2018年2月25日日曜日

西方浄土


関西に住んでいる人はどうも「西に行きたい」願望があるようだ。

周囲の人の話を聞いても、国内旅行というと四国とか九州とか広島とかが多い。
東にはあまり行かない。東京、横浜、ディズニーランド、北海道といったメジャーな場所には行くが、それ以外の東北・関東・東海・北陸にはあまり行かないようだ。

書店で働いていたときも、『るるぶ東北』『るぶ金沢』よりも『鳥取』『松山』などのほうがよく売れていた。
距離だけの問題でもないと思う。大阪ー静岡間と大阪ー広島間の距離はほとんど同じだと思うが、「広島に旅行に行く大阪人」は「静岡に旅行に行く大阪人」の倍くらいいると思う。知らんけど。



ぼくは両親が旅行好きだったこともあって子どもの頃はよく旅行に連れていかれたけど、兵庫県東部に住んでいたぼくの家族が行った場所はといえば、倉敷、岡山、瀬戸内海の島、鳥取、香川、徳島、福岡、熊本、佐賀、別府、長崎、など見事に西方面ばかりだった。
父親が単身赴任をしていたときに横浜に行ったけど、それ以外には東方面へ旅行したことがない。
修学旅行の行き先も、小学校は広島、中学校は長崎だった。


就職活動をしていたとき、ほとんどゆかりがないにも関わらず「四国で一生過ごすのもいいな」という気持ちが突如として湧いてきて、愛媛や高松の企業を受けてまわったことがある(結局四国には就職しなかったが)。

自分自身のことを思い返しても、やはり西方面に引き寄せられる傾向があるようだ。

仕事で東京に行くことが多いからこそ、旅行のときは逆方面に行きたくなるのかもしれない。



菅原道真が大宰府(福岡県)に流されたり、平家が壇ノ浦(山口県)で敗れたり、光源氏が須磨(兵庫県)に流されたり、京都に都があった時代から、みんな西に行ってばかりいる。行かされてるんだけど。
東に行った話といえば、晩年の源義経が追われて平泉(岩手県)に逃げたぐらいしか思いつかない。

上方落語には「東の旅」と呼ばれるいくつかの噺があるが、ここでいう「東」とは伊勢神宮、つまり今の三重県のことだ。

今でも関西の人は三重にはわりと行く(三重県は近畿地方には含まれるが関西には含まれない、というなんとも微妙なポジションだ)。ぼくも二度旅行に行ったことがある。

上方の人にとっての「東」は三重までで、そこから先はごうごうと滝が流れ落ちている暗黒の地なのだ。それは今でも同じかもしれない。


2018年2月24日土曜日

工事現場で遊んでいる男子小学生



小学五年生のとき、毎日のように工事現場で遊んでいた。
近くにあった小さな山が造成され、百軒分ぐらいの住宅地になった。

空き地がずらっと並び、常に建設工事がおこなわれていた。

ぼくと友人たちはそのあたりに捨てられている板や釘を拾ってきて、石で釘を打って遊んでいた。

はじめは小さな木片や曲がった釘を拾っていたのだが、だんだんエスカレートしていった。
拾うものは少し大きめの板になり、錆びたのこぎりになり、やがて金づちや新品同様の釘になった。たぶん捨てられていないものも混ざっていたと思う。盗みだ。

それらを空き地の隅っこに隠しておいて、拾い集めた材料で椅子や箱を作っていた。
大工のおじさんたちもぼくらの存在には気づいていたはずだが、ごみで遊んでいるだけだと思っていたのだろう、何か言われたことは一度もなかった。

車輪も手に入った。
工事の際、道具を運ぶのに使っていたのだろうか。
拾った車輪に板をくっつけて、車をつくった。子どもがひとりだけ入れるぐらいの、半畳ほどの大きさの車。
車が完成したときはうれしかった。さっそく乗りこみ、坂道を滑走した。木片と車輪をくっつけただけの手作りの車で、車道をがんがん走る。もちろんブレーキもハンドルもない。無謀すぎる。

