2024年5月21日火曜日

THE SECOND(2024.5.18放送)の感想


 THE SECOND(第2回大会)の感想。


 渋い渋いと言われていた前回大会でも、テレビタレントとしておなじみの三四郎やスピードワゴンがいたり、テンダラーや超新塾といった華やかな人たちがいたりしていたのだが、今大会でテレビでよく見るのはタイムマシーン3号とななまがりぐらい。どっちも見た目人気はまるでなさそうなコンビだし、他のコンビにいたっては知名度もなければビジュアルもアレな感じで、見た目に華があるのはラフ次元ぐらいか。2022年までのM-1グランプリの人気投票、じゃなかった視聴者投票システムの敗者復活戦だったらどんなにおもしろくてもぜったいに勝ち上がれなかったであろうコンビたち。最高。とにかく『THE SECOND』らしいくすんだ色のメンバーが集まっていてすばらしい。


 優勝はガクテンソク。これまでの彼らの漫才のいろんなくだりを詰め込んだ、3枚組ベストアルバムといった感じの圧巻のパフォーマンス。短い時間に6分×3本のネタをぶつけるこのシステムだと、やっぱり正統派しゃべくり漫才が強いね。というかインパクト勝負のネタだと、1日2本が限界。


  個人的にいちばん良かったのはザ・パンチ。16年ぶりのファイナリストだそうだが、ほぼ16年ぶりにネタを観た人も多いのでは。ぼくもそのひとり。「あのザ・パンチが16年の紆余曲折を経てこうなったかー」と感慨深いものがあった。昔の「死んで~」はやっぱりどぎつかった(だって死ななきゃいけないほどのことをしてないんだもん)、年を取っていい感じに丸みを帯びてすごく見やすくなった。ずっと楽しそうに漫才をしていた。

 ずーっと隙間なくしゃべっていて、そこが最高におもしろいんだけど、さすがに18分も聴いていると疲れてしまう。そして後半は明らかにネタが弱くなっていて、キャラクターのおもしろさも新鮮さを失い、3本目の序盤ぐらいで魔法が解けたようにすーっとお客さんが離れていくのがテレビ越しにも伝わった。そこもまたおもしろかったな。去年のマシンガンズのように。


 ハンジロウ。元嫁カフェはすごくいいネタなんだけど、着想のおもしろさで勝つには6分という時間はちょっと長すぎたかな。

 元嫁、という設定がおじさんにちょうどマッチしていて、THE SECONDという大会の一本目にふさわしいネタだった。


 金属バットは、去年もそうだったけど、意外にきっちり作りこんだネタで勝ちにくるんだよね。ガラの悪いラーメンズ、って感じだった。「あかんポリおる」みたいなシンプルなワードからはじまって、徐々にストーリー性を持たせる、1行ずつ切ってきっちりオチをつける、とずいぶんしっかりと作りこまれた構成。これはこれでいいんだけど、金属バットには「どこまでがネタでどこまでがアドリブかわからない」ネタを期待しちゃうんだよな。それだけの話術があるコンビだからこそ。


 ラフ次元。華やかさがあって、見た目も悪くなくて、ポップで、どうして若いときに人気が出てこなかったんだろうとおもわせるコンビだった。関西の番組ですらほとんど目にすることがなかった。

 これまたよく考えられたいいネタだったんだけど、THE SECONDで求められるのはこういう前半をフリに使って後半回収するタイプの漫才じゃないよな、という気もする。ラフ次元というコンビを知ってもらうのにちょうどいい名刺のような漫才だった。


 ななまがり。おもしろさはわかるけど、これを6分はさすがにちょっと飽きるかな。まして12分見たいとはおもえなかった。おもしろワードの羅列で、ストーリーなんてあってないようなものだからな。1点票が多いのは、このコンビにとっては名誉みたいなもんでしょう。


 タモンズ。ネタは弱かったが、演者の人間性だけで魅せるTHE SECONDらしい漫才。深く考えずにぼんやり聴いているだけでけっこう楽しい。それはそうとレイクのツカミ、さすがにこの時代にはもう古くない? 


