2016年2月14日日曜日

【エッセイ】バレンタイン・ピンハネ

朝から熱っぽい。咳が出る。食欲もない。
本格的に風邪ひいたようだ。

身体は絶不調だが、おまけに日曜日だが、今日はどうしても会社に行かなければならない。
どうしてもやらないといけない仕事があるから?
否。
今日はバレンタインデーだからだ!

今日仕事を休んで家で寝ていたら、なんのために生きているのかわからない。
甘いものとカカオが(あと女の人が)大好きなぼくにとって、チョコレートを無料でもらえる(それも女の人から)イベントは、宇宙や恐竜や昆虫と同じくらいロマンを感じさせてくれるものだ。


もしかしたら、かわいい後輩マネージャーが顔を赤らめて下駄箱の前でぼくを待ちかまえているかもしれないじゃないか。
そんな日に休むなんて人の道に外れたことをどうしてできようか!

会社に下駄箱はないしこの歳になって後輩マネージャーなんているわけないしそもそもぼくは学生時代、帰宅部だったけど。
でもそんなことは地球環境問題と同じくらい些細な問題にすぎない。
ぼくの生まれたこの国には、太古の昔から義理チョコというすばらしい文化が脈々と受け継がれているんだもの。
義理チョコばんざい。

でもさ。
ホワイトデーにお返しをしなくちゃならないから、義理チョコもらっても結局損じゃね?

みたいなことを言う輩がいる。
そういうやつは、財は時間とともに指数関数よりも大きな割合で減価してゆくことを知らない愚か者だから、
「結局出すんだからごはん食べるの無駄じゃね?」
とか言いながら餓死してゆけばいい。

ホワイトデーなんて恐るるに足らぬ。
ちょっと頭を使って考えれば、ふみたおしとか自己破産とか亡命とか、いくらでもホワイトデーから逃れる道はあるものである。


とまあそんなわけでぼくはこのバレンタインデーとかいうイカくさいイベントをけっこう楽しんでいるわけである。

だが、せっかくぼくが地に頭をこすりつけるように懇願してかき集めてきたチョコレートも、残念ながらほとんどぼくの口に入ることはない。
なぜなら、妻がぼく以上にバレンタインデーを楽しみにしていて、ぼくは彼女にチョコを上納しなければならないからだ。

彼女のピンハネ率ときたら、年貢でいったら週三で百姓一揆が起こるぐらいの暴利で、残念ながらぼくが口にできるのはチョコレートの包み紙に付いたわずかなチョコ屑くらいのものである。

 「せっかくぼくがもらったのになあ……」
と、妻に不平を垂らす。

「いいじゃないどうせ義理なんだし。
 あなたにとっての義理の父は妻の父。
 ってことはあなたの義理チョコは妻のチョコよ」

 「む……。へりくつだがなかなか筋が通っている……」

「でしょ」

 「でも、でも。もしかしたら義理じゃなくて本命チョコかも」

「お義理に決まってるでしょ。
 三十すぎて抜け毛が増えてきたおじさんを誰が本命視するの」

 「ぬ、抜け毛は関係ないだろ!!」

と最終的にはぼくが泣きべそをかくことで丸く収まるわけだが、問題はホワイトデーである。

べつにホワイトデーにお返しをすることはやぶさかではないのだが、そのお返しには妻は協力してくれない。

バレンタインのチョコを食べる案件に関しては、あれほど田中角栄ばりの牽引力と実行力を発揮して事を推し進めていったというのに、ホワイトデーでは動かざること山の如し。

 「あんなに食べたんだからお返しのお金もせめて半分くらいは出すべきじゃない?」

「あなたはほんとに女心がわかってないのね」

 「なんで」

「だってそのチョコレートは、会社の女の人が想いをこめてプレゼントしてくれたんでしょ。その気持ちにはあなた自身がきちんと向き合うべき。そのお返しを別の女に用意させるなんてサイテー! デリカシーってものがないの?」