スピードが乗ってきたところで、向こうから自動車がやってくるのが見えた。
やばい。どうしよう。
そのときになってはじめて「車道を走っていたら車に出くわす可能性がある」ということに気がついた。小学五年生の男子ってそれぐらいばかなんです。
急いで車から飛び降り、手作り車をつかむ。間一髪、自動車にぶつかる前に止まった。

工事現場には危険がいっぱいだ。
釘を踏んで足の裏に大けがをしたやつもいたし、石で釘を打ちつけるときに誤って自分の指を叩いてしまうことなんて日常茶飯事だった。ぼくは爪が割れて、しかも消毒もせずに遊びつづけていたから化膿した。

何を考えていたのだろうか。もちろん先のことなんて何も考えていない。
男子小学生だったことのある人ならご存じだと思うが、彼らは十秒先ぐらいのことまでしか考えられないのだ。

発煙筒が落ちていたので焚いてみたら警察官が来てこっぴどく怒られたが、工事現場で怒られたのはそれ一回だけだった(もっとあったけどばかだから忘れているのかもしれない)。


みなさん、工事現場で遊んでいる男子小学生を見かけたら、きちんと叱ってやってほしい。彼らのために。やつら、ばかだから怒られないとわからないんです。怒られてもわかんないけど。


2018年2月23日金曜日

さよならミステリ黄金時代


20世紀という時代はミステリ小説に適している時代だった。

電話はあったけど、携帯電話はなかった時代。
写真はあったけど、いたるところに防犯カメラはなかった時代。
指紋鑑定はあったけど、GPSはなかった時代。

ほどよく科学的証拠があり、ほどよくそれらに一定の制約があった時代。
犯罪者と捜査をする側のパワーバランスがほどよくとれていた時代。

もっと昔、19世紀以前となると捜査側が弱すぎた。
古典的推理小説では「こうすれば犯行に及ぶことができた」という状況証拠の提示をもって解決としていることが多い。
決定的な証拠まではなかなか挙げられない。この前、江戸時代を舞台にしたミステリ『粗忽長屋の殺人』を読んだが(→ 感想)、やはり探偵役が推理を滔々と語って、犯人が「そのとおりでございます」で終わりだった。

『遠山の金さん』では、お奉行様の「この目で見た」「忘れたとは言わせねえぞ」が決め手となって一件落着する。
江戸時代だからしょうがないんだけど、今の時代から見ると乱暴だ。目撃者と刑事と被害者側弁護士と裁判官が同じ人なんだから客観的公正性なんてあったもんじゃない。ひでえじゃないですかお奉行様。


近未来、今でもそうかもしれないけど、科学技術が発達すると犯人側にとって圧倒的に不利だ。
わずかな痕跡も残さない科学捜査、はりめぐらされた監視カメラやドライブレコーダー、いつでも誰とでも連絡がとれる通信機器の発達。

善良な市民からすると安全で安心な世の中になったけど、ミステリ小説にとっては窮屈すぎる世界になったねえ。
犯人捜しばかりがミステリじゃないからジャンル自体はなくならないだろうけど、フーダニット(犯人あて)作品は絶滅寸前かもしれない。

2018年2月22日木曜日

【作家について語るんだぜ】地下沢 中也



地下沢中也が好きだ。

『パパと踊ろう』全19巻
『新パパと踊ろう』全2巻
『創立100年ギンザ小学校』全2巻
『チューリップティーズ』全1巻
『片岡さんちのクリコちゃん』全2巻
『預言者ピッピ』2巻~

全部読んだ。『預言者ピッピ』以外は基本的に全部同じテイストの日常系ギャグ漫画だ。どれもそれぞれおもしろい。
でも『新パパと踊ろう』以降、おもしろさが持続しなくなった。『新パパと踊ろう』も『創立100年ギンザ小学校』も『チューリップティーズ』も、はじめはすごくおもしろい。でも途中から急に失速してきて、2巻ぐらいで終わってしまう。大丈夫か。精神的な病でも抱えてるんじゃないか。心配だ。

