2017年12月17日日曜日

人工知能を大統領に


こんな記事を読んだ(『ニューズウィーク日本版 2017/12/19号』)。
 ロシアのプーチン大統領は12月6日、来年の大統領選への立候補を表明した。一方で、何万人もの国民が新たな未来派候補を支持している。人工知能(AI)搭載音声アシスタント「アリサ」だ。
 選挙運動サイトでは、アリサは感情より論理に忠実で、老化や疲れを知らないなど6つの点で人間に勝ると喧伝。現時点で4万2000人以上が賛同の署名をしている(正式な立候補には30万人の署名が必要)。
なんともすてきな話だ。
大統領なんて人工知能のほうがよっぽどうまくできると思っている人が少なくないのだろう。



今の人工知能にどこまで的確な判断を下せるかどうかはわからないが、某国の大統領や某国の総理大臣や某国の総書記なんかを見ていると、国のトップなんて「的確な判断なんか下さなくていい。いらんことさえしなければいい」ぐらいでいいのかもしれない。官僚が優秀なら誰がなっても大丈夫だろう。

2010年のサッカーワールドカップで勝敗を予想するタコが有名になったが、もしかしたら国のトップなんてタコでも務まるのかもしれない。法案を決める際はA案とB案の容器を並べてタコがどっちに入るか、で決めたほうが案外うまくいったりして。反対派の人もあきらめがつくしね。タコが決めたならしょうがないか、って。

まあ政治家の仕事って意思決定だけじゃないから、タコに政治家は務まらないだろう。タコに外交はできないからね。
でも人工知能なら外交もうまくやるかもしれない。あと十年したらわからない。2027年にはアメリカを代表する人工知能と日本を代表する人工知能がバーチャルゴルフをしているかもしれない。


政治は難しくても、サッカーの監督なんかはもうAIでも務まるんじゃないだろうか。
ビッグデータと試行錯誤をもとに判断すれば、あっという間に人間の監督よりいい成績を収められると思うんだよね。
どっかのチームでやってくれないかな。


2017年12月15日金曜日

キャバクラこわい



キャバクラがこわい。

って書くと「まんじゅうこわい」的なやつでほんとは好きなんでしょと思われるかもしれないけど、そういうんじゃなくてほんとにこわい。

キャバクラが嫌いな男性ってけっこういると思うんだけど、でもなぜかキャバクラ好きの人って「キャバクラが嫌いな男なんていない!」って思ってる。「連れてってやる!」と言われたことも一度や二度ではない。いやいや。なんで上からなんだよ。

とはいえ三回ほど行ったことがある。一度は「まあ食わず嫌いはよくないだろう」ということで、あとの二回は断りきれなくて。もちろん三回ともつまらなかった。
元来が人見知りだから、はじめて会った人と隣に座って長時間話さないといけないなんて苦痛以外のなにものでもない。年齢も職業も趣味嗜好も違うから共通の話題もないし。いや共通の話題とか探すからだめなのか。自分の好きなことを好きなだけしゃべっていい場なんだよな、キャバクラって。そのためにお金払ってるんだし(身銭を切って行ったことはないけど)。そうはいっても初対面の人に「会社にいるTってやつがほんとに嫌いでさあ……」なんて言ってもしょうがないしな、と思ってついつい「出身地はどこですか?」なんて話題の切りだし方をしてしまう。我ながらつまんねえなあと思い、ますますキャバクラという場が嫌になる。おお、怖い。

キャバクラには逃げ場がない。
パーティーなんかだと、親しく話せる人がぜんぜんいなくても「黙々と食事をする」という手がある。ぼくはカラオケが大の苦手だけど、どうしても断れなくてカラオケに行ったときは「ひたすら曲を探すふりをする」という手を使う。
キャバクラにはそういう逃げ道がない。「しゃべる」しかないのだ。

以前勤めていた会社で社長にキャバクラに連れていかれたとき、やはりキャバクラを苦手としている男がいた。ああ助かったと思い、彼の隣に移動し、男同士で話しはじめた。さして親しいわけでもなかったが、まったく知らない人と話すよりはまだ話題もある。
ところがキャバクラ嬢がぼくらの話に割りこんでくるのだ。男二人につきキャバクラ嬢が一人つく店だったので、自分も仲間に入ってこようとする。なんだこいつと思いながら一応話につきあったが、ぼくらがしていた「最近読んだミステリの本」の話題にはまったくついていけず、とんちんかんな相槌しか返ってこない。知らないんなら黙ってろよと思ったが、話をするのがキャバクラ嬢の仕事なので仕方ないのだろう。
知らない女に会話のじゃまをされるぼくらも不幸なら、まったく興味のない話に入っていかざるをえずおまけにあからさまに迷惑そうな顔をされるキャバクラ嬢も不幸。ぜんぜん楽しんでないぼくらのために金を払う社長も不幸。
なんだこれ。誰も得をしていないじゃないか。

