2016年6月1日水曜日

【エッセイ】スーツとジャムの共通点

ふだんスーツを着ない人にはぴんとこないかもしれないが、スーツのジャケットにはベントというものがある。
背中の下の部分にある切れ込みのことだ。


んで、スーツを作ると、ここにしつけ糸がついたままになっている。

もちろんこのしつけ糸を切ってから着るのが正しい着用方法だ。


でも、見落とす。

毎回、見落とす。


ぼくもいい大人だから、シャツを買ったときやクリーニングから返ってきたときは、値札やタグを取りわすれていないか、チェックしてから着るようにしている。
そうでなくても、タグはたいてい襟のところについているので、着るときに目に入るし、取らずに来たらうなじがちくちくするのですぐにわかる。

でも、ジャケットのベントはわからない。

背中のいちばん下のところですよ?

どんなに視野が広かろうが、自分の背中は目に入らない。
おもいっきり体をひねっても、ぎりぎり視界の隅に入るかどうか。
スーツでそんな無理のある動きをしたら、どこかがびりっと破れる。



で、ベントにしつけ糸がついたままになっていることに気づかずに、しばらく着つづけることになる。
そして何日かしてから誰かに指摘される。

「糸がついたままになってますよ。ばかじゃないですか」
と。




あれ、なんなんでしょう。
スーツ業界の悪しき慣習ですよね。

しつけ糸をとってから客に渡せばいいじゃん。
そこはスーツ屋の仕事でしょうよ。
本来、あんなの客にとらせちゃいけないものでしょ。

しつけ糸をとらずに商品を渡すなんて、
美容院でパーマあてたお客さんに対して、カーラーをとらずに
「お客様おかえりでーす!」って言うようなものでしょ。
なんならあのポンチョみたいなやつもとらずに、てるてる坊主状態で帰らせるようなもんでしょ。
どんなひどい美容院だ。




なぜとらないんでしょうね。

あれかな。
正真正銘できたてのスーツですよ、誰かが着ていた古着じゃないですよ、っていうアピールのためにあえてしつけ糸を残しとくのかな。

中華料理で猿の脳みそを食べるらしいんだけど、それを注文したら、新鮮な猿ですよってアピールするために厨房から生きた猿をつれてきて、オーダーした客の目の前で猿を殺すそうなんだけど、
それと一緒ですか?

ジャムのビン詰めを開封したら、ビンのふたがべこんってふくらんで、はじめて開けたことがわかるようになってるけど、
それと一緒ですか?




2016年5月30日月曜日

【ふまじめな考察】一億総いい夫婦


いい夫婦のためには11月22日(いい夫婦の日)があるのに、それ以外の夫婦の日がないのは差別だと思います!


いいとまではいえない夫婦の日 とか

よかった夫婦の日 とか

対外的にはいい夫婦の日とか

いい夫婦になりたい人の日 とか

いいか悪いかでいったらギリいい夫婦の日 とか


そういうのを設けてこそ、一億総活躍社会と呼べるのではないでしょうか総理!





2016年5月28日土曜日

【エッセイ】心にミシン目をつくられて


中学生のとき、ホームセンターの文具売場で心を奪われた。
田舎の純真な中学生のハートを奪ったその文具は、“きりとり線をつくるカッターナイフ” だった。

持ち手の部分はカッターナイフと同じだが、異なるのは先端に円盤がついているところ。
ピザを切り分けるアレみたいな形状だ。
さらに円盤の縁が一定間隔で凹んでいる。
この円盤を紙にあててくるくるさせることで、紙に断続的な穴があき、ミシン目ができるという構造だ。



これを見たとき、ぼくは感動で胸が震えた。

「き、き、きりとり線が自宅でつくれるなんて……!」



きりとり線。

その前で人は平常心を保てない。


たとえば雑誌のページ中ほどにはさまれている応募ハガキ(最近はほとんどないかもしれないけど)。

それをミシン目に沿って切りはなすとき、気持ちがたかぶらない人などいるだろうか。

ミシン目を境に紙と紙が割かれる感触がかすかに手に伝わるときにおぼえる興奮。

力を入れすぎて、ミシン目でないところでびりりと破れてしまうのではないかと想像したときに味わう緊張感。

たとえ、決して冷静さを失わずに正確に的を射抜くすぐれた弓道の射手であっても、ミシン目を切りはなすときには心拍数が上昇するにちがいない。


そんな、どきどきわくわくさせてくれるという点ではディズニーランドにもひけをとらないきりとり線を、好きなときに、好きな場所につくれるなんて!



