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2024年3月13日水曜日

R-1グランプリ2024の感想

R-1グランプリ2024の感想。


真輝志 (入学初日)

 おもしろかった。個人的には優勝でもいいぐらい。

 青春アニメの第一話のような導入から、ナレーションによって微妙な未来を提示される。そのくりかえしから、執拗な軟式ラグビー部、女子生徒、英語、天の声が壊れる、女子生徒の人生との交錯など様々な変化をつけて飽きさせない。

 変化はあれど、ちゃんと最初の設定は壊さない。このバランス感が見事。寿司屋に行ったらいろんな種類の寿司を食べたいけど、だからってハンバーグおにぎりとかはちがうもんね。いくらおいしかろうと寿司の枠は壊さないでほしい。


ルシファー吉岡 (婚活パーティー)

 今までは見たルシファー吉岡のネタってたいていルシファーがヤバい人だったけど、このネタに関してはルシファーはツッコミ役。ちょっといい人すぎて変ではあるけど、でもまあ常識人の範囲にはおさまっている。これはこれでいい、というか、R-1グランプリという大会ではこっちのほうがいいんだろうな。

「ヤバい人」より「ヤバい人にふりまわされる人」のほうが安心して笑えるもんね。ベルの音や「私以前、私以後」といったフレーズの使い方も見事。

 でも個人的には、ずっとやってきた下ネタを捨てて、大会にあわせにきたルシファーさんを見るのはちょっと寂しい気もしたな。


街裏ぴんく (温水プール)

 前評判がよかったので楽しみにしていたのだが、期待外れだったな。やろうとしていることはわかるんだけどそれだったらもっとうまいやり方があったんじゃないの?

 だって「温水プールに行ったら石川啄木がいた」って嘘がすぎるじゃない。嘘のおもしろさってさ、「嘘かほんとかわからないけど自分にはギリギリ嘘だとわかる」ぐらいのラインを突くのがいちばんおもしろいわけじゃない。「おつむの弱い人はわからないけど自分にはわかる」ぐらいが。

 なんかさ、最初はもっと絶妙な嘘をついて(嘘っぽいけどありえなくもないぐらいの)、そこからちょこちょこ嘘を発展させて、でもときどき真実性の高いことも混ぜて……みたいな構成のネタを見てみたかったな。ハライチのラジオで岩井さんがやっているような。

 石川川石とか言ったときは一部の客が「へえー」とか言ってて、そうそうこういう嘘! とおもったんだけど、その後もまた真っ赤な嘘に終始してしまった。


kento fukaya (マッチングアプリ)

 んー。どこかで見たことのあるようなフォーマットを集めたネタだったな。

 おもしろくないわけじゃないんだけど、新鮮味がなかった。R-1って何をやるのも自由だから、新しい試みが感じられるものが見たいな。何をやるのも自由なんだけど、さすがに昨年優勝者の風味が感じられたのは、それはどうなのとおもってしまったな……。

 映像にツッコミを入れるネタって、よほどうまくやらないと「自分で用意したものに自分で文句をつけてる人」になっちゃうんだけど(もちろん実際はその通りなんだけど)、そこをうまく見せられるかどうかは「映像の中に第三者の人間味が感じられるか」にかかっている。昨年の田津原理音さんのネタはカードの開封という演出を入れることでうまく偶発性を演出していた。

 このネタに関してはkento fukayaさん以外の人の体温が感じられなかった。


寺田寛明 (国語辞典のコメント欄)

 昨年の「言葉のレビューサイト」に似たネタ。去年のほうがおもしろかった。

「この言葉にはこういうコメントがつくだろうな」という想像を、そこまで大きくは超えてこなかった。そして毎年のことだけど、この人のネタには「誰が演じても大して変わらない(というかもっとうまく演じられる人がいそう)」という問題が。なんならデイリーポータルZの記事でもいいんんだよな。


サツマカワRPG (不審者対策講習)

 なんか、R-1に何度も出ていたころの友近を思いだしたというか、もう優勝とか関係なく好きなことをやってやるぜ!という開き直りを感じた。ふつうはだんだんえぐみがとれていくものなのに、この人の場合は年々理解されなくなっていくのがおもしろい。

 一人コントだけど、防犯ブザーの音を効果的に使っていて、セリフはないけど子どもたちの表情が見えるよう。丁寧につくりこまれたいいコントだった(ラストのオカルト展開は個人的にはいらなかったようにおもうけど)。

 ところでハガキ職人をネタにしてたけど、そこまで伝わるのだろうか。劇場に足を運ぶようなお笑いファンならラジオを聴いている人も多いだろうから伝わるだろうけど、一般的にはそこまで伝わる題材じゃないとおもうな。ウエストランド井口がもう手をつけているところだしパワー面でも勝っているようにはおもえないので、流れ的に入れる必要あったのかなとおもってしまった。


吉住 (結婚の挨拶)

 結婚の挨拶に来た女性が武闘派のデモ活動家、というひとりコント。サツマカワRPGに続いて狂気性を扱ったコントだけど、どこか嘘くささが終始漂っていた。

 コンビだったら楽なんだけどね。ヤバい人に対してツッコミを入れる人がいれば、異常さが際立って笑いになる。

 ひとりだと、自分で説明をして、観客に心の中でツッコミを入れさせなくてはならない。でも「説明」という行為と「異常な人」は相性が悪い。異常な人は、自分がなぜその行為をするに至ったかを他人にわかりやすく説明しないから。

 異常な人というのはよくわからないから異常なのであって、丁寧に説明をしてくれたら狂気性が薄れてしまう。そこのジレンマをうまくクリアできているようにはおもえなかったなあ。


トンツカタンお抹茶 (かりんとうの車)

 サツマカワRPG、吉住と不快さをまとわりつかせたコントが続いた後で、ばかみたいに平和なネタ。これこれ、今はこういうのが見たいんだよ! 最高の出番順だった。

 何にも残らない最高にアホみたいなネタ(褒めてます)だったけど、だからこそ点数は低くなってしまったのかな。同じように意味のない歌ネタ『井戸』で優勝を勝ち取った佐久間一行さんはすごかったなあ。

 くぐもった声のコーラスのせいで聞き取りづらい箇所があったのが残念。からっぽなネタ(くりかえし書くけど褒めてます)だからこそ、ノーストレスで見たかったなあ。


どくさいスイッチ企画 (ツチノコ発見者の一生)

 作品の完成度は今大会ピカイチだとおもう。起承転結、ストーリーの寓話性、そして表現の巧みさ。ベテラン落語家のように完成された芸だった。

 アマチュアだというから発想のおもしろさで一点突破したのかとおもいきや、そんなことはなく、いちばん技術が高かった。

 技術を評価するタイプの審査員が少なかったのが残念だなあ。




【最終決戦】


吉住 (鑑識)

 女性監視機関が来たのが彼氏の職場だった、という発想はおもしろいが、その設定だったらこういう展開だろうな、という流れから大きく裏切りがなかったのが残念。

「1番にしちゃった」などのよくわからないデレ方はおもしろかった。女性芸人の「かわいい部分と怖い部分の使い分けで笑いをとりにいく手法」はさすがにもううんざり。


街裏ぴんく (モーニング娘。の結成秘話)

 一本目よりは絵がイメージしやすかった。「スマートボール」などのあってもなくてもいい題材が飛び出してくるのもおもしろい。

 とはいえ虚構全開で「嘘かほんとかわからないおもしろさ」がないのは相変わらず。二本目はみんな「この人の言うことは嘘だ」とわかっているわけだから、もっと虚実の境界ぎりぎりをえぐるようなネタでもよかったとおもうけどな。


ルシファー吉岡 (隣人)

 なんとなく中途半端な印象。隣室の会話を聞きすぎているルシファー吉岡の異常さを見せたいネタなのか、隣室の人間関係を見せたいのか。そしてひとり語りで説明するには隣室の“五人”という人数は多すぎやしないか。しかもその五人はどう考えても始終一室に集まる取り合わせじゃないだろ。「いっつも部屋に集まって遊んでる五人組」だったらもっと性格とか似てるとおもうんだよね。くそマジメタイプの女の子がこの部屋に入り浸るか?

 芝居がうまいからこそそのへんのリアリティの欠如が気になってしまった。




 SNSなんかを見ると「街裏ぴんくは何がおもしろいかわからなかった」「どくさいスイッチ企画はおもしろかったのに不当に点数が低かった」という声がとにかく多かった。

 まあこういう大会のたびに「優勝者は何がおもしろいのかわからない」「〇〇のほうがおもしろかったのに!」という声はあるんだけど(異論がない人はあまり声を上げないしね)、それにしても今回のR-1はその声が例年にないぐらい多くて、たぶん視聴者投票したら街裏ぴんくさんは下位に沈むだろう。ひょっとしたら「審査員票では優勝だけど一般投票なら最下位」もあるかもしれない。逆ならかっこいいんだけど。

 それぐらい会場と視聴者の乖離が大きかった。

 ぼく自身も同じように感じて、個人的に三人選ぶなら、真輝志、ルシファー吉岡、どくさいスイッチ企画になる。彼らのネタはおもしろいだけでなく「ひとりである必然性」があったからね。ひとりでしか表現できないネタ。吉住さんはツッコミがいたほうがおもしろかったんじゃないかな。

 でもまあやらせだとか陰謀論を唱えるつもりはない。たぶん会場のウケとテレビ視聴者のウケはちがうだろうし(大声、歌、勢い系のネタはテレビよりも会場の評価が高くなりがち)、審査員(特に野田クリスタルさんとザコシさん)の好みが偏っていただけで審査に良からぬ意図がはたらいていたとはおもわない。審査員を変えたって、それはそれでべつの問題が起きるだろうし(昔のR-1は芸人というよりタレントに近い人たちが審査員をやっていて、大衆の感性には近かったけどマニアックなものは拾われにくかったし、あと出番順に大きく左右されていた)。

 ということで「いや大衆から何と言われようとR-1グランプリが次の時代を切り拓いていくんだ!」ぐらいの信念があって今の審査員体制を貫くのであればそれはそれでいいんだけど、大会方針の二転三転っぷりを見ているととてもそんな信念や覚悟があるようには見えないんだよなあ……。


 ま、ちょっともやもやの残る結果にはなったけど、芸歴制限を撤廃したり、ネタ時間が増えたり、観ている側としては特に必要性も感じない敗者復活戦をやめたり、大会がいい方向に向かっていることはまちがいない。このままの方向性で進んでいってくれよ!!


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2024年1月23日火曜日

【芸能鑑賞】『ロビンフッド』


ロビンフッド
(1973)

内容(e-honより)
イギリス、シャーウッドの森に住むおたずね者のロビンフッド。でも本当は、重い税金で人々を苦しめるプリンス・ジョンや悪い貴族をこらしめる、心やさしい正義の味方!囚われた仲間を助け出し、平和な森をふたたび取り戻すため、剣を自由に操り、得意の弓矢で敵を射ち、時には賢く変装をして大活躍。美しいマリアン姫や力持ちの相棒、リトル・ジョンなど、個性あふれるキャラクターたちも楽しく生き生きと描かれています。愛と勇気の冒険物語『ロビンフッド』は、世界中で親しまれてきた伝説を鮮やかに甦らせたディズニー・アニメーションの傑作です。

 今から五十年以上前の作品。

 ぼくが子どもの頃、家にディズニー映画のビデオテープが何本もあった。ミッキーマウス、ピーターパン、くまのプーさん……。いろいろあったが、いちばん好きだったのは『ロビンフッド』だった。何度も何度も巻き戻して、五十回は観たんじゃないだろうか。


 そんな『ロビンフッド』がAmazonプライムにあったのでレンタルして子どもに見せたところたいへんなおもしろがりよう。「またみたい!」と言うので、それじゃあということで購入した。

 特に下の子(五歳)がハマって、毎日のように観ている。五十回以上は観ている。ぼくもいっしょに観ることも多いので、通算百回は観ていることになる。




 今のディズニー映画(というより今の映画作品)に慣れた身からすると、『ロビンフッド』は昔の映画だなあという気がする。強くてかっこよくて正義感の強い主人公がいて、わかりやすい悪役がいて、かわいくて優しくて一心に主人公のことを想うヒロインがいて、気のいい仲間たちがいる。主人公は正義のために闘い、ピンチもあるけど知恵と勇気で切り抜け、悪いやつをやっつけて街には平和が訪れてお姫様と結婚してめでたしめでたし……。なんてありがちな話なんだろう。

 でも、それがいい。特に五歳の子にとっては。

 なんかさ、今のアニメって複雑だよね。ディズニー映画とかドラえもんとかの子ども向け作品であっても、二転三転、ピンチ、ピンチ、またピンチ。優しいとおもってた人物が実は悪いやつで、一見とっつきにくそうなやつが実はいい人で、悪いやつにもそれなりの同情すべき事情があって……とかなり複雑な構成になっていることが多い。

 もちろんそれはそれでおもしろいんだけど、子どもからすると、もっとシンプルに「いいやつが悪いやつをやっつけました。めでたしめでたし」って話が観たいんじゃないだろうか。大人だってたまにはそんなのが観たい。むずかしいことは考えずに「いけいけー!」と正義のヒーローを応援するような作品も観たい。

『ロビンフッド』はそんな期待に応えてくれる。いいやつはどこまでもいいやつで、悪いやつはとことん悪くて愚か。

 シンプルなストーリーが多いからこそひねった設定が光るのに、最近は猫物語ひねってくるんだもん。かえってシンプルなストーリーのほうが新鮮に見えてしまう。




 『ロビンフッド』の筋書きはわかりやすいが、だからといって退屈ではない。それはキャラクター造形がとにかく優れているから。

 勇敢で洒脱なロビンフッドはもちろん、包容力があって頼りになるリトル・ジョン、とにかくチャーミングなマリアン姫、最強の女官レディ・クラック、聖職者なのに実は武闘派のタック神父、ロビンフッドにあこがれる少年スキッピー坊や。

 どのキャラクターもいいが、特筆すべきは悪役もみんな魅力的なところ。マザコンで泣き虫のプリンス・ジョン、知恵者なのに冷遇されがちな参謀ヒス、冷酷だが小悪党意識の抜けないノッティンガムのシェリフ、凸凹コンビの早撃ちとトンマ、どの悪役もどこか抜けていて愛らしい(まあ早撃ちとトンマは職務をまっとうしているだけなので敵ではあるが悪くはないのだが)。


 うちの五歳児はロビンフッドだけでなく、プリンス・ジョンやシェリフのことも好きになってよく「ノッティンガムのシェリフが徴税するときにうたう歌」を口ずさんだりしている。たぶん今この歌をうたえるのはうちの子だけだぜ。シェリフ役の声優でももう忘れているだろう。




 重税に苦しむ民の様子など陰鬱な場面もあるのに『ロビンフッド』がずっとユーモラスなのは、それぞれのキャラクターを動物が演じているからだろう。

 最近だと『ズートピア』でもこの手法をとっていたが(おじさんにとって八年前は最近)、もっとやったらいいのにね。『ズートピア』も人種差別問題をそのまま描くと生々しすぎるから動物にして成功だった。

 これは邪推かもしれないけど、本当の『ロビンフッド』ってイングランドで悪政を敷いたジョン王に義賊・ロビンフッドが立ち向かう話で、仮にもイングランド王家の人を茶化すのはよくないってことで動物キャラクターにしたのかも。

 いい手法だよね。言いにくいことはどんどん動物に言わせて寓話にしたらいい。オーウェルの『動物農場』みたいにさ。


 ディズニーの長い歴史ではほとんど無視に近い扱いをされている不遇の作品だけど、今観ても十分おもしろいとおもうのでぜひ多くの人に観てほしい。

 ……とおもっていたらリメイクの話があるそうだ。

米ディズニー、アニメ版「ロビン・フッド」をリメイク Disney+向けに開発中

 リメイクされたらDisney+に加入しようかな……。


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2023年12月27日水曜日

M-1グランプリ2023の感想

 M-1グランプリ2023の感想です。小学生の娘といっしょに敗者復活戦~決勝までほぼ通しで鑑賞。敗者復活の途中じゃなくて終わった後にニュースをはさんでほしいな。




敗者復活戦

 好きだったのは、Aブロックはロングコートダディの「真逆」。
 大喜利力の強さと構成の巧みさを見事に両立させていて、これは決勝で披露していたとしても相当いい順位だったとおもう。ボケを詰めているが、すべて説明しないところがロングコートダディらしくておしゃれ。オチの「もうええわ」をなかなか言わないとこまで隙のない構成。

 Bブロックはエバース「ケンタウロス」。ケンタウロスって、お笑いの世界ではまあまあ手垢にまみれた題材だとおもうんだけど、通りいっぺんのなぞりかたで終わらせず、とことんまで掘り下げたからこその斬新な切り口で魅せてくれた。まったく予期しないところからボケが飛んでくる。特に「上座」はすばらしい!

 Cブロックはシシガシラ「カラオケ」。実はハゲをいじっているのは一回だけなのに、後は表情とお客さんの想像力にゆだねてなぜかずっとハゲいじりをしている気にさせる。観客を共犯者にする計算高さ!

 あえて一組選ぶならロングコートダディだけど、シシガシラもすごいことをやっていたので納得の結果。

 倫理観むちゃくちゃなニッポンの社長「女」、奇抜な設定なのになぜかドラマ性のあった20世紀「怪人居酒屋」、中盤以降ほとんど擬音語しか言っていないトム・ブラウン「スナック」も笑った。

 審査の順当さもあいまって今年の敗者復活戦は過去最高クラスだった。マヂカルラブリー野田さんも言ってたけど、ほんと去年までの審査はなんだったんだ。

 これまでこのブログでもさんざん敗者復活のシステムについて悪態をついていたので、制度変更してくれてよかった。去年までの人気投票システムだったらシシガシラは勝てなかっただろうなあ。

 人気投票だったから、人気では勝てないことがわかっているコンビはハナから勝負を捨ててたもんな(それはそれでオールザッツみたいでおもしろかったけど)。制度変更したことで今年はほとんどのコンビがちゃんとネタで勝ちに来ていて、見ごたえのある敗者復活戦だった。決勝戦よりもおもしろかったかも。




 ここから決勝ネタの感想。


令和ロマン(転校生)

 漫画でよくある(とされる)、投稿中に角でぶつかった男が実は転校生だったという展開はほんとに起こりうるのか……。というあるあるにツッコミを入れる導入。

 前半は共感性の高いツッコミを入れながらお客さんをノせていくのだか、それっぽい答えを提示しておいてから「これはおもしろくない」と自分たちが築いた世界をぶっ壊してしまう剛腕っぷり。下手するとここで客が冷めてしまいかねないのだが、ちゃんと観ている人の心をつかんだまま後半の「そんなわけないゾーン」へと連れていったのが見事。

 空気の作り方、お客さんの巻き込み方がとにかくうまい。「日体大の集団行動」なんて本来そこまで伝わるボケじゃないとおもうんだけど、空気をつかんでいるから無理やり受け入れさせてしまう。

 テレビで観る漫才と生で観る漫才は違う。師匠と呼ばれるようなベテラン漫才師ってテレビではそこまで笑えなくても、生で観るとめちゃくちゃおもしろいんだよね。あっという間に会場を自分たちの空気にしてしまう。以前、大木こだま・ひびきの漫才を生で観る機会があったんだけど、あっという間に場を支配して観客を惹きつけてしまった。

 令和ロマンは若いのにこの「なんかいい空気」を作り出すのがめちゃくちゃうまい。たぶん生で観たらもっといいんだろうなあ。令和ロマンなら、たぶん他の漫才師のネタをカバーしてもちゃんとおもしろくできるとおもう。


シシガシラ(合コン)

「看護婦さん」「スチュワーデスさん」と古い職業名で呼んでしまい、相方から時代にあってないとたしなめられる。だが看護婦やスチュワーデスはダメなのにハゲはいいのかと疑問を持つ……。

 去年か一昨年のM-1予選動画で観たことのあったネタ。そのときはウケていたしぼくも大笑いしたのだが、今回はどうもウケず。

 これは場の違いかなあ。劇場だとハゲいじりがぜんぜん許されるから「ハゲはいいのー!?」が活きるけど、テレビだと最初のハゲいじりの時点で「それ良くないんじゃない?」の空気になってしまう。最初のハゲいじりがウケて客との共犯関係が築けないと、後半が厳しいね。

 願わくば敗者復活戦でやったカラオケのネタを決勝でも観たかったけど、あれも準決勝のお客さんは漫才を見慣れているからすぐにその構造を呑みこんでくれたけど、決勝だとどうだったろうなあ。でもキャラクターが浸透すれば、マヂカルラブリーのようにM-1決勝の舞台で受け入れられる日が来るかもしれない。

 敗者復活戦を観ていない人は「なんでここが勝ちあがったんだ?」とおもうかもしれないけど、敗者復活戦では場の空気にばちっとハマっていてめちゃくちゃおもしろかったんだよ。


さや香(ホームステイ)

 ブラジルからの留学生をホームステイ先として受け入れることになったのだが、日が近づくうちになんとなく気後れしてきたのでこっそり引っ越そうとおもうと打ち明ける……。

「なんも言わんと引っ越そうとおもってる」という導入はよかったのだが、その後の論理がかなり甘く感じた。「むちゃくちゃ言ってる」ではなく「甘い」。

 たとえばコンビニバイトの例え。「バイト初日に行ったら店がなくなってるようなもんや!」と言っていたが、実際のところ、バイト初日に店がなくなっていることなんて「ホームステイに行ったらホストファミリーの家がない」に比べたらぜんぜん大したことない。「おまえがやってるのはこんなにひどいことなんだぞ!」と言いたいのに、例えのほうが弱かったらだめだろ。

 また「留学生が五十代だった」はそこまでの意外性がないし、五十代だったら逃げたくなるという論調にもまったく共感できない。片方がむちゃくちゃ言ってもう一方がたしなめるなら笑えるが、ふたりそろって留学生を見捨てて逃げようとするのは救いがなくて笑えない。だってエンゾは何も悪いことしてないもの。

 むちゃくちゃな主張を強引な論理で押し通す作りはかつてかまいたちがM-1で披露した「タイムマシン」や「となりのトトロ」のネタに通じる部分もあるが、かまいたちは無茶を貫き通すためにそれ以外の部分は強靭な論理でがっちり固めていた。主張も無茶、それを補強するはずの論理も穴だらけ、ふたりとも道徳観が欠如、ではね……。その話には乗れませんぜ。


カベポスター(おまじない)

 小学校のときにおまじないが叶ったという話。だがよくよく聞いてみると、校長と音楽教師の不倫をネタにゆすっているだけで……。

 あいかわらずストーリー運びが見事。ハートフルな展開だった昨年の「大声大会」のネタよりも、底意地の悪さを感じられ、後半サスペンス展開になるこちらのネタのほうがM-1向きかもね。「ずっゼリ」のようなパンチラインもちゃんと用意しているし。脚本のうまさでいえば「大声大会」のほうが上だけど。

 カベポスターはコントに力入れてもいいんじゃないかな、となんとなくおもった。


マユリカ(倦怠期)

 倦怠期の夫婦をやってみるという設定。

 ボケもツッコミもおもしろいんだけど、ずいぶん冗長に感じた。フリが長すぎるというか。フリ→フリ→ボケ、ぐらいのテンポを期待して見ているのに、フリ→フリ→フリ→ボケ、みたいな。あれ? まだボケないの?