 タイムマシーン3号は安定のおもしろさ。ただその安定感ゆえに負けてしまったのかな。安定しているがゆえに、ここで勝たせてあげたい、という気にならない。今回の出場者の中では圧倒的に売れてるし。売れているコンビがこの大会で勝つためには、去年の三四郎のようになりふりかまわぬあぶなっかしさが必要だね。


 ということで、レッドカーペットなどで活躍していたコンビがひさしぶりに表舞台に帰ってきた新鮮さが受けて決勝に進むけど最後で新鮮さが薄れてネタ切れも起こし、結局はさんざん舞台に立ってきた正統派しゃべくり漫才師が地肩の強さを見せて圧倒的大差で勝つ、という、昨年大会と同じような流れになりましたね。この感じでいうと、次回の優勝は2丁拳銃あたりか。

 やっぱり1日3ネタは多いよね。勝てるコンビが限られてしまう。演じる側の消耗も激しいだろうし、観ているほうも疲れる。このへんは改善の余地がありそう。あと先攻の1勝6敗(昨年は2勝5敗)という後攻有利な採点システムと。


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2024年5月17日金曜日

【読書感想文】稲垣 栄洋『はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密』 / 科学に対して不誠実

はずれ者が進化をつくる

生き物をめぐる個性の秘密

稲垣 栄洋

内容(e-honより)
「平均的な生き物」なんて存在しない。個性の数は無限大。唯一無二の生命をつなぐために生き物たちがとってきたオンリーワンの生存戦略。


 この著者の本を以前にも読んだことがあるが「専門分野である雑草の話はおもしろいが、それ以外の分野はめちゃくちゃ乱暴でいいかげんなことを書くなあ」という印象だった。

 本書も同じ。

 自然界には、正解がありません。ですから、生物はたくさんの解答を作り続けます。それが、多様性を生み続けるということです。
 条件によっては、人間から見るとはずれ者に見えるものが、優れた能力を発揮するかもしれません。
 かつて、それまで経験したことがないような大きな環境の変化に直面したとき、その環境に適応したのは、平均値から大きく離れたはずれ者でした。
 そして、やがては、「はずれ者」と呼ばれた個体が、標準になっていきます。そして、そのはずれ者がつくり出した集団の中から、さらにはずれた者が、新たな環境へと適応していきます。こうなると古い時代の平均とはまったく違った存在となります。
 じつは生物の進化は、こうして起こってきたと考えられています。
 ナンバー1しか生きられない。これが自然界の鉄則です。
 自然界に暮らす生き物は、すべてがナンバー1です。どんなに弱そうに見える生き物も、どんなにつまらなく見える生き物も、必ずどこかでナンバー1なのです。
 ナンバー1になる方法はいくらでもあります。
 この環境であれば、ナンバー1、この空間であればナンバー1、このエサであればナンバー1、この条件であればナンバー1……。こうしてさまざまな生き物たちがナンバー1を分け合い、ナンバー1しか生きられないはずの自然界に、多種多様な生き物が暮らしているのです。
 自然界は何と不思議なのでしょう。
 そして、ナンバー1はたくさんいますが、それぞれの生物にとって、ナンバー1になるボジションは、その生物だけのものです。すべての生物は、ナンバー1になれる自分だけのオンリー1のポジションを持っているのです。そして、オンリー1のポジションを持っているということは、オンリー1の特徴を持っているということになります。つまり、すべての生物はナンバー1であり、そして、すべての生物はオンリー1なのです。

 こういう話は納得できる。

 ただ、その後に「だから君たちもオンリー1の場所でナンバー1をめざして~」とか「だから人間もそれぞれ個性があるのがよくて~」みたいなお説教に持っていく。これがよくない。朝礼の校長先生の話のようで、とたんにつまらなくなる。

 あらゆる生物はそれぞれのニッチに特化した生態を持って生きている、だから自分も目立つ場所でナンバー1になれないかもしれないけど、どこかに持ち味を発揮できる場所があるはず。がんばろう! ……とおもうのはいい。好きにしたらいい。でもお説教の道具にするのはよくない。その生物はその生物、あなたはあなた。ぜんぜんちがうものなんです。




 踏まれる場所に生える雑草にとって、踏まれることはつらいことなのでしょうか? オオバコの例を見てみることにしましょう。
 植物は種子をタンポポのように綿毛で飛ばしたり、ひっつき虫と呼ばれるオナモミやセンダングサのように他の動物にくっつけたりして、広い範囲に散布します。
 オオバコはどうでしょうか。
 オオバコの種子は水に濡れるとゼリー状の粘着液を出します。そして、靴や動物の足にくっつきやすくするのです。
 こうして、オオバコの種子は人や動物の足によって運ばれていきます。車に踏まれれば車のタイヤにくっついて運ばれていきます。
 こうなると、オオバコにとって踏まれることは、耐えることでも、克服すべきことでもありません。

