2022年9月16日金曜日

【読書感想文】冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』/ 惜しい!

十二人の死にたい子どもたち

冲方 丁

内容(e-honより)
廃病院に集まった十二人の少年少女。彼らの目的は「安楽死」をすること。決を取り、全員一致で、それは実行されるはずだった。だが、病院のベッドには“十三人目”の少年の死体が。彼は何者で、なぜここにいるのか?「実行」を阻む問題に、十二人は議論を重ねていく。互いの思いの交錯する中で出された結論とは。

 冲方丁さんといえば『天地明察』で骨のある時代小説を書いた人、というイメージだったので、こんな安いWebマンガみたいなタイトルの小説も書くんだーと意外な気持ちで手に取った。

 タイトルからもわかるように『十二人の怒れる男』のオマージュ的作品でもある。もしかすると三谷幸喜の『十二人の優しい日本人』の影響もあるのかもしれない(筒井康隆の『12人の浮かれる男』はたぶん関係ない)。


 集団自殺をするために廃病院に集まった十二人の少年少女。ところが実行直前になって、十三人目の死体があることに気づく。それでも予定通り自殺を実行しようとするメンバーだったが、ひとりの少年が異議を唱えだして……。

 ここからは『十二人の~』の典型的パターン。一人 VS 十一人という構図からスタートし、議論を重ねるごとにひとりずつ賛同者が増えていき、徐々に場の流れが変わりはじめる……というストーリー。




【以下、ネタバレ感想】


 これを小説でやるのはきついな、というのがいちばんの感想。動きの少ない密室劇。登場人物は十二人。これで十二人の個性を読者に印象付けるのはそうとうむずかしい。

 それぞれのキャラクターを書き分けようとすると極端な性格にするほかなく、超傲慢、超バカ、超冷静沈着頭脳明晰、超日和見主義、超無口、超美人……などマンガチックなキャラクターになってしまう。

 特に女性キャラはひどい。男性のほうは(考えは違えど)全員議論ができる他者への優しさを持っているのに、女性のほうはヒステリック、超バカ、傲岸不遜、視野狭窄、攻撃的でほとんどまともに会話が成り立たない。作者はよほどの女嫌いなのか?

 そこまでしてもやはり十二人の個性を印象付けるのはむずかしく、案の定、読んでいてこいつ誰だっけとなってしまう。


 おまけに病院の見取り図を利用したトリックなんかも出てきて、ややっこしいったらありゃしない。やはり〝十二人もの〟は映像作品だからこそできるものだよね。




「ゼロ番の死体」の正体については、納得のいく設定だった。

 自分のせいで植物状態になってしまった兄。まあこれなら集団自殺の場に連れてきてもおかしくないとおもえる。

 ただ、アンリとノブオが、彼を自殺の場に連れていった理由がいまいち腑に落ちない。見ず知らずの死体なのに。頼まれたわけでもないのに。ましてアンリは誰よりも自由な選択を重要視していたのに。

 そして、誰ひとりとして彼が死んでいるかどうかを確かめようとしないのも不自然。シンジロウなんか細かいところはめちゃくちゃ気にして微に入り細を穿って調査するくせに、肝心なところはまったく調べない。

 で、案の定「ゼロ番は生きている」という予想通りの展開。そりゃあね。物語冒頭から死体が出てきて、ろくに調べられていなかったら、実は生きてましたーパターンだよね。そうならないのは落語『らくだ』ぐらいだ。


 話の展開自体はぜんぜん悪くなかったので、登場人物を減らして、ゼロ番移動のくだりをまるっと削除すればすごくおもしろい物語になったんだろうな、とおもう。いろいろ惜しかった。

