2015年7月3日金曜日

キングオブ飲み物

お茶を飲み飽きて、でものどがかわいたから何か飲みたいなと思った。

コーヒーはおなかこわすし、炭酸は嫌いだし、甘い飲み物は口の中がべたべたするし、高い飲み物は買いたくないし、なんかちょうどいい飲み物ってないもんだなー。

って思ってたら。

そうか、水か!
こういうときのために水ってあったのか!
水いいよ、まじおすすめ。
知らなかったみんなも使ってみて! 水!

2015年7月2日木曜日

続・わがまま靴下

こないだ「もう三十年も生きているのに、まだ靴下がうまくはけない。三十年もあれば普通の人ならトランペットだってうまく吹けるようになるはずなのに」と書いた。→ これ

するとたまたま次の日に、「トランペットを吹ける」という人と出会った。しかもぼくと同い年である。
思わず彼の足元に目がいってしまう。
靴をはいているのではっきりとはわからないが、きちんと靴下をはいているようだ。

彼に質問してみた。
「あのう。つかぬことをおうかがいしますが、トランペットを演奏するときって靴下はどうしてるんですか」
 「えっ。どういうこと?」
「靴下をはいて演奏するんですよね」
 「え、ええ」
「演奏中に靴下がずれてきたりしませんか。かかとの位置がずれたり」
 「さあ。そんなこと気にしたことないですけど。でも気にならないってことはずれてないんでしょうね」
彼は怪訝そうな顔を浮かべながら、ぼくの唐突な質問に丁寧に答えてくれた。

すごい。
トランペットを吹ける上に、靴下もはきこなせるなんて。F難度の技をふたつも同時に!
ぼくが一輪車に乗ろうと悪戦苦闘している間に、彼は一輪車に乗りながらジャグリングをやってのけている。
ぼくと同じ年月しか生きていないのに、彼はもう靴下ステージの次のトランペットステージをもクリアしているのだ。

さらに驚愕することに彼は、靴下を上手にはきながらトランペットを吹けることをひけらかすことなく、
「そんなこと気にしたことない」などと謙遜してみせるのだ。
内心で誇りに思っていないはずはないのに。
なんて大人な対応なんだろう。
ぼくだったらひけらかす。ひけらかしたおす。
「楽器やってるんですね」と云ってもらいたいがために、意味もなくトランペットケースを持ち歩く。
いや、もうケースなんかに入れずに、これみよがしにトランペットを裸で持ち歩く。

はっ。
もしかして。
こういうところか。
こういうところが原因なのか。
この「ケースで覆い隠すもんか!」という気持ちが、靴下というケースで足を隠すことを拒絶し、無意識に靴下をちゃんとはくことを拒んでいるのか。

そうだったのか。
靴下をうまくはけない原因は深層心理にあったのか。
ということはつまり、トランペットをさりげなく持ち歩けるようになれば、靴下も上手にはけるようになるということになる。論理的に考えてそうなる。

靴下の次のステージがトランペットだと思っていたのに、トランペットのほうが先だったなんて!
だから靴下をちゃんとはける人たちよ、ぼくにおしえてくれ。
トランペットの吹き方を。

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わがままなあたしに似合う靴下を


2015年7月1日水曜日

わがままなあたしに似合う靴下を

靴下がうまくはけない。

靴下ってそんなに難解なものじゃないはずだ。
もう三十年近くはきつづけているのに、いまだに下手だ。
三十年っていったら、トランペットだって相当うまく吹けるようになるぐらいの歳月だ。

なのに。
歩いているうちに靴下のかかとの位置がずれる。ひどいときには、かかとが収まるべき部分が甲の上にきていたりする。

周囲の人を見渡してみると、靴下がうまくはけなくて悩んでいる顔をした人なんかひとりもいない。
みんな「靴下なんてヨユーっしょ?」みたいな顔をして歩いている。
足の通し方が悪いのか、足の形が悪いのか、靴が悪いのか、靴下が悪いのか、歩き方が悪いのか、あるいは地球の自転的なものが関係しているのか。

ちっとも靴下が上達しない。おまけにトランペットも。

もしぼくがプロ野球の四番打者だったら、一球ごとにタイムをかけてソックスの位置を修正しなければバッティングに集中できない。
これが、ぼくがプロ野球の四番打者にならなかった理由のひとつだ(この他にも99ほどの理由があるがこここでは省略する)。