 ここまでで終わってればいいんだけどね。その後に人生訓を語るから、とたんに話が嘘くさくなる。


 生物がある分野に特化して生きているのはべつに狙いが成功したわけではなく単なる結果だし、「ある分野に特化して生きのびている生物」よりも「ある分野に特化したことで死んでしまった生物」のほうが圧倒的に多い。

 狭い分野に特化した特徴を持つのはものすごく勝つ確率の低いギャンブルで、たまたま勝ち残ったやつらが今生きているだけだ。それを処世術みたいに語るのは間違っている。

 ユニークな特徴を持っていたほうがいいってのは、生態系における種の話としてはそうかもしれないけど、各個体にまで拡げて語るのはめちゃくちゃ乱暴。ぜんぜん別物だからね。


 とにかく科学に対して不誠実。「学生向けの本だから不正確でもいいや」って態度で書いてるのかな。

 また、知ってか知らずか、誤った記述も多い。

 たとえば、「人間の祖先はかつてサルでした」なんて書いている。正しくは、人間の祖先はサルの祖先でした、だ。人間の祖先はサルじゃない。

 週刊誌のエッセイ程度ならともかく、こういう本をちくまプリマ―新書として出したらだめよ。


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2024年5月15日水曜日

【読書感想文】F.アッシュクロフト『人間はどこまで耐えられるのか』 / 最後は運しだい

人間はどこまで耐えられるのか

F.アッシュクロフト(著)  矢羽野 薫(訳)

内容(e-honより)
生きるか死ぬかの極限状況で、肉体的な「人間の限界」を著者自身も体を張って果敢に調べ抜いた驚異の生理学。人間はどのくらい高く登れるのか、どのくらい深く潜れるのか、暑さと寒さ、速さの限界は?果ては宇宙まで、生命の生存限界まで、徹底的に極限世界を科学したベストセラー。


 タイトルの通り、「人間は生きたままどれだけ高く登れるのか」「どれだけ深く潜れるのか」「暑さや乾燥にはどれぐらい耐えられるのか」「寒いとどうなるのか」「他の動物はどうやって耐えているのか」について書かれた本。

 数々の文献を漁って書かれた本であり、著者が命を賭けて「どれぐらい耐えられるか」の実験したような本ではありません。念のため。




 ふだん生きていてあまり意識することはないが、「気圧」は身体に対して大きな影響を与える。

 人間がギリギリ耐えられる低い気圧は、厳しいトレーニングを受けた人でも350hPaぐらい。高さにすると標高8,000mぐらい。エベレストの標高が8,848mなので、世界最高峰の山が人間のギリギリラインというのはなんともよくできた偶然だ。

 気圧が低くなると人体には様々な影響が出て、とてもまともに活動ができない。平地でも気圧が低くなると人によっては体調が悪くなるようだが(ぼくはほとんど感じたことがないけど)、その比じゃないぐらいしんどくなるようだ。

 加えて、気圧が低いと酸素が薄くなるわけで、ちょっと動いただけでものすごく疲れる。エベレストの山頂で100m進むのは、低い山を100m歩くのとはまったく疲労度が違うという。

「登山家は山の標高を語りたがるけど、海抜0m地点から登りはじめるわけじゃないから、あんまり意味なくない?」とおもってたんだけど、そんなことなかったんだね。標高0m→100mと標高8,000m→8,100mはまったく違うのだ。


 標高8,000mが限界なのに、高度10,000mぐらいを飛ぶ飛行機って、相当無理のある乗り物だよね。

「客室内の気圧が急に低下した場合は、頭上から酸素マスクが下ります」。ここ二五年ほどで飛行機の利用客は爆発的に増えた。それだけ多くの人がこの注意書きを見慣れているわけだが、そのような緊急事態を実際に経験した人はほとんどいない。民間航空機は一般に高度一万メートル付近を飛行する。この高度で機体の窓が吹き飛ばされると、客室内の空気が轟音をたてて一気に外へ噴き出し、外気と同じ気圧まで下がるだろう。ものが空中に浮かび、シートベルトをしていない人は吸い込まれるように外へ投げ出されるかもしれない。室温も外気と同じ寒さまで下がり、機内はきめ細かい霧に包まれ、冷却された空気が気化しはじめる。すぐに酸素マスクを着用しなければ命にかかわり、肺の中の酸素が急激に減少して、三〇秒で意識を失うはずだ。パイロットが適切な行動を取れる「有効時間」はさらに短く、わずか一五秒ほどである。あるパイロットはコックピットが急減圧したはずみで眼鏡を落とし、酸素マスクを着用する前に眼鏡を拾おうとかがみ込んだため、そのまま意識を失った。副操縦士が同じ過ちを犯さなくて幸いだった。