 昨年の敗者復活でやっていたドライブデートのネタとかのほうが濃度が高く感じたけどな。

 しかしここは漫才よりもその後のキモダチトークが盛り上がってたから、ある意味いちばん得をしたコンビかもしれない。バラエティとかに呼ばれそう。


ヤーレンズ(大家さんに挨拶)

 引越しの挨拶を大家さんにしにいくというコント形式の漫才。

 おもしろいし、特にツッコミのうまさが光る。おもしろいんだけど、どうしても2008~2009年頃のM-1がよぎってしまう。ノンスタイルやパンクブーブーが優勝してた頃の手数重視時代。そして、パンクブーブーに比べると、ちょっとボケの精度が粗く感じる。パンチの数は多いけどちょいちょい外してる。それだったら打たないほうがいいのでは、というパンチがいくつか。

 うちの子はいちばん笑ってた。


真空ジェシカ(Z画館)

 えいがかんより安いB画館があるという話から、まずはZ画館に行ってみたらいいという流れになり……。

 いやあ、よかったね。手数が多い上に、一発一発のパンチが重たい。おまけにボケが後の展開につながっていてコンボが決まっている。Z画館→Z務しょ→刑務所→税務署の流れとか、エンジン式のスマホ→電話の声が聞こえない→検索エンジンとか。ボケの数は多いけど脈略のない羅列ではなく、映画泥棒の勝利とか、ラジオネームのような映画監督名とか、どれも映画というメインテーマにつながっている。ただえいがかんより安いB画館、というだけでなく、「下っていうとまたアレなんだけど」と謎にリアルな配慮をしてみせることで、一見突飛な世界観を強固なものにしてみせている。

 これはすばらしい! とおもったので、あの結果(最終順位7位)には驚いた。この出来で!?

 ううむ、パンチが重いわりにスピードが速すぎてついていけない人がいたのかなあ。また「Z画館」という設定が突飛すぎたのかなあ。


ダンビラムーチョ(カラオケ)

 口だけでカラオケの伴奏をする、という漫才。

 んー、まったく笑えなかったなあ。そもそも狙いがよくわからなかった。

 歌ネタは盛り上がりやすいけど、ベストなタイミングでツッコめないのが弱点だよね。歌にあわせなくちゃいけないから。溜めて溜めてよほど切れ味の鋭いツッコミがくるのかなとおもっていたら、期待を下回っていた。おいでやすこがのように「わかっていてもツッコミそれ自体で笑わされる」ぐらいのパワーがあればまたちがうんだろうけど。


くらげ(ど忘れ)

 サーティーワンアイスクリームの種類を忘れてしまったので思いだしたいという設定。

 ここ数年、毎年一組ぐらいは「準決勝の審査員はなんでここを決勝に上げたんだろう」とおもう組がいるよね。去年でいうとダイヤモンド。

 いや、おもしろいんだけど。ダイヤモンドもくらげも個人的には好きなんだけど。でも、決勝の舞台で、会場を盛り上げて、プロの審査員に漫才技術を評価されて、点数をつけられるという状況で、ここが勝つ可能性があるとおもったの? ビジュアルに頼っているネタでもあるし。

 たとえば、ダンビラムーチョなんかは、ぼくはぜんぜん好きじゃなかったけど、客層とかタイミングとかがちがえばめちゃくちゃウケることもあるのかもな、とおもえる。でもダイヤモンドが昨年披露した「レトロニム」のネタとか、くらげのこのネタとかは、お客さんを変えて出番順を変えて100回やってもトップ3位以内に入ることはほぼないんじゃないの、とおもっちゃうんだよなあ。おもしろくないわけじゃなくてM-1決勝戦の舞台にあわないというか。盛り上がりようがないネタだから。これが勝つとしたら、相当他がスベりまくったときだけだよ。

 何度も書くけど、個人的にはぜんぜん悪いネタじゃないとおもう。準決勝の審査員が悪い。


モグライダー(空に太陽があるかぎり)

 錦野旦の『空に太陽がある限り』はめんどくさい女にからまれている歌詞だ……という暴論からはじまり、歌いながらめんどくさい女をかわす練習をする。

 構造は一昨年の決勝で披露していた「さそり座の女」と一緒だが、こっちのほうがずっと見やすくなっている。最初の説明が丁寧になっているし、芝さんがお手本を見せるところ親切だ。

 とてもわかりやすくなっている……が、その反面「こいつらは何をやってるんだ」というおかしさが薄れてしまったようにも感じる。むずかしいな。

 アドリブ性の強いネタなのでしかたがないのだが、調子が良くなかったように感じる。たぶんまったく同じネタでももっともっとおもしろくなるときもあるんだろうなあ、という印象。

 そしてこれまた歌ネタの宿命で、「途中のくだりを省略できない」というのもマイナスポイント。もうそこはいいから次のくだりに行ってくれよ、と観ている側はおもうのだが、歌だと飛ばせないからねえ。




令和ロマン(ドラマ)

 ドラマを人力で演じたい、という漫才。

 ダンビラムーチョ、くらげ、モグライダーとボケのテンポが速くない漫才が続いた後だったこともあって、見やすいボケがポンポンと飛び出してくるのは楽しくて見ごたえがあった。たくさん用意していたネタの中から状況に応じたものを選んでいたらしいので、そのあたりも考えていたのかなあ。策士!

 クッキーに未来はない、まだライバルじゃない、トヨタにそんな人はいないなど次々に上質なボケが並ぶ。

 気になったのは、終わり方が唐突に感じたところ。しっかりとドラマの世界に引き込まれたからこそ、ドラマの冒頭部分だけで終わってしまったことに物足りなさを感じてしまった。もっと見たかった!


ヤーレンズ(ラーメン屋)

 変な店主のラーメン屋に行くコント漫才。

 昨年の敗者復活で披露したネタのブラッシュアップ版だが、そのときよりもボケ数が増えた分、ハズレも増えた印象。それでも数を入れながら、メンジャミン・バトン~スープな人生~のような重めのボケを織り交ぜてくる構成は見事。渡されたネギをずっと持っているような細かい描写も光った。唐突に終わってしまった印象のある令和ロマンとは違い、ラーメン屋に入店するところから出ていくところまでを描いているのでこっちのほうがまとまりの良さは感じる。

 余韻や広がりを感じさせた令和ロマンと、一本の作品としてきれいにまとまっていた屋―レンズ。いい勝負だった。


さや香(見せ算)

 加減乗除にプラスして、これからは「見せ算」が大切だと説きはじめる……。

 やりたいことはわかるけど、ぜんぜんおもしろくなかった。攻めたというよりただ奇をてらっただけのように見えてしまって。

 一言でいうなら「さや香にはシュールをやれる器がない」。数年前の敗者復活でやってた「からあげ」のときも同じことをおもったんだけど、シュールネタをやるには嘘くさすぎる。

 なんでかっていったら、さや香はちゃんとやれることをみんな知っているから。過去にM-1決勝に2回も出て、ボケツッコミを入れ替えて、王道しゃべくり漫才で準優勝までして、またチャレンジして、バラエティ番組でもちゃんとトークができることを見せつけて、その間に血のにじむような努力があったことは誰にでも容易に想像がついて、そんな人が本気で見せ算を提唱したいとおもってないことはわかってしまう。だから嘘くさい。「おれ、今からシュールをやるで!」って自分で言っちゃうような痛々しい感じ。

 こういうタイプのネタって片手間でやれるもんじゃないんだよね。天竺鼠とかランジャタイみたいに、ずっと奇抜なネタやってて、普段のトークでも奇天烈なことばっかり言って、はじめて説得力が出る。それぐらい人生を捧げてやっと、「この人なら本気でこんなこと考えてるかも」と思わせることができる。

 さや香が演じるには無理のあるネタだし、そもそもネタとしての出来がよくなかった。「どういうこと?」「何言ってんの?」と観客がおもうことを言い、「どういうこと?」「何言ってんの?」とツッコむ。なんら意外性がない。目新しさもない。

 今回の予選でいえばデルマパンゲや豆鉄砲や空前メテオがこういう「ぶっとんだ持論を展開する」系統のネタをやっていたが、そのどれもがさや香の「見せ算」よりもずっとよくできていた。めちゃくちゃを言いながらも、観客の中にも20%ぐらいは「たしかにそうかも」とおもわせるふしぎな説得力があった。

 かけあいの強さというさや香の持ち味も失われていたし、観客からも求められていなかったし、そもそもネタ自体の出来がいいとはおもえないんだけど、そんなにこのネタをやりたかったのかねえ。「勝てなかったけどこれをできたから満足です!」と言えるようなネタなのかなあ。




 ということで優勝は令和ロマン。おめでとう。

 来年も出たいと言っていたけど、ぜひチャレンジしてほしい。まだまだ伸びるコンビだとおもうので(だからここで優勝してしまったことにちょっと寂しさも感じる)。

 テレビで観ていて、オープニングは盛り上がっていたのに、途中で出てきた野球監督&選手あたりで急に会場の熱が冷めたように感じた。彼らがあまりに緊張してるからその緊張が観客席にも伝染したのか? もし今大会の盛り上がりが例年に比べてイマイチだったと感じたなら、犯人は彼らをキャスティングしたやつだ。

 敗者復活がやっとまともな制度に戻ったり、出番順の組が損をする風潮がほんのちょっとだけマシになったり(とはいえ相変わらず損だけど)、ちょっとずついい大会にはなってきている。あとはあの「誰も求めていない、アスリートにくじを引かせる時間」さえなくせばもっと良くなるね!


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2023年12月6日水曜日

【芸能観賞】ダウ90000単独ライブ『20000』


ダウ90000第2回単独公演
『20000』

概要
ダウ90000単独ライブ「20000」
日程:2023年11月7日(火)~11月19日(日)
会場:東京・ザ・スズナリ

 配信にて視聴。

 8本のコントに幕間映像を加え、2時間を超える大ボリューム。コントは8本とも8人全員が出演。


(観た人向け。ネタバレを含みます)




1. 服の記憶

 序盤は「仕事の話をしているときに出てくる例えが、すべて車の運転に関する比喩」という会話劇だが、中盤からは「さっき会ったばかりの人の服装をどれだけおぼえているか」というクイズのような展開に……。


 ぼくは人の服装をまったくおぼえられない人間なので(それどころか自分の服もおぼえていない)、観ていてまったく参加できなかった。

 まず「野球とクリスマスツリー」のあの服があって、そこからつくっていったコントなのかなーと想像。



2. トロイメライの声

『トロイメライの声』という漫画に関する話。熱心なファン、今はじめて読む人、読もうとはおもわないが話だけ人、アニメだけ観ている人、アニメ監督のインタビューだけ読んだ人が『トロイメライの声』について語り合うが話が一致せず……。


『トロイメライの声』は架空の漫画なので、当然ながら観ている人には漫画の中身はわからない(ただ雨が降っていることだけがわかる)。そこでAとBの主張が完全に食い違っている場合、観客はAとBの語り口によってその信憑性を判断するしかない。

 一方は落ち着いた口調で理路整然と語り、もう一方は感情的であり、必死であり、不明瞭であり、いちいち鼻につくオタク口調であり、かつ冴えない風采の男である。あたりまえのように聞き手は前者の言い分が正しそうだという判断を下すわけだが、やがて後者のほうが正しいらしいことが明らかになる……。

 我々が「どうやらこの人が言っていることは正しそうだ」と判断する際に、話の内容ではなく、いかに口調や外見に引きずられているかを気づかされるコント。ぜんぜん市民にとってプラスとなる主張をしていないのに、ビジュアルや語り口の良い政治家や評論家が人気を博している、なんてのもよくある話だ。我々は自分がおもっているよりもずっと論理的ではない。

 おもしろい試みをしているとおもうのだが、いかんせん会話劇を進める上で八人という人数は多すぎる。もちろん人数が多いからこそ表現できることもあるわけだけど、少なくともこのコントに関してはもっと少ないほうがすんなり伝わったんじゃないかなー。



3. 手術前

 重い病気になり、手術を控えた女性。そこへ彼女に好意を寄せる男がやってくるが、彼の語る「手術が終わったらふたりで〇〇をしよう」があまりに微妙。次々に彼女に言い寄る男たちが現れるが、それぞれどこかずれている……。


 ん-これはあまりピンとこず。これまた「八人を出すためにがんばった」感のある設定だった。

 これまであまり言語化されてこなかった細かいあるあるを並べ立てていくのは蓮見さんらしいけど。



4. 幼なじみとFAX

 男の家に、結婚する予定の彼女が引っ越してくることになり、彼女の幼なじみの男が引越しを手伝いにきてくれる。彼女と幼なじみは仲がいいが、お互いに恋愛感情は持ったことがないという。だが彼女と幼なじみが十年以上も毎日FAXをしていることが明らかになり、彼氏は二人が愛しあっているのではないかと疑う……。


 今作でいちばん好きだったコント。

 幼い頃から毎日FAXを送りあう仲。電話やメールやLINEではなく、あえて不便なFAXで、好きな人の話をしたり、それぞれ恋人ができたことを報告したり、似顔絵を送りあったり……。これは恋人や夫婦よりも深い仲だよなあ。

 令和の今、デジタルネイティブ世代の若者が、FAXで届けあう気持ちを描けるのがすごい。文学だ。岩井俊二監督の『Love Letter』を思いだした。

 しかしそこで感傷的な展開にはもっていかず、二人の関係に嫉妬する彼氏もまた、幼なじみの女性と電報でのやりとりを続けていることがわかる……という展開で急にコントらしくなる。

 いいコントだったが、彼女と幼なじみが本当の気持ちに気づいてそれぞれ恋人と別れてくっつく、というのはちょっと安易に感じたな。急に平べったい人物になっちゃった。オチの回覧板につなげるためにはしかたないんだけど、設定に説得力があっただけに雑さが目立ってしまったな。



5. サプライズ

 もうすぐ誕生日の友人を驚かせようと、サプライズパーティーをするために集まった七人。だが主役はバイトでなかなか帰ってこず、七人は待たされることと空腹でイライラして場は険悪な空気に。些細なことで言い争いがはじまるが、怒りながらも友人を大切におもう気持ちがにじみ出てしまう……。


 険悪な雰囲気で怒鳴り散らしてるのに、出てくるのは相手を慮る言葉ばかり……。日本語がわからない人が見たらただただおっかないコントだろう(実際、うちの五歳児は怖がっていた)。

「あたし今日誕生日なんだけど」は笑った。自分の誕生日に「誕生日が近い友人のサプライズパーティー(しかも失敗)」に参加させられる気持ちたるや。

 おもしろかったけど、どうしても天竺鼠がABCお笑いグランプリやキングオブコントでやっていた「口の悪いサラリーマン」のネタを思いうかべてしまったな。



(幕間映像)コンピレーションアルバム

 音楽プレイヤーを手に、思い出の曲を語り合う男女の音声コント。

 幕間映像にちょうどいい、ワンアイディアものコント。


6. 旅館バイト

 旅館の新人バイト。先輩バイトたちから、客室の清掃の際に「部屋に残っていた食べ物は見つけた人のものになる」というルールを教えられる。そのルールは微に入り細を穿っていて……。


 バイト先のローカルルールが細かくて絶妙にゲーム性に満ちている。あるあるとありえなさのちょうど間にあるおかしさ。どっかにはこんなことやってるバイトもあるかもな、というちょうどいいライン。

 楽しい職場なのに、場を読めないバイトのせいで雰囲気が壊れてしまう感じもリアリティがあっていい。

 しかし旅館の客室ってそんなに食べ物を置いて帰るものなのか? ほぼ置いて帰ったことないぞ。



(幕間映像)展開予想

 ソファに座って、ここまでのコントを観ていたカップル。そろそろラストのコントなので伏線を回収するようなハートフルな展開が待っていると予想を語る……。


 おまえらの思い通りにはさせねえぞ、という挑戦状のようなコント。誰への挑戦状かって? そりゃあオークラ氏やその周囲かな……。


7. 芝居の表現

 ドラマ撮影現場で、女優を本気で殴るように命じられた俳優が「表現のためだからって何をしてもいいわけじゃない」と難色を示す。だが女優、演出家、脚本家には彼の主張がまったく理解されず……。


 これもいいコント。どちらの言い分もわからなくはない。たとえ相手の同意があったとしても暴力はいけないのか、その同意は本当に自由意志の発露なのか……と考えさせておいてからの、まさかのキスシーンNG。

 正義と正義の衝突かとおもったら、単にこの俳優が嫌われているだけなんかい。

 好きなセリフは「わたしが女だからですか」。



8. 講演会

「恋を応援する」というセミナーを開催する女性。ファンたちは熱心に聞いているが、その話の薄っぺらさに、聞いていたスタッフがおもわずツッコミを入れてしまう。聞きとがめた講演者が「言いたいことがあるなら前に出てどうぞ」と言うと、本当にスタッフが登壇してしまい……。


 後味悪いコントだなあ。これを最後に持ってきたのは「ハートフルなコントで締めないぞ」という意気込みの表れなのか。にしても、ただただ嫌な気持ちになるコントだった。

『また点滅に戻るだけ』を見たときもおもったけど、蓮見さんはディベートで相手を徹底的にやりこめるのが好きなのかねえ。観ていて気持ちのいいものじゃないんだけど。ウエストランドのようにある種露悪的に「論理に隙のある相手をやりこめる嫌なオレ」としてやるんならいいけど、蓮見さんの場合はそれをかっこいいとおもってやってる節がある。ダサいんだけどなあ。

 しかも、ただ相手を言い負かすだけじゃなく、周囲の人に「あいつすげえ」的なことを言わせる。言い負かされた相手が、言い負かしたやつに好感を持ったりする。観ていて恥ずかしくなるぐらいダサい。キムタクのドラマか。



 ということで、ラストの後味が悪いせいで全体としても「なーんか嫌なもの観ちゃったなー」という印象。最後って大事だね。ラストのハートフルコントはぼくもいらないとおもうけど。

『また点滅に戻るだけ』が無駄のない完璧に近い作品だっただけに、『20000』のほうはちょっと粗さが目立ってしまった。展開に無理があるな、とか、無理に八人全員使わなくていいのにな、とか。おもしろかったけどね。『また点滅に戻るだけ』が良すぎたのかも。

 FAXのコントとドラマのコントが好きでした。


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2023年10月24日火曜日

キングオブコント2023の感想

 キングオブコント2023



カゲヤマ(謝罪)

 手を変え品を変えお尻を出すコント。まずお尻を見せてインパクトを与え、その後は「どう見せるか」大喜利状態。両側で見せる、上半身はスーツ、立ち上がって見えそう、クロス引き、と様々なパターンで尻を見せて飽きさせない展開。

 非常にばかばかしくて、うちの五歳児は大笑いしていた。五歳児が審査員だったらまちがいなく優勝。

 気になったのは、ツッコミ役である部下がどう見ても若手には見えないところ。顔も体型も重役だもの。

 尻を出して笑いを取るのはずるいよなあとおもいつつ、でもトップバッターでドカンとウケるにはこれぐらいしなきゃだめだよなあ。トップでファイヤーサンダーみたいなスマートなコントをやっても通過できないもの。

 これ、今の時代だから「そんなわけねえだろ」と笑えるけど、三十年前だったら「これをやらされてる会社もあるんだよなあ」で笑えなかったかも。


ニッポンの社長(喧嘩)

 海外に旅立ってしまう女性をめぐって、友人でもある男同士が殴り合う、という手垢ベタベタなシチュエーションでスタート。後半のシュールさを際立たせるためにあえてベタな設定にしたのだろうが、それにしてももうちょっと真面目にドラマを作ってほしいとはおもう。

 片方があくまで拳で語り合おうとしているのに、もう一方がナイフを持ち出したところで空気が一変。ここでしっかりウケたのはカゲヤマが場をめちゃくちゃに壊してくれたおかげだろうね。そうじゃなかったらいきなり刺すところでヒかれてたんじゃないかな。

「友だち同士の喧嘩なのに凶器を持ち出す」「どれだけ攻撃されてもまったく致命傷を負わない」というだけのコントなのに、「もっと本気で来いよ!」などの挑発的なセリフで飽きさせない。ただし凶器を持ち出すことへの笑いはピストルぐらいまでで、それで死ななければあとは手榴弾だろうと地雷だろうと同じだよなあ。武器をエスカレートさせていくのではなく、セリフやストーリーでさらに盛り上げてほしかった。あるいは手榴弾よりもさすまたみたいなシンプルな道具のほうがおもしろい。


や団(灰皿)

 灰皿を投げつけて厳しく指導する舞台演出家(蜷川幸雄が灰皿を投げて指導していた、というエピソードはどこまで知られているのだろう?)。だがサスペンスドラマの凶器に使われるガラス製の重たい灰皿を置かれたことで役者側にも演出家側にも緊張感が増し……。

 なんだか前半がごちゃごちゃしていたな。後半で「ああこれは灰皿を投げるかどうかの葛藤を描いたコントなんだな」とわかるが、前半に「演出家が難解で不条理な言葉を並び立てる」という小さなボケを入れたことで、本筋がぼやけてしまった。演出家のキャラで押していくコントかとおもって見てしまったんだよね。

 灰皿がカタカタ音を立てながら回る瞬間の緊張感はすばらしかった。机の端っこで落ちそうで落ちなかったのもまた。


蛙亭(お寿司)

 急に彼氏にフラれて泣いている女性の前で、キックボードに乗った男が転倒し、大好きなお寿司がつぶれたと泣きはじめる……。

 中野くん(こんなにもくん付けで呼びたくなる人はそういない)の魅力と「慣れない交通手段」「ぼくのために」「でもつぶれたわけじゃないですよね」などの切れ味鋭いセリフで、前半は大好きな展開だった。

 ただ中盤で、中野くんが「そういうところなんじゃないですかぁ!?」と女性を責めはじめるところで急に心が離れてしまった。

 中野くんの魅力ってにじみ出る圧倒的な善性、無邪気さだとおもうんだよね。敵意、悪意、嫉妬などをまったく感じさせないぐらいの善性。善すぎて気持ち悪いという稀有なキャラクター。だからおもしろい。純粋に善なるものって気持ちわるいもんね。

 なのに「ただただ純粋にお寿司が大好きな人」が「他人に説教をしはじめる人」になっちゃって、その魅力が急速に損なわれてしまったなー。


ジグザグジギー(市長記者会見)

 芸人だったという経歴の新市長。その記者会見での市長のプレゼンが妙に大喜利っぽくて……。

 今回いちばん笑ったコント。特にあのフリップの出し方、間、姿勢、表情、完璧に大喜利得意な芸人のそれだった。

 ただ、飯塚さんの審査員コメントがすべて物語っていたように、当初は「大喜利得意な芸人っぽいふるまい」だったのに、途中からは完全に松本人志さんのものまね&IPPONグランプリのパロディになってしまったことと、IPPONグランプリのナレーション、笑点お題と現実離れした安いコントになってしまったのが残念。序盤は丁寧に市長を演じていたのに。

 前半の風力がすごかっただけに後半の失速が残念。IPPONグランプリのあたりをラストに持ってきていたら……とおもってしまうなあ。


ゼンモンキー(縁結び神社)

 縁結び神社の前で、ひとりの女性をめぐって喧嘩をはじめる二人の男。そこへ学生が願掛けにやってくるが、どうやら彼もその女性のことを好きらしく……。

 いやあ、若いなあという印象。筋書きはきっちりしているが、精緻すぎるというか。つまり遊びがない。誰がやってもそんなに変わらないようなコント。がんばっていいお芝居をしましたね、という感じがしてしまう。学生役の荻野くん(これまたくん付けで呼びたくなる)のキャラクターはあんまり替えが効かないだろうけど。