 「義理チョコに決まってるんじゃなかったのかよ!」

2016年2月13日土曜日

【考察】思いついたままの文章を書いてみましょう

子どもに音楽を教えようと思ったら、いろんな歌を聞かせて、楽器の演奏方法や音譜の読み方を教える。

文章を書かせるには、文字と文法を教えて、たくさんの文章を読ませて表現技法を身につけさせる。

野球もそう。ボールの投げ方、バットの振り方を教えて、お手本となるプレーを見せてその真似をさせる。


何を学ぶにしても、基本技術を叩きこんで、優れた作品を多く見せて真似をさせることが必要だ。


なのになぜ、幼稚園や小学校ではなんの技法も教えずにクレヨンだけ渡して、
「さあ、見たままの絵を描いてみましょう」なのでしょうか。


2016年2月12日金曜日

【エッセイ】こたつと政権交代

ひとり暮らしの醍醐味といえば、やはり「こたつで寝てもいい」ということに尽きる。
小さい頃は、こたつで寝てしまったら親に布団まで運ばれた。
運んでもらえるのはありがたいけど、布団に入ったとたん、布団の冷たさで起きてしまう。
まず布団を持ってきてこたつに入れてあたためて、よくあたたまった布団にあたしを入れて、しかる後に布団ごと運んでくれたらいいのに、と思っていた(自分が親なら、布団まで運んでやった子どもにそんな要求されたら戸外に放りだすけど)。

もう少し大きくなったら布団まで運ばれることはなくなったけど、「そんなとこで寝ないで布団で寝なさい」と言われるようになった。
聞こえないふりをして寝ていたら、こたつの電源を切られた。
あたしがグレて消しゴムを最後まで使いきらずに早めに新しいやつをおろすようになったのは、この悔しさがきっかけ。



だからあたしがひとり暮らしをはじめて最初の冬。
かねてからの念願だった、こたつで朝まで寝る計画を実行に移すことにした。

準備は周到に。
敷き布団をこたつの下に敷き、枕をセット。
熱すぎないよう、こたつの温度は最低。それでも喉がかわくことを予想して、手の届くところにお茶を配置。
こたつの上にはお菓子を並べ、寝たままでもテレビを観られるように軽く模様替え。

カンペキ。

で、結果は云うまでもなし。
こたつで寝たことある人ならわかると思うけど、夏場のアスファルトの上にへばりついてるミミズ状態。
こたつの温度を弱にしてるのにぜんぜん弱くない。強烈な強さはないのに、じわじわと攻めてくる。往年の貴ノ浪みたいな粘り腰。

そんで喉がからからになって目が覚めて、お茶を飲んで、電源をオフにする。
で、寒くて寝られない。
で、電源オン。
で、アスファルトミミズ。
で、電源オフ。

ずっとそのくりかえし。
アメリカ民主党と共和党みたいに、一晩中電源オンとオフが交互に政権とってた。
あたしのこたつが二大政党制。



そして政権交代をくりかえしているうちに朝を迎えた。
次の日は眠さしかなかった。喜怒哀楽あらゆる感情が眠さにとってかわられた。
こたつの脚に四方固めきめられてて寝返りも打てなかったから、背中も腰も痛かった。

そしてあたしが学んだ教訓がひとつ。

こたつでの睡眠と 頻繁な政権交代は、国民を疲弊させるってこと。

2016年2月11日木曜日

【エッセイ】男のシャンプー

男向けシャンプーの効能を見るのは楽しい。

女の人向けのシャンプーは、
『髪に豊かなうるおいを』
『しっとりなめらか』
『海の恵み』
『フローラルの香り』など、
おとぎ話のように美しくて抽象的な言葉がならんでいて、おもわずゲロを吐きそうになる。

その点、男のシャンプーはいい。
『汗のにおいを抑える』とか
『皮質の汚れを落とす』とか
『フケ・かゆみに効く』とか、
何に効くのかがじつに単純明快でわかりやすい。

腹がへったから食う!
くさくなったから洗う! みたいな。

そんな男シャンプー界においてダントツのいちばん人気を誇るのはやはり『抜け毛予防』だ。
もちろん抜け毛が気になるお年頃であるぼくも、シャンプーを選ぶポイントは「一にハゲない、二にハゲない、三、四がなくて五にハゲない」だ。
フローラルの香りなんかどうでもいいから、とにかく生えるやつを!


