2015年9月26日土曜日
【エッセイ】盛っちゃえ睡眠薬
同僚のSさんが、睡眠薬を盛ったらしい。
すごい。
「睡眠薬を盛る」なんて、「魔法をかける」とか「夢をかなえる」と同じくらい現実味のない響きの言葉だと思っていた。
実際にやってしまうなんて。すごい。
「睡眠薬を盛ったことありますよ」とこともなげに語る同僚がなんだかまぶしく見える。現実という檻をひょいと飛び越えたみたいに、足どりも軽やかだ。夢をかなえた人ってこんな感じなんだろうか。
しかしSさんは理知的で落ちついている人だ。とても睡眠薬を盛ってしまうような人には思えない。
「誰に盛ったんですか!?」
「息子です」
「ええっ! それはやはり親子間の骨肉の争いというか……」
「はっはっ。そんなんじゃないですよ。だって息子はまだ九歳ですからね」
「いったいどういうことですか。九歳の息子さんに睡眠薬なんて……」
彼が語ってくれたのはこういう理由だった。
寝つきが悪くて仕事中に眠くなってしまうので病院に行くと睡眠薬を処方された。
睡眠薬を飲んだことがなかったので、これが睡眠薬かとしげしげと見ているうちに疑問がわいてきた。
飲んだ後にどんな様子になるのか。何分くらいで眠りに就くのか。服用後に眠くなったとしても、それは薬効ではなくひょっとしたら「睡眠薬を飲んだ」という思いこみのせいで眠くなるというプラシーボ効果もあるのではないか。
もともと理系の人なので、実験をしてみないとわからない、それも事情を知らない被験者を選ぶ必要がある、と思いたった。
「それで息子さんを選んだわけですか……」
「そうです。しかし実験は失敗しました」
「なぜですか」
「お茶に混ぜて飲ませたのですが、吐きだしてしまったのです。『パパ、このお茶 苦い!』と言って」
「鋭いですね。本能的に察したのでしょうかね」
「いや、これはわたしも知らなかったことなのですが、製薬時にわざと苦い味をつけているようなのです。おそらく悪用されないためでしょうね。わたしのようにこっそり誰かに飲ませようとする人がいてはいけませんから」
「そうですか……」
「まあそれがわかっただけでも発見です。求めていたデータはとれませんでしたが、実験をやった甲斐があったといえるでしょう」
「しかし怖いですね。子どもに睡眠薬を飲ませるなんて……」
「あ、もちろん危険がないように与える量は減らしましたよ。体重から算出したので心配はないです」
「いや、わたしが怖いのはそういうことではなく、もっと道義的なことなんですけどね……」
2015年9月25日金曜日
2015年9月24日木曜日
【コント】世界の半分を君に
「はっはっは。よくぞここまでたどりついたな勇者よ。おまえの力はなかなかのものだ。殺すには惜しい。どうだ、わたしの手下にならぬか? 世界の四分の一をおまえにやろうじゃないか」
「四分の一だと? ふざけるな魔王! ぼくらがこれまでどれだけの犠牲を払ってここまでたどりついたと思っているのだ!」
「というと……?」
「四分の一では割に合わないと言っているのだ!」
「なるほど正直なやつだ。では三分の一でどうだ?」
「こちらとしてはそれは呑めない条件だ。これまでのコストを考えると、70パーセントはもらわないと利益が出ない」
「70パーだと! そんな法外な」
「こちらとしてはおまえを倒してすべてをもらってもいいのだぞ」
「そこまで言うのならこちらとしても考えがある。じつは、べつの勇者グループにも見積もりをとったのだが、そこは55パーセントでやるといっている。そちらにお願いして、共同事業でおまえらを倒すとしよう」
「なにっ。待て待て待て。ほかにも勇者がいるなんて聞いてないぞ」
「相見積もりをとるのはビジネスの基本だ」
「……わかった。しかたがない。50パーセントずつ折半しようじゃないか」
「たしかにそのへんが妥当だろうな。今後の付き合いもあるから、ここで無理にごねて遺恨を残したくはない。よし、50パーセントで手を打とう」
「だが問題はどう世界を半分に分けるかだ」
「それはもちろん、この魔王の城がある北半球をわたしがもらい、おまえたち勇者グループは南半球を統治するのだ」
「ふざけるな! こちらのほうが圧倒的に不利じゃないか! 世界の主要な都市のほとんどは北半球にあるのだぞ」
「しかし南半球にもエアーズロックとかマチュピチュとか、けっこう有名な観光スポットがあるが……」
「ぼくらは観光のためにここまで戦ってきたんじゃないぞ! ビジネスのためだ!」
