2023年12月27日水曜日

M-1グランプリ2023の感想

 M-1グランプリ2023の感想です。小学生の娘といっしょに敗者復活戦~決勝までほぼ通しで鑑賞。敗者復活の途中じゃなくて終わった後にニュースをはさんでほしいな。




敗者復活戦

 好きだったのは、Aブロックはロングコートダディの「真逆」。
 大喜利力の強さと構成の巧みさを見事に両立させていて、これは決勝で披露していたとしても相当いい順位だったとおもう。ボケを詰めているが、すべて説明しないところがロングコートダディらしくておしゃれ。オチの「もうええわ」をなかなか言わないとこまで隙のない構成。

 Bブロックはエバース「ケンタウロス」。ケンタウロスって、お笑いの世界ではまあまあ手垢にまみれた題材だとおもうんだけど、通りいっぺんのなぞりかたで終わらせず、とことんまで掘り下げたからこその斬新な切り口で魅せてくれた。まったく予期しないところからボケが飛んでくる。特に「上座」はすばらしい!

 Cブロックはシシガシラ「カラオケ」。実はハゲをいじっているのは一回だけなのに、後は表情とお客さんの想像力にゆだねてなぜかずっとハゲいじりをしている気にさせる。観客を共犯者にする計算高さ!

 あえて一組選ぶならロングコートダディだけど、シシガシラもすごいことをやっていたので納得の結果。

 倫理観むちゃくちゃなニッポンの社長「女」、奇抜な設定なのになぜかドラマ性のあった20世紀「怪人居酒屋」、中盤以降ほとんど擬音語しか言っていないトム・ブラウン「スナック」も笑った。

 審査の順当さもあいまって今年の敗者復活戦は過去最高クラスだった。マヂカルラブリー野田さんも言ってたけど、ほんと去年までの審査はなんだったんだ。

 これまでこのブログでもさんざん敗者復活のシステムについて悪態をついていたので、制度変更してくれてよかった。去年までの人気投票システムだったらシシガシラは勝てなかっただろうなあ。

 人気投票だったから、人気では勝てないことがわかっているコンビはハナから勝負を捨ててたもんな(それはそれでオールザッツみたいでおもしろかったけど)。制度変更したことで今年はほとんどのコンビがちゃんとネタで勝ちに来ていて、見ごたえのある敗者復活戦だった。決勝戦よりもおもしろかったかも。




 ここから決勝ネタの感想。


令和ロマン(転校生)

 漫画でよくある(とされる)、投稿中に角でぶつかった男が実は転校生だったという展開はほんとに起こりうるのか……。というあるあるにツッコミを入れる導入。

 前半は共感性の高いツッコミを入れながらお客さんをノせていくのだか、それっぽい答えを提示しておいてから「これはおもしろくない」と自分たちが築いた世界をぶっ壊してしまう剛腕っぷり。下手するとここで客が冷めてしまいかねないのだが、ちゃんと観ている人の心をつかんだまま後半の「そんなわけないゾーン」へと連れていったのが見事。

 空気の作り方、お客さんの巻き込み方がとにかくうまい。「日体大の集団行動」なんて本来そこまで伝わるボケじゃないとおもうんだけど、空気をつかんでいるから無理やり受け入れさせてしまう。

 テレビで観る漫才と生で観る漫才は違う。師匠と呼ばれるようなベテラン漫才師ってテレビではそこまで笑えなくても、生で観るとめちゃくちゃおもしろいんだよね。あっという間に会場を自分たちの空気にしてしまう。以前、大木こだま・ひびきの漫才を生で観る機会があったんだけど、あっという間に場を支配して観客を惹きつけてしまった。

 令和ロマンは若いのにこの「なんかいい空気」を作り出すのがめちゃくちゃうまい。たぶん生で観たらもっといいんだろうなあ。令和ロマンなら、たぶん他の漫才師のネタをカバーしてもちゃんとおもしろくできるとおもう。


シシガシラ(合コン)

「看護婦さん」「スチュワーデスさん」と古い職業名で呼んでしまい、相方から時代にあってないとたしなめられる。だが看護婦やスチュワーデスはダメなのにハゲはいいのかと疑問を持つ……。

 去年か一昨年のM-1予選動画で観たことのあったネタ。そのときはウケていたしぼくも大笑いしたのだが、今回はどうもウケず。

 これは場の違いかなあ。劇場だとハゲいじりがぜんぜん許されるから「ハゲはいいのー!?」が活きるけど、テレビだと最初のハゲいじりの時点で「それ良くないんじゃない?」の空気になってしまう。最初のハゲいじりがウケて客との共犯関係が築けないと、後半が厳しいね。

 願わくば敗者復活戦でやったカラオケのネタを決勝でも観たかったけど、あれも準決勝のお客さんは漫才を見慣れているからすぐにその構造を呑みこんでくれたけど、決勝だとどうだったろうなあ。でもキャラクターが浸透すれば、マヂカルラブリーのようにM-1決勝の舞台で受け入れられる日が来るかもしれない。

 敗者復活戦を観ていない人は「なんでここが勝ちあがったんだ?」とおもうかもしれないけど、敗者復活戦では場の空気にばちっとハマっていてめちゃくちゃおもしろかったんだよ。


さや香(ホームステイ)

 ブラジルからの留学生をホームステイ先として受け入れることになったのだが、日が近づくうちになんとなく気後れしてきたのでこっそり引っ越そうとおもうと打ち明ける……。

「なんも言わんと引っ越そうとおもってる」という導入はよかったのだが、その後の論理がかなり甘く感じた。「むちゃくちゃ言ってる」ではなく「甘い」。

 たとえばコンビニバイトの例え。「バイト初日に行ったら店がなくなってるようなもんや!」と言っていたが、実際のところ、バイト初日に店がなくなっていることなんて「ホームステイに行ったらホストファミリーの家がない」に比べたらぜんぜん大したことない。「おまえがやってるのはこんなにひどいことなんだぞ!」と言いたいのに、例えのほうが弱かったらだめだろ。

 また「留学生が五十代だった」はそこまでの意外性がないし、五十代だったら逃げたくなるという論調にもまったく共感できない。片方がむちゃくちゃ言ってもう一方がたしなめるなら笑えるが、ふたりそろって留学生を見捨てて逃げようとするのは救いがなくて笑えない。だってエンゾは何も悪いことしてないもの。

 むちゃくちゃな主張を強引な論理で押し通す作りはかつてかまいたちがM-1で披露した「タイムマシン」や「となりのトトロ」のネタに通じる部分もあるが、かまいたちは無茶を貫き通すためにそれ以外の部分は強靭な論理でがっちり固めていた。主張も無茶、それを補強するはずの論理も穴だらけ、ふたりとも道徳観が欠如、ではね……。その話には乗れませんぜ。


カベポスター(おまじない)

 小学校のときにおまじないが叶ったという話。だがよくよく聞いてみると、校長と音楽教師の不倫をネタにゆすっているだけで……。

 あいかわらずストーリー運びが見事。ハートフルな展開だった昨年の「大声大会」のネタよりも、底意地の悪さを感じられ、後半サスペンス展開になるこちらのネタのほうがM-1向きかもね。「ずっゼリ」のようなパンチラインもちゃんと用意しているし。脚本のうまさでいえば「大声大会」のほうが上だけど。

 カベポスターはコントに力入れてもいいんじゃないかな、となんとなくおもった。


マユリカ(倦怠期)

 倦怠期の夫婦をやってみるという設定。

 ボケもツッコミもおもしろいんだけど、ずいぶん冗長に感じた。フリが長すぎるというか。フリ→フリ→ボケ、ぐらいのテンポを期待して見ているのに、フリ→フリ→フリ→ボケ、みたいな。あれ? まだボケないの?

 昨年の敗者復活でやっていたドライブデートのネタとかのほうが濃度が高く感じたけどな。

 しかしここは漫才よりもその後のキモダチトークが盛り上がってたから、ある意味いちばん得をしたコンビかもしれない。バラエティとかに呼ばれそう。


ヤーレンズ(大家さんに挨拶)

 引越しの挨拶を大家さんにしにいくというコント形式の漫才。

 おもしろいし、特にツッコミのうまさが光る。おもしろいんだけど、どうしても2008~2009年頃のM-1がよぎってしまう。ノンスタイルやパンクブーブーが優勝してた頃の手数重視時代。そして、パンクブーブーに比べると、ちょっとボケの精度が粗く感じる。パンチの数は多いけどちょいちょい外してる。それだったら打たないほうがいいのでは、というパンチがいくつか。

 うちの子はいちばん笑ってた。


真空ジェシカ(Z画館)

 えいがかんより安いB画館があるという話から、まずはZ画館に行ってみたらいいという流れになり……。

 いやあ、よかったね。手数が多い上に、一発一発のパンチが重たい。おまけにボケが後の展開につながっていてコンボが決まっている。Z画館→Z務しょ→刑務所→税務署の流れとか、エンジン式のスマホ→電話の声が聞こえない→検索エンジンとか。ボケの数は多いけど脈略のない羅列ではなく、映画泥棒の勝利とか、ラジオネームのような映画監督名とか、どれも映画というメインテーマにつながっている。ただえいがかんより安いB画館、というだけでなく、「下っていうとまたアレなんだけど」と謎にリアルな配慮をしてみせることで、一見突飛な世界観を強固なものにしてみせている。

 これはすばらしい! とおもったので、あの結果(最終順位7位)には驚いた。この出来で!?

 ううむ、パンチが重いわりにスピードが速すぎてついていけない人がいたのかなあ。また「Z画館」という設定が突飛すぎたのかなあ。


ダンビラムーチョ(カラオケ)

 口だけでカラオケの伴奏をする、という漫才。

 んー、まったく笑えなかったなあ。そもそも狙いがよくわからなかった。

 歌ネタは盛り上がりやすいけど、ベストなタイミングでツッコめないのが弱点だよね。歌にあわせなくちゃいけないから。溜めて溜めてよほど切れ味の鋭いツッコミがくるのかなとおもっていたら、期待を下回っていた。おいでやすこがのように「わかっていてもツッコミそれ自体で笑わされる」ぐらいのパワーがあればまたちがうんだろうけど。


くらげ(ど忘れ)

 サーティーワンアイスクリームの種類を忘れてしまったので思いだしたいという設定。

 ここ数年、毎年一組ぐらいは「準決勝の審査員はなんでここを決勝に上げたんだろう」とおもう組がいるよね。去年でいうとダイヤモンド。

 いや、おもしろいんだけど。ダイヤモンドもくらげも個人的には好きなんだけど。でも、決勝の舞台で、会場を盛り上げて、プロの審査員に漫才技術を評価されて、点数をつけられるという状況で、ここが勝つ可能性があるとおもったの? ビジュアルに頼っているネタでもあるし。

 たとえば、ダンビラムーチョなんかは、ぼくはぜんぜん好きじゃなかったけど、客層とかタイミングとかがちがえばめちゃくちゃウケることもあるのかもな、とおもえる。でもダイヤモンドが昨年披露した「レトロニム」のネタとか、くらげのこのネタとかは、お客さんを変えて出番順を変えて100回やってもトップ3位以内に入ることはほぼないんじゃないの、とおもっちゃうんだよなあ。おもしろくないわけじゃなくてM-1決勝戦の舞台にあわないというか。盛り上がりようがないネタだから。これが勝つとしたら、相当他がスベりまくったときだけだよ。

 何度も書くけど、個人的にはぜんぜん悪いネタじゃないとおもう。準決勝の審査員が悪い。


モグライダー(空に太陽があるかぎり)

 錦野旦の『空に太陽がある限り』はめんどくさい女にからまれている歌詞だ……という暴論からはじまり、歌いながらめんどくさい女をかわす練習をする。

 構造は一昨年の決勝で披露していた「さそり座の女」と一緒だが、こっちのほうがずっと見やすくなっている。最初の説明が丁寧になっているし、芝さんがお手本を見せるところ親切だ。

 とてもわかりやすくなっている……が、その反面「こいつらは何をやってるんだ」というおかしさが薄れてしまったようにも感じる。むずかしいな。

 アドリブ性の強いネタなのでしかたがないのだが、調子が良くなかったように感じる。たぶんまったく同じネタでももっともっとおもしろくなるときもあるんだろうなあ、という印象。

 そしてこれまた歌ネタの宿命で、「途中のくだりを省略できない」というのもマイナスポイント。もうそこはいいから次のくだりに行ってくれよ、と観ている側はおもうのだが、歌だと飛ばせないからねえ。




令和ロマン(ドラマ)

 ドラマを人力で演じたい、という漫才。

 ダンビラムーチョ、くらげ、モグライダーとボケのテンポが速くない漫才が続いた後だったこともあって、見やすいボケがポンポンと飛び出してくるのは楽しくて見ごたえがあった。たくさん用意していたネタの中から状況に応じたものを選んでいたらしいので、そのあたりも考えていたのかなあ。策士!

 クッキーに未来はない、まだライバルじゃない、トヨタにそんな人はいないなど次々に上質なボケが並ぶ。

 気になったのは、終わり方が唐突に感じたところ。しっかりとドラマの世界に引き込まれたからこそ、ドラマの冒頭部分だけで終わってしまったことに物足りなさを感じてしまった。もっと見たかった!


ヤーレンズ(ラーメン屋)

 変な店主のラーメン屋に行くコント漫才。

 昨年の敗者復活で披露したネタのブラッシュアップ版だが、そのときよりもボケ数が増えた分、ハズレも増えた印象。それでも数を入れながら、メンジャミン・バトン~スープな人生~のような重めのボケを織り交ぜてくる構成は見事。渡されたネギをずっと持っているような細かい描写も光った。唐突に終わってしまった印象のある令和ロマンとは違い、ラーメン屋に入店するところから出ていくところまでを描いているのでこっちのほうがまとまりの良さは感じる。

 余韻や広がりを感じさせた令和ロマンと、一本の作品としてきれいにまとまっていた屋―レンズ。いい勝負だった。


さや香(見せ算)

 加減乗除にプラスして、これからは「見せ算」が大切だと説きはじめる……。

 やりたいことはわかるけど、ぜんぜんおもしろくなかった。攻めたというよりただ奇をてらっただけのように見えてしまって。

 一言でいうなら「さや香にはシュールをやれる器がない」。数年前の敗者復活でやってた「からあげ」のときも同じことをおもったんだけど、シュールネタをやるには嘘くさすぎる。

 なんでかっていったら、さや香はちゃんとやれることをみんな知っているから。過去にM-1決勝に2回も出て、ボケツッコミを入れ替えて、王道しゃべくり漫才で準優勝までして、またチャレンジして、バラエティ番組でもちゃんとトークができることを見せつけて、その間に血のにじむような努力があったことは誰にでも容易に想像がついて、そんな人が本気で見せ算を提唱したいとおもってないことはわかってしまう。だから嘘くさい。「おれ、今からシュールをやるで!」って自分で言っちゃうような痛々しい感じ。

 こういうタイプのネタって片手間でやれるもんじゃないんだよね。天竺鼠とかランジャタイみたいに、ずっと奇抜なネタやってて、普段のトークでも奇天烈なことばっかり言って、はじめて説得力が出る。それぐらい人生を捧げてやっと、「この人なら本気でこんなこと考えてるかも」と思わせることができる。

 さや香が演じるには無理のあるネタだし、そもそもネタとしての出来がよくなかった。「どういうこと?」「何言ってんの?」と観客がおもうことを言い、「どういうこと?」「何言ってんの?」とツッコむ。なんら意外性がない。目新しさもない。

 今回の予選でいえばデルマパンゲや豆鉄砲や空前メテオがこういう「ぶっとんだ持論を展開する」系統のネタをやっていたが、そのどれもがさや香の「見せ算」よりもずっとよくできていた。めちゃくちゃを言いながらも、観客の中にも20%ぐらいは「たしかにそうかも」とおもわせるふしぎな説得力があった。

 かけあいの強さというさや香の持ち味も失われていたし、観客からも求められていなかったし、そもそもネタ自体の出来がいいとはおもえないんだけど、そんなにこのネタをやりたかったのかねえ。「勝てなかったけどこれをできたから満足です!」と言えるようなネタなのかなあ。




 ということで優勝は令和ロマン。おめでとう。

 来年も出たいと言っていたけど、ぜひチャレンジしてほしい。まだまだ伸びるコンビだとおもうので(だからここで優勝してしまったことにちょっと寂しさも感じる)。

 テレビで観ていて、オープニングは盛り上がっていたのに、途中で出てきた野球監督&選手あたりで急に会場の熱が冷めたように感じた。彼らがあまりに緊張してるからその緊張が観客席にも伝染したのか? もし今大会の盛り上がりが例年に比べてイマイチだったと感じたなら、犯人は彼らをキャスティングしたやつだ。

 敗者復活がやっとまともな制度に戻ったり、出番順の組が損をする風潮がほんのちょっとだけマシになったり(とはいえ相変わらず損だけど)、ちょっとずついい大会にはなってきている。あとはあの「誰も求めていない、アスリートにくじを引かせる時間」さえなくせばもっと良くなるね!