 結局自殺をやめるというのも予定調和ではあるが、これはいい予定調和だとおもう。

 ただ、興醒めなのが大オチ。

 実はサトシがこの集まりを開くのは三回目で、過去に二回参加者たちの自殺を止めていたという設定。

 これ、いらなかったんじゃないかなあ。よくあるよねという仕掛けで意外性はないし、驚きをもたらす効果よりも「ここまでの物語の価値を貶めてしまう効果」のほうが大きい。

 さんざん熱い議論を見せられたあげく、これじつはサトシくんのてのひらで転がされてただけでしたーって言われちゃうと、あの話し合いはなんだったんだって気になっちゃう。あれで一気に作品全体への評価が下がってしまった。




 なんか不満点ばっかり書いてしまった。でも一応書いておくと、ぼくは本当につまらない小説を読んだときにはあんまり感想を書かない。特に心動かされないから。不満を書く気にすらならない。

 不満を書きたくなるのは「あとちょっとですごくおもしろくなっただろうに」という作品に対して。アイデアは良くて、キャラクターも良くて、細かいところまで気を配っていて、だったらあとここだけ変われば完璧だったのにー!って作品に対してはあれこれ言いたくなってしまう。

 ということで、いろいろと「惜しい!」と言いたくなる作品だった。そもそも小説に向いてなかったようにおもう(この作品は映画化もされてるみたいね)。


【関連記事】

【読書感想文】暦をつくる! / 冲方 丁『天地明察』



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2022年9月15日木曜日

ツイートまとめ 2022年6月



ベクトル

トヨタ

永年陽当たり良好

アヒルと鴨のコインロッカー



貨幣経済

へりくつ

診察料

故事成語

確率

それは最初からわかっている

ジャー

トラップ

政党マッチ診断

ポイント

2022年9月14日水曜日

短歌


部下の退職報告を聞き怒鳴る課長がリピート「円満退職」


「甘い考えかもしれませんが」と保険を打つ その前置きが甘い考え


「人権侵害落書きはやめましょう」 そうでない落書きならいいのね


成長を約束している候補者の演説が生む交通渋滞


「不要物を便器の中に捨てないで」 待てよ小便は不要物では



2022年9月13日火曜日

ダイソーのカードゲーム

 百円均一のダイソーに、限定のカードゲームが売られているのを知っているだろうか。

 ダイソーがゲームクリエイターとコラボして制作しているらしい。

 これが意外に侮れないというか、とても百円とはおもえないクオリティのものもあって、たいへんお買い得だ。


 ボードゲームやカードゲームが好きで娘とよく遊んでいるのだが、安いカードゲームでも二千円ぐらいはするし、高いボードゲームだと一万円近くしたりする。

 それでもおもしろいものは何十回も遊べるからぜんぜん高くないのだけれど、問題は「ぜんぜんおもしろくなくて一回しかやりたくならないゲーム」も世の中には存在するということだ。

 カードゲームなんてのは基本的には紙だけでできているので、アイデア次第でとんでもなくおもしろいゲームにもなれば紙屑にもなりうる。
 そして紙だけでできているということは「コピーしやすい」ということでもある。トランプだってUNOだって花札だって、自宅で作ろうとおもえば作れる。だからだろう、多くのカードゲームは商品説明欄にごくごく一部のルールしか書いていない。全部書いてしまうとコピーされてしまうから。

 だから、カードゲームのおもしろさはやってみるまでわからない。クソつまらないゲームかもしれない、とおもうと数千円を出すのはなかなか勇気がある。


 その点、百均のゲームはいい。なんせ百円だ。消費税を入れても百十円だ。クソつまらなくて、一回やったらもうやりたくないようなゲームだったとしても、百円とおもえばぜんぜん許せる。今どきゲームセンターのゲームでも一回二百円三百円するようなものがあるのだ。

 だからダイソーでゲームを見つけたら手当たり次第に買っている。置き場所の問題もあるのでさすがに全部は買わないけど、ちょっとでもおもしろそうかもとおもったら買うようにしている。

 そんなダイソーで買ったゲームについて。







『ボードゲーム(生物学カードゲーム CELL ジェネリック 遺伝子工学vs生態学)』
『ボードゲーム(生物学カードゲーム CELL ジェネリック 免疫学vs微生物学)』