あとキャバクラ嬢は、酒を勝手に注いでくる。これも嫌だ。自分が払うわけじゃないけど、嫌だ。
なぜならぼくは食事に関する脳の回路がぶっこわれているから、目の前に食べ物や飲み物があると口にせずにはいられない。腹いっぱいになっていても目の前に食べ物があれば口に運んでしまう。後で吐くぐらい食べる。
だから「そろそろ腹いっぱい/酔ってきたな」と思ったら食べ物や酒を自分の前に置かないようにするのだが、結婚式場とキャバクラではグラスが空くと勝手に注ぐやつがいる。
なんだそのシステム。わんこそばか。
今どき落語家のお弟子さんでもそこまでしないぞ。最近の落語家弟子事情は知らんけど。
自分の酒は自分のタイミングで飲ませろよ。入れられたら飲んじゃうだろ。話が途切れがちになるから、余計に酒が進む。

というわけで三回キャバクラに行ったときは三回ともべろべろになって、正直何を話したかよく覚えていない。
だから、もしかしたら後半は酔っぱらってめちゃくちゃ楽しくなって「いえーい! キャバクラさいこー!!」と叫んでいた可能性も、ないではない。


2017年12月14日木曜日

子育てでうれしかったこと


子育てに関して、最近うれしかったこと。

1.
保育園での面談のとき。

先生「〇〇ちゃん(娘)は恐竜が好きですよねー」

ぼく「そうなんですよ。百均で恐竜のおもちゃを買ったら思いのほか興味を持ったので、図鑑を買って一緒に読んだり、博物館に連れていったりしてたら、ぼくよりずっと詳しくなっちゃいましたね」

先生「そうやって子どもが何かに興味を示したときに次々に興味を満たす環境を用意してあげるのってすごくいいことですよ。すばらしいですね」

ぼく「ありがとうございます」

という話をした。
家に帰ってこのやりとりを思いかえしたら、うれしさがこみあげてきた。
そんなに大したこと言われてないのになんでこんなにうれしいんだろうと思ったら「そうか、褒められたからか」と気づいた。

子育てをしていると、いろんな人から褒め言葉を言ってもらえる。「おたくの〇〇ちゃんはもう××ができるなんてすごいですねー」とか「〇〇ちゃんはかしこいですよねー」とか。
もちろん、親としてはうれしい。
でも、子どもが褒められる機会は多くても、親が褒められることは意外と少ない。というよりほとんどない。公園で子どもと遊んでいると「いいパパですね」はときどき言ってもらえるが、やっていることといえば単に一緒になって遊んでいるだけなのでいまいち褒められ甲斐がない。

その点、「子どもが何かに興味を示したときに次々に興味を満たす環境を用意してあげるのってすごくいいことですよ。すばらしいですね」はうれしかった。
子育てには正解がないからこそ、育児のプロである保育士さんから「それはいいことですね」とお墨付きをもらったことは、すごく自信になった。

ビジネスの世界でも、出世をすると褒められる機会が少なくなるから偉い人を褒めるとすごく喜ばれる、という話を聞く。
親もあんまり褒められない。でも親だって褒めてほしい。

ぼくも、よその子どもだけでなく、その親もどんどん褒めていこうと思う。


2.
保育園に娘を送っていったときのこと。
他の子がぼくに「あっ、おじいちゃんだー」と言ってきた。
ぼくは「おじいちゃんちゃうわ! おっちゃんじゃ! 君こそおばあちゃんやろ!」と言いかえす。
その子はおもしろがって「おじいちゃん! おじいちゃん!」と言う。いつものやりとりだ。

ただ、その日は周りの子も一緒になって、ぼくに向かって「おじいちゃんだ!」と言いだした。
あっという間に十人ぐらいによる「おじいちゃん! おじいちゃん!」コールがはじまった。
これにつきあっていると仕事に遅れるので「おじいちゃんちゃうわー!」と言い残して保育園を出ていったのだが、去り際にぼくの娘が「うちのおとうちゃん、おもろいやろ」と自慢げに言う声が聞こえた。