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2023年12月26日火曜日

都市と郊外の外食文化について

 通信技術の発達により、都市と文化で入手できる情報の差は大きく縮まった。

 もちろん劇場に足を運んだり、映画館に通ったり、展覧会に行ったりは圧倒的に都市のほうがしやすい。とはいえ、まったく同じではないにせよ、オンライン配信などで現地に行かなくてもアクセスできる機会は大きく増えた。

 また、ネット通販などの普及で、ほとんどのものが日本中どこでも買えるようになった。


 そんな時代において、都市と地方でもっとも差が大きいのは外食文化じゃないだろうか。

 そもそも外食店がほとんどない田舎はもちろん、郊外都市においても、外食文化は都市部と比べて大きく見劣りする。

 イオンモールや国道沿いに立ち並ぶ店に行けば、ひととおりのものは食べることができる。ラーメン、ハンバーガー、うどん、そば、和食、中華、イタリアン、寿司、お好み焼き、しゃぶしゃぶ、洋食、牛丼、カレー、珈琲……。一通りはある。一通りは。

 だが、選択肢は少ない。そばならあの店、寿司ならあそこかあそこ。選択肢はせいぜいひとつかふたつ。

 また、一通りはあるが、それ以上はない。スリランカカレーの店も、スペインバルも、タコスのうまい店も、太刀魚料理専門店も、高知郷土料理も、創作寿司の店も、立ち呑み屋も、鯨料理の店も、玄米食堂も、ない。

 ぼくが生まれ育った郊外の市(人口十数万)がそんな感じだった。だいたいの店はある。けれど個性的な店は少ない。そもそも個人店が少ない。人口百万超都市に引っ越して、世の中にはこんなにもいろんなめずらしい料理屋があったのかとおもったものだ。


 日本中、いや世界中どこにいてもいろんな情報やモノにアクセスできる時代になったけど、メシばっかりはそうかんたんにはいかない。お取り寄せは食べに行くのとぜんぜんちがうものだし。そもそも「注文して、1週間後に到着して、盛り付けたりあたためたりして食べる」と「今日何食べよっかなーと考えながら店に行く」が同じ体験であるはずがない。

 メシって人生においてかなり重要な部分なのに、地方移住の話をするときにそのへんの話が語られなさすぎるんじゃないかな。

「うちの市は人口のわりに飲食店がすごく多くて、バラエティも豊富で、台湾みたいに外食文化が盛んなんですよ」って街があったらけっこう人を惹きつけられるんじゃないかな。外食好きな人が集まれば飲食店も増えて、相乗効果でどんどん盛り上がるだろうし。


2023年12月21日木曜日

【読書感想文】矢部 嵩『保健室登校』 / 唯一無二の気持ち悪さ

保健室登校

矢部 嵩

内容(e-honより)
とある中学校に転入した少女。新しい級友たちは皆、間近に迫るクラス旅行に夢中で転入生には見向きもしない。女子グループが彼女も旅行に誘おうとすると、断固反対する者が現れて、クラスを二分する大議論に発展。だが、旅行当日の朝、転入生が目の当たりにした衝撃の光景とは―!19歳で作家デビューを果たした異能の新鋭が、ごく平凡な学校生活を次々に異世界へと変えていく。気持ち悪さが癖になる、問題作揃いの短編集。


 まず断っておくけど、ハッピーな小説を読みたい人、わかりやすいお話が好きな人、グロテスクな描写が苦手な人にはまったくもっておすすめしない。とにかく展開はグロいし、わけのわからないことが起こるし、文章は癖が強くて読みづらい。でも、慣れるとそれが病みつきになってくる。珍味。

 ぼくは『魔女の子供はやってこない』ですっかり矢部嵩氏の濃厚な味付けにハマってしまったので(といっても頻繁に読みたいわけではない。たまに無性に読みたくなる)、『保健室登校』も読んでみた。こっちのほうが古い作品集だけど。




 うん、おもっていたとおりの変な味付け。『魔女の子供はやってこない』もずいぶん癖の強い味だとおもったけど、『保健室登校』はもっと洗練されていない。

  特に会話文はすごい。

 口語文とか言文一致とかいっても、小説の会話文と現実の会話文はまったくちがう。小説の会話は文法的に正しいし、無駄も誤りもない。ドラマのセリフもたいていそう。でも現実の会話はそうではない。もっとむちゃくちゃだ。省略も多いし語順も時系列も変だし文法的にもぜんぜん正しくない。矢部嵩作品は、その実際の会話文を忠実に再現している。

「私廊下見てたの教室のドアが開いてて確か、風入って寒いから誰か閉めればいいのにと思ってずっと気にしてたんだけど、それもあいまって覚えてる」
「ちょっと待って」吞み込みながらもう一度、可絵子は念を押した。「本当だね、授業中ずっと気にしてたのね。一人二人見逃したりしないで、ずっと廊下見てたのね。あなたの席から見える廊下はどれくらい」
「多分ずっと見てたと思う、席は一番後ろの列で、ドア開いてるとちょうどそこの」そういってA子は廊下の奥を指差した。「トイレあるでしょ、あれが男女とも見える。私の机から。その横の階段は見えないけれど、トイレの前を誰か通ればきっと見える感じ」

 じつはすごくむずかしいことをやっている。「私廊下見てたの教室のドアが開いてて確か、風入って寒いから誰か閉めればいいのにと思ってずっと気にしてたんだけど、それもあいまって覚えてる」なんて、口では言うけど、書こうとおもっても書けない。義務教育を受けていたらぜったいに修正されるから。

 すごいよねえ。どういう人生を送ってたらこういう文章書けるんだろう。学校行ったことないのか? とおもってしまう。

 こういう文章が並んでいるのですごく読みづらいんだけど、慣れてくるとリアルな会話を聞いているようでわりとすんなり入ってくる。黙読だと気持ち悪いけど、音読するとけっこう理解できるんだよね。




 転校したばかりなのにクラス中からあからさまに嫌われる『クラス旅行』

 クラス対抗リレーで勝利するために足の遅い生徒が次々にけがを負わさればたばたと死んでゆく『血まみれ運動会』

 頭のイカれた教師がお気に入りの生徒の関心を引くために暴走する『期末試験』

 理科の実験中に宇宙人が盗まれてクラス内で犯人探しがはじまる『平日』

 合唱コンクールに向けて命を削った練習がおこなわれる『殺人合唱コン(練習)』

の五編を収録。

 どうよ、この異常なラインナップ。ちなみに上に書いたあらすじはこれでも抑えていて、本編はもっともっと異常だからね。作中で数十人は死ぬか重傷を負わされている。


 通っているときはなかなか気づかなかったけど、学校ってかなり異常なことがおこなわれていて、たかが遊びにすぎない部活のために他のあらゆることを犠牲にしたり、一イベントである文化祭や合唱コンクールのために遅くまで残ったり朝早く登校することを強いたり、なにかとおかしい。運動会とか文化祭とか合唱コンクールとかのためにがんばらないやつが悪いみたいな風潮とか。なぜ悪いかと訊かれても誰も説明できないだろう。
「そりゃあみんなががんばっているから……」
「みんなががんばっているときに自分だけがんばらないのがなぜ悪いんですか」
「……」
みたいに。

 でも学生にはその異常さがわからない。教師にもわからない。

『保健室登校』は、学校が抱える異常さを大げさに表現して教育問題に鋭いメスを入れる……というような大それた小説じゃないです、たぶん。ただただ気持ち悪い小説。




 ばったばった人が死ぬし、血は流れるし、脚はちぎれるし、のどは焼けるし、はらわたは飛び出る。

 グロテスクな話が続くが、それでもどこかユーモラス。

「あなたサブリミナル効果って知ってる」
「はいあのコーラですでもそれが何ですか」
「体育でビデオ見せられたでしょう走り方講座的なビデオを。あれがそうだったのよ」
「何ですって」
「あのビデオには知覚できないほどの短いコマ間隔でトラックを走る短距離走者の映像が挟み込まれていたのよ。おそらく実行委員は何度も見て個人の気持ちや事情に先立ちまずとにかく走らねばという観念にとらわれていたのよ。頭が」
「何てこと」駅子は戦慄した。「走っている人間の映像の間に走っている人間の映像が巧妙に挟み込んであったなんて」
「そう走っている人間の映像の間に走っている人間の映像をカットバックさせることで知覚出来ない人間の意識下に走っている人間の映像を刷り込んで秘密裏に脳に働きかけていたのよ。見ている人はただ自分は走っている人間の映像を見たと思うだけ、その裏に刻まれた走っている人間の映像の影響に気付くことはないというわけ」
「でっでもそんなことで本当にこんな事態に」
「のみでなくさらにこれよ」先生は包みを取り出した。
「それは差し入れの」
「お菓子なんかじゃないわこれ元気の出る薬よ」
「それじゃみんなは元気の出る薬と元気の出るテレビの影響でおかしくなってたというんですか」
「いえないでしょう」

 いろいろ書きたいことはある気がするけど、でもこの本の魅力は説明しようがない。だって類似の本がないんだもの。唯一無二の気持ち悪さ。

「変な本が好き」という人は読んでみてください。ハズレを引きたくない、という人にはまったくおすすめしません。


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2023年12月20日水曜日

【読書感想文】東野 圭吾『あの頃の誰か』 / 未収録には未収録の理由がある

あの頃の誰か

東野 圭吾

内容(e-honより)
メッシー、アッシー、ミツグ君、長方形の箱のような携帯電話、クリスマスイブのホテル争奪戦。あの頃、誰もが騒がしくも華やかな好景気に躍っていました。時が経ち、歳を取った今こそ振り返ってみませんか。東野圭吾が多彩な技巧を駆使して描く、あなただったかもしれれない誰かの物語。名作『秘密』の原型となった「さよなら『お父さん』」ほか全8篇収録。

 バブル期を舞台にしたミステリ短篇集……かとおもったけど、あれ?

 どうやら「バブル期を舞台にした」ではなく「著者がバブル期に書いたけど単行本未収録だった作品」を集めたものらしい。


『シャレードがいっぱい』

 シャレードとは、言葉あてゲームのことらしい。言葉が謎解きのカギになっているのは二つ。いっぱい……? どちらもそんなに質は高くない。

 女が男を所有している車で値踏みしていたり、クリスマスイブは高級ホテルの予約争奪戦をしていたり、設定はバブル丸出しでとにかくダサい。これをバブルまっただなかに書いていたというのがおもしろい。バブルの空気を茶化してるわけじゃなく、ほんとにこれがリアルだったんだなあ。


『玲子とレイコ』

 ある男性が殺された。近くで犯人の女性が見つかったが、彼女は二重人格で事件当時のことをまったくおぼえていない様子。おまけに犯人と被害者とは顔を会わせたこともなかった。彼女の“別人格”はなぜその男を殺したのか……。

 犯人が異常者なので、動機は理不尽、行動もかなりいきあたりばったり、その割に犯行後の行動だけはやたらと計画的。なんでなんだ?


『再生魔術の女』

 家族や科学技術を多く題材に扱う東野圭吾らしいテーマ。しかし話運びに無理があるし、そもそも「個人で養子縁組の斡旋をしている女」ってなんなんだよ。人身売買じゃねえか。


さよなら『お父さん』

 後の『秘密』の原型となった小説。事故により身体は娘だが心は妻になる、というSF設定。これは長篇に書き直して正解だったね。短篇だと「心が妻になった小学生の娘が大人になって結婚式」までの展開が急すぎてついていけない。


『名探偵退場』

 『名探偵の掟』シリーズの原型のような作品かな。年老いた名探偵が久しぶりのクローズド・サークルでの本格殺人事件に挑むが……という話。

 だが『名探偵の掟』が皮肉やユーモアがびしばし効いていたのに対し、こちらはどうもパワー不足。ギャグをやりたいのか、意外なオチをつけたいのか、どっちつかずという印象。


『虎も女も』

 あーこれおぼえてるなー。昔、講談社が『IN POCKET』という200円ぐらいの文庫サイズの雑誌を出していて、その中で『虎も女も』というタイトルでいろんな作家が競作をする、という企画があったんだよね(元ネタは19世紀の短篇『女か虎か?』)。その中の一作。

 誰が参加していたかはわからないけど、たいていの競作がそうであるように、ひどい出来の作品ばかりだった(そもそも広がりのあるお題じゃない)。その中でいちばんマシだったのが東野圭吾氏のこの作品。とはいえ地口オチで、ぎりぎり形にしたというレベル。これがいちばんマシだったんだからひどい企画だったんだなあ。


『眠りたい死にたくない』

 あこがれの先輩女性からデートに誘われた主人公。ところが女性に車で送ってもらっているうちに、不意に睡魔に襲われ、気づいたら……。

 十数ページの短い作品。これがいちばん完成度が高かったかな。ただ、犯人の動機やターゲットの選定に対して行動が大がかりすぎて、そこまで手の込んだことするか? とおもったけど。

 あとタイトルのせいで結末がだいたいわかってしまうのはよくないな。


『二十年目の約束』

 結婚するときから子どもはつくらないと宣言していた男と結婚した主人公。夫が何かを隠している様子なのでこっそり後をつけたところ……。

 いい話風。でもいろいろと雑。自分のせいで(とおもっている)幼なじみが死んだからその罪滅ぼしのために子どもをつくらない約束をした、というのも意味わからないし、子どもはつくらないけど結婚はするというのもますます意味不明。よほど結婚しなきゃいけない事情があったの? そのあたりが何も書かれていないけど。




 というわけで、未収録作品集の例に漏れず、出来のよろしくない作品だらけでした。これはむりやり本にまとめた出版社が悪い。出すべきじゃないから出してなかったのに。静かに眠らせてあげればよかったのに。

 ほんと、アーティストが死んだ後に出る未発表曲を収録したアルバムとか、遺稿集とか、出すのやめてあげてほしいなあ。作家だって望んでないだろうし、ファンもがっかりするし。尾崎豊なんて死後にコンピレーションアルバムを9枚も出されてるんだよ。生きてるときに出したアルバムよりも多い。死人を働かせすぎ。

 東野圭吾氏もあとがきで言い訳を並べている。本人的にも「人気あるからってこんな本出しちゃって申し訳ない」という後ろめたさがあったんだろうなあ。

 せめて未収録作品集なら未収録作品集とちゃんとうたって出してほしい。だまして買わせるようなことはやめてよね、光文社さん。


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2023年12月19日火曜日

2023年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2023年に読んだ本の中からベスト12を選出。

 なるべくいろんなジャンルから。

 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


中脇 初枝
『世界の果てのこどもたち』



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 小説。

 重厚な大河小説を三冊分読んだぐらいのボリューム感。戦中戦後がどういう時代だったのかを鮮明に伝えてくれる小説。



米本 和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』




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 ルポルタージュ。

 オウム、エホバ、統一教会、ヤマギシというカルトの2世信者にスポットをあてた本。長年カルトの取材をしているだけあって、深いところまで切り込んでいる。

 これを読むと、エホバや統一教会やヤマギシってオウムよりもえげつないことしてるんじゃないの? とおもってしまう。



奥田 英朗
『ナオミとカナコ』 



感想はこちら

 小説。

 ある男の殺害を決めたふたりの女性。「はたしてうまく殺せるのか」「予期せぬ事態が起こって計画通りにいかないんじゃないか」「うまくごまかせるのか」「ばれそうになってからはうまく逃げられるのか」と、中盤以降はずっと緊張感が漂って読む手が止まらなかった。まるで自分が追い詰められているような気分だった。




