2020年7月14日火曜日

不登校


 娘の保育園からの友だち、Sちゃん。
 小学1年生なんだけど、もう不登校になった。

 うちの娘と仲良しで、3歳から家族ぐるみで親しくしてきたので、不登校になったと聞いて心が痛い。


■ Sちゃんについて

  • 女の子。3歳下の妹がいる。
  • 受験をして難関私立小に入った。
  • 活発、明るい、おしゃべりが上手。同世代の子と比べて確実に頭の回転が速い。走るのが大好き。好きな遊びはけいどろ。
  • 受験のための塾通いは嫌がってた。遊べなくなるから。でも塾で褒められたことは嬉しそうに話していた。
  • 受験も嫌がってた。「みんなと違う学校だから行きたくない」と言っていた。でも「おもちゃ買ってあげる」に釣られて受験したらしい。そのへんはしょせん子ども
  • 入試に合格したときは喜んでいた。努力が評価されたことが純粋に嬉しかったんだと思う。
  • コロナで入学式が延期になり、学校が始まって約1ヶ月。ここ1週間は毎日「行きたくない」と泣いているらしい。友達ができていないわけじゃないけど「勉強したくない」「家にいたい」「宿題したくない」「給食がいや」などと言っているらしい(小1なので行きたくない理由をうまく言語化できてないんだろうけど)。
  • でも公園とかで会うと元気。うちの子と一緒に楽しそうに遊んでいる。

■ Sちゃんの両親について

  • 二人とも明るくていい人。知り合いみんなから好かれているような家族。
  • いわゆるお受験ママタイプとはぜんぜん違う。テレビばっかり見せてるし夜ふかしもさせるしおもちゃもいっぱい買い与える。むしろ甘やかしすぎでは?と思うぐらい。
  • 元々は受験も考えてなかったみたい。Sちゃんが三歳ぐらいのときは「お受験なんて~」と言っていた。たまたま友達に誘われてSちゃんに模試を受けさせたらものすごい好成績で、それから火がついたみたい。はじめは「うちなんかぜんぜん勉強させてないから絶対無理だけど、まあ記念だと思って〜」って言ってたのに、受験が近づくにつれて目の色が変わっていったのがちょっと怖かった。塾の洗脳すげえって傍から見ていて思った。
  • おとうさんのほうは「ぼくは公立でのびのび育てたいんですけどね。でも奥さんがやる気になっちゃって……」と言っていた。でもやっぱり受験が近づいたら目の色が変わった。

■ 推測する原因

 不登校の原因なんて明確にひとつに決まるようなもんじゃないんだろうけど……。
 でもまあ、最大の原因は「本人の意向を無視して私立小に入れた」だろうね。
 保育園のみんなが同じ小学校に行って、自分だけ違うのがつらいんだろう。
 しかも自分で選択したわけではなく、半ば親に強引に入れられたようなものだから(まあ小学校受験なんてみんなそんなもんだろうけど)。

 きちんと納得させずに「おもちゃ買ってあげるから」で釣ったのはよくなかったよなあ、とおもう。
 でもそんなことはSちゃんの親も十分わかってるだろうし、今さら言っても仕方がない。 「じゃあ転校させよう」ってかんたんにはできないだろうし。転校させたって解決するとはかぎらないし。
  この状態が続くのであれば公立校へ転校させるしかないんだろうけど。 

 あと、本来ならオリエンテーションとか遠足とか新入生同士が仲良くなるイベントがあったのに、コロナ騒動で全部流れたのも原因のひとつかも。
 授業時間に余裕がないから、学校になじむ前に授業が進んでいっちゃうんだよね。

■ 言いたくなること

 傍から見ていて、Sちゃんのご両親に言いたくなることはいくつかある。
 よその家庭のことなんで、言えないけど。
 こっちだって子育ての正解を知っているわけじゃないしさ。