「しかしわたしはこの城を離れたくないし……」
「じゃあこうしよう。この城のあるユーラシア大陸はおまえが統治するがいい。ぼくらは南北アメリカ大陸とアフリカ大陸をもらう」
「それだと逆に当方が不利じゃないか?」
「ではオーストラリア、南極大陸と他の島々をおまえにやろう」
「……まあそれなら良いか。中国、ロシア、インドなどの今後の経済成長が見込める国々も手に入るしな」
「あとは細かい話になって恐縮なのだけど、契約書を作るにあたって収入印紙はどちらが負担するのかとか、形としては贈与にあたるので贈与税をどうするのかとか、そのあたりも決めないといけないな」
「それならわたしどものほうにいい司法書士や税理士の先生がいらっしゃるので、相談してみよう。どうすればいちばん税金を抑えられるか聞いてみよう」
「そうしていただけると助かるぞ魔王!」
「四分の一だと? ふざけるな魔王! ぼくらがこれまでどれだけの犠牲を払ってここまでたどりついたと思っているのだ!」
「というと……?」
「四分の一では割に合わないと言っているのだ!」
「なるほど正直なやつだ。では三分の一でどうだ?」
「こちらとしてはそれは呑めない条件だ。これまでのコストを考えると、70パーセントはもらわないと利益が出ない」
「70パーだと! そんな法外な」
「こちらとしてはおまえを倒してすべてをもらってもいいのだぞ」
「そこまで言うのならこちらとしても考えがある。じつは、べつの勇者グループにも見積もりをとったのだが、そこは55パーセントでやるといっている。そちらにお願いして、共同事業でおまえらを倒すとしよう」
「なにっ。待て待て待て。ほかにも勇者がいるなんて聞いてないぞ」
「相見積もりをとるのはビジネスの基本だ」
「……わかった。しかたがない。50パーセントずつ折半しようじゃないか」
「たしかにそのへんが妥当だろうな。今後の付き合いもあるから、ここで無理にごねて遺恨を残したくはない。よし、50パーセントで手を打とう」
「だが問題はどう世界を半分に分けるかだ」
「それはもちろん、この魔王の城がある北半球をわたしがもらい、おまえたち勇者グループは南半球を統治するのだ」
「ふざけるな! こちらのほうが圧倒的に不利じゃないか! 世界の主要な都市のほとんどは北半球にあるのだぞ」
「しかし南半球にもエアーズロックとかマチュピチュとか、けっこう有名な観光スポットがあるが……」
「ぼくらは観光のためにここまで戦ってきたんじゃないぞ! ビジネスのためだ!」
「しかしわたしはこの城を離れたくないし……」
「じゃあこうしよう。この城のあるユーラシア大陸はおまえが統治するがいい。ぼくらは南北アメリカ大陸とアフリカ大陸をもらう」
「それだと逆に当方が不利じゃないか?」
「ではオーストラリア、南極大陸と他の島々をおまえにやろう」
「……まあそれなら良いか。中国、ロシア、インドなどの今後の経済成長が見込める国々も手に入るしな」
「あとは細かい話になって恐縮なのだけど、契約書を作るにあたって収入印紙はどちらが負担するのかとか、形としては贈与にあたるので贈与税をどうするのかとか、そのあたりも決めないといけないな」
「それならわたしどものほうにいい司法書士や税理士の先生がいらっしゃるので、相談してみよう。どうすればいちばん税金を抑えられるか聞いてみよう」
「そうしていただけると助かるぞ魔王!」
2015年9月23日水曜日
【エッセイ】ハートフルエッセイ ~子どもの手なずけかた~
数少ないぼくの特技のひとつに “子どもを手なずけるのがうまい” というのがある。
「子どもと遊ぶのがうまいね」とよく云われる。
そんなぼくが数多くの子どもと遊んできた経験から導きだしたテクニックのひとつが、
「おしりをさわらせたらもうこっちのもの」
というものだ。
これは金言として居酒屋のトイレに貼っといてもいい。
子どもがぼくのおしりをさわったら、おおげさに嫌がる。「きゃっ、やめてやめて!」と叫ぶ。
これで子どもはイチコロだ。
けたけたけたと笑い、もっと困らせようとぼくのおしりをさわろうとしてくる。
あとは両手でおしりを押さえながら「やめてやめて!」と逃げればいい。猫じゃらしを振られたネコのように、子どもは逃げまどうおしりを追いかけずにはいられない。
その後は走って逃げたり、ときどきわざと捕まったり、逆襲して子どものおしりを軽くたたいたりすればいい。
あっというまに子どものテンションはマックスまで上がる。子どもの数が多ければ多いほど興奮の度合いは高まる。