加谷 珪一
『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』



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 ノンフィクション。

 ここ三十年の日本の没落っぷりを嫌というほどつきつけてくれる。

「まともな政治をする」「高齢者に金を使うより教育に金をかける」をすればいくらかマシにはなるのだろうが、それができそうにないのが今の惨状なわけで……。




澤村 伊智
『ぼぎわんが、来る』


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 ホラー小説。

 怪異系のホラーってぜんぜん好きじゃないんだけど(まったく怖いとおもえないので)、これは「恐ろしい怪物の話」かとおもわせておいて「生きている人間が静かに募らせる恨み」の話だった。おお、怖い。とくに妻帯者は怖く感じるんじゃないかな。



二宮 敦人
『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 




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 ノンフィクション。

 日本で最も入るのが難しい大学である東京藝大。謎に包まれた藝大生の生態を解き明かしていく一冊。超大金持ち、変人、奇人、天才が集う大学。自分とはまったく縁のない世界だからこそ、読んでいて世界が広がる気がして楽しい。



鴻上 尚史
『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』




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 ノンフィクション。

 太平洋戦争時、特攻を命じられるも9回出撃して生還した兵士の話。

 日本軍は組織としては大バカだったし参謀や司令官には大バカが多かったけど、特攻が戦術的にダメであることを見抜き、勝利をめざしてきちんと考えられる賢人たちもちゃんといたことを教えてくれる。



東野 圭吾
『レイクサイド』




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 ミステリ。

 前半は「そううまくいかんやろ」と言いたくなる展開だったが、その“うまくいきすぎ”にちゃんと理由があったことが後半で明らかになる。登場人物が身勝手な人物だらけで、後味も悪い。そういうのが好きな人にはおすすめ。



『くじ引きしませんか? デモクラシーからサバイバルまで』



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 ノンフィクション。

 今話題になっているくじ引き民主制について様々な立場からメリット・デメリットを語った本。職業政治家がぜんぜん有能でない(どうしようもないポンコツも多い)のは誰もが知るところ。

 読んだ感想としては、もちろんデメリットはあるけど、メリットのほうが大きいんじゃないかな。特に現行の投票制との併用はすぐにでも実施してみてほしい。



チャールズ・デュヒッグ
『習慣の力』




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 ノンフィクション。

 人間の意志はきわめて軟弱だから、何かを続けたかったら決心みたいな不確かなものに頼るのではなく、習慣を変えなければならない。習慣を変えるには行動を変えなければならない、行動を変えるには報酬(必ずしも金銭ではない)という内容。

 自分や他人の行動を変えたい人におすすめ。



リチャード・プレストン
『ホット・ゾーン ウイルス制圧に命を懸けた人々』



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 ノンフィクション。

 エボラウイルスとの闘いを描いた息詰まるレポート。エボラウイルスが新型コロナウイルスのように世界中に拡がらなかったのは、狂暴すぎて拡がる前に感染者が死んでしまうから。だが、今後より拡がりやすいウイルスに変異しないとも限らないという……。



デヴィッド・スタックラー サンジェイ・バス
『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』



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 ノンフィクション。

 不況や経済危機に陥ったせいで多くの人が死ぬことがある。だが、そうならないこともある。恐慌なのに死亡率が死なない国もある。

 かんたんに言えば「国や大企業のために引き締めをおこなえば国民は多く死ぬし復興も遅れる。国民の健康、就業、福祉などに金を使えば死亡率は抑えられるし復興も早くなる」ことを数々のデータから明らかにしている。ところで、今の日本はというと……



 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2023年12月18日月曜日

小ネタ8

3in1

 レゴにクリエイター3in1というシリーズがある。これは、1つのセットで異なる3つ(以上)の作品をつくれるというものだ。たとえば3in1ダイナソーなら、ティラノサウルスをつくることができ、組み替えればトリケラトプスになり、また組み替えればプテラノドンになる(ついでに首長竜にもなる)。

 このシリーズ、動物、犬、乗り物、船、家、商店、町などさまざまなものがあるが、ぼくがあったらいいなとおもうのは「行事」だ。

 組み立てればクリスマスツリーになる。ばらして組み立てなおせば門松と鏡餅になる。また雛壇になってレゴ人形を飾ればひな飾りになる。兜とこいのぼりになり、笹と短冊になり、ハロウィンのカボチャになる……といったぐあいに。狭い日本の住宅にぴったりだ。

 もちろん最後は墓になってくれる。ぼくが死んだら墓はレゴでいい。


Winnie-the-Pooh

『くまのプーさん』の原題は『Winnie-the-Pooh』だ。

 英語で「A the B」は「BであるA(固有名詞)」という意味になる。たとえば『Popeye the sailor man』は「船乗りであるポパイ」、『Shaun the Sheep』の邦題は『ひつじのショーン』だ。Jack the ripper(切り裂きジャック)や、André the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)など、人や動物の特徴を表すのに使われる。

 つまり『Winnie-the-Pooh』は日本語にすれば「プーであるWinnie」となる。調べたところ、“Winnie”とはアメリカで有名だったクマの名前だそうだ。クマといえばWinnie、というほど有名だったそうだ。レッサーパンダといえば風太、コリーといえばラッシー、ゴマフアザラシといえばゴマちゃん、みたいなものか。クリストファー・ロビンもクマといえばWinnieだよね、と安易に名付けたようだ。

 じゃあpoohってなんなんだ。この言葉、ふつうの辞書には載っていない(載っていたとしても「くまのプーさんのこと」などと書いてある)。諸説あるが、一説には「風の吹く音」からきているだそうだ。日本語の「ぴゅー」みたいなもの。

 つまり、『Winnie-the-Pooh』は『ピュ〜と吹く!ジャガー』とほぼ同じ意味。


死人に鞭うて

 とっととなくしたほうがいい慣習はいろいろあるが、そのひとつが「死人に鞭うつな」だ。

 隠蔽されたり言い逃れされたりするおそれがないんだから、生前の悪事を徹底的に追及したらいい。

 生きてる人と死んでる肉片、どっちを大事にしたほうがいいかっていったらどう考えても生きてる人だろう。

 ぼくのことも死んだら好き勝手言ってくれていい。だから死ぬまではあれもこれもだまっててほしい。



2023年12月13日水曜日

【読書感想文】高橋 篤史『亀裂 創業家の悲劇』 / 骨肉の争い

亀裂

創業家の悲劇

高橋 篤史

内容(e-honより)
会社を追われたセイコー御曹司。ソニー創業者・盛田昭夫の不肖の息子。コロワイド、HIS創業者とM資本詐欺。圧巻の取材と膨大な資料で解き明かす、有名企業一族8家の相克。


 同族経営の会社は多い。

 経営のことなどまるでわからないぼくからすると、家族と同じ会社で働くだけでも嫌なのに、自分の子どもや兄弟を会社の後継者に据えようとする経営者の気持ちはまったくわからない。そんなの揉めるだけじゃない? しかも家族仲も悪くなるとしかおもえないんだけど。

 でも、多くの経営者が、経験や知識の豊富な他人よりも、(客観的に見れば)どう考えても劣っている息子に経営権を譲る。経営者だけではない。政治家も子どもに地盤を継がせようとするし、医者も子どもに病院を引き継ごうとしたりする。

 子どもに何か残してやりたい気持ちはわかるが、権力じゃなくて財産で分け与えるほうがいいんじゃないかと傍からはおもう。でもよほど旨味があるんだろう。理解できないけど。


 家族経営だと、うまくいっているときは「利害が一致しやすい」「情報伝達が早い」などのメリットもあるのだろうが、意見が食い違ったときなどには家族である分その対立は深刻なものになることが多い。他人同士であれば考え方の違いがどうしようもなく深まれば袂を分かつものだが、家族であればそれもできない。憎しみは深まるばかり。骨肉の争いというやつだ。

 ぼくが以前いた会社も同族経営だった。社長の息子がふたりいて、それぞれ常務と専務だった。ご多分に漏れず仲が悪かった。特に長男と次男は不仲で、ふたりが話しているところはほとんど見たことがなかった。父親(社長)と長男も目を合わさずにしゃべっていた。

 まあそうなるだろうな。ぼくは今父親とそこそこ良好な関係を築いているが、それは離れて暮らしていて、年に数回会う程度だからだ。いっしょの会社にいて毎日顔をつきあわせていて、さらに意見がぶつかっても最終的には自分のほうが折れなきゃいけない(相手は社長なので)となったら確実に嫌いになる自信がある。不仲になるほうがふつうだろう。それでも人は我が子を後継者にしたがる。




 そんな「家族経営の確執」八例を描いた経済ノンフィクション。金の流れだとか買収だとかの説明は会社法などの知識がないとわかりづらい。そのへんは飛ばして読んだが、主題は家族の対立なので特に問題はなし。


 有名なところだと、2015年頃にニュースをにぎわせていた大塚家具の父娘の対立。

 己の腕で会社を大きくしてきた自負のある父親と、新しいやり方を求める娘。一度は社長の座を娘に譲ったものの、方向性の違いにより娘は社長を解任され父親が社長に再就任。しかし娘は社内勢力を伸ばし、株主総会で父親を社長の椅子から引きずりおろす。父親は自分が大きくした会社を出て、新たな会社(匠大塚)を創設。

 再び社長の座についた娘だったが、父親とは異なる路線を求めすぎたことや、かつての取引先や職人の信頼を失ったことで業績は悪化。大塚家具はヤマダ電機に吸収される形で消滅した(匠大塚は今も健在)。


 ううむ。ワイドショーネタとして無責任に見ているにはおもしろい題材だが、我が事ならばこんなにつらいことはない。我が子と闘っても、勝っても負けてもいい結果にはならない。それでも闘わざるをえない。古今東西くりかえされてきた親子の対立。




 家族の対立は読んでいてなんとなく心苦しかったが、経営者のダメエピソードはなかなかおもしろかった(下世話)。

 大手外食チェーン・コロワイドの蔵人金男が「M資金詐欺」という詐欺に引っかかった話とか。GHQが占領下の日本で接収した財産を秘密裏に運用している「M資金」を提供するという話を持ちかけたマック青井という人物の話を信じ、数十億円を騙しとられたそうだ(ちなみにM資金の話を使った詐欺は60年ほど前からおこなわれていて、詐欺の常套手段らしい)。

 こうした話を聞くと「ビジネスの場で数々の修羅場をくぐっているはずの経営者が、そんな嘘くさすぎる話に引っかかるなんて」とおもうのだが、百戦錬磨の自信家経営者だからこそ引っかかるのかもしれない。

 にしてもなあ。“マック青井が持ってきた秘密組織に関する儲け話”に数十億円出すかねえ。よっぽど話がうまかったのかね。




 ソニーの創業者の息子・盛田英夫の話もぶっとんでいた。

 そうしたなか、エクレストンからゲイノーに対しまたとない情報がもたらされた。フランスの自動車メーカー、プジョーがF1エンジン部門を売却する意向を持っているというのだ。ゲイノーは初期投資額を2億ドルと見積もった事業計画を策定するとともに、スカラブローニを窓口に立て買収交渉を進めた。
 合意に至ったのは2000年12月のことである。買収額は5000万ユーロとされた。これを用立てるのに利用されたのもレイケイが保有するソニー株だテルライド買収時と同様のスキームでMINTはソニー株を担保として差し入れ、ベルギーのデクシアから60億円を、アメリカのシティから165億円を調達した。計229億円はルクセンブルのF1事業統括会社AMTHに貸し付けられた。
 この頃、英夫はレイケイにおける会議でこう発言している。「F1事業はハイリスクであり、投資の配当の何の保証もない。また、この貸し付けはたぶん返済されないことを認識している」というのである。F1参入は最初から採算を度外視した常識外れに贅沢な、きわめて個人趣味の色彩が濃いものだった。

 典型的なバカボンの金の使い方。どんどんソニー株を売り、スキー場やF1などの趣味につっこんだらしい。当然ながら大損。

 この人、調べたら「実家が太い」が唯一のとりえである人が通う大学として関西では名高いA大学出身だった。あーなるほど。

 「コネ以外に何のとりえもない坊ちゃん」と見られる
→ それを払拭するため、社内の誰もやっていない事業に金をつっこむ
→ 誰もやっていないということは儲からないから。当然ながら失敗する
→ さらに挽回しようと一発逆転に賭ける

という、破滅するギャンブラーのような思考をたどるんだろうな。

 こういう重役がいると、金銭的な損失だけでなく(それもものすごいけど)真面目に働いている社員のやる気も削ぐんだよなあ。百害あって一利もない存在なのだが、それでも親だけは甘やかしてしまうのよね。親の愛はどんな人の目も曇らせる。




 なんかあとがきでおそろしい話が書いてあった。

 筆者が知る例では、その経営者が代理母の調達に選んだのは東南アジアだった。多忙なためだろう、自らにかわって現地に派遣したのは長男だ。精子提供主はその経営者だが、卵子を提供したのが誰かは分からない。妻のものかもしれないし、ひょっとすると、その手のマーケットで購入した第三者提供のものかもしれない。その後、生まれた子供たち十数人の一部は来日し、皆、都内の有名幼稚園に通ったと聞く。その子らの戸籍上の扱いもまた不明だが、それぞれの名前には経営者が一代で築き上げた会社の名前の一部がつけられているとい来日組とは別の子供らはスイスなど海外で育てられているらしい。
 代理出産によって大量に生まれた彼ら彼女らは成長の過程で自らの出自についてどのように教えられるのだろうか?その時、彼ら彼女らはどんな反応を示すのか? 兄弟姉妹の関係性は保てるのか、保てないのか? あるいは、はなからそうしたものとは別種の関係性のなか、育てられているのか? 遺伝上の父親が望むとおり彼ら彼女らはグループ各社のトップに就く道を選ぶのだろうか?そして、グループは思惑どおり永続的な発展を遂げることが可能なのか?疑問は尽きない。

 こんなSFみたいなことがもう起こってるの?