 これで三人のキャラクターが世間に浸透して、人間自体のおもしろさが出てきたらすごいトリオになるんだろうな。


隣人(チンパンジーに落語)

 チンパンジーに落語を教えることになった落語家。毎日動物園に通ううちに徐々にコミュニケーションがとれるようになっていき……。

 ううむ。話はおもしろいんだけど(特に落語家がチンパンジー語を話し出すところは秀逸)、微妙な間やトーンのせいだろうか、「もっとウケてもいいのにな」とおもうところがいくつかあった。最初の「チンパンジーに落語を教える仕事」とか、BGMがチンパンジー語だったとことか、場によってはもっとウケるんだろうなあ。

 隣人というコンビを知っていて、さらに隣人のチンパンジーネタをいくつか観たことがあったら(隣人はチンパンジーのネタを何本も持っている)、より笑えるとおもう。


ファイヤーサンダー(日本代表)

 サッカー日本代表のメンバー発表を観ているふたり。代表選出されずに落胆するが、選手本人ではなく選手のモノマネ一本でやっているモノマネ芸人であることが明らかになる……。

 以前にも観たことがあったネタだけど、やっぱりおもしろい。脚本の美しさは随一。無駄がない。前半でモノマネ芸人であることが明らかになり、中盤で隣の男が監督のモノマネをする芸人であることが明らかになるところが実にうまい。「なんで自宅のテレビで観ているんだろう」「この隣の男はどういう関係なんだろう」という観客の違和感を、ちょうどいいタイミングで笑いで吹き飛ばしてくれる。

「なんで日本代表より層熱いねん」「決定力不足」みたいな強いツッコミワードもあって、コントとしての完成度はいちばんだとおもう。


サルゴリラ(マジック)

 テレビ番組出演前にマジックを披露するマジシャン。だが披露するマジックがわかりづらいものばかりで……。

 んー。個人的にはまったくといっていいほど刺さらなかった。「マジックで入れ替えるものがわかりにくい」ってわりとベタなボケだとおもうんだけど(マギー司郎さんがやってなかったっけ?)。

 あのマジシャンがマジック特番に抜擢された理由もわからないし、あの音楽が効いてくるのかとおもったらそうでもないし、脚本が甘く感じた。ゼンモンキーとは逆に、人間味でもっていった感じかな。


ラブレターズ(彼女の実家)

 彼女の実家に結婚のあいさつに行った男。彼女のお母さんが「マンションでシベリアンハスキー放し飼いにしてるのどうかしてるとおもった?」と言い出し、隣人トラブルを抱えていることが明らかになり……。

 やろうとしてることはわかるけどどうも弱さを感じるというか。これはあれだな、少し前に『水曜日のダウンタウン』でやっていた「プロポーズした彼女の実家がどんなにヤバくてももう引き返せない説」がすごすぎたせいだな。あの「説」では静かな狂気をすごく丁寧に描いていたので、それに比べるとラブレターズのコントは雑で、つくりものっぽさが目立ってしまった。

 ほんとに隣人トラブルを表現しようとしたらあんなわかりやすく大きい音を出しちゃだめだし、かといってぶっとんだ世界を表現するにしては弱すぎるし。




 最終決戦。


ニッポンの社長(手術)

 外科手術をおこなっている医師と患者。臓器が次々に摘出され……。

 ごっつええ感じっぽいな、とおもった。ああいう視覚的にグロテスクなコント、よくやってたよね。ただ強くツッコまないのがニッポンの社長らしい。ちゃんと手術室でツッコむときの音量なんだよね(手術室でのツッコミを聞いたことないけど)。おしゃれ。

 黄色いコードはニッポンの社長にしてはベタだと感じた。大喜利とかでよく使われる題材なので。

 想像を超えてくる展開はなかったけど、ラストの「あるやつですわ」「ないやつやろ」は好き。


カゲヤマ(デスクにウンチ)

 オフィスで上司のデスクにウンチが置いてあった事件の犯人が信頼できる部下だったことがわかる、というコント。

 冒頭を観たときは安易な下ネタコントかとおもったが、いやはやとんでもない、人間の心理の複雑さを鋭く描いたヒューマンドラマだった。

 部下が犯人であることが明らかになったときのセリフが、言い逃れでもなく、開き直りでもなく、動機の独白でもなく、「私はこれからどうしたらいいでしょう」。この妙なリアリティ!

 さらに部下が話せば話すほど、彼の常識人ぶりが明らかになり、だからこそ「上司のデスクにウンチをする」という異常さが際立つ。謎は解明されるどころか深まるばかり。

 こういう脚本を書くのって勇気がいるとおもうんだよね。人間には謎を解明したいという欲求があるから。でも謎を謎として残しておくことで観ている側の想像は膨らんでゆく。今、この瞬間だけでなく、これまでのことやこれからのことにまで想像が膨らむ。

 ただ「娘さんをぼくにください!」は早急すぎた(「娘さんとお付き合いさせていただいています!」まではいい)。あそこだけが少し雑だったな。


サルゴリラ(魚)

 引退することになった野球部の三年生主将に向かって監督がいい話をはじめるのだが、なんでもかんでも魚にたとえるのでまったく伝わらない……。

 やっぱりぴんと来なかった。設定が雑すぎないか。

 とても学生には見えない見た目なのは百歩譲るとして、あの監督は今日突然魚の話をはじめたの? それとも普段からなんでもかんでも魚に例える人なの?

 前者だとしたら「どうして今日はそんなに魚に例えるんですか」みたいなセリフになるだろうし、後者だとしたら「前々から言ってますけど」とか「もう最後だから言いますけど、ずっとおもってたんです」みたいなセリフになるのが自然だろう。

 でもサルゴリラの芝居はどっちでもない。まるで、今日はじめて会った人から話を聞いたようなリアクションだ。「昨日までこのふたりがどんな会話をしていたか」がまったく見えてこない。

 また、他の部員の姿も一切感じられない。野球部の引退にあたっての監督のスピーチなんだからあの場には数十人がいるはずなのに、まるでその気配がない。

 コントのためだけの空間で、コントのためだけの存在なんだよね。ニッポンの社長みたいなコントだったらそれでもいいんだけど、「小さな違和感」系のコントで設定の薄っぺらさは致命的じゃないか?




 個人的な好みでいえば、ジグザグジギー、ファイヤーサンダー、カゲヤマ(2本目)がトップ3。

 審査結果は個人的な好みとはちがったけど、ま、そんなときもあるさ。今回はいつもにも増してシナリオよりもパワー重視の審査だったね。


 ぼくが今大会でいちばんよかったとおもったのは、出番順が早い組が上位に入ったこと。トップバッターのカゲヤマが1stラウンド2位、2番手のニッポンの社長が1stラウンド3位。

 早い出番の組がこんなに上位になったのは近年の賞レースではなかったことだ。それだけトップのカゲヤマがよかったんだろうね。


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2023年6月14日水曜日

【芸能観賞】ダウ90000第5回公演 『また点滅に戻るだけ』

ダウ90000第5回公演
『また点滅に戻るだけ』

キャスト
劇作・脚本:蓮見 翔
演出:蓮見 翔
出演:園田 祥太
   飯原 僚也
   上原 佑太
   道上 珠妃
   中島 百依子
   忽那 文香
   吉原 怜那
   蓮見 翔

 配信にて視聴。


 すばらしかった。おもしろいというより、すごさに圧倒されたといったほうがいいかもしれない。はじめてラーメンズの公演を観たときにも同じような衝撃を受けた。


 とんでもなくいい舞台だったんだけど、同時にちょっと悔しさというか悲しさも感じて、というのはこれまでクリエイティブの分野で尊敬する人って年上ばっかりだったんだよね。

 ところがぼくよりずっと年下で、それなのにぼくよりずっとずっとずっとおもしろいことを考えて、いいところに目をつけて、それを上手に表現する人が現れた。くそう、くやしいけど、こんなの尊敬するしかない。


 以下、ネタバレ含みます。


2023年5月22日月曜日

THE SECOND(2023.5.21放送)の感想


 おもしろかったね。

 トーナメント形式とか、観客審査とか、後攻が超有利な予選(不戦勝を除いて先攻の4勝19敗はさすがに偶然では片づけられないだろ)とか、いろいろ不安要素があった大会だったけど、ふたをあけてみると陵南戦の湘北のように不安要素がいい方に転んでいい大会となりました。

 決勝トーナメントでは先攻の2勝5敗で後攻有利な状況は変わってなかったんだけど、うち1敗は同点での敗退だったことを考えればまあくじ運の妙と言える範囲。なによりM-1グランプリやキングオブコントのようなトップバッター超不利という大会に比べるとはるかに良かった。

 予選では1組ごとに点数をつけていたのを、2組終えてからの採点にしたことでよくなったんだろうね。失敗を認めて軌道修正できる人はえらい。手さぐり状態の第1回大会だった、ということを考えれば大成功といっていいだろうね。

 これを機に、比類なき大会として君臨していたM-1グランプリが、長年不公平だと言われているのにいっこうに改善しようとしない「トップバッター超不利なシステム」や「単なる人気投票となり下がった視聴者投票敗者復活システム」を改めてくれるといいなあ。


 なにがよかったって観客がよかったよね。

 対戦後に審査員コメントを訊いていたけど、みんな的確だった。「〇〇のファンだから〇〇に3点入れましたー」「うるさくて嫌いだったんで1点です」みたいなアホ客がいなかった(少しはいたのかもしれないけど)。

 どうやって審査員を集めたのか知らないけど、審査員のほうもぜったいに選考されてるよね。ふつうに「審査してくれるお笑いファン募集!」ってやったらこんないい観客にはならないもんね。M-1やR-1で審査員をやってた××さんとかよりずっとまともだったね。



 まず優勝したギャロップについてだけど、いやあ、よかったね。1本目のカツラ、3本目のフレンチシェフのネタは6分にぴったりの内容。2本目の電車のネタも後半に盛り上がりどころがあって、ちゃんと勝つためのネタを3本用意してきたって感じだったね。

 ただいくつかアラもあって、導入が少し雑というか、毛利さん側の論理にかなり乱暴なところがあって、そこが処理されていないところが気になった。それがM-1の4分間だったらマイナスになってたのかもしれないけど、6分もあったのと、3段階評価だったので、多少のアラには目をつぶってもらえたのかもね。

 また、3本目のフレンチシェフのネタは笑うポイントが少なかったけど、それが3時間以上やって笑い疲れている客にはちょうどよかったのかもしれない。あの時間帯にカツラネタみたいな頭を使うネタをやってたらついていけないもんね。

 いろんな意味で大会にぴったりマッチしたコンビだったので納得の優勝。



 逆に大会のルールにあってなかったのがテンダラー。

 彼らの持ち味はなんといっても音楽に乗せたコミカルな動きだけど、歌いながらキレのある動きをしつづけるのは相当体力を使うはず。あのダンスパートは1分ぐらいしかできないんじゃなかろうか。6分のネタ、しかも最大3本披露するかもしれないとなれば、どうしても序盤は力をセーブしなくちゃいけない。4分ネタだったらテンダラーがギャロップに勝ってたかもねえ。

 テンダラーのネタは、いかにも劇場や営業に立ちつづけているコンビのネタって感じだったね。細かいネタの組み合わせで、何分にも調整できる。前のコンビが長引いたり、あるいは欠場が出たりしても調節できるネタ。それが今回はマイナスに響いたのかもね。

 先攻だったことも大きく不利になったかもね。テーマが散漫だったので、後で思いかえしたときに何のネタだったのか思い出しにくい。



 準優勝のマシンガンズもよかったなあ。1本目や2本目は正直あんまり好きじゃなかったけど(2本目なんか相当古いネタだよね?)、大会中最低得点となった3本目が個人的にはいちばん好きだった。

 今までM-1とかでも「もうネタがない」って言ってるコンビはあったけど、まさかほんとにないとは。まるで並みいるプロの中に一組だけセミプロがいるかのようで、そこが勝ち進んじゃうハプニングっぽい感じも含めていちばん笑った。

 客席とのグルーブ感もあったようにおもえたけど、妙に冷静な審査結果で派手に散る。その散り方も含めて見事。

 いちばん好感度を上げたのはこのコンビだろうね。自分たちの売り込みには成功した。来年はもう出なくていいよね。あ、ネタがないから出られないか。



 金属バットは6分ネタに向いているかとおもって期待してたんだけど、やや期待外れだった。たたずまいとかフレーズとかが語られることが多いコンビだけど、ぼくが好きなところは金属バットのネタのストーリー性なんだよね。昔やってた谷町線のネタとかプリクラのネタとか、立ち話からとんでもないところまで話を展開していて、そのストーリーテラーとしての才能に感服してたんだけど、今回のネタは大喜利の羅列みたいで話がふくらまなかった。



 スピードワゴンは、昔からやっていることがずっと変わんないね。良くも悪くも。

 さすがに50歳のおじさんに「四季折々の恋」というテーマで漫才をやられると見ていてキツい。それが小沢さんの魅力でもあるんだけど。あと井戸田さんが安達祐実と結婚していたことをネタにするには鮮度が落ちすぎじゃないか。

 でも「するりと小沢の世界に入ってしまう潤」のくだりは笑った。



 三四郎のネタはM-1の予選でしか観たことなかったので、M-1から解放されたらこういうネタをやるんだ、と新鮮だった。

 固有名詞満載でふつうの大会ならあんまり評価されないネタだけど、テレビやラジオでおなじみになった三四郎のキャラクターや、観客審査ということをうまく利用して許されていた。「彼らにしかできない漫才」って熟練の味が出ていてよかった。

 でもやっぱり「こういう大会では売れてない人に勝ってほしい」という気持ちが湧いてしまうので、素直に応援しづらい。



 超新塾。現行体制になってからネタを見るのははじめて。

 盛り上がるんだけど、5人だったらこういうネタだろうな、外国人を使うならこういうネタをやるだろうな、という想定を超えてはこなかったな。あとツッコミの声質がちょっと弱いというか。4人に対してツッコミを入れるなら相当声量がないとバランスがとれない。プラン9の漫才にも同じことを感じたけど。

 ネタ以外の部分でもいろいろボケを用意していたのがよかった。



 囲碁将棋。優勝候補の一角として挙げられていたけど、下馬評に劣らぬ漫才だった。

 ほとんど動きを使わず会話だけでじっくり聞かせる漫才で、同じく話術で魅せるタイプのギャロップとの東西しゃべくり漫才対決はほんとに見ごたえがあった。

 ちなみに9歳の娘といっしょに観ていたのだが、娘は囲碁将棋の漫才を観て「ぜんぜんおもしろくない」と言っていた。そうだよえ。囲碁将棋のやっていることってかなり前提知識を必要とするもんね。あるあるをそのままネタにするんじゃなくて、「あるあるを知っている前提でその上にネタを乗せる」漫才というか。

 ものまねのネタでいうと「もしも五木ひろしがロボットだったら」「受け答えがたまたまあいうえお作文になってしまった児玉清」みたいなネタを知らないと、囲碁将棋の漫才は理解できない。副業のネタにしても「強豪校近くのパン屋」「学校指定の制服屋」みたいなものを実体験として知っていないと理解できないので、囲碁将棋で笑うためには人生経験が必要だ。

 だからこそポップなネタ番組にはあんまり呼ばれないんだろうけど、大人向けの漫才をやるコンビがこうして評価される場ができたことはほんとにいいことだ。



 総じておもしろい大会だったんだけど、おもしろすぎて疲れてしまった。贅沢な悩みだけど。

 途中で松本人志さんが「このへんで歌を聞きたい」と言っていたけど、あれは半分本音だったとおもう。6分のおもしろい漫才を14本ぶっつづけに聴くのはしんどいよ。寄席だったら途中でマジックショーとか大道芸とかを挟むけど、ああいう色物の重要性がよく理解できた。



 予選はともかく、決勝はそんなに厳密に順位つけなくてもいいんじゃないかとおもった。

 とにかく上質な漫才が見られればいいので、昔のキングオブコントみたいにみんなが2本ずつネタをやっていちばんおもしろかったコンビ3組に投票、みたいな感じでもいいんじゃないかな。

 やっぱり3本は多いし、1本だとものたりないし。



2023年4月10日月曜日

【映画感想】『映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)』

『映画ドラえもん
のび太と空の理想郷(ユートピア)』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画42作目。「リーガルハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなど数々のヒット作や、2023年放送の大河ドラマ「どうする家康」などで知られる人気脚本家の古沢良太が、映画「ドラえもん」の脚本を初めて手がけた。空に浮かぶ理想郷を舞台に、ドラえもんとのび太たちが繰り広げる冒険を描く。
空に浮かぶ謎の三日月型の島を見つけたのび太は、ドラえもんたちと一緒にひみつ道具の飛行船「タイムツェッペリン」で、その島を目指して旅立つ。やがてたどり着いたその場所は、誰もがパーフェクトになれる夢のような楽園「パラダピア」だった。ドラえもんとのび太たちは、そこで何もかも完璧なパーフェクトネコ型ロボットのソーニャと出会い、仲良くなる。しかし、その夢のような楽園には、大きな秘密が隠されていた。

 九歳の娘といっしょに映画館で鑑賞。

 古沢良太氏脚本ということで期待して観にいった。『リーガルハイ』『コンフィデンスマンJP』もすばらしかったからね(しかし今年の大河『どうする家康』もやってて、仕事しすぎじゃないすかね)。

 期待通り、どころか期待を上回るすばらしい出来だった。ドラえもんの映画はだいたい観てるけど(主にテレビやAmazonプライムでだけど)、その中でも個人的ナンバーワンかもしれない。


(一部ネタバレあり)


グレート・マンネリズム

 ちょっと前に「ドラえもんの映画はだいたい同じ展開でワンパターンだ」っていう批判的な記事を読んだんだけどさ。

 わかってないなー! だいたい同じでいいんだよ。ドラえもんの映画のメインターゲットは何十年も映画を観つづけている大人じゃなくて(ぼくもそうだけど)、数年たったら劇場から足が遠のく子どもなんだから。わくわくする新しい世界を見せてくれて、異世界の住人との間に友情が芽生えて、敵が現れて窮地に立たされて、知恵と勇気と友情で強大な敵に立ち向かって、敵を倒して平和を取り戻してのび太たちは日常に戻る……でいいんだよ。むしろある程度はお約束通りに進むからこそいい。グレート・マンネリズムというやつだ。

 大枠が決まっているからこそ、「どんなきっかけで冒険をスタートさせるのか」「どんな新しい世界を見せてくれるのか」「理想的とおもえたその世界にどんな不都合が起こるのか」「どうやって敵の強大さを見せつけるのか」「その敵に各人がどう個性を活かしながら立ち向かい、どんな戦いをするのか」「どうやって収束させるのか」といった細部の設定で出来不出来が大きく変わる。

 そして、今作『のび太と空の理想郷』は細かい設定がどれも効果的だった。


ほら話

 おもしろいドラえもんの映画にはおもしろいほら話がある。

「いつも霧がかかっていて航空写真を撮れない〝ヘビー・スモーカーズ・フォレスト〟という森がある」「バミューダトライアングルは古代帝国が仕掛けた自動防衛システムだった」「アラビアンナイトは創作だが元になった話は事実だった」なんて、もっともらしいほら話を聞かせてくれる。

『空の理想郷』では、理想郷・パラトピアが時代や空間を超えて移動をくりかえしていることから、世界各地に伝わる空中都市伝説や竜宮城の伝説はパラトピアの目撃談だったのだというほら話が語られる。

 こういうの大好き!


道具をいかに封じるか

 ドラえもんの映画において最も重要なタスクが「ドラえもんの道具の力をいかに封じるか」である。

 ドラえもんの道具はうまく使えばほとんど無敵だ。時間も空間も飛び越えられるので、どんな困難な問題でもあっさり解決させてしまえる。それでは緊張感ある冒険にならない。

 だからほぼすべての映画で、「道具が故障して使えない」「ドラえもんが故障する」「四次元ポケットが失われる」「あえて道具を置いてくる」「道具の使えない世界を用意する」「ドラえもんの道具より優れた道具を敵が持っている」といったギミックをかますことで、道具の力を封じてきた。

 だがドラえもんをドラえもんたらしめているのは未来の道具であるので、封じすぎてもつまらない。

 この「どうやって道具を封じるか」「どこまで封じるか」が映画の成否を決めるといってもいい。

 『のび太と空の理想郷』はちょうどいい塩梅だった。序盤に「どこでもドアが壊れて四次元ごみ袋に入れてリサイクルする」という設定が提示されるが、それ以外の道具はほぼ使用可能。

 ほぼすべての道具が使用可能であるにもかかわらず、敵の策略によって知らぬ間に追い詰められていくドラえもんたち。このシナリオが絶妙だった。

 しかも、この「四次元ごみ袋」が終盤でキーアイテムとなるという周到さ。うーむ、隙が無い。


ほどよい伏線

 ドラえもんに限った話ではないのだが、最近のドラマや映画はどうも「伏線回収」が重視されすぎているきらいがある。

 もちろん伏線は物語をおもしろくしてくれるスパイスではあるが、それはあくまで調味料であってメイン食材にはなりえない。だから「あなたはラストであっと驚く!」「もう一度はじめから見直したくなる!」「映像化不可能と言われたトリックを初映像化!」などの伏線回収をメインに据えた物語はほぼ確実に失敗する。ほら、アレとかアレとかつまらなかったでしょ?

 古沢良太氏の脚本は、いつもうまく視聴者をだましてくれる。あっと驚く仕掛けを用意しているが、それは決してストーリーの中核にはならない。ストーリー自体は水戸黄門のように王道で、その中にほどよい伏線をピリリと効かせているからおもしろいのだ。

『のび太と空の理想郷』では、冒頭の「カナブン」「天気雨」などうまい伏線が用いられているが、観客である小さい子どもには理解できないかもしれない。だが、理解できなくてもちっとも問題ない。気づかなくても物語は十分に楽しめる。気づけばよりおもしろくなる(ところで種明かしの仕方は『コンフィデンスマンJP』っぽいよね)。

「小さい頃はわからなかったけど、数年後に観返してみたらこういうことかと気づく」と、二度楽しむこともできるかもしれない。


強すぎる敵、怖すぎる展開

 いっしょに観ていた娘は二度泣いていた。後で聞くと、「一回は怖くて泣いちゃった。二回目は感動して泣いた」とのこと。それぐらいおそろしい敵だった。

 なにがおそろしいって、すごく賢いのだ。『月面探査機』のようにとにかく物理的に強い敵ではなく、『空の理想郷』の敵は賢すぎておそろしい。のび太たちはほとんど戦う間もなく、知らぬ間に敵の罠にはまってしまう。

「住民みんなが勤勉で優しくてにこにこしているユートピア」が出てきた時点で、ある程度フィクションに触れた大人であれば「ああこれは裏で悪いやつが統制してるやつね」とわかるけど、たぶんほとんどの子どもはわからないだろう。で、ユートピアに見えたものが一枚めくると人間性を奪う管理社会だとわかったところで、途方もない恐怖におそわれるはずだ。

 さらに追い打ちをかけるようにジャイアンとスネ夫としずかの感情が奪われ、ドラえもんが自由を奪われた上に退場させられ、残ったのび太までも感情を支配される。絶体絶命のピンチ。これまでのドラえもん映画の中でも一、二を争うほどのピンチだったかもしれない。これまで「ドラえもんが機能不全」や「五人中四人が捕まる」なんてことはあったが、全員戦意喪失させられるとは。

 そしてピンチの度合いが大きいほど、切り抜けたときのカタルシスも大きい。のび太たちが感情を取り戻して立ち上がる瞬間は大人のぼくでもわくわくしたし、敵との戦闘の後にもさらなるピンチが訪れて最後まで息をつかせない。

 手に汗握る、一級品の活劇映画だった。


出木杉問題

 映画ドラえもんでは恒例となっている「序盤は登場する出木杉が冒険には連れていってもらえない」問題。

 出木杉ファンのぼくは、毎度悔しいおもいをしている。

 今回なんかは連れていってもよかったとおもうけどなあ。出木杉までが感情を支配されてしまったほうが怖さが増したとおもうし。元々いい子だから洗脳されていることに気づきにくいのも、うまく使えばプラスに働いたんじゃないかな。

 ま、前作『のび太の宇宙小戦争 2021』に比べればぜんぜんマシだけど。前回なんか、序盤は出木杉もみんなといっしょに映画をつくってたのに途中で「塾の合宿」という名目で退場させられて、いない間に他のみんなが冒険したどころか映画まで完成しちゃってたからね。ひどすぎる。だいたい出木杉って塾(しかも四年生から合宿するってことは相当な進学塾)に行くキャラじゃないとおもうんだけど。

 今回は「ただ誘われなかっただけ」だからまあいいや。前回は「途中からのけ者にされた」だからかわいそうすぎた。


お約束のあれやこれや

 映画ドラえもんではぜったいにやらなきゃいけない「ぼくはタヌキじゃない!」と「しずかちゃんの入浴シーン」。

 前者はどうでもいいとして、後者に関しては時世を考慮して、入浴シーンがあるものの「鎖骨から上あたりがちらっと映るだけ」である。

 ……やる意味ある?

