多くても千羽までにしとこうぜ……。
千羽でもいらないのに。
ルール
(津村記久子『この世にたやすい仕事はない』より)
(沢村 伊智『ぼぎわんが、来る』より)
(ミハイル・ゴルバチョフ(著) 副島 英樹(訳)『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』より)
(朝井リョウ『スペードの3』より)
(鳥羽 和久『君は君の人生の主役になれ』より)
(二宮 敦人『最後の秘境 東京藝大 〜天才たちのカオスな日常』より)
(穂村 弘『野良猫を尊敬した日』より)
(リチャード・マシスン(著) 尾之上浩司(訳)『運命のボタン』より)
(チャールズ・デュヒッグ(著) 渡会 圭子(訳)『習慣の力』より)
(サンキュータツオ『これやこの』より)
今からちょうど百年前に関東地方を襲った大地震。
その直前、地震発生当日、そしてその後の関東の様子を描いたノンフィクション。
大正12年9月1日午前11時58分に発生した大地震により、東京大学地震学教室の地震計の針が一本残らず飛び散り、すべて壊れてしまったという。ああいうのってだいぶ余裕を持たせて作ってるはずなのに。
当時の建物は木造や石造りで耐震強度も低かったので、地震による揺れで多くの命が失われた。
が、関東大震災の被害の多くは揺れが収まった後に発生した。
これは……この世の地獄だな……。
この被服廠跡では、35,000人ほどが死んだという。しかもこの人たちは地震で助かった人たち。地震で助かり、被服廠跡という広大な避難所に逃げてきて、一息ついていたところを火災旋風に襲われたのだ。
地震で倒壊した建物の下敷きになって死亡するのは、ある意味しかたがない。不運でしかない。しかし、地震後に発生した火災による死については、正しい知識があれば防ぐことができたかもしれない。
たとえば、火災の原因のひとつが避難者が持ち出した家財道具だったという。
よく「地震が起きても家財道具を取りに家に戻ってはいけない」という。それは倒壊のおそれのある建物に入るのが危険というだけでなく、家財道具はそれ自体が危険を招くからだ。
先に書いた被服廠跡でも、避難者が運びこんだ家財道具に火が付き、それが火災旋風の原因になったという(他に、当時の人が髪につけていた鬢付け油もよく燃えたそうだ)。
また、家財道具が川を越えての延焼の引き金になったという。
家財道具が燃え、その火が橋に移り、さらには対岸まで移って焼いたという。財産を守ろうとした行為がその人物だけでなく街まで焼き尽くしてしまうのだ。おそろしい。
そういえば、数年前の大雪のとき、ノーマルタイヤで出勤しようとした人が途中で身動きとれなくなり車を置いて出勤 → 放置された車が道をふさいで緊急車両が通れなくなったという事件があった。
自分の都合で動いた人が周囲に甚大な迷惑をかけてしまう。それでも自分だけはいいだろうと動いてしまう。人間の本性は百年たってもたいして変わらない。
この本の中でいちばん多くのページが割かれているのが、地震直後に広がったデマ、特に「朝鮮人が日本人を襲っている、家から物資を掠奪している、井戸に毒を投げた」の類のデマだ。
火のない所に煙は立たぬというが、後から検証しても、まったくといっていいほど「地震に乗じて朝鮮人が犯罪行為をした」という証拠は見つからなかったそうだ。
いや、一応デマの原因となったような事件はあった。が、それをおこなったのは日本人だった。
地震後、火事場泥棒を働いたり、食糧や金品を掠奪したり、詐欺をしたりする者が多くいたという(日本人だ)。その話と、当時多くの日本人がうっすらと持っていた「虐げている朝鮮人に復讐されるんじゃないか」という不安が結びつき、朝鮮人が残虐な行為をしているというデマとなりあっという間に広がった。
地震発生直後は警察や政府までがそのデマを広めることに加担した。後に虚偽の情報だとわかってからは警察や政府がデマの打ち消しにつとめたが、いったん広まったデマはいっこうに消えず、数万人の朝鮮人が殺される、朝鮮人とまちがわれた日本人が殺される、朝鮮人を捕まえない警察が襲われる、など大混乱に陥った。