 ウソみたいな話だけど、技術的には可能だし、どんなにボンクラでも自分の子どもというだけで重用する経営者たちの話を読んだ後だと、ひょっとしたら……という気にもなってしまう。


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【読書感想文】西川 美和『ゆれる』

父親に、あのとき言わなくてよかった言葉



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2023年12月12日火曜日

小ネタ7

この世でいちばん

この世でいちばん硬いものはダイヤモンドではなく、ピスタチオの殻。噛んだことがある人なら異論はないとおもう。


ミリリットルあたり


1ミリリットルあたり1,380円の超高級バスマジックリン。

単なるミスだろうとおもうが、最近のAmazonだと詐欺じゃないとも言い切れない。


ブラザーズ

 スーパーマリオブラザーズはなぜマリオブラザーズなのか。「マリオとルイージ」と呼ぶからには、マリオはファミリーネームではなくファーストネームだろう。

 ふつうはグリム兄弟やライト兄弟みたいに「名字+兄弟」で呼ぶのに。

 マリオとルイージを兄の名前だけとってマリオブラザーズと呼ぶのは、千原兄弟をせいじ兄弟と呼ぶようなものだ。




2023年12月6日水曜日

【芸能観賞】ダウ90000単独ライブ『20000』


ダウ90000第2回単独公演
『20000』

概要
ダウ90000単独ライブ「20000」
日程:2023年11月7日(火)~11月19日(日)
会場:東京・ザ・スズナリ

 配信にて視聴。

 8本のコントに幕間映像を加え、2時間を超える大ボリューム。コントは8本とも8人全員が出演。


(観た人向け。ネタバレを含みます)




1. 服の記憶

 序盤は「仕事の話をしているときに出てくる例えが、すべて車の運転に関する比喩」という会話劇だが、中盤からは「さっき会ったばかりの人の服装をどれだけおぼえているか」というクイズのような展開に……。


 ぼくは人の服装をまったくおぼえられない人間なので(それどころか自分の服もおぼえていない)、観ていてまったく参加できなかった。

 まず「野球とクリスマスツリー」のあの服があって、そこからつくっていったコントなのかなーと想像。



2. トロイメライの声

『トロイメライの声』という漫画に関する話。熱心なファン、今はじめて読む人、読もうとはおもわないが話だけ人、アニメだけ観ている人、アニメ監督のインタビューだけ読んだ人が『トロイメライの声』について語り合うが話が一致せず……。


『トロイメライの声』は架空の漫画なので、当然ながら観ている人には漫画の中身はわからない(ただ雨が降っていることだけがわかる)。そこでAとBの主張が完全に食い違っている場合、観客はAとBの語り口によってその信憑性を判断するしかない。

 一方は落ち着いた口調で理路整然と語り、もう一方は感情的であり、必死であり、不明瞭であり、いちいち鼻につくオタク口調であり、かつ冴えない風采の男である。あたりまえのように聞き手は前者の言い分が正しそうだという判断を下すわけだが、やがて後者のほうが正しいらしいことが明らかになる……。

 我々が「どうやらこの人が言っていることは正しそうだ」と判断する際に、話の内容ではなく、いかに口調や外見に引きずられているかを気づかされるコント。ぜんぜん市民にとってプラスとなる主張をしていないのに、ビジュアルや語り口の良い政治家や評論家が人気を博している、なんてのもよくある話だ。我々は自分がおもっているよりもずっと論理的ではない。

 おもしろい試みをしているとおもうのだが、いかんせん会話劇を進める上で八人という人数は多すぎる。もちろん人数が多いからこそ表現できることもあるわけだけど、少なくともこのコントに関してはもっと少ないほうがすんなり伝わったんじゃないかなー。



3. 手術前

 重い病気になり、手術を控えた女性。そこへ彼女に好意を寄せる男がやってくるが、彼の語る「手術が終わったらふたりで〇〇をしよう」があまりに微妙。次々に彼女に言い寄る男たちが現れるが、それぞれどこかずれている……。


 ん-これはあまりピンとこず。これまた「八人を出すためにがんばった」感のある設定だった。

 これまであまり言語化されてこなかった細かいあるあるを並べ立てていくのは蓮見さんらしいけど。



4. 幼なじみとFAX

 男の家に、結婚する予定の彼女が引っ越してくることになり、彼女の幼なじみの男が引越しを手伝いにきてくれる。彼女と幼なじみは仲がいいが、お互いに恋愛感情は持ったことがないという。だが彼女と幼なじみが十年以上も毎日FAXをしていることが明らかになり、彼氏は二人が愛しあっているのではないかと疑う……。


 今作でいちばん好きだったコント。

 幼い頃から毎日FAXを送りあう仲。電話やメールやLINEではなく、あえて不便なFAXで、好きな人の話をしたり、それぞれ恋人ができたことを報告したり、似顔絵を送りあったり……。これは恋人や夫婦よりも深い仲だよなあ。

 令和の今、デジタルネイティブ世代の若者が、FAXで届けあう気持ちを描けるのがすごい。文学だ。岩井俊二監督の『Love Letter』を思いだした。

 しかしそこで感傷的な展開にはもっていかず、二人の関係に嫉妬する彼氏もまた、幼なじみの女性と電報でのやりとりを続けていることがわかる……という展開で急にコントらしくなる。

 いいコントだったが、彼女と幼なじみが本当の気持ちに気づいてそれぞれ恋人と別れてくっつく、というのはちょっと安易に感じたな。急に平べったい人物になっちゃった。オチの回覧板につなげるためにはしかたないんだけど、設定に説得力があっただけに雑さが目立ってしまったな。



5. サプライズ

 もうすぐ誕生日の友人を驚かせようと、サプライズパーティーをするために集まった七人。だが主役はバイトでなかなか帰ってこず、七人は待たされることと空腹でイライラして場は険悪な空気に。些細なことで言い争いがはじまるが、怒りながらも友人を大切におもう気持ちがにじみ出てしまう……。


 険悪な雰囲気で怒鳴り散らしてるのに、出てくるのは相手を慮る言葉ばかり……。日本語がわからない人が見たらただただおっかないコントだろう(実際、うちの五歳児は怖がっていた)。

「あたし今日誕生日なんだけど」は笑った。自分の誕生日に「誕生日が近い友人のサプライズパーティー(しかも失敗)」に参加させられる気持ちたるや。

 おもしろかったけど、どうしても天竺鼠がABCお笑いグランプリやキングオブコントでやっていた「口の悪いサラリーマン」のネタを思いうかべてしまったな。



(幕間映像)コンピレーションアルバム

 音楽プレイヤーを手に、思い出の曲を語り合う男女の音声コント。

 幕間映像にちょうどいい、ワンアイディアものコント。


6. 旅館バイト

 旅館の新人バイト。先輩バイトたちから、客室の清掃の際に「部屋に残っていた食べ物は見つけた人のものになる」というルールを教えられる。そのルールは微に入り細を穿っていて……。


 バイト先のローカルルールが細かくて絶妙にゲーム性に満ちている。あるあるとありえなさのちょうど間にあるおかしさ。どっかにはこんなことやってるバイトもあるかもな、というちょうどいいライン。

 楽しい職場なのに、場を読めないバイトのせいで雰囲気が壊れてしまう感じもリアリティがあっていい。

 しかし旅館の客室ってそんなに食べ物を置いて帰るものなのか? ほぼ置いて帰ったことないぞ。



(幕間映像)展開予想

 ソファに座って、ここまでのコントを観ていたカップル。そろそろラストのコントなので伏線を回収するようなハートフルな展開が待っていると予想を語る……。


 おまえらの思い通りにはさせねえぞ、という挑戦状のようなコント。誰への挑戦状かって? そりゃあオークラ氏やその周囲かな……。


7. 芝居の表現

 ドラマ撮影現場で、女優を本気で殴るように命じられた俳優が「表現のためだからって何をしてもいいわけじゃない」と難色を示す。だが女優、演出家、脚本家には彼の主張がまったく理解されず……。


 これもいいコント。どちらの言い分もわからなくはない。たとえ相手の同意があったとしても暴力はいけないのか、その同意は本当に自由意志の発露なのか……と考えさせておいてからの、まさかのキスシーンNG。

 正義と正義の衝突かとおもったら、単にこの俳優が嫌われているだけなんかい。

 好きなセリフは「わたしが女だからですか」。



8. 講演会

「恋を応援する」というセミナーを開催する女性。ファンたちは熱心に聞いているが、その話の薄っぺらさに、聞いていたスタッフがおもわずツッコミを入れてしまう。聞きとがめた講演者が「言いたいことがあるなら前に出てどうぞ」と言うと、本当にスタッフが登壇してしまい……。


 後味悪いコントだなあ。これを最後に持ってきたのは「ハートフルなコントで締めないぞ」という意気込みの表れなのか。にしても、ただただ嫌な気持ちになるコントだった。

『また点滅に戻るだけ』を見たときもおもったけど、蓮見さんはディベートで相手を徹底的にやりこめるのが好きなのかねえ。観ていて気持ちのいいものじゃないんだけど。ウエストランドのようにある種露悪的に「論理に隙のある相手をやりこめる嫌なオレ」としてやるんならいいけど、蓮見さんの場合はそれをかっこいいとおもってやってる節がある。ダサいんだけどなあ。

 しかも、ただ相手を言い負かすだけじゃなく、周囲の人に「あいつすげえ」的なことを言わせる。言い負かされた相手が、言い負かしたやつに好感を持ったりする。観ていて恥ずかしくなるぐらいダサい。キムタクのドラマか。



 ということで、ラストの後味が悪いせいで全体としても「なーんか嫌なもの観ちゃったなー」という印象。最後って大事だね。ラストのハートフルコントはぼくもいらないとおもうけど。

『また点滅に戻るだけ』が無駄のない完璧に近い作品だっただけに、『20000』のほうはちょっと粗さが目立ってしまった。展開に無理があるな、とか、無理に八人全員使わなくていいのにな、とか。おもしろかったけどね。『また点滅に戻るだけ』が良すぎたのかも。

 FAXのコントとドラマのコントが好きでした。


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【芸能観賞】ダウ90000第5回公演 『また点滅に戻るだけ』




2023年12月1日金曜日

きびきびしていない

 こないだ、娘が通う小学校の運動会を見に行った。

 で、「〇〇さん基準、体操の隊形にー、開け!」ってやっていた。それを見ておもったこと。


・そういや去年まではやってなかった

 娘は四年生なので去年までも運動会はやってたんだけど、去年まではコロナ禍での開催ということで、最初から生徒同士の間隔を空けていた。だから当然「体操の隊形に開け!」もなかった。「体操の隊形に開け!」もコロナでなくなっていたもののひとつだ(「体操の隊形」自体はあった。「体操の隊形じゃない隊形」がなかった)。


・まだやってんのか

 「体操の隊形に開け!」をすごくひさしぶりに見た。大人になったらやらないもんな。体操するとしても「横の人との間隔をとってくださーい!」とか言うもんな。


・きびきびしてない

 他の学校はどうだか知らないけど、娘の小学校の「体操の隊形に開け!」はぜんぜんきびきびしてなかった。みんなダラダラ歩いて、ゆっくり広がっていた。

 すばらしい!

 ぼくが学生のときはそんなことなかった。「体操の隊形にー」で走る準備をし、「開け!」で一斉に走り出さないといけなかった。所定の位置まで駆けたらぴたっと止まり、細かい位置調整のほかは極力動かないように厳しく言われていた。

 はっきりいってなんの意味もないクソ無駄行為だ。体育教師が軍の上官気分になって嗜虐趣味を満たすことをができるという以外には何も生み出さないゴミくず蛮習だった。

 その「きびきび動く」が令和の小学校においてはなくなっているのだ(他の学校は知らない)。

 きっと、「走れ!」とか「きびきび動け!」とか言う、何も考えていない教師が絶滅したのだろう。たいへん喜ばしいことだ。ビバ絶滅!


 さあ、次は保護者をさしおいていちばん正面のテントでえらそうにしている来賓を滅ぼす番だ!


2023年11月28日火曜日

【読書感想文】福田 和也『悪の対話術』 / 悪というより計算高い

悪の対話術

福田 和也

内容(e-honより)
第一印象を制する礼儀正しい生意気のすすめ、悪口、お世辞による観察眼の鍛え方、敬語の意外な役割など、舌鋒鋭く世を生き抜くための刺激的「話し方」講座。


 対話に関する本。が、筆者は舌鋒鋭いことで知られる文芸評論家であるので、巷によくある「相手に伝わる話し方講座」の類ではない。

 どうやって相手の印象を操作するか、いかにふるまえば相手をいい気にさせられるか、どのような言葉を口にすれば本心を知られずに済むか、といったことにページが割かれている。お世辞、悪口、沈黙などについて。

 タイトルには『悪の』とついているが、どちらかというと「計算高い」「打算的な」対話術の本といったほうが正確かもしれない。なので「まっすぐぶつかれば必ず本心が伝わるはず」といったピュアな考え方をする人にはまったくおすすめできない。

 また、対話術とついているが、具体的なテクニックは乏しい。「対話に対する向き合い方」のほうが近いかもしれない。




 中年になった今、腹を割って話せる友人を新たにつくることは不可能だろうとおもう。いや、不可能ではないかもしれないけど、気の置けない友人を作るためにこちらからがんばる気はないし、仮に誰かが「友だちになってよ」と接近してきたとしても「こんな中年おじさんに接近してくるなんて何を企んでやがる」と警戒して拒絶してしまうだろう。つまり不可能ということだ。

 だったら、心を開いてぶつかるような話し方ではなく、誰とでもそこそこの距離をとりつつほどよく付き合えるような話し方を身につけるべきだ。誰かと親友になったり恋人をつくったりするのなら「大成功する交際術」が必要かもしれないが、今求めているのはそうではなく「失敗しない交際術」なのだ。

 仕事をし、生活をしていくためには、ほとんどの場合たいした尊敬には値しない人たちから、指示を受けたり、教えを受けたり、承認をもらったりしなければならないのです。もしも、そうした接触のたびに相手のつまらなさにたいして意識的であったら、どんなに仕事がつまらなく、生きていくことは味気ないでしょう。
 こうした味気なさを救うのが敬語の第一の機能なのです。
 つまり、敬語を使うことで、人は、相手の人品を忖度するというストレスから解放されるのです。敬語を使うことで、「目上」にたいして、その相手にたいする評価とはかかわりなく、あたかも敬意をもっているように接することができる。従い、教えを請うことが出来るのです。なんと便利なのでしょう。
 その点からすれば、敬語とは、敬意の表現ではなく、敬意の存否に関係なく相手と「目上」「目下」の関係を作るための言葉なのです。

 そうそう、敬語って楽なんだよね。

 最近ぼくは仕事関係の人には誰に対しても敬語を使うようにしている。社長でも取引先でも同僚でも今日入社してきた新人にも、同じように敬語で話す。なぜなら、そっちのほうが圧倒的に楽だから。「この人にこんな言い方をして気を悪くしないかな」とか「この人にはため口なのにあの人に敬語だったら変だとおもわれないかな」とか気をもむ必要がない。誰であろうと敬語。向こうがどんなに気安く話しかけてきても敬語。

 ずっと敬語だと、接近することはむずかしいだろう。常に敬語で話す人に対して、プライベートで遊びに行こうよ!とはなりにくいものだ。でもそれでいい。こっちは高得点を挙げたいんじゃなくて失点したくないだけなんだから。




 笑いについて。

 微笑みとか、笑いというのは、自発的なものですね。もしくは自発的に見せなければならないものです。会話している相手から自然に笑みがこぼれたり、笑いが発したりすると、話をしていて、なんとなく嬉しくなる、非常にリラックスした気分になって、解放された心持ちになるのです。
 そういう魅力が、機械的な笑いには一切ない。むしろ笑いという人間にとってかなり自然な現象を、無理やり作り出してしまっているという感じが、無残であると同時に侮辱を受けているような気分にさせるのです。
 エアロビクスという競技がありますね。あの競技は、演技者が、飛んだり跳ねたりしながら、始終笑っているという気持ちの悪い(失礼)ものですが、あの笑いと、ファースト・フードの笑いは同じです。

 あー。たしかに、エアロビクスとかフィギュアスケートとかアーティスティックスイミングの笑顔って気持ち悪いよね。顔に張り付いたような笑み。無表情のほうがずっとマシとおもえるぐらい不気味。

 しかもあれをやらされるのって女子競技ばっかりだよね。男子には求められない。

 ああいうのもなくなっていくかもね。早くなくなるといい。


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【読書感想文】麻宮 ゆり子『敬語で旅する四人の男』 / 知人以上友だち未満

敬遠の語



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2023年11月24日金曜日

【読書感想文】風野 春樹『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 / 時代に愛され、時代に消された男

島田清次郎

誰にも愛されなかった男

風野 春樹

内容(e-honより)
本当に天才だったのか。―本当に狂人だったのか。大正時代を流星の如く駆け抜けた作家、島田清次郎。二十歳で空前のベストセラーを生み出し、二十五歳で精神病院へと収容される。その数奇な一生を現役精神科医がたどりなおす新たな人物伝。

 島田清次郎という作家の評伝。

 島田清次郎は大正時代に活躍した作家。デビュー長篇『地上』がベストセラーとなり、さらに自伝的内容であったことから島田清次郎も若者たちからカリスマ的人気を博す。その後も次々にヒットを飛ばすが、清次郎の傲岸不遜な態度が文壇で不評を買い、さらに誘拐・監禁・強姦というスキャンダルにより実質的に文壇から追放、統合失調症(当時の病名は早発性痴呆)を発症し、妄想にとりつかれ、三十一歳で死去するまで晩年は精神病院で過ごした。

 数々のトラブルやスキャンダルにより、文壇からは半ば黙殺され、今となっては国語の教科書にも載っていない。彼の作品も『地上』第一部がかろうじて青空文庫で読めるぐらいで、他の本はすべて絶版。つまり新刊書店では手に入らない。


「俳優やミュージシャンが逮捕されたからといって作品まで非公開・回収する必要があるのか?」という議論がなされることが多いが、文芸に関してはけっこうゆるやかだ。

 薬物中毒だった坂口安吾や中島らも、自衛隊駐屯地に侵入して割腹自殺した三島由紀夫なんかの作品は今でもふつうに書店で手に入る。死刑囚が獄中で書いた手記を発表することもあるし、他のジャンルに比べれば「犯罪は犯罪、作品は作品」と考える向きは強いとおもう。