 元々やる意味ないんだけど。まあ当初はファンサービス的なシーンだったんだろうけど(原作漫画だとけっこう大胆に裸が描かれていたりする)、エロくもなんともなくて、もはや何のためにやっているのかさっぱりわからない。そこまでして入れないといけないシーンなのか? とおもう。

 最初に「グレート・マンネリズム」って書いたけど、これは単に何も考えてないただのマンネリだよね。


メッセージ

 ぼくは「ドラえもん映画にしゃらくさいメッセージはいらない」と考えている。一時、ドラえもんの映画の中で環境保全だとか他の生物との共存だとかを訴えていたが、ああいうのはいらない。大事なのは一におもしろさ、二におもしさ、三、四がなくて五におもしろさ。

 おもしくするために必要であればメッセージがあってもいい。メッセージ性なんてしょせんその程度だ。

『空の理想郷』にもメッセージはある。「完璧な人間なんていない。欠点こそがその人らしさを作っている」といったことだろうか。「桃源郷であるパラトピアの住人と欠点だらけののび太」「パーフェクトネコ型ロボットであるソーニャとポンコツロボットのドラえもん」という対比を示し、後者は欠点があるからこそ愛おしいというメッセージを伝えている。

 これがとってつけたような説教ではなく、ストーリーに深く結びついている。このメッセージが背骨となることで、シナリオが頑強なものになっている。おもしろさのために必要不可欠なメッセージだ。


 そしてこのメッセージってさ、今作だけの話じゃなくて『ドラえもん』すべてに通底するメッセージじゃないかな。

 のび太ってまったくもって成長しないじゃない。話の中で気づきを得たり決心したり反省したりすることはあるけど、次の話ではまた元の怠惰な小学生に戻っている。いつまでたっても成長しない。

 そんなダメなのび太を、ドラえもんは決して見捨てない。バカな子なのに、いやバカな子だからこそ愛する。のび太に対するドラえもんの視点は友情ではなくほとんど母性だ(逆にママはあまりのび太を愛しているように見えない)。

 バカでもダメでもなまけものでも成長しなくても、それでも愛してくれる人がいる。『ドラえもん』で描かれているのはそういう物語だ。

『空の理想郷』は、それを二時間足らずで表現した映画だった。藤子・F・不二雄先生の遺志が今の脚本家や監督にもきちんと受け継がれていることを感じて、ぼくはうれしくなった。


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出木杉の苦悩

2023年3月6日月曜日

R-1グランプリ2023の感想

 

 M-1やキングオブコントに関してはほぼ毎回感想を書いてるんだけど、R-1はあんまり書く気がしなくて2017年以来ずっと書いてなかった。でも今年はひさしぶりに書く気になった。

 リニューアルしてからちょっとずつだけどいい大会になってきてる気がする。芸歴制限には賛成しないけど。



1. Yes!アキト (プロポーズ)

 ギャグの羅列なのにおもしろい、というのがYes!アキトさんに対する評価だったのだけど、今回はストーリー仕立て。緊張して「結婚してください」が言えない男が、ついギャグを言ってしまうという設定。

 なるほどね、「け」ではじまるギャグを次々に言っていくのね、これはわかりやすいし自ら制約を課している分乗り越えたときはおもしろくなるはず! と期待しながら観ていたのだが……。

 あれ。あれあれ。「け」ではじまるギャグ、という設定を早々に捨ててしまって、あとは好き勝手なギャグ連発になってしまった。当初の設定はなんだったんだ。「け」ではじまるギャグか、プロポーズにちなんだギャグにしてくれよ。

 こうなるとプロポーズできない男という設定が単なる時間の無駄でしかなく、これだったら潔くギャグだけを多く見せてくれたほうがよかったな。


2. 寺田寛明 (言葉のレビューサイト)

 ネタの内容がいちばんおもしろかったのはここ。よくできている。

 が、芸として見たときにどうなんだという疑問も生じる。フリップの内容自体が完成されていて、演者ははっきりいって誰でもいい。ちゃんと文章を読める人でさえあれば寺田寛明さんである必要がない。アナウンサーでもいい(そして寺田さんは何度か噛んでいたので実際そのほうがよかった)。このネタ、テキストで読んでも同じくらいおもしろいとおもうんだよね。

 ネタは高評価。でも芸の達者さ、という点で見るとな……。


3. ラパルフェ 都留 (恐竜と戦う阿部寛)

 阿部寛一本でいくにしては阿部寛ネタが弱かったなあ。大きいとかホームページが軽いとか、独創性がないもんね。ホームページネタなんて、知らない人にはさっぱりわからないだろうし、知ってる人からすると「それネタにされるの何十回目だよ」って感じでまったく目新しさがない。

 博多華丸やじゅんいちダビッドソンが「モノマネだけどネタとしてもしっかりおもしろい」ネタを見せた大会で披露するには、あまりに浅かったな。


4. サツマカワRPG (数珠つなぎショートコント)

 ひとりショートコントの羅列、でありながらそれぞれのネタが有機的につながっているという凝った構成(その中でひとつだけつながっていない冒頭の和田アキ子はなんだったんだ)。

 決してわかりやすくないし、無駄も多かった気がするけど、新しいことをやってやろうという意欲は買いたい。というより、今大会は他の人にチャレンジ精神をあまり感じなかったんだよなあ。


5. カベポスター 永見 (世界でひとりは言ってるかもしれないこと)

 寺田寛明さんの感想のとこで「テキストで読んでもおもしろい」と書いたけど、こっちはそれどころか「テキストで読んだほうがおもしろい」。じっさいぼくは永見さんのTwitterアカウントをフォローして「世界でひとりは言ってるかもしれないこと」を読んでいるが、そっちのほうが味わい深い。

 こういう一言ネタって、咀嚼する時間が必要なんだよね。すごくいい肉をわんこそばのスピードで提供されても味わえない。


6.  こたけ正義感 (変な法律)

 これまたフリップネタ。が、このネタの場合は「演者がこの人である必然性」がある。弁護士が言うからこそ説得力があるし、怒ったり嘆いたり表現も多彩。

 ただ、これ以外のネタを見たいとはおもわなかったな(ABCお笑いグランプリの2本目はぐっとレベルが下がってたし)。



7. 田津原理音 (カード開封)

 おもしろかった。カードの開封動画、というのがほどほどに新しくて、ほどほどになじみがなくて。

 何がいいって「触れないカード」があることだよね。せっかくつくったカードだから全部を見せたいだろうに、ちらっと見せるだけで特に触れないカードがたくさんある。あれで一気に引き込まれる。わからないからこそ見入ってしまう。

 映像を使うのではなく、スライドを使用するのもよかった。映像だとどうしても対象との間に空間/時間的距離が生まれてしまうけど、スライドだと距離がなくて対象に触れられるからね。このネタにぴったり。

 そして凝った仕掛けではあるけど中身はあるあるネタなのでわかりやすい。すべてがちょうどいいバランス。


8. コットン きょん (警視庁カツ丼課)

 順番が良かったんだろうね。ギャグ、フリップ、モノマネコント、ショートコント、一言、フリップ、スライド、ときて、最後にしてやっと本格的なストーリーコント。こういうのを見たかった! という空気になってたもんね。

 とはいえ、個人的にはイマイチだった。一杯目のカツ丼がピークで、あとは右肩下がり。特にラストはひどかった。「容疑者の罪状にちなんだカツ丼を提供することで自白に持ちこむ」という設定でやってきたのに、最後は「外国人だから」という理由でつくったハンバーガー。罪状関係ないし。なんじゃそりゃ。それで済むならカツ丼課なんていらないじゃない。

 本格的な芝居をするならこのへんの論理が強固でないといけないよ。設定の根幹をぶち壊してしまう雑な展開だった。



 8人中、7番目と8番目にネタを披露した人が最終決戦進出。たまたまかもしれないけど、なんだかなあ。順番次第じゃん、という印象になってしまう。



最終決戦1.  田津原理音 (カード開封)

 ネタを見ながら、そういやこの素材は陣内智則さんのネタっぽいなあ、とふとおもった。ツッコミどころだらけの変な対象で笑いをとるという構成。ただしアプローチはまったくちがう。陣内さんがずばずばと切れ味鋭いツッコミを入れていくのに対し、田津原さんはあくまで愛でる。ずっとその立場を崩さない。変なものを切り捨てて笑いに変えるネタと、変なものを愛でて受け入れていくことで笑いを生むネタ。なんとなく時代の変化を映している感じがするよね。知らんけど。


最終決戦2.  コットン きょん (リモート会議ツール)

 これまた楽しめなかった。ZoomとGoogle Meetを使って別れそうになってるカップルの中を取り持つ、という設定。この設定であればこういう筋書きになるだろうな……と予想した通りの展開。意外性がまるでなかった。リモート会議が一気に普及した2020年頃ならともかく、2023年の今やるには題材としての新しさもないし。



 ネタの力よりも表現者として魅力的だったふたりが勝ち残って、その中でネタの強さが勝っていた田津原理音さんが優勝、という大会でした。

 はじめにも書いたけど、R-1は数年前に比べたらいい大会になってきてるとおもう。審査員が現役の芸人たち、ってのもいいんだろうな。

 あとはあれだな。「そのときの話題の人や他の賞レースのファイナリストだからといって安易に決勝に上げる」ところさえ直してくれたらな(去年はそういう感じじゃなかったのにまた戻ってしまった)。

 せっかく芸歴10年以内という縛りを課したんだから、人気の人を使うんじゃなくて、人気者を生みだしてやるぞという気概を見せてほしいな。結果的にはお見送り芸人しんいち、田津原理音という新しい才能の発掘ができているからいいけど。


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ABCお笑いグランプリ(2022年)の感想


2022年12月19日月曜日

M-1グランプリ2022の感想

 


 イタいと言われようと、書くのが楽しいんだから書かせてくれ。

 まず決勝メンバーについて。各コンビそれぞれで見るとなんの不満はないんだけど、敗者復活以外の9組を並べてみると、準決勝審査員の「俺たちのセンスを見せてやる」感が鼻につく。

 いやわかるよ。新しい角度の笑いを生みだしているコンビを評価したいことは。M-1グランプリってそういう大会だしね。ただ単に笑いをとればいいわけじゃなくて、唯一無二のチャレンジングなことをしているコンビを評価する大会。麒麟とか笑い飯とか千鳥とかPOISON GIRL BANDとかスリムクラブとかトム・ブラウンとかに光を当ててきた功績は大きい。うまくいかないこともあったけど。

 でもそれはあくまで、大きな笑いをとるコンビがいるから光り輝くのであって「単純な笑いの量だけでは評価できないおもしろさ」のコンビばかりをそろえるとくすんでしまう。

「笑いの量が多い」系のコンビをもっと増やしてほしかったなあ。


敗者復活戦

 THIS IS パン(恐竜映画)、ヤーレンズ(ラーメン屋)、令和ロマン(ドラえもん)に投票。森山直太朗を熱唱したダンビラムーチョもおもしろかった。

 THIS IS パンは去年の予選動画がすごくおもしろかったんだよなあ。どんなネタか忘れちゃったけど。今年もおもしろかった。いちばんおもしろい男女コンビだとおもう。声質もいいし。男女コンビで女がツッコミってめずらしいよね。

 THIS IS パンとかヤーレンズみたいに「斬新なことをしてるわけじゃないけどただただ笑える」系のコンビが今回の決勝に行ったらかきまわしてくれたんじゃないかなあ。


1.カベポスター(大声大会)

 ABCお笑いグランプリの優勝ネタ。観るのは二度目だが、改めてよくできたネタだとおもう。ネタの美しさではダントツ一位だよね。歴代トップクラスかもしれない。まったく無駄もない。さりげなく挟まれた「そのときもトップバッターやって」もかっこいい。

 特に好きだったのは「盛り下がらんように大会側がテコ入れしてきてるやん」の部分。大声大会の主催者もテコ入れしてるんだから、M-1主催者もいいかげんにトップバッターが不利になりすぎないようにテコ入れしてよ。敗者復活組をトップにするとかさ。

 落ち着いて聞かせる漫才をするコンビなのでコンテスト向きではないかもしれないけど、こうして決勝に進んでくれただけでもうれしい。採点方式ではなくゴングショー形式(つまらないとおもった人が手を上げ、それが一定数を超えたら脱落する)だったら、カベポスターが最強かもしれない。


2.真空ジェシカ(シルバー人材センター)

 共演者の信頼 → 高齢者の人材 というダジャレボケからシルバー人材センターコントにつなげる導入はすばらしい。

 内容もおもしろかったが、カベポスターの見事な構成の作品を観た後なので、その「大喜利回答の寄せ集めっぽさ」が目立った。とはいえやっぱり一発一発のボケは力強かった。


3.敗者復活組 オズワルド(明晰夢)

 悪いネタではないのだけど、どうしても、一昨年や昨年のオズワルドと比べると見劣りしてしまう。それほどまでに「改名」や「友だちがほしい」のネタが良かったから。四年連続の決勝進出、そして敗者復活からの勝ち上がりとなるわけだから、新しいものが見たかったなあ。個人的にはぜんぜん好きじゃなかったけど、去年の敗者復活組・ハライチはその点でよかったな。新しいことにチャレンジしていた、という一点で。

 しかし敗者復活戦のシステムもテコ入れしてほしいなあ。完全に人気投票だもんな。知名度ランキングとほとんど変わらない。ミキなんて、同級生の名前を挙げていくだけで三位だぜ。そんな中、そこまで知名度もないのに二位に食い込んだ令和ロマンはすごい。実質一位だよね。

「決勝に進出したことのある組は敗者復活戦に出場できない」ってルールにしてほしいなあ。


4.ロングコートダディ(マラソンの全国大会)

 中盤は完全にコント、ツッコミ不在、ずっと走りっぱなしという変則的なスタイルでありながら、ちゃんとウケてちゃんと評価されていた。三年ぐらい前のM-1だったら評価されていなかったんじゃないだろうか。いろんな型を破ってくれた先人たちに感謝しないといかんね。

 去年もそうだったけど、客がとりわけロングコートダディには温かい気がする。ふたりのギラギラしていない風貌がそうさせるのかな。

 ワンシチュエーションで次々にボケを出すスタイルだとどんどん奇想天外な方向に進みそうなものだけど、エスカレートするだけでなく唐突に「太っている人」のようなシンプルなものを持ってくる緩急のつけかたがほんとに見事。


5.さや香(免許証の返納)

 三十代で免許証を返納する。それ自体はささやかなボケだが、そこから大きく広げられる話術が見事。昨年の準決勝の感想で「ボケとツッコミを入れ替えたりして迷走している」と書いたが、迷走期を経て、ボケツッコミの枠にとらわれない伸びやかな漫才になっている。晩年のハリガネロックもこういうことをやりたかったのかなあ。

 ただ、ふたりの表現力の高さには感心したものの、個人的にはあまりおもしろいネタとはおもわなかった。特に後半の地方いじりが古すぎてねえ。

 しかしまだまだ進化しそうなコンビ。


6.男性ブランコ(音符運び)

 音符を運ぶ仕事をしたい、というシュールな導入。どうしてもバカリズムの名作『地理バカ先生(都道府県の持ち方)』を思い出してしまうが、音符を運ぶところだけでなく、その後の展開でもきちんと笑いをとっていた。平井さんはいかにも運べなさそうな体格だしね。

 死亡事故に着地する展開は少年向けギャグマンガ的で「男性ブランコにしてはずいぶんベタな着地だな」とおもったけど(インポッシブルとかバッファロー吾郎のコントみたい)、よくよく考えるとあのわかりやすさがいいのかもしれない。設定がシュールで展開も複雑だとついていけないもんね。


7.ダイヤモンド(レトロニム)

 男女兼用車両、有銭飲食、農薬野菜などのレトロニム(新しい概念が生まれたことで元々あった概念を指すために作られた言葉)を生みだす。つっこまれると、全身浴、裸眼などもそうだと反論する……。

 この視点は好きだ。ぼく自身も、数年前に レトロニム というエッセイを書いている。

 とはいえやっぱりレトロニムを羅列しても漫才としてはそこまでおもしろくない。3回戦の予選動画でこの動画を観たことがあったのだが、そのときですら「3回戦ならギリギリ通過できるかな」という印象だった。まさかそれを決勝に持ってくるとは(だいぶ改良されているとはいえ)。文字で読んだらおもしろいだろうけど、耳で聞いて処理できる内容じゃないんだよね。

 久々に「M-1の会場で静まりかえっている雰囲気」を感じた。準決勝の審査員が悪い。


8.ヨネダ2000(イギリスで餅つき)

 イギリスで餅をついて儲けたいという導入から、餅つきのリズムに乗せて広がってゆくネタ。個人的にはぜんぜん好きじゃない。

 でも左脳的なダイヤモンドのネタの直後だったから余計に、理屈じゃなく直感に訴えるこのネタがハマったんだろうなあ。

 ランジャタイと比べられていたけど、「徹頭徹尾意味のないことをやる」という点ではジャルジャルの『ピンポンパンゲーム』や『国名わけっこ』に近いものを感じた(ランジャタイはわかりにくいだけで一応意味がある)。ジャルジャルは無意味なりに、一応ルールを設けてわからせようとはしてくれていた。今思うとあれでだいぶ受け入れられやすくはなってた。場数の差だな。


9.キュウ(ぜんぜんちがうもの)

 ぜんぜんちがうもの → なぞかけ → まったく同じもの。いつものキュウ、って感じだった。

 審査員からは「順番に恵まれなかった」とか「他のネタをやっていれば」とか言われてたけど、何番だろうと、どのネタだろうと、キュウが上位になることはなかったとおもうけどなあ。


10.ウエストランド(あるなしクイズ)

 いいフォーマットを見つけたねえ。これまでウエストランドはド直球で偏見や悪口を放りこんでいくネタしか見たことなかったけど、「クイズに対する答え」という形式にすることですごく笑いやすくなった。

 毒舌は好きだけど、毒舌漫才ってやっぱりちょっと距離をとっちゃうんだよね。必然的に攻撃的になるから。「笑っていいのかな」と一瞬おもってしまう。でもクイズに対する回答形式にすることで、悪口を言う理由が(一応)あるし、どんなに罵詈雑言を並べても「クイズに答えようとしてまちがえた」という形をとっているからストレートに受け取られにくい。安心して笑える。いやあ、すばらしい発明だね。「警察につかまりかけている」という名誉棄損になるかならないかギリギリの悪口もいい。

 特に今大会は練りに練った隙の無いネタをするコンビがほとんどだったので、ウエストランドの「ウケるまで同じ言葉を何度もしつこくくりかえす」パワースタイルはかえって新鮮だった。「多くは説明しませんからわかる人だけ笑ってください」みたいなおしゃれコンビばかりの中ではウエストランドの「何が何でも笑わせてやるぞ」の泥臭さは逆に光り輝く。

 おっと。分析するお笑いファンはうざいんだった。



 最終決戦進出は、1位さや香、2位ロングコートダディ、3位ウエストランド。

 この時点でぼくは「ロングコートダディはパンチが弱そうだしウエストランドは芸風的に優勝させてもらえなさそうだからさや香かな」とおもっていた。



最終決戦1 ウエストランド(あるなしクイズ)

 2019年にぺこぱが10組目で3位→最終決戦1組目になったときは、連続してネタをやったことで「またこのパターンか」と飽きてしまった。ところがウエストランドの場合は凝ったことをしていないので、連続してネタをやることがマイナスどころかかえってプラスになったんじゃないだろうか。客がアツアツの状態でネタをやれるアドバンテージ。

 さらに一本目は路上ミュージシャンだのYouTuberだの、比較的安全圏から悪口を言っていたのに、二本目ではコント師、お笑いファン、R-1グランプリ、M-1アナザーストーリーなど身の周りまで次々にぶった切ってゆく。敵陣に乗りこんでいって、自分が傷つくこともかえりみずに刀を振りまわす。ぼくには井口さんの姿が一瞬『バガボンド』で吉岡一門七十名を相手にする宮本武蔵に重なって見えた。そういや武蔵も岡山県出身だった。

 毒舌漫才師は数いれど、ここまで身近な関係者を斬りまくった人はそういまい。欲をいえば、ついでに審査員にまで斬りかかってほしかった。立川志らくさんあたりに。

 ラストにほっこり系長尺コントを入れることにうんざりすることについては、ぼくも同感だ。あれは特定の芸人というよりオークライズムだろう。ぼくが知るかぎりでは、ラーメンズやバナナマンあたりがやりだした(どっちもオークラ氏がかかわっている。ぼくが知らないだけでシティーボーイズなんかもやってるのかもしれないけど)。で、その流れを組んで東京03もラストはしっとり系長尺コントをやり(これまたオークラさんだ)。それに影響されたのか、猫も杓子もラストにしっとり系長尺コントをやっている。たしかにラーメンズの『鯨』のオーラスコント『器用で不器用な男と不器用で器用な男』はすばらしかったしその時点では新しかったのだが、誰もがやるようになるとすっかり陳腐化してしまった。

 ちなみに偶然にもこの後ネタを披露したロングコートダディもほっこり系長尺コントをやっている。やめてほしい。

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最終決戦2 ロングコートダディ(タイムマシン)

 2021年あるあるを散りばめた、今しかできないネタ。古いネタを焼きまわして使うのではなく、今年できた新鮮なネタを持ってくるところに勢いを感じる。

 ダーツの旅の曲がたまらない。絶妙にチープだもんなあ。もっともっと長尺で観たいネタ。


最終決戦3 さや香(男女の関係)

 新ネタを持ってきたロングコートダディとは逆に、去年の準決勝ネタを持ってきてしまったさや香。守りに入っちゃったなあ。

 3回戦動画で観た『まずいウニ』のネタはすごくよかったんだけどなあ。「ヒザでするんかい」はめちゃくちゃ笑った。あっちを観たかったなあ。



 ということで優勝はウエストランド。おめでとう。タイプ的に優勝するとおもってなかったからびっくりした。革新的なスタイルのコンビが多かったからこそ、「新しいスタイルじゃなくてもとにかく笑いをとれば勝てる」ってのを見せつけてくれたね。

 ちなみにウエストランド井口さんは東野幸治のお気に入りの玩具として、関西テレビの『マルコポロリ!』でいつもおもちゃにされている。R-1グランプリ(関西テレビ)をこきおろしたウエストランドが『マルコポロリ!』でどんな扱いを受けるのか、今から楽しみだ。


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2022年11月14日月曜日

【感想】まほうのレシピ(Just Add Magic)

まほうのレシピ(Just Add Magic)

内容(Amazon Prime より)
ケリーと彼女の親友2人は不思議な料理本を見つけ、その中のレシピには魔法がかけられていることを知る。ケリーのおばあちゃんにかけられた呪いを解くために3人は次々と料理を作っていく。そして魔法の料理を作る者はその効果の代わりに特別なことが起きることを知る。過去に起きた事件と料理本に隠されたナゾが明かされるとき、さらなる大きな秘密が暴かれる!


