2018年2月9日金曜日
盗んだカートを放置する
ぼくが住んでいるところって大阪の下町を再開発して新しいマンションがいっぱい建っているところで、だから古くから住んでいる人もいれば、きれいな高層マンションに住む上品なファミリーもいれば、昼間から公園で酎ハイ飲んでいるおっちゃんもいれば、銭湯に行けば背中に本意気の刺青(タトゥーじゃなくて刺青ね)が入ったお方もいるという、まあいろんな人が住んでいる地域だ。
ここに引っ越してきて衝撃的だったのは、スーパーマーケットのショッピングカートを持って帰るやつがいっぱいいる、ということ。
すぐ近くにスーパーマーケットがあるんだけど、そこのショッピングカートを家まで持って帰るんだよ。かごを乗せるキャスター付きのカート。
あれ、持って帰ってる人、見たことある?
ぼくはここに越してくるまで見たことなかった。せいぜい駐車場まで持っていって放置する人がいたぐらい。
それでもマナー悪いな、って思うけどうちの周りはそんなもんじゃない。
スーパーは地下にあるんだけど、カートを押したままエレベーターに乗って地上に上がり、カートを押したまま歩道を歩き、そのままマンションに入ってエレベーターに乗り、そして自分の部屋の前にカートを放置する。
しかもこういうのがたくさんいる。うちのマンションの同フロアだけでもそういう家が二軒ある。家の前にスーパーのカート放置してるババアの家が。
しかもババアのやつ、カート返さないの。次にスーパーに行くときに持っていかない。
だから家の前に三台カートが溜まっていることもある。
ふつうに犯罪でしょ。でも家の前に堂々と盗んだカートを三台も溜めてるの。尾崎豊もびっくりだ。
しかもぜんぜん悪いと思ってないの。通路ですれちがったら、盗んだショッピングカートを押しながらにこにこして「こんにちはー」ってあいさつしてくんの。こんなにほがらかな泥棒、ほかにはルパン三世しか見たことない。
うちのマンションだけじゃなくて、他にもそういうババアがいっぱいいる。
マンションの自室の前まで持って帰るババアもいれば、マンションの入り口に放置するババアもいる。
こないだなんか近所の公園にカート停めてあったしね。スーパーから五十メートルくらいの距離にある駐輪場の前にもよく放置されてる。よぼよぼのババアならともかく、自転車で来るぐらい元気のあるババアなのにスーパーの外にカートを持っていってる。
ババアたちが盗んだカートをところかまわず放置しているから、スーパーにカートがぜんぜんないことがある。五台くらいしか残ってない、みたいなことが。
だからときどきスーパーの店員が近所をうろうろしてカートやカゴを回収している。
たいへんだな。この店員さんもスーパーでパートするときにまさか近所のマンションを回ってカートを回収してまわることになるとは思ってなかっただろうな。
もう一人二人の頭おかしいババアの話じゃないんだよ。この町ではカートを持ちだしてもいい、みたいな風潮になっちゃってんの。
カートを持ち出して放置する習慣が文化として地域に根付いちゃってるの。
「地域文化で日本を元気にしよう!」みたいなことを云う人がいるけど、うちの地域の文化はスーパーのカートの持ち出しだからね。どうやって日本を元気にするんだ。
2018年2月8日木曜日
借りたもの返さないやつが落ちる地獄
小さな私設図書館が増えているのだという。
ああ、いいなあと思う。
ぼくも本が好きだから家にはたくさん本があるが、その大半は二度と読み返すことのない本だ。
将来自分の子どもや孫が手に取ってくれたらうれしいけど、あまり期待できそうにない。ぼくの母親も本好きだったから家には母の本がたくさんあったけど、そのうちぼくが手にしたのは1パーセントくらいだ(その1パーセントが拓いてくれたジャンルというのはすごく大きかったけど)。
子どもがぼくの蔵書の1パーセントでも読んでくれたら上出来といったとこだろう。
「私設図書館、やってみようかな」と思う。だが待てよ。
ぼくがこの世でもっとも憎む存在のひとつが「借りたものを返さない輩」だ。
ほんとに許せない。
姉がそういう人だった。ぼくの本やCDを「それ貸して」と言って持っていく。そして返さない。
姉が性悪なわけではない。「そういうことを気にしない」人なのだ。だから自分が貸したものが返ってこなくても気にしない。