 にもかかわらず島田清次郎作品は書店から消えてしまった。作者の人となりだけが原因ではないのかもしれないが、なんとも残念なことだ。




 この評伝を読んでいると、島田清次郎という人物はじつに傲岸不遜、尊大な人物だ。

  こうして中山の家に居候することになった清次郎だが、その後「地上」が出て名声があがると、中山や妹、さらには両親までもを奴隷扱いするようになり、「お前の家にいてやるのを光栄とおぼえろ」などと言い出すようになった。
 両親からも苦情を言われ、妹からは清次郎に手を握られたなどと抗議され、ついに堪忍袋の緒が切れた中山は、清次郎を家の外へと投げ出してしまった。清次郎は衣物の泥を払いもせず「覚えていろ」と捨て台詞を吐くと、それっきり戻らなかった。荷物はあとで車屋に取りに来させた。
 小学校時代からの友人である林正義も、同じ上胡桃町の清次郎の部屋を訪ねている。そのとき、清次郎はちょうど『地上第二部』を執筆中だった。
「お母さんも喜んでおられるでしょう」と林が祝辞を述べたところ、清次郎はこう答えた。
「そうです、しかし母はぼくがどれだけ偉くなったかを知らないだけかわいそうです、実際総理大臣より偉くなったんですからね」
 林が自分たちも同人誌を作っていることを告げると、清次郎はすかさず
「ぼくのように成功すると、それが刺激となって、君達も真似するようになるんでしょう」
と答えたため、林は辟易したという。
「流感で臥てゐる。人は冷たし、木枯しは寒し、これまでの態度は悪かったから、看護に来てくれ」と、清次郎は中山のもとに葉書を送った。
 当時の清次郎は蓬萊館という本郷の安下宿にいた。障子は破れ、戸の建てつけが悪くて外気が吹き込むという悲惨な状態だった。すっかり同情した中山は、糊を買ってきて障子を張り替え、戸の隙間には新聞紙を詰め、炭を買ってきて部屋を暖め、流感に効くといわれていた漢方薬の地龍を煎じて清次郎に飲ませた。
 すると、看病の甲斐あって翌朝には平熱に戻り、三日目には清次郎は床の上に座れるまでに回復した。
 元気になるとともに傲慢な発言も戻ってきた。清次郎は、『地上』を出してもらった某氏(おそらく生田長江か堺利彦だろう)に対して暴言を吐き、「天才に奉仕するのが凡人の務めだ」と言い出した。
 失礼な物言いが腹に据えかねた中山が「ほう、では僕が君を看護するのも、君のような天才に対する務めかね」と訊くと、「そうだ、生意気な口答えをするな、貴様は同郷だから出入りを許してやるのだ、吾輩の看病をさせてやるのをありがたく思え」と清次郎は言い放った。
「何を言うか、お前は木枯しは寒し、人は冷たし、来てくれ頼むと泣き言で哀願したから、窮鳥も懐に入れば猟師も云々と言うから、お前は生意気な野郎だが、来てやったのだ。お前に何の責任があって奉仕せねばならぬのか」と中山は怒鳴った。
 すると清次郎は「天才に反抗するか」と言って、まるで殿様が家来を手打ちにするような形で中山に殴りかかったのである。

 こんなエピソードのオンパレード。これでもごく一部だ。

 ほとんど誰に対してもこんな態度だったという。さぞ嫌なやつだったんだろう。「生意気にふるまってるけど実はこんなかわいい部分もあった」みたいな話すらまるでない。副題の『誰にも愛されなかった男』は決して大げさな表現ではない。中には彼の才能を買っていた人もいるが、島田清次郎の身近な人で、彼を愛していたのは母親ぐらいだったようだ。


 島田清次郎の不幸は、才能があったことじゃないだろうか。

 たいていの人が、多かれ少なかれ、傲慢な部分を持っている。特に若い頃は根拠のない自信に満ちあふれ、「おれをそこらへんの人間といっしょにするな」という意識を持っている人は多い。ぼくもそのひとりだった。

 もしぼくが若くから何かの分野で評価され、若い世代のカリスマとして持ち上げられていたら……。きっと天狗になっていたことだろう。周りを見下し、威張り散らす、とんでもなく嫌なやつになっていたことだろう。

 だが幸か不幸かぼくは天才ではなかった。いろんなところで鼻っ柱をへしおられて、現実との折り合いをつけて生きていく道を選んだ。というかそうやって生きていくしかなかった。そのおかげで、とんでもなく嫌なやつにはならず、そこそこ嫌なやつで収まっている。たぶん。

 しかし島田清次郎はそうではなかった。傲慢な態度のままで生きていけるだけの才があった。これが彼の不幸の根源だったのかもしれない。

 幼い頃から成績優秀で、弁論大会に出るほど弁が立って、小説を書けばベストセラーとなって若いファンが天才だとあがめてくれる。これは天狗にならないほうがむずかしいかもしれない。

 とはいえ島田清次郎の場合はちょっと限度を超えている気もするが……。気質の問題もあったのだろう。

「令嬢誘拐事件というスキャンダルが原因で失脚」とされているが、この事件にしても、ちょっとまともな人のやることとはおもえない。この頃にはもう統合失調症がだいぶ顕かになっていたんじゃないだろうか。女性を誘拐して監禁・連れまわし、警察に捕まり、女性の家族から裁判を起こされてもなお、当の女性と結婚できると信じていたのだから。

 傲慢だったから人気を失ったとおもえば自業自得という気もするけど、病気のせいでそうなったのだとおもえば気の毒でもある。




 ところで、大正時代って人権意識が低いなあと改めて感じる。

 島田清次郎が令嬢を誘拐したり強姦したりしたことについても「令嬢のほうが島田清次郎にファンレターを送ったり家族に内緒で会いに行ったりしていたからしかたない」という理由で令嬢のほうが悪いとされたり(裁判所もそういう判断をくだしている)。嫁入り前の女が男に近づいたらレイプされてもしかたない、とみなされる時代だったんだなあ。

 精神病院に入った島田清次郎をおもしろがって、わざわざ会いに行って「こんな支離滅裂な言動をしていた」と新聞記事にしたり。

 ひっでえ時代だなあ。

 島田清次郎は時代の寵児でもあり、忌み児でもあったのだ。


2023年11月21日火曜日

小ネタ6

 

引き取り

ここはひとつお引き取りください。息を。


余計な真実を言う人

「まあまあ、本人もこうやって反省してるポーズをとってるわけですし」


みみ

食パンの耳を表す漢字は「餌」。


好調

テレビのニュースで「クマの出没増加を受けて、クマ撃退グッズが好調です」と伝えていた。

それを「好調」と呼ぶのってあってるんだろうか。そりゃあ武器商人にとっては「戦争が起きて武器が好調です!」って気持ちかもしれないけど、買うほうは買いたくて買ってるんじゃないよ。

どこかの100均ショップで香典袋に「今売れてます!」というポップがつけられていたけど、それに似たものを感じる。売れてるからって人気とはかぎらんぞ。



2023年11月20日月曜日

【読書感想文】杉元 伶一『就職戦線異状なし』 / いろいろとクレイジー

就職戦線異状なし

杉元 伶一

内容(e-honより)
暴走する若さ、純情きわまる愚行の限りを尽くす大学生たちを襲う実社会の試練“就職”の実態を描く長篇小説。講談社、文春、新潮社からフジTVなどマスコミへの入社へ向けての大奮闘。高額初任給とやりがいのある仕事、恋愛まではたして就職戦線の勝利者となるのは誰か?若者たちに大人気の映画原作。

 刊行は1990年。翌年には映画化されている。

 タイトルぐらいは聞いたことがあったけど内容はぜんぜん知らなかった。

 で、読んでみたわけだけど、なんていうか、おもしろかった。でも小説の内容がおもしろかったというより、変な小説でものめずらしくておもしろかったというか。


 なんちゅうか、ずっとドタバタしてる。あんまり説明がない。いろいろとクレイジー。「マスコミ業界をめざして就職活動をする四人の大学生と、その四人のうち誰が最初に内定をもらうかを賭ける後輩たち」というストーリーなのだが、背景の説明もないし、登場人物はみんな変なやつだし、むちゃくちゃなことばかり言っている。

 テレビ局や新聞社、出版社などの名前はすべて出てくるのに、急にスパイダーマンが出てきたり、謎の企業が出てきて荒唐無稽な入社試験をしたり、妙に現実的なところと突拍子もないほら話が入り混じっている。

 マジックリアリズムってやつかな。

 小説としてのうまさとかストーリーの組み立ての妙とかそんなものはまったく気にしないで、とにかくエネルギーだけをぶつけた、って感じの小説。こういうの、嫌いじゃない。読みにくかったけど。

 今でこそネットで「素人が書いた情熱だけは感じられる文章」をいくらでも読めるけど、三十数年前はそうとう斬新だったんじゃないかな。




 ぼくも大学時代、マスコミ業界を夢見ていた。といっても明確なビジョンを持っていたわけでも、マスコミ業界に進むために一生懸命研究・対策していたわけでもなく、ほんとにただ漠然と「なんかおもしろそう」とおもっていただけだ。まさに〝夢見ていた〟という表現がふさわしい。

「若く麗しい学生時代に人生何をはかなんだのか文芸サークルに入り、文学や小説や挙げ句の果てに現代詩だのとアナクロここに極まれりの繰り言のうちに過ごしてしまった奴は、いざ卒業って段になってパニックを起こすんだよ。自分のような言語と精神、季節の移り変わりや善と悪の問題に敏感な人間が粗雑で獰猛な実社会に放り出されて生きていけるのだろうかと悩んでしまう。大体、二十世紀もお終いにきたこのご時世に文学なんぞを志向している奴は自己について巨大な誤解をしてるに違いないんだ。僕は人と違って多分にラジカルでシニカルでクリニカルだなんて自惚れていやがる」
 大原は手で膝を打った。
「それは言えてる」
 スパイダーマンは胴間声で吼えた。
「たーだお気軽なだけなのによ。そして歪んだ頭を働かせて卒業後の行く末に結論を出すんだ。マスコミだ! マスコミならこんな僕でも生きてゆける。これこそ天職、僕の適性ってな具合さ。マスコミの仕事ってのは漠然としてて掴みどころがないからな」

 もう、まさにこれ。

 そうなんだよね。現実と向き合ってないだけなんだよね。ほんとはありもしない己のクリエイティビティを活かせる仕事はマスコミぐらいしかない! ってあさはかな考え。

 自分が就活する前に読んでおけば、もうちょっと己の浅慮さに気づけたかもなあ。


 立川は尋ねた。
「大原さんはレコード会社を受けなかったようですね。音楽は詳しいし、好きでしょう。見込みがあったかもしれない」
 大原は首を振り、
「だから受けなかったのさ。音楽は俺の唯一の気晴らしだ。そりゃ自分の好きな洋楽、なかでもロック、とりわけ熱烈なファンであるバンドの担当になれたとしたら、理想の職業だろうさ。でも、先天性音感欠如症のアイドル歌手やらこぶし命の演歌歌手やらの宣伝やらされて、そいつらのレコードを売り物、価値ある物として否応なく聴かされたら、俺は確実に発狂すると思う。さりとて、仕事となれば、頭がおかしくなる自由さえ認められない。音楽自体が嫌いになりかねない。あくまで自己裁量の利く趣味として接していたい」
 糸町が言った。
「俺が就職試験でうまくいかないのもそれと同じ潜在的な恐怖が原因なのかもしれない。面接でやりたい仕事を訊かれると、やりたくない仕事ばかり頭に浮かんで失語症になりかける。粗雑なマンガを読ませてガキの感受性をズタズタにする幼児虐待はしたくないし、女の裸をちらつかせ、青少年の性衝動に訴えて小銭を巻き上げるポン引き稼業はしたくない、人様の人畜無害なスキャンダルに定価をつけるのは犯罪だと思っている、いちいち挙げていくとキリがないが、総括すれば、そうでなくても日本中に無駄に多いアホを増殖して増長させる運動に加担したくない。パルプ資源に限りはあるんだ、地球上の原生林を単なる金儲けで砂漠に変えていい法はない。そう思うと、面接室における自分の存在理由が消滅してしまう。俺は何しにここへ来たんだろうって絶句してしまうこともしばしばだ」
 立川はさすがに呆れ返り、
「遠慮がないなあ。あわよくば自分も作家になって、本を出そうとしている者の言うことじゃない。別にマスコミに限らず、産業分野の何にでもその種の難癖はつけられる。原子力発電に反対だから電気製品関係の会社は嫌だ、世界中に飢餓難民がいるから食料品関係の会社は駄目だなんて言いたてていったら、それこそキリがない。就職以前にこの社会で生きていけなくなる」
 大原が天井を睨んで呟いた。「さーて、いよいよ就職が難しくなってきたぞ」

 ぼくもこういう心境だったなあ、就活してるとき。

「就職したくない理由」ばっかり考えてたんだよね。一生懸命、就職したくない理由を探してた。とにかく社会に出たくなかったんだよな、今おもうと。

 何十年たってもモラトリアム大学生の考えはそんなに変わらないね。




 話の中にはどっぷり入れなかったけど、時代性が強く感じられて歴史的資料として読むとけっこうおもしろかった。


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2023年11月14日火曜日

小ネタ5

カッパチーノ

 アンパンマンのサブタイトルが「バタコさんとカッパチーノ」だった。

 てっきりアル・パチーノみたいなマフィア風のキャラが出てくるのかとおもって観ていたら、お皿の部分がコーヒーカップになっている河童のキャラが出てきた。

 アル・パチーノじゃなくてカプチーノのもじりだった。


鼻にティッシュ

 近所の男の子が鼻にティッシュを詰めて歩いていたので「鼻血?」と訊いたら、「なんでわかったん!?」と驚かれた。


アクセント

 インディーズのCD、と発音するとき「ディ」にアクセントを置いて発音する。本来の発音は「イ」にアクセントだとおもうのだが。なぜだろう。

 雑貨屋のLOFTや、住宅の中二階のロフトも、フにアクセントが置かれる。最初に言い出した人がまちがえたというよりわざとやっているとしかおもえない。

「外国語をわざとイントネーションを変えて発音する」現象に名前はついているのだろうか。


インディーズ

 ついでに「インディーズ」の定義を調べたら、Wikipediaに「主要なインディーズ音楽レーベル」という項目があった。インディーズなのに主要とはこれいかに。「ベテラン若手芸人」みたいなものか。



2023年11月10日金曜日

小ネタ4

紫外線

「紫外線は肌に悪い」なんていうけど、ずいぶんと雑なくくりじゃないか。

 紫外線とは、波長が400ナノメートルより短い光線のことを指す。ヒトの目に見える最も短い波長が紫で、それより短いから紫外線というわけだ。

 くわしいことはよく知らないけど、400ナノメートルより短い波長の光がどれも等しく肌に悪いかというと、たぶんそんなことないだろう。めちゃくちゃ悪いやつもあれば、わずかに悪いやつもあるはずだ。もっといえば、紫外線じゃないけど紫外線と同じくらい肌に悪い光線だってあるんじゃないか。

「紫外線は肌に悪い」なんていうのは、「海外は治安が悪い」というぐらい雑な論調じゃなかろうか。


わり算のあまり

 小学四年生くらいで「わり算のあまり」を習う。15÷4は3あまり3、みたいなやつ。

「あまりを求めましょう」ばかり出題されるけど、現実には「たりず」が求められる場合もけっこうある。

 たとえばさ。15個のプチシュークリームをもらいました。家族4人で分けます。算数のわり算だと「3あまり3」となるけど、「3あまるから、1人3個ずつ分けて、あまった3個は捨てましょう」……とはならないわけじゃん。現実的には。

 あまってもしょうがない。プチシューは日持ちしないし、おすそわけするようなものでもない。りんごだったら3/4ずつできるけどシュークリームを分割したらべちゃべちゃになる。

 だからじっさいは「1人4個ずつね。お父さんは3個でいいよ」となるわけだよね。計算式でいえば「15÷4は4、1たりず」という思考が求められる。

「あまりを求めましょう」だけでなく「たりずを求めましょう」の問題があってもいい。


モテ自慢

 ふと気づいたんだけど、「モテ自慢」をするのは99%男だ。

 女は「彼氏/夫がステキ自慢」をすることはあっても「多くの人にモテる自慢」はしない。



2023年11月9日木曜日

俳優が不祥事を起こしたら、その人の過去の出演作品が公開停止になる件

“俳優が不祥事を起こしたら、その人の過去の出演作品が公開停止になる”件について。

「これから公開しようとしていた映画」や「公開したばかりの映画」をお蔵入りにするのには反対だ。罪のない、制作会社や監督や他の出演者が被害を受けるので。


 その一方で、「過去の出演作品」を配信停止にするのはどうなんだろう。

 観られなくなるのは困る、という気持ちはわからんでもないが、「そもそも十年前の作品を今観る人がどれだけいるんだ?」ともおもう。

 俳優Aが逮捕されたらしい → 俳優Aって何に出てた人だっけ? → そうだ、十年ぐらい前のZという作品に出てたんだ → ひさしぶりにZを観たくなったなあ → えっ、Zが配信停止? 観たかったのに!