  •  学校に行くことありきで話が進んでる
 ぼくもSちゃんのご両親から相談されたんだけど「どうしたら他の子みたいに学校行ってくれますかねえ」と言われた。Sちゃん本人にも「どうやったら行く?」と聞いていた。
 それを聞いてぼくは「そういうとこじゃないの」とおもった。
 そりゃあ学校に行ってくれることがベストな解決方法なんだけど。
 でもSちゃんの両親にとっては学校に行くことが唯一のゴールになっている。
「学校に行かずにしばらく家で過ごしてみる」とか「週に一回ぐらいはサボってもいいことにする」とか「宿題だけはサボってもいいことにする」とか、いろんな選択肢があったほうがSちゃんは楽になるんじゃないのかな、とおもう。

  •  習い事を次々に変えていた
 塾に行かせる前まで、Sちゃんはいろんな習い事をやっていた。
 プール(2教室)、サッカー、バレエ、ダンス(2教室)、そろばん、体操、絵画、英語教室。ぼくが聞いてるだけでもこれだけ。他にもあるのかもしれない。
 Sちゃんがちょっとぐずったらやめさせてハイ次の習い事!みたいな感じだった。
 いろんなことに挑戦させるのはいいけど、もうちょっと腰を据えて続けさせないと資質も何もわからないんじゃない?とおもっていた。
 不登校と関係あるかわからないけど、ひょっとしたら「ぐずればやめられる」という意識を持たせることになっちゃったのかもしれないな、とおもう。

  •  妹の扱いとの差
 Sちゃんのご両親は姉妹どちらも等しくかわいがってるんだけど
「Sの受験で疲れたしお金もかかったから、妹のほうは受験やめとくわー」
と言っていた。
 えっ、それ、Sちゃんからするとすごくつらいんじゃないのかな……。
 自分は行きたくない塾に行かされて友達とも離ればなれになったのに、なんで妹は受験させないのー!ってなるんじゃないだろうか……。
 で、妹は妹で、将来なんで自分だけ受験させてもらえなかったのかと思うんじゃないだろうか……。


……と、傍から見ていて「そういうとこ良くないんじゃないですかね?」と言いたくなるところはいくつもあったんだけど、今さら言ってもしょうがないし、親同士の関係にひびが入るのもイヤなので黙っておく。

■ よそのおっさんとして


「よそのおっさんとして不登校の子のために何かしてやれることはないか?」とおもう。

 正直、不登校を解決するのはよそのおっさんの仕事じゃない。
 よそのおっさんにそんなことできないし、できたとしても親をさしおいてよそのおっさんが出しゃばるわけにはいかない。

 よそのおじさんにできることなんかたかが知れてる。
 でも、よそのおじさんだからこそできることもあるんじゃないかな。

 なんか気の紛れることをしてやりたいなーと思う。

 何をしてあげたらいいんだろうか。
 それとも何もしないほうがいいんだろうか。


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2020年7月13日月曜日

あゝゴーテル


ディズニー映画の『塔の上のラプンツェル』にはゴーテルという魔女が出てくる。

こいつは生まれたばかりのラプンツェルをお城からさらい、ラプンツェルを塔に幽閉して誰にもあわせないようにし、さらにラプンツェルが塔から逃げた後も嘘をついたり、ラプンツェルの恋人を拉致させたりする。

……と聞くとずいぶん悪いやつだとおもうよね。
じっさい、映画の中では純粋な悪役として描かれている。

だけどぼくには、ゴーテルが悪いやつだとはどうしてもおもえないのだ。
もちろん『塔の上のラプンツェル』の世界の法律がどんなものか知らないけれど、現代日本の法感覚でいえば、ゴーテルは悪ではないとおもう。


映画を観たことのない人のために説明すると、ゴーテルがラプンツェルをさらったのにはこんな経緯がある。


どんな病気も治す金色の花の力で、ゴーテルは何百年も若さを保っていた
 ↓
だが妊娠中の王妃の病気を治すために金色の花がお城へと持ち去られてしまう
 ↓
その王妃が産んだのがラプンツェル。ラプンツェルは生まれながらにして金色の花の力を宿していた。
 ↓
ゴーテルはお城にしのびこんで赤ん坊のラプンツェルをさらい、塔に閉じこめて育てる