でも「そういうことを気にする」ぼくからすると、悪意がないのがまた憎らしい。
ぼくの感覚では、借りたものは最優先で読む。CDならさっさとテープやMDに取り込む。そしてすぐに返す。
毎日顔を合わせる家族であれば、「本なら一週間以内、CDなら二日以内に返す」というのがぼくの"常識の範囲"だ。
それを過ぎると「あれもう読んだ?」「CD、録音した?」と訊く。ことあるごとに訊いていると、迷惑そうな顔をされる。こちらも嫌がる相手に理不尽なことを言っているようで、申し訳ない気持ちになってくる。
でもよくよく考えれば借りたものを返せというのは理不尽でもなんでもない。CDなんてその気になればすぐに録音できるし、本なんて読むのが遅い人でも一週間もあればたいていの本は読める(漫画なら一冊一時間あればいい)。それをする時間がないのなら、そんなときに借りなきゃいい。
そんなわけで姉とは何度か喧嘩になって、「なんでこっちが善意で貸してやってるのに嫌な気持ちにならなきゃいけないんだ」と思い、あるときを境に一切ものを貸すのをやめた。「貸して」と言われても断るようにした。
レンタルビデオ屋でアルバイトをしていたことがある。
「借りたものを返さない輩」を許せない人間がレンタルビデオ屋で働くなんて自殺行為と思うかもしれないが、そのとおり、すごくストレスフルな日々だった。
世の中にはこんなにも借りたものを返さない人間が多いとは知らなかった。
いや、べつに遅れるのはいい。延滞料金もらってるわけだから。店としてはじゃんじゃん遅れて延滞料金を払ってもらえるのは助かる。
でも「なんで延滞料金払わなくちゃいけないの」とか「ちょっとくらいいいじゃない」とか言ってくる客の神経が理解できない。
「一日遅れただけで三百円って高すぎない?」だったら、わかる。ぼくも同感だ。一週間レンタル三百円のDVDでも、一日遅れたら三百円になる。たしかに高い。
でも「なんで払わなくちゃいけないの?」と言う人間の気持ちはとうてい理解できない。逆に訊きたい。「なぜ約束の期日を守らなかったのに何のペナルティも受けずに済むと思えるの?」
そういう客は、当然ながら「人から借りたものはなるべく借りたときと同じ状態で返す」という考えもないから、DVDを傷だらけにして返してきた。
そういやぼくの姉も、CDの歌詞カードを反対向きにしたり、二枚組CDのDISC1とDISC2を逆にして返してきたりしてた。些細なことだけど、こういうのを気にしない人は、借りたものを返さなくても平気なんだろうなあ。
そんな性分だから、もしぼくが私設図書館なんかはじめたら、借りた本を返さないやつはぜったいに許さない。
上下巻の上巻だけ借りて返さないやつがいたら、首を絞めてやる。
借りた本を返さないまま死んだやつがいたら、お通夜に乗りこんでいって「故人が借りてた本、返却期限とっくに過ぎてるんですけど。香典ということにしときましょうか? それとも棺に入れていっしょに焼きます?」と遺族に対して言わなくてもいいいやみを言う。
踏み倒すやつが許せないから、ぼくの私設図書館で本を借りる人には、免許証のコピーと身元保証人の実印を提出してもらう。あと保証金も預からせてもらう。そして滞納するやつは地獄の果てまで取り立てにいく。
誰が本を借りるんだ、そんな私設図書館。
つくづく図書館員に向いていない性分だ。
貸したものが返ってこないことが許せないんじゃない。「借りたけど返さなくてもいいや」と思える(というか返さないやつはそれすら思わないんだろう)神経が許せないんだ。
ぜったいに遅れるなとは言わない。ただ、返すのが遅れたら済まなさそうにしろ。催促される前に自分から「すみません、遅れます」と言え。貸したほうに気を遣わせるな。
それができないやつは、さっさと鬼に追いたてられながら鉄の棘の上を永遠に走らされる畏熟処地獄に落ちてくれ。その鬼は、本を貸してあげたのに催促して嫌な顔をされた側の怨念だぞ。
2018年2月7日水曜日
【読書感想】ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』
『スパイのためのハンドブック』
ウォルフガング・ロッツ (著), 朝河 伸英 (訳)
使命感も持たずにいきあたりばったりに生きているぼくにとって、スパイほど向いていない職業はない(おまけに口も軽い)。