……みたいなケースも多かったんじゃないだろうか。

 つまり、Aが逮捕されたから観られなくなったZは、Aが逮捕されてなかったらそもそも観ようともおもわなかったんじゃないだろうか。


 仮に、過去作品の配信停止の基準をもっと厳しくしたらどうだろう。出演者が逮捕されたら配信停止、逮捕されなくても不倫とか炎上でも配信停止、出演者だけでなく裏方がやらかしても配信停止、とする。

 すると「この作品は今観とかないといつ観られなくなるかわからない!」となり、積極的に新作を観ようとする人が増えるんじゃないだろうか。

 そして、俳優や制作会社からすると古い作品を何度も観る人よりも最新作を観る人が増えるほうがありがたいんじゃなかろうか。


「これは貴重な作品ですよ」

 「というと」

「五十年前の作品なんですけどね。キャスト、スタッフ誰ひとりその後何の問題も起こしていないんです。五十年前の作品で今でも観られるのはこれぐらいですよ」



2023年11月8日水曜日

オセロの先手

 前にもちらっと書いたことがあるけど、オセロ(リバーシ)の先手は実質後手だ。


 初手で先手(黒)が置ける場所は以下の4つだ。


 この4つ、回転・反転させればどれも同じ形になる。たとえばAとBは線対称、AとCは点対称、AとDも線対称だ。オセロは上下左右が意味を持たないので、どれも同じ形とみなしていい。

 指す手によって盤面が変わるのは二手目(後手側)からだ。だから、上図の形から白先手ではじめてもいっこうにかまわない。


 つまりオセロの初手は野球の始球式と同じで、単なるセレモニーにすぎないのだ。

 オセロの大きな大会を開催するときは「アイドルや金メダリストがやってきて初手だけ指す」というファンサービスイベントをやってもいいかもしれない。




2023年11月5日日曜日

日本シリーズはなぜ最後までやらないのか

 日本シリーズってなんで最後までやらない(こともある)んだろう。


 先に4勝したほうが勝ち。だから7戦目を迎える前に決着がついてしまう可能性がある。

 それはわかる。

 でも、その後もやったらいいじゃない。公式戦では優勝が決まった後も消化試合としてやってるじゃない。同じことをクライマックスシリーズや日本シリーズでもやればいいじゃない。


 途中で打ち切るのってマイナスだらけじゃない?

 まず興行的にマイナス。途中で終わったら販売したチケットを払い戻さなくちゃならない。それにかかるコストだけでもけっこうなものだろう。

 また、球場は7戦目まで押さえとかなくちゃいけない(可能性は低いけど起こりうるのでたぶん8戦目や9戦目にも備えてある)。途中で打ち切られたらその分が機会損失になる。

 チケットを買ってたファンも試合がなくなってがっかりする。試合ごとなくなるぐらいなら消化試合でもいいから観たい、って人のほうが多いんじゃない?

 それから、あるかどうかわからない試合のためにテレビの放映枠を調整するのもたいへんだろう。

 あとプロ野球の魅力のひとつに、様々な記録を見ることもあるんだけど、日本シリーズ記録はいまいちすごさがわかりづらい。それは試合数が異なるから。7試合で4本塁打の人と5試合で4本塁打の人をどっちも「最多本塁打記録」として扱うのは無理がある。毎年7試合やることにすれば記録も比べやすい(8戦目以降にもつれたときだけ参考記録になる)。


 いろんなスポーツがあるけど、天候やケガみたいな「試合をできない状況」以外の理由で、試合ごとなくなるのってプロ野球ぐらいじゃない?

 どのスポーツでも、優勝が決したからといって試合がなくなったりはしない。

 大相撲なんて、片方の力士が休場しても「取組無し」とはならない。対戦相手の力士は不戦勝となり、ちゃんと土俵に上がって勝ち名乗りを受ける。記録にもちゃんと白星がついて、相撲をとっての勝ち星と同等の扱いを受ける。戦ったことになるのだ(大相撲の取組がなくなるのは八百長がばれたときだけだ)。


 そういや野球って「九回表終了時点で後攻が勝ってる場合は九回裏をやらない」ってルールもあるし、変なところで無駄を嫌うよね。「間に合わないとわかってても最後の打者は一塁にヘッドスライディングをする」みたいな無駄は大好きなくせに。

 野球、いやスポーツなんてそもそもが無駄なものなんだからいいじゃんねえ、無駄があっても。









2023年11月2日木曜日

他人のジョーク

 こないだ、某氏の市長が公式のスピーチで「スピーチとスカートは短いほうがいい」と発言し、内容が不適切だとしてニュースになっていた。

 けしからん。じつに不適切だ。

 ぼくが不適切だとおもうのは、「どこかの誰かが考えて、さんざん使われて、誰もが知っているジョークを我が物顔で使うこと」だ。


 なんなんでしょうね。ああいうこという輩。

 レストランで食事が運ばれてくるのが遅かったら「遅いな。今、魚釣りに行ってんちゃうか」みたいなのはまだいい。身内でやっているだけだから。

 問題は、不特定多数が集まる場。式典の来賓あいさつとか、結婚式のスピーチとか。

 そういう場で「誰かが考えた話」を我が物顔で披露する人の気が知れない。寄席じゃないんだから、気の利いたことを考えられないなら言わなくていいのに。まじめに、あたりさわりのないスピーチをしてればいいのに。誰もそういう場で「心の底から笑える話」とか「深く感銘を受ける話」なんて期待してないんだから。

 

 以前、友人の結婚式に出席したとき。仕事関係で来ていたえらい(らしい)おっさんがそういうスピーチをやらかしていた。

「えー、みなさん、楽しいときはどう笑いますか。『はっはっ』と笑いますね。はっぱ六十四です。悲しいときには『しくしく』と泣きますよね。しく三十六です。六十四と三十六、たしてちょうど百になります。人生の三分の二ぐらいは楽しいことがあり、三分の一ぐらいは悲しいことがあります。〇〇くんと××さんのおふたりには、楽しいことは共有して、悲しいときは分けあって……」

とやっていた。それも「どや、うまいこと言うたったやろ!」という顔を満面に浮かべて。


 どういうつもりなんだろう。どういう神経をしていたら、誰もがどこかで何遍も聞いたことのある話をさもオリジナルであるかのように話せるんだろう。

 自分が考えた話ならいい。「なんで六十四が人生の約三分のニなの。合計を百とするって誰が決めたの」とか「なんでだじゃれで人生のおもしろさと悲しさの配分が決まるの」とか言いたいことはいろいろあるけど、本人が一生懸命考えて人前で話したのなら、他人がとやかく言うことじゃない。

 でもそのおっさんは、他人のつくった話を、我が物顔で披露していた。殊勝に「すみません、私は気の利いたスピーチを考える才能がまったくなくて、スピーチ集の本に載っていた話をそのまま話させていただくんですが……」と前置きすればまだかわいげもあるが、まるで自分がうまいことを言ってやったみたいなしたり顔で。


 ほんと、センスがない人は他人が考えた話をパクってまで無理に気の利いたことを言おうとしなくていいから! 誰も得しないから!


2023年11月1日水曜日

【読書感想文】デヴィッド・スタックラー サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』 / 緊縮財政は人を殺す

経済政策で人は死ぬか?

公衆衛生学から見た不況対策

デヴィッド・スタックラー(著) サンジェイ・バス(著)
 橘 明美(訳) 臼井美子(訳)

内容(e-honより)
不況下において財政刺激策をとるか緊縮財政をとるかは、国民の健康、生死に大きな影響を与える。世界恐慌からソ連崩壊後の不況、アジア通貨危機、サブプライム危機後の大不況まで、各国の統計から、公衆衛生学の専門家が検証。同じように深刻な不況へ陥った各国が、異なる政策をとった結果、国民の健康にどのような違いを生んだか?緊縮財政が著しく国民の健康を害して死者数を増加させるうえ、景気回復も遅らせ、結局は高くつくことを論証する。長年の論争に、イデオロギーではなく、「国民の生死」という厳然たる事実から答えを導く一冊。

 公衆衛生の研究者と医師による、経済政策と国民の健康や生存率に関する調査。

 過去の様々な事例をもとに、どのような政策で「人は死ぬ」のかを明らかにしている。




 不況や財政危機になると、国民の健康が犠牲になることがある。医療、公衆衛生、住宅政策などにまわす予算が削られる。「健全な財政のためには一時的な犠牲はしかたがない」という論理だ。「経済が悪化すればもっと多くの犠牲が出る。多くの犠牲を防ぐためには当面のある程度の犠牲はいたしかたない」というわけだ。

 ところが。

 金融危機や経済危機をきっかけに債務危機に直面した国には、医療や食料費補助、住宅補助といった社会保護政策に支出する余裕などないと思う人は少なくないだろう。ところが現実のデータを調べてみると、ある種の財政刺激策、すなわち特定の社会保護政策への予算投入は短期的に経済を刺激し、結果的に債務軽減にもつながることがわかる。そうした政策への一ドルの投資は三ドルの経済成長となって戻ってきて、債務返済にも充当できるようになる。逆に急激かつ大規模な財政緊縮策の結果を調べてみると、当初の意図に反して、景気低迷を長引かせる結果に終わっている。急激な予算削減で需要がさらに冷え込み、失業者が増え、負のスパイラルが起きる。同時にセーフティネットが働かなくなって感染症の拡大など健康問題が深刻化し、景気回復どころかかえって財政赤字が膨らんでしまう。

 経済のために国民の健康を犠牲にすれば、経済は上向くどころか、かえって回復が遅くなってしまうのだ。もちろん死者数は増える。国民の健康に回す金を削れば、国民は不健康になる、国の医療費負担は増える、国全体の生産性は落ちる、と悪いことづくめなのだ。

 中学校の歴史の教科書にも書いてあった。1929年の世界恐慌の際、アメリカはニューディール政策という経済政策をとり、公共事業を増やし、市民の雇用を守ることに予算を投じた。その結果、経済は上向き、危機を乗り切ったと。

 ウェルチの主張は正しかった。ニューディール政策の費用は大恐慌期でも捻出できる規模のもので、今日の感覚からしても、費用対効果が優れていたと言える。ニューディールにおける社会保護政策の費用対効果は、費用に対して何人の命が救われたかという観点で計算すると、一般的な医薬品とほぼ同じレベルに達していた。
 ニューディール政策全体で言えば、その額がGDPの二〇パーセントを超えることはなかった。しかしそれは死亡率の低下だけではなく、景気回復の加速にも役立ったのである。アメリカ人の平均所得はニューディール政策の開始後すぐに九パーセント上昇し、それが消費を押し上げ、雇用創出の下支えにもなった。この政策に反対だった人々は財政赤字と債務増加の悪循環を警戒したが、結果的にはこの政策が景気回復を助け、債務も減る方向へと動いた。

 その他、様々な国でも同様の傾向が見られる。この本では、アイルランド、スウェーデン、アメリカ、ギリシャ、ロシア、イタリアなどの事例をもとに「緊縮財政が国民を殺し、国の経済を失速させる」ことを確認している。

 財政再建を後回しにして国民の命を守ることに金を使ったアイスランドはスピーディーに再建を果たし、逆にソ連崩壊後のロシアや財政危機に瀕したギリシャでは国民の健康を守るための出費を抑えたことで、経済のよりいっそうの低迷を招いた。

 本書のタイトルである『経済政策で人は死ぬか?』は決して大げさな表現ではなく、政策によって数千人、数万人の命が救われるか失われるかが変わることがあるのだ。連続殺人犯でもそんなに殺せないよ。


 財政危機に陥った国にはIMF(国際通貨基金)が介入することが多いが、IMFの言うこと(緊縮財政)を聞き入れない国ほど再建が早まっているのは皮肉なことだ。




 医療、公衆衛生など「国民の健康を守る」ことへの投資はあらゆる支出の中でも効果が高いという。雇用の創出にもつながるし、国民が健康になれば経済活動も活発になる。国家財政にとって、支出した分以上の利益を生むことがわかっている(もちろん一部の企業がごっそり中抜きしたりして不正に使われた場合は別だが)。

 だから財政難になろうとも、医療、公衆衛生、雇用対策などの金は削ってはいけない。削れば余計に財政が厳しくなる。むしろ積極的に公共投資を増やしたほうがいい。短期的には支出が減らなくても、中長期的に見ればそちらのほうが経済の立て直しにつながる。

 逆に、銀行の救済や軍事への支出は、使った分以下の経済効果しか生まないことが多いのだそうだ。


 このように、不況が自殺増加の主要因の一つであることは間違いないが、不況でなくても自殺が増えることはあるし、逆に不況だというだけで自殺が増えるわけでもない。イタリアとアメリカの例のように、政府が失業による痛手から国民を守ろうとしなかった場合には、だいたいにおいて失業の増加と自殺の増加にはっきりした相関が表れる。しかしながら、政府が失業者の再就職を支援するなど、何らかの対策をとると、失業と自殺の相関が低く抑えられることもある。たとえば、スウェーデンとフィンランドは一九八〇年代から一九九〇年代にかけて何度か深刻な不況に見舞われたが、失業率が急上昇した時期にも自殺率はそれほど上がらなかった。それは、不況が国民の精神衛生を直撃することがないように、特別の対策がとられたからである。この点はあとで詳しく述べる。
 不況になると失業が増えるのはどこの国でも同じで、避けようのないことかもしれない。しかし、自殺率の上昇はそうではない。

 だが、福祉や雇用維持に使う金は財政危機時には削られやすい。効果が見えにくい、即効性がない、私企業にとっての直接的な旨味がない、そのため集票や資金集めにつながりにくいことなどが原因なのだろう。

 身もふたもない言い方をすれば、「金持ちに使う金を削り、貧乏人や弱者に金を使うのがいちばん効果的」ってことだからね。そりゃあ政財界は現実から目を背けるわ。


 経済を立て直す必要に迫られたとき、わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは、持続的で人間的な回復であって、経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず、それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても、それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら、それに何の意味があるだろう? 一九六八年にロバート・ケネディが指摘したとおりである。
 今回の大不況について次の世代が評価するときがきたら、彼らは何を基準に判断するだろうか? それは成長率や赤字削減幅ではないだろう。社会的弱者をどう守ったか、コミュニティにとって最も基本的なニーズ、すなわち医療、住宅、仕事といったニーズにどこまで応えられたかといった点ではないだろうか?
 どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。

 今の日本もまた、賃金が上がらず、物価だけが上がり、国家財政は借金が増え、経済的にはかなり苦しい状況にある。

 そんな中で「弱者に金を使う」方向に舵を切っているかというと……とてもそうは見えない。過去から学ばんでいないか、それとも知っていた上で私腹を肥やすために真実を見て見ぬふりしているか、どっちだろうね。


 ちなみに「減税しろ!」「消費税を廃止しろ!」という意見も多いが、それにはぼくは賛成しない。勘違いしている人が多いが、正しく使われれば、税金が増えれば増えるほど貧しい人は得するんだよ。1兆円減税すれば国民に1兆円が渡るだけだけど、1兆円の公共事業をおこなえば、賃金として1兆円を国民に渡せる上に、1兆円分の財を生むことができる。