 飛行機に乗っているときに「もし墜落したら確実に死ぬな」なんて考えるのだが、墜落しなくても窓が開いただけで死んでしまうのだ。宇宙船や潜水艦と同じで、「一歩出たら外は死の世界」だ。

 たった30秒で意識を失う……。ま、それはそれであまり恐怖を感じなくて、悪くない死に方かもしれない。



 人類は暑い地域で進化したので、他の動物に比べれば、寒さよりも暑さに強いようだ。

 中でもヒトが優れているのが「汗をかける」という点だ。汗を蒸発させることで身体の熱を外に逃がすことができる。ヒトは全哺乳類の中でもトップクラスに走るのが遅い(身体のサイズのわりに)だが、それは短距離走の話であって、長距離走ではウマと並んで非常に優れたランナーである。

 汗の蒸発による冷却システムは、運動をするときはとくに重要である。過酷なツール・ド・フランスに参加するサイクリストは、一二時間連続で上り坂を漕ぎつづける。その彼らが実験室の中では、同じペースの運動を一時間さえ続けることができず、驚いて悔しがることも多い。外の道路では、自分が前に進むことで向かい風が生じ、肌に接する空気の層をすみやかに後ろへ逃がして、汗の蒸発による冷却効果を著しく高める。一方、静止した自転車ではこの対流が大幅に遅くなるので、それだけ熱が発散されるペースも遅くなり、すぐに疲れてしまうのだ。しかし、扇風機を回して人工的に風を送ると、はるかに長時間ペダルを漕ぎつづけることができる。汗の蒸発による冷却効果が急に落ちることは、サイクリストやランナーが走り終えた直後に心臓発作を起こす原因でもあるだろう。
 体の周囲を通り抜ける空気の流れが突然止まると、体外に放出される熱の量が減って、体温が急激に上がることは十分に考えられる。乗馬でも、馬に運動させた後は徐々にクールダウンさせなければならず、急に止まってはいけない。

 熱中症にならないために気温を気にするけど、二、三度の気温のちがいよりも、湿度や風のほうがずっと重要なんだね。そういや扇風機なんて気温にはぜんぜん影響を与えないけど(どっちかっていったら気温を上げる要因になる)、あるのとないのとではぜんぜん涼しさがちがうもんね。



 ヒトは寒さにはあまり強くない……。はずなのだが、ある程度は寒さに慣れることができるし、例外的にめちゃくちゃ寒さに強い人もいる。

 南極探検家ロバート・スコットの悲運の遠征隊(一九一一~一二年)に参加したバーディーことH・G・バウアーズは、遺品となったノートを読むと、驚異的なほど寒さに強かったようだ。テイコクペンギンの卵を収集するためにクロツィエ岬に向かったバウアーズは、マイナス二〇以下の夜も、毛皮の寝袋の内側に羽毛のライナーをつけずにぐっすり眠れた。仲間のアプスリー・チェリー=ガラードは「連続して震えの発作に襲われ、止めることができなかった。震えに全身を支配され、背中が折れたかと思うほど筋肉が緊張した」という。バウアーズは凍傷にも一度も悩まされなかった。スコットは、バウアーズほど「寒さをものともしない人は見たことがない」と記している。
 バウアーズはなぜ、それほど寒さに強かったのだろう。一つ考えられる理由は、彼が毎朝、南極の冷気の中で裸になり、氷のように冷たい水をバケツで何杯もかけて全身を洗っていたことだ。仲間は恐れおののいて見守っていたという。いくつかの研究から、断続的に寒さに体をさらしていると、人間はある程度、寒さに適応できることがわかっている。有志の被験者が数週間にわたって毎日三〇~六〇分間、水温一五℃の水に浸かった後、北極と同じ寒さの実験室に入った。すると、水浴を始める前に入ったときより長く我慢でき、ダメージも少なかった。