つまりだね。

まずはじめの数百年、ゴーテルは何も悪いことはしていないわけだ。
ふしぎな力を持った花を見つけ、それを自分のために使っていただけ。
たしかに花の力を他人のために使わずに花の力を独占した。強欲といえるかもしれない。
でも強欲それ自体は罪じゃない。自分の力で手に入れた財産を自分のために使うのは何も悪くない。

そしてゴーテルは大切な花を持ち去られる。
ここでのゴーテルはむしろ被害者だ。大切な財産を盗まれたのだから。
しかもその花の力がないと、ゴーテルは死んでしまうのだ(花の力で本来の寿命以上に生きてきたから)。
言ってみたら、人工透析を受けている患者が透析装置を盗まれるようなものだ。
必死で取り返そうとするに決まっている。
かわいそうなゴーテル。

お城に忍びこんだゴーテル。
だが花はない。代わりに、花の力を宿す赤ちゃん(ラプンツェル)が眠っている。
ゴーテルはラプンツェルを連れ去る。
これはいけない。
不法侵入および誘拐だ。刑法犯罪である。
だが情状酌量の余地はある。なにしろゴーテルにしたら生命の危機なのだ。
刃物を持った不審者に襲われたから他人の家に飛びこんだようなものだ。これを不法侵入で裁くのはあまりに酷だ。

日本の刑法37条1項には
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
とある。
いわゆる緊急避難条項だ。
明らかに「お城に忍びこむ」は「命を落とす」よりも害の程度が小さい。だから今の日本の法律に照らすのであれば、ゴーテルがお城に忍びこんだことは大した罪ではない。
「乳児の誘拐」は「お城に忍びこむ」に比べればずっと重い罪だが……でもやっぱり「命を落とす」に比べれば害が小さい。

しかもゴーテルはラプンツェルをさらった後、十数年も大事に育てているのだ。
なにしろ十八歳のラプンツェルは、健康で元気で明るく優しく勇敢な女性に成長しているのだ。これはゴーテルが大事に大事に育ててきたことの証左といっていいだろう。
たとえ自分の若さと美貌と生命を保つためだったとしても、よその子を十八年も育てるなんてなかなかできることではない。

たしかに『塔の上のラプンツェル』の中で、ゴーテルは“子どもの話をまともに聞かない身勝手な育ての親”として描かれる。
だが子どもの話を適当に聞き流すことが罪なら、世の中の親の大半は犯罪者ということになってしまう。



つまりだね。
ゴーテルのやったこと(不法侵入と誘拐)はたしかに悪いんだけど、十分に同情の余地はあるとおもうんだよね。

この件が我々に投げかけるのは、

A)お城から乳児を誘拐しなければ死んでしまう。それでも誘拐を思いとどまることができるか?

という問いだ。

これに「それでも誘拐はいけない」という人には、こう尋ねよう。

B)お城から乳児が誘拐されそうだ。これを防ぐにはひとりの女性を殺さなくてはならない。それでも殺しますか?