 Amazon Prime にて鑑賞。

 おもしろかった。Amazon Prime では「キッズ」カテゴリに入っているが、大人でも楽しめる。というか、子どもにはこの複雑なストーリーを理解するのはなかなかむずかしいとおもうぜ。

 シーズン1からシーズン3までを家族で観た。ドラマをはじめて観る長女(9歳)もおもしろがって、1話観るたびに「もういっこ観よう!」と言っていた。毎回気になるところで終わるんだよなあ。


 主人公は仲良し三人組の女の子、ケリー・ハンナ・ダービー。中一ぐらい。

 あるときから、ケリーのおばあちゃんが会話をできなくなる。おばあちゃんを大好きなケリーは心配するが、どうすることもできない。

 そんなとき、三人の前に奇妙のレシピが載った本が現れる。本に載っていた「おだまりケーキ」をつくったところ、食べた者が口を聞けなくなり、その副作用でつくった者のおしゃべりが止まらなくなる。なんと本は魔法の本だったのだ。

 しっかり者だが融通の利かないケリー、良くも悪くも慎重派のハンナ、だらしないが他人にも寛容なダービーと性格の異なる三人が、ときに助け合い、ときに喧嘩をしながら様々な問題を解決する物語。


 ということで、以下感想。ネタバレがんがん含みます



■シーズン1

「はいはい、女の子たちが魔法の料理を使っていろんな問題を解決する1話完結のお話ね」とおもって観はじめたのだが、そんな単純なものではなかった。

 たしかに基本は1話完結で、
問題発生 → 魔法の料理を作る → 魔法の失敗、魔法が効きすぎる、魔法の副作用などで新たな問題発生 → 試行錯誤して解決
という流れが多い。だが、すべての問題が解決するわけではない。

 あれこれ魔法の料理を作っても、おばあちゃんの具合はいっこうに良くならない。魔法は悩みを解決してくれるが、ひとつ解決するたびに新たな悩みが生まれる。

 さらにはシルバーズさん、ママPという謎を秘めたキャラクターたちも魔法について何かを知っている様子。はたして彼女たちは何を知っているのか、そしておばあちゃんに何が起こったのか……。

 このシーズン1を観ると、もう止まらなくなる。

 特におもしろかったのが登場人物に対する評価が二転三転するところ。

「あ、ママPって意外といい人なんだ」「シルバーズさんは怖い人と見せかけて意外といい人、と見せかけて何か企んでいる?」「ママPもシルバーズさんも呪いをかけあっていたのなら、もしかしておばあちゃんも?」
と、あれこれ推理しながら楽しめた。

 終盤、ママPがサフランフォールズのみんなに毒づくシーンは最高。ママP役俳優の怪演が光る。よくこんな嫌いな町で客商売やってたな。逆に感心する。

 主人公だし、しっかり者だとおもっていたケリーが暴走してしまう展開もおもしろい。いちばんヤベーやつじゃねえか。逆に、だらしないケリーにいちばん好感が持てる。友だちにするならだんぜんケリーだな。まあいちばんいい奴なのはジェイクなんだけど。優しいし、勤勉だし、向上心も強いし、料理はうまいし、なんでジェイクがモテないのかがわからん!


■シーズン2-1

 シーズン1で一応おばあちゃん問題は解決したが、新たな問題が発生。それが過去から来た少年・チャック。

 どうやらチャックは悪いやつらしいが、彼がどこから来たのか、何を狙っているのかは不明。主人公たちのそばをうろついて、何やら機をうかがっている様子なのがいかにも不気味。

 このシーズンでは、チャック問題に加えて、ケリーの母親の市長選出馬、ダービーの父親の再婚、ハンナの転校といったサイドストーリーも充実。

 意外とかわいいシルバーズさん、相変わらず口は悪いけどジェイクの前では意外と素直なママPなど、主人公たちに加え、OC(おばあちゃんたち)のキャラも光ってくる。

 終わりが唐突な印象だったのが残念。あわてて風呂敷を畳んだような。チャックの心情があまり見えないまま過去に帰っちゃったもんね(また後で出てくるけど)。もう少し心境の変化が語られてもよかったのに。結局、旅人が誰だったのか最後までわからないままだったし(シーズン3まで観てもよくわかんない)。

 ぼくがいちばん好きだったシーンは、ここでもやっぱりママP。OCたちがチャックに呪いをかけてラベンダーハイツに閉じこめるんだけど、そのときのママPのうれしそうな顔! 自分に何十年もかけられてた呪いを他人にかけるのがうれしくてたまらないという顔をしている。

 ところで、テリー(ケリーの母親)もそうだけど、サフランフォールズの住人はラベンダーハイツを嫌いすぎじゃない? 何があったんだ?


■シーズン2-2

 2-1から出ていたRJやノエル・ジャスパーといった新キャラが活躍。「間の者たち」との新旧「本を守る者」の対決構図。

 昔の恋人に嫌がらせをしていたRJはともかく、魔法を使って店を繁盛させていたノエル・ジャスパーはそんなに悪いやつか? なんかすごい悪者みたいに描かれてたけど、主人公たちだって序盤はけっこう私利私欲のために魔法を使ってたじゃん!


 主要な登場人物たちが次々に魔法に関する記憶を失ってゆく。はたして記憶を奪っているのは誰なのか、そしてその人物の目的は……。

「姿の見えない敵」ということで、最もサスペンス色の強いシリーズかもしれない。次々に敵が現れては、消されてゆく。まるで『ジョジョの奇妙な冒険』のようなスリリングな展開だった。

 ぼくはずっとモリス先生が怪しいとおもっていたので「ほら!予想通り!」と喜んでいたのだが、まさかモリス先生じゃなかったとは……。

 個人的には、このシーズンの黒幕であるジルの思想には共感する。「この世から魔法を消す」ってのがジルの望みだったけど、いやほんと、魔法の記憶を失った方が幸せだよ。魔法は災いをもたらしてばっかりだもん。ケリーたちがやってることって全部魔法のしりぬぐいだし。魔法を使っているというより魔法に使われている。この後のシーズン3の展開を考えても、ジルの思い通りになっていたほうが幸せだったんじゃないの?

 それにしてもジルは学生時代と現在で性格変わりすぎじゃない? だらしなくて怠惰なキャラだったのに、選挙の参謀になれる?


■シーズン3

 ママPの店、シルバーズさんの庭、ケリーのトレーラーから魔法のスパイスが盗まれる。まったく犯人の目的が見えない中で三人は魔法を使って対抗しようとするが、三人の間に亀裂が生じ……。

 ここまでさんざん「意外な犯人」にだまされてきたのでもうだまされないぞと警戒しながら観ていたのだが、やっぱりだまされた。まさかあの人とは……。最も意外な黒幕かもしれない。

 最後の料理がジェイクリトー(ジェイクのオリジナルレシピ)だというのが胸が熱くなる。

 ストーリー自体は相変わらずおもしろいが、元々は自分たちの蒔いた種だということで、観ていて徒労感が強い。ほら、やっぱりジルの言う通り魔法の記憶をなくしといたほうがよかったじゃん、とおもっちゃうんだよね。無駄にトラブルを引き起こして、がんばってマイナスをゼロにしただけだもんな。

 最終話で未来の三人組が出てくるのもわくわくする。あまりに似ていたから、あれはCGなのかな?

 ママPとジェイクがつかずはなれずのラブコメみたいな関係になっていたことや、ママPとシルバーズさんが一緒にニューヨークに行くことに不安しかない(喧嘩しないわけがない)のとか、丸く収まりながらお余白を残した終わり方もおしゃれ。


■総括

 おもしろかった。子ども向けとはおもえない重厚なストーリー。ただ、後半はやや蛇足感もある。いや後半は後半でおもしろかったんだけど。でもシーズン2-1か2-2ぐらいで終わっててもよかったともおもう。

 美人やイケメンが出てくるわけでなく、登場人物たちがみんなふつうの見た目の人たちなのもいい。日本でもこういうドラマや映画をつくってほしいなあ。隙あらば美男美女をねじこんでくるからなあ。

 アメリカの文化が垣間見えるのもおもしろかった。向こうの学校の昼休みはこんな感じなんだ、授業は高度なことやってるなあ、陰湿ないじめはどこにもあるんだなあ、スマホを使いこなしているのはさすが現代っ子だなあ、と本筋とは関係のないところでもいろいろ得るものがあった。


 さて、次の〝本を守る者〟であるゾーイたちに本を引き渡して、続編である『まほうのレシピ ~ミステリー・シティ~』に続くわけだけど、そっちも観ているが今のところは1作目のほうが好き。まあたいてい続編は劣るものだけど。

『まほうのレシピ』の魅力は、主人公三人組よりも、OCやジェイク、パパやママといった魅力的なわき役たちにあったのだが、続編『ミステリー・シティ』のほうは主人公たちと適役以外の出番が少ない。

 漫画でも小説でも、脇役が魅力的なのがいいドラマだよね。


2022年10月11日火曜日

キングオブコント2022の感想

 キングオブコント2022の感想。


 漫才に比べてコントは表現の幅が広くていろんなことができるし方向性も多様なので、点数をつけて並べることにあんまりなじまないとおもうんだよね。そもそもの話になってしまうけど。なので、点数や順位はあんまり意味がないというか、単なる審査員の好みでしかないとおもうのでそのへんにはふれない。


 いやあ、すごくおもしろかった。いい大会でした。2021年に審査員一新してからよくなったね。

 スタジオの客はアレだったけどね。去年も書いたけど。なんだねあの客は。客というか客に指示を出している人の問題なのかもしれないけど。出てきただけで笑う。フリの段階で笑う。くすぐり程度のボケで手を叩いて笑う。コントを観る客じゃなく、単なる盛り上げ役のエキストラ。そりゃあ番組なんだから多少おおげさに笑うほうがいいけど、ちょっと限度を超えていた。

 あと、去年もそうだったんだけど、出番順がよくできすぎじゃない? わかりやすく笑える初出場組からはじまって、徐々にリベンジ組や下馬評の高い本命が増えてくる。ほんとに抽選? 作為入ってない?




 以下、ネタの感想。


クロコップ

 あっちむいてホイデュエル。

 おもしろかったなあ。キングオブコントは15回すべて観てきたけど、トップバッターの中ではいちばん笑えた。

 ほんと、トップバッターとして最高の出来だったとおもう。ポップで、バカバカしくて、誰にでもわかる。遊戯王がわかればなおおもしろいんだろうけど、わからなくてもおもしろい。

 やってることはかなりベタなんだけど、あの衣装と曲のパワーで、わかっていても笑っちゃう。

 そしてすばらしかったのが縄ばしごだけでヘリコプターを表現したところ。あの小道具のチープさと、表現している絵のダイナミックさとのコントラストがまたいい。あの絵の構図って、誰も実際に見たことないのに誰もが知っているシーンだもんね。くだらなすぎて最高。

 まちがいなく今大会の殊勲賞。優勝者が歴代最高得点を記録したのはクロコップのおかげだ。


ネルソンズ

 映画『卒業』風に花嫁を奪いに来る元カレ。

 題材といい、展開といい、あまり新しいものがなかったな。三人の世界で完結せずに(見えない)出席者も巻きこんでいるあたりはよかったね。まあおもしろかったんだけどね。「二次会だぞ」の種明かしもすばらしかったし。

 ただ、このトリオのキーマンである和田まんじゅうがまるで傍観者のようなポジションになってしまったのは残念。もっと彼をおもしろく追い込むネタもあるだけに。個人的には、以前の決勝でやった野球部のネタのほうが好きだった。

 新婦が、成功者である元カレよりも新郎を選ぶ理由が「足が速いから」ってのがなあ。リアリティはないし、かといってボケとしては弱いし。

 展開的には、新郎が見捨てられないのが令和の笑いっぽいなと感じた。平成はまだ「ブ男はひどい目にあってもいい」とされていた(少なくともコントの世界では)時代だからね。

 あの新郎、新婦の友人百人が百人とも「ご主人、優しそうな人だね」と言うタイプだよね。


かが屋

 ドMの男と、それを落としたい先輩女性社員。

 なーんか、キングオブコントに照準を合わせたようなネタだなー。かが屋の持ち味はそこじゃないのに、とおもってしまう。

(彼らにしては)派手めな設定、性急かつ意外性のない展開、そして芝居ではなく説明台詞で状況や内面を口に出してしまう雑さ。あの電話はほんとに楽をしちゃってたなー。

 きちんと脚本と芝居で見せる実力を持ったコンビだけに、あの拙速な展開は残念だったな。せめて「ふたりがお互いの思惑に気づく」のをラストに持ってきていたらもうちょっと印象も違ったんじゃないかとおもうが。

 かが屋らしくても勝てないし、らしくないことをしても勝てない。このコンビにとっては、べつにキングオブコント優勝だけが生きる道じゃないとおもうぜ。


いぬ

 インストラクターと主婦の夢。

 ばかばかしい展開は嫌いじゃないけど、それは緻密な設定や細かいリアリティがあってこそ生きるもので、「夢」や「キス」といった安易な手段を使っちゃったらなあ。

 ところであの濃厚接触シーンは、2020年や2021年だったらテレビでさせてもらえなかったかもね。いや今年でもアウトかもしれんが。


ロングコートダディ

 料理頂上対決。

 コック帽が看板にあたって落ちる、というシンプルなくりかえしでありながら、細かい会話のやり取りや役柄にマッチしたふたりのキャラクターで飽きさせない。いやほんと、あのシェフを違和感なく演じられる人はそうはいないよ。あの風貌だからできるネタ。「ぜんぜん」の使い方もすばらしい。ばかみたいな感想だけど、センスがいいなあ。

 個人的にはすごく好きなコントだったけど、点数が伸びないのもわかる。腹抱えて笑うようなコントじゃないもんな。でも彼らの持ち味は十分に発揮できたとおもう。ロングコートダディも、かが屋と同じく「チャンピオンを目指さなくてもいいコンビ」だとおもう。まあこれは外野の勝手な意見で、当人たちは目指したいんだろうけど。

 ところでこのワンシチュエーションをひたすら突き詰めるコントは、ロッチが『試着室』のネタでかなり頂点に近いところを極めてしまったので、あれを大きく跳び越えるのはなかなかむずかしそうな気もする。

 ネタ以外のところでは兎さんの「金髪だから印象に残るんですよ」は今大会いちばんおもしろいコメントだった。松本人志審査委員長の実績や名声を一切破壊するようなひっでえ悪口だ。


や団

 死んだふりドッキリ。

 怖すぎた。個人的には嫌いじゃないけど。コントだとわかっていても「人が死体を遺棄しようとするシーン」は楽しく見ていられない。もはやサスペンスホラー。ツッコミ役が明るくポップであればまだよかったのかもしれないけど、彼の顔も怖いしな。顔の怖い人と、行動が怖い人と、何考えてるかわからなくて怖い人。三人とも怖かった。

 なんといっても秀逸なのは鼻歌まじりに加えタバコで死体処理をするシーン。貴志祐介『悪の教典』でサイコパスの主人公が三文オペラのモリタートを歌いながら生徒たちを次々に殺していくシーンをおもいだした。


コットン

 浮気証拠バスター。

 細部まで丁寧につくりあげられた構成、それを支える確かな演技力。見事なコントだ。が、見事すぎる点が一位になれなかった原因なのかなという気もする。設定が完璧すぎて遊びがないというか。隙がなさすぎて「ほんとにこんな仕事あるのでは」という気がしてきた。

 良くも悪くも頭いい人が考えたネタ、って感じがしたな。ぼくはラーメンズのコントが好きで、ラーメンズはもちろん、小林賢太郎単独作品やKKP(小林賢太郎プロデュースの劇団)の作品もよく観ていた。で、いろいろ観た結果、やっぱりいちばんおもしろいのはラーメンズだった。それは片桐仁がいるから。彼がいることで、コントに「バカ」が加わる。片桐仁の頭が悪いという意味ではなく、予測不能性というか、あぶなっかしさがプラスされるということだ。

 コットンのコントには、小林賢太郎単独作品のような「おもしろいしよくできているんだけど、でもなんか退屈」を感じた。よくできているからこそハラハラドキドキ感がない。

 ということで個人的にはなんかたりないなという印象だったんだけど、でも思い返してみるとやっぱり隅々までよくできていた。彼女からの電話とか、彼女が急に来るとか飽きさせない展開も用意していたし。なによりすごいのは、変な人が出てこないということだよね。ちゃんとした人がちゃんとした仕事をちゃんとこなしている。なのにおかしい。すごい脚本だ。


ビスケットブラザーズ

 野犬に襲われる

 で、そんなコットンに足りなかった「バカ」をふんだんにまぶしたのがビスケットブラザーズ。

 気持ち悪いのにかわいげのあるふたりが飛んだり跳ねたりしているだけで妙に愛おしい。不気味さや気持ち悪さを描いたコントはわりとよくあるが(今大会でいうとや団や最高の人間とか。過去にもかもめんたるやアキナもサスペンス感の高いコントをやっている)、ビスケットブラザーズが他と違うのは圧倒的な善性を持っているところだろう。気持ち悪いけど、悪意や攻撃性はまるで感じない。そしてそこがまた気持ち悪い。

 そう、純粋無垢な善ってなんか気持ち悪いんだよね。我々は生まれながらにして悪も持ってるから。圧倒的な善に対しては、無意識のうちに「そんなわけないだろ」と警戒してしまう。ビスケットブラザーズは一貫して善なるものの気持ち悪さを表現している。

 衣装で安易な笑いをとりにいっているかとおもいきや、展開やセリフなど入念に設定が作りこまれている。ぱっと見の印象ののせいで「見た目や動きで笑いをとろうとするコント」と判断してしまうのはもったいない。あのコントを「安易な笑い」と言う人こそ、上辺だけしか見ていない。ビスケットブラザーズの良さはそこじゃない。あの見た目がなくても十分おもしろい。

 好きだった台詞は「それどういう意味」。あのタイミングであの台詞。最後まで予定調和を許さない。最高。

 ベタな笑いからシュールな笑いまで幅広く詰めこまれていて、パワーだけでなくテクニックも備えている。全盛期の朝青龍を髣髴とさせた。


ニッポンの社長

 人類補完計画。

 一昨年の『ケンタウロス』、昨年の『バッティングセンター』ではたっぷり時間をかけた丁寧にネタふりをしてからナンセンスな笑いで吹き飛ばすという贅沢なコントを見せてくれたニッポンの社長だが、今大会はうってかわって短いフリとベタな笑いのくりかえし。

 あれ。どうしちゃったの。まるでショートコント。特に見どころを感じなかったな。


最高の人間

 テーマパーク。

 ピン芸人同士のユニットだが、それぞれの良さが出たネタ。とはいえ元々持ち味が似ているので、おいでやすこがのような「タイプの異なるこの二人が組んだらこんなにおもしろくなるのか!」というような驚きはなかったけど。

 間が詰まりすぎていたように感じた。特に前半。あそこはもっともっと時間をかけてたっぷり怖がらせてほしかったな。その部分の不気味さが大きいほど、中盤での「みんな逃げて」が生きただろうに。

 そしてせっかくの緊迫感のある展開だったのに、終盤の回想シーンのせいで緊張の糸が切れてしまった。あのサスペンス感を保ったまま最後までいってたら……、いやそれでも勝てなかったかな。怖すぎたもん。

「観客を新規スタッフに見立ててしゃべる」構図なのもよくなかったのかもね。当事者感が出すぎてしまって。あれがトリオで、や団のようにツッコミ役がいればだいぶ緩和されてたんだろうけど。




以下、最終決戦の感想。


や団

 気象予報士の雨宿り。

「気象予報士が予報をはずして雨宿り」ってせいぜい四コマ漫画の題材程度の発想だけど、そこからあれだけストーリーのあるコントに仕立てあげるのが見事。

 個人的には一本目の死んだふりドッキリよりもこっちのほうが好き。大男がびしょ濡れになってやけくそになっているだけでおかしいし、狂気は感じつつも「気象予報士への逆恨み」という行動原理がわかるからそこまで怖くない。だから笑える。気象予報士を恨むのはお門違いだけど。

 マスコットキャラクターの中の人だということが明らかになるタイミングもうまい。さすが15年決勝に進めなかっただけあって、いいネタをストックしてるなあ。


コットン

 お見合い。

 これまたぶっとんだ人が登場するわけでもなく、特別なことが起こるわけでもないのに、リアリティをギリギリ保ったままちゃんと笑えるコントに仕立てている。見事。

 上品な女性がタバコを吸いはじめてガラの悪い本性を表す……じゃないところがいいね。徹頭徹尾上品さを保っている。タバコを吸っている以外はまとも。いやべつにタバコを吸う人がまともじゃないわけじゃないけど。

 前半と後半でまるで別人になってしまうような(芝居として破綻している)コントも多いけど、コットンはキャラクターの一貫性を保っているのがうまい。笑わせるためなら何をやってもいいってもんじゃないからね。

 ただ、キャラクターが首尾一貫していただけに「お見合いでもじもじしていた二人が数分間でプロポーズして承諾する」という展開の性急さが目についてしまった。とってつけハートフル。〝エンゲージリング〟をやりたかったんだろうけど、あそこで「気持ちはありがたいですけどまだお互いのことを知らなさすぎるので……」ぐらいにしていたら、もっと上質な仕上がりになったのになあ。少なくともあの時点で、女性側が相手に惹かれる要素はほとんどないとおもうけどなあ。


ビスケットブラザーズ

 男ともだちを紹介。

「どんなに変でも女性ものの服を着て髪の長いカツラをかぶっていたら女性とみなす」というコントのお約束を逆手に取ったようなネタ。女装が似合わない体形だったことがまた良かった。『寄生獣』の絵がうまくなくて登場人物全員の表情がぎこちなかったせいで結果的に誰が寄生獣かわからないというおもわぬ副産物があったことを思いだす。

 女とおもっていた友だちが実は男、男と分かった後でも女に戻ったり男になったりする、二重人格かとおもいきや周到な計画だった、過去にこの作戦が成功したことがある……と次から次に驚きがしかけられていて退屈させない。

 メインの展開以外にも「プロ野球チップスの味」「君が完成させてみる?」といった細かいワードも光っていて、一分の隙もなく笑わせてやろうというパワーを感じた。

 個人的には一本目の野犬退治よりこっちの方が好き。クレイジーなんだけど、当人の中にはしっかりした論理があるのがいい。

 実はよく練られたネタなのに、まるでそれを感じさせないのがいい。




 ってことで、今回もいい大会でした。

 個人的にはクロコップとロングコートダディがもっと上位であってほしかったけど、それは好みの問題なので。

 大会主催者に文句をひとつだけ言うとすれば、準決勝の配信は決勝の後にもやってほしいということ。準決勝配信観ようかどうかかなり迷ったんだけど、観ちゃうと決勝を楽しめなくなるので諦めた。決勝の後だったら心おきなく楽しめるから、決勝後に配信してよ。