一度デマが広まってしまうと、デマをばらまいた本人にも止められなくなってしまうのだ。
この光景は、今でもよく見られる。いや、今のほうが多いかもしれない。一度誤った情報が流れてしまうと、当人がいくら訂正してもいつまでも修正されない。平凡な事実よりも、ショッキングなデマのほうが広めたくなるから。
地震発生後の混乱の様子を読んでいておもうのは、百年前の人も、現代人も、たいして変わらないなってこと。今、大地震や大火災が発生したら多くの人がデマに飛びつくだろう。東日本大震災のときも新型コロナウイルス騒動のときもそうだった。不確かな情報に右往左往していた。ぼくも含めて。
ちなみに、このデマによる大混乱はその後の新聞報道にも影響を与えたようで……。
新聞がデマの拡散に加担したことで、政府機関による記事原稿の検閲を許すこととなった。「新聞はデマを拡めるから治安維持のために検閲してもいい」という大義名分を与えちゃったわけだ。
その後、戦争が激化するにつれて新聞報道に対する検閲が厳しくなり、政府や軍にとって都合の悪いことが書けなくなったのはご存じの通り。
もしかすると、関東大震災によるデマ拡大がなければ、新聞のチェック機能がもうちょっとはたらいて、その後の破滅的な戦争ももうちょっとマシな展開をたどっていたのかもしれないなあ。
まったく知らないけど、なでしこジャパンは11人中9人は兄がいるとおもう。
裏付けはまったくないけど、女の子がサッカーをはじめるきっかけは「兄が習っているサッカー教室に連れていかれて」が圧倒的に多いにちがいない。
「教科書に載ってないこと」は、「教科書に載ってること」を身につけてないやつほど知りたがる。
「タレント候補」とは、タレントが候補者になったものではなく、タレントになるかもしれない人のことである。同様に、あわぶくになるかもしれない人が「泡沫候補」である。
Q. 十二年に一度、使用頻度が急増する四字熟語は?
A. 猪突猛進
はじめて胃カメラをやった。
これまで健康診断ではバリウム検査をやっていたのだが、あのゲップを我慢しながらぐるぐる回される刑罰(としかおもえない)や、その後の下剤や、その後のバリウムかちかち石膏ウンコなどが嫌になったので、今年は胃カメラにしてみたのだ。
胃カメラは痛いよ、苦しいよ、と聞かされていたのでびびりながら検査を受けてみた。
結論からいうと、胃カメラ検査は、楽しかった。
まず看護師さんがよかった。
年齢は六十歳ぐらい、小太りをやや超えて中太りぐらい、声がでかくて元気のいいおばちゃん、つまり「ザ・ベテラン看護師さん」タイプだ。
ふだんは若い女性に鼻の下をのばしてしまうぼくだけど、こと看護師さんと鍋釜に関しては古いほうがいい。きっとこのおばちゃん看護師は、あらゆる死線をくぐってきた百戦錬磨の老兵にちがいない。安心して胃を任せられる。
そして、胃カメラ担当の医師が妙に陽気な人だった。なんだかわからないけど、胃カメラを入れることを楽しんでいるというタイプだった。
この人がぼくの鼻に胃カメラを押しこみながら「はい奥に入っていくよ~、ちょっと力入ってるね~、おっと力抜けたね、いいよ、上手だよ~、はい、食道とおりま~す、それから胃、まもなく十二指腸が見えてきま~す、もうまもなくいちばん奥に達しますよ~」とハイテンションでガイドをしてくれるのだ。まるで観光バスのバスガイド。もしくは遊園地のアトラクションのナビゲーター。これから楽しいイベントが待ち受けているかのように胃カメラの旅を盛り上げてくれるのだ。
じっさい、なんだか楽しくなってくる。眼の前にはモニターが置かれていて、胃カメラがぼくの体内を旅する様子が確認できる。ドラえもんのエピソードで、ママの大事な指輪を飲み込んでしまったしずかちゃんの体内に小さくなったドラえもんとのび太が入っていくというエピソードがあるが、それをおもいだす。USJとかのアトラクションで『ミクロの決死圏』として胃カメラ検査をやってもいいかもしれない。
もちろん鼻にチューブをつっこまれるのは痛かったし人前でよだれをだらだら垂らすのは人間の尊厳を失わしめるものではあったが、苦痛を上回るワクワクドキドキをナビゲーター医師が与えてくれた。
あの医者に個人的ノーベル医学生理学賞を贈呈したい。