢だ!」と思っているわけじゃない。

なのに、ひとりになると奇行をとりはじめてしまう。
抑圧されたリビドーが解放されるんだろうか。
「おれ、思うんだけど、男が自分の部屋を持てる時期って、金のない独身生活時代までじゃないか。でもな、本当に欲しいのは三十を過ぎてからなんだよな。CDやDVDならいくらでも買える。オーディオセットも高いけどなんとかなる。けれどそのときは自分の部屋がない……」
「まったくだ。おれなんかCDを買っても聴けるのは車の中だけだぜ」
「まだまし。おれなんか通勤中のiPodだけ。車の中でロックをかけると子供たちがうるさがる」
周囲の既婚男性に訊いてみると、多かれ少なかれ、みんなそんなもんらしい。
三十代になって金銭的な収入は増えたのに、若い頃よりも好きなことにお金を使えなくなっている。
既婚男性はみんな、我慢してるもんなんだろうねえ(たぶん既婚女性のほうはもっと我慢してるんだろうけど......)。


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