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2022年7月16日土曜日

【映画感想】『バズ・ライトイヤー』

『バズ・ライトイヤー』

内容(映画.comより)
有能なスペース・レンジャーのバズは、自分の力を過信したために、 1200人もの乗組員と共に危険な惑星に不時着してしまう。 彼に残された唯一の道は、全員を地球に帰還させること。 猫型の友だちロボットのソックスと共に、不可能なミッションに挑むバズ。 その行く手には、孤独だった彼の人生を変える“かけがえのない絆”と、 思いもよらぬ“敵”が待ち受けていた…

『トイ・ストーリー』シリーズの準主役であるバズ・ライトイヤーを主人公にした映画。続編ではなく、『1』の前日譚。前日譚といっても単純に『1』より昔の話というわけではなく、この『バズ・ライトイヤー』を観たアンディがバズ・ライトイヤーを好きになり、『1』の冒頭で誕生日にプレゼントされたという設定。つまり物語内物語になっているという……ややこしいね。まあ『トイ・ストーリー』を観た人ならわかるでしょう。

 ということで、『トイ・ストーリー』のスピンオフではあるけれど、『トイ・ストーリー』とはまったく別次元(というより低い次元)の話なので、『トイ・ストーリー』シリーズを観ていない人でも楽しめるはず。

 低い次元というとレベルが低いように聞こえるかもしれないけどそんなことなくて、むしろ技術が上がっている分だけ『トイ・ストーリー』よりもずっと精度の高い3D技術が使われている。高度な3Dなのに物語の次元は低い(ことになっている)という……ややこしいね。まあいいや。




 まず書いておかないといけないのは、ぼくは『トイ・ストーリー』ファンなのだが、ぼくの中では『トイ・ストーリー4』はなかったことになっている。記憶から消した。否、まだ消えていないが消したいと願っている。それぐらい『4』は嫌いだ。

 つまらなかったというわけではない。おもしろかったが『1』~『3』の世界観をぶち壊しにしてくれたから大嫌いなだけだ。まあこの話は書くと長くなるのでもうやめておく。前にも書いたし。

 そんなわけで、ぼくの中で『トイ・ストーリー』は『3』できれいに完結しているので、続編ではなく前日譚を書くという試みには諸手を挙げて賛成したい。ウッディが仲間を思う気持ち、ウッディの子どもへの愛、そして子どもからおもちゃへの愛。そういったものを『4』がすべて破壊しつくしてしまったので(書かないといいつつつい書いてしまう)、それより後の話はもう描きようがない。ウッディは「最後の最後で子どもを捨てたやつ」になってしまったので、今さらウッディを主人公にした話をつくっても白々しいだけだ。

 だから、バズを主人公に据えて、しかも『トイ・ストーリー』とは別世界の物語をつくることにしたのは大英断だ。そしてその試みは成功している。





【ここからネタバレあり】


 観終わった後の感想としては「あーおもしろかった」。ほんとにそれだけ。感動したとかためになったとか考えさせられたとかはほとんどなくて、ただただおもしろかった。これは悪口じゃなくて褒め言葉ね。

 だからストーリーについてあれこれ書く気になれない。だってただおもしろいだけなんだもん。ストーリーなんか知らずにとにかく観たほうがぜったいにおもしろいんだもん。


 いやあ、これぞエンタテインメントって映画だった。ピクサー映画も、ディズニー映画全般もそうだけど、ここ最近の作品ってやたら説教くさいものが多い。「こんなふうに生きなさい」「こういう生き方を認めなさい」という制作者のメッセージがいちいち感じとれる。そりゃあ創作物だから多少なりともメッセージ性があるのは当然だけど、ストレートすぎるんだよね。そういうのって観た人が思い思いに感じればいいものであって、「制作者のメッセージ」が前面に出てくるとうっとうしい。

『バズ・ライトイヤー』にはお説教くささがぜんぜんなくて、ただ単純におもしろいことを目指した映画だった。もちろん多少なりともメッセージ性はあったし、ぼくも何かしらは感じとったけど、それについてはあえて書かない。人によって受け取るメッセージはちがうのに、ぼくが答えのひとつを提示してしまったらつまらないもの。

 もちろん、メッセージ性が強くて、あれこれ考えさせられる映画もいい。ぼくだって純文学を読むこともあるし。ただ、ディズニー映画、ピクサー映画にはそういうのは求めていない。LGBTQやSDGsや多様性やポリコレを考えるきっかけにならなくていい(ちなみに『バズ・ライトイヤー』は同性愛者が出てくるけど、そこにも説教くささが一切なくて「そうだよ。それがどうした?」って描き方なのがいい)。

『バズ・ライトイヤー』の構造はとにかくシンプルだ。強くて正義感あふれる主人公がいて、主人公がわかりやすい目標に向かって努力して、けれど様々な障害や葛藤があり、強大な敵が現れ、頼りないながらも支え合える仲間が現れ、仲間との協力を通して主人公が自分に足りなかったものに気づき、それぞれが弱さを克服して成長し、最後は力を合わせて敵をやっつける。『オズの魔法使い』や『西遊記』など、昔からあるパターンだ。

 そんな、これまでに何度も目にした王道ストーリーでありながら『バズ・ライトイヤー』はちゃんと新鮮でおもしろい。シンプルな物語の強さ。さすがはピクサー。


 この、単純な骨子なのにおもしろいストーリーは『トイ・ストーリー』1作目に通じるものがある。ぼくがはじめて『トイ・ストーリー』を観たのはもう二十年以上前になるが、そのときの衝撃はまだおぼえている。

 当時ぼくは高校生。林間学校の帰りのバスの中で観た。多くの生徒が「高校生にもなってディズニーかよ……」という感じで、半ばこばかにしながら観ていた。だが、途中からはおしゃべりをする者もいなくなり、後半はぼくも含めみんな固唾を飲んで観ていた。笑いが起こり、手に汗握るシーンでは静まり返り、終わったときにはほーっと息を吐く音が聞こえたものだ。それほどまでにおもしろかった。

『トイ・ストーリー』も、いたってシンプルな物語だ。主人公にライバルが現れ、はじめは反目しあっていたのだが共通の目的のために一時的に手を組むことになり、数々の困難を乗り越えるうちに信頼関係が芽生え、それぞれが弱さを克服して成長し、悪い敵をやっつけ、最後はすべてが丸く収まるハッピーエンド。いわゆる「バディもの」の典型的なストーリーだ。子どもから大人までみんなわかる。

 当時新しかった3D技術以外に凝った仕掛けはない。それでも、映像、音楽、息もつかせぬスリリングな展開、普遍的な感情によって名作にしている。

『トイ・ストーリー』シリーズでぼくがいちばん好きなセリフは、『1』のラストでバズが口にする「飛んでるんじゃない、落ちてるだけだ。かっこつけてな」 だ。いや、全映画中でナンバーワンかもしれない。あんなに見事に伏線回収をし、強く、そして弱く、美しいセリフがあるだろうか。あの短いやりとりに、物語を通してのウッディとバズの成長が凝縮されている。それぞれが己の弱さを認め、相手の良さを認め、そして相手の存在を必要に感じていることがわかる。

『バズ・ライトイヤー』を観て、ぼくはあのシーンをおもいだした。これはまだウッディと出会う前のバズだが(そしておもちゃのバズとは別人格だが)、彼もまた物語を通して、己の弱さを認め、仲間の良さを認め、仲間の存在を必要だと感じるようになったのだ。




『バズ・ライトイヤー』にはザーグという敵が出てくる。『トイ・ストーリー2』にもおもちゃのザーグが出てきて、バズの父親という設定になっているが(『スター・ウォーズ』のパロディ)、『バズ・ライトイヤー』に出てくるザーグはバズの父親ではない。そこだけが『トイ・ストーリー』シリーズとは矛盾しているが、そこ以外は『トイ・ストーリー』の世界観をまったく壊すことなく、新しい物語を構築している。すばらしい。これだよ、これ。おい、わかってるか『4』のクソ監督!(つい言ってしまう)


 八方丸く収まるのだが、気になったのが「エンドロール後に宇宙空間を漂うザーグが映る」シーンと、ザーグがタイムスリップなどの技術を誰から手に入れたのかが濁されていたところ。これはもしや、続編『ザーグの逆襲』につながる布石なのか……?


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2022年7月15日金曜日

ABCお笑いグランプリ(2022年)の感想

 第43回 ABCお笑いグランプリ 感想


 感想。関西に住んでいるのでいろんなお笑いのコンテストを見るが、昔からABCお笑いグランプリがいちばん好き。しっかりネタも見せてくれるし、合間の司会者と審査員のやりとりもおもしろく、バラエティとしても見ごたえがある。

 数年前の藤井隆司会、審査員にハイヒールリンゴやフジモンがいた頃がいちばんおもしろかった。でも決勝進出者のネタよりも審査員のほうがおもしろかったりしたので、さすがにそれはよくない。


■ ゲスト漫才

オズワルド
コウテイ
ミルクボーイ

 オズワルド。「車デートの車は車エビでもいいのか」と、シュールなネタにしてはベタよりなテーマ。相変わらずフレーズはおもしろいけど、まだ細かい無駄がある気がする。間とか。M-1グランプリに向けてこれから改良していくことでもっともっと良くなっていくんだろうな。

 コウテイのネタはあんまり好きじゃないんだけど、今回の「奈良時代に備中鍬で畑耕してる女やれや!」のネタはおもしろかったな。でも備中ぐわが広まったのは江戸時代だって小学生の時に習ったよ。名前に「備中」って入ってるんだから江戸以降に決まってるじゃん。

 ミルクボーイは貫禄を感じる。ABCお笑いグランプリのチャンピオンじゃないのに。ラジオ体操の「これ」のネタ。ついに物や場所ではなく動きまでを題材にしはじめた。ミルクボーイのネタって初期からすでに完成されていたように見えたけど、まだまだ伸びる余地があったのか……。



■ Aブロック

ドーナツ・ピーナツ(クラス分け)
こたけ正義感(変な法律)
青色1号(ノリツッコミ)
かが屋(喫茶店)

 ドーナツ・ピーナツはいい設定ではあるが、笑いどころが「変な校長先生」と「変な生徒」に分散されるのがちょっと見づらかったような。少年院上がりの生徒や留学生をハズレ扱いするのは、今の時代にはそぐわないかな。しかし粗さが目立つ分、今後まだまだおもしろくなりそうな二人。

 こたけ正義感は、現役弁護士という属性を活かしたネタ。「変な法律にツッコミを入れる」という着眼点は新しくもなんともない(『VOW』でも変な校則を扱ったりしてた)が、弁護士がやるだけで説得力が増してふしぎとおもしろくなる。たしかにおもしろいが、芸として見たらどうなんだろうという気もする。活字で見てもそこそこおもしろいだろうし。

 青色1号は、後半の「こいつがヤバいやつだったのか」が判明するあたりからどんどんおもしろくなるし、店長の「怖すぎて指摘できなかった」のも妙にリアルでよかった。ただいかんせん前半が退屈だった。「バイトでのウザいノリ」を見せるためにわざとおもしろくないことをしているのは理解できるが、演技がうますぎるのかほんとにつまらなかったんだよなあ。

 かが屋はコントというよりコメディ。台詞でも動作でもなく、カチャカチャカチャカチャッという音のみで笑いをとりにいく勇気がすごい。先輩バイトが震えている、という一点突破ネタだが、「弱気なやつが後輩バイトを守るために勇気を振り絞って面倒な客に立ち向かい震えている」では愛おしいだけで笑いものにする気にはなれない。「イキっていた客のほうも実はびびって震えていた」みたいな展開なら笑えるが、そっちに持っていかずに胸キュンストーリーに話を運ぶのがかが屋らしい。

 決勝進出はこたけ正義感。たしかにおもしろかったが、二本目を見たいという気にはならなかったのでちょっと意外。



■ Bブロック

令和ロマン(秋元康)
ハノーバー(彼女の両親に挨拶)
ダウ90000(独白)
天才ピアニスト(防犯訓練)

 令和ロマン。「AKBの歌を考えているのは秋元康だぞ」というこれまで何十回も聞いたベタすぎる導入ながら、美空ひばりにまで持っていくパワフルな展開。どさくさにまぎれて、後半はAKBの曲を「変な曲」と言ったり、「こんな才能があるのに」と褒めているようでディスっていたり、相当な失礼をぶちこんでいるのにさらっと流すところがニクい。秋元康をイメージできない人にはちんぷんかんぷんなネタだっただろうが。

 ハノーバーは、ひとつめの「お父さんとお母さん、どっちだ?」がすべてで、それを超える展開はなかった。妹もそっくりというオチも、事前に妹の存在を示していることで全員が読めただろうし。はじめの一分がピークだった。

 ダウ90000は、演劇のお約束である「観客に向かっての独白」を逆手にとるというメタなコント。ちょっと挑戦的すぎた。「八人組ってどんなコントをするんだろう?」とおもっていた観客の期待を悪い意味で裏切ってしまった。例えていうなら、ニメートル超の長身ピッチャーが出てきたとおもったら、アンダースローで初球にスクリューを投げてきたかのような。裏切りはほしいが、そこまで裏切られるともうついていけない。何球か剛速球が続いた後のスクリューだったら「してやられた」感もあるが。序盤に「ふつうの独白」をフリとして一、二回見せるべきだったのでは。

 天才ピアニストは、滑稽な校長に教師がつっこむのではなく、「滑稽な校長に生徒がつっこみ、それを教師がたしなめる」という構成にしているのがニクい。これにより二人の周囲が鮮明に見えてきて、立体的なコントになっている。校長につっこみを入れたらリアリティがないもんね。そして、さんざん「笑うな」と言っておいてからの「ここ笑わんと」という緩急のつけ方。最高。徐々に引きこまれて、ほんとに生徒たちの姿が見えた。惜しむらくは「全校集会で生徒たちを叱りつける教師」をやるには竹内さんに貫録がなさすぎること。あと二十年歳をとってからやったら完璧かもしれない。

 決勝進出は令和ロマン。完全に天才ピアニストだろうとおもっていたので、結果を見たとき「えっ」と声が出た。この後の審査もそうだが、漫才のほうが評価高い気がする。



■ Cブロック

 フランスピアノ(ここだけの話)
 ヨネダ2000(おみこしをかつぐプロ)
 Gパンパンダ(飲みの誘い)
 カベポスター(話がそれる)

 フランスピアノ「ここだけの話」が本当にこの地点に紐づいているという設定だが、種明かしがややあっけなかった。ここが最初のピークなのだからもっと引っ張ってもよかったのでは。ブラックなオチは嫌いでないが、この短時間だと「ほら伏線回収見事でしょ」という感じが伝わってしまい、素直に感心できず。

 ヨネダ2000は、好きにしてくださいという感じで特に言いたいことはなし。終わった後に、審査員がみんな「声がよかった」などとネタの内容ではなく表層的な部分だけを褒めていたのがおもしろかった。まあアドバイスするようなネタじゃないしなあ。

 Gパンパンダは「飲み会を断る新人」と「パワハラにならないように気を付けながら飲みに誘う上司」というきわめて現代的な設定のコント。前半の「本心がわかりづらい後輩」は嫌悪感をもったが、後半で後輩が本音を吐露するあたりからは一気に好感が持てた。つまり、まんまと芝居に引きこまれたわけだ。途中、上司役のほうが本気で笑ってたように見えたがあれは芝居なのか? 芝居自体は誇張されているが、登場人物の行動原理はとてもリアルでよかった。

 カベポスター。話が関係ない方向にそれるのだが、それた話のほうがおもしろくて気になってしまうという漫才。漫才って「ボケのおもしろさをツッコミがさらに引き立てる」が多いが、カベポスターの漫才は「ボケ単体ではまったくおもしろくないけどツッコミがいることでおもしろくなる」構成になっていることが多い。このネタなんかまさにそう。ふつうなら見逃してしまうおもしろさに、絶妙にスポットライトを当てて照らしてくれる。さらに、クイズがおもしろい→答えもおもしろい→「ですが」→クオリティ落ちた→クオリティ落ちたかとおもったら高かった、と照明の色がめまぐるしく変わるので飽きさせない。間の取り方も絶妙。いやあ、綿密に計算されたネタだ。

 決勝進出はカベポスター。個人的に好きだったのはGパンパンダだが、あれだけ高い完成度を見せられたらカベポスターの通過も納得。



■ 最終決戦

 カベポスター(大声大会)
 令和ロマン(トイ・ストーリー)
 こたけ正義感(法律用語をわかりやすく)

 カベポスターは相変わらずよくできたネタ。ハートフルな展開になるコントはよくあるけど、漫才ではめずらしい。「開催側がテコ入れ」など、終始やさしい漫才。カベポスターのネタはいつも平和だなあ。漫才もさることながら、永見さんは劇作家の才能があふれてる。

 令和ロマン。「子どもの泣き方の2番」は、個人的に今大会ナンバーワンのフレーズ。しかしこのネタは松井ケムリが延々泣きつづけるため、それは同時に持ち味である巧みなつっこみを封じるということである。漫才はつっこみで笑いをとるものなのに、それを封じてしまったらそりゃ勝てないわなあ。でも個人的には一本目より好きだった。

 こたけ正義感は法律用語を別の言葉に言い替えるというピンネタの定番のようなネタだったが、フレーズがことごとく観ている側の予想を下回っていた。たとえば裁判官⇒「おかあさん」の言い替え。なるほどと感心するほどしっくりくる言い換えでもないし、かといって「ぜんぜんちがうやん」という笑いになるほど遠くもない。絶妙に笑えないラインだったな……。


 優勝はカベポスター。納得。ずっとあと一歩だったのでもう優勝させてやりたい、という審査員の期待に応える見事なネタでした。

 個人的なベスト3は、天才ピアニスト、カベポスター(一本目)、Gパンパンダでした。


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2022年5月20日金曜日

『ベイクオフ・ジャパン』の感想

ベイクオフ・ジャパン

内容(Amazonプライムより)
イギリスの大人気番組『ブリティッシュ・べイクオフ』の日本版がついに登場!全国から選ばれた10人のアマチュアベイカーたちがお菓子やパン作りなどベイキングの腕を競います。審査員は、一流パティシエの鎧塚俊彦さんと日仏ベーカリーグループオーナー/パン職人の石川芳美さん。ベイカーたちは各話3つのチャレンジに挑戦。審査員によるジャッジの後、各話ごとに1位が選ばれスターベイカーの栄誉を与えられます。しかし同時に敗者も選ばれ、そのベイカーは会場を去ることに。最終話で選ばれる「日本一のスターベイカー」の称号を目指し、ベイカーたちは自慢のレシピでスイーツやパン、審査員に用意された課題を焼き上げます! 番組ホストに坂井真紀さん、工藤阿須加さんを迎え、おいしく楽しい、そしてドキドキする時間が始まります。


 Amazonプライムにて視聴。

 パンやケーキ作りが趣味の10人が、毎回3つの課題に挑戦。審査の結果、最下位だった人は次のステージに進めない。何度ものコンテストをおこない、チャンピオンを決めるという番組。
 NHKでもやっている『ソーイング・ビー』という裁縫コンテスト番組の、ベイカー版。

 もともとは英国の番組でそれを日本に輸入したらしい。英国版は観たことない。


 ぼくはパン作りもお菓子作りもやらない。焼き菓子といてば、大学生のときに二度ほどブラウニーを焼いただけだ。大学祭で売るために。パンはといえば、結婚祝いでGOPAN(お米でパンを焼ける機械)をもらったので何度か挑戦したが、買った方がだんぜん早いしうまいとおもってすぐにやめてしまった。

 そんな、もっぱらパンもお菓子も食べるの専門のぼくですら、この番組(シーズン1)はおもしろかった。


■ テンポがいい

 とにかくテンポがいい。

 1時間の番組で3つの課題に挑戦する。たとえば第1回なんかは10人の参加者がいるから、10人×3種の料理をつくるわけだ。30種の料理を1時間で紹介するわけだから、どんどん紹介される。だからまったく退屈しない。

 決勝になると3人になるが、それでも1時間で9品だ。ぜんぜん間延びしない。このテンポの良さはすごく現代的だ。


■ 金と時間のかけ方が贅沢

 日本国内とはおもえない、だだっぴろい高原に作られた広くて使いやすそうなキッチンスタジオ。そこでの長期に渡る戦い(1年近くかかってるんじゃないの?)をたったの8話で流す贅沢さ。

 それでいて余計なものは一切ない。必要なところにはふんだんに金をかけ、無駄はすべてそぎ落とす。金と時間の使い方がうまいなーと感じる。

 この番組を日本のテレビ局が作ったら、きっと無駄にきらびやかなセットを作り、コメンテーターとしてアイドルや俳優や芸人を並べ、要所要所で音楽や効果音を流し、ものすごく下品なものにしてしまうだろう。

 あくまで主役は参加者であり、作られたパンやお菓子。それを最大限に引き立てるために効果的に金と時間をかけている。


■ 参加者が魅力的

 よくもまあこんなに素敵な10人を集めてきたものだとおもうほど、10人が10人とも上品。年齢も職業もばらばらなのに、みんな品がある。

 こういう対決形式の番組だと特に「こいつは好きじゃないな」みたいな人がいるものだけど、この番組に関しては皆無。みんなそれぞれ好感がもてる。

 それでいて、キャラクターが立っている。

 AikaさんとYuriさんの関係は『ガラスの仮面』の北島マヤと姫川亜弓を見ているようだった。粗削りながらもすごい吸収力で驚異的な成長を見せるAikaさんと、豊富な実績に裏打ちされた高い技術を安定して披露するYuriさん。たぶん年齢も近い。評価も拮抗して、いったいどっちが紅天女の座を射止めるの!? と目が離せない(紅天女は目指しません)。

 随所に人柄の良さがにじみでているKoheiさん。美的センスがアレなところも、本人の人柄を表しているようでかえって好感が持てる。この人、絶対いい人だもんな。Koheiさんに「すまないけどお金貸してくれないか」と言われたら5万までなら貸せる。
 Koheiさんは知れば知るほど好きになる。ぼくが女性なら狙ってる。でもKoheiさんは交際中の彼女にゾッコンなんだよなー!