『預言者ピッピ』だけは壮大なスケールのSF漫画でギャグはない。
超巨大コンピュータによって生みだされた、あらゆる未来を予測することのできるロボット"ピッピ"をめぐる物語。

これもすごくおもしろいんだけど、ぜんぜん描いてくれない。なにしろ第1話が発表されたのが1999年で、単行本1巻が出たのが2007年。2巻が出たのが2011年。そして続きがまったく出ない。どないなっとんねん。

世の中には『ガラスの仮面』とか『BASTARD!!』とか『ヒストリエ』とかなかなか続きの出ない漫画は多いけど、ここまでペースの遅い漫画は他にちょっとないんじゃないだろうか。
このペースだと完結するまでに300年ぐらいかかるだろうから、ぼくの存命中に続きを読むことはもはや諦めている。



地下沢 中也『パパと踊ろう』の代表作といえば、誰がなんと言おうと『パパと踊ろう』だ。
しげる・よしはる・ふっ子の一家によるハートフルでバイオレンスでエロティックでグロテスクでナンセンスな漫画。父子家庭で父親が無職なのになぜかそこそこ安定した暮らしが送れている天知一家を描いた、一話完結ギャグ(ちなみになぜ父子家庭になったか、なぜ仕事をしていないのに収入があるか、の謎は19巻および『新パパと踊ろう』でようやく明らかになる)。

スケベで馬鹿でなまけものでどうしようもない父・しげるは、ぼくの理想の父親像でもある。
子どものときは父親は万能だと思っていたけど、自分が成長してみると、父親だって知らないことだらけだし人間的に未熟な部分も多いなと気づくようになる。特に反抗期には父のダメなところが目についた。
ぼくの父は「自分に知らないものはない」という態度をとる人間だったので、ぼくはその点を軽蔑していた(トータルではべつに嫌いじゃない)。「お父さんは万能だなんて思ってないのに、完璧であろうとするなよ」と思ってた。

『パパと踊ろう』の父・しげるは己の愚かさ、みっともなさを受け入れて子どもにも見せることができる。
ぼくも父親になったけど、しげるのように「お父さんもわからないことだらけだしまちがえてばっかりなんだよ」という姿を見せられる父親でありたいと思っている。さすがにしげるのようにエロさまでは見せたくないけど。


2018年2月21日水曜日

【読書感想】桂 米朝『上方落語 桂米朝コレクション〈二〉 奇想天外』

『上方落語 桂米朝コレクション〈二〉
奇想天外』

桂 米朝

内容(e-honより)
人間国宝・桂米朝演じる上方落語の世界。落語の原型は上方にあり。江戸の洒脱な落語とは違う上方の強烈な雰囲気を堪能していただく。第二巻「奇想天外」は、シュールな落語大全集。突拍子もない発想の、話芸だからこそ描ける世界。

この本の素晴らしいのは、落語の噺の文字起こしを載せているだけでなく、米朝さんの解説がついているところ。
埋もれかけていた噺をどうやって掘り起こしたかとか、時代とともにどんな変化を遂げたかとか、演じるときにどういった点に気を付けなければならないかとか、研究書として読んでもおもしろい。

米朝さんの解説は中国の故事を引いてきたり、浄瑠璃や歌舞伎の話がさらっとでてきたり、つくづく教養のある人だ。


地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)


演じると一時間を超える大作落語。
数十人の登場人物が入れかわり立ちかわりするのをたった一人で演じきるという落語の真骨頂のような噺。荒唐無稽な中に妙なリアリティがあるばかばかしさもいい。

地獄の寄席についての会話。

甲「なるほど、なるほど、立花屋花橘、文団治、米団治、文枝、文三、ああ、円都、染丸、桂米朝……、もし、米朝という名前で死んだ噺家はおませんが、あらまだ生きてんのと違いますか」
〇「あんじょう見てみいな、肩のところに近日来演と書いたある」
甲「……ははあ、あれもうじき死によんねんな。可哀そうにいま時分何にも知らんとしゃべっとるやろなあ。ああ、こらいっぺん見に行かないけまへんなァ。こっちのほうも何か賑やかな商店街みたいなものがありますが、あれは何でんねん」