各社、抜け毛予防シャンプーを出しているが、どの会社の製品がいいのかは、「人はなぜ生きるのか」というテーマと同じく、いまだにこれといった正解が出ていない。
だからそれぞれの製品の効能書きから、自分で判断するしかない。
契約書はろくに読まずに印鑑を押しちゃうぼくだけど、シャンプーの効能だけは熟読する。全製品、二度ずつ目を通す。
成分表まで読んで、おお、このα-オレフィンオリゴマーというのは効きそうだなとか、このラウリル硫酸アンモニウムというやつは頭皮に悪いんじゃないのかとか、わかんないなりにいろいろと推測をする。

そんな男シャンプー効能書き愛好家のぼくには、許せないことがひとつある。

抜け毛予防に効果アリと謳うシャンプーの用法に
「適量を手にとり、頭皮をマッサージしながら髪全体によくなじませてください」
と書いてあるのだ。

ずるい!
それでハゲを防げたとしても、それはシャンプーじゃなくてマッサージの力じゃないか!

2016年2月10日水曜日

【エッセイ】未風呂人


そうなんです、風呂は好きなんです。
だから余計にふしぎなんですよ。

風呂が嫌いなら、わかりますよ。
熱いお湯に浸かるのがいやだとか、
身体に泡をつけるのが気持ち悪いとか、
狭い風呂場に閉じこもるのが怖いとか。
そういう理由があって風呂が嫌いだという人も世の中にはいるでしょう。

けれどぼくはそうじゃない。
風呂が好きなんです。
ゆっくりお湯に浸かっていると一日の疲れがとれるし、風呂で読書をするのは至福のひとときだし、風呂から出たあとはほどよく疲れて気持ちよく眠れる。

だのに。
だのになぜ。

風呂に入るのってあんなにめんどくさいんだろう。


そろそろ風呂入らないと……。と思いながらも、行く気になれない。

眠いなあ。風呂に入らなかったら30分多く寝られるなあ。

風呂場まで遠いしなあ。
ここから4メートルもあるしなあ。

風呂上がりに着るパジャマを用意するのもめんどくさいなあ。
どうせすぐ服を着るのになんで脱がなくちゃいけないんだろ。

運動をしたわけでもないからそんなに汚れてないしな。
2週間くらいは風呂に入らなくても平気だと思うな。

そもそも誰が風呂なんて考えたんだろ。
卒業式で在校生代表が送辞を読む儀式と同じくらい、誰も得しない風習だよなあ。

だいたい“在校生”ってなんだよ。
『学校に在るほうの生徒』と書いて在校生。
なんだそりゃ。生徒って学校にいるのがふつうだろ。
なんで出ていくやつ中心の視点で語ってんだよ。
たいていは学校を出ていくやつより残る生徒のほうが多いんだから、多数派にあわせろよ。

学校にいる生徒のことを“在校生”っていうんだったら、生きてる人間のことを『命があるほうの人』って書いて“在命人”っていえよ。
死んでいくやつ目線で生きてるやつのことを語れよ。
 
◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆ 

……と、そんなことをうだうだ考えているうちに、もう15分たってるわけで。
15分前より眠さも増しているから、その分、風呂に入りたくないという気持ちは15分前より強くなっているわけで。

こんなことならさっき入っときゃよかった。


しかしほんとふしぎ。

風呂に入るのは気持ちがいい。
快楽を与えてくれる。

快楽を与えてくれる行為は、ほかにも食事とか睡眠とかセックスとか飲酒とかいろいろあるけど、どれも後悔というリスクをともなう。

「あのときあれ食べなきゃよかったな……」

「なんでおれあのとき起きなかったんだろ……」

「あんな男に身体を許すんじゃなかったわ……」

「飲むんじゃなかった……」

そんな経験、一度や二度ではないだろう。

快楽をもたらす行為には、常に後悔がつきまとう。


ところが。
あなたにはあるだろうか!?

風呂に入ったことを後悔したことが!

ぼくには、ない。

生まれてこのかた1万回は風呂に入ってきたけど、これまで一度たりとも
「あー! 風呂に入らずに寝とけばよかったー!」
って思ったことはない。
「やっちまった……。風呂に入っちまった……。どうしてあんなことしちまったのかな。魔が差したんだな……」
って悔やんだこともない。

そう、風呂はノーリスクなのだ!


ノーリスクで快楽を与えてくれるもの、それが風呂。

ギャンブルとか違法ドラッグとかハイリスクな快楽を追い求めている人に教えてあげたい。

風呂はノーリスクで気持ちよさを味わえる!

風呂こそが快楽の王様!

こうして風呂に入れるなんて、生きててよかった!
在命人でよかった!


◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆  ◆ ◆

……と、そんなことをうだうだ考えているうちに、もう40分たってるわけで。