 あとトークにふしぎな説得力があるSatoruさん。Satoruさんが自信たっぷりに「このお菓子はこうやって作るんですよね」としゃべっているのを聞いていると、「この人の作るお菓子ぜったいおいしいやん!」という気になる。その自信の割にけっこう失敗するところがほほえましい。

 参加者たちの成長が見られるのも楽しい。最初は毒々しい見た目のケーキを作っていたAikaさんが後半では同じ人が作ったとはおもえないほど上品なケーキを仕上げてきたり、うまくいかないとあわてふためいていたYumikoさんが回を重ねるごとにメンタルをコントロールできるようになったり。

 高い評価を受けてびっくりしすぎて無表情になっていたToshiharuさんもチャーミングだったし、Nobuoさんはこの人の淹れるコーヒーめちゃくちゃうまいだろって感じだったし、10人それぞれが非常に魅力的だった。


■ 余計な演出がない

 さっきもちょっと触れたけど、テレビ番組にありがちな余計な演出がないのもいい(一部あるけど、それについては後で触れる)。

 余計な音楽もないし、同じ場面をくりかえしたりもしない。制作陣が参加者たちに敬意を払っていることがうかがえる。

 また、コンテスト形式ではあるが過剰に対決をあおってないのもいい。

 参加者たちに勝ちたい気持ちはあるが、とはいえ彼らにとってお菓子作りはあくまで〝趣味〟なのだ。楽しむこと、自分の技術が上がることが第一で、勝ち上がることが最優先ではない。だから難しい技術にも果敢に挑戦するし、ときにはライバル同士助け合う。他の参加者にアドバイスを求めたり、作業を手伝ったり、道具を貸してあげたり。

 このあたりも、テレビ番組だったら過剰に対決姿勢を求めちゃうんだろうなー。そうやってストーリーをつくった方が作り手としては〝仕事をした気〟になれるんだろうけど、見ている側はべつにそんなもの求めてないからね。素材のまんまでおいしいから。

 なんかついついテレビ批判ばかりしちゃうけど、〝日本のテレビ番組じゃない番組〟を見ると、日本のテレビ番組がいかに凝り固まった思想にとらわれているかがわかるなあ。


■ 司会はダメダメ

 余計な演出がないと書いたけど、唯一余計だったのが司会者のふたり。まあ脚本があるんだろうけど……。

 まず坂井真紀さんが1話目の結果発表時に泣く。えっ、しらじらしすぎて気持ち悪いんですけど……。

 関係性が深くなってからならともかく、たった数時間、料理をしているのを見ただけの人が退場するだけで泣くの……。会話を交わしたのも二言三言でしょ。この人の涙腺どうなってるのよ。これぐらいで泣いてたら常にポカリ飲んでないと脱水症状起こしちゃうよ。

 この泣き真似が毎回あるのか、イヤだなあ、とおもっていたら、一話目で泣いてたくせに二話目以降はぜんぜん泣かない。どないやねん。なんで関係性深くなってからのほうが別れがつらくないんだよ。
 あれかな。
「あの坂井さん、さっき泣くフリしてたじゃないですか。ああいうのほんとうちの番組にいらないんで二度とやらないでください。気の利いたコメントができないもんだから困ったら泣けばいいとおもっていた『探偵!ナイトスクープ』の西田敏行前局長じゃないんで」
と、きつめに注意されたんだろうか。だとしたら注意した人はえらい。

 もっとひどかったのが工藤阿須加さん。まあこれは本人が悪いというより起用した人や演出を考えた人が悪いんだろうけど……。
 いわゆる「スベリキャラ」の感じで出てくるのだが、これが痛々しい。つまらないジョークを飛ばしたり、意味不明なダンスを披露するのだが、肩に力が入っているせいで「一生懸命やっている」ことが伝わってきてちっとも笑えない。もっといえばやらされている感というか。

 ぼくは本家英国版を見たことがないのだけれど、どうやらこれは本家のノリをそのまま持ってきたものらしい。だったら芸人にやらせるとか、他の人選があったんじゃないだろうか。下手な人のスベリ芸ほど見ていてつらいものはない。

 彼が出てくるシーンだけ学芸会の空気になるんだよね。「拙いですけどあたたかい目で見守りましょう」という空気になる。

 まあつまらないだけならまだいいんだけど、参加者が制限時間内に追われながら一生懸命作っている間にやる。そのたびに参加者は手を止めて学芸会を見てあげる(なにしろみんないい人たちだから無視できないのだ)。じゃまでしかない。

 司会のふたりがちょいちょいうんちくなんかを披露するのも、にわか仕込み感が濃厚に出ていて哀れだ。審査員はプロ、参加者はアマチュアとはいえセミプロレベルなんだから、司会のふたりは素人に徹したらいいのに。「素人として、視聴者の代わりに質問をする」役であれば存在価値もあるとおもうのだが。

 他の部分の演出が洗練されているだけに、司会ふたりの稚拙さ、もっといえば〝下手なくせにうわべだけうまい人のまねをしている感〟が鼻についた。


■ 味がわからない

 これはもう番組である以上しょうがないんだけど、作ったものの味がわからないのが残念。見ている側もいっしょに審査したいのに! 「見た目がきれいか」と「おいしそうか」しかわからず、肝心の「おいしいか」がわからない。

 だから審査結果を聞かされてもいまいち腑に落ちない。「見た目もきれいでおいしそうだったけど、食べたらおいしくなかったんです」と言われたら、こっちは「はあそうですか」と引き下がるしかない。

 これはもう味まで伝えられる次々々々々々世代テレビの登場を待つしかないな。

 ちなみにぼくが審査員だったら、抹茶が嫌いなので抹茶のケーキをつくってきた参加者には軒並み低い点をつけます!(そんなやつ審査員にさせるか)


2022年3月8日火曜日

【映画感想】『のび太の宇宙小戦争 2021』

『のび太の宇宙小戦争 2021』

内容(映画.comより)
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画41作目。1985年に公開されたシリーズ6作目「映画ドラえもん のび太の宇宙大戦争(リトルスターウォーズ)」のリメイク。夏休みのある日、のび太が拾った小さなロケットの中から、手のひらサイズの宇宙人パピが現れる。パピは、宇宙の彼方の小さな星、ピリカ星の大統領で、反乱軍から逃れて地球にやってきたという。スモールライトで自分たちも小さくなり、パピと一緒に時間を過ごすのび太やドラえもんたち。しかし、パピを追って地球にやってきた宇宙戦艦が、パピを捕らえるためのび太たちにも攻撃を仕掛けてくる。責任を感じたパピは、ひとり反乱軍に立ち向かおうとするが……。

 劇場にて、八歳の娘といっしょに鑑賞。もともと2021年公開のはずが、コロナ禍で1年延びて今年公開となった。配信にしてくれたらいいのに、とおもうが、劇場の都合など考えるとそんな単純な話でもないのだろう。


 1985年版『のび太の宇宙小戦争』の映画は観ていないが、大長編コミックを持っていたのでストーリーはよくおぼえている。

『のび太の宇宙小戦争』はドラえもん映画の中でも好きな作品のひとつだ。特に、「ドラえもん映画にしては出木杉の出演シーンが多め」「ドラえもん映画では脇役にまわりがちなスネ夫としずかちゃんが活躍する」のがいい。

 だが、好きな映画だからこそリメイクをすると聞いたときは若干の心配もあった。


 ドラえもんの映画は、エンタテインメントに徹しているものもあれば、やたらと説教くさいものもある。環境保護だとか他の生物との共生とか。当然ながらおもしろいのは前者のほうだ。メッセージなんて観た人が好き勝手に受け取るものであって、製作者が押しつけるものではない。

 なので『宇宙小戦争』も、一時のドラ映画のように「センソウ、イケナイ。ヘイワ、ダイジ」的なメッセージ性の強いものに改悪されていたら嫌だなーとおもいながら劇場に足を運んだのだが、心配は杞憂だった。

 原作の魅力はそのまま残し、劇場版ならではの迫力は倍増。さらに登場人物の内面もより深く掘りさげられ、それでいながらスピード感があるので説教くささは感じさせない。とにかくわくわくさせてくれた。

 ウクライナで戦争が起こっている今だからおもうことはいろいろあるが、それについては書かないでおく。あくまでこれはドラえもんの映画。子どもを楽しませるための映画なのだ。現実の政治や戦争を語るために利用すべきではない。




『宇宙小戦争』がいいのは、ドラえもんが道具をちゃんと使えることだ。

 以前にも書いたが、ドラえもんの映画ではドラえもんの道具使用が制限されることが多い。ポケットがなくなったり、ドラえもんが精神異常になったり。
 そりゃあドラえもんの道具はほぼ万能だから封じたくなる気持ちはわかるが、この〝ハンデ戦〟をやられたら観ているほうとしたら興醒めだ。「はいはい、登場人物を窮地に陥れるために道具を使えなくしたのね」と、製作者の意図が透けてしまう。ピンチをつくるために無理やり道具を使えなくする。ご都合主義の反対、不都合主義とでも呼ぶべきか。ドラえもんの道具を封じたら、

 だが『宇宙小戦争』ではスモールライト以外の道具は問題なく使える。スモールライトを使えなくなる理由もストーリー的にまったく不自然でない。

 ちなみに昔『宇宙小戦争』を読んだときは「ビッグライトで戻ればいいじゃん」とおもったものだが、今作ではその解決法を封じるために「スモールライトで小さくなったものはスモールライトでないと戻れない」という設定をつけくわえている。

 ドラえもんがスモールライト以外のすべての道具を使えるのに、それでも敵わない。だからこそ敵の強さが伝わってきて、観ている側はどきどきする。『魔界大冒険』もそうだった。安易に道具の使用を制限しないでほしい。




 出木杉の活躍

 旧作『宇宙小戦争』の序盤は、出木杉が大いに活躍した。スネ夫たちが特撮映画を撮影するにあたって、のび太の代わりに出木杉を仲間に入れる。すると出木杉は次々にすばらしいアイディアを出し、映画のクオリティはどんどん上がる……。

 ところがリメイク版でははじめから出木杉が仲間に入っている。そこにドラえもんが道具を貸すことで、さらにクオリティが上がる……というストーリーだ。これは残念だった。出木杉がドラえもんの引き立て役になってしまっている。

 旧作のスネ夫の技術に出木杉の知恵が加わることですばらしい映画ができあがっていくシーンはほんとにわくわくしたのに。ドラえもんが道具を貸したらいいものができあがるのはあたりまえじゃん。足りない分を知恵で解決するところが特撮映画の魅力なのに。なんでもかんでもドラえもんの道具を使えばいいってもんじゃないぞ。

 また、「出木杉が塾の合宿に行った」という設定がつけくわえられ、途中で完全に出木杉は姿を消す(ラストシーンでだけ再び顔を出す)。これも、出木杉ファンのぼくとしては残念でならない。
 でもこれはよく考えたら出木杉に対する優しさだな。なんせ旧作では「途中まで仲間だった出木杉が何の説明もなくのけものにされる」んだもの。それに比べれば「塾の合宿があるから誘えない」という今作はずっと優しい。


 スネ夫の活躍

 やはり『宇宙小戦争』はスネ夫の活躍抜きには語れない。というより、本作の主役はスネ夫だといっていいだろう。リメイク版ではスネ夫の出番が減るどころか、より多くスネ夫にスポットライトが当たっていた。

「ジャイアンは映画では性格が変わる」とはよく言われるが、いちばん変わるのはのび太だ。特に最近の映画でののび太は、勇敢で意志が強くて行動的なスーパーヒーロー。原作ののび太は「何をやらせてもダメ」だからこそ多くの子どもに愛されるのに、映画版のび太は大谷翔平のような超人だ。まったく共感できない。

 のび太も、ジャイアンも、しずかちゃんも、とにかくまっすぐだ。一度自分のやるべきことを決めたら一切の迷いもなく突っ走る。
 そこへいくと人間・スネ夫は迷い、悩み、反省し、考える。自分の正しさをも疑うことができるのがスネ夫だ。『のび太の月面探査記』でも、唯一臆病さを見せていたのがスネ夫だった。

 ぼくが信用できるのはスネ夫のような人間だ。なぜなら多くの人間と同じだからだ。もちろんぼくもそうだ。

 行動に一切のためらいのない人間は信用できない。全力疾走する人間はたまたまいい方向に走ればすばらしい結果を生むこともあるが、まちがった方に向かえばとんでもない悲劇を生む。正しさなんて誰にもわからない。みんな自分が正しいとおもっているのだから。ヒトラーだってポル・ポトだって毛沢東だってプーチンだって、みんな自分は正しいとおもって一生懸命がんばってたんだぜ。

 戦争を始めるのが映画版のび太のような人間で、戦争を防ぐのがスネ夫のような人間なのかもしれない。

 だって、パピが言っていることが真実だとどうしてわかるの? もしかしたらあっちが多くの人を殺した大悪党なのかもしれないよ? 遠い星で起きた内戦で、どちらが正しいかなんて地球にいるのび太に判断できるわけがないよね。
 それなのに、一方の言い分だけを鵜呑みにして加勢するなんて怖すぎる……。


 いや、これ以上はやめておこう。ぼくはなにものび太たちの行動にケチをつけたいわけではない。子ども向けエンタテインメント映画なのだから、わかりやすい正義VSわかりやすい悪でいい。悪役はとことん悪くていい。生まれながらの悪で、四六時中悪いことを考え、いいことはひとつもせず、悪いことをするためだけに悪事をはたらく。そんなやつでいい。悪党にとっての信念だの道を踏み誤った背景だのはいらない。
 じっさい、『宇宙小戦争』の敵であるギルモア将軍はそんなやつだった。だからおもしろかった。

 ただ、自分がスーパーヒーローになれないとわかったおっさんとしては、どうしてもスネ夫に肩入れしてしまうんだよね。ほんとはよその星の戦争なんかに参加したくないのに周囲に流されてついていってしまうスネ夫、ついていったはいいもののやはり怖くなってしまうスネ夫、戦う決心をしたもののいざ敵を目の前にすると足がすくんでしまうスネ夫、身の危険がないとわかると調子づいて戦うスネ夫……。なんて人間くさいんだ。

 今作は、スネ夫の人間的魅力が存分に発揮された作品だった。


 ドラコルル

 大ボスであるギルモア将軍は卑怯で、心が狭く、猜疑心の塊で、思考が単純で、そのくせ自信家で、どうしようもない敵だった。

 その点、ギルモア将軍の部下であるドラコルル長官はじつに魅力的な悪役だった。大長編ドラえもん史上「最弱にして最強」とも呼ばれているらしい。地球人ならかんたんに踏みつぶせるほどの小さな身体でありながら、その知恵と計略でスモールライト以外の道具を使えるドラえもんたちを追い詰める。決して敵を侮ることはなく、常にあらゆる可能性を想定し、どんなときでも落ち着いて思考し、行動する。

 彼は敵だけでなく、上司であるギルモア将軍を疑うことも忘れない。おそらく自分自身をも完全には信じていない。またドラえもんたちに追い詰められた後は「我々は敗れたのだ」と潔く負けを認め、ギルモア将軍のように保身のために逃走したりもしない。かっこいい男だ。もし彼がパピよりも先に地球にやってきてのび太と出会っていたら……。ピリカ星はまた違った運命を迎えていたかもしれない。


 前作とリメイク版との違い

 前作を最後に読んだのは二十年以上前だから記憶を頼りに書くが……。


・出木杉の活躍シーンの減少

 これは前に書いたとおり。残念。


・ウサギがぬいぐるみが横切るシーンの削除

 パピの初登場、スネ夫と出木杉が推理をくりひろげるシーンがまるっと削除。これにより、出木杉の活躍シーンがさらに減ってしまった。


・パピの姉・ピイナの存在

 原作には存在しなかったキャラクター・ピイナ。これはゲスト声優を出演させるための大人の事情ってやつなんだろうな。原作ではしずかちゃん以外に女の子が登場しないから。

 はっきりってピイナはいてもいなくてもほとんどストーリーには関係ないポジション。パピ大統領の子どもっぽい一面がかいまみれる、ぐらいのはたらきしかない。「ピイナとしずかちゃんの顔が似ている」設定も、だからなんだって感じだし。

 大人の事情はわかるとしても、無理やり新キャラをねじこむぐらいなら出木杉の活躍シーンを残しておいてほしかったぜ。


・その他細かいシーン

 果敢に戦うしずかちゃんを、それまで隠れていたスネ夫が助けるシーン。たしか原作でのスネ夫の台詞は「女の子を危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」だったと記憶しているが、今作では「君ひとりを危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」になっていた。これは当然、時代に即した修正。

 ラスト近く、逃げるクジラ型戦闘機にジャイアンが馬乗りになるシーン。原作ではジャイアンが服を脱いで戦闘機にかぶせて目隠しをしていたのだが、なぜか今作では服を脱がなかった。特に問題があるシーンとはおもえないが……。
 やっぱあれかね。男の子であっても小学生児童の乳首が見えるのはまずい、という配慮なのかね。そのわりにしずかちゃんの入浴シーンはしっかり残っていたが……。



 
 前作の良さを存分に残しているので、前作ファンにも楽しめる。もちろん前作を知らない人はもっとおもしろいにちがいない。娘も大満足だった。

 ただ一箇所だけ、ぼくは気になったところがある。

 すごく細かい揚げ足取りで申し訳ないけど、ドラえもんたちが戦車に乗っているシーン。ずっと画面隅に戦車のバッテリー残量らしきものが写っているのだがそれがどのシーンでもずっと残量90%だった。

 どうでもいいのだが、どうでもいいところだからこそずっと気になってしまった。


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2022年1月17日月曜日

【DVD感想】ロングコートダディ単独ライブ『じごくトニック』

内容紹介(Amazonより)
『キングオブコント2020』決勝に進出した実力派コンビ・ロングコートダディの単独ライブをDVD化。7月に行われた東阪ツアーの大阪公演より、「厳格お父さん」「時をかける兵藤」ほか新作コント7本と東京公演限定コントほかを収録。

厳格お父さん

 犬を拾ったので飼いたいと言う息子に対して父親が放つ言葉が……。


 基本的にはひとつのボケ。それも大ボケではなく「ちょっとした違和感」程度。オープニングアクトにふさわしい上品なコント。


時をかける兵頭

 職場の先輩に後輩が誕生日プレゼントをあげる。お礼を言う先輩。なんのへんてつもないシーンだが、なぜか同じようなシーンが延々くりかえされる……。


 違和感だけが残る前半。後半の説明で前半の謎が解け、続きが気になる展開に。謎のちりばめかた、最小限の説明、そして何とも言えない絶妙なボケ。

 いやあ、これはロングコートダディらしさがあふれているなあ。ボケらしいボケがほとんどない。プレゼントの内容自体で笑いが起きるのだが、冷静に考えるとぜんぜんおかしなプレゼントじゃないんだよね。どっちもおかしな人じゃないしふざけてもいない。なのに絶妙におもしろい。

 この、説明のしようのない笑い。センスあふれるコントだ。


カットステーキランチ

 ファミレスで話すバイトの同僚。どうということのない職場のうわさ話なのだが、徐々に片方の価値観のずれが目立ってきて……。


 これまた大掛かりなボケはないものの、じわじわとおもしろい。「気にするところ、そこ!?」と言いたくなる。なのにコント中では誰も指摘しない。

 そして秀逸なのが、カットステーキランチの使い方。序盤のカットステーキランチがずっと気になってたんだけど、もっとも効果的なタイミングで登場。ほんとにファミレスでカットステーキランチが焼かれるぐらいの時間なのがたまらない。


ランプの精

 願いを三つ叶えてくれるランプの精を呼び出した男。彼の願いを聞いたランプの精はなんともいえない顔をして……。


 個人的にいちばん笑ったのがこのコント。男の倫理観や価値観が狂ってる。それも、わかりにくく狂ってる。わかるようでわからない。でもちょっとは理解できるのかなーとおもったら、やっぱり理解できない。

 コントや漫画で「三つの願い」って定番の設定だけど、キーとなるのはやっぱり「三つ」をどう使うか。三段落ちにするとか、一つめと二つめを三つめで使うとか、三つだからこその笑いを作らないといけない。
 その点、このコントでは「三つ」をうまく処理している。「三つめ」がアレだからこそ、男の狂気性がよりいっそう浮かび上がる。ディズニー版『アラジン』を観てからこのコントを観ることをお勧めします。


脱がせてもらっている時間は時間に含まれていないと思っていたでござる

 もうこれはタイトルがすべて。ほぼ出オチのコント。
 一分もないコントなので説明のしようがない。


魔物

 甲子園を目指すエースと、お互いに好意を持っているらしいマネージャー。地方予選決勝前日にいちゃついていたのが原因でエースが指を怪我してしまい……。


 十年ほどの時間の経過を見せてくれる、スケールが大きいようで小さいコント。「指の怪我をマネージャーに知られるとあいつが責任を感じてしまうから隠し通さないと」というエースの優しさが哀しい笑いを生む。


じごくトニック

 小説家が自殺をすると、そこに死神のような存在が現れる。死後の行き先は天国か、地獄か、はたまた転生か。転生先は選べないが、その三つのどれでも好きに選んでいいという。はたして男が選ぶのは……。


 三十分を超す大作コントだが、個人的にはあまり好きになれなかった。他のコントはどれも人生におけるある一瞬を切り取ったものだが、このコントだけは起承転結がしっかりしていてちゃんとした芝居である。それが逆に性に合わなかったというか、ロングコートダディにはもっと「人から見ればどうでもいいような一瞬」をすくいあげるコントを期待してしまう。

 個人的な好みの話になってしまうが、「単独ライブのラストに収められているちょっと人情的なコント」があまり好きではないのだ。ラーメンズのライブ『鯨』のラストである『器用で不器用な男と不器用で器用な男の話』はたしかに素晴らしかった。あの一作によって『鯨』というライブ自体がすごく引き締まった。ただそれは『器用で不器用な男と不器用で器用な男の話』が非常によくできたコントだったからである。

 特にオークラさん(バナナマンや東京03のライブにもかかわっている人)がその手のコントを好きらしく、彼が手がけたライブのラストはたいてい「しんみりコント」だ。もちろんその中にはたいへんすばらしい作品もあるが、中には「しんみりさせようとすればいいってもんじゃないよ」と言いたくなる作品もある。「ラストにしんみりするコントを入れておけば、観終わった後に『ああいいものを観た』という気になるだろう」という狙いが透けてしまうというか。ああいうのはたまにやるからいいのであって、毎回毎回松竹新喜劇みたいになられても「お笑い」を観にきている側としては醒めてしまう(松竹新喜劇観たことないけど)。

 そんなわけで、当然ながらラーメンズやバナナマンや東京03がコント界に与える影響はすさまじいものがあるから、昨今はなんだか「コントライブのラストは笑いあり涙ありの人情派コントにしなくちゃいけない」かのような風潮まで感じてしまう。考えすぎかもしれないが。

『じごくトニック』の話に戻るが、せっかくここまでナンセンスな笑いを披露してきたのに最後にストーリー性豊かなコントを見せられると「出来は悪くないんだけど今求めているのはそれじゃないんだよな……」という気になってしまう。




 なお、本編もさることながら幕間映像もおもしろかった。

 特に、堂前・ビスケットブラザーズきん・kento fukayaが18禁のゲーム『話れ』をやる映像は声に出して笑った。
「一生懸命話をしてくれていますが話が入ってきません。アイテムをゲットして話が入ってくるようにしよう!」というさっぱり意味のわからない説明でゲームがスタート。だが次の映像を観ると、一瞬にして説明の意味が理解できるようになる。

 すばらしくばかばかしい。18禁どころか、何歳でもアウトだろ、これは!


