2015年9月15日火曜日

【写真エッセイ】有用の長物


大阪市内で発見した、謎の建造物。

ついにトマソン(参照リンク)を発見した! と色めきたって写真を撮ったのだが、よくよく見るとこれはトマソン(無用建造物)ではないような。
こいつには意図を感じる。誰かがなんらかの目的を持って、わざわざ設置したような。

思ったのは、バリアフリーのためのスロープではないかってこと。
でもどう見たって車椅子でここを通行できるとは思えない。落下一直線だ。
作りかけなのかな? 2025年完成予定なのかな?
でもすでにビルの敷地からはみ出てるしな。
このまま延長していったら、スロープが地面に着くころには道路を越えて、向かいのビルに達するだろうな。

スキーのジャンプ台みたいにも見えるな。
でもそのわりには傾斜が小さいからな。
これじゃあK点は越えられないよな。

台の部分に注目してたけど、よく見たら中が空洞になってるな。
あんまり強度はなさそうだ。
これは上になにかを乗せるためのものじゃないのかも。

そうか、あれか。ガリバートンネル。ドラえもんのあれ。ちっちゃくなるやつ。

ここをくぐってちっちゃくなって中に入れば、ごくふつうのビルが巨大建造物に!
狭いスペースを広く使える、未来都市にぴったりのすばらしいアイデアだ!

ただ失敗しているところがただひとつ。
ガリバートンネルの隣に、通常の階段を設けていること。
これだと、階段を通って、ちっちゃくならずに入ってきた人に踏みつぶされちゃうよ!

2015年9月14日月曜日

【読書感想】 貴志 祐介『青の炎』


貴志 祐介『青の炎』

内容(「BOOK」データベースより)
櫛森秀一は、湘南の高校に通う十七歳。女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹との三人暮らし。その平和な家庭の一家団欒を踏みに じる闖入者が現れた。母が十年前、再婚しすぐに別れた男、曾根だった。曾根は秀一の家に居座って傍若無人に振る舞い、母の体のみならず妹にまで手を出そう としていた。警察も法律も家族の幸せを取り返してはくれないことを知った秀一は決意する。自らの手で曾根を葬り去ることを…。完全犯罪に挑む少年の孤独な 戦い。その哀切な心象風景を精妙な筆致で描き上げた、日本ミステリー史に残る感動の名作。

 殺人犯の立場から書かれた小説は、そう珍しくない。ミステリの世界には“倒叙もの”というジャンルがあるぐらいだ。
 ただそのほとんどにおいて、殺人犯は読者の共感は集めない。あくまで主役は探偵役であり、殺人犯は(多少の同情の余地こそあれ)許すまじ非道な人物だ。
 善良な市民である多くの読者は悪がのさばることを望んでいない。ピカレスクもののストーリーが支持を集めることは難しい。

 その難関に挑戦して、見事成功したのが『青の炎』だ。
 悪と戦うために自ら悪事に手を染める秀一は、殺人者でありながら、まぎれもないヒーローだ。

 ぼくは殺人を犯したことはない(まだ)。
 実刑を食らうような罪も犯したことはない(つもりだ)。
 なのにというか、だからというか、犯罪者として警察に追われる夢をよく見る。すごく怖い夢だ。追われつづけるのは自分が死ぬよりも怖い。もちろん夢だからすぐに覚めて、ああ夢か、よかったとため息をつく。
 その安堵のない日々が続いたらと思うと。
 いっそ捕まったほうが楽だとも思うし、でもやっぱり捕まるのもおそろしくてたまらない。

 逃げ場のない恐怖。それを嫌というほど味わえる小説。
 現実では味わいたくない感情を味わえる。小説の魅力をめいっぱい感じさせてくれる名作だ。



2015年9月13日日曜日

【ふまじめな考察】よく見たら収納もない

とあるミステリ。
人里離れた館に閉じこめられてそこで殺人事件が起こる、というよくあるやつ。
どうやって犯人は誰にも気づかれずに殺人現場まで移動したのか、という話になって館の間取り図が出てきた。

あれっ。

ないっ……!

風呂がどこにもない……!