もちろん買った。
値段は今でも覚えている、515円(その頃は消費税3%だった)。
当時のぼくのこづかいは月に1,500円だったからかなりの金額だ(なにしろ月収の3分の1だぜ?)。
それでも迷わず買った。
すっかりミシン目カッターに心を奪われていたから。
いや、心にミシン目をつくられていたから!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

たちまちぼくはきりとり線カッターのへヴィーユーザーになった。

紙を切り分けるとき、カッターナイフで切れば早いものを、わざわざきりとり線カッターでミシン目をつくってから切りはなした。

友人に用もなく手紙を書いて、返信用切り取り線をつくった。




で、どうだったか。


結論からいうと、ミシン目カッターの使い勝手は悪かった。
ものすごく。

かなり力を入れて刃を紙に押しつけないとミシン目ができないし、力を入れすぎると刃が欠けるし、厚い紙だとミシン目に沿って切れないし、薄い紙だと破れるし、そもそもよく考えたら切り取り線ををつくらないといけない状況なんかぜんぜんないし。


だから断言しよう。

ミシン目カッターナイフはほんとに役に立たない。

ただ楽しいだけ!


2016年5月26日木曜日

【エッセイ】なぜその本屋に行かなくなったのか


中学生のとき。
近所に小さな本屋があった。
おじさんひとりだけで経営している、いわゆる「町の本屋さん」だ。

あるとき文庫本を1冊買った。
阿刀田高の短篇集だ。
さっそく帰って読んだ。おもしろかったので1日で読みおえた。

翌日、阿刀田高のべつの小説を手に取り、レジへ持っていった。
おじさんはぼくの顔を見て、それからレジに置かれた本を見て、言った。
「昨日買った本はもう読んだの? すごいなあ」

それまで何度もその本屋でマンガや本を買ったことはあったが、話しかけられたのははじめてだった。
きっと、読書好きの中学生が来てくれることがうれしくて、思わず話しかけてしまったのだと思う。


いやだった。
すっごくいやな気持ちになった。

いや、もちろんおじさんが好意で声をかけてくれたことはわかっている。
本好きな人間としては、ひとりでも多くの若人が読書の悦びにめざめてほしいと思う。

しかしそれはそれとして。

本を選ぶということは、ぼくにとってほんとにプライベートなことなのだ。
それを監視(ぼくはそう感じた)されているなんて、とても耐えられない。
「昨日も同じ作家の本を買ってたよね。1日で読んだんだ」と言われることは、
「昨日もあの女の子のこと見てたね。あの子のこと好きなんだ」と指摘されるのと同じくらい恥ずかしいことだったのだ。

それ以来、自然とぼくの足はその店から遠のいた。
今にして思えば、店のおやじさんに申し訳なかったなと思う。
でもいちばん自意識過剰だった中学生当時は、どうしても許せなかったのだ。

今ならぜんぜん許せる。

っていうか、Amazonさんから
「あんたこの作家好きだったよね! 前も買ってたしどうせ今回も買うんでしょ!」
と言われてもぜんぜん平気だからなあ。

2016年5月25日水曜日

【読書感想文】スティーヴン・D・レヴィット他『ヤバい経済学』

スティーヴン・D・レヴィット
スティーヴン・J・ダブナー
望月衛(訳)
ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

内容(「BOOK」データベースより)
アメリカに経済学ブームを巻き起こし、170万部のベストセラーとなった話題の書。若手経済学者のホープが、日常生活から裏社会まで、ユニークな分析で通念をひっくり返します。犯罪と中絶合法化論争のその後や、犬のウンコ、臓器売買、脱税など、もっとヤバい話題を追加した増補改訂版。

橘玲『言ってはいけない』の参考文献の一冊。
というか『言ってはいけない』の大部分はこの本がつくりだしたといってもいいのでは。そういえば橘玲氏の文体まで、『ヤバい経済学』に似ている気がするぞ。

「一般には○○と思われているけど、じつは××なんだよ」という手の話が好きな人には(みんな好きだよね)、読んだら影響を受けずにはいられないぐらい刺激的な本。
翻訳もいいしね。