こんなふうに笑いどころも多い。時事ネタもふんだんに盛りこまれていて、古くて新しい噺。

手塚治虫に『日本発狂』という漫画があるけど、死後の世界をユーモラスに描いている点や、死後に死ぬと生き返る点など、『地獄八景亡者戯』と似たところが多い。手塚治虫は落語好きだったらしいから、ひょっとするとこの噺から着想を得たのかもしれない。


伊勢参宮神乃賑(煮売屋~七度狐)(いせさんぐうかみのにぎわい)


いわゆる「東の旅」に分類される旅ネタ。東の旅は全部で二十話ぐらいあるが、そのうちの『煮売屋』『七度狐』を中心に収録。

陽気な道中の様子から、狐に化かされる怪異譚、そして後半の怪談へと目まぐるしく展開していくので、長いが冗長さがなく、退屈しない噺だ。それぞれのエピソードがちゃんとした骨格を持っている。もっとも『七度狐』は当初の形からだいぶ削られたらしいけど。七回も騙されたらさすがに途中で気づくわな。

煮売屋とは、総菜屋 兼 居酒屋のような店らしい。出てくる"イカの木の芽和え"という料理がずいぶんおいしそう。当時にしたらずいぶんしゃれたもの食べてたんだな。


天狗裁き


女房が亭主が見ていた夢の内容を知りたがって喧嘩になり、その仲裁に入った男も夢の中身を知りたがって喧嘩になり、その仲裁に来た町役も……というくりかえしからなる噺。

緊迫感のある奉行所の場面を出したり、突然天狗が出てくるという意外な展開になったり、単調なくりかえしにならないようよく工夫されている。

最後の一言でひっくりかえる、シュールで鮮やかなサゲ。個人的に大好きな噺。
星新一の『おーい、でてこーい』という名作ショートショートに通ずるものがある。

物語の世界では"夢オチ"というのは禁じ手とされたり一段下に見られたりするけど、これは夢オチが鮮やかに決まるという稀有な例。


 小倉船


正式なタイトルは『龍宮界龍都(りゅうぐうかいたつのみやこ)』。これも旅ネタ。
上方落語の旅ネタには、伊勢参りや金毘羅参りだけでなく、地獄、天空、竜宮城へ行くというSFもある。あちこち行っていて、大長編ドラえもんみたいだ。

海中に落とした財布を拾うために巨大なフラスコに入って海に潜る、というなんとも奇想天外でばかばかしいストーリー(もちろん財布はとれない)。
どうやったらフラスコの中に入るという発想が出てくるんだ。詳細は語られないけどゴム栓するんだろうな。ぜったい沈まないだろう。

落語って本題よりも枝葉末節のほうがおもしろいことが多いけど、これなんかその典型。海に潜ってからは笑いどころも少ないし、特に「酒代(さかて)に高(たこ)つくわ」のサゲは、「猩々という海中に棲む空想上の生物がいて大酒飲み」「船頭に渡すチップのことを酒代(さかて)という」の二つを知らないとさっぱり意味がわからないので、今解説なしでこのサゲを理解できる人はまずいないだろう。
中盤のなぞなぞのくだりはわかりやすく笑えるけどね。



骨つり


滅びていたものを米朝さんが復活させた噺。江戸落語にも移植され『野ざらし』の題で語られる。

しゃれこうべを釣りあげてしまった男が供養してやったところ美しい女が恩返しにくる。それを知った隣の男が骨を探しにいき、やっと見つけたしゃれこうべを供養するが石川五右衛門が現れて……というストーリー。
『花咲かじいさん』『こぶとりじいさん』『金の斧』など昔話によく見られる、「いい目にあった人の真似をした欲張りがひどい目に遭う」という類型の物語。