 寒さに限らず、暑さでも、気圧の低さも、気圧の高さも、耐えられる度合いは人によって大きくちがう。

 基礎体力などの要因もあるが、もってうまれた体質も大きい。たとえば高山病のなりやすさ、症状の重さは、どれだけ鍛えているかには関係ないようだ。暑さも寒さも同じ。気合を入れようが、心頭滅却しようが、無理なものは無理! なのだ。

「おれが若い頃はこれぐらいは耐えられた」と口にする人は、ぜひとも人類がこれまでに乗り越えてきた最高高度、最高気温、最低気温、最高気圧、最低気圧のすべてに挑戦してから言ってほしい。他に耐えられた人がいるんだから、あんただって平気なんだよね?


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2024年5月8日水曜日

【読書感想文】宮島 未奈『成瀬は天下を取りにいく』 / 変なやつになりたいやつ

成瀬は天下を取りにいく

宮島 未奈

内容(e-honより)
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」。各界から絶賛の声続々、いまだかつてない青春小説! 中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。コロナ禍、閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。さらにはM-1に挑み、実験のため坊主頭にし、二百歳まで生きると堂々宣言。今日も全力で我が道を突き進む成瀬から、誰もが目を離せない! 話題沸騰、圧巻のデビュー作。

 十歳の娘が買った本(お金を出したのはぼくだけど)。「おもしろかったよ」と貸してくれたので読んでみた。

 娘と本の貸し借りができるなんて父親冥利につきるぜ。あの小さかった娘が大きくなったものだ……。

 と感慨深かったものはあったが、読み終わった後に娘から「どうだった?」と訊かれて困ってしまった。

 うーん、おもしろくねえな……。「おもしろくなりそうな予感」はあったんだけどなあ。

 ということで娘に対しては「う、うん。お父さんが子どものときに読んでたらおもしろかったとおもうな」とお茶を濁してしまった。



 ぼくが『成瀬は天下を取りにいく』をおもしろいと感じなかった理由はわかっている。

 成瀬にあこがれないからだ。


 この本の主人公・成瀬は、あまり人目を気にしない学生生活を送っている。自分がやりたいことをやる。周囲からどうおもわれても気にしない。まじめと言われようと一生懸命勉強もする。おもしろいとおもったらとりあえずやってみる。法に触れるようなことでなければとりあえず実行する。そして多くはないけど理解してくれる人も周囲にいる。

 なぜあこがれないかって、ぼくがこういう学生生活を送っていたからだ。

 おもいついたことはとりあえずやってみて、周囲から変なやつとおもわれることをむしろ楽しんでいて、勉強もよくできて、友だちにも恵まれて、自由気ままに生きていた。生徒会長もやり、成績は学校で一番で、放課後は友だちと川で泳いだり、学校のプールにカヌーを浮かべたり、学校で鍋をして先生に怒られたり、無人島でキャンプをしたり、好き勝手にやっていた。「あいつがやることならしょうがねえな」という栄光のポジションを築いていた。


 きっと成瀬のように生きられなかった人にとっては楽しい小説なんだろうけど、成瀬のように生きていたぼくにとってはさほど目新しさは感じなかった。

 ぼくにはわかってしまうのだ。成瀬はべつに変なやつではなく「変なやつになりたいやつ」なんだよな。だってぼくがそうだったから。



 どうやらこの本、本屋大賞に選ばれたらしい。

 あー。なんとなくわかるなあ。ちょうどいいライトさだもんな。9人は10点をつけるけど1人にとっては200点、みたいな本じゃなくて、みんなが60~90点をつける本。

 本屋大賞の底の浅さをよく表しているぜ(この本が悪いわけじゃなくてあの賞の制度がひといだけ)。


 そして、すごくマーケティング臭を感じてしまうんだよなあ。

 作者の宮島未奈さんは京大出身の人らしいんだけど、同じく京大出身作家の森見登美彦氏が京都を強く出した小説を書いていて、万城目学氏が奈良だから、次は滋賀密着で三匹目のどじょうを狙いにいくぜ! ……って感じがぷんぷんしてしまうんだけど、邪推かなあ。


