2023年11月2日木曜日

他人のジョーク

このエントリーをはてなブックマークに追加

 こないだ、某氏の市長が公式のスピーチで「スピーチとスカートは短いほうがいい」と発言し、内容が不適切だとしてニュースになっていた。

 けしからん。じつに不適切だ。

 ぼくが不適切だとおもうのは、「どこかの誰かが考えて、さんざん使われて、誰もが知っているジョークを我が物顔で使うこと」だ。


 なんなんでしょうね。ああいうこという輩。

 レストランで食事が運ばれてくるのが遅かったら「遅いな。今、魚釣りに行ってんちゃうか」みたいなのはまだいい。身内でやっているだけだから。

 問題は、不特定多数が集まる場。式典の来賓あいさつとか、結婚式のスピーチとか。

 そういう場で「誰かが考えた話」を我が物顔で披露する人の気が知れない。寄席じゃないんだから、気の利いたことを考えられないなら言わなくていいのに。まじめに、あたりさわりのないスピーチをしてればいいのに。誰もそういう場で「心の底から笑える話」とか「深く感銘を受ける話」なんて期待してないんだから。

 

 以前、友人の結婚式に出席したとき。仕事関係で来ていたえらい(らしい)おっさんがそういうスピーチをやらかしていた。

「えー、みなさん、楽しいときはどう笑いますか。『はっはっ』と笑いますね。はっぱ六十四です。悲しいときには『しくしく』と泣きますよね。しく三十六です。六十四と三十六、たしてちょうど百になります。人生の三分の二ぐらいは楽しいことがあり、三分の一ぐらいは悲しいことがあります。〇〇くんと××さんのおふたりには、楽しいことは共有して、悲しいときは分けあって……」

とやっていた。それも「どや、うまいこと言うたったやろ!」という顔を満面に浮かべて。


 どういうつもりなんだろう。どういう神経をしていたら、誰もがどこかで何遍も聞いたことのある話をさもオリジナルであるかのように話せるんだろう。

 自分が考えた話ならいい。「なんで六十四が人生の約三分のニなの。合計を百とするって誰が決めたの」とか「なんでだじゃれで人生のおもしろさと悲しさの配分が決まるの」とか言いたいことはいろいろあるけど、本人が一生懸命考えて人前で話したのなら、他人がとやかく言うことじゃない。

 でもそのおっさんは、他人のつくった話を、我が物顔で披露していた。殊勝に「すみません、私は気の利いたスピーチを考える才能がまったくなくて、スピーチ集の本に載っていた話をそのまま話させていただくんですが……」と前置きすればまだかわいげもあるが、まるで自分がうまいことを言ってやったみたいなしたり顔で。


 ほんと、センスがない人は他人が考えた話をパクってまで無理に気の利いたことを言おうとしなくていいから! 誰も得しないから!


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