さて、誰しも気になる問題は “それはわかったけど、じゃあまずどうやって子どもにおしりをさわらせるの?” だろう。
これはなかなかむずかしい。
ぼくほどの達人になると、相手の年齢、性別、性格、ごきげんその他あらゆる状況を解析して、四十八ある技のいずれかを瞬時にくりだして、おしりをさわらせる。
四十八の技をここで紹介してもよいのだが、それでは諸君のためにならない。
他人から教わったおしりさわられ術で子どもを手なずけようなど、虫がよすぎる。ぜひ各人、日々鍛練して、己のおしりさわられ道を究めていただきたい。
さすれば君たちのおしりは自然と魅力を増し、子どもばかりか大人ですらふれられずにはいられないほどのフェロモンを漂わせはじめることであろう。
ぼくほどの達人になるとそういったおしりがすぐわかる。フェロモンを出しているおしりが光輝いて見え、「さわってよ」というおしりの声が聞こえてくる……。
と、ここまで書いたところで読みかえしてみたのだが、子どもとのふれあいについて説明するハートフルエッセイだったはずなのに、いつのまにかベテラン痴漢の独白みたいになってきたので、このへんで筆を置く。
「子どもと遊ぶのがうまいね」とよく云われる。
そんなぼくが数多くの子どもと遊んできた経験から導きだしたテクニックのひとつが、
「おしりをさわらせたらもうこっちのもの」
というものだ。
これは金言として居酒屋のトイレに貼っといてもいい。
子どもがぼくのおしりをさわったら、おおげさに嫌がる。「きゃっ、やめてやめて!」と叫ぶ。
これで子どもはイチコロだ。
けたけたけたと笑い、もっと困らせようとぼくのおしりをさわろうとしてくる。
あとは両手でおしりを押さえながら「やめてやめて!」と逃げればいい。猫じゃらしを振られたネコのように、子どもは逃げまどうおしりを追いかけずにはいられない。
その後は走って逃げたり、ときどきわざと捕まったり、逆襲して子どものおしりを軽くたたいたりすればいい。
あっというまに子どものテンションはマックスまで上がる。子どもの数が多ければ多いほど興奮の度合いは高まる。
さて、誰しも気になる問題は “それはわかったけど、じゃあまずどうやって子どもにおしりをさわらせるの?” だろう。
これはなかなかむずかしい。
ぼくほどの達人になると、相手の年齢、性別、性格、ごきげんその他あらゆる状況を解析して、四十八ある技のいずれかを瞬時にくりだして、おしりをさわらせる。
四十八の技をここで紹介してもよいのだが、それでは諸君のためにならない。
他人から教わったおしりさわられ術で子どもを手なずけようなど、虫がよすぎる。ぜひ各人、日々鍛練して、己のおしりさわられ道を究めていただきたい。
さすれば君たちのおしりは自然と魅力を増し、子どもばかりか大人ですらふれられずにはいられないほどのフェロモンを漂わせはじめることであろう。
ぼくほどの達人になるとそういったおしりがすぐわかる。フェロモンを出しているおしりが光輝いて見え、「さわってよ」というおしりの声が聞こえてくる……。
と、ここまで書いたところで読みかえしてみたのだが、子どもとのふれあいについて説明するハートフルエッセイだったはずなのに、いつのまにかベテラン痴漢の独白みたいになってきたので、このへんで筆を置く。
2015年9月22日火曜日
【ふまじめな考察】ナンパをできるやつは喪主もできる
『ナンパをできるやつは葬式の喪主もできる』
これはぼくの座右の銘である。
ぼくはナンパをしたことがない。
だからナンパのできる人には素直にあこがれる。
ナンパをする男は、どうして見知らぬ女性(それも美しい女性)に声をかけられるのだろうか。不思議でしょうがない。
ぼくなんて、知り合いであっても美しい女性と話すのは苦手だ。
美しい女性を前にすると、緊張して思っていることの1パーセントも伝えられない(もっともぼくが考えていることの100パーセントを伝えたとしたらまちがいなく変態呼ばわりされるだろうから、伝えられなくてむしろラッキーだ)。
ところがナンパ屋さんたちは、見知らぬ女性に声をかけるだけでなく、その話術と情熱をもって相手と仲良くなってしまったりするらしい。
『プロジェクトX』級のビッグプロジェクトだ。
できたら楽しいだろうなあ、ナンパ。
べつにかわいい女の子とどうこうなりたいからナンパをしたいわけではない。
……。
いや、本当はもちろんどうこうなりたいんだけど。
……。
あー。
どうこうなりたーい!