 生物学用語(キメラマウスとかips細胞とか)の擬人化キャラを使った対戦カードゲーム。やったことないけど、たぶん遊戯王カードとかマジック・ザ・ギャザリングみたいな感じだとおもう。

 これがなかなか奥が深く、九歳の娘が気に入って毎週土日の朝になると「セルしよう!」と誘ってくる。免疫学・微生物学・遺伝子工学・生態学の四種類のカードセットがあるが、パワーバランスが優れていて、どれも一長一短ある。運と戦術のバランスもよく、戦術によって勝率を上げることはできるが、それでも運が悪ければどうにもならない。

 これが、娘とやるのにちょうどいい。前にも書いたが、ぼくは子どもとゲームをするときに「わざと負ける」ことをしたくない。ハンデをつけるのはいいが、手は抜きたくない。だから運要素のあるゲームがいい。でも運だけでもつまらない。このゲームの場合、当初はぼくが娘に負けることはほぼなかったが、娘の実力もだんだん上がってきて今ではぼくの勝率は七割ぐらい。いい勝負ができるようになった。娘からすると「本気のおとうさんに勝てる」「工夫によって勝てることが増えてきた」という感じで、すごく楽しそうだ。

 ちなみに、近所のダイソーで「遺伝子工学vs生態学」を買ったが同じ店舗には「免疫学vs微生物学」が売られておらず、わざわざ電車に乗って遠くのダイソーにまで買いに行った。




『セカンドベスト!』

 四目並べのようなルールだが、このゲームのユニークな点は「待った」ができること。一度は待ったをかけてもいい。
 つまり、相手のうっかりミスによる勝利は期待できず、勝つためには「相手がどう指しても勝てる手」を打たなくてはならない。将棋でいう「必至」の状態だね。

 このルール、力量差のない相手とシビアに戦いたい人にはいいが、子ども相手で遊ぶのには向いていない。うっかりミスでの負けがない以上、数手先を読む力が必須である。そしてぼくは詰将棋や五目並べが得意なので、負けることはない。

 三回ぐらいやってすぐにやらなくなってしまった。




『グースカパースカ』

 グーが三枚、チョキが六枚、パーが三枚。これら全十二枚のカードのうち十枚をお互いに配っておこなわれるジャンケンゲーム。『カイジ』の限定ジャンケンのようなものだね。ジャンケンによって宝石を取り合うところも似ている。

 カードによって取れる宝石の数が異なる、後半になるほどやりとりする宝石の数が異なるなどの工夫はあるが、どうしても最後がぐだぐだになってしまう。なぜなら「勝った方は負けた方にカードを渡す」というルールがあるから。勝てば勝つほど手札の数が減り、さらに相手にカードを読まれてしまう。「あと一勝で終わる」まではたどりつけるが、そこから勝つのが至難の業。大勢が決してから、だらだらと勝負が長引いてしまう。

 これは一度やっただけでもうやらなくなった。




『GIRIGIRI』

 双六のような盤面があり、プレイヤーの出したカードによって駒が進んでいく(駒は全員でひとつだけ)。20の倍数を通過するとダメージを食らい、11の倍数に止まるとダメージを他のプレイヤーに渡せる。最終的にいちばんダメージの少ないプレイヤーが勝利。

 これは娘の友だちも入れて四人でやったが、たいへん盛り上がった。戦略と運の要素のバランスが良く、最後まで誰が勝つかわからない。途中でリードしていても最後に10ダメージを食らうとまず勝てないし。

 アクションカードの枚数が多すぎる、誰かひとりを集中攻撃することができるので空気が悪くなりやすいなど少し粗さも目立つが、そのへんはカードを抜いたりルールを追加したりして調整してもよさそう。