背中で聞いたその言葉がすごくうれしかった。娘が父親を誇りに思ってくれたことが。

やったことといえば、四歳児たちにからかわれただけなんだけど。

2017年12月13日水曜日

みんなあくびが教えてくれた


 小学生のとき、担任の先生の説教中にあくびをしたら怒られた。
「怒られてるのにあくびをするんじゃない!」と。

 本を読んで知識だけはある嫌なガキだったので「あくびをするのは脳内に酸素をとりこんで活性化させるためで、集中しようとする意欲の表れですよ」という意味のことを言った。もっと怒られた。
 おかげで、怒られてるときに正論で返さないほうがいいということを学んだ。

「あくびをするのはたるんでる証拠」みたいな風潮には今でも与することができない。むしろ「あくびをするなんて、眠いのに俺の話を聴こうとしているんだな。感心感心」と褒めてほしいぐらいだ。


 前にいた会社では、毎朝十五分も朝礼をやっていて、まったく異なる部署の人たちのまったく自分に関係のない報告を延々と聞かされていた(そんな朝礼の最後に「効率的に行動せよ」みたいなことを言われるのがたまらなくおもしろかった。サイコー!)。
 どうでもいい話を聞かされるわけだから当然眠たくなる。しかし人が話しているときにあくびをするのは印象が悪い、ということを大人になったぼくは知っている。だからといって眠るのはもっとよくないことも。
 仕方なく、持っていた手帳に落書きをすることで時間をつぶしていた。"ごんべん"の漢字を思いつくかぎり書くとか、「〇ー〇ン」という条件を満たす単語(カーテン、ローソン、ピータンなど)を思いつくかぎり書くとか、手帳の後ろに載っている東京近郊の鉄道路線図を見てどこからどこへ行くのがいちばん乗換回数が多くなるか考えてみるとか、そんなことばかりやっていた。

 親しい同僚からは「おまえぜんぜん話を聴いてないな」と言われていた。あたりまえだ。
 ところがさほど親しくない同僚や上司からは「犬犬くんは熱心にメモをとってますね」と褒められることがあった。ばかか。他人の「今月目標〇件、達成〇件、見込〇件!」をメモするわけないだろ。でもぼくが神妙な顔をしながら遊ぶのがあまりに上手なので、まんまと騙されていたらしい。


 あのときあくびを叱ってくれた先生、見ていますか。
 おかげでぼくはこんなに立派なこずるい大人に育ちましたよ。


2017年12月12日火曜日

走れ読書人


"遅刻"に対して恐怖といっていいほどの感情を持っている。前世では大事な式典に遅刻して将軍様に粛清されたのかもしれない。

学生時代は授業がはじまる一時間以上前に学校に行っていた。野外観察同好会なのに運動部の朝練よりも早かった。
今でもはじめての場所に行くときはかなり早めに出発する。方向音痴なので三度目くらいの場所でもだいぶ早めにでかける。迷うことも勘定に入れてスケジュールを組む。最近はスマホのおかげで迷うことはほとんどなくなったが、それでも早めに出発する習慣は変わらない。
だからだいたい約束の二十分前ぐらいに目的地に到着する。二十分前というのは半端な時間で、トイレに行ったりして時間をつぶすには長すぎるし喫茶店を探してコーヒーを飲むには短すぎる。だいたい路上で本を読んで時間をつぶす。路上で本を読んでいる人を見たらぼくだと思ってもらってまずまちがいない。


路上で本を読むとおどろくほど集中できる。自宅で読むよりよっぽど没頭できる。路上には人や車や音が多いが、情報が多すぎるとかえってひとつのことに集中できるのかもしれない。
おかげでこないだあやうく遅刻しそうになった。本を読んでいるうちに気がついたら時間ぎりぎりになっていたのだ。
あわてて待ち合わせ場所まで走った。間一髪、すべりこみセーフ。しかし肩で息をしているぼくを見て、待ち合わせの相手は「こいつ遅刻しかけたな」と思ったにちがいない。
ちがうんです、ぼくは二十分前に来ていたんです。
路上で本を読んでいたと思ったらいきなり走りだした人がいたら、まずぼくだと思ってもらってまちがいない。