これだと「殺せない」という人が多いだろう。

A)と B)の選択で得られる結果は、じつはどちらも同じだ。
「乳児がさらわれずに女性が死ぬ」か「女性が助かって乳児がさらわれる」

そう、これはトロッコ問題なのだ。

どちらが正解ということはない。



ということで、「ゴーテルを救うか、ラプンツェルの誘拐を防ぐか」というのは倫理学的にはかんたんに答えを出せない問題なのだが、ディズニーはあっさり答えを出している。

「最後はゴーテルが砂になってしまい、ラプンツェルが両親のもとに帰ることができました。めでたしめでたし」
という形で。

観客に納得させるために
「若く美しいラプンツェル」「娘の行方を案じて胸を痛める王と王妃」「強欲で計算高い魔女であるゴーテル」
という描写をすることで。

しかしやっぱりぼくはゴーテルに同情してしまうのだ。
彼女のやったことは褒められたことではなかったけど、誰からも憎まれる悪役として描く必要はあったのだろうか、と。

願わくば『マレフィセント』のように、ゴーテルの苦悩がある程度は報われるアナザーストーリーを用意してあげてほしい、と。

ゴーテルには、姉の子ども達のためにパンを盗んだ罪で19年も服役させられたジャン・ヴァルジャンにも似た悲劇性がある。

あゝ無情。


2020年7月10日金曜日

ツイートまとめ 2019年11月




弟妹

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よちよち

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歯みがき

ワイドショー

近鉄のほうの

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桜を観る会





ティッシュ配り

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おねがい


居場所

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内の臓

システム

ひったくり

鏡の世界

鬼畜の所業

阪急宝塚線

デッドノート



アナ雪2

働き方改革

いろいろ

省略

耐え難きを耐え

おれバカだから

2020年7月9日木曜日

【読書感想文】サイゼリヤのような小説 / 道尾 秀介『笑うハーレキン』

笑うハーレキン

道尾 秀介

内容(e-honより)
経営していた会社も家族も失った家具職人の東口。川辺の空き地で仲間と暮らす彼の悩みは、アイツにつきまとわれていることだった。そこへ転がり込んできた謎の女・奈々恵。川底に沈む遺体と、奇妙な家具の修理依頼。迫りくる危険とアイツから、逃れることができるのか?道尾秀介が贈る、たくらみとエールに満ちた傑作長篇。

子どもを亡くし、妻と離婚し、家具製作の会社を倒産させてしまった主人公。ホームレスとなり、川原で生活しながらトラックひとつで家具修理を請け負い細々と暮らしていた。
だが素性の怪しい女が弟子入り志願してきたり、ホームレス仲間が謎の死を遂げたり、かつての取引先社長と元妻が仲良くしているのを目にしたり、明らかに怪しい家具修理の依頼があったりと次から次へと妙なことに巻きこまれ……。


と、次から次にいろんな出来事が起こるので読んでいて退屈しない。
いろいろ伏線があるけどちゃんと回収されて、収まるべきところに収まる。
エンタテインメントとしてすばらしい出来。

疫病神が見えたり、怪しさ満点の人物が現れたりとリアリティには欠けるものの、それもまた気楽に楽しむ上ではプラスかもしれない。あんまり深刻にホームレス生活を描かれても楽しくないもんな。

本筋はもちろん、家具修理の描写やたびたび引用される名言など、飽きさせない工夫が随所に散りばめられていて、作者の旺盛なサービス精神が感じられる。



……といった感想を書いたら、もう書くことがなくなった。

だいたいもっといろいろ書きたくなるんだけど、『笑うハーレキン』に関してはこれ以上特に言いたいことはない。

なぜなら、ちゃんとおもしろかったから。

サイゼリヤの料理みたいな感じかな。
ぼくはサイゼリヤによく行くんだけど、いついっても同じ味。いつもおいしい。
でもクセになる味というわけでもない。誰が食べても八十点をつけるような味。
だから「おいしかった」「この安さなのにおいしい」という以外の感想は出てこない。
もちろん、客としてはサイゼリヤにそれ以上のものは求めてない。安くておいしかったら満点だ。

『笑うハーレキン』もそんな感じだった。
徹底したエンタテインメント。きっと誰が読んでもそこそこ楽しめる。
めちゃくちゃ感動することも、すごくイヤな気持ちになることもない。
そういう本って感想を書くのがむずかしいんだよね。
「おもしろかった」としか言いようがないから。