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2024年5月7日火曜日

小ネタ15

スパ

 あまり知られていないことだが、スパは「スーパー銭湯」の略だ。天地天明に誓ってこれは嘘だ。


レンズ

 実家に帰ったとき、母が「こないだ土産物屋で買ったのよ。なんかアフリカの楽器だって」と言って笛のようなものをくれた。

 吹いてみたたがまったく音が鳴らない。シューシューと音が漏れるだけだ。

 説明書きのようなものはないので困ってしまった。なにしろ名前もわからないのだ。

 ふと思いだして、はじめてGoogleレンズとやらを使ってみた。写真を撮ると、それが何かGoogleレンズが教えてくれるのだ。すぐにわかった。カズーという楽器らしい。

カズー

 音の鳴らし方もわかった。太いほうを口にくわえ、吹くのではなくしゃべるのだ。すると変声機を通したように別の音になる。この黒い部分で音の震えを増幅させるらしい。

 名前がわかっているものを調べることはインターネット以前からもできたが、名前のわからないものを調べるのはむずかしかった。「物知りな人に訊く」ぐらいしか手段がなかった。それができるようになったのだから技術の進歩とはたいしたものだ。

 Googleレンズがなかったら『探偵!ナイトスクープ』に依頼するしかなかった(そういやナイトスクープも昔はその手の依頼がけっこうあったが最近は観なくなったな)。


となりのトトロはん

夢やおもたけど夢ちゃうかった! 夢やおもたけど夢ちゃうかった!

このけったいな生きモンは、今でもまだ日本におるらしいわ、知らんけど。


国名

 2015年に日本政府は「グルジア」を「ジョージア」と呼ぶことに決めた。彼の国の人たちが、ロシア語読みの「グルジア」ではなく英語読み「ジョージア」を好むからだそうだ。

 ま、それはいいとして。

 もっと変えなきゃいけないところがあるだろ! オーストラリアかオーストリアのどっちかだよ! 全国民が何十年間も「まぎらわしいな」とおもってるのに!



2024年5月1日水曜日

【読書感想文】三井 誠『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』 / 我々は古代人より劣っている

人類進化の700万年

書き換えられる「ヒトの起源」

三井 誠

内容(e-honより)
四万~三万年前のヨーロッパ。ネアンデルタール人と現生人類のクロマニョン人が共存していたらしい。両者の交流を示唆する痕跡が、フランスなどに残されていた。知能に勝るクロマニョン人が作った石器と同じくらい工夫を凝らした石器(石刃)が、ネアンデルタール人の三万数千年前の化石とともに見つかっている。最新の研究で明らかになってきた私たちのルーツの新常識。

 2005年刊行なので今となっては最新の知見ではないが、それでも人類史の基礎を知るにはちょうどいい本。

 ぼくは人類史の本が好きであれこれ読んでいるので知っている話も多かったが、人類誕生から現生人類への進化までの700万年を一気にふりかえるスピード感は読んでいてなかなか楽しかった。



 直立二足歩行をする生物は人類だけだ(直立でない二足歩行は他にもいる)。これにより両手で食べ物が運べるようになったわけだが、直立二足歩行は他にもいろんな恩恵をもたらした。

 初期の人類が食べ物を運ぶために手を使った可能性を前に紹介したが、石器を作り出すようになって、手の本領は再び開花したといえそうだ。当時の人類がどの程度まで器用だったかはわからないが、二足歩行によって解放された手で石器を作り始めたことが重要だろう。石器を作ったおかげで肉食の効率は上がり、脳が大きく発達できるようになった。脳が発達すれば、さらに手先を器用に使えるという相乗効果もあったかもしれない。第1章で、「獲得した性質が時間差をもって開花する」という「前適応」を紹介した。人類の直立二足歩行の利点も、随分と時間がたって、二百五十万年前以降に再び人類進化に大きな役割を果たすことになったといえる。
 また、直立した姿勢のおかげで人類の脳は大きくなれた、との指摘もある。頭が垂れ下がるのを筋肉で支えなければならない四足動物に比べ、人類の脳は重心の上で安定しやすいからというのだ。これも直立二足歩行の思わぬ恩恵かもしれない。

 直立二足歩行 → 道具を使えるように食事の効率が上がる → エネルギーを大量に使う脳を大きくすることができる

 直立二足歩行 → 頭を支えやすい → 脳を大きくすることができる

 と、複数のルートで直立二足歩行が脳の発達に貢献したわけだ。もちろんこれは結果論であって、人類の祖先は脳を大きくするために二足歩行をはじめたわけではない。

 進化は決して一本道ではなく、何が何の役に立つかわからないということがこの話からもよくわかる。



 こないだ娘と『わんダフル プリキュア!』を観ていたら、犬がプリキュアになったことでしゃべれるようになっていた。それを観たとき、「仮に脳が人間並みに発達したとしても犬の姿形のまま人間と同じように発声するのは無理なんじゃないかな」とおもった。