 悪いのは使われ方(万博みたいな巨大ごみをつくったり、ごっそり中抜きする会社に渡したり)であって、税金が高いことは決して悪いことじゃない。


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2023年10月31日火曜日

小ネタ3

嘘略語

 バーの店員、略してバーテン


放送禁止用語

 エッチな言葉とかより「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「お客様は神様です」みたいな間違った考えを植えつけようとする言葉の方を放送禁止用語にしたほうがいい。


インドの国旗

 


 インドの国旗の上部の黄色っぽい部分の色の名前は「サフラン」だそうだ。サフランといえばカレーに使う香辛料。どんだけカレーが好きなんだ、インド人。いっそ片方をカレー色にして、もう片方をナンの色にしたらいいのに。

 しかしインド人はインド人で、
「えっ、ごはんと梅干しを日の丸弁当っていうの。弁当にちなんで国旗をつくるなんてどんだけ梅干しとご飯が好きなんだ、日本人」
とおもっているかもしれない。


スーパーマンのマント

 スーパーマンはマントをつけているが、飛ぶためにマントはまったく必要ない。むしろじゃまだ。枝とかにひっかかりそうだし。

 あれは飛ぶためではなく飛んでいることを視覚化するためだろう。空に浮いている人の絵を見ても、飛んでいるのか空中で静止しているのかわかりにくい。でもマントが一方向にたなびいていたら飛んでいることがわかる(もしくは強風の中で静止しているか)。



2023年10月30日月曜日

一斉掃除

 世の中には「みんなで一斉に掃除をしないと意味がない」とおもっている人がいるらしい。


 朝、オフィス街を歩いていると、たまに「社員が外に出てきてごみ拾いをしているをしている会社」を見かける。一社ではないので、「社員にごみ拾いをさせることでいいことがある!」みたいな思想が世の中にはびこっているらしい。

 といって毎朝やっているわけではない。たとえば、ぼくがよく見るO社の場合、毎月一日だけ(一日が休日のときは翌日)社員が外に出てゴミ拾いをやっている。

 その思想自体にはもちろん反対しない。が、ふしぎなのは社員が一斉にやっていることだ。


 みんなでほうきやちりとりを持ってごみを拾っている。だがオフィス街にはそんなにごみが落ちていない。オフィス街にいるのはたいてい常識人なので喫煙者以外はゴミのポイ捨てをしないし(タバコが人を狂わせることがよくわかる)、行政もちゃんと仕事をしているので、さほどごみは落ちていない。

 そこにO社の社員数十人が出てきても、たいして拾うものがない。見るからに手持ちぶさたで、みんな目を皿のようにして必死にわずかなごみを探している。

「もし今ぼくがごみをばらまいたら、この人たちは非難するどころか『ごみを捨ててくれてありがとう!』と感謝してポップコーンを撒かれた鳩のように群がってくるんだろうな」なんてことを考えてしまう。


 ふつうに考えたら、六十人がみんなで一斉に一日だけ掃除をするよりも、社員を三人ずつの二十のグループに分け(月の営業日を二十日とする)、今日はこのグループ、明日はこのグループ、と交代でやるほうが効率がいいに決まっている。

 ごみが出るペースは毎日ほとんど変わらないのだから。月初だけきれいにするより毎日きれいにしたほうがいい。

 グループ分けをしても、社員にとって「月に一回だけごみ拾いをする」ことは変わらない。

 しかも六十人が一斉に掃除をすると掃除道具も人数分いるが、三人ずつでやれば掃除道具も三つで済む。

 どう考えても、「六十人が一斉に同じ日にごみ拾いをする」より「日替わりで三人ずつが掃除をする」のほうがいい。

 O社は一流企業である。そこで働いている人たちは頭のいい人なんだから、ほとんどの人はそれに気づいているだろう。

 でもそれをやらない。効率よりも、一斉に掃除をすることのほうがが大事と考えている人がいるのだ。



 ぼくが以前働いていた会社にもいた。

 その会社では「始業十分前になったらそれぞれ自分のデスクの周りを雑巾で拭く」というルールがあった(始業時間前に命じている時点で法令違反なのだがこの際それは置いておく)。

 十分前になるとみんなが雑巾を持って洗面所に行くのですごく込みあう。雑巾洗い待ちの長い行列ができることになる。

 ある日、ぼくは始業二十分前に掃除を終わらせ、みんなが雑巾洗い待ちの長い行列をつくっている間、PCに向かって仕事をしていた。

 すると上司が言う。

「おい、掃除の時間だぞ」

「はい、さっき終わらせました」

「そういうことじゃないだろ」


 えっ、そういうことじゃないの!?

 やらずに注意されるとか、みんなより遅くて怒られるとかなら理解できる。だが、みんなより先に掃除に取り掛かって誰よりも早く終わらせて、それが原因で怒られるとはおもわなかった。なんなら「おお、もう終わらせたのか。早いな」と褒められるんじゃないかとすらおもっていた。


 ということで、効率化とか成果とかより「みんなが一斉に掃除をすること」を重視する人はけっこういる。

 いいですか、みなさん、先に金持ちになってはいけませんよ。みんなで一斉に貧しくなることに意味があるんですよ。


2023年10月27日金曜日

小ネタ2

コナンの映画のみたいなジブリアニメのタイトル

『崖の上の半魚人(ポニョ)』

『風の谷の青衣女(ナウシカ)』


『崖の上のポニョ』『風の谷のナウシカ』に続くジブリアニメのタイトル

『山の上のオクラ』


臨時定休日

 とある店のシャッターに「本日は臨時定休日とさせていただきます」と貼ってあった。

 臨時なのに定休とはこれいかに。

 ありがちな間違いだ。じっさい、"臨時定休日"で検索するとたくさんの店舗のお知らせがひっかかった。

 しかし「ふだんは月曜日が定休日だが、店主が通院することになったため急遽、当分の間は火曜日も休むことにした」だったら、火曜日のほうは臨時定休日と呼んでいいかもしれない。


世界一長い川

 Bing AIに「世界一長い川は?」と尋ねたら、「1位がアマゾン川(6,992km)で、2位がナイル川(6,853km)です」との答えが返ってきた。

 あれ? たしか中学校時代に「世界一長い川はナイル川」と習ったはずだぞ?(流域面積1位がアマゾン川と習った)

 で、いろいろ調べてみると、サイトによって情報がちがう(2023年9月25日時点)。

 Wikipediaではナイル川(6,650km)、アマゾン川(6,516km)でナイル川の勝ち。

 他のサイトもいくつか見たが、まちまちだった。特にアマゾン川の長さはサイトによってちがう。

 どうも、アマゾン川は熱帯雨林の中を通っているので河口から最も遠い源流がどこかはっきりしないらしく、調査が進むにつれて新しい源流が見つかることがあり、ちょっとずつ長さが伸びているのだという。7,000kmを超えているという説もあるという。

 ふうん。もう決着がついているのかとおもったら、現在もなお競っているのだ。

 ちなみに、長江が6,380km、ミシシッピ・ミズーリ・レッドロック川は5,969km。アフリカ、南米、ユーラシア、北米と四つの大陸にある川がどれも6,000km~6,500kmぐらいの長さにあるのがおもしろい。もっと大きく差がついてもよさそうなのに。川の限界がそれぐらいなんだろうか。

 ちなみに南極大陸で最長の川はオニックス川といい、その長さは約40kmだそうだ。一級河川になれるかどうか、というレベルだ(一級河川かどうかを決めるのは住民にとっての重要性などで長さで決まるわけではない)。


2023年10月26日木曜日

【読書感想文】浅暮 三文『七転びなのに八起きできるわけ』 / 雑学集

七転びなのに八起きできるわけ

浅暮 三文

内容(柏書房HPより)
すべてのことわざには謎(ミステリー)がある!――
「《七転び八起き》だと数が合わないんじゃない?」「《棚からぼた餅》が発生する傾きは?」「《へそが茶を沸かす》ための条件とは?」「《二階から目薬》で殺人は可能?」「《捕らぬ狸の皮算用》の見積もり額は?」「《穴があったら入りたい》ときの穴の深さって?」――普段、何げなく口にしていることわざや故事成語・慣用句だが、いざその言葉の表す意味を〈検証〉してみると、謎や矛盾に満ちたものだったり、現実にはありえないシチュエーションだったりするものがいかに多いことか。さらに、誤解に基づく事象を語源としている場合もあり、かならずしも〈真実〉をついているとは言い切れないものばかりなのである。
こうした「ことばの謎」の数々を前に、ミステリ作家・浅暮三文が立ち上がる! 時に論理的、時に妄想を爆発させて展開、単なる語源的解説にとどまらない自由な発想を駆使した、言葉にまつわる「イグノーベル」的考察を存分に楽しめる超絶エッセイ!!


 ことわざの「謎」についてあれこれ考察をめぐらせたエッセイ。科学、歴史、社会学などの知識を駆使してあえてことわざにつっこむ、という空想科学読本的な本だ。

 すべてのエッセイが「私はミステリー小説家である」の一文で始まり、けれど話はあっちに行き、こっちに飛び、右往左往したままどこかへ行ってしまう。早い段階でことわざとは関係のない話になることもしばしば。

 自由なおしゃべり、という感じだった。




 エッセイとしてはとりとめがないが、随所にちりばめられている豆知識はおもしろかった。


『「二階から目薬」による殺人は可能だが、コントロールがいる。』の章より。

 さらに空調を設置した居室内の風速は○・五メートル/秒以下にするようにも決められている。理想は○・一五〜〇・二五メートル/秒。○・一メートル/秒以下になると人間には風と感じられないそうなんだ。
 ここで気象庁からお知らせが届く。気象学では落下する水滴、直径〇・五ミリ以上の物を雨と呼ぶ。そして落下速度は直径○・一ミリで毎秒二十七センチです。通常観測される雨の滴は直径二~三ミリ以下なのですよ。
 あなたの手元に目薬があれば調べて欲しい。したたる一滴はノズルの半分ほど、三ミリぐらいのはずだ。まさに雨と同程度である。となると無風と思われる室内、風速◯・一メートル/秒の状況でも、高さ二・一メートルの天井から目薬を落とすと、どんなに目の真上からさしても、およそ半秒かかる着地までに十センチずれることになる。
 成人の眼球は四センチほどだから、これは相当に難しい点眼作業だ。よほどのコントロールを必要とする。

 二階から目薬をさすと、無風とおもえる室内でも風に流されてずれる。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』は、屋根裏から下で寝ている人に向かって毒薬を垂らして殺害するという話だが、現実には相当むずかしいみたいだね。昔の家だから今よりずっとすきま風も入っていただろうし。




『「火のない所に煙は立たぬ」どころか人間まで燃える。』の章より。

 科学の世界の発火だけでなく、火の元の原因となる身近な品々もある。まず台所の電子レンジだ。さつま芋や肉まんを長く加熱すると爆発的に燃焼するらしい。東京消防庁の実験映像では五分半で肉まんから煙が出て、六分でどかんと爆発している。うまいものは早く喰うにこしたことはない。
 続いて風呂場の乾燥機。油や塗料が付着したタオルや衣類を放り込んで使うと油が熱風で乾燥して酸化、発熱するのだ。アロマオイルを拭いた雑巾や調理師のエプロンは要注意。おまけにリビングの花だって勝手に燃えてしまう。
 欧米で観賞用として人気のあるゴジアオイなる植物は茎から揮発性の油を発し、三十五~五十℃の気温で発火し、自身も周りの草花も燃やしてしまうそうだ。この花の種子は高温に耐えるため周りを焼き畑にして繁殖するらしい。米テキサスではトルティーヤチップスを入れていた箱が気温の上昇によって自然発火した。やはりうまいものは早く食わねばならない。米国の製粉所では小麦粉が爆発した。微細な粉塵はちょっとした火の気でどかんといくのだ。砂糖やコーンスターチも同様で流しの下は爆弾の貯蔵庫といっていい。

 己も含めて、周囲一帯を燃やしてしまう植物があるそうな。なんちゅう怖い能力。蔵馬が使う魔界の植物じゃん。




『「蛇に睨まれた蛙」は剣豪並みに強い。』の章より。

 蛇に睨まれた蛙は動かなくなるが、それは蛇をビビっているわけではないそうだ。

 だが「蛇に睨まれた蛙」はヘビが恐いのではなかった。最近の京都大学の研究から剣豪の戦法である「後の先=後手に回ることで効果的な反撃」を取っていたと判明したのだ。ヘビとカエルが睨みあって静止している現象は既存の動物行動学の考えでは説明がつかなかったという。両者が出会うとヘビは体格的に優れているが接近するものの、すぐに襲わずにいる。なぜか。
 一方、カエルもすぐ逃げず、ヘビが襲いかかるか、一定の距離に近づいてから逃げる。つまりヘビに先手を許す不利な行動を取る。なぜか。どちらも変だということで、食うか食われるかの関係にあるシマヘビとトノサマガエルで調べてみたそうだ。
 するとカエルの行動が起死回生の策であると判明した。カエルは逃げるために跳躍するのだが、跳んでから着地までは進路を変更できない。そのために先に跳ぶとヘビに動きを読まれる恐れがある。
 ヘビも噛みつこうとすると体が伸びるが、再び体を縮めないと移動できない(蛇腹のように)。つまりどちらも食うか食われるかの際、一方通行なのだ。
 ヘビが伸びた蛇腹を元に戻して体を再び動かせるまで〇四秒が必要という。だからへビが動いてから攻撃を避ければ、カエルはさっと安全圏に逃れられることになるそうな。ヘビとカエルの睨みあいは五~十センチの距離まで詰められ、それを越えると、どちらかが先に動くが、対峙した両者が、その刹那となるまで長い場合は一時間も構えあっているという。もはや無想の境地である。

 ふつうに考えれば、捕食者と敵対したとき、一瞬でも早く行動を起こしたほうがいい。だが跳躍中に方向転換のできないカエルは、やみくもに跳ぶと格好の餌食になってしまう。だから蛇の動きを見てから動こうとする。一方の蛇も、蛙の動きを見てから攻撃を開始したいのでじっと機を待つ。

 一時間以上も互いを牽制しあう。まさしく宮本武蔵と佐々木小次郎の対決のようだ。




 ということで、エッセイとしては読みづらかったけど、雑学集としては十分おもしろい内容でした。


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2023年10月24日火曜日

キングオブコント2023の感想

 キングオブコント2023



カゲヤマ(謝罪)

 手を変え品を変えお尻を出すコント。まずお尻を見せてインパクトを与え、その後は「どう見せるか」大喜利状態。両側で見せる、上半身はスーツ、立ち上がって見えそう、クロス引き、と様々なパターンで尻を見せて飽きさせない展開。

 非常にばかばかしくて、うちの五歳児は大笑いしていた。五歳児が審査員だったらまちがいなく優勝。

 気になったのは、ツッコミ役である部下がどう見ても若手には見えないところ。顔も体型も重役だもの。

 尻を出して笑いを取るのはずるいよなあとおもいつつ、でもトップバッターでドカンとウケるにはこれぐらいしなきゃだめだよなあ。トップでファイヤーサンダーみたいなスマートなコントをやっても通過できないもの。

 これ、今の時代だから「そんなわけねえだろ」と笑えるけど、三十年前だったら「これをやらされてる会社もあるんだよなあ」で笑えなかったかも。


ニッポンの社長(喧嘩)

 海外に旅立ってしまう女性をめぐって、友人でもある男同士が殴り合う、という手垢ベタベタなシチュエーションでスタート。後半のシュールさを際立たせるためにあえてベタな設定にしたのだろうが、それにしてももうちょっと真面目にドラマを作ってほしいとはおもう。

 片方があくまで拳で語り合おうとしているのに、もう一方がナイフを持ち出したところで空気が一変。ここでしっかりウケたのはカゲヤマが場をめちゃくちゃに壊してくれたおかげだろうね。そうじゃなかったらいきなり刺すところでヒかれてたんじゃないかな。

「友だち同士の喧嘩なのに凶器を持ち出す」「どれだけ攻撃されてもまったく致命傷を負わない」というだけのコントなのに、「もっと本気で来いよ!」などの挑発的なセリフで飽きさせない。ただし凶器を持ち出すことへの笑いはピストルぐらいまでで、それで死ななければあとは手榴弾だろうと地雷だろうと同じだよなあ。武器をエスカレートさせていくのではなく、セリフやストーリーでさらに盛り上げてほしかった。あるいは手榴弾よりもさすまたみたいなシンプルな道具のほうがおもしろい。