笑いどころの多い前半、怪談めいた中盤、目論見がはずれる終盤と、起承転結が整っている。

「ああ、それで釜割りに来たか」という、石川五右衛門の「釜茹で」と男色の「釜割り」をかけたとサゲは、今ならポリティカルコレクト的に危なそう。でもこういうのはちゃんと残しといてほしいな。



こぶ弁慶


これも「東の旅」シリーズのひとつ。
陽気な旅の道中が語られ、酒の席でのばか話になり(このくだりは『饅頭こわい』の前半とほぼ一緒)、土を喰うのが好きな男が現れ、土を食った男の肩にこぶが現れて弁慶の頭となり、騒動に巻き込まれるというあわただしい展開。

中盤までの主役がいつの間にかいなくなり、後半はまったくべつのお話として展開する。落語にはよくあるけど、慣れていないと混乱するよね。

手塚治虫の『ブラックジャック』に『人面瘡』という話がある。顔に別人の顔が出てきて勝手にしゃべりだす、手術でとってもまたすぐ出てくる、憑りつかれた男はついに発狂して死んでしまうという内容だ。小学生のとき読んだけど、めちゃくちゃ怖かった。しばらくこの話が収録されている単行本5巻だけは手にとれなかったぐらい。

人面瘡は昔からよくおどろおどろしい怪談として語られるモチーフなんだけど、そんな人面瘡ですら軽く笑いとばしてしまうのが落語のすごさだ。



質屋蔵


質屋の蔵に幽霊が出るという噂が立ったため、怖がりな番頭さんと熊さんがおびえながら寝ずの番をすることになる――という噺。

前半、延々と一人語りが続くシーンがある。落語自体が一人語りの芸なんだけど、その中で登場人物が声色を使い分けて延々と一人語りをする。いってみれば「落語の登場人物が落語をする」みたいな感じ。
米朝さんの『質屋蔵』を聴いたときは違和感をおぼえなかったけど、これを自然に演じるのは難しいだろうなあ。

終盤までリアリティのある話運びだったので、終盤でいきなり着物が相撲をとりだすという急転直下の展開。

菅原道真の掛け軸が「どうやらまた、流されそうなわい」というサゲだが、これまた「菅原道真が大宰府に流された」ということと「質に預けたものが返されないことを質流れという」ことを知らないとぴんとこないから、そのうち別のサゲになりそう。



皿屋敷


落語、とりわけ上方落語には「なんでもかんでもおもしろがる」という傾向がある。
眉をひそめるような事柄でも笑いとばしてしまう、というのは落語の最大の魅力かもしれない。

『皿屋敷』はその最たるもので、怪談話の代表格であるお菊さんをコミカルに描いている。
播州に住む男たちが皿屋敷に行き、「一枚、二枚……」を途中まで聞いて途中で帰ってくるという肝試しをするという噺。今でも大学生はよく幽霊の出るトンネルとかに行くし、昔からやってることは変わらんねえ。

姫路城に行ったときに城の敷地内に「お菊の井戸」なるものがあって「いくら播州とはいえ城内にあんのはおかしいだろ」と思ったが、やはりあれは後から作った井戸らしい。


犬の目


マッドサイエンティストもののSF噺。犬の目を人間に移植したら夜目が利くようになった――というなかなかブラックなお話。
手塚治虫『ブラックジャック』にも馬の脳を移植する話が……って手塚治虫の話ばっかりしてるな。

こないだ寄席で「戌年にちなんで犬が出てくる噺ばかりやります」というイベントがあったので行ったんだけど、そこで高座にかけられていた噺のひとつがこの『犬の目』だった。戌年にちなんで犬の目をくりぬく話かよ。ひでえ。

「眼球をくりぬいて洗う」「眼球が水につけすぎたせいでふやけてしまう」「ふやけた眼球は陰干しにして乾かす」「乾かしすぎたら塩水につけて戻す」という荒唐無稽なんだけど妙に説得力のある発想がおもしろい。
ぼくは花粉症だから今の季節は眼球をくりぬいて洗いたいぜ。


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