『経済学』と書名に入っているけど、株価もマルクスも税制も景気も利益もほとんど出てこない。
この本を読んでも経済学の勉強にはならない。
おまけに日常生活にも役には立たない。
役に立つとしたら、酒の席での話のネタか、「おもしろい問いを立てるにはどうしたらいいか」という物の見方が身に付く(かもしれない)ことぐらい。
たとえば「不動産広告によく使われる言葉と価格の関係を調べれば、言葉を見ただけで家の価格の傾向がわかるのでは?」という仮説に基づいて検証した結果。

 不動産広告で使われる言語を調べると、ある種の言葉が家の最終売却価格と強く相関していることがわかる。
(中略)
 一方「最高」というのはあいまいで危ない形容詞で、「素敵」もそうだ。この2個の言葉は不動産屋さんの営業担当者が使う暗号で、その家は具体的に言えるようないいところはあんまりないよということのようだ。「広々」した家はだいたい古くて使い物にならない。「環境良好」は買い手に、あのね、この家はあんまりよくないかもしれないけど周りの家はいいかもしれませんよ、と語っている。不動産広告で感嘆符(!)を見たら間違いなく悪いニュースで、本当に足りないところを中身のない勢いでごまかそうとしているのだ。

あー。
言われると、なるほどな、という感じだ。
求人広告も一緒だよね。
「アットホームな職場です!」
「やる気のある方なら誰でも大歓迎!」
「たいへんやりがいのあるお仕事です」
みたいな求人広告は危ないね。
具体的にアピールできるところ(「年収600万円」「週休完全2日」とか)がないから、抽象的な文句でお茶を濁しているんでしょう。


けっこうどぎつい表現も出てくる。
というか「見も蓋もない」というか......。
黒人は白人よりも貧乏になる可能性が高いことが生まれたときから決まってるよ、とか、名前を見ただけで子どもの将来がある程度予測できるよ(要するにキラキラネームをつけられた子どもは非行に走りやすい)、とか、中絶禁止制度をなくして望まれずに生まれてくる子どもを減らしたら犯罪率が大きく低下したよ(つまり生まれたときから犯罪をおかしやすい子どもは決まっている)、とか。

こういうのって書き方によっては読み手に大きな不快感を与えるんだろうね。
でも『ヤバい経済学』では、淡々と「だからどうしろと言ってるわけじゃなくて現実はこうなんですよね」といった調子で書いているので、ぼくはあまりイヤな気はしなかった。
(そうはいっても発表後はだいぶ非難もあったみたいだけど)

ものごとをドライに考えられる人にとってはすごくおもしろい本だとおもうよ。
刊行は十年以上前ですけどぜんぜん古びてない。
正確さには欠けるところもあるけど、それを補ってあまりあるほど読み物としておもしろい。

最後に、ぼくが特におもしろいと思ったくだりをご紹介。
(なぜ麻薬の売人は儲からないのかということについて。育ちの悪い子にとってギャングのボスは映画スターと同じくらいみんなの憧れの職業だとした上で)

 そういう売り出し中の麻薬貴族は労働市場不変の法則にぶち当たった——たくさんの人がやりたいと思い、たくさんの人がやれる仕事は、普通、給料が悪い。これは給料を決める四つの重要な要因の一つだ。他の三つは、その仕事に必要な特殊技能、その仕事のつらさ、そしてその仕事が提供するサービスに対する需要である。
 こうした要因の微妙なバランスを考えると、たとえば、典型的な売春婦が典型的な建築家よりも稼いでいるのがどうしてかわかる。一見、そんなの間違っていると思うかもしれない。建築家のほうが高度な技術(「技術」を普通に言うときの意味だとして)を要求されるようだし、(やっぱりふつうの意味で)勉強もしているはずだ。でも、ちっちゃい子が売春婦になりたいと夢見て大きくなることはないので、売春婦の潜在的供給は相対的に限られている。彼女たちの技術は、まあ「専門的」というわけではないかもしれないけれど、とても特殊な状況で用いられる。仕事はきついし、少なくとも二つの重要な点で近寄りがたい──凶悪犯罪に巻き込まれる可能性があることと、安定した家庭生活を得る機会が失われることだ。では需要は? ま、建築家が売春婦を呼ぶことの方がその逆よりも多いとだけ言っておこう。


 ね、正確さには欠けるでしょ?



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