どういうことだ。
21世紀にもなって風呂なしの家なのか。
年老いた大富豪が晩年を過ごすために建てた館なのに。
まさか銭湯まで通ってるのか、大富豪。
人里離れた館なのに、歩いていける距離に銭湯があるのか。
だとしたら、犯人はこの中にいるとはいえないんじゃないか。風呂屋のおやじも容疑者のひとりなんじゃないか。

大富豪は大の風呂嫌いで、見るのもいやだから館に風呂をつけさせなかったのだろうか。
そうにちがいない。
そんな館に人を招くなよと言いたくなるが。


待てよ……。
間取り図をよく見ると、ないのは風呂だけじゃない!
トイレもないっ……!

そんなはずはない。風呂はともかく、トイレのない館なんてありえない。

図面には書いてない2階があるのだろうか。トイレは2階にだけあるのか。
しかし年老いた大富豪だぞ。
歳をとるとおしっこは近くなるし、そのたびに階段を昇り降りするのはたいへんだ。

そうか。
離れがあるのか。
たしかに、古い日本の家だとそういう造りになっていることもある。便所が離れにあって、庭に出ないと行けないようになっている造りの家。
館というからてっきり洋館かと思っていたが、まさか古い日本家屋だったとは。
謎はすべて解けた!

いやいやいや。
そうなるとまたべつの疑問が。
昨夜は、この館に人の出入りはなかったはずだ。そのことはお手伝いさんが証言している。セキュリティシステムがはたらいているので誰かが出入りしたらわかるはずだと(だから風呂屋のおやじは犯人ではない)。
そして、朝早くに大富豪の死体が発見され、居間に全員集められた。

と、いうことは。

ここにいる全員、昨夜から朝にかけて誰もトイレに行っていないということになる。
全員に「トイレには行けなかった」というアリバイがあるのだ。
どうなってるんだ。平気なのか。
昨夜はごちそうがふるまわれていたぞ。ワインで乾杯もしていた。一晩トイレに行けなかったら、相当尿意もたまっているんじゃないか。風呂がないから風呂場で用を足すわけにもいかないし。

みんな我慢しているのか。
殺人犯におびえている女も、冗談じゃないと怒っているおじさんも、冷静に推理をしている探偵も、そしてばれないだろうかとひやひやしているであろう真犯人も、みんなおしっこを我慢しているというのか。

しかしそうは見えない。
みんな、いたって落ち着いている。
ひとりずつ昨夜の行動を確認している場合じゃないだろう。「おれは部屋に戻る!」とか言う前に、まずはトイレだろう。
なぜ誰も「ちょっとトイレ」の一言を言わないんだ?

まさか、この館の人間は、誰もおしっこを我慢していないのか……?

ということは、なんらかの方法で既に排尿を済ませたことになる。
彼らはいったいどんなトリックを使っておしっこをしたのか……。
謎は深まるばかりだ。

2015年9月12日土曜日

【エッセイ】弁当道


 合気道や茶道が究めるべき道であるように、お弁当もまた人がその人生を賭けて探求する「道」である。

 お弁当作りは単なる家事ではない。
 己自身と真摯に向き合い、胸に去来する種々の感情を食材とともに「これっくらいの、おべんとばこ」に詰めたもの、それがお弁当だ。
 まさしく「弁当道」と呼ぶにふさわしい。

 手作りのお弁当には作り手の人間性が表れる。
 だから、もし妻に
「あなたの作るお弁当は泥みたいで汚い」
と云われた夫がいるとしたら、その男はまちがいなく泥のように汚い性根の人間だ。

 そう、ぼくのことである。

 我が家は共働きなので、ぼくもたまには弁当をつくる。
 飽きないようにメニューを変えているし、それなりに栄養のことを考えて作っているつもりだ。
 だが妻に云わせると
「泥みたい」
なのだそうだ。
「弁当箱の蓋をあけるたびに、スコールが降った後の砂利道かと見まちがえる」
のだという。
「こんな悪路、ジープでも走れないわ」
なのだそうだ。

 ここまで云われては、一家の副あるじであり、サブ大黒柱であるぼくとしては黙っていられない。

「ごめんなさい。気をつけます」
 妻に逆らって得をすることなどひとつもない。

 たしかにぼくの作るお弁当は、彩りが悪い。
 味付けはたいてい醤油、気分を変えて味噌、中華風にしたければオイスターソースを使う。
 いずれにせよ茶色くなる。
 プチトマトやパセリを入れれば色鮮やかになるだろう。
 だけどぼくには井脇ノブ子級に美的センスがないので、彩りなんぞは食材を選ぶ決め手にはならない。