 他にも、YouTube動画の編集をする映像、『兎の好きな食べ物ランキング』、『阪本と中谷が近づいたらマユリカの漫才が聞こえてくる動画』などナンセンスな笑いに満ちた映像がたくさん。これに関しては、DVDでツッコミを入れながら観るほうがだんぜん楽しい。舞台で観たら「ツッコミたいけど声を出すわけにはいかない……」というもやもやが残りそうだ。




 全篇通してまずおもうのが、金と時間のかけ方が贅沢だということだ。

 たとえば『脱がせてもらっている時間は時間に含まれていないと思っていたでござる』なんて、そこそこ大掛かりなセットや衣装を用意しているが、コントの時間はおそらく1分にも満たない。セッティングや片付けのほうがはるかに長い。もちろんその時間は幕間映像でつないでいるけど。

 ふつう、これだけのセットを用意するのであれば、もっと展開を持たせて長いコントにしようとか、あるいは準備のコストに対して得られる笑いの量が見合わないからこのコントはボツにしようとか考えそうなものである。

 なのに、数十秒であっさり終わらせている。贅沢だ。

『厳格お父さん』も非常に短いし、『ランプの精』だってあんなにドライアイスをたく必然性はない。劇団四季ばりにふんだんにもくもくもくもくやっている。

 手間や金のかけかたと笑いの量が比例していなくて、そこがまた単独ライブらしくていい。いろんな芸人が出るライブでこんなことをやったらきっと怒られるだろう。

 この贅沢さ、現実的な枠組みにとらわれない、自由な発想ができるからこそなのだろう。「もったいない」ともおもうが、その贅沢さがなんとも上品。

 聞けば、ドリフのコントや、『ごっつええ感じ』のコントでも、たった数分のコントのためにものすごい金をかけて豪華なセットを組んだという。

 きっと、一流のクリエイターには、頭の中にビジョンがあるのだろう。そのビジョンに現実を近づけていく作業がコント作りなのだ。だから、観ている側にとっては「もったいない」とおもえるようなコストのかけかたになるんじゃないだろうか。想像上の絵を描くときに「ここにこんな建物があったら建築費が高くつくな」とはいちいち思わないのと同じで。


 ただ、気になったのが女装のクオリティ。『脱がせてもらっている時間~』と『魔物』で堂前さんが女装しているのだが、そのクオリティが低いのだ。まったくもって女性に見えない。ただカツラをかぶって女の服を着ただけ、という感じ。美人である必要はないけど、女性らしさがまったくない。

 いや、いいんだよ。コントだから女装のクオリティが低くても。バカリズムなんて女性を演じるときにカツラすらかぶらないし。
 ただ、ロングコートダディのは中途半端なんだよね。やらないんならやらないで「観客に想像させる」でいいし、やるならメイクとか小道具にもこだわって徹底的に女性らしさを出してほしい。半端な女装のせいでコントの世界に入りづらかったのが残念。ここはもっとコストをかけてもいいとこだとおもうぜ。


 どの作品もおもしろかった。でも、「お笑いDVDを観て大笑いしたい」という人には正直いってお勧めしない。爆笑するようなコントはほとんどないからだ。作品性は高いが、笑いを取りにいく姿勢はいたって控えめだからだ。

「じんわりおかしい」を味わいたい方にはおすすめ。



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【DVD感想】東京03『自己泥酔』

2021年12月21日火曜日

M-1グランプリ2021の感想


 M-1グランプリ2021の感想です。

 個人の感想です、って書く人がいるけど個人のじゃない感想とかある? 法人の感想? それとも国民の総意としての感想?


<1本目>


モグライダー (さそり座の女)

「美川憲一さんって気の毒ですよね」と、一瞬にしてあれこれ考えさせられる不穏な導入がすばらしい。単発のツカミかとおもったら本ネタへの導入とは。
「いいえ」のワンフレーズからそこまで想像を広げるのかと呆れさせ、「そうよ私はさそり座の女」と言わせるためだけに無駄な努力をふたりでくりひろげる。その緻密に計算された構成と、根底を貫く徹頭徹尾意味のないばかばかしさに大いに笑わされた。

 トム・ブラウンの「合体」ネタもそうだけど、バカなネタ、不条理なネタにこそ、背景にしっかりとした論理が求められる。言ってることは荒唐無稽だけど、「少なくともこの人の中では首尾一貫してる論理があるんだろうな」とおもわせなければならない。
 モグライダーのネタにはその〝狂人の論理〟があった。だから笑える。モグライダーを見習いなさい、敗者復活戦のさや香よ。ただむちゃくちゃやればいいってもんじゃないぞ。

 ツッコミもうまいし、ボケのあぶなっかしさも魅力的。後半出番だったら最終決戦に進んでいてもぜんぜんおかしくないネタだった。出番順に泣かされたなあ。

 反省点があるとすれば、歌に入るまでが早かったことだろう。1組目だったこともあるが、多くの観客にとっては「知らない人が出てきてまったく意味のわからない話をはじめた」わけで、早々に脱落してしまった人も多かったのではないだろうか。『さそり座の女』を知らない観客も少なくなかっただろうし。
 限られた時間とはいえ、前半の説明はもっと時間をかけて丁寧にやるべきだったのではないか。キャラクターが浸透してくれば、今回ぐらいの短さでもいいんだけど。

 ネタよりバラエティ番組で活躍しそうなふたりだなとおもった。


ランジャタイ (風の強い日に飛んできた猫が体内に入る)

 準決勝とは異なるネタをここで持ってくる度胸もすごい。2番手という出番順をものともせずに自分たちの空気で包みこんだ剛腕っぷりもさすが。

 ただ、設定もぶっとんでいて、中身のボケもぶっとんでいるのはいかがなものか。奇想天外な世界でベタなことをやりつづけるとか、オーソドックスな設定で奇抜なボケをするとかのほうが見やすかったんじゃないだろうか。

 しかし審査員がみんな甘い。このコンビは、どうせならぶっちぎりの最下位にしてあげたほうがよかったのに(本人たちも少なからずそれを期待していたフシがある)。70点とかつけてあげろよ!


ゆにばーす (ディベート)

 今大会の個人的最下位。好きじゃなかった。

 結局、内輪ネタなんだよね。去年のアキナといっしょで。このふたりの関係性やキャラクターありきで話が進んでいってしまう。

「うちらの関係性は何なの?」で笑いをとるためには、その前に「原さんのことを恋愛対象として見ることはできない」ことをちゃんと説明しないといけない。
 20年前だったら説明しなくてもよかったんだよ。説明しなくても「ああこの女は不美人だから恋愛対象として見られない扱いを受けても当然だ」とおもってもらえた。でも今の時代はそうじゃない。不美人だろうと、女芸人だろうと、「おまえは女じゃない」はセクハラで断罪される時代だ。ブスをブスといじっていい時代は南海キャンディーズが終わらせてしまった。
 まだ川瀬名人が超絶イケメンなら「おまえには恋愛感情持てへんわ」が説得力を持つかもしれないけど、川瀬名人のほうもアレなので「誰が言うてんねん」になっちゃう。そこをちゃんと言いかえせばいいんだけど、原さんが一方的に言われっぱなしなのでとても見ていられない。

 終始ふたりの関係性ありきのテーマだったので、ゆにばーすに思い入れのない者としては、まったく知らない人同士の合コントークを聞かされているような気分だった。

 ところで、そもそもの話になっちゃうけど「ツッコミだけが関西弁でキレ気味にツッコむ」って聞いていてつらいんだよね。攻撃的になりすぎてて。関西人のぼくですらちょっと怖い(ネプチューンとかにも同じものを感じる)。関西人同士なら気にならないんだけど、「関西弁じゃない人に関西弁でまくしたてる関西人」って、そっちのほうが異常者じゃん。
 おまけにゆにばーすは「背の高い男が背の低い女に高圧的にツッコんでる」から特にDV感が強い。よほどボケが強くないとしんどいなあ(このあたりのことはオズワルドの項で書く)。


ハライチ(敗者復活) (頭ごなしに否定)

 予選でも敗者復活でも古いネタをやっていて、なんで新ネタもないのに久々に参戦したんだろう、もう十分売れてるんだからネタがないなら出なくてもいいのに……とおもっていたが、なるほど、本当にやりたかったのはこれか。敗者復活戦とはまったくべつのネタを隠し持っていた。これはネタ番組じゃやらせてもらえなさそうだしなあ。

 クレイジーなネタで、ここでこのネタを持ってくる心意気はすごいけど、いかんせんボケが1種類しかないからなあ。おまけにランジャタイがむちゃくちゃやった後だから、「この大舞台でこれをやるか」という驚きも少ない。

 やりたいネタをやって清々しい顔で去っていった姿が印象的だった。


 ちなみに敗者復活戦は久々に生で視聴したんだけど、ぼくはカベポスターと男性ブランコ、あと1組は迷ったので娘が爆笑していたからし蓮根に入れました。ハライチもおもしろかったけど、時間オーバーしても続けていたのが印象悪かったのと、もう今さら敗者復活で上げなくてもいいでしょとおもったので。


真空ジェシカ (一日市長)

 個々のボケの強さはピカイチだった。台本で読んだらいちばんおもしろいのはこのネタじゃないかな。まあでもそれだけでは勝てないのが漫才のおもしろいところで。

 一日市長という枠組みを与えているとはいえ、基本的には大喜利の羅列なんだよね。「Q.沖縄の言葉にありそうでないものは?」「A.罪人(つみんちゅ)」「Q.この和菓子屋、不穏な気配がする。なんで?」「A.店のおばあちゃんがハンドサインで『ヘルプ・ミー』とやってきた」みたいな。
 めまぐるしく笑いの角度が変わるので、ついていけない客や審査員もいたんじゃないかな。

 台本はまちがいなくおもしろいので、後は技術が身につけばすごいだろうね。今回は表現にアラが目立った。
「沖縄の苗字」が十分伝わっていないのに「罪人(つみんちゅ」を持ってきたり、「青山学院が見くびられている」の笑いを引きずっている状態で「名門のタスキは重い」を発したためにかき消されてしまったり。本番の空気に対応できる技術はこれからなんでしょう。

「ミッキーはひとりじゃないですか」は良かったなあ。昭和なら「ミッキーなんていっぱいいるじゃねえか!」と裏を暴くだけで笑いになったけど、平成では「タブーに物申す」がダサくなった。そこで裏の裏をかいて「ミッキーはひとりじゃないですか」「そ、そうだよね」とやるのは令和の笑いって感じがしたなあ。タブーに切り込むんじゃなくてタブーをひと撫でするような笑い。

 ところで、最初から最後までずっとおもしろかったけど、最後の酸性雨だけは完全に蛇足だったようにおもう。あれのせいで突然ぶった切られたようなオチになってしまった。そこまでして入れなきゃいけないボケだったのか。「名門のタスキは重い」で落としてもよかったんじゃなかろうか。


オズワルド (友だちがほしい)

 準決勝を見たときもおもったけど、完璧なネタだとおもう。欠点がまったくない。

 モグライダーの感想でも書いた〝狂人の論理〟。言ってることはおかしいけど、「他人の気持ちがまったくわからなくて友だちができたことのない人ならこれぐらいのことは言うかも」の絶妙なラインを巧みに表現していた。
「いちばんいらない友だちでいいからさ」や「履かなくなったズボンと交換」の、他人の気持ちがわからないっぷりったら!

「友だちがいないやつのふるまい」というたったひとつのお題に対して、いちばんいらない友だち、一斉に解き放って5秒後においかける、脈拍、詐欺なんてしないなど、次々にくりだされるパンチのあるボケ。真空ジェシカとちがってお題はひとつなので、観ている側もついていきやすい。
 もちろんツッコミのワードもことごとく切れ味鋭く、非の打ち所がないネタだった。

 オズワルドといえば、昨年審査員から「序盤はロートーンで入ったほうがいい」「序盤から声を張ったほうがいい」と真逆のアドバイスをされていたが、このネタを見るとそんなことは実はどうでもいい問題だと気づかされる。

 あの問いに対する答えはかんたんで、「強くツッコむ理由があれば強くツッコめばいい」だとおもう。
 昨年のネタを例に出すと、「〝はたなか〟って発声すると口の中に何か詰め込まれるかもしれないから改名しようとおもってる」と聞かされた場合、理解不能な理屈ではあるがしょせんは他人事なので強くツッコむ理由にはならない。
 だが今年の「友だちいないから君の友だちひとりちょうだい。いらないやつでいいからさ」は、自分や友人の名誉にかかわる話なので、強く反発する理由になる。それだけの話だ。

 だからオズワルドは昨年の審査員からの問いに対して、「声を張るに値するボケを導入に持ってくる」という回答を用意した。完璧な回答だ。


ロングコートダディ (生まれ変わったらワニになりたい)

『座王』ファンとして、個人的にもっとも応援していたのがロングコートダディ。だけどあのローテンションなコンビでは爆発的にウケることはないだろうなとおもっていたので、今回の4位は上出来中の上出来だとおもう。
 しかし、観客が暖まっていてかつ疲れてもいない7番目(しかもオズワルドが盛り上げた後)という最高の出番順でこの結果だったということは、今後はこれを超えることはむずかしいんじゃないかという気もする。
 GYAO反省会で他の芸人が「あのネタの発想はすごい」と口々に褒めていたので、昔のキングオブコントのように現役の芸人が審査する形式だったら優勝できるかもしれないけど。

 このネタもたいへんおもしろかったのだけど、去年の準決勝で披露した『棚の組立』のネタがあまりにすばらしかったので、それと比較すると「おもしろいけどロングコートダディのおもしろさはこんなもんじゃないぞ」ともおもってしまう。『棚の組立』はコントに入らないし。あれこそ決勝の場で披露してほしかった。

「生まれ変わったらワニになりたい」→「肉うどん」までは正直いって凡庸な発想かもしれない。しかし二周目に入ってからの、「法則があるらしいですよ。あんまり大きな声では言えないんですけどね」といったさりげないやりとりがすばらしい。ああいう奇をてらっていない台詞こそが天空世界を強固なものにしている。あの台詞のおかげで、もうすっかり誰の目にも「天空の世界」が見えているはずだ。

「ラコステ」という軽めのボケや、「おまえは」をすぐにツッコまないところなど、本当におしゃれ。おもしろすぎないところがおもしろい。あそこで真空ジェシカのように強力なパンチが飛んできたら、たちまちこの繊細な世界が壊れてしまう(真空ジェシカは真空ジェシカでいいけど)。
 このネタを観て、つくづくおもう。やっぱりロングコートダディは漫才師ではなくコント師だと。

 ところで、反省会でこのネタの制作秘話を兎さんが語っていたんだけど、
「堂前がやってきて『生まれ変わるとしたら何になりたい?』と訊かれたので『ワニ』と答えた。そしたら次の日に堂前がこのネタを作ってきた」
だって。めちゃくちゃすごくない? そこから一日でここまで広げられる?

 他にも「堂前は一枚のアルバムを聴いて、そこから着想を得て単独ライブのネタをつくる」というとんでもない逸話も披露されていた。天才か。


錦鯉 (合コン)

 ばかばかしいだけでなく、「おじさんが合コンに行って若い子に相手にされない」という状況がずっとペーソスを漂わせていてよかった。やっぱりただおもしろおかしいだけじゃなくて、そこに悲哀や狂気や恐怖といった別の感情を揺さぶってくれるものが観たい

 審査員からも言われていたけど、緊張からかツッコミが強くなっていたのが気になった。そんなに頭を叩かなくても、という気になってしまう。だってべつに悪いことしてるわけじゃないもん。独身のおじさんが合コンに行ったっていいじゃない。ジェネレーションギャップがあるのもしょうがないじゃない。叩くことないじゃない。

 頭を叩く一辺倒じゃなく、ときに諭したしなめたり、ときに痛みに寄り添ったり、球種をおりまぜたツッコミを見せてほしいな。それができる技術のある人なんだから。
 はしゃいでるおじさんが叩かれてるのはかわいそうだ。悲哀を感じるのは好きだけど、それはあくまで漫才の設定の中だけでの話で。

 そこへいくと、オードリーの「おまえそれ本気で言ってるのか」「本気で言ってたらおまえと楽しく漫才やらねえだろ」「へへへへへ」はすばらしい発明だよな。あれがあるおかげで、どれだけ叩いていても嫌な感じにならないもの。


インディアンス (怪談動画)

 記憶を頼りに感想を書いてるんだけど(だからここに書いているセリフなどは実際とは微妙に異なるはず)、インディアンスのところではたとキーボードを打つ手が止まってしまった。はて。どんなネタしてたっけ?

 このネタにかぎらず、インディアンスの漫才は記憶に残らない。どんな設定だったか、どんなボケがあったか。観終わった後に何も残らない。そこがインディアンスのすごさでもあるんだけど、個人的にはM-1グランプリの舞台で観たいとはおもわない。近くのショッピングモールに営業で来たらいちばん笑うのはインディアンスかもしれないが。

 ロングコートダディとは対照的に、とにかくわかりやすく老若男女楽しめる漫才。たしかに楽しい。だが楽しい以外の感情は動かされない。

 理由のひとつが、インディアンスのボケは徹頭徹尾「ふざけ」であることだろう。狂気も悲しみも不条理もなーんにもない。作りだす世界はなにひとつおもしろくない。というよりそもそも世界なんて作っていない。現実と地続きの世界で、ただひょうきんな人がふざけている。だからインディアンスの漫才を見ても「田淵さんっておもしろい人ね」とおもうだけで「インディアンスの漫才の世界っておもしろいね」とはならない。

 強パンチとか中キックを隙間なくくりだす漫才。たしかに隙はないんだけど、こっちが見たいのは一か八かのスクリューパイルドライバーなんだよ!


もも (○○顔)

 ついにこういうコンビがM-1に出てきたか。
 2年ぐらい前に関西のネタ番組に「新星あらわる」みたいな紹介の仕方で出てきたときにも「M-1グランプリで勝つために特化したようなコンビだな」とおもったが、その印象は変わらない。
 もはや彼らは「漫才師」というより「M-1グランプリ師」といったほうがいいかもしれない。

 風貌からしゃべりかたからネタの構成まで、すべてがM-1グランプリのために作られている。もちろん他のタイプのネタもあるのだろうが、ぼくがテレビで5回ほど見たのはすべて「なんでやねん○○顔やろうが!」のネタだった。たったひとつのスタイルを極限までつきつめたコンビ。

「M-1に勝つためだけの漫才」をしていたコンビは以前にもいたが、ももはもっとすごくて「M-1に勝つためだけのコンビ」であろうとしているように見える。ええんかそれで

 2009年の夏。現在シアトル・マリナーズにいる菊池雄星投手は高校三年生だった。甲子園で背中の痛みを抱えながら登板を続け、負けたときに「一生野球ができなくなってもいいから、人生最後の試合だと思って投げ切ろうと思った」と語っていた。
 そのときにもおもった。ええんかそれで
 たしかに甲子園はほとんどの高校球児にとっては最終目標だけど、それはあくまでアマチュアで終わる凡百の球児にとっての話。プロ入りを目指す者からしたら通過点のひとつにすぎない。野球人生を棒に振るほどの価値はない。(菊池雄星選手の花巻東高校はあそこで負けててよかった。あのまま勝ち進んでいたら、メジャーリーガー・菊池雄星は存在していなかったかもしれない。)

 同じように、M-1グランプリに参加するアマチュアコンビなら「M-1に勝つためだけのコンビ」を目指すのはまちがってないが、プロの芸人として生きていくのであればその道は命を縮めているように見えてしまう。

 ミルクボーイも昔からずっとあのシステムを続けているけど、あれは題材を変えればいくらでも広がるからなあ。ももの「見た目と中身のギャップ」では先が見えてしまうので不安になる。心配です。

 あっ、今回のネタの感想書くの忘れてた。ええっと、練習の跡が見えすぎる一字一句がっちがちに固まった漫才は個人的に好きじゃないです。以上。


<最終決戦>


インディアンス (ロケ)

 いやあ、ほんとにどんなネタかぜんぜんおぼえてない……。どんなネタだったっけとおもって公式YouTube動画のコメント欄見にいったけど「おもしろかった!」「好き!」みたいなのばっかりで、「○○というボケが良かった」「○○というフレーズが好き」みたいな具体的な感想がぜんぜんない。やっぱり、おもしろかったと感じた人ですら内容は印象に残ってないんだな……。

 各組の漫才を無音で再生してどれがいちばんおもしろい? と訊いたら、インディアンスが優勝するかもしれない。


錦鯉 (逃げた猿をつかまえる)

 まず題材選びがすばらしい。逃げた猿をつかまえる人をやりたい、って絶妙にばかだもんね。「あれならおれのほうが上手につかまえられるわ!」って、まさに小学生の発想。いい大人は逃げた猿にむやみに近づかない。

 肝心のボケの内容は、ちょっとばかが過ぎた。「罠をしかけたことを5秒後に忘れちゃう」はさすがにやりすぎ。小学生相手にはばかウケだろうけど。

 ただ、全体的にばか一色な中「猿が森に逃げた!」「それでいいじゃねえか」とか、最後の「ライフ・イズ・ビューティフル!」とか、妙に考えさせる笑いやシュールなオチを用意しているのは見事。ばかばっかりだからこそ、ああいう角度のちがうボケがよく映える。

 あと、おじいさんをそっと寝かせていたシーンは、ラストのまさのりさんを寝かせるくだりへの伏線になってるんだね。よく練られてる。


オズワルド (おじさんに順番を抜かされる)

 これはネタが悪いというより、この状況にふさわしくなかったね。12本のネタを見た後に楽しむには、話が小難しすぎた。M-1グランプリって年々放送時間が長くなっていってて、今年は3時間半。テレビで観るだけでもしんどいのに、当然スタジオの観客や審査員はもっと前から準備していたわけで。もう最終決戦ともなるとまともに頭が働いてないんだよね(ミルクボーイの2本目の「最中一族の家系図」をリアルタイムで正しく頭に描けていた人がいただろうか)。

 あの時間にやるネタは、緻密な論理ではなく強烈なパワーが必要なんだろうね。マヂカルラブリーの『吊り革』のように、何も考えずに見られる、すべてをふっとばしてくれるようなパワーが。
 この時間にモグライダーやランジャタイを見たら大爆笑だったんだろうな。

 オズワルドが、ABCお笑いグランプリでやったもう一本のネタ『ダイエット』をここで披露していたら結果はどうなっていただろうか……。そんなことを考えてしまう。




 というわけで優勝は錦鯉。おめでとう。納得の優勝でした。

 しかし、島田紳助がM-1グランプリを創設した動機のひとつが「才能のない芸人に引導を渡すため」だったはず。10年たっても芽が出ないやつはやめなさい、という理由で。

 残酷なようで、引導をつきつけてやることこそが本当の優しさなんだよね。将棋の奨励会もそうだけど。
 10年やって芸人やめてもまだ30歳ぐらい。いくらでも他の道がある。

 だが、皮肉なことにM-1グランプリという目標ができたせいで芸人を目指す者、やめられない者が増えた。もものようにM-1グランプリに特化した芸人まで生まれた。
 そして、錦鯉・長谷川さんの50歳での優勝。

 錦鯉の優勝は文句なくすばらしいんだけど、おかげでますますやめられない芸人が増えるだろうな。
 M-1グランプリの存在意義が変わってしまった。青少年の心身の育成のために開かれる高校野球甲子園大会のせいで多くの青少年が心身を壊すように。




 今大会もおもしろかったが、M-1グランプリという大会はまた硬直状態に入ってきたなという印象を持った。2008~2010年頃もそうだった。
 審査員が固定化され、準決勝審査員はおじいちゃんばかり。真におもしろいものを追及した結果の個性ではなく、M-1グランプリで勝つための芸を磨いたコンビが決勝に進む。

 今回は初出場組5組などと言われていたが、ふたを開けてみれば、昨年も決勝に進んだ3組が3組とも最終決戦に進んだ。驚くほど新陳代謝が進んでいない。

 このままだと大会全体が停滞してしまうんじゃないかと勝手に危惧している。準決勝と決勝の審査員はがらっと変えたほうがいいんじゃないだろうか。
 新しい風を入れるってのはモグライダーやランジャタイのような変化球ばかり放りこむことじゃないぞ。正統派が多数を占めるからこそああいうコンビが輝くんだぞ。

 あと決勝経験者は敗者復活戦に出られないようにもしてほしいな。せめてあそこは新しい才能を発掘する場であってほしい。


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