 特に盛り上がるのは「GIRI GIRI」というカード。これが出されると、全員「ギリギリ!」と言わなくてはならなくて、いちばん遅い人がダメージを受けてしまう。

 ただこれは三人以上でやるときにだけ有効なルールなので、一応説明書には「2~6人」と書いてあるが三人以上でやることを推奨する。



2022年9月9日金曜日

【読書感想文】那須 正幹『ぼくらは海へ』 / 希望のない児童文学

ぼくらは海へ

那須 正幹

内容(e-honより)
船作りを思い立った5人の少年。それぞれ複雑な家庭の事情を抱えながらも、冒険への高揚が彼らを駆り立てる。やがて新たな仲間も加わるが―。発表当時、そのラストが多くの子どもの心を揺さぶった巨匠・那須正幹の衝撃作。


 海辺の小屋に集う小学六年生五人。彼らは廃材を利用して船を作りはじめる。幾度もの失敗を経て、そして途中から加わった二人の協力もあり、ついに全員が乗れる立派な船が完成する。

 ……というあらすじだけ見れば、さわやかな冒険小説かとおもうだろう。ところがどっこい。物語は、終始どんよりした雰囲気に包まれている。

 父親不在のため、母親から進学校に進むようプレッシャーをかけられている誠史。病弱な妹のせいで家庭内の雰囲気が暗い雅彰。家は裕福で成績優秀でありながら、家族愛に飢えている邦俊。家庭の事情で引っ越しをくりかえしている勇。そして家が貧しく、家庭内もあれている嗣郎。

『スタンド・バイ・ミー』『グーニーズ』にも似た、それぞれ問題を抱えた少年たちの冒険譚ともいえるが、『ぼくらは海へ』の少年たちはとうとう最後まで心を一つにすることはない。船作りに対する熱意もバラバラだし、邦俊はほとんど協力しない。誠史は嗣郎を見下しており、新たに加わった康彦や茂男は他のメンバーとぎくしゃくしている。

 そして、台風が接近してきたある晩。船の近くに行った嗣郎は暴風によって船が壊れるのを防ごうとした結果、波にさらわれて死んでしまう。


 ぼくは小学生のときにこの本を読んで衝撃を受けた。

『ズッコケ三人組』シリーズの那須正幹さんの作品ということで同様のポップな少年冒険譚を期待して読んだのだが、まったくちがう。

 それまで読んだ児童文学には、主要登場人物が死んでしまう話なんてなかった。だが嗣郎はあっけなく死んでしまう。嗣郎の死は、強いインパクトを与えた。他のシーンはまったくおぼえていなかったが「メンバーのひとりが死んでしまう話」ということだけはずっとおぼえていた。




 さて、おっさんになってから再読してみると、改めて嗣郎の死が残酷な描かれ方をしていることがわかる。

 まず嗣郎が台風の晩に外出をしたきっかけは、酒飲みの父親に怒鳴られたことである。母親は止めるが、強くは止めない。それよりも「父親を怒らせないこと」を重要視しているように見える。両親からないがしろに扱われた結果の死。子どもにとってこんな不幸があるだろうか。

 おまけに彼は死んでも仲間から悲しまれない。船作りをしていた少年たちは校長先生から叱られるのだが、他の少年たちは反省するどころか「運が悪かった」「かかわらなきゃよかった」「嗣郎が死ぬのはぼくが引っ越した後だったらよかったのに」などと、我が身のことばかり考えている。康彦だけは深く反省するものの、彼にしても優等生としての自分の評価に傷が入るのを心配しているふしがある。

 このへんの描写は実にリアルだ。そうなんだよな、子どもって基本的に反省しないんだよな。怒られても「運が悪かった」「あいつのほうが悪いのに」「バレないようにするべきだった」ぐらい。ま、大人もそうか。

 そもそも校長先生の叱り方こそが責任転嫁のためである。児童が死んだのは、他の子らが危ないことをしていたから、担任の教師が危険な場所に立ち入らないように厳しく指導していなかったから、という他責感が随所ににじみ出ている。