いろんな靴下をはいてきたが、これなら大丈夫と思うものには出逢えない。
考えてみれば不思議である。
この三十年間で携帯電話はものすごく進化した。
なのに、靴下に関しては昭和時代からまったく変わっていない。
現代科学の粋を結集すれば、かかとの位置を感知して自動でずれを修正するスマートソックスなどすぐに作れそうなものなのに。

ぼくのわがままボディーにぴったり合う靴下の開発が待たれる。

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続・わがまま靴下


2015年6月30日火曜日

ゴキブリ国会答弁

マンションのドアを開けると、隣家の前の廊下にゴキブリがいた。

もし自分の家にゴキブリが入ってきたなら、迷わず叩き殺す。
家賃を払ってこの家に住んでいるぼくには、許可なく侵入してきた族(ゴキブリ)を殺す正当な権利があると思う。

しかし、ここはマンションの共有部分だ。我が家ではない。
かといって、完全な公共地ともいえない。マンションの廊下は住人みんなのものであり、ぼくも住人の一員であるからだ。

いってみれば、領海でも公海でもない、排他的経済水域のような微妙なスペースだ。
はたしてここを通行するゴキブリを殺す権利が、ぼくにはあるのだろうか。

ゴキブリは、我が家に背を向けて歩いている。
このまま放っておけば、我が家に入ってくる可能性は低いだろう。
だが、他の部屋に侵入する可能性は十分にある。

他の部屋の住人を守るために、ゴキブリに対して先制攻撃をくわえることは人道的に許されるのだろうか。
集団的自衛権の行使を容認するかどうかのこの問題、いったいどうお考えなんですか!?

はっきりと答えてください!
総理!

2015年6月29日月曜日

お茶をちょっとだけ残す

 会社で、既婚女性ふたりが話している。
「うちの旦那ね、コップにお茶をちょっとだけ残すの。あとちょっとなんだから飲みきってよ、って思うのに、なぜか1センチぐらい残すのよね」
「あーうちもー! 片付けられなくてイライラするわよねー」
「なんなのかしらあれ。男の人の習性なのかな。ちょっとだけ残すのって。嫌よねー」

 そばで聴いていてドキドキする。
 ごめんなさい、ぼくもです。
 いっつもお茶を飲みきらずにほんのちょっとだけ残してます。
 そうだったのか。ぼくだけじゃなかったのか。他の男性たちもだったのか。
 そして世の女性たちはイラついていたのか。
 ということはうちの妻も……!

 どうしよう。
 とりあえず、いま隣りにいる既婚女性ふたりに謝っといたほうがいいだろうか。
「お茶をちょっとだけ残してごめんなさい、世の夫たちを代表して謝ります」
と。
 突然ぼくが土下座をしたら彼女たちはびっくりするだろうか。

 いやいや。
 考えてみたらそこまで悪いことじゃないだろう。少なくとも土下座をするほどのことではないはずだ。
 お茶をちょっとだけ残して何が悪いんだ。
 大地震が起きてこの部屋に閉じ込められることになったとき、この1センチのお茶が命を救うことになるかもしれないじゃないか。
 そうだ、むしろちょっと残すほうが正しいんじゃないだろうか。
 おもいきって彼女たちに反論してみようか。
「きみたちだって財布のお金は最後の一円まで使い切らないだろう? 全部使い切るまでに補充するよね。ほらね、そういうことなんだよ」
 突然ぼくが弁論をふるったら彼女たちはびっくりするだろうか。
 怒りだして裁判になったらどうしよう。
 ぼくには「コップも財布も一緒でしょ理論」で彼女たちと裁判長を納得させられる自信がない。
 黙っていたほうが賢明だ。
 そこへKさんが話にくわわってきた。

「まだいいわよ。うちなんかもっとひどいよ。
 うちの旦那、やかんのお茶を全部飲んじゃうの。
 あたしが飲みたいときにはやかんがからっぽなわけ。
 だから云ったのよ、
『最後の一杯を飲んだ人は、次に飲む人のためにお茶を沸かすことにしましょう』って。
 そしたら彼、『わかった』って」
 「よかったじゃない」
「よくないわよ! それからどうなったと思う!?
 彼ったら、やかんにほんのちょっとだけお茶を残すのよ!
 お茶を沸かしたくないもんだから、そのちょっとは絶対に自分では飲まないの!」
 「えー! ひどーい!」

 なんて人だ。
 ぼくも「それはひどいですね」と全女性の味方みたいな顔をしてKさんに同情の言葉をかけた。
 内心「なるほどその手があったか」と思ったことはもちろん秘密だ。