いかんいかん、思考100パーセントのうちの2パーセント目が出てしまった。話を戻そう。
ナンパの成果云々は別にして、「見知らぬ人に気安く声をかける」という行為自体にあこがれる。
かわいい女の子でなくてもいい。居酒屋で隣に座った小太りのおっさんでもいい。
小太りのおっさんに
「Hey, そこの彼、どっから来たの? ひとり?」
と話しかけられたらどんなにいいだらう。
きっとその先に待ち受けるのは夢のように楽しい時間だ。
だけど。
無駄に自意識だけが高いぼくは、恥をかくことをおそれるあまり、その一歩を踏み出すことができない。
ナンパした相手に無視されたり、
「はぁ? マジキモイんですけど」
と云われたら、二度と立ち直れない。
自らを否定されたショックでゲロ的なものを吐いてしまうかもしれない。
しかし。
そのプレッシャーに立ち向かい、克服したものだけが、皆から「ナンパ師」という称号で呼ばれることができるのだ。
ナンパ経験のあるお方と未経験のチキン野郎では、持っている力がちがう。
普段その違いは目に見えない。
一生に一度あるかないかの大舞台が突然やってきたとき。そのときナンパ力の有無が決定的な差となってあらわれる。
「突然やってくる一生に一度あるかないかの大舞台」とは何か。
それが“喪主”である。
それはある日突然やってくる。
はじめてだからといってリハーサルはさせてもらえない。失敗したからといってやり直しは許されない。
まさに一世一代の大勝負だ。
葬式という舞台における主役が死体なら、喪主は監督であり総合演出であり脚本家だ。
喪主がいなくてはどんなに立派な死体もただの遺棄死体。葬儀において、死体を活かすも殺すも喪主の腕にかかっているわけだ。死んでるけど。
ぼくの父親はまだピンピンしていて週3でゴルフに行ったりしているが(どう考えても行きすぎだ)、人生というやつはわからないものだから、明日死んでしまうかもしれない。
そのとき、長男であるぼくは立派に喪主を務めあげることができるだろうか。
まったくもって自信がない。
見ず知らずの参列者たちとうまく挨拶できる気がしない。へらへらしてしまいそうだ。
喪主挨拶で緊張して「本日はお日柄も良く……」とか云ってしまいそうだ。
なぜぼくには喪主が務まらないのか。
それはナンパをしたことがないからだ。
見知らぬ相手と落ち着いて会話をおこなう社交性。
つらくても常に己を保つ強い精神力。
本心を押し殺して確実にことを運ぶ冷静さ。
一方でときには感情を表に出す素直さ。
どれもが、ナンパと喪主の双方に必要なものである。
ナンパという修羅場をいくつもくぐってきた百戦錬磨の兵士に、葬式の喪主が務まらないはずがないのだ。
『ナンパができるやつは喪主もできる』
自信を持って提唱しよう。
葬儀だけではない。
たとえば異星人とのファーストコンタクトにおいても、ナンパの経験は成否の鍵を握っている。
西の空に強い光が差し、あたりが真昼のように明るくなった。
空から、30億人は乗れるかという巨大な船がゆっくりと降りてきた。それほど大きな宇宙船が地上に降りたったというのに、あたりは怖いくらいに静かだった。それが彼らの科学力の高さを示していた。
地球人たちが集まり、誰もが固唾を飲んで宇宙船を見つめている。
やがて。
船の中からそれは姿を現した。
誰もがはじめて見る地球外生物。さすがは宇宙人。頭に三本のツノを生やしているぞ。あれは地球のものではないな。地球人であんな頭をしているやつは、スネ夫をのぞけばひとりもいないからな。
まだ彼が敵なのか味方なのかわからない。どうやってコミュニケーションをとっていいのかもわからない。
あっ。
ひとりの地球人が宇宙人に近づいてゆくぞ。
誰だあいつは。
雑誌で見たことあるぞ。たしか『LEON』とかいう雑誌で。
そうだ、あいつはジローラモだ!