 誠史たちのよこには、教頭先生をはじめ、六年生の先生がずらりとならんで、誠史たちをにらみつけていた。嗣郎の担任の中田先生のすがたは見えなかった。
「きみたちのやっていたあぶないあそびが、ひとりの友だちのとうとい命をうばったのですよ。それは、わかっているね。亡くなったのが、たまたま多田くんだったけれど、もしかしたら、ここにいるきみたちのなかのひとりが、死んでいたかもしれない。そうでしょう。」
 校長先生は、ゆっくりとしゃべる。「だいたいあの埋め立て地は、部外者立ち入り禁止じゃないんですか。うちの子どもたちにも、そのへんのところは指導してあったんでしょうねえ。」
 校長先生が、先生のほうに目をむける。教頭先生が、かしこまって口をひらいた。
「はあ、いちおう……。ただ、なにぶん校区外ですので、徹底した指導は……」
「校区の外といっても、うちの校区と隣接した危険地帯ですよ。現に、こうしてうちの子たちが、一年もまえから出入りしていたというじゃありませんか。」
「は、まことに申しわけありません。」

 大人も子どもも、誰も嗣郎の死を本気で悲しんでいない。それより責任をどう押しつけるかのほうが自分にとって大事だ。

 でもまあ、こんなもんだよな。他人の死って。


 少し前にいとこが自殺したんだよ。ぼくの一歳下だったので小さい頃はいっしょに遊んだけど、遠くに住んでいたので会うのは年に一回ぐらい。思春期になってからは会うこともなくなり、もう二十年近く会ってなかったんだけど。

 知らない人じゃないから「そっか……」とはおもったけど、「そっか……」以上の感想は出てこないんだよね。

 もう二十年会ってないからどんな顔してたかもおぼえてないし、生きてたとしても会うのは法事ぐらいだっただろう。だからひどい言い方をすれば、彼が生きていようが死んでいようがぼくの人生にはほとんど影響がない。

 だから「そっか……」。ニュースでどこかの誰かが不幸な死を遂げたのを見たときぐらいの気持ち。

 フィクションの中だと死って仰々しく描かれることが多いけど、じっさいは家族とか恋人とかでなければ「そっか……」ぐらいのもんなのかもしれない。




 嗣郎の死が強い印象を与える作品だが、改めて読んでみるととことんリアリスティックな作品だ。

 メンバーたちの家庭環境、うまくいかない船作り、学校や塾での居心地の悪さなどどこをとっても都合の良いところがない。登場人物たちを甘やかすことなく、かといって理不尽な目に遭わせることもなく、現実に起こりえる範囲の苦境を与えている。「誠史と邦俊が船で海に出るラスト」だけはファンタジーだけどね。

 人間関係もリアルに描かれている。

 船づくりは、埋め立て地の小屋での嗣郎を、いま一歩、連中のなかへくいこませる絶好のチャンスだった。
 いままで必死で四人の顔色をうかがい、おべっかをつかって、なんとか仲間にいれてもらっていたのが、船をつくるうちに、いつのまにか嗣郎を連中と対等にしてしまったのだ。
 こんなにあっさりと自分が、〈できる子〉と対等につきあえるなんて、嗣郎は思ってもいなかった。のこぎりのつかい方がうまいとか、かなづちのあつかい方をこころえているとか、たったそれだけのことで、育英塾にかよっているほどのエリートが、嗣郎のことをみとめてくれるとは思いもよらなかった。

 少年たちの冒険物語というと、なにかと美化されがちだ。自分の少年時代を思い返しても、キラキラした思い出がよみがえってくる。友人たちとひとつになって何かを成し遂げようと懸命になった記憶がよみがえってくる。

 でもそのときの気持ちをじっくり思い返してみると、そんなに単純なものではなかった。嫉妬したり、えらそうにしたり、すねたり、見下したり、意地悪をしたり。ぜんぜん対等じゃなかった。心はひとつじゃなかった。

 こんなに希望のない児童文学を書けるのはすごいとおもう。皮肉でもなんでもなくほんとに。希望がないからこそ届くことってあるもんなあ。


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