柳 広司のスパイ小説『ジョーカー・ゲーム』『ダブル・ジョーカー』を読んで、ますますその思いを強くした。
ああ、無理だ。
常に孤独、任務に失敗したら組織から捨てられる、成功しても賞賛を浴びることはない。高給をもらえたとしても、自由と身の安全と良心と引き換えでは割に合わない。
ようやるわ、としか思えない。
そんな「ようやるわ」なスパイだった著者による、スパイにまつわるエトセトラ。
著者はドイツに生まれ、幼少期にナチスに追われてパレスチナに移住し、イギリス軍、イスラエル軍を経てイスラエルの秘密諜報部(モサド)に所属してトップとして活躍し、第三次中東戦争でのイスラエルの勝利に貢献したという経歴。エジプトでは秘密警察に捕まったこともある。
すげえ。絵に描いたようなスパイだ。すげぇスパイ、略してスペェ。
そういえばイスラエルの諜報機関は世界トップクラスの諜報レベルだと聞いたことがある。
アメリカのような超大国であれば少々他国の動静を読み誤ったところで軍事力と経済力で圧倒することができるけど、イスラエルのような小国だと情報の読み違いが即、国家の滅亡につながってしまう。必然的に諜報機関が強くなるのだそうだ。
イスラエルって周囲すべてが敵国だからね。民族も宗教も異なる国に囲まれて、しかもイェルサレムをめぐる大きな遺恨もある。
島国である日本やイギリスはそうかんたんに攻められないけど、イスラエルは他の国と地続きだし。
油断してたら数日で国がなくなる、なんてことにもなりかねない。いつ攻めこまれてもおかしくないから(じっさい何度も攻められてる)、常に周辺国の動向に最新の注意を払っとかないといけない。
世界一ハードな環境にいたスパイだね。
フィクションの世界では「敵に捕まってどれだけ拷問されても口を割らないスパイ」が出てくるが、そんなものは現実にはありえないそうだ。
なるほどね。
いくら訓練されたとしても「自分の命よりも大事な情報」なんてのはほとんどないから、最終的にはほとんどのスパイは口を割る。
仮に口を割らなかったとしても属する組織から「こいつは捕まったから情報を漏らしたかもしれない。二重スパイになったかもしれない」と疑惑をもたれた時点でもうスパイとして使い物にならないだろうしね。
だったら「命に代えても秘密を守れ」なんて非現実的な命令をするよりも「秘密が漏れたときに被害が最小限に抑えられるような制度設計をしよう」とするほうがずっと効果的だ。
工作員同士の素性も名前も知らされず、ほかの部員がどこで何をやっているのかもわからない、というように。
また情報が漏れることを前提にシステムをつくっているから、情報が漏れたことを隠す必要がない。
うーん、合理的。日本ではなかなかこういう組織をつくれないだろうねえ。
「死んでも口を割るな!」という、守れるわけないルールをつくる
↓
スパイが拷問されて口を割る
↓
しかしそれを知られたら罰せられるから口を割った事実を隠蔽する
↓
情報が漏れつづける
ってなるだろね。
スパイだけじゃなくビジネスでも政治でも同じようなことが起こってるよね。「ミスが起きたらどうするか」ではなく「ミスをするな」だと、ミスを隠して被害がどんどん大きくなる。
『スパイのためのハンドブック』ではそのタイトルのとおり、別人をかたる方法、賄賂の贈りかた、拷問を受けたときに嘘をまじえながら自白をする方法など、スパイならではのテクニックが紹介されている。
読んでいるかぎりはおもしろいんだけど一般人にとっては役に立たない、というかあんまり役に立てたくない。特に拷問は。
著者が旧ドイツ軍将校を装ったときの話。
人間の記憶ってあてにならんなあ。
今は偽装がもっとたいへんだろうな。世界中どことでもすぐに連絡がとれるし、やりとりされている情報も多いし、記録がいつまでも残るようになったから。
スパイには生きにくい世の中だ。
スパイになりたい人は一度読んでおくといいんじゃないかな。ちなみに、あんまり給料も良くないみたいよ(派手なお金の使い方したら目立っちゃうからね)。
その他の読書感想文はこちら
2018年2月6日火曜日
嫌いな歌がなくなった世界
『あたし、おかあさんだから』という歌が話題になっている。というか炎上している。