さすが八年連続でナンパ・イタリア代表に選ばれただけのことはある(選考委員はぼく)、あっという間に宇宙人を口説きにかかっちまった。
なんてナンパな野郎だ。見てみろよ、もう打ち解けちまった。スネ夫型宇宙人と熱い抱擁を交わしている。
まちがいない、ナンパができるやつは宇宙人とだって仲良くなれるんだ。
ナンパは数万光年の距離だって軽々と超えるんだ!
ジローラモを皮切りに、次々に世界中のナンパ師たちが宇宙人と仲良くなってゆく(説明するまでもないが、宇宙人はたくさんの人と同時に会話する技術を持っている)。
ぼくだって異星間交流を深めたい。宇宙人に向かって「その頭、地球の漫画に出てくる人と同じでかっこいいですね」と言ってあげたい。
だけどナンパをしたことのないぼくは、宇宙人に声をかけることができない。
どんなタイミングで話しかければいいのか。なんて言葉をかければいいのか。気味悪がられるんじゃないだろうか。高い知性を持った宇宙人にばかにされるんじゃないだろうか。
フォアグラのように肥大しきった自意識に邪魔されて、ぼくは話しかけることさえできない。
いつまでも逡巡しているぼくを後目に、スネ夫型宇宙人は仲良くなった地球人たちに呼びかける。
「おおい親愛なる地球人たち。
立ち話もなんだからさ、うちの星に寄っていかない? うちの星でSVD(スペース・ヴィジュアル・ディスク)でも観ない?
うちの星は地球とちがって、差別もないし、貧困もないし、戦争もないし、おまけに肉ばなれもないんだよ。うちに来たらいいじゃん」
さすがは単独で地球にやってくる宇宙人、なんてナンパがうまいんだ。
ぼくも行ってみたい。戦争と肉ばなれのない世界へ。
人類のおよそ半分がすでに宇宙人と仲良くなったころ、ようやくぼくも決意を固めた。
一世一代の勇気をふりしぼってスネ夫型宇宙人に話しかける。
あのう。ぼくも連れていってもらえませんか。あなたの星へ。
だが、スネ夫型宇宙人はその三本のツノをかきあげ、スネ夫特有のイヤミな口調でぼくに云う。
「悪いなのび太、この宇宙船30億人乗りなんだ」
なんと。
ぼくの前の人がちょうど30億人目だったのだ。
もっと早くに声をかけていれば!
日頃からナンパのトレーニングを積んでさえいれば!
そして宇宙船は、地球上のすべての「ナンパのできるやつ」を乗せてゆっくりと地上から飛び立っていく。
残されたぼくたちはショックのあまりゲロ的なものを吐きながら、去りゆく宇宙船を呆然と眺めるばかりだ。
選ばれなかった絶望感はでかい。
こんなつらい思いを抱えて、とても生きていける気がしない。かといって死ぬわけにもいかない。だって喪主をできるやつらは全員宇宙人に連れていかれちゃったんだもの。死んでも葬式もあげてもらえない!
ぼくたちの悲痛な叫び声は銀河の彼方には届かない。
だが、次第に気持ちも落ち着いてきた。
いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
そうだ。ナンパのできる30億人は連れていかれてしまったが、まだ地球には約40億人もいるじゃないか。
このナンパのできない40億人でこれから仲良くやっていこうじゃないか!