や団(灰皿)

 灰皿を投げつけて厳しく指導する舞台演出家(蜷川幸雄が灰皿を投げて指導していた、というエピソードはどこまで知られているのだろう?)。だがサスペンスドラマの凶器に使われるガラス製の重たい灰皿を置かれたことで役者側にも演出家側にも緊張感が増し……。

 なんだか前半がごちゃごちゃしていたな。後半で「ああこれは灰皿を投げるかどうかの葛藤を描いたコントなんだな」とわかるが、前半に「演出家が難解で不条理な言葉を並び立てる」という小さなボケを入れたことで、本筋がぼやけてしまった。演出家のキャラで押していくコントかとおもって見てしまったんだよね。

 灰皿がカタカタ音を立てながら回る瞬間の緊張感はすばらしかった。机の端っこで落ちそうで落ちなかったのもまた。


蛙亭(お寿司)

 急に彼氏にフラれて泣いている女性の前で、キックボードに乗った男が転倒し、大好きなお寿司がつぶれたと泣きはじめる……。

 中野くん(こんなにもくん付けで呼びたくなる人はそういない)の魅力と「慣れない交通手段」「ぼくのために」「でもつぶれたわけじゃないですよね」などの切れ味鋭いセリフで、前半は大好きな展開だった。

 ただ中盤で、中野くんが「そういうところなんじゃないですかぁ!?」と女性を責めはじめるところで急に心が離れてしまった。

 中野くんの魅力ってにじみ出る圧倒的な善性、無邪気さだとおもうんだよね。敵意、悪意、嫉妬などをまったく感じさせないぐらいの善性。善すぎて気持ち悪いという稀有なキャラクター。だからおもしろい。純粋に善なるものって気持ちわるいもんね。

 なのに「ただただ純粋にお寿司が大好きな人」が「他人に説教をしはじめる人」になっちゃって、その魅力が急速に損なわれてしまったなー。


ジグザグジギー(市長記者会見)

 芸人だったという経歴の新市長。その記者会見での市長のプレゼンが妙に大喜利っぽくて……。

 今回いちばん笑ったコント。特にあのフリップの出し方、間、姿勢、表情、完璧に大喜利得意な芸人のそれだった。

 ただ、飯塚さんの審査員コメントがすべて物語っていたように、当初は「大喜利得意な芸人っぽいふるまい」だったのに、途中からは完全に松本人志さんのものまね&IPPONグランプリのパロディになってしまったことと、IPPONグランプリのナレーション、笑点お題と現実離れした安いコントになってしまったのが残念。序盤は丁寧に市長を演じていたのに。

 前半の風力がすごかっただけに後半の失速が残念。IPPONグランプリのあたりをラストに持ってきていたら……とおもってしまうなあ。


ゼンモンキー(縁結び神社)

 縁結び神社の前で、ひとりの女性をめぐって喧嘩をはじめる二人の男。そこへ学生が願掛けにやってくるが、どうやら彼もその女性のことを好きらしく……。

 いやあ、若いなあという印象。筋書きはきっちりしているが、精緻すぎるというか。つまり遊びがない。誰がやってもそんなに変わらないようなコント。がんばっていいお芝居をしましたね、という感じがしてしまう。学生役の荻野くん(これまたくん付けで呼びたくなる)のキャラクターはあんまり替えが効かないだろうけど。

 これで三人のキャラクターが世間に浸透して、人間自体のおもしろさが出てきたらすごいトリオになるんだろうな。


隣人(チンパンジーに落語)

 チンパンジーに落語を教えることになった落語家。毎日動物園に通ううちに徐々にコミュニケーションがとれるようになっていき……。

 ううむ。話はおもしろいんだけど(特に落語家がチンパンジー語を話し出すところは秀逸)、微妙な間やトーンのせいだろうか、「もっとウケてもいいのにな」とおもうところがいくつかあった。最初の「チンパンジーに落語を教える仕事」とか、BGMがチンパンジー語だったとことか、場によってはもっとウケるんだろうなあ。

 隣人というコンビを知っていて、さらに隣人のチンパンジーネタをいくつか観たことがあったら(隣人はチンパンジーのネタを何本も持っている)、より笑えるとおもう。


ファイヤーサンダー(日本代表)

 サッカー日本代表のメンバー発表を観ているふたり。代表選出されずに落胆するが、選手本人ではなく選手のモノマネ一本でやっているモノマネ芸人であることが明らかになる……。

 以前にも観たことがあったネタだけど、やっぱりおもしろい。脚本の美しさは随一。無駄がない。前半でモノマネ芸人であることが明らかになり、中盤で隣の男が監督のモノマネをする芸人であることが明らかになるところが実にうまい。「なんで自宅のテレビで観ているんだろう」「この隣の男はどういう関係なんだろう」という観客の違和感を、ちょうどいいタイミングで笑いで吹き飛ばしてくれる。

「なんで日本代表より層熱いねん」「決定力不足」みたいな強いツッコミワードもあって、コントとしての完成度はいちばんだとおもう。


サルゴリラ(マジック)

 テレビ番組出演前にマジックを披露するマジシャン。だが披露するマジックがわかりづらいものばかりで……。

 んー。個人的にはまったくといっていいほど刺さらなかった。「マジックで入れ替えるものがわかりにくい」ってわりとベタなボケだとおもうんだけど(マギー司郎さんがやってなかったっけ?)。

 あのマジシャンがマジック特番に抜擢された理由もわからないし、あの音楽が効いてくるのかとおもったらそうでもないし、脚本が甘く感じた。ゼンモンキーとは逆に、人間味でもっていった感じかな。


ラブレターズ(彼女の実家)

 彼女の実家に結婚のあいさつに行った男。彼女のお母さんが「マンションでシベリアンハスキー放し飼いにしてるのどうかしてるとおもった?」と言い出し、隣人トラブルを抱えていることが明らかになり……。

 やろうとしてることはわかるけどどうも弱さを感じるというか。これはあれだな、少し前に『水曜日のダウンタウン』でやっていた「プロポーズした彼女の実家がどんなにヤバくてももう引き返せない説」がすごすぎたせいだな。あの「説」では静かな狂気をすごく丁寧に描いていたので、それに比べるとラブレターズのコントは雑で、つくりものっぽさが目立ってしまった。

 ほんとに隣人トラブルを表現しようとしたらあんなわかりやすく大きい音を出しちゃだめだし、かといってぶっとんだ世界を表現するにしては弱すぎるし。




 最終決戦。


ニッポンの社長(手術)

 外科手術をおこなっている医師と患者。臓器が次々に摘出され……。

 ごっつええ感じっぽいな、とおもった。ああいう視覚的にグロテスクなコント、よくやってたよね。ただ強くツッコまないのがニッポンの社長らしい。ちゃんと手術室でツッコむときの音量なんだよね(手術室でのツッコミを聞いたことないけど)。おしゃれ。

 黄色いコードはニッポンの社長にしてはベタだと感じた。大喜利とかでよく使われる題材なので。

 想像を超えてくる展開はなかったけど、ラストの「あるやつですわ」「ないやつやろ」は好き。


カゲヤマ(デスクにウンチ)

 オフィスで上司のデスクにウンチが置いてあった事件の犯人が信頼できる部下だったことがわかる、というコント。

 冒頭を観たときは安易な下ネタコントかとおもったが、いやはやとんでもない、人間の心理の複雑さを鋭く描いたヒューマンドラマだった。

 部下が犯人であることが明らかになったときのセリフが、言い逃れでもなく、開き直りでもなく、動機の独白でもなく、「私はこれからどうしたらいいでしょう」。この妙なリアリティ!

 さらに部下が話せば話すほど、彼の常識人ぶりが明らかになり、だからこそ「上司のデスクにウンチをする」という異常さが際立つ。謎は解明されるどころか深まるばかり。

 こういう脚本を書くのって勇気がいるとおもうんだよね。人間には謎を解明したいという欲求があるから。でも謎を謎として残しておくことで観ている側の想像は膨らんでゆく。今、この瞬間だけでなく、これまでのことやこれからのことにまで想像が膨らむ。

 ただ「娘さんをぼくにください!」は早急すぎた(「娘さんとお付き合いさせていただいています!」まではいい)。あそこだけが少し雑だったな。


サルゴリラ(魚)

 引退することになった野球部の三年生主将に向かって監督がいい話をはじめるのだが、なんでもかんでも魚にたとえるのでまったく伝わらない……。

 やっぱりぴんと来なかった。設定が雑すぎないか。

 とても学生には見えない見た目なのは百歩譲るとして、あの監督は今日突然魚の話をはじめたの? それとも普段からなんでもかんでも魚に例える人なの?

 前者だとしたら「どうして今日はそんなに魚に例えるんですか」みたいなセリフになるだろうし、後者だとしたら「前々から言ってますけど」とか「もう最後だから言いますけど、ずっとおもってたんです」みたいなセリフになるのが自然だろう。

 でもサルゴリラの芝居はどっちでもない。まるで、今日はじめて会った人から話を聞いたようなリアクションだ。「昨日までこのふたりがどんな会話をしていたか」がまったく見えてこない。

 また、他の部員の姿も一切感じられない。野球部の引退にあたっての監督のスピーチなんだからあの場には数十人がいるはずなのに、まるでその気配がない。

 コントのためだけの空間で、コントのためだけの存在なんだよね。ニッポンの社長みたいなコントだったらそれでもいいんだけど、「小さな違和感」系のコントで設定の薄っぺらさは致命的じゃないか?




 個人的な好みでいえば、ジグザグジギー、ファイヤーサンダー、カゲヤマ(2本目)がトップ3。

 審査結果は個人的な好みとはちがったけど、ま、そんなときもあるさ。今回はいつもにも増してシナリオよりもパワー重視の審査だったね。


 ぼくが今大会でいちばんよかったとおもったのは、出番順が早い組が上位に入ったこと。トップバッターのカゲヤマが1stラウンド2位、2番手のニッポンの社長が1stラウンド3位。

 早い出番の組がこんなに上位になったのは近年の賞レースではなかったことだ。それだけトップのカゲヤマがよかったんだろうね。


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2023年10月19日木曜日

毎日身長を測る娘

 四歳の次女の身長を測った。

 家の壁に背中をつけさせて、壁に鉛筆で線を引いて、身長を測ってやる。

「すごいねー。百十センチになったよ。大きくなったねー」

と言うと、うれしそうにしていた。


 翌日、次女は「せ、はかって!」とお願いしてきた。

「えっ、昨日測ったじゃない」

「はかって!」

 もう一度計ってやる。もちろん昨日と変わらない。誤差の範囲だ。

 しかし次女は目を輝かせて「おおきくなった?」と聞いてくる。


 すごい。毎日大きくなると思ってるのだ。

 いや、あながちまちがいではない。じっさいに毎日大きくなってるのだ。だって一ヶ月に一センチのペースで大きくなってるんだもの。完全に成長が止まってしまったぼくとはちがう。

 昨日できなかったことが今日にはできるようになっている。先週までできなかったことが今週はできるようになっている。一年前と比べると、できることに雲泥の差がある。

「おおきくなった?」は、毎日成長しているからこその自信に裏付けられているのだ。



2023年10月18日水曜日

子どものころ怖かったもの


しゃぼん液

 しゃぼん玉遊びをするときに母が洗剤でしゃぼん液をつくってくれたのだが、“しゃぼん液は飲み物ではない”と伝えるために母は「これ飲んだら死ぬよ!」と言っていた。

 幼いぼくはそれを真に受け、しゃぼん液が逆流して口に入ってしまったときは「さっき飲んでしまったかもしれない。このまま死ぬんだろうか」と恐怖にかられた。

 

海外の迷子

 九歳のとき、家族で香港に旅行した。ぼくにとっては生まれて初めての海外旅行だった。

“ひとりで勝手な行動をしないように”と伝えるために、母はぼくを「ここは日本じゃないからね。ここで迷子になったらもう一生日本に帰れないよ!」と脅した。

 親とはぐれてしまったらもう二度と会えない、日本にも帰れない、この言葉も通じない未知の国で生きていかないといけないのか、と恐ろしくなった。満州引き上げ時の残留孤児のように。

 旅行中ずっと怖かった。


踏切の溝

 幼いころ、踏切を渡るときに母に言われた。

「ここに電車が通るための溝があいてるでしょ。昔、ここに足が挟まった子がいて、抜けなくてもがいてるうちに電車が来て、ひかれて死んじゃったっていう事件があったの。だからここにはぜったいに足を入れちゃだめ」

 脅しのための作り話か、ほんとにあった出来事なのかわからなかったが、とにかく怖かった。ぜったいに足を入れたらだめだとおもい、溝の近くに足を置くことすら怖かった。

 そのせいで、ぜったいに溝にはまらないぐらい足が大きくなった今でも、踏切を渡るときは大股で溝をまたいでいる。

※ ちなみに今調べたら、1982年5月8日に東北本線踏切溝挟まれ事故という事故が起こっている。ぼくが母から脅されたのが1980年代後半なのでほぼまちがいなくこの事故を指していたのだろう)。その事故の後、挟まることがないよう踏切の溝にはゴムが設置されたとか。



 結局、子どものころに怖かったのは「母の脅し」に尽きる。



2023年10月13日金曜日

【読書感想文】田中 啓文『ハナシがちがう! 笑酔亭梅寿謎解噺』 / 良くも悪くも深みがない

ハナシがちがう!

笑酔亭梅寿謎解噺

田中 啓文

内容(e-honより)
上方落語の大看板・笑酔亭梅寿のもとに無理やり弟子入りさせられた、金髪トサカ頭の不良少年・竜二。大酒呑みの師匠にどつかれ、けなされて、逃げ出すことばかりを考えていたが、古典落語の魅力にとりつかれてしまったのが運のツキ。ひたすらガマンの噺家修業の日々に、なぜか続発する怪事件!個性豊かな芸人たちの楽屋裏をまじえて描く笑いと涙の本格落語ミステリ。

 元ヤンキーの少年が噺家のもとに無理やり弟子入りさせられ、厳しい修行に耐える日々。そんな中でなぜか次々に事件が発生し、主人公が快刀乱麻の名推理で次々に解き明かしてゆく。そのうち落語のおもしろさに目覚めて噺家として成長してゆく……。

 という、どこをとってもどこかで聞いたことがあるようなストーリー。「かつて新しかったもの」をつなぎあわせてつくった古臭い話、という感じだ。

 要するに、ダサいんだよね。元ヤンが何かに懸命に取り組む、という設定が今の時代ではキツい。2004年刊行の本だからしょうがないんだけど。

 『GTO』のドラマ化が1998年、『池袋ウエストゲートパーク』のドラマ化が2000年、『Rookies』のドラマ化が2008年。2000年前後はそういうのが流行ってたんだよねえ。「ヤンキーがかっこいい」時代が終わり、それでもまだギリギリ「元ヤンが一生懸命何かに取り組む姿がかっこいい」だった時代。そういや『SLAM DUNK』や『幽遊白書』にもその要素があるね。時代だなあ。




 しかしちょっと無理のある設定でも、ミステリとからめてしまえばあら不思議、それなりに読める小説になるのである。

 正直、ミステリはチープだ。かなり無理のある謎解き、手掛かりが少ないのになぜか主人公にだけは真実が見える、周囲の人間は警察もふくめてボンクラぞろいでちっとも真相にたどりつかない。それでもミステリと落語の筋とをうまくからめていて「よくがんばったな」という気になる。そもそもからめる必要があるのかといわれればそれまでなんだけど……。


 悪い意味でも、いい意味でも、深みのない小説だったな。子ども向け漫画っぽいというか。

 主人公には天性の落語の才能があり、どんなピンチもあっという間に解決して、毎回最後は「やっぱり古典落語ってすばらしい」に着地する……というご都合主義ストーリー。

 とにかくわかりやすい(というかひねりがない)ので、「ほとんど小説を読んだことがないけどとにかくストレスなく読みればそれでいい人」におすすめする本としてはアリかもしれない。ヤングアダルト向けレーベルで出していればぜんぜんいいんだけど。


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