キャリコネニュース:「あたし、おかあさんだから」の歌詞、母親の自己犠牲を美化し過ぎと炎上 作詞者は「ママおつかれさまの応援歌」と釈明
知らない人のためにかんたんに説明すると
「母親目線の歌をつくった人に対して、いろんな人が気に入らねえなと怒ってる」
という状況です。
歌は聞いてないけど歌詞を見て、これは反発買うだろうな、と思った。
でもこれに感動する人もいるだろうな、とも思う。
だからべつにいいじゃない。嫌いな人は嫌ったらいいし、歌いたい人は歌ったらいい。
だって歌だし。教科書じゃないし。こうありなさいと強要してきてるわけじゃないし。
こういうのを許せない人って生まれてこのかた一冊も文芸書を読んだことないのかな。
小説やエッセイを数冊読んだら発狂するだろうな。あまりに理不尽な価値観だらけだから。読んでいて嫌な気持ちになる本なんかいっぱいあるから。だからおもしろいのに。
作者に対して「こんな歌つくるな」とか「だいすけおにいさんに歌わせるな」とか言ってる人がいる。
作詞者のTwitterアカウントに「こんな歌つくらないでください」と言いにいったり。
なんなの。気に入らないもの皆殺しにしないと気が済まない人たちなの。ゴキブリが嫌いだからって人里離れた山の中に住んでるゴキブリまで全滅させなくちゃ気が済まない人たちなの。こえーよ。
「私この歌嫌い」と「作るな、歌うな、流すな」が地続きになってる人ってけっこういるらしい。
「母親に対する呪いの歌だから歌うな」こんな幼稚な言説が大手を振ってまかりとおっていることにむずむずする。
いいじゃない、呪いだとしても。モテない男がヤリチンを呪ったっていいじゃない。仕事できない人が仕事で成功してる人を呪ったっていいじゃない。呪う権利まで奪わないでくれ。みんなで呪い呪われ生きていけばいいじゃない。
「不愉快な歌つくるな」って、「おめーの声、気持ち悪いから学校来んなよ!」と同じレベルだ。
思うのは勝手だけど、よくそんなことを堂々と言えるな。
こういう人が「いじめられる方にも原因がある」って発想に至るのかな。
ぼくはすごい音痴だ。一度自分の歌声を録音して聞いたことがあるが、それはもうひどいものだった。
だから人前では歌わない。恥ずかしいし、他人を不快にさせるだけだから。
でもひとりで家にいるときは歌を歌うこともある。
それを「おまえは音痴だから風呂場でも歌うの禁止な」と言われたら、うるせーボケナス大魔神おととい来やがれこのカメムシが、と言いかえす。いや、言いかえす度胸はないからこっそり言ってきたやつを呪う。呪い、万能。
「気持ち悪い歌を作るな!」とか「タバコの煙イヤだからタバコは自宅でも禁止にしろ!」とか「パクチー嫌いだから全世界でパクチー入った料理作るな!」とか言いつづけた先に明るい未来は待っているのだろうか。はたして自分の大好きなものだけの美しい世界になっているんだろうか。
ぼくはそうは思わないけど。
2018年2月5日月曜日
毎日飲まない大人のほうが多いらしい
うちの両親はビールが大好きで、毎晩ビールを飲んでいる。
母にいたっては、夏の暑い日などは夕方から台所でビール片手に料理をしていた。完全なるキッチンドランカー。
子どもは自分の育った家庭しか知らないから、ぼくは「大人は毎日ビールを飲むものだ」と思っていた。でも、大人になってみてわかったのは、どうやら毎日飲まない大人のほうが多いらしいってこと。
そうか、うちが異常だったのか。
ぼくはお酒が大好きというほどではないので(嫌いではないけど飲むヨーグルトのほうがおいしい)、ふだんは飲まない。実家に行くと必ずビールを勧められるが、断ることもある。すると母に信じられないという顔をされる。
「あんた電車で来てるんでしょ? 風邪ひいてんの?」
三百六十五日毎日飲んでいる母にとって、「車で来ているから」「体調悪いから」以外に、勧められたビールを飲まない理由はないらしい。
毎晩酒を飲んでいるってあんまり褒められたことじゃないけれど、誰かに迷惑かけてるわけじゃないし、節制して長生きするより好きなもの飲んで早死にするほうが幸せだよなあ。
いや、いまだ両親ともにぴんぴんしてるけど。好きなもの飲んで長生きしてるけど。最高じゃねえか。
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