 ぼくがスーパーで買い物をするときは、
[(可食部分の重量)+(おいしさ)×0.25+(栄養素)×0.5]÷(価格)
で表される式の値を求め、この値が最大となるように食材を選んでいる。
 要は、安くて腹に溜まる食材が優先され、色合いについてはまったく考慮に入らないということだ。
 その結果、ジャガイモだとかソーセージだとか古くなって30%引きのバナナだとかの茶色い食材ばかりを手に取ってしまい、パセリやパプリカやフルーツなんぞの彩り豊か系は見向きもされないということになる。

 茶色い食材を使い、茶色い調味料で味付けをするわけだから、完成した弁当が何色になるかは火を見るよりも明らかだ。
 かくして、お昼時に弁当箱の蓋を開けたら一面の泥色が広がっていることになる。

 泥っぽいのは色合いだけではない。
 弁当の水分含有量という観点から見ても、ぼくのつくる弁当は「泥」だ。
 調理したものをそのままフライパンからどばっと弁当箱に詰めてしまうせいだろう。たいてい箱の中がびちゃびちゃになっている。
 いや、中だけで済んでいればまだいいほうだ。運搬方法が悪かったときは弁当箱から煮汁が染み出して、弁当包みはおろか鞄内に同居していた書類までが泥、じゃなかった、汁まみれになってしまう。

 これはひょっとしたらお弁当箱の構造が悪いのではないかと思ったぼくは東急ハンズに向かった。
 難しいことはよくわからないけど最近はタブレットとかWi-Fiとかのすごいシステムがあるらしい。ITの力でお弁当の汁漏れもなんとかなるかもしれない。

 ハンズには多種多様なお弁当箱があった。
 さすがはハンズ。
 軽いやつとか保温性にすぐれたやつとか、重箱みたいなやつまである。
 だが「汁漏れしにくい!」をうたった商品は見あたらない。
 ぼくはハンズの店員さんをつかまえて訊いてみた。
「この中でいちばん水はけの悪いお弁当箱はどれですか」
 「えっ。水はけ、ですか……?」
「いやね、いつもお弁当箱の中がびっちょんびっちょんになるんで……」
 「あー。でしたら、お弁当仕切りを使われてはいかがでしょう」
 そう云って店員が薦めてくれたのは、プラスチック製の小さなカップだった。
 なるほど。
 こいつを使えば、汁を切らずに適当に詰め込んだとしても、他のおかずに浸水被害が及ぶことは少なそうだ。
 おまけにそのお弁当仕切りたちはオレンジやグリーンなど、実に鮮やかな色をしている。
 色合いの面でもお弁当が泥化するのを食い止めてくれそうだ。
 ぼくは直ちにお弁当仕切りを購入した。
 これで少しは妻の不機嫌も解消されるだろう。

 しかし。
 よく考えてみると、カラフルなお弁当仕切りを買ったからといって、おかずの色が汚いとか、煮汁がお弁当箱からあふれだすとかいう根本的な問題はまるで解決されていないのだ。
 障壁の本質を見ようとせず、その場しのぎの安易な逃げ道に走る。
 まったくもってぼくの生き方そのものではないか。
 泥のように汚い生き方だ。

 やはりお弁当作りは、作る人の人間性がはっきりと表れる「弁当道」なのだ。

2015年9月11日金曜日

【考察】もしもあなたがスリならば

たしか20年ほど前は、電車内で
「スリの被害が発生しております。ご注意ください」
というアナウンスが流れていた。

最近は耳にしない。
まさかスリが根絶されたのだろうか、いやいやまさかそんなことはあるまいと思って調べてみたら、意外なことがわかった。

「スリにご注意ください」
とアナウンスされると、乗客は、自分は大丈夫かなと心配になる。
で、ポケットやかばんに手をあて、財布が盗られていないことを確認する。

この行為が、スリに財布の場所を教えるようなものなのだ。
スリ被害を防ぐためのアナウンスが、逆にスリの手助けすることになっていた。
というわけで、各鉄道会社はスリに注意のアナウンスをしなくなったんだってさ。