で、一ヶ月もしたらどんな内容だったか忘れちゃうんだろうな。
でもそれでいい。それがいい。


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2020年7月6日月曜日

むだ泣き


うちの次女(一歳八ヶ月)は“むだ泣き”をしない。

泣くことは泣くが、おなかがすいたとかだっこしてほしいとかまだ寝たくないとかそれなりの理由があって泣く。

「ただなんとなく機嫌が悪くて」のようないわゆる“むだ泣き”はぜんぜんしない。
もっとも「むだ」というのは大人から見ての「むだ」であって当人にとってはむだじゃないんだろうけど。
それにしたって特に要求もないのに泣くのはエネルギーの無駄づかいだ。

むだ泣きをしない次女。
かしこいなあ、とおもう。親なのでなんでもかしこく見えるのだ。

毎朝、ぼくが保育園に送っていくのだが、家を出るときに泣く。
「おかあさんと離れたくない」ということだろう。
でも、おかあさんの姿が見えなくなったらぴたっと泣きやむ。
これ以上泣いてもしかたないと知っているのだろう。

保育園に預けてぼくが別れを告げると大泣きする。
毎日後ろ髪を引かれながら仕事に向かっていたのだが、あるとき忘れものに気づいて引き返したら、もう泣きやんでいた。その間わずか三十秒。
ぜんぜん後ろ髪引かれる必要なかった。

訴えたいことがあるときは泣くが、訴える相手がいなくなったら泣かない。
要領がいい。



その点、長女は要領が悪い。

ちょっとしたことで機嫌を損ねて、ずっとぐずぐずする。
怒りの相手がいなくなってもすねている。

友だちと遊ぶときに、長女はかくれんぼをしたいという。友だちはおにごっこがいいという。
なんとはなしにおにごっこがはじまってしまう。長女はふてくされる。
そこまではわかる。
ところが、その後「じゃあ次はかくれんぼしよっか」となってもまだすねている。
我が子ながら、アホなんじゃないの、とおもう。
今すねてもいいことなんかいっこもないじゃん。

また、言ってもどうにもならないことをずっと引きずっている。
長女が「〇〇食べたかった!」と怒ったときに、
こちらは「ごめん、もうないわ。また買ってあげる」とか「〇〇はないけど××ならあるよ。いる?」とか言ってなだめるのだが、一度おへそを曲げたらなかなか直らない。

ないものはどうしようもないのだから、代案を引きだせただけでよしとしたほうがいい。
そこで「いやだ! 〇〇がいい!」と強情をつらぬくせいで、「じゃあもう食べなくていい!」と言われ、「また今度買ってあげる」も「代わりの××」も手に入らなくなる。


つくづく損なタイプだ。
よく「きょうだいの上の子は要領が悪く、下の子は要領がいい」と言われるが、その典型だとおもう。
まあ下の子はまだ一歳なのでこれから性格も変わっていくのだろうが。



周囲を見ても、やっぱり
「上の子は要領が悪く、下の子は要領がいい」
ケースが多い。

娘の友だちのSちゃんには、二歳下の妹がいる。
この妹、すごく要領がいい。
電車に乗ると、すぐに寝る。
移動時間は退屈だと知っているのだ。
到着したらぱちっと起きて元気いっぱい遊べる。

おねえちゃんと喧嘩をすると怒るが、直接抗議しない。
言ってもむだだと知っているのだ。
代わりに、大人に抗議する。
「ねえねが〇〇したー!」と。
そうすると大人が姉を叱ったり、「代わりに〇〇しよっか」と優しくしてくれたりすることを知っているのだ。

大人に怒られてもむくれない。
逆に、にこっと笑う。
子どもの笑顔を見せられると、大人はそれ以上強く叱れない。

すごい。
齢四歳にしてもう世の中の立ち回り方を心得ている。
計算ではなく、自分より大きい人たちに囲まれて過ごすうちに自然に身についたのだろう。

「怒ってもしかたのないことには怒らない」
「言ってもむだな人には言わない」
「怒られているときこそ笑顔」
これだけで、ずいぶん楽しい人生を送れるとおもう。

ぼくも一歳児と四歳児を見習わなくては。