 もし人間と同じようにしゃべれるようになるとしたら、あごの形とか舌の長さとかが大きく変わってしまい、犬の顔を保てないとおもうんだ。まあそれはさておき……。


 さて、喉頭が下がって言葉を話せるようになったのはありがたいが、困ったことが生じた。チンパンジーのように喉頭が高い位置にあれば、息は鼻へと通じ、食べ物は口の奥に突き出している喉頭の両わきを通り抜けて食道へと入っていく。空気と食べ物は口の奥で立体交差しており、両者が混じり合う恐れはない。だから、物を食べながら息ができる。大きな肉塊を飲み込むときなど喉頭が邪魔になる場合には、喉頭の位置を下げて食べ物の通路を確保する動物もいるそうだ。
 一方、現生人類は食べ物が喉頭にぶつかる心配はないが、食べ物が気管に入っていってしまう恐れがある。「誤嚥」というやつだ。通常は物を飲み込むときに喉頭の先を閉じるのだが、高齢になりこの働きが不十分になると、誤ってモチが気管に入ってしまう。ちなみに、現生人類でも二歳くらいまでは喉頭が高い位置にあるため、ミルクを飲みながら息ができる。

 老人や乳幼児で誤嚥事故が起こるのは、ヒトが言葉を話せるようになった代償なのだ。子どもが小さいときに「ミルクを飲ませたあとは背中をたたいてげっぷを出させてやらないと、飲んだミルクが逆流してしまう」と聞いて「人間ってなんて不完全な生き物なんだ」とおもったものだ。

 しかし「二歳くらいまではミルクを飲みながら息ができる」というのははじめて知った。そういや赤ちゃんにミルクをやりながら「よく息継ぎ無しでこんなに一心不乱に飲みつづけられるな」とおもったものだ。あれは哺乳瓶から口を話さなくても息継ぎができていたからなんだなあ。




 我々はつい、ヒトは特別な動物だとおもってしまうけど、そんなことはない。

 進化の歴史をたどっていくと、ヒトの共通祖先はゴリラと分化した後、分化して一方はチンパンジーになり、もう一方がヒトになったらしい。つまりチンパンジーから見ると、ゴリラよりもヒトのほうが遺伝的に近いんだそうだ。

 進化の系統樹でヒトだけが独立して存在しているわけではなく、チンパンジーのすぐそばにいる。また「現代人が人類史上もっとも賢い」ともおもってしまうけど、これもとんだ勘違いだ。

 一方、ひとたび心が現代的になったときには、その時点で人類の能力は現代人とほぼ変わりなかったと最近の研究者は考えている。少なくとも、オーカーの刻み目を作り出した七万五千年前の時点で、現代人並みの能力を持っていたことになる。コンピューターや携帯電話など最新機器に囲まれる現代生活だが、こうした発展は人類がここ数十年で賢くなったから生まれたというわけではない。もともとの潜在力は、七万五千年前の時点といまで変わりない。
 とすると、当時といまを分けるものは何なのか。この理由は、偉大なる物理学者アイザック・ニュートン(一六四二~一七二七年)の言葉にヒントが隠されている。
「もし私が、より遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗ったからです」巨人の肩というのは過去から引き継がれてきた知識の蓄積だ。言語を生み出してから脈々と続いてきた歴史が、私たちのいまを支えているということだろう。

 脳のサイズなどは七万五千年前の人類とほとんど変わっていないそうだ。人間の能力は古代人と比べて優れているわけではない。むしろ、劣っている面のほうが多そうだ。筋力、体力はもちろん、便利なものに囲まれている現代人は手先の器用さも劣っているだろうし、外部記憶装置が多い分、記憶力だって低そうだ。

 我々は、先人の知恵とか、便利な道具とか、社会システムとか、教育制度とか、能力を底上げしてくれるあれやこれやに囲まれて暮らしているから自分がすごいと錯覚しているだけで、あらゆる文明を捨ててしまえば万物の霊長どころか最弱の生き物になってしまうんだよな。大きい会社に勤めているから自分がえらくなったと錯覚してしまうサラリーマン、みたいなことを人類全体でやってるんだよな。


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