とは思うのだが、ナンパのできないぼくたちはやっぱり互いに声をかけることができず、地球上にはただ気まずい沈黙だけが漂っているのであった。
これはぼくの座右の銘である。
ぼくはナンパをしたことがない。
だからナンパのできる人には素直にあこがれる。
ナンパをする男は、どうして見知らぬ女性(それも美しい女性)に声をかけられるのだろうか。不思議でしょうがない。
ぼくなんて、知り合いであっても美しい女性と話すのは苦手だ。
美しい女性を前にすると、緊張して思っていることの1パーセントも伝えられない(もっともぼくが考えていることの100パーセントを伝えたとしたらまちがいなく変態呼ばわりされるだろうから、伝えられなくてむしろラッキーだ)。
ところがナンパ屋さんたちは、見知らぬ女性に声をかけるだけでなく、その話術と情熱をもって相手と仲良くなってしまったりするらしい。
『プロジェクトX』級のビッグプロジェクトだ。
できたら楽しいだろうなあ、ナンパ。
べつにかわいい女の子とどうこうなりたいからナンパをしたいわけではない。
……。
いや、本当はもちろんどうこうなりたいんだけど。
……。
あー。
どうこうなりたーい!
いかんいかん、思考100パーセントのうちの2パーセント目が出てしまった。話を戻そう。
ナンパの成果云々は別にして、「見知らぬ人に気安く声をかける」という行為自体にあこがれる。
かわいい女の子でなくてもいい。居酒屋で隣に座った小太りのおっさんでもいい。
小太りのおっさんに
「Hey, そこの彼、どっから来たの? ひとり?」
と話しかけられたらどんなにいいだらう。
きっとその先に待ち受けるのは夢のように楽しい時間だ。
だけど。
無駄に自意識だけが高いぼくは、恥をかくことをおそれるあまり、その一歩を踏み出すことができない。
ナンパした相手に無視されたり、
「はぁ? マジキモイんですけど」
と云われたら、二度と立ち直れない。
自らを否定されたショックでゲロ的なものを吐いてしまうかもしれない。
しかし。
そのプレッシャーに立ち向かい、克服したものだけが、皆から「ナンパ師」という称号で呼ばれることができるのだ。
ナンパ経験のあるお方と未経験のチキン野郎では、持っている力がちがう。
普段その違いは目に見えない。
一生に一度あるかないかの大舞台が突然やってきたとき。そのときナンパ力の有無が決定的な差となってあらわれる。
「突然やってくる一生に一度あるかないかの大舞台」とは何か。
それが“喪主”である。
それはある日突然やってくる。
はじめてだからといってリハーサルはさせてもらえない。失敗したからといってやり直しは許されない。
まさに一世一代の大勝負だ。
葬式という舞台における主役が死体なら、喪主は監督であり総合演出であり脚本家だ。
喪主がいなくてはどんなに立派な死体もただの遺棄死体。葬儀において、死体を活かすも殺すも喪主の腕にかかっているわけだ。死んでるけど。
ぼくの父親はまだピンピンしていて週3でゴルフに行ったりしているが(どう考えても行きすぎだ)、人生というやつはわからないものだから、明日死んでしまうかもしれない。
そのとき、長男であるぼくは立派に喪主を務めあげることができるだろうか。
まったくもって自信がない。
見ず知らずの参列者たちとうまく挨拶できる気がしない。へらへらしてしまいそうだ。
喪主挨拶で緊張して「本日はお日柄も良く……」とか云ってしまいそうだ。
なぜぼくには喪主が務まらないのか。
それはナンパをしたことがないからだ。
見知らぬ相手と落ち着いて会話をおこなう社交性。
つらくても常に己を保つ強い精神力。
本心を押し殺して確実にことを運ぶ冷静さ。
一方でときには感情を表に出す素直さ。
どれもが、ナンパと喪主の双方に必要なものである。
ナンパという修羅場をいくつもくぐってきた百戦錬磨の兵士に、葬式の喪主が務まらないはずがないのだ。
『ナンパができるやつは喪主もできる』
自信を持って提唱しよう。
葬儀だけではない。
たとえば異星人とのファーストコンタクトにおいても、ナンパの経験は成否の鍵を握っている。
西の空に強い光が差し、あたりが真昼のように明るくなった。
空から、30億人は乗れるかという巨大な船がゆっくりと降りてきた。それほど大きな宇宙船が地上に降りたったというのに、あたりは怖いくらいに静かだった。それが彼らの科学力の高さを示していた。
地球人たちが集まり、誰もが固唾を飲んで宇宙船を見つめている。
やがて。
船の中からそれは姿を現した。
誰もがはじめて見る地球外生物。さすがは宇宙人。頭に三本のツノを生やしているぞ。あれは地球のものではないな。地球人であんな頭をしているやつは、スネ夫をのぞけばひとりもいないからな。
まだ彼が敵なのか味方なのかわからない。どうやってコミュニケーションをとっていいのかもわからない。
あっ。
ひとりの地球人が宇宙人に近づいてゆくぞ。
誰だあいつは。
雑誌で見たことあるぞ。たしか『LEON』とかいう雑誌で。
そうだ、あいつはジローラモだ!
さすが八年連続でナンパ・イタリア代表に選ばれただけのことはある(選考委員はぼく)、あっという間に宇宙人を口説きにかかっちまった。
なんてナンパな野郎だ。見てみろよ、もう打ち解けちまった。スネ夫型宇宙人と熱い抱擁を交わしている。
まちがいない、ナンパができるやつは宇宙人とだって仲良くなれるんだ。
ナンパは数万光年の距離だって軽々と超えるんだ!
ジローラモを皮切りに、次々に世界中のナンパ師たちが宇宙人と仲良くなってゆく(説明するまでもないが、宇宙人はたくさんの人と同時に会話する技術を持っている)。
ぼくだって異星間交流を深めたい。宇宙人に向かって「その頭、地球の漫画に出てくる人と同じでかっこいいですね」と言ってあげたい。
だけどナンパをしたことのないぼくは、宇宙人に声をかけることができない。
どんなタイミングで話しかければいいのか。なんて言葉をかければいいのか。気味悪がられるんじゃないだろうか。高い知性を持った宇宙人にばかにされるんじゃないだろうか。
フォアグラのように肥大しきった自意識に邪魔されて、ぼくは話しかけることさえできない。
いつまでも逡巡しているぼくを後目に、スネ夫型宇宙人は仲良くなった地球人たちに呼びかける。
「おおい親愛なる地球人たち。
立ち話もなんだからさ、うちの星に寄っていかない? うちの星でSVD(スペース・ヴィジュアル・ディスク)でも観ない?
うちの星は地球とちがって、差別もないし、貧困もないし、戦争もないし、おまけに肉ばなれもないんだよ。うちに来たらいいじゃん」
さすがは単独で地球にやってくる宇宙人、なんてナンパがうまいんだ。
ぼくも行ってみたい。戦争と肉ばなれのない世界へ。
人類のおよそ半分がすでに宇宙人と仲良くなったころ、ようやくぼくも決意を固めた。
一世一代の勇気をふりしぼってスネ夫型宇宙人に話しかける。
あのう。ぼくも連れていってもらえませんか。あなたの星へ。
だが、スネ夫型宇宙人はその三本のツノをかきあげ、スネ夫特有のイヤミな口調でぼくに云う。
「悪いなのび太、この宇宙船30億人乗りなんだ」
なんと。
ぼくの前の人がちょうど30億人目だったのだ。
もっと早くに声をかけていれば!
日頃からナンパのトレーニングを積んでさえいれば!
そして宇宙船は、地球上のすべての「ナンパのできるやつ」を乗せてゆっくりと地上から飛び立っていく。
残されたぼくたちはショックのあまりゲロ的なものを吐きながら、去りゆく宇宙船を呆然と眺めるばかりだ。
選ばれなかった絶望感はでかい。
こんなつらい思いを抱えて、とても生きていける気がしない。かといって死ぬわけにもいかない。だって喪主をできるやつらは全員宇宙人に連れていかれちゃったんだもの。死んでも葬式もあげてもらえない!
ぼくたちの悲痛な叫び声は銀河の彼方には届かない。
だが、次第に気持ちも落ち着いてきた。
いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
そうだ。ナンパのできる30億人は連れていかれてしまったが、まだ地球には約40億人もいるじゃないか。
このナンパのできない40億人でこれから仲良くやっていこうじゃないか!
とは思うのだが、ナンパのできないぼくたちはやっぱり互いに声をかけることができず、地球上にはただ気まずい沈黙